2020年3月27日金曜日

安心して話せる場所(研修会の振り返り)

3月23日、東京オリンピックの開催が危ぶまれるほど(注:まだ中止が決定される前でした)、コロナ不安が蔓延する中、高山村での「子どもと家族の研修会」には12名の方々が参加してくれました。
皆さんからの振り返りと、私の振り返りをご紹介します。
  • この一年間こちらの研修会に参加させて頂いて、当初よりだいぶ自分の気持ちが変化したと感じます。最初は「当事者だから」という心境で、支援者の方に自ら壁を作ってお話を聴いていた部分がありましたが、今では支援者の方、当事者の方という立場をあまり気にせず皆さんのお話を聴いている自分に気づきました。こちらの会に参加することで参加者の皆さんと関わることで自分の癒しになっているのでしょうか。安心感を感じる場があることは確かに感じています。
  • 田村先生の蒔いた種から芽が出て、いろんな枝葉が広がっていくのがおもしろかった。
昨年の5月から始めたこの研修会も、回を重ね、成熟してきたと思います。始めた頃は30名以上の方々が集まってくれましたが、最近は10-20名ほどの人数に落ち着きいてきました。毎回、初めて参加する方もいらっしゃいますが、過半数の参加者はリピーターです。
 初めの頃は私がお話した後に、参加者から私に質問があったりと、主に私と参加者とのやりとりが中心でした。しかし、最近の研修会では私の立ち位置が中心から辺縁にシフトしてきています。2時間のうち前半は、私の方から具体的な事例を交えお話します。しかし後半は皆さんが自発的にお話して、他の方がそれに反応して別のお話しが展開し、という具合に、私の出番が少なくなってきています。リピーターの方々が増えてきて、この場の雰囲気にも慣れ、お話しやすくなってきたのでしょう。私は脇役となった分だけ、参加者が主役になってきています。
  • 家族って安心できる一方で深く考え始めると本当に難しい対象だなと感じています。
  • 当事者でも支援者でもなく参加させていただきました。話すことで気持ちが整理されていくのだろうな。みんな答えを持っていると感じました。人の話を聴くことが多い(セラピスト)のですが、受け取り方の違いで現実が全く違ったものになることをいつも感じます。あらゆる「壁」がなくなったらみんなの心が楽になるのにと。話せる場があるということはステキだと思います。
  • 発言はしませんでしたが、皆さんの話を聞き色々な立場や価値観があり、どの意見も自分ならどう考えるか等、自分自身を振り返るきっかけになりました。
  • 当事者の方がそれぞれの段階で向き合っている姿を見せてもらった。この会を通じて私自身が支援されてきたと感じた。安心して話せる場所でよかったです。
  • 人は許されると安心感を持って自ら変わっていくことができると改めて感じました。子どもの良いところを見てほめる、思っている以上に難しいと感じています。
自分の物語を話すこと、そして受け止めてくれる人がいること。
それが安心感を生み、癒され、自ら変わっていける、成長できる。
それがとても重要です。これが私のイメージしている古民家療法なんです。
私の役割は参加者のみなさんの話を導き出すこと、、、というのもちょっと違うかな、自然に話し出せるような雰囲気(文脈)を作ることだと考えています。
今回、迷ったのがどれだけみなさんの発言を促すか、それとも自然に任せるかということでした。前回までは、話す順番を順に回してゆきました。
今回は、それをやらずにみなさんの自発性に任せました。
すると、発言しない人と、何度もたくさん発言する人の差が出てきます。
それでも良いのかなと思う反面、話すことを躊躇している人の背中を押したいという気持ちもあります。
話すこと、自分を表出することは敷居が高いものです。でもそれを乗り越えた時の安心感をみなさんに体験してもらいたい。しかし、無理に背中を押してしまうと不安を与えてしまいます。その塩梅に悩みました。
  • 父親の話を聞くことができて良かった。意義ある研修でした。
  • 「壁」の話、私が担当している子は自分の調子が悪い時(他人を受け入れられない時)は自分から「壁」を作り、他の部屋へ行ったり、部屋の戸を閉めたりします。そういう時はそっとしておきます。大抵いつも楽しく話をしていますが。
  • 本やネットでは得られない生の声を聞けてとても良いと思いました。
  • 家族療法で解決できる問題はとても多いと思いました。
  • 過干渉や家族間のについて事例や参加された方の話を聞いて考えました。仕事は支援する側ですが、考えたり話したりすることは自分の家族との関係性が多く、それが今の自分にどんな影響があるかなと振り返りできる良い場だと思いました。
今後の希望についても伺いました。
  • 過干渉」について深めたい。その人の受け止め方で干渉しすぎととらえたり、言い方を変えれば面倒見が良いなど様々ではないかと感じます。
  • 事例を提供してほしい。
  • 人の心について学びたいと思いました。
「過干渉」あるいは「過保護」も深く考えてみる価値はありますね。
次回、そのようなお話を出来るか、考えてみます。

2020年3月18日水曜日

不安な世の中で安心感を保持する方法

先週、コロナ感染症の流行について友人の医師の言葉を引用しながら私の考えを書いたところ、

コロナ不安の世界流行(pandemic)


普段以上に多くの反響がありました。
別の医者の友人からメールが来ました。
新型コロナ感染症の問題については、一般向けのブログでははっきりした意思表明をしない方が良いよ。田村の考え方は個人的には好ましく思ってはいるが、何分、現状は未知の危機状態で、どう自分に跳ね返ってくるか分からないから。
医療者たちは世の中にたくさんの病気があり、その多くは原因も治療法もなく、どのような結末になるかということを感覚として理解していますから、今回の新型コロナウィルスがそれらの病気の中でどう位置づけられ、どれほど心配して、どう対応したら良いのかということを理解できます。ですから過剰に不安がることも、無理して安心だと言い切ることもなく、自身の不安の立ち位置をコントロールすることができます。
そのような知識のない多くの人にとって、「知らない」ということは不安に繋がります。
カナダ在住の友人が、私のブログを読んで、現在一時帰国していることをそれまで隠していたのですが、カムアウトしました。 
不安=危険な(否定的な)ことが起きる未来予測
安心=危険な(否定的な)ことが起きない未来予測

どちらも未来予測ですから、どう転ぶか確実なことはわかりません。
それなら安心を装うより、不安な気持ちで警告を発していた方が安全です。

不安感は伝播し、安心感は伝播しません。
不安は伝え合うことが必要ですが、安心感は伝えてもあまり意味がありません。
群れをなす野生動物たちは、天敵などの危険が迫ると仲間たちに警告を発し、危険から身を守ります。危険のサインを出すことは重要ですが、安心のサインを出す必要はありません。
グループスーパーヴィジョンの後、帰り際にある参加者が「先生のブログを読んで安心しました」と伝えてくれました。
この参加者も、私と会って挨拶したからこのことを伝えてくれたのであり、わざわざメールなどで伝えることはなかったでしょう。

不安は、安全に生きるために必要な感情です。
例えば、もし車でどんどんスピードを上げても不安を感じない人がいたら、危険極まりないでしょう。
危険を避けるために、不安は必要な感情です。
人間集団が危険に遭遇している時には、危険情報は共有されなければなりません。

安心は、不安な状況の中で、個人個人がかろうじて作り出すことができる個別の肯定的な感情です。だから同じ不安な状況でも安心感を保持する量は人によって大きな開きがあります。

不安が亢進しすぎて空回り状態になると、機能不全に陥ります。
慢性的な不安状態は交感神経が優位になります。交感神経は非常事態(アラート)の神経ですから、体が警戒状態になり、心拍数が上がり、呼吸が活発になり、意識が覚醒します。一時的な交感神経の覚醒は身を守るために必要なのですが、それが長い間続くと体の症状(自律神経症状)となります。例えば動悸(心臓のドキドキ感)、息切れ・過呼吸・窒息感、頭痛や胸痛、めまい、吐き気などです。過覚醒のために眠れなくなります。
都会の人は電車に乗れなくなります。各駅停車には乗れても、快速や特急に乗れなくなります。もしもの時に、すぐ電車から降りられない不安のためです。地方の人は車を運転できなくなります。この違いは群馬に来て発見しました。

個人の不安ばかりでなく、人間集団の不安が高まっても社会全体が機能不全に陥ります。投資家たちの不安から株価が下がります。人々の移動が制限され、交流が断絶されます。最近のニュースを見ていると、コロナウィルスの感染状況の報告よりも、社会不安の情報(株の乱高下、経済不安、国際交流やイベントの制限、アメリカと中国のケンカ、有名人の感染発見など)が主になってきているようです。

毎日のニュースで国内の県別感染者数や世界の国別の感染者数が報告され、地図がだんだん黒くなってきている状況を聞かされても、最近では鈍感になり、一つ一つ反応できなくなってきました。しかし、毎日コロナ関連ニュースには目を離せません。新しい情報が入るたびにドキドキします。もう考えたくない。でもニュースをフォローしてないと、どうなっているのか不安になります。これは「コロナ疲労」と呼べるでしょう。

この世に生きるということは、基本的に不安だらけです。
いつも不安を抱えて生きています。
今回のコロナウィルス感染不安は、それが世界中に波及し顕在化しただけの話です。
我々は、不安な世の中で、いかにして安心感をキープして生きていけるのでしょうか。
不安の原因を突き止め、それを取り除くことができれば一番です。
しかし、それができない不安もたくさんあります。不安の根っこを解決できない時、どうしたら良いのでしょうか?

それは「人と人との繋がり」だと思います。
不安材料(例えばコロナウィルスとか)は世の中に存在しますが、不安感は個人個人の心の中に存在します。不安情報を共有するだけでなく、一人ひとりが抱える主観的な感情世界を伝え合います。

社会全体が抱えるコロナ不安の場合、それを具体的にどう伝え合えば良いのかはよくわかりません。もう少し考えてみます。

私は普段、精神科医として人々が抱える個別の不安に向き合っています。
●解決策が見つかりそうな不安。●解決しようがない不安。
●根拠のある不安。●根拠のない不安。
●自分自身の不安。●大切な人(家族)の不安。
様々な種類の不安がありますが、結果的に何らかの機能不全に陥り、救いを求め私のところにやってきます。私ができることは二つあります。

1)私自身が繋がり、不安を受け止め、共有します。ただし、私自身もその不安の渦の中に入り、不安になる訳ではありません。その人の持つ主観的な不安感を十分に共感しますが、その人の主観的な感情体験を共有するわけではありません。客観的な立ち位置をキープします。
2)大切な人同士、家族同士を繋げます。不安自体を共有してしまうと共倒れになってしまうので、お互いが客観的な立ち位置を維持しつつ、十分に分かり合える環境を整えます。こう書けば理屈はわかるのですが、実際の臨床はなかなかうまくは行きません。これが家族療法の考え方です。

2020年3月10日火曜日

コロナ不安の世界流行(pandemic)

私の医学部時代の友人(外科医)がFacebookに投稿した記事をご紹介します(太字は私です)。とても共感しました。

 3月初旬の時点で最前線一般市中病院で勤務している医師としてCOVID-19に関する考えです。
 コロナコロナで騒がしいですが、基本、風邪の一種です。我々個人個人が自己防衛するべきものです。つまり普段から風邪やインフル予防でやっている、まめな手洗い、手指消毒、うがい、お茶や水分を摂ること(鼻腔~咽頭を洗う)、栄養摂って睡眠とる、なるべく人混みに行かないことなどで十分と考えています。どうしても人混みに行くときにはマスクをして行けばいいです。 
 しかしマスクは基本他の人に飛沫を飛ばさないことが目的です。自分が風邪にかかっているかもしれないからです。本格的に防御しようと思ったらN95マスクでないと意味はありません。
 自粛も500人以上のイベント(東京都の方針)くらいでいいのではと思います。現在10人くらいのイベントまで中止されてますが、確率的に言っても自粛はまったく意味ありません。いまの自粛ブームははっきり言ってやり過ぎです。日本人は総右へならえ主義なので、しょうがないかもしれませんが。ライブハウスが報道されたために世のライブハウスがみな悪者みたいにされているのも酷いものです。
 ほんとに注意すべきは糖尿病、COPD(肺の病気)など持病を持った人、透析患者、免疫不全患者、栄養不良の高齢者といった方で、ひとことで言えば“抵抗力の落ちてる人”です。これらの方々は昔から感染症には要注意の人達です。
 もっと検査を、検査を!と騒いでいる人もいますが、そんなに検査してどうするの? 今の方針は、風邪から肺炎を生じて短時間に悪化した患者さん(風邪症状と全身倦怠感が特徴)で、とくに先ほどの抵抗力の落ちた患者さんに検査をして、コロナの診断ついたらきっちりとしかるべき医療施設で治療する、です。一般の元気な人が風邪ひいたら、家でかぜ薬飲んで暖かくして寝ててください。
 韓国でドライブスルーみたいに検査するのをテレビでやっていましたが、なにバカやってるのと思いました。意味ない検査して患者数を増やしているだけです。問題は、検査したうちの何人が陽性かではないでしょうか?埼玉県で今まで(3月6日現在)200件弱のPCR検査されていますが、陽性は(たった)4件(2%)です。
 テレビで四六時中危機感をあおっている素人のコメンテーターにも呆れます。どれだけ恐怖ホラー話しをすれば気がすむのか?! こんなテレビ見てたら、国民全員が疑心暗鬼になって心も暗あ~くなってしまいますよね。
 ちょっと長々書きましたが、あまりにいい加減な本筋とは外れた情報が溢れ回っているので意見しました。家に閉じこもっていないで、グランドでサッカーでもキャッチボールでもドッジボールでもすればいいのです。マスクなしで。

私の精神科外来でも、多くの患者さんたちが「コロナが怖くて仕方がない」と訴えます。

人は、知らないことに不安・恐怖を抱きます。
不安感は安心感を凌駕します。
そして不安感は人々の間に伝播します。
今の状況はウィルスのパンデミック(世界流行)というより、不安のパンデミック(世界流行)と言えるでしょう。

<解説>
疫学用語の「流行」は3段階あります。
  1. Endemic (エンデミック)「地域流行」:比較的狭い地域での流行。「特定の地域やグループに限られている」という意味で用いられ、危機感はない。
  2. Epidemic (エピデミック):より広い地域(ある国単位など)で広く流行して危機感があるような状態。
  3. Pandemic (パンデミック)「世界流行」:流行範囲が世界規模に広がる。
WHOテドロス事務局長の会見をメディアでは繰り返し流しています。
深刻な表情で、「パンデミックの脅威が非常に現実味を帯びてきた」と。
つまり、ウィルス感染症はまだパンデミックではないけれど、ニュースを流し、それを受け取っている人々の不安は既にパンデミック状態です。

<追記>
上記を書いた翌日(3月12日)にはWHOから「パンデミックだよ!」と発表がありました。と、テレビのニュースで大々的にやってますよ!!

私は先週末、緊急事態宣言が出された北海道でスキーを楽しんできました。マスクなしで。
羽田-札幌便は2割程度の乗客で、普段は外国人で賑わうスキー場も閑散としていました。

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この記事を書いた後、色々な反応がありましたので、別の記事にまとめました。

不安な世の中で安心感を保持する方法

2020年3月4日水曜日

子どもに伝えるべき7つの言葉

Facebookに流れる記事の中には、とても共感するものが含まれています。
今回、ご紹介するのもその一つです。

子どもに伝えるべき七つの言葉
詳細はこのリンクをご参照ください。
解説を加えながらご紹介してゆきます。

1. I love you. あなたを愛しているよ。
「あなたを大切に思っているよ」とは、人が安心して生きていくために必須のメッセージです。
人から愛される体験、他者から受け入れられている体験、承認されている体験です。

2. I’m proud of you. あなたを誇りに思うよ。
子どもを肯定すること、子どもをほめることです。
このメッセージにより、子どもは自己肯定感を育くむことができます。

以上は、思春期以前の子どもにとって重要なメッセージです。思春期以降も、大人になってからも、このように支えてくれる他者は絶対必要です。
思春期以降は、これに加えて次からのメッセージも重要になります。

3. I’m sorry. ごめんなさい。
親が全て正しい訳ではない。親も間違うこともあるということを伝えます。
子どもが幼いうちは親は絶対的な存在ですが、子どもが思春期を迎え、自我、つまり自分自身の確実性を育んでいくためには、親を相対化することが有用です。
100%と思い込んでいた親が、実はそうではないということを発見する中で、
親と離れた位置から自分自身の立ち位置を作れるようになります。

親、特に男親(父親)にとってこれを伝えるのは難しいものです。
「親も間違えることがある」というメッセージが親の権威の失墜につながるのではと心配します。特に自信のない親はそう考えます。
リーダーが自分の過ちを認めることはとても勇気のいることです。しかし、それによって部下は安心して、リーダーをより尊敬できます。

4. I forgive you. あなたを許すよ。
これは子どもが「ゴメンなさい」と自分の非を認め、親に伝えて来た時に返す言葉です。
自分の間違っている部分を親が認めることで、子どもは全か無か(100%の全面肯定か、0%の全面否定か)の二分法から抜け出し、等身大の自分を受け入れるようになります。

5. I’m listening. あなたの言うことを聴いているよ。
子どもが自分なりに考えた言い分を他者が受け止めてくれると、自分の考え・主張を発展させて自我の形成に繋がります。
子どもの言い分を受け止めることが大切で、それを同意するか否かはまた別の問題です。自分とは異なる意見でも構いません。とりあえず子どもの言い分を聴くことが大切です。
何も「聴いているよ」と意図して口に出さなくても、大人がちゃんと聴いてくれているか無視しているか、子どもはわかります。

相手の言っている事を表面的に理解するのは簡単ですが、それをちゃんと受け止めることは難しいものです。親自身の心が整理されていて、相手を受け入れるだけのスペースが心の中に必要です。自分自身の思いで心がいっぱいだと、相手の気持ちを受け取ることができません。

6. This is your responsibility. これはあなたの責任です。
今までは親がやってあげて責任をとっていた事柄について、親が手を引き子どもに責任を取らせます。親のエンジンから子どものエンジンに切り替えるための儀式です。
特に思春期には重要です。
親が責任を放棄するのではありません。
子どもの底力を信じて、子どもに任せます。
親が安心を保持し、子どもを信頼してれば問題なく出来るのですが、親が不安を抱えていると、頭ではわかっていても実行するのはとても困難です。
例えば、子どもの生活習慣、行動のけじめをつけることなどです。

  • 子どもが朝起きるべき時間に起きること。
  • 学校に行くこと。
  • PC・タブレット・スマホなどをやめるべき時間にやめること。

思春期までまでは親の管理下にあり親が責任を取っていた行動を、子どもの責任に譲渡します。当座はうまく責任を取れず、失敗するかもしれません。そのことによる不利益を被るかもしれません。そのような経験を学び取り、子どもは成長します。
親は先回りして心配せず、子どもが成功するまで、失敗を繰り返すことを見守りましょう。

7. You’ve got what it takes. あなたはそれを出来るよ。
「それを実行する力を持っている」ことを親が保証し、子どもに自信を与えます。
子どもにとって、困難なチャレンジを乗り越えられるのか確証も自信もありません。
躊躇するでしょう。
親が「君は力を持っている」と肯定してあげると、子どもは大きな力を得てチャレンジできます。その結果が成功か失敗かに関係なく、チャレンジ自体を
このような言葉がけ、信頼できる大人との関わりの中で、子どもは自己を肯定し、自分という自我を作り、親から自立し、前に進んでゆきます。

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上記7項目のうち、
赤字が「守る愛」。すなわち巣立つ前(思春期前)の子どもが守られた巣の中で自己の基盤を作るための言葉がけ、
青字が「放す愛」。すなわち思春期以降の子どもが巣から外の世界に飛び出すための言葉がけ
です。