2012年11月2日金曜日

仕事にケチがついた話の続編


私が弱気になった記事を読んで、
http://tamuratakeshi.blogspot.tw/2012/10/blog-post_26.html
教え子やサポーターが応援してくれる。

先生、大丈夫ですか?
先生でもケチを付けられることがあるんですね。
そしてそれが気になることもあるんですね。

どうもありがとう!
みんな応援してくれるんですね。そのことが支えになります。
でも、大丈夫ですよ。

みんな弱くて良いんですよ。弱さをカラダの中に埋め込ませ隠しているんじゃなくて、取り出して眺めるんです。それはひとりの孤独な作業。他の人は何も出来ない。自分でどうにかするしかないんです。でも、そういう私を、「センセイ大丈夫?」と見ていてくれる人かいるだけでかなりがんばれるんですよね。
ということの大切さを身を以て示したくてブログに書いたんですよ。
誰だってブルーになるし。
ブルーになって構わないんです。

でも先生が弱気になっちゃったら困る。。。??
先生が不安になったら、自分も不安になっちゃう?
そうですよね。私も昔は自分の先生や親にそういうのを期待していたかもしれない。
自分が不安の時、自分が頼りにする人は、大樹のようにしっかり根付いてブレないことを求めていた。絶対的な存在。自分がブレたとき、ブレない絶対的な存在に依拠したかった。

でも、そんなのありえないですよね。自分が親とかセンセイの立場になってよくわかる。ホントは大樹であること(世の中にはそれを生き甲斐にしている人々もけっこういるけど)をやめたいのだけど、依拠する対象であることから逃げるわけにはいかないんでしょうね。
では、こうしましょう。建築学のことは何も知らないのだけど、ビルの耐震構造が二種類あるとしましょう。
  • ガッチリ構造:岩のように強く地震が来てもびくともせず、揺れのエネルギーを跳ね返す。
  • しなやか構造:地震の揺れに合わせて自分もうまく揺れて、揺れのエネルギーを吸収してダメージをうまく逃す。
地震(大地の揺れ)に限らず、心の揺れの場合も、ふつう前者を期待しますよね。
でも、ホントは後者の方がうまくいくと思いますよ。
揺れが襲ってもビクともせず跳ね返して揺れないのではなく、揺れを感知してそれを周りに伝え、共に揺れ合うこと(共振)で揺れのエネルギーを分散させるわけ。

ということを伝えたかったのだけど、みなさんを心配させてしまったようで済みません。
でも、ホントは言わなくたってわかってるし、そんなこと心配してないよね!?

0 件のコメント:

コメントを投稿