2021年5月3日月曜日

家族の距離感(家族療法教室)

5月1日の家族療法教室には15名(オンサイト7名、オンライン8名)の参加がありました。
参加者からのフィードバックをご紹介しながら、内容についてご紹介します。

今回の事例、先生の関わり方、アプローチの仕方や家族の関係性の変化がよくわかりました。

はじめに私が関わった事例を紹介しました。
次に、具体的な話から深め、その背後にある考え方、つまりアセスメントや支援方法についてお話ししました。

目の前のクライエントだけでなく、その家族との関わり方のポイントをいただくことができました。現場で実践していきます。

木を見て森を見ず。
ごくごく当たり前のことなのですが、心理臨床の場でその視点をどう活用していくか。
家族療法はその一言に尽きるかもしれません。
従来の精神医学や個人心理療法のアプローチは、いかに問題を持ったひとつの木に注目し、内面を深めていくかという視点です。個々の木の特性と、森全体の特性を結びつける視点は、家族療法に独特です。

困っている母親の様子や父親の態度を具体的にイメージすることができました。母親の苦しみは消えていないのだと思いますが、A君は母親と距離をとり自立に向かっていると感じました。治療のゴールは子どもの問題解決でしたが、母親が自分のゴールを決めて自ら治療を求められるようになるといいと思いました。

視点を広げて周りの木々も見れば、どれも大変だし苦労を抱えています。
個人療法の考え方では、どの木を治せば良いのか視点がぼやけてしまいます。
家族療法の考え方では、周りを見渡すことで、新たな有効な視点を獲得できます。

家族の距離の大切さを実感しました。
関係性を調整することで様々な課題が解決に向かっていく。家族療法には希望があります。当事者同士の煮詰まった関係にうまく介入できる支援者でありたいと思いました。

今回は、家族療法の中でも構造派(Structural model)の考え方を紹介しました。
木々の相互の距離感は、個々の木の成長と、森全体の成長のステージによって変化していきます。近すぎても良くないし、遠すぎても良くありません。

関係性が自然に変化する方法として安心の場を作るということが勉強になりました。そのためには私自身がいかに安心していられるか。今後はその辺りをポイントにいろいろやってみようと思います。
家族、先生、友人:関係性の距離を調整するとても大切なところ、フォーカスするポイントに気づきました。

健康な森は、成長とともに木々の距離感が自然に変化します。
陽の光が不十分だったり、風が強かったり、土壌の栄養分が足りなかったり。
環境が厳しくなると、森は頑なになり、木々の距離を変化させて成長できなくなります。
そのような森に、どのように入り、どのように元気さを取り戻していくか。
そのやり方について、今後の教室で説明していきます。
いろいろな森をご紹介しながら。

2021年4月28日水曜日

あるひきこもり経験者の物語(2)

 太郎さん(仮名)は定期的に私の外来に通って来ています。
今日も、その後の物語のデータをUSBメモリに入れて持って来ました。



とてもよく自分自身の体験を表出し、考察しています。
その考察内容について多少理解しにくいところがあったとしても、これだけまとめ上げる力は素晴らしいと思います。
彼の旅は、まだまだ続きます。


2021年4月24日土曜日

スーパーヴィジョンの醍醐味

本日のグループ・スーパーヴィジョンは4名の方が参加しました。
事例を提示した方からの振り返りです。

久しぶりに自分のケースについてこんなにじっくり検討する機会をいただきました。最初は話す事の怖さも少しありましたが、それぞれの方がそれぞれの視点で真摯に考え発言してくださるのを聞いて、大丈夫だなという安心感になりました。

まとめてもいない事例を話すということに、自分自身が圧倒されそうになりながらも、その後の皆さんからの振り返りを聞いて、どんどん自分の中でフレーム化されていなかったことへの気づきがわいてくるのを感じて感動しました。それぞれ異なるポジションの方々からのトークがとてもよくて、勉強になりました。

事例を通して、家族って大変だよなという思いと、でも家族だからこそ、近い関係だからこそ生まれる心理的な葛藤こそが生きていくことの醍醐味なのかもしれないなという思いになりました。家族は立ち向かった問題をどう乗り越えていくかのプロセスワークですもんね。

それからあることに”はまる”事(依存すること、オタク化すること、発酵すること)のメリット、デメリット、、それらは表裏一体であること、そういう視点で考えたことがなかったのでとても斬新で、勉強になりました。その視点を持っているだけで何かしらの依存の問題に立ち向かうときに新たな視点を生み出せそうな気さえします。

今回も参加できてとてもよかったです。前回とはまた違った深みがありました。

これがスーパーヴィジョンの醍醐味ですね。セラピーにも共通して言えることです。
そこには二つの要素があります。
内容(content):どのような事例が提示され、どのような意見が出たのか。ここでは、SVで語られた内容については守秘義務もありますし、一切触れていません。
過程(process):内容を抜きにして、どのようなことが起きたかという様式です。自分の体験について怖さを抱きながら語り、それが他者に受け止められ、語り返されるという過程です。
内容からも得ることはたくさんあるとは思いますが、それを抜きにして、スーパーヴィジョンというプロセス(過程)自体が大きなエンパワーメントになるということです。
それはセラピー(クライエントとセラピストとの関係性)にも共通しています。自分が体験してきたことをまとめ、言葉にして語ります。その物語が共有され、共感されること自体が新たな体験であり、そこから新たな気づきや視点が生まれます。
自分の語りが認められ、肯定される体験自体に大きなヒーリング効果があります。
これを書きながら考えたのですが、このように言葉で説明してもなかなか実感を伴って理解できないと思います。逆に、実際に体験してみると、難しく考える必要もなくストンと腑に落ちるはずです。
それがセラピーやスーパーヴィジョンの醍醐味です。

2021年4月13日火曜日

私が生きてきた価値(2)


自分の人生について、非常に無価値であると思っています。
なんとか早く自分の寿命が尽きないかと思います。
まったく意味のない人生であると思います。
きっかけは子供のことです。
自分の人生がどうしようもないので、その悪影響が子供に出てしまいました。
しかしその解決方法がわからない、自分の人生は無価値であるし、取り返しがつかないという無限の責任論のなかをさまよっています。
生きているのがつらいです。

あなたの方向性は基本的に正しいです。
自分の価値はスタンドアローン、自分ひとりの単体では生まれてこないんですよ。
他者から肯定的に肯定されて、他人からの「いいね!」をもらって、初めて自分に価値が付与されます。

それに、私が前のブログ記事に書いた「価値」と、あなたが言っている「価値」はちょっと種類が違います。私が言っていたのは偏差値とか立身出世とか、私が身につけてきた鎧、登ってきた山の価値であり、あなたが言っているのは、鎧を着る前の素の自分の価値でしょう。
鎧の価値なら、合格証書をもらったり、本を書いたりテレビに出て有名になったり、Facebookやインスタでいくらでも「いいね!」をもらうことができます。
素の自分の価値は、素の自分を相手に見せなくてはなりません。
幼い子どもはまだ鎧を作っていないから、身近な人(愛着で結ばれている人)には自ずからよく見えます。大切なのは、その人が「いいね!」を発行できたかですね。
いわゆる、無条件の愛とか、unconditional positive regardとか言うやつですね。
あなたは昔きっと無条件の「いいね!」をもらい損ねたから、無条件の「いいね!」を子どもや家族に与えることができず、苦しんでいるように思います。

大人になると、鎧を纏って素の自分を隠すから、なかなか「イイね!」を出してもらえません。
あなたは、立派な大人ですけど、こうやって素の自分を私に見せようとしています。まだ一部ですけど。
素の自分を誰かに見せることができれば、「いいね!」をゲットする可能性はあります。
でも、大人の人は、なかなかできないことなんですよ。とっても恥ずかしいことですから。
子ども時代なら自然に見せちゃえるのですが、大人になると相当な抵抗感があります。
そういう意味で、あなたの方向性は基本的に正しいんです。
でも、まだ道なかばで、価値を見いだせるまでには、まだもうちょっと苦労しますけど。

2021年4月11日日曜日

私が自分を語る時(家族ミーティング)

 昨日の「家族と支援者ミーティング」は新年度初回ということもあり、オンライン・オンサイトを含め4人の参加でした。
参加者からのフィードバックをご紹介します。

以前から少し疑問に思っていたのですが、オープンダイアログというからには、ファシリテーターももっと当事者感を出していくものじゃないのかな?田村先生はあまりご自分の話をされないな、と思っていたのですが、いつもは人数が多いからだっだんですかね。
今日はたくさんお話されたので、先生の当事者性を少し強く感じることができ、リンクを感じた気がしました。
実は、先生のブログを前からずっと読ませていただいてきたのですが、文中の先生はかなり良い意味でエモーショナルな印象なのに、実際にSVなどで出会うとちょっとクールな印象で話づらくなってしまう時があります。今日の先生の印象は、より先生の書かれるものに近い印象がありました。
それはわたしにとっては安心に繋がるものです。

確かに昨日は私自身の体験を随分語ってしまいましたね。
意図していたわけではないのですが、シチュエーションに合わせて、客観的な支援者を装ってクールにいくか、自分の鎧を脱いで感情体験を語りホットにいくか、何となく調整しているのかもしれません。
昨日は、人数も少なかったので私もより安心したのかな(?)、自分を語ることができました。

各種シチュエーションを問わず、普段は触れない鎧の下の感情に気づいて欲しい、タブーにするのではなく扱えるようにして欲しいという願いは共通しています。
普段の「家族と支援者ミーティング」は人数が多く、参加者同士でシンクロするパワーがすごいんですよ。誰かが鎧を少し脱ぐと、みなさん触発されてどんどん脱ぎ始めるんですね。私が脱ぐ見本をお見せするまでもなく。
それは、群馬で初めてこのミーティングを持った蛙トープ時代から感じていました。
(開催場所を蛙トープ→いぶき会館→村役場の会議室→古民家と移動してきました)

ジェノグラム合宿では、より集中して鎧を、そして下着まで脱ぐんですよ(失礼)。
その時は、まず私がホットになって自分の鎧を脱ぐデモンストレーションをしたりします。

ブログや本のあとがきでもエモーショナルな自分を書いてますかね。。。
文章はもともとクールなメディアなので、あえてホットな感情を書いたりもしています。

いのち電話の相談員さん向けの講演会などでは100名を超える聴衆の前で、涙とともに感情体験を語ったりします。「先生の話に感動しました!」と語ってくれる人々がいる一方で、そこまでついていけない人にとっては違和感を抱くのだろなと思います。

セラピーや個人SVの場面では、あまり自分をホットに語ることはしませんねぇ。
相手が自分を掘り下げる前に、私が掘り下げちゃったらびっくりして引いちゃうんじゃないか、、、みたいな不安があるのかもしれません。
でも、ご指摘のように、もう少しホットに語った方が、相手も語りやすいもんでしょうかね???
このあたり、私ももう少し検討してみます。

ーーー
今年度も、ミーティングの構成は変わりませんが、より方向性を明確に打ち出していこうと思います。

家族療法教室
家族療法の考え方ややり方について、具体的な事例をとおして学びます。

グループ・スーパーヴィジョン
支援者目線から、事例について語ります。

家族と支援者ミーティング
当事者目線から、体験を語り合います。

ジェノグラム合宿
支援者・当事者を超えて、自分自身の体験を深く掘り下げます。

クール(客観性)か、ホット(主観性)かという視点では

クール(客観性)・・・家族療法教室<グループSV<家族ミーティング<合宿・・・ホット(主観性)
の順番になります。

2021年3月31日水曜日

私が生きてきた価値とこれから

自分が追い求めてきた価値は一体なんだったんだろうか?
その価値を成就し、客観視した後に、その価値から自由になれる気がする。

私の亡き父親は高山村の隣の四万に生まれ育った。
山奥の小さな集落ではあるが、温泉が湧き出し都会から湯治客がやってきた。産業があり、それなりに豊かさもあったのだろう。
山の分教場(小学校)で複式学級、つまり二学年が一緒のクラス。その中で成績優秀で、旧制前橋中学に進学した。前橋の親戚宅に下宿して。旧制前橋中学=今の前橋高校。群馬で子ども達の臨床をしていると、東京ほど学校の数が多くない県内のトップ校である前高(マエタカと読む)の価値がよくわかる。
高校は旧制浦高(今の埼玉大学)、大学は東京大学。
群馬の山の中から成長と共に南下して東京に落ち着いた。

私の亡き母親は愛媛県周桑郡壬生川町(今は西条市)に生まれ育った。
私が子どもの頃、よく両親の実家に帰省したが、都会とは全く異なるのどかな山と海の風景が広がっていた。
母は地元の中学・高校では成績優秀の「副級長(級長は男子に決まっていた)」を通し、
当時の女子では珍しい四年生大学に進学した。都会のハイソな神戸女学院で4年間過ごし、卒後は実家に戻り、近所の子ども達を集めて英語塾を開き、花嫁修行とお見合いをして、東京に嫁いで行った。
のどかな瀬戸内海の海辺から成長と共にに移った。

私は二人の長男として東京大森に生まれ育った。
地元の公立小・中から11群の都立高校へ。私にとって11群(日比谷・三田・九段)は途中経過に過ぎずそれ自体には大した意味はなかったのだが、13群に行った友人から見ると11群は「価値」であったようだ。
そして国立大学の医学部、大学院、イギリスの大学へ。
AFS高校アメリカ留学やイギリス留学を経験し、私は東京という極東(Far East)の中核都市から西洋社会へ、西を目指した。

良い教育を受けることは私の家族の価値であり、東アジア社会に共通の価値でもある。
私の家族は社会的価値に裏付けされ、私の価値は家族によって裏付けられた。
より高い偏差値の学校に進学することが、より高い社会的ポジションを獲得するという価値の中で育った。私の前の妻もその価値の中で育ち、我々は結婚した。
今の妻はその価値とは別の世界で育った。

立身出世=社会的に高い地位・身分について名声を得ること。つまり社会に認められること。

故郷に錦を飾る=故郷を離れていた者が立身出世して華やかに帰郷すること。

先日、上毛新聞に私の移住体験が写真付きで載った。
先日、村会議員さんが私のうちに挨拶にやってきた。どんなヤツがやってきたのかチェックしたかったのだろう。

父と私は親子二世代かけて故郷に錦を飾ったのかもしれない。
より良い教育を受け、良い地位(医者であり大学教授であり)を得た私は、社会や家族から与えられた価値を無事にゲットできた。
得てしまえば、そこには大した意味はなくなる。
山を登っている最中は必死に頑張り、山頂に到達した感動は大きいけど、いつまでも極めた山頂に立っていても意味がない。山を降りるか、次の山を目指すか。
山頂を目指している道程では、その山頂は絶対登るべき唯一の価値だけど、登ってしまえば多少の高低差はあるにせよ、無数にある山々の一つにしか過ぎない。

都市化(田舎から都会へ)
私の両親の時代には地方と中央には格差があった。都会の方が職も、文化も、富もあった。
今は違う。ITの進化により情報の地域格差はなくなった。
東京にはたくさんのエンタメや洒落たレストランがある。前にいた西麻布はその典型だ。
高山村に夜の街はない。居酒屋もイタリアンレストランもない。
しかし、温泉と、登山やバックカントリーができる山々と、新鮮な米や野菜がある。
ファーストフード店はないが(中之条や渋川に行けばマックもケンタもあるけど)、手作りのこんにゃく、味噌、ベーコン。庭のピザ窯で焼くピザや焼肉など、豊かなスローフードがある。

立身出世
医師や大学教授など、高い地位を得れば「先生!」と呼ばれ、安定した収入も得られる。
しかし、幸せ感を得られるとは限らない。
私のクライエントの多くは、高い地位や収入を得ながら、精神的に苦しんでいる。支援を求められる人はまだ良い方で、プライドが邪魔して支援すら求められず孤立している人々も多い。

脱亜入欧
明治時代の日本において、「後進世界であるアジアを脱し、ヨーロッパ列強の一員となる」ことを目的としたスローガン。

Pax Americana 
=アメリカによる平和。超大国アメリカ合衆国の覇権が形成する「平和」。

渋沢栄一など明治維新の立役者たちは、洋行して西欧の進んだ文化を日本に持ち帰った。
私も欧米を目指したかった。私の高校時代は、まだ"American Dream"神話が生きていた。
しかしトランプ元大統領が支持される今のアメリカ社会はもはや超大国ではない。代わりに中国が台頭し(それも不安ではあるが)、アジアの価値が浮上している。
私はInternational Association of Family TherapyやAustralian Association of Family Therapyで「アジアの家族」について基調講演を行った。

価値は常に変遷している。
私が東京で育ち、欧米に行き、追い求めてきた価値はすでに相対化された。
目指すべき山頂を制覇してしまった。それはラッキーだったと思う。
しかし、山頂に居座り続けて余韻を楽しんでも意味がない。
私は次にどこへ行くのだろう?
どこかを目指すのだろうか?
山を降り、故郷に戻るのか??
高山村に住み始めてもうすぐ1年が経つ。

こんなことを考えながら日々を過ごしている。
こちらに移住する前は、シンプルに人生の山を降りる準備をするのだろうと想像していたが、
こちらに来てみて、それだけでは私に残された時間を消化しきれないことに気づいた。

。。。その2へ続く

JKT Case Conference

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毎年、3国(日本・韓国・台湾)持ち回りで家族療法のケース会議を開催しています。
去年、予定していた会議がコロナで今年に延期となり、上記の通り開催します。

全体のディスカッションは英語で
小グループに分かれてのディスカッションは日本語で行います。

ハイブリッド開催です。
現地に来れる方は伊香保温泉の旅館で、
オンラインで参加される方々と一緒に行います。

今回は、日本家族療法学会の主催となり、コロナ禍を鑑み、参加費は無料といたしました。
みなさんどうぞご参加ください。