昨日5月30日にリノベーションが完成。
工務店から引き渡しの儀式を終え、住み始めました。
古く、太く、黒ずんだ柱に、白く、新しい床と壁。
これから新しい生活が始まります。
本当は1週間前に受け渡される予定だったので、
いつもの「子どもと家族の研修会」の予定を入れてしまいました。
建屋はできたものの、内装も外装もまだまだ未完成です。
延期しても良かったのですが、予定どおり開催してしまいました。
3名が来訪し、5名がオンライン、計8名が参加してくれました。
さっそく感想を送っていたいたので、そのまま掲載します。
古民家の雰囲気がとても心地良い感じがしました。木の香りと野鳥のさえずりそよ風も吹いて穏やかな安全な場所ですね。玄関は大きな土間になっていて、多くの方を迎え入れてくれる間口の広さも良いと思いました。
古民家まで行き着くエピソードをお話しした通り探検や冒険しているようなワクワク感がありました。迷いながらも人の助けを借りながら古民家というゴールにたどり着いたことと自分の人生と重なって思えて来ました。
とかく社会や学校はスピードと正解を求められ、常識という名の幻を押し付け気味に感じます。
ゆっくり試行錯誤しても いいのでは?と思います。子供の不登校をきっかけに学んだことがたくさんありました。そのひとつひとつが腑に落ちます。みなさんのお話しもいろいろな考え方やエピソードがあってとても有意義な時間を過ごさせていただきました。そして安心して話せる雰囲気と場所を提供してくださった田村先生と皆様に感謝しております。
被支援者の方もいらっしゃる場で、どんな研修会になるのだろうとドキドキしていましたが、とても楽しく2時間話を聞かせていただきました。
立場が異なると感じてることが異なること、当然のように思っていましたが、立場が異なっても共鳴する部分が必ずしもあるのだなと学びました。来週からの学校再開においても、子どものことを主体的にとらえること、何を自分が大事にしたいかを考えること、ひとつひとつを大事にして養護教諭という立場を全うしていきたいと思います☺︎
今日のミーテイングは、わたしにとって今までで一番心満たされるものでした。先ほどからずっと理由を考えているのですが、自分でもよく分かりません。先はどうなるのかわからないのでしょうが、とりあえず来週から通常通りの勤務になります。なので今日はわたしの中で、StayHome週間を通じて、図らずも経験していた内省期間を一旦終えるような気持ちになっていたのかもしれません。こんなに短期間で何度も田村先生のミーテイングに参加したことはなかったので。
それとも、もしかしたら古民家マジックなのかなぁ、とも本気で思いました。草津の別荘から発信されている時よりも、温かく迎え入れられているような感覚が、画面を通してでもありました。直接参加された方のお一人が、お祝いにとお酒でしょうか?お持ちになっていたのを見た時あたりからも、そんな気持ちが昂まってきたように思います。
オープンダイアログをきちんと学んだことはありませんが、きっとこういう感じを言うんだろうな、と思っていたら田村先生もそうおっしゃってたので、やっぱりそうだったんだとそれも嬉しい気持ちになりました。
同様に心に残ったことは、お子さんの休校中の勉強の遅れを気にされる方に対して、支援者陣が一生懸命そんなの大したことないとあれこれ言ったことよりも、当事者のお子さんが言われたという一言がパッとあの場の雰囲気を変えたように思いました。それも、こういったグループならではの良さだなぁと感じられました。
支援者としての自分をほとんど意識せずにいられることの嬉しさや、心地良さを語りましたが、「家族っていいものだよね、ありがたいよね」っていう話になった時に、「これはこの流れ一本になるのは危険」と感じ、何か言わなくては!と思ってしまったのは、やはり支援者的視点だったようにも思います。
Zoomでのミーテイングは、やはりタイミングよく口を挟みづらいことが難点のように思うので、チャット機能がお互いにうまく使えると、もっとミーテイングが充実するなと思いました。
わたしは、支援者ではありますが、こちらのミーテイングが本当に好きだなと思いました。どういうわけか、とても素直な自分でいられる気がしています。それはやはり、田村先生が安全・安心な場を作ってくださるからですね。
(田村)
いや、ホント古民家マジックだと思いますよ(笑)
「場」の持つパワーはすごいですね。
西麻布のチョー都会から高山村に移り、蛙トープ、いぶき会館、村役場会議室と場所は転々としましたが、研修会でやっている中身は、私からすれば普段と変わりないんですよ。参加者も、いつもの常連さんから初めての人まで、いつもと同じです。
言葉では、理屈では説明できない何かがあるんですよ。
確かに、私自身が安心しているんだと感じます。気候的にもちょうど良かったでしょうか。暑くも寒くもなく、緑と鳥のさえずりに囲まれた空気はとても新鮮です。私自身が望んで移ってきたこの場所で、人々を迎え入れることができます。言葉や表情や雰囲気を超えた何かがあるのでしょう。それがここにいる人たちばかりでなく、オンラインでも伝わったのかもしれません。不思議です!
続けて、参加者からのフィードバックです。
「ついに田村先生の古民家療法が始動される!!」
私はとてもわくわくした気持ちがありました。今までの研修会に参加して、その体験の効果を自分自身で実感し始めてきているところでしたので(安心・安全な場で自分を出して皆さんと関わること)、場所が古民家になるとどんな感じになるのか、とても興味がありました。
幸運なことに私の自宅から近いので、来所を希望させて頂きました。リノベーションが終わったばかりの本当にできたてホヤホヤの貴重なタイミングに、伺わせて頂くことができて大変光栄に思いました。
古民家に触れたのは初めてでしたが、なんとも言えないどっしりとした落ち着いた雰囲気を感じました。大きな家屋、広い庭、歴史を感じる黒い大きな木と新しい木の香り。昔と今が融合されていて歴史を感じながらも新鮮さも感じました。玄関からとても爽やかな風が入ってきましたが、暖炉もあるので冬は優しい暖かさに包まれる空間になるのではないかと想像しました。
研修会ではオンラインの方とどのように繋がるのか、楽しみがありました。先生のパソコンを通して皆さんのお顔を拝見したら、私も皆さんに顔をお見せして話したいと思い、していたマスクを取り、話してしまいました。画面の中で私だけマスクをして話すことがなんとなく壁を作っているようで嫌だったのだと思います。皆さんに私の表情をお伝えして、より身近に繋がりたい気持ちがありました。
しかしながら、私のいる空間には同じく来所された方が近くにいますし、何より田村先生は私のすぐ隣でパソコンを持っていらしたので、会が終わり家に帰ってから、私はマスクを外して話すべきではなかったか、と不安になりました。今の生活では自宅と家族の前以外でマスクを外すことはほとんど無いので、マスクを外すという行為にとても敏感になっている自分を感じました。あの場で自分がマスクを外してしまったことで、その場に一緒にいらした方の感染リスクを高める行為だったかと反省しました。そうすると、あの時とっさにマスクを外して皆さんにお顔を見せて話したいと思った自分は?
私の中で得たい安心感がかち合っていることを知りました。皆さんと表情を合わせて繋がる安心感とリアルな場ではマスク着用での安心感。私と同じように来所した方々はその辺どのように感じたのか伺ってみたいなと思いました。
普段 家族について 話したり、他の方のお話に触れる機会や場所はあまり…殆どないので 昨日はとても貴重な時間を頂きました。
例えていえば、学校のマラソン大会で他の生徒は遥か先に走っていっており、その後ろ姿さえ ましてやゴールも見えず、1人足元を見ながら走っている状態が永く続いていました。
そんな中、古民家マジック!と、終わった後の立ち話のおかげで、給水コーナーでのエネルギー補給ができ、これでもう少し 走れる距離が伸びた感じです。
安心 安全な場所と空間でのエネルギー補給に 感謝しております。ありがとうございます。
初めて体験するスタイルでのミーティング、殆ど初めての方ばかり。どんな様子で進むのだろうと緊張しているました。
PC画面に古民家が写り、鳥のさえずりが耳に入った途端、心が落ち着きました。そして皆さんがご自身のことを語っていかれる様子に、自然と溶け込んでいけました。リラックスしてというところまでは難しかったのですが、安全な場だと感じることができました。
みなさんのお話しを伺うことで、自分も話していいんだという素直な気持ちになれました。肩書きも立場も気にせず、ひとりの自分として語れる貴重な時間でした。
場の雰囲気、古民家パワーはネットを通して伝わるものなんですねぇ!!!
児童・思春期精神科医、家族療法 Child and Adolescent Psychiatrist, Family Therapist 精神科コンサルテーション(不登校・ひきこもり、家族ミーティング、男性外来、夫婦関係) 専門家支援(スーパービジョン、講演・研修、精神科医・臨床心理・教育関係者、子ども家庭福祉) International Psychotherapy; Adolescent, Marriage and Family Therapy.
2020年5月28日木曜日
古民家療法8)オンライン vs. リアル
夜の9時くらいに睡魔に襲われ、ソファーで爆睡して、12時過ぎに一旦目覚め、シャワーを浴びて布団にもぐったら、今度は目が冴えてしまいました。
こういう時に、つらつらと色々なアイデアが湧いて来るんですよね。
眠れないので仕方がなく起きて、頭に浮かんだことをメモしました。
意味が通るよう多少手を加えましたが、まだ混沌としたまとまりのない文章です。
ここからさらに分化していくと思いますが、とりあえずブログに挙げておきます。
ーーーー
今回のコロナ禍でオンライン化が一気に進んだ。
「新たな生活様式」ってなに?
3密とかソーシャル・ディスタンスとかではなく、
私が古民家で目指している「新たな生活様式」はオンラインとリアルの充実。
Geographical Locationを超えて、オンラインで遠隔と交流できる。
オンライン・セラピー、人との交流。
しかしそれは、自分のリアルを充実させるための手段に過ぎない。
僕の求めているリアルとは、田舎暮らし。
自然の中で、愛する人と、少数の大切な人々との関わり。
自然との一体感。山に登り、肌で空気を感じ、温泉に入って、美味しいスローフード、薪ストーブの暖かさ。
古民家で、ワークショップを定期的に開こう。月イチとか。
私の田舎暮らし・古民家暮らしのプロセスを一つづずワークショップ化していく。
昨年秋の古民家お片づけ隊には多くの人々が来てくれた。
古民家に興味を持っている人たちと一緒に暮らしを作っていきたい。
ウッドデッキ、庭づくり、家庭菜園。木も植えられる?
お箸づくり、田舎料理、味噌・醤油づくり。
軽トラを買うか!?
外車・高級車は都会の象徴。お金持ち=成功者。
軽自動車は群馬の象徴。群馬ナンバーのモコを買った。
軽トラは農家の象徴。農作物の運搬。お片づけ隊でも軽トラが活躍したし、古民家暮らし作りには軽トラが必須か。
ランクルや外車を野山で飛ばしてもミスマッチだ。
オンラインの交流の充実を図る。
家族療法の講座をオンライン化してみるか。
僕が行ってきた臨床経験を、本にしたいようなことを言葉で表す。オンラインのシリーズ講座を開く。
結局、リアルな世界の充実を求めるための省力化としてのオンライン活動だ。
今の社会のオンライン化は、リアルな世界での人々との繋がりに距離(social distance)作理、ウィルスの伝染を防ぐのが目的だ。
僕がオンライン活動に求めているのは、リアルな人々との関わり。
人はひとりでは生きていけない。
大切な人との交流:他者と結びつくためには自分が変容しなくてはならない。相手を受け入れ、相手にも自分を受け入れてもらうことで、二人はカップリングされる。
変容は幸せのチャンスでもあり、不幸へのリスクでもある。
ウィルスが体内に取り込まれ、自己が変容(病気)する恐れ。命が危なくなる。
逆に、命を作り・維持して、幸せを得るためにも自己の変容が必要になる。
そこにどう折り合いをつけるのか?
今回は、テレワーク(オンライン仕事)とオンライン授業(学校)が注目されているが、リアルの生活すべてがオンライン化できるのか?
仕事関係では、
医療・介護では、
私の仕事関係では、
日常生活では、
、、、以上、全部無理。
このようにみていくと、オンラインで代替できないリアルなものとは、
1)身体性
結局私も身体性に戻っていくのか。
セックス、出産、子育て、介護、死;自分の身体が変化する。
古民家・自然・土との接触・ウッドデッキ・薪ストーブ・日光や風や空気や風景や水や火や土との接触は、すべて身体の自然への回帰か。私の移住の根本的な動機はこれだと思う。田舎暮らしは、俺にとって、自然に還っていく準備、自然との一体感を受け入れていく準備なのか(=死への準備)、もしかしたら。
2)折り合う情緒的結びつき(これを日本文化では「社会性」と呼ぶ)
人と人との接触。肌の触れ合い。感情の触れ合い。情報としての感情は伝えられるが、相互交流としての、自己変容としての接触はオンラインでは無理か。
コロナ以前からひきこもり生活を続ける若者たちはプライドが高い。自分を変えたくない。他者と折り合いたくない。自分を失う恐れ。自分が変わってしまう恐れ。大切なもの(何だかわからないが)を失うかもしれないといいう恐れがある。
夫婦療法でも同様。相手と折り合いたくない。そうしたら自分がなくなってしまう。
アタッチメントの形成:重要な他者との心からの結びつき。自分を開示して、相手に見せて、相手が受け入れる。本当の素の自分を相手に見せて、相手に受け止めてもらう一体感。それは成就されれば幸せになるが、成就されないのはすごく怖いこと、不安なことかもしれない。
3)思春期の自我の形成プロセス:自分という完結した存在を作っていく。
サナギから脱皮したばかりの皮膚はまだこわれもの。外力によって壊れてしまうかもしれない。それを崩したくないと用心すれば、他者との交流は危険で避けるべき。
アタッチメントとは他者との融合感覚。(幼児期に?)その成功体験を経ていれば、新たなアタッチメントも作ることができる。そこに怖さを抱いていると(成就体験の欠如)、他者とのリアルな交流はとてつもなく怖く、避けようとする。
思春期のひきこもりとその家族は腫れ物パターン。自我を剥き出しにして折り合うことを恐れている。
本人の支援のためには、家族システムの支援も重要。親がリアルな交流をできるか。夫婦が傷つきを乗り越え折り合えるか。まずそこから始める。
結局、古民家療法の真髄とは:
オンラインで情報をやり取りした後に残るもの。
リアルな世界で、壁を作っていた人との交流、壁を取り除き、夫婦で、家族で、関係者と、地域の人々とのリアルな結びつきを体験する。そこでの自己変容の感動。本来の結びつき(人間性)を取り戻す。
そのためには、私自身が安定して結びついていなければならない:自然と。大切な人(家族)と。
こういう時に、つらつらと色々なアイデアが湧いて来るんですよね。
眠れないので仕方がなく起きて、頭に浮かんだことをメモしました。
意味が通るよう多少手を加えましたが、まだ混沌としたまとまりのない文章です。
ここからさらに分化していくと思いますが、とりあえずブログに挙げておきます。
ーーーー
今回のコロナ禍でオンライン化が一気に進んだ。
「新たな生活様式」ってなに?
3密とかソーシャル・ディスタンスとかではなく、
私が古民家で目指している「新たな生活様式」はオンラインとリアルの充実。
Geographical Locationを超えて、オンラインで遠隔と交流できる。
オンライン・セラピー、人との交流。
しかしそれは、自分のリアルを充実させるための手段に過ぎない。
僕の求めているリアルとは、田舎暮らし。
自然の中で、愛する人と、少数の大切な人々との関わり。
自然との一体感。山に登り、肌で空気を感じ、温泉に入って、美味しいスローフード、薪ストーブの暖かさ。
古民家で、ワークショップを定期的に開こう。月イチとか。
私の田舎暮らし・古民家暮らしのプロセスを一つづずワークショップ化していく。
昨年秋の古民家お片づけ隊には多くの人々が来てくれた。
古民家に興味を持っている人たちと一緒に暮らしを作っていきたい。
ウッドデッキ、庭づくり、家庭菜園。木も植えられる?
お箸づくり、田舎料理、味噌・醤油づくり。
軽トラを買うか!?
外車・高級車は都会の象徴。お金持ち=成功者。
軽自動車は群馬の象徴。群馬ナンバーのモコを買った。
軽トラは農家の象徴。農作物の運搬。お片づけ隊でも軽トラが活躍したし、古民家暮らし作りには軽トラが必須か。
ランクルや外車を野山で飛ばしてもミスマッチだ。
オンラインの交流の充実を図る。
家族療法の講座をオンライン化してみるか。
僕が行ってきた臨床経験を、本にしたいようなことを言葉で表す。オンラインのシリーズ講座を開く。
結局、リアルな世界の充実を求めるための省力化としてのオンライン活動だ。
今の社会のオンライン化は、リアルな世界での人々との繋がりに距離(social distance)作理、ウィルスの伝染を防ぐのが目的だ。
僕がオンライン活動に求めているのは、リアルな人々との関わり。
人はひとりでは生きていけない。
大切な人との交流:他者と結びつくためには自分が変容しなくてはならない。相手を受け入れ、相手にも自分を受け入れてもらうことで、二人はカップリングされる。
変容は幸せのチャンスでもあり、不幸へのリスクでもある。
ウィルスが体内に取り込まれ、自己が変容(病気)する恐れ。命が危なくなる。
逆に、命を作り・維持して、幸せを得るためにも自己の変容が必要になる。
そこにどう折り合いをつけるのか?
今回は、テレワーク(オンライン仕事)とオンライン授業(学校)が注目されているが、リアルの生活すべてがオンライン化できるのか?
- オンラインお見合い・婚活(前から活発にやっている)
- オンラインデート(文通したり、電話でおしゃべりしたり、前からやってるでしょう)
- オンライン告白(昔からラブレターとか電話でやっていた)
- オンライン・ラブラブ(肌の接触を伴わない、言葉による気持ちの盛り上がりなら可能)
- オンライン・セックス(オンラインで気持ちを同期させ、疑似体験としての身体感覚を得ることはできるが、受胎は無理。人工授精?)
- オンライン夫婦喧嘩(身体暴力を伴わないから、むしろやりやすいのでは:まだやったことないけど)
- オンライン結婚式(儀式としての式なら可能か)
- オンライン出産(無理)
- オンライン子育て(無理。授乳・オムツなどはもちろん、しつけや愛着形成も無理)
- オンライン学校・オンライン授業(英数国英:知識の習得は可能だが、実技系:体育、図工、家庭科、理科の実験とかどうすんの?友達作り、社会性の獲得は無理でしょ)
- オンライン・スポーツ(筋トレやパス回しのテクニックの練習はできる。しかし、キャッチボールや柔道の試合はできない)
仕事関係では、
- オンライン就活(筆記試験も面談も可能か?)
- オンライン入社式(儀式なら可能)
- オンラインワーク(テレワーク:今回一気に進んだ)
- オンライン会議(かなり可能)
- オンライン飲み会(可能だが、リアル飲み会とは得るものが違う?)
医療・介護では、
- オンライン老後の生活(孤独の回避にはなる?)
- オンライン介護(無理でしょ)
- オンライン病院(外来の再診なら可能だが、検査・手術など無理:というかリモートの医者が二次的に関わることは可能だが、一時的なリアルな関わりが必要)
- オンライン看取り(zoomを通して看取られるって私的にはイヤですね)
- オンライン葬式(会葬は可能だが、火葬は無理)
- オンラインお墓(お墓まいりなら可能?)
私の仕事関係では、
- オンライン診療(精神療法や処方箋なら可能だが、身体診察、身体ケアは無理)
- オンライン・カウンセリング(工夫すれば十分に可能でしょう)
- オンライン家族療法(これは、私が開拓していく)
- オンライン精神分析・CBT(自分の内面と向き合うことはできる。多分、システムズアプローチよりやりやすいのでは)
- オンライン・スーパーヴィジョン(すでにやってます。F2F以上に効果がある)
- オンライン学会(秋に2つ開催するけど、どうなることやら??)
日常生活では、
- オンライン睡眠
- オンライン料理
- オンライン食事
- オンラインシャワー・お風呂
- オンライン歯磨き
- オンライン化粧
、、、以上、全部無理。
- オンライン団欒(単身赴任中のお父さんが家族と交流する程度なら)
- オンライン人間システム(家族システム、学校システム、会社システムなど:限定された機能を果たすことはできるが、リアルのシステムに取って代わることは無理)
このようにみていくと、オンラインで代替できないリアルなものとは、
1)身体性
結局私も身体性に戻っていくのか。
セックス、出産、子育て、介護、死;自分の身体が変化する。
古民家・自然・土との接触・ウッドデッキ・薪ストーブ・日光や風や空気や風景や水や火や土との接触は、すべて身体の自然への回帰か。私の移住の根本的な動機はこれだと思う。田舎暮らしは、俺にとって、自然に還っていく準備、自然との一体感を受け入れていく準備なのか(=死への準備)、もしかしたら。
2)折り合う情緒的結びつき(これを日本文化では「社会性」と呼ぶ)
人と人との接触。肌の触れ合い。感情の触れ合い。情報としての感情は伝えられるが、相互交流としての、自己変容としての接触はオンラインでは無理か。
コロナ以前からひきこもり生活を続ける若者たちはプライドが高い。自分を変えたくない。他者と折り合いたくない。自分を失う恐れ。自分が変わってしまう恐れ。大切なもの(何だかわからないが)を失うかもしれないといいう恐れがある。
夫婦療法でも同様。相手と折り合いたくない。そうしたら自分がなくなってしまう。
アタッチメントの形成:重要な他者との心からの結びつき。自分を開示して、相手に見せて、相手が受け入れる。本当の素の自分を相手に見せて、相手に受け止めてもらう一体感。それは成就されれば幸せになるが、成就されないのはすごく怖いこと、不安なことかもしれない。
3)思春期の自我の形成プロセス:自分という完結した存在を作っていく。
サナギから脱皮したばかりの皮膚はまだこわれもの。外力によって壊れてしまうかもしれない。それを崩したくないと用心すれば、他者との交流は危険で避けるべき。
アタッチメントとは他者との融合感覚。(幼児期に?)その成功体験を経ていれば、新たなアタッチメントも作ることができる。そこに怖さを抱いていると(成就体験の欠如)、他者とのリアルな交流はとてつもなく怖く、避けようとする。
思春期のひきこもりとその家族は腫れ物パターン。自我を剥き出しにして折り合うことを恐れている。
本人の支援のためには、家族システムの支援も重要。親がリアルな交流をできるか。夫婦が傷つきを乗り越え折り合えるか。まずそこから始める。
結局、古民家療法の真髄とは:
オンラインで情報をやり取りした後に残るもの。
リアルな世界で、壁を作っていた人との交流、壁を取り除き、夫婦で、家族で、関係者と、地域の人々とのリアルな結びつきを体験する。そこでの自己変容の感動。本来の結びつき(人間性)を取り戻す。
そのためには、私自身が安定して結びついていなければならない:自然と。大切な人(家族)と。
2020年5月22日金曜日
古民家療法7)安心して住むために
いよいよ今日が古民家リノベーションの完成。
のはずだったが、工期が延びて竣工は来週になった。
今まで業者と何度も打ち合わせして、何度も現地に行き、プランを進めてきた。
これから生活が始まる。
生活をイチからスタートする。気になることはたくさんありすぎる。
しかし、何を一番気にしているのか、夫婦で全く違うのが面白い。
妻にとって、ご先祖さまや神さまが最重要課題だ。
家の裏に小さな祠を見つけた。二つある。
それを写真に撮り、知り合いのお寺さんに見せて相談したところ、どうも水子の祠らしい。前の持ち主に確認すれば良いのだが、まだ連絡していない。
家の太い柱に古いお札と藁の束みたいなのが貼ってある。
あれ、何だろうね?
私が取っちゃおうかと言うと、ちょっと待って。地元の氏神さまに聞いてから、と言う。
古い井戸があったわよね?
ああ。新しいお風呂場の下ね。
あれ、埋めちゃったでしょ!
それ大変なことなんだって!
井戸の神さまが息をできなくなっちゃう!
今さら掘り起こすわけにもいかず、代替案として毎月、お米とお酒を神さまにあげるんだって。
土地を清めるために、家の周り8箇所に50cmの穴を掘って水晶を埋めるんだって。
結構、高かったのよ!
炭を敷いて、塩を撒き、その上に水晶を置いて埋めるそうだ。
今日、それをやろう!
業者さんにも伝えてスコップを用意してもらうから。
私は先祖崇拝の習慣がないので、これらの行為は意味を持たない。
ご先祖さまは大事でしょ!?
ご先祖さまがいたから、私たちがいるのよ!
いや、それはわかるよ。
三世代のジェノグラム(家系図)を書いて、世代間伝達を確認し、家族の歴史が今ここにどう関連しているか、とても大切な情報だよ。
でも、ご先祖さまや神さまが家の周りをうろうろしていて、幸せや不幸(たたり)をもたらすことは信じていない。
自分の人生、自分の運命は、自分で決めて、自分で切り開く方針だ。
でも、自分という力を超えたsuperpowerがいて、それに対して畏怖を抱き、自分の力には限界があるという考え方は理解できる。
でも、米を撒いたり、水晶を埋める意味は理解できない。
-------
私にとって、インターネット接続が最重要課題だ。
それが解決しないと落ち着かない。
東京とは違い、ネット環境は充実していない。
高山村にテレビの共同配信の計画があると聞いたので、村役場に問い合わせたら、それはテレビの電波が届きにくい地域の対策であり、光ケーブルを通してインターネットも配信できるという私の目論見は外れた。
それまでの場しのぎでホームルーター(WiMAX)を購入してみたが、auの電波は弱すぎて使えない。
光ケーブルを引っ張ってくるしかない。数ある業者をネットで調べ、どうにか来週、回線の工事が入ることになった。
妻もネットは使うけど、その仕組みがどうなってるのかさっぱりわからない。
だから、そのことは何も気にしていない。
というか、わかっていない。
ーーーー
要するに何を信じるか、何が大切かの違いだけなんだ。
それがうまくいかないと不安になり、安心して住めない。
何しろ、全く新しい場所で、新しい生活をイチからスタートさせるのだから。
妻はご先祖さまを信じ、私はわかっていない。
私はインターネットを気にして、妻はわかっていない。
多くの精神科医は自閉症スペクトラム(biological model)を信じて、私は信じていない。
私はシステム理論(systems model)を信じているが、多くの精神科医はわかっていない。
心の拠り所は大切だ。
妻が信じていることは、私にとっても大切なんだ。たとえ、私がそれを信じていなくても。
今日は、業者さんも加わって、みんなで水晶を家の周りに埋めよう!
のはずだったが、工期が延びて竣工は来週になった。
今まで業者と何度も打ち合わせして、何度も現地に行き、プランを進めてきた。
これから生活が始まる。
生活をイチからスタートする。気になることはたくさんありすぎる。
しかし、何を一番気にしているのか、夫婦で全く違うのが面白い。
妻にとって、ご先祖さまや神さまが最重要課題だ。
家の裏に小さな祠を見つけた。二つある。
それを写真に撮り、知り合いのお寺さんに見せて相談したところ、どうも水子の祠らしい。前の持ち主に確認すれば良いのだが、まだ連絡していない。
家の太い柱に古いお札と藁の束みたいなのが貼ってある。
あれ、何だろうね?
私が取っちゃおうかと言うと、ちょっと待って。地元の氏神さまに聞いてから、と言う。
古い井戸があったわよね?
ああ。新しいお風呂場の下ね。
あれ、埋めちゃったでしょ!
それ大変なことなんだって!
井戸の神さまが息をできなくなっちゃう!
今さら掘り起こすわけにもいかず、代替案として毎月、お米とお酒を神さまにあげるんだって。
土地を清めるために、家の周り8箇所に50cmの穴を掘って水晶を埋めるんだって。
結構、高かったのよ!
炭を敷いて、塩を撒き、その上に水晶を置いて埋めるそうだ。
今日、それをやろう!
業者さんにも伝えてスコップを用意してもらうから。
私は先祖崇拝の習慣がないので、これらの行為は意味を持たない。
ご先祖さまは大事でしょ!?
ご先祖さまがいたから、私たちがいるのよ!
いや、それはわかるよ。
三世代のジェノグラム(家系図)を書いて、世代間伝達を確認し、家族の歴史が今ここにどう関連しているか、とても大切な情報だよ。
でも、ご先祖さまや神さまが家の周りをうろうろしていて、幸せや不幸(たたり)をもたらすことは信じていない。
自分の人生、自分の運命は、自分で決めて、自分で切り開く方針だ。
でも、自分という力を超えたsuperpowerがいて、それに対して畏怖を抱き、自分の力には限界があるという考え方は理解できる。
でも、米を撒いたり、水晶を埋める意味は理解できない。
-------
私にとって、インターネット接続が最重要課題だ。
それが解決しないと落ち着かない。
東京とは違い、ネット環境は充実していない。
高山村にテレビの共同配信の計画があると聞いたので、村役場に問い合わせたら、それはテレビの電波が届きにくい地域の対策であり、光ケーブルを通してインターネットも配信できるという私の目論見は外れた。
それまでの場しのぎでホームルーター(WiMAX)を購入してみたが、auの電波は弱すぎて使えない。
光ケーブルを引っ張ってくるしかない。数ある業者をネットで調べ、どうにか来週、回線の工事が入ることになった。
妻もネットは使うけど、その仕組みがどうなってるのかさっぱりわからない。
だから、そのことは何も気にしていない。
というか、わかっていない。
ーーーー
要するに何を信じるか、何が大切かの違いだけなんだ。
それがうまくいかないと不安になり、安心して住めない。
何しろ、全く新しい場所で、新しい生活をイチからスタートさせるのだから。
妻はご先祖さまを信じ、私はわかっていない。
私はインターネットを気にして、妻はわかっていない。
多くの精神科医は自閉症スペクトラム(biological model)を信じて、私は信じていない。
私はシステム理論(systems model)を信じているが、多くの精神科医はわかっていない。
心の拠り所は大切だ。
妻が信じていることは、私にとっても大切なんだ。たとえ、私がそれを信じていなくても。
今日は、業者さんも加わって、みんなで水晶を家の周りに埋めよう!
2020年5月19日火曜日
オンライン・グループSV_5月17日
2020.5.17. オンライン・グループSVのご報告
今回は9名の参加でした。
取り上げた事例は、小学生のX君。
彼に関わる3名の方々からの話題提供でした。
・特別支援のA先生
・クラス担任のB先生
・保健室のC先生
C先生が私のSVに長く参加して、A・B両先生もSVに連れて来られたので、今回はC先生にファシリテートしてもらいました。そのほうが私も楽ですから(笑)(注1)。
まず参加者からの感想です。
成長の個人差がある小学生、こんな風に見てくださる先生に囲まれていると安心だなぁと、思いました。飼育係するうちに情緒面が落ち着き、自然に向上心が膨らんでいくこともあるような気がします。安心できる居場所があるといいですね。
又、この事例が他の子どもたちに活かされると感じました。
ファシリテーターのCさん、ありがとうございました。
A先生から
・zoomでのGSVで事例提供者について
事例提供者の一人として初めて事例を提供しましたが、zoomであると話す内容が整理されていて話しやすかったと思います。誰かが話しているときに自分の考えを整理したり、新たな気付きが生まれたりして、自分が話すときにクリアな状態で話せました。ただ、そのためによりファシリテーターが重要になってくるのかなと感じました。話す人が一人に限定されるので、質問者が話すハードルが少し高いイメージをもちましたが、そこは慣れで解決していくのかなと思いました。
・今回の事例について
重要だと気付いたこととして、ライフサイクルで考えること、信頼関係を構築したうえでネットワークを作っていくこと、ネットワークのキーパーソンを決めていくことがあります。皆様の話から、環境的に恵まれていて担任の先生が非常に尽力してくださっていたことを再認識したので、より踏み込んで支援を考えそのための枠組みを作っていくことが大切だと感じました。6月から学校も再開するため、こういった話を現段階で整理できて非常に有意義でした。
C先生から
前回のグループSVから、AさんはX君のケースを出したかったそうです。
Bさんが参加してくださったので、二人でケース提供したいという気持ちがあったそうです。BさんもAさんと二人でケースを考えたい、二人でケース提供した時のGSVを体験したい、おもしろそうと話していました。
私がファシリテートをさせていただいたのですが、ケースを、Aさん中心のケースとして扱うのか、Bさん、私を含めたチームのケースとして扱うのか難しかったです。最終的には、チームとしてのケースに流れが持って行ってくれたと感じました。
オンラインだと、AさんとBさんの無言のやり取り、アイコンタクト、お互いの相互の関係の表情やリアクションが読み取れず、細かい意志の疎通を拾えなかったのですが、私自身が、日常のお二人を知っているので、ファシリテートには、それほど影響がなかったように思います。
3人で、X君について話し合い、その後、参加者の方だけで、X君について討論してもらう、リフレクション形式にしても良かったかも。。と終了後に感じました。
「X君に討論してもらう」というよりは、
「X君に関わるA・B・Cさんについて討論してもらう」という枠組みの方が、よりreflecting teamっぽくなります。
表面上は、
ということですが、彼に学校で関わっている3人のA・B・C先生がSVに参加しているわけで、すでにシステミックな視点が生まれています。ですから、単純に、
というリニアな考え方よりは、
X君に対するAさん、Bさん、Cさんの関わりと、その差異
それをお互いにどう見ているか。
A・B・Cさんの連携
といった視点から話し合ったら良いと思います。
SV中に私が投げかけた質問もそのような意図がありました。
X君は学校で問題を抱えつつも、新担任のB先生といち早く信頼関係を築きました。
そこに注目して、それはB先生のどのような資質や関わり方が信頼関係を作ったのかについて、A・B・Cさんそれぞれの視点を尋ねましたね。つまり、X・B関係についてA・B・Cさん、それぞれからコメントしてもらう。つまり三者関係の質問(Circular Questioning)です。
それに加え、他の参加者からも様々なコメントが投げ入れられ、Aさん、Bさん、Cさん、それぞれに新たな視点を得られたのではないでしょうか。
Xくんの支援に対する新たな視点。
それは、とりもなおさず、Aさん、Bさん、Cさん、それぞれの立ち位置からX君とどのような関わり・関係性を築くかということです。
(注1)
C先生にファシリテートをお願いしたのは、すでに学校現場で、そして私のグループSVで、C先生が暗黙のファシリテーターの役割を担っているからです。それを明確化しただけです。
今回は9名の参加でした。
取り上げた事例は、小学生のX君。
彼に関わる3名の方々からの話題提供でした。
・特別支援のA先生
・クラス担任のB先生
・保健室のC先生
C先生が私のSVに長く参加して、A・B両先生もSVに連れて来られたので、今回はC先生にファシリテートしてもらいました。そのほうが私も楽ですから(笑)(注1)。
まず参加者からの感想です。
成長の個人差がある小学生、こんな風に見てくださる先生に囲まれていると安心だなぁと、思いました。飼育係するうちに情緒面が落ち着き、自然に向上心が膨らんでいくこともあるような気がします。安心できる居場所があるといいですね。
又、この事例が他の子どもたちに活かされると感じました。
ファシリテーターのCさん、ありがとうございました。
A先生から
・zoomでのGSVで事例提供者について
事例提供者の一人として初めて事例を提供しましたが、zoomであると話す内容が整理されていて話しやすかったと思います。誰かが話しているときに自分の考えを整理したり、新たな気付きが生まれたりして、自分が話すときにクリアな状態で話せました。ただ、そのためによりファシリテーターが重要になってくるのかなと感じました。話す人が一人に限定されるので、質問者が話すハードルが少し高いイメージをもちましたが、そこは慣れで解決していくのかなと思いました。
・今回の事例について
重要だと気付いたこととして、ライフサイクルで考えること、信頼関係を構築したうえでネットワークを作っていくこと、ネットワークのキーパーソンを決めていくことがあります。皆様の話から、環境的に恵まれていて担任の先生が非常に尽力してくださっていたことを再認識したので、より踏み込んで支援を考えそのための枠組みを作っていくことが大切だと感じました。6月から学校も再開するため、こういった話を現段階で整理できて非常に有意義でした。
C先生から
前回のグループSVから、AさんはX君のケースを出したかったそうです。
Bさんが参加してくださったので、二人でケース提供したいという気持ちがあったそうです。BさんもAさんと二人でケースを考えたい、二人でケース提供した時のGSVを体験したい、おもしろそうと話していました。
私がファシリテートをさせていただいたのですが、ケースを、Aさん中心のケースとして扱うのか、Bさん、私を含めたチームのケースとして扱うのか難しかったです。最終的には、チームとしてのケースに流れが持って行ってくれたと感じました。
オンラインだと、AさんとBさんの無言のやり取り、アイコンタクト、お互いの相互の関係の表情やリアクションが読み取れず、細かい意志の疎通を拾えなかったのですが、私自身が、日常のお二人を知っているので、ファシリテートには、それほど影響がなかったように思います。
3人で、X君について話し合い、その後、参加者の方だけで、X君について討論してもらう、リフレクション形式にしても良かったかも。。と終了後に感じました。
「X君に討論してもらう」というよりは、
「X君に関わるA・B・Cさんについて討論してもらう」という枠組みの方が、よりreflecting teamっぽくなります。
表面上は、
- Xくんのケース
- Aさんからの事例提供
ということですが、彼に学校で関わっている3人のA・B・C先生がSVに参加しているわけで、すでにシステミックな視点が生まれています。ですから、単純に、
- X君の見立て
というリニアな考え方よりは、
X君に対するAさん、Bさん、Cさんの関わりと、その差異
それをお互いにどう見ているか。
A・B・Cさんの連携
といった視点から話し合ったら良いと思います。
SV中に私が投げかけた質問もそのような意図がありました。
X君は学校で問題を抱えつつも、新担任のB先生といち早く信頼関係を築きました。
そこに注目して、それはB先生のどのような資質や関わり方が信頼関係を作ったのかについて、A・B・Cさんそれぞれの視点を尋ねましたね。つまり、X・B関係についてA・B・Cさん、それぞれからコメントしてもらう。つまり三者関係の質問(Circular Questioning)です。
それに加え、他の参加者からも様々なコメントが投げ入れられ、Aさん、Bさん、Cさん、それぞれに新たな視点を得られたのではないでしょうか。
Xくんの支援に対する新たな視点。
それは、とりもなおさず、Aさん、Bさん、Cさん、それぞれの立ち位置からX君とどのような関わり・関係性を築くかということです。
(注1)
C先生にファシリテートをお願いしたのは、すでに学校現場で、そして私のグループSVで、C先生が暗黙のファシリテーターの役割を担っているからです。それを明確化しただけです。
2020年5月18日月曜日
講演会「コロナ疲労とコロナ後の世界」のご報告
城所望(総合診療医)
田村毅(精神科医)
80数名の方々が参加してくれました。
私のzoomの設定が100名まで(一番安いやつ)なので、102-3名で締め切り、10名ほどの方にお断りしました。
私はこれまで10名程度が参加するzoomは何度も経験しているのですが、100名というのは初めての体験でした。
果たして上手くいくか心配でしたが、特に問題もなくこなせたのではないかと思います。
城所さんと私が主に話して、参加者の皆さんにはチャットで参加してもらいました。
やっている時は全てに目を通せなかったのですが、保存しておいて後で読み返してみると随分と面白いですね。ミーティングの雰囲気をお知らせするために、ダイジェストでいくつかご紹介します。これは、ミーティングと同時並行(リアルタイム)で書き込まれたものです。
- ストレスコーピング、詳しく知りたいと思ったときにおすすめの本などありますか?
- 「ぼく、不安じゃないですよ」と言う人と会えて嬉しいです。自己防衛やってるから私も不安じゃないけど、不安な人に囲まれてうんざりしてしまうのが悩みです。
- 不安を抱えている人の多くは、漠然とした不安を抱えているんだと思います。さっきの命のエビデンスもそうですけど、実態をちゃんと知って、正しく怖がることが必要なんだと思います。
- コロナで、逆にプラスになったことってありますね。家族と接する時間が増えて良かったとか。プラスになったこと考えていきたいと思います。
- 同じ状況でも、ストレス感じる人と平気な人がいて、対話の仕方が難しいと思ってます。わたし自身はコロナとの生活でよかったことばかりですが、不安抱える方ばかりで。
- 喜びはもちろんですが、悲しみも伝えられるような人間関係ができるといいですね。
- 家族と関係性が良ければ良いのですが、自宅待機のおかげで家族内の虐待も増えてきていると取りざたされています。実際先生方のところにはそのような相談は増えているのでしょうか?また、物理的な距離を作れない現状下で、虐待に対してどのようにアプローチされていますか?また、したら良いでしょうか?
- コロナウイルスの影響で、自殺者が増えると思ったら、逆に家族時間が増えて、自殺者が減ったと新聞に。どうなんでしょうか?
- しかし、「不安で仕方ない、寝られない」という気持ちを話せる友達がいて、そのおかげで救われたこともありました。これは不安を伝達してしまったことになるのでしょうか。
- 在宅ワークが増えて、日本人の働き方そのものが変化すると思いますが、そうすると夫がずっと家にいてストレスだ、という妻の声が今後さらに聞こえてきそうだと思いました。在宅が増えることによって、どのような夫婦関係の変化が求められると思いますか?
- 夫が全く不安がないかのように、感染対策も、経済対策もせず過ごしていて、こちらは、不安があおられ、考え方を合わせるのは家族、いえ、夫が最も難しい。
- とても興味深くお話を伺いました。コロナの不安をテーマに考えると、田村先生のスライドにあったように、コロナの正しい?情報を踏まえて、正しく怖れる、あるいは正しく不安になることが大事だなと思いました。
- プレゼンありがとうございます。2点、コロナ不安は予想外の長期災害で多くの人の心に影響をもたらしたのは事実ですが、実は感染の恐怖よりも経済不安の方が何十倍も深刻になると思っています。そう言う意味では大不況の時と同じなのでは?それから田村先生の結論に若干意見を異にするのは、ネガティブな経験や不安の共有によって、よりつながりを深めたり、本人の不安を和らげたりするケースも多々ある様に思うのですが。
- ここまで在宅時間が増えると、子どもの不登校が増えるなぁと感じています。どうやって対応していくか、何かヒントをいただけたらと思います。別室登校の保健室での対応も、コロナがwithな状況では厳しく。
- ある番組で先程の田村先生の取り上げてらした、自分がかかるこわさ、人にうつす怖さについて話していました。 番組に出ていた方が、そのことを思いやりの実践を行なっていくこと話していました。 私がかかればあなたがかかる あなたがかかれば私もかかる このループがとても恐ろしいことに感じますが、それこそが究極の自己と他者への思いやりのあり方なのかもしれないと語っていました。そのお話を聞いて、私たちはこの実践を通して、自分への思いやりと他者への思いやりを再考する機会なのかもしれないと感じるようになりました。
- コロナによる第三感染で、「差別や偏見」が上がっていましたが、実際に教育現場で授業をされて、生徒たちのコロナに対するイメーや、どのように受けっといる感じだったか??聞きたいです。
- エニアグラムのように、タイプ別にストレスが強くなったときの自分の行動がわかれば、ストレスを予防できますか?
- 子供たちがストレスによって病んでしまうことが心配です。何か、学校、地域などでできることを伝えていきたいですが、何か良い方法は、ありますか?
- 全校休校によっていじめが見えなくなってしまうことはないのでしょうか?
- 私は看護師をしているんですが先日患者が亡くなった際に家族から「コロナの面会制限のせいで会うことができなかった死に目に会うことができなかった」と叫ばれました。
- 今後は、コロナに伴う精神的不調もあると思いますし、コロナに伴う倒産などに伴う精神的不調による相談が増えるのかなと想像しています。
- コロナ後で、失職される男性が増えると、夫婦の関係が微妙になる方がおられると思います。リーマンのときにもそうでした。稼げなくなった、もしくは稼ぎが悪くなった、ということが性役割にとらわれているとありますよね
- コロナで結婚と離婚、どっちが増えると思いますか?
- 数か月後に、いまの緊張感がなくなって不安が出てきたころに、またこんな機会があると嬉しいです。
- レジリエンスのお話、とても分かりやすかったです。もう少し深く勉強がしたいです。
- なんくるないさぁ〜
- 駄菓子屋の常連の子どもやご家庭と、4月からグループLINEを作りました。自粛しながら楽しむ会 というネーミングですが、ラジオ体操やカルタ作り・オンライン塾など私の精神衛生維持にも大変役立ちました。今できることを考えていきたいですね。
- 城所さん、田村さん、今日は本当にありがとうございました。ZOOM初参加でしたが、とっても簡単だということがよくわかりました。また第2弾をよろしくお願いします。
- ありがとうございました。城所先生と田村先生のお話を伺いながらなんだか気持ちが安心してきました。
- 本日はありがとうございました。ナラティブのお話伺いたいです。
- ナラティブアプローチ✨次回も是非お話をお伺いしたいです!とても楽しかったです。
当日、お答えできなかった質問もたくさん残っています。
今後、また考えてお答えしていきたいと思います。
ミーティングの後、多くの方々から感想を寄せていただきました。
ご紹介します。
たしかに、不安は、正体が分からないから喚起される部分がありますが、それでも少しずついろんなことが分かってきていますし、私たちは思考停止することなく、情報をインプットし、考え、対処していくことが大事なのかなと思いました。
今回は総論というか、全体を大きくまとめた話だったと思います。ぜひ、より各ケースに踏み込んだ話や、より具体的な策を聞けるともっと面白かったかもしれませんが、全体として満足です。
とても面白かったです。城所先生の健康度の高さが、専門の違いも感じられて、元気になれる感じもしました。また、業種の違う方々がたくさんおられたのもよかったですね。メインスピーカーにぜひ、女医さんとか女性も入れてください。
田村先生から「今は不安ではない」という言葉を聞いて、どうしてだか固まっていた身体が柔らかく温かくなりました(^^)
ケアマネジャー事務所で管理者として働いています。高齢者の生活を守ることで、自分のことは二の次になっている(ように見える)スタッフの働き方や心身のケアをどうしていこうかと試行錯誤中です。
ピンチはチャンス マイナスを伝え合わない プラスを伝えあう
また、明日から気負うことなく頑張ります(笑)
気持ちが楽になりました。
こういう時だからこそ、専門家の話を聞けることは多くの参加者の方にとって貴重な時間だったと思います。お二人の話を聞いているだけで、救われる気持ちになったのは私だけではないと思います。
現在のコロナの状況から今後起こりうる精神的な影響についてとても、興味深く、勉強になりました。
現在、訪問看護(精神疾患の方へも訪問しています)をしていて、ご本人だけでなく、ご家族への関わり方に難しさというか、私自身の知識や経験不足から、これでいいのか日々考えながらやっています。対話、傾聴の難しさを実感しています。
お恥ずかしいのですが、今回初めて家族療法学会を知りました。
今回のような状況であったからこそ、繋がり知ることができたことを生かして、より利用者さん・ご家族へ返していけるようにいていきたいです。
先生方のご講演を拝聴し、学校再開後にカウンセラーとして大事にしたいこと、また、自分自身として大事にしたいことが見えてきた気がします。
面白く聞かせていただきました。「正しく怖がる」ことが大切だというお言葉、染みています。周りには、必要以上に怖がる人が多いです。ニュースの悪い部分のみを聞いている感じです。私如きが何をどう言っても、聞く耳を持たない。こういう心理はどうしたらいいんでしょうね。
あと、個人的には、「経済的打撃の方がずっとずっと大きい」というchatの書き込みに賛成していました。倒産、破産、明日の生活費に困る人は、「コロナのプラスの面」には目を向けられないと思います。田村さんのデータにもありましたが、自殺者の方がはるかに多いんだから、その数を増やさない対策を取る、つまり早く経済再開を図るべしと思っています。
たくさんのご参加とフィードバックありがとうございます。
うまいカタチで今後につなげていきましょう!
2020年5月10日日曜日
オンライン・グループSV_5月10日
今日のグループSVにも12名が参加しました。
初参加の人も、常連の人もいます。
私自身、だいぶオンラインの感覚に慣れてきたように思います。
今回は、チェックインとして、
マイナスからスタートして、プラスへ盛り上げていく。
カウンセリングと同様です。みなさん、結構プラスの話が出てきたように思います。
印象的だったのは、「初参加なので緊張してます」という言葉です。
リアルの対面だと緊張しますが、オンラインだったら場の雰囲気がないから、緊張感もないかなと仮説を立てていましたが、違うようです。
緊張感があるということは、Zoomという場の空気・雰囲気があるということなんですね。リアルの場の雰囲気と何が同じで、何が違うのか、もう少し経験値を増やしたいと思います。
SVの中身については、、、
とっぷり近づくか、冷静に距離を空けるか
のジレンマという視点からコメントしました。
今日の話題はシステミックな視点がまさに有効な事例だったと思います。
問題を抱えた本人に対して、様々な人々がどう関わるか。
いろんなシステムに応用できます。
例として、学校なら、
・問題を抱えた子ども
・いじめたり、仲良くしたりする友だち・クラスメート
・担任の先生・学年の先生・管理職
・保健室の先生、スクールカウンセラー
・そして子どもの保護者
とといった人々がどのような立ち位置からどう絡むか。
それを視野に含めることの重要性がよく見えたように思います。
ーーーーーー
時間が足りなく、最後のチェックアウトをできなかったので、参加者のみなさん、振り返り(フィードバック)があったらよろしくお願いします。
・ZoomでのGSVについて
2回目なので慣れたのか、内容にのみ焦点化でき実りの多いものになりました。
全員が共通でZoomに参加しているという安心感もあるのかと思います。
また移動時間などの時間の節約や、自宅というリラックスできる環境でできる、何かあった時に席を立てることもメリットだと感じました。
ミュートにできてしまうため、それぞれの言葉やつぶやきが聞こえませんがうなづきなどは見て取れるので、表情を確かめながら話の内容に集中(慣れでしょうか)できました。
なにより、確実に一人が喋るので、内容が整理されやすく焦点化されやすいと感じました。前回は少し緊張していたのですが、今回は慣れもありリラックスできました。なにごとも慣れなのかなと感じています。
・本日の内容について
システムの中の人が複数いるという状況で、どこまで情報を共有するか疑問が残りました。
情報は何でも共有した方が良い風潮がありますが、与えて(得て)しまうことで、そのシステムを変化させてしまうのかと感じました。例えば子どもと1対1の状況と親子面談、事例検討、ケース会などです。そういった際に(情報を提供する立場、また聞く立場として)どういうことに気を付けていかねばならないのか教えて頂きたいです。
2回目のZoom GSVでしたが、私の中では今日はZoomのメリットのほうが上回った感覚です。空間に縛られないこと、リラックスして臨めることを背景にして、みなさんのお顔がフラットに同じ大きさで見えることで、公平に安心や関係を担保されている感がある気がします。発言の有無だけでなく、表情が見て参加しあっている安心感があったりしました。
あとなんといいますか、各々の方を捉えるときにも自分自身としても、現実社会での役割や縛りからの自由度が高いようにやはり感じました。
今日のテーマを通じては、非常にたくさんの気づきをもらい有意義でした。システムで捉えた時の入れ子感とか、先生の出されたジレンマという切り口から、人は複数のシステムの間を揺らいでいるもので、ディスカッションを経て気づきに繋がっていくプロセスを体感できました。普段の自身の業務でも、どのシステムに立脚しての発言や見解なのか。さまざまな場面で応用できると腑に落ちました。
今日は複数関わる人がいたので、気づきのプロセスのなかで結果、他のシステムの情報をとりこむということになったかなと思いますが、時間がゆるせば、意図して情報共有する、意図せず情報共有する、その双方の取り扱いについて議論したかったのと、それぞれに立脚する立場が異なること(と思っているのですが)も話題にしたかったです。
それにしても、みなさんのコメントや質問の切り口、表現などに毎回とても勉強になります。先生のSVから、多くを学ばせてもらっており、どんどん吸収して職場等でわたしもやってみたいなと野望をもちました。
終わって反芻していると、何度も美味しいスルメみたいです。貴重な機会を今回もありがとうございました。
今回事例を出されたKさんの話をお聞きするたびに、わたしはいつもモヤモヤ、ちょっとイライラしてしまいます。それは、わたしとKさんが似ているからなのだと思います。
「Aさんのやりたいことを具体化してあげる」
「Aさんの後押しができたら」
「ほっとけない」
「わたしにできることがあれば」
「Bさんもたいへんだと思って」
とのことでした。
どう対応したらよいのかを考えることも大切でしょうが、どうしてご自分がそう思うのかを考えたらいいのに・・・と思っていました。よけいなお世話なんじゃないかしら、とも。
わたしも困っているような人がいると、すぐに何か手助けしたくなりますし、わたしが対人援助で対応に悩むときは、たいてい「わたしが何とかしてあげなくちゃ」と思っている時なので、注意が必要です。(きっと先生はご存じでしょうが)
でもそのことが言えなかった?言いたくなかった?何故?と自問自答していました。
こう言ったら、Kさんを批判していることになってしまうかも。それこそよけいなお世話かも。わたしが他の人から「人のことを批判する人なんだ」と思われたくないから、ということもあったと思います。
でも、一方でこう言ったら、「よく分かっている人だ」と誰かわたしのことを認めてくれるかもしれない、とも思っていました。
グループSVでは参加者がそれぞれの考えを述べあってこそ、だとも思いながら、わたしは自分と向き合っていました。嫌な自分を見るのは苦しいことですが、自分のしていることはなかなか気づけないので、わたしにとってはよい機会をいただいたとも思います。
10名以上のzoomは初めてでしたので目が散ってしまったところはありましたが、とても充実した2時間でした。
ブログを拝見して、自分が「緊張」したのはなぜだったのだろうと考えておりました。どんな人がいるのかな、どんな風に進むのかな(事前にブログを読んでいたものの)、どんな雰囲気なのかな、ビデオと音声は大丈夫かななど、事前の緊張は機器のこと以外はオフラインとあまり変わらない内容だったかなと思います。
第一声を発するまでは少し緊張していましたが、ケース検討からは全く緊張感はなかったと思います。ケースを出さなかったからということも大きいと思いますが、場になれたというよりは、外にいて映像を見ているような感覚になる部分があるからなのかなと思いました。
ZoomでのSVにもだいぶ慣れて、オンラインであることや操作等に関して、特に問題なく参加できました。
内容については、終わった後もうまく整理ができない、色々なことを考えるきっかけとなったケースでした。
今回のように、当事者が複数いる状況でのケース検討は、多角的な視点でケースを捉え理解することができる一方で、視点が定まらずぼやけてしまうリスクもあると思いました。似たようなことを、家族合同面接で感じることがあります。
個別面接をやりつつ、必要があれば家族合同面接をする(SCなど一人職場ではこの面接形態が多いように思います)場合には、基本的なことですが、何をどこまで共有するのか事前にそれぞれの方と細かく打ち合わせるように意識しています。そのプロセス自体がクライエントにとって自他を区別することに繋がったり、セラピストとの信頼関係が深まることになり、治療的であると考えています。
まとまりがなくなってきてしまったので、この辺りで切り上げたいと思います。色々な連想が浮かぶ、興味深いケースでした。また、このようにSV後にフィードバックを考えることも、ケースについて自分なりに考え整理することに繋がり、勉強になると感じています。
Zoomも2回目で、慣れてきました。
田村先生のGSVでZoomを体験してから、同僚や友達との会話、研究の相談にもZoomを使うようになりました。
コロナのおかげで、オンラインが生活の中に入ってきました。
Zoomは、田村先生の研究室まで出かけるという負担を省いてくれます。
今回も同僚の方をGSVにお誘いしたのですが、物理的な負担、時間的な負担をかけなくても良いのでお誘いしやすかったです。
初めて参加される方は、提供者と田村先生とのやり取りが、内容も状態も明確化したので、わかりやすかったと思います。
田村先生の研究室でのGSVと比較するとオンラインは、場の雰囲気を感じにくいので、SVではなく、グループSVの特徴を生かすのは、経験とスキルが必要だな。。と感じました。
私は、関係図やジェノグラムを示しながら、書きながら、事例提供やファシリテートをするのですが、オンラインだと図を提示しにくいので、どうしようかな・・と考えました。
自分の課題として考えてみます。
初参加の人も、常連の人もいます。
私自身、だいぶオンラインの感覚に慣れてきたように思います。
- 参加者みんながチェックインして、安全な雰囲気づくりも。
- 事例提供者とのやり取りも、
- 参加者みんなが参加するディスカッションも、
今回は、チェックインとして、
- コロナのせいで、、、、(何かマイナスの出来事)
- コロナのおかげで、、、(何かプラスの出来事)
マイナスからスタートして、プラスへ盛り上げていく。
カウンセリングと同様です。みなさん、結構プラスの話が出てきたように思います。
印象的だったのは、「初参加なので緊張してます」という言葉です。
リアルの対面だと緊張しますが、オンラインだったら場の雰囲気がないから、緊張感もないかなと仮説を立てていましたが、違うようです。
緊張感があるということは、Zoomという場の空気・雰囲気があるということなんですね。リアルの場の雰囲気と何が同じで、何が違うのか、もう少し経験値を増やしたいと思います。
SVの中身については、、、
とっぷり近づくか、冷静に距離を空けるか
のジレンマという視点からコメントしました。
今日の話題はシステミックな視点がまさに有効な事例だったと思います。
問題を抱えた本人に対して、様々な人々がどう関わるか。
いろんなシステムに応用できます。
例として、学校なら、
・問題を抱えた子ども
・いじめたり、仲良くしたりする友だち・クラスメート
・担任の先生・学年の先生・管理職
・保健室の先生、スクールカウンセラー
・そして子どもの保護者
とといった人々がどのような立ち位置からどう絡むか。
それを視野に含めることの重要性がよく見えたように思います。
ーーーーーー
時間が足りなく、最後のチェックアウトをできなかったので、参加者のみなさん、振り返り(フィードバック)があったらよろしくお願いします。
・ZoomでのGSVについて
2回目なので慣れたのか、内容にのみ焦点化でき実りの多いものになりました。
全員が共通でZoomに参加しているという安心感もあるのかと思います。
また移動時間などの時間の節約や、自宅というリラックスできる環境でできる、何かあった時に席を立てることもメリットだと感じました。
ミュートにできてしまうため、それぞれの言葉やつぶやきが聞こえませんがうなづきなどは見て取れるので、表情を確かめながら話の内容に集中(慣れでしょうか)できました。
なにより、確実に一人が喋るので、内容が整理されやすく焦点化されやすいと感じました。前回は少し緊張していたのですが、今回は慣れもありリラックスできました。なにごとも慣れなのかなと感じています。
・本日の内容について
システムの中の人が複数いるという状況で、どこまで情報を共有するか疑問が残りました。
情報は何でも共有した方が良い風潮がありますが、与えて(得て)しまうことで、そのシステムを変化させてしまうのかと感じました。例えば子どもと1対1の状況と親子面談、事例検討、ケース会などです。そういった際に(情報を提供する立場、また聞く立場として)どういうことに気を付けていかねばならないのか教えて頂きたいです。
2回目のZoom GSVでしたが、私の中では今日はZoomのメリットのほうが上回った感覚です。空間に縛られないこと、リラックスして臨めることを背景にして、みなさんのお顔がフラットに同じ大きさで見えることで、公平に安心や関係を担保されている感がある気がします。発言の有無だけでなく、表情が見て参加しあっている安心感があったりしました。
あとなんといいますか、各々の方を捉えるときにも自分自身としても、現実社会での役割や縛りからの自由度が高いようにやはり感じました。
今日のテーマを通じては、非常にたくさんの気づきをもらい有意義でした。システムで捉えた時の入れ子感とか、先生の出されたジレンマという切り口から、人は複数のシステムの間を揺らいでいるもので、ディスカッションを経て気づきに繋がっていくプロセスを体感できました。普段の自身の業務でも、どのシステムに立脚しての発言や見解なのか。さまざまな場面で応用できると腑に落ちました。
今日は複数関わる人がいたので、気づきのプロセスのなかで結果、他のシステムの情報をとりこむということになったかなと思いますが、時間がゆるせば、意図して情報共有する、意図せず情報共有する、その双方の取り扱いについて議論したかったのと、それぞれに立脚する立場が異なること(と思っているのですが)も話題にしたかったです。
それにしても、みなさんのコメントや質問の切り口、表現などに毎回とても勉強になります。先生のSVから、多くを学ばせてもらっており、どんどん吸収して職場等でわたしもやってみたいなと野望をもちました。
終わって反芻していると、何度も美味しいスルメみたいです。貴重な機会を今回もありがとうございました。
今回事例を出されたKさんの話をお聞きするたびに、わたしはいつもモヤモヤ、ちょっとイライラしてしまいます。それは、わたしとKさんが似ているからなのだと思います。
「Aさんのやりたいことを具体化してあげる」
「Aさんの後押しができたら」
「ほっとけない」
「わたしにできることがあれば」
「Bさんもたいへんだと思って」
とのことでした。
どう対応したらよいのかを考えることも大切でしょうが、どうしてご自分がそう思うのかを考えたらいいのに・・・と思っていました。よけいなお世話なんじゃないかしら、とも。
わたしも困っているような人がいると、すぐに何か手助けしたくなりますし、わたしが対人援助で対応に悩むときは、たいてい「わたしが何とかしてあげなくちゃ」と思っている時なので、注意が必要です。(きっと先生はご存じでしょうが)
でもそのことが言えなかった?言いたくなかった?何故?と自問自答していました。
こう言ったら、Kさんを批判していることになってしまうかも。それこそよけいなお世話かも。わたしが他の人から「人のことを批判する人なんだ」と思われたくないから、ということもあったと思います。
でも、一方でこう言ったら、「よく分かっている人だ」と誰かわたしのことを認めてくれるかもしれない、とも思っていました。
グループSVでは参加者がそれぞれの考えを述べあってこそ、だとも思いながら、わたしは自分と向き合っていました。嫌な自分を見るのは苦しいことですが、自分のしていることはなかなか気づけないので、わたしにとってはよい機会をいただいたとも思います。
10名以上のzoomは初めてでしたので目が散ってしまったところはありましたが、とても充実した2時間でした。
ブログを拝見して、自分が「緊張」したのはなぜだったのだろうと考えておりました。どんな人がいるのかな、どんな風に進むのかな(事前にブログを読んでいたものの)、どんな雰囲気なのかな、ビデオと音声は大丈夫かななど、事前の緊張は機器のこと以外はオフラインとあまり変わらない内容だったかなと思います。
第一声を発するまでは少し緊張していましたが、ケース検討からは全く緊張感はなかったと思います。ケースを出さなかったからということも大きいと思いますが、場になれたというよりは、外にいて映像を見ているような感覚になる部分があるからなのかなと思いました。
ZoomでのSVにもだいぶ慣れて、オンラインであることや操作等に関して、特に問題なく参加できました。
内容については、終わった後もうまく整理ができない、色々なことを考えるきっかけとなったケースでした。
今回のように、当事者が複数いる状況でのケース検討は、多角的な視点でケースを捉え理解することができる一方で、視点が定まらずぼやけてしまうリスクもあると思いました。似たようなことを、家族合同面接で感じることがあります。
個別面接をやりつつ、必要があれば家族合同面接をする(SCなど一人職場ではこの面接形態が多いように思います)場合には、基本的なことですが、何をどこまで共有するのか事前にそれぞれの方と細かく打ち合わせるように意識しています。そのプロセス自体がクライエントにとって自他を区別することに繋がったり、セラピストとの信頼関係が深まることになり、治療的であると考えています。
まとまりがなくなってきてしまったので、この辺りで切り上げたいと思います。色々な連想が浮かぶ、興味深いケースでした。また、このようにSV後にフィードバックを考えることも、ケースについて自分なりに考え整理することに繋がり、勉強になると感じています。
Zoomも2回目で、慣れてきました。
田村先生のGSVでZoomを体験してから、同僚や友達との会話、研究の相談にもZoomを使うようになりました。
コロナのおかげで、オンラインが生活の中に入ってきました。
Zoomは、田村先生の研究室まで出かけるという負担を省いてくれます。
今回も同僚の方をGSVにお誘いしたのですが、物理的な負担、時間的な負担をかけなくても良いのでお誘いしやすかったです。
初めて参加される方は、提供者と田村先生とのやり取りが、内容も状態も明確化したので、わかりやすかったと思います。
田村先生の研究室でのGSVと比較するとオンラインは、場の雰囲気を感じにくいので、SVではなく、グループSVの特徴を生かすのは、経験とスキルが必要だな。。と感じました。
私は、関係図やジェノグラムを示しながら、書きながら、事例提供やファシリテートをするのですが、オンラインだと図を提示しにくいので、どうしようかな・・と考えました。
自分の課題として考えてみます。
2020年5月7日木曜日
逆境を乗り越える家族の底力(レジリエンス)
- 新型コロナウィルスに感染する不安。
- 自分が感染する不安と、
- 気づかないうちに人にうつしてしまう不安。
- これがいつまで続くのかわからない不安。
- 外出自粛。収入の減少・失業。慣れないテレワーク。学校の休校。
- 家族が一緒にいる時間が増え、お互いのイライラをぶつけたり、喧嘩したり、暴力(DVや虐待)になりかねない不安。
外出できず、家族が今まで以上に多く接するようになり、それがストレスを生むことがあります。
この状況の中で、我々はどう生きれば良いのでしょうか。
どうやって乗り越えることができるのでしょうか。
それを考える上で「家族のレジリエンス」という考え方が役に立ちます。
レジリエンスとは、日本語に訳しにくいのですが、
逆境を乗り越える力、困難を跳ね返す力
という意味です。
とても大きなストレスに晒され、多くの人は参ってしまう中で、なぜかそれに耐え、生き延びる力を持っている人がいます。
例えば、
ベトナム戦争をくぐり抜けた戦士
大震災で多くの大切なものを失った被災者
第二次世界大戦下、ナチスの強制収容所で想像を絶する過酷な生活を生き延びた心理学者ヴィクトール・E・フランクルはその体験を名著「夜と霧」に綴っています。
今の我々の状況もそれに似ています。
逆境を乗り越える力は、個々の個人に備わっていると同時に、家族システムにも備わっています。それが家族レジリエンスです。
家族は付かず離れずが良いと言われます。
離れすぎると寂しいですが、近すぎ過ぎても厄介です。
大人と子供、女性と男性。みな考え方も、やり方も異なりますから、お互いの距離が近すぎるとストレスになります。
今の状況はヤマアラシのジレンマに似ています。
ヤマアラシは身体中にトゲを持っています。親密さを求めて近づこうとすると相手を傷つけてしまいます。近づくことも、離れることもできません。
家族が近づいても、うまくやっていける術を身につければ、今回の体験がとても良い家族を作るチャンスになります。それがうまくいかないと、家族がお互いのストレスをぶつけ合い、崩壊してしまうかもしれません。
ピンチはチャンスでもあります。
良い方向にも、悪い方向にも変化しうる、分水嶺とも言えましょう。
危機によって家族が潰れてしまう場合もあるし、
危機によって、新たな家族のあり方を獲得し、困難な状況でも協力して乗り越えられる強い家族システムに成長できる場合もあります。
家族それぞれがストレス、イライラを抱え、
家族が一緒にいる時間が増え、家族関係が濃密な状況
それを乗り越えるため、何ができるのでしょうか?
外は危険な世界になってしまいましたから、家族が安全な場所、安心できる場所にすることが大切です。
そのために、次のことをお勧めします。
1)お互いに言葉を交わしましょう。
コミュニケーションはとても大切です。
ということは理屈ではわかっても、なかなかうまくいかないものです。
言いたいことが相手にうまく伝わらなかったり、お互いに気分を害してしまったり。
それなら、面倒だから伝えるのをやめてしまおう、、、それが一番良くありません。
多少の喧嘩や言い争いは必要です。
ストレスは小出しにしましょう。コントロールできる範囲なら構いません。
我慢して、我慢して、我慢しきれなくなって出すと爆発してしまいます。自分の感情をコントロールできなくなるのが一番良くありません。
2)言いにくいことも、勇気を出して伝えましょう。
本当は、こんなこと言いたくない。。。
自分が恥ずかしくなる
相手を傷つけてしまうかもしれない
ちゃんと相手と向き合い、本音を伝えることは、とても勇気がいります。
相手を信頼したい、一緒の家族でいたい。そういう気持ちがあるのなら、伝えることがとても大切です。
3)相手の立場を尊重し、自分の立場をわかりやすいように伝えましょう。
感情的になってはいけません。キレてはいけません。
気持ちを落ち着けて、相手のことを大切に思っているからこそ伝えているんだよということを、ゆっくり丁寧に伝えましょう。
普段は他のことで忙しく、ここまで向き合う時間が取れないとしたら、
家族と一緒にいる時間が取れる今がチャンスです。
ぜひ、実行してみてください。
2020年5月6日水曜日
緊急Zoomミーティング(2)
緊急事態体制の5月末までの延期が決まった中、
5月6日(水・祝)に第二回のミーティングを開きました。
本日の参加者は9名。
うち、初めて参加した人が半分くらいでした。
様子をご紹介します。
・まず私の方から家族の力(レジリエンス)についてお話ししました。
・1巡目。みなさんから、今の体験・今の気持ちについて話してもらいました。
今のストレスって何だろう?
日常がすっかり変容した毎日で感じているストレスを言葉に表すとともに、その中でも頑張っているお話しも出ました。
日々の生活の影の部分(ストレスや不安)がある程度消化されると、光の部分(前向きの気持ち)が見えてきます。
そこで、、、
・2巡目は私の方からお題を出しました。
1)私のサバイバル術。
すっかり変容した日常生活をストレスに感じるだけでなく、その中でサバイバルするための術をみなさんに紹介してもらいました。
2)私の新しい新しい生活様式。
Scrap and Build。既存の生活様式を失い、新しいライフスタイルが生まれるチャンスです。
ここで、オンライン・ミーティングは終了しました。
・3巡目は、ここでやりましょう。
このミーティングを振り返って考えたこと、感想などありましたら文章でお願いします。
まず私から。
こういうオンラインのミーティング(集まり)自体が新しい人と人との繋がり方かなと感じました。
今まで私が東京と群馬でやってきた、当事者と支援者が同じ立場で話しあうミーティングのオンライン版です。これは、べてるの家のミーティングや、当事者研究、オープン・ダイアログなどとも共通しているやり方です。参加者が自分の問題を語り合い、他の人に受け止められると、それが「問題」ではなくなります。
今回のZoomミーティングも同じやり方です。しかし、オンラインでやると、リアルとは異なった新しい繋がり方ができるなと思いました。
リアルなミーティングは、同じ場所で同じ空気を共有している、ひとかたまりの集団としての繋がりです。
オンラインでは、みんな別の場所にいます。集団の中ではない個別の存在なのに、メッセージも顔もよく見えます。みんなの顔が大写しで格子状に並んでいるという図は、今まではなかったように思います。お互いの関係性は見えません。のっぺりとした顔が並んでいます。表情もよく見えるし、言葉も気持ちも伝わります。
リアルではメッセージを発しなくても、「そこにいる」という存在感がありますが、オンラインでは自分から言葉を発しないと、その存在は目立ちません。あえて自分を言葉にして表すことが、前向きさの一助になるように感じました。
ーーーー
では、参加したみなさんからお願いします。
住んでいる立場、場所は違っていても似たような不安を抱えていることが分かっただけでも自身の不安軽減につながります。また印象になった言葉「話す、話す、放す」は、今後も心に残りそうなよいプレゼントをいただきました。
2回目の参加ということで、少し気持ちに余裕がありました。
前回は会そのものについての不安があり、今回は少し勝手がわかっていた分、ツールについて感じたことがありまた。
私は前回も今回もスマホでの参加でしたが、スマホだと参加者の皆さんのお顔は画面をスライドさせないと見えないし、今回はチャットを利用しましたがスマホだと画面全体がチャット用の画面に切り替わるので、お話しされている方のお顔を見ながら入力できないので、とても不便さを感じました。前回もスマホだと少しやりにくいのかなとは思いましたが、今回は「次回までにパソコンを購入しよう!」と決めました(笑)
※次回が何なのかわかりませんが(^_^;
前回も感じたことではありますが、オンラインだといろいろな場所に住んでいる方と職業も様々な方、普段のリアルな生活では絶対に関わることができないであろうお方とお話できることが、とても嬉しかったです。
田村先生の最初のお話の中で「同じ人間同士」というお言葉があり、この場では「一人の人間である私」を出していいという安心を感じて話すことができました。
Zoomミーティングのおかげで自分の気持ちを吐き出すことができ、いろいろな方と繋がる経験ができたことで、これからの新しい自分に向けて自信を持つことができました。
このような場を設けて下さったこと、そして出会った皆さんにとても感謝しています。
田村)次回は5月16日(土)の予定です(後ほどちゃんとアナウンスします)。その後も、週1回くらいのペースでやろうかなと検討しています。オンライン以外にも、コロナが落ち着いたら高山村と大森でやっているリアルのミーティングも再開しますよ。
ズームミーティングは、いろいろな立場の方との出会いがあり面白い体験でした。初対面ではありますが、普段は繋がらない方々との繋がりから、社会と自分が繋がっている、自分も社会の一員として存在しているという印象を持ちました。そして不安な今だからこそ、社会に期待したい。そして自分も社会の一部であるということを私は求めたのだと思います。
このような危機にみんな(広げると世界)で、この経験を生かしたからこその価値や気付きが生まれる。今はそういった期待を持ちたい、乗り越えたいと思っている自分がいるのかなと。
また自分を振り返り、今回の状況の変化や、自分や大切な人の命に危機が訪れるかもという不安なども感じていましたが、今まで経験した「自分の思考の癖と向き合う」ということが、自分の不安を増大させなかったのではないかと思いました。
今日は寝つきが悪かったなぁと感じた時に、気になっていることについて人と話して整理したり、引きずりすぎているのかな?と思って、切り替えてみたり、意識的にしていたと思います。この寝つきの悪さを引きずると、抵抗力が落ちたり、判断力が鈍ったりという、以前経験した負のスパイラルに入ると思ったのです。なので今回のミーティングで、自分の不安がそれほど出なかったことを自覚できたのかな?、、と、思えました。
今の私の中で「社会」というものが大きな存在だと思いますが、今日のミーティングで感じたことは、社会との繋がり方、関係性、人とのコミュニケーションはもっと多様化がされ、新たな価値観も生まれてくるのだと思いました。そう思うと、先生がミーティングの最初にお話ししていたレジリエンスのことが一周してなるほどと思いました。
はじめてのオンラインミーティングでしたが、違和感なく参加できました。
「新しい生活様式」が模索される中で、オンラインミーティングはその一つになりますね。
直接会えないため3次元が2次元になるものの、電話と違って顔の表情を確認できながら話ができるというのはいいですね。いろいろなバックグラウンドを持った方々とのお話は新鮮で、楽しかったです!
石垣島から本土に行くのには時間もお金もかかって大変ですが、ZOOMでしたら楽々参加できるというのも有難い。ピンチをチャンスに変えるべく、新たなコミュニケーションを楽しんでいきたいと思います。
感謝! 感謝!!
2回めの参加でした。顔ぶれが変わり話す内容も同じだったり、違っていたり。その変化を楽しむことができました。日々の生活に追われ、自分の家庭を回すのに精一杯。「もっと何かできるはず」「今の状況を活かすためのアクションを起こしたい」との思いで、自分を追い込んでいたことにも気づきました。何より、安心な場だったからこそだと思っています。
5月6日(水・祝)に第二回のミーティングを開きました。
本日の参加者は9名。
うち、初めて参加した人が半分くらいでした。
様子をご紹介します。
・まず私の方から家族の力(レジリエンス)についてお話ししました。
・1巡目。みなさんから、今の体験・今の気持ちについて話してもらいました。
今のストレスって何だろう?
日常がすっかり変容した毎日で感じているストレスを言葉に表すとともに、その中でも頑張っているお話しも出ました。
日々の生活の影の部分(ストレスや不安)がある程度消化されると、光の部分(前向きの気持ち)が見えてきます。
そこで、、、
・2巡目は私の方からお題を出しました。
1)私のサバイバル術。
すっかり変容した日常生活をストレスに感じるだけでなく、その中でサバイバルするための術をみなさんに紹介してもらいました。
2)私の新しい新しい生活様式。
Scrap and Build。既存の生活様式を失い、新しいライフスタイルが生まれるチャンスです。
ここで、オンライン・ミーティングは終了しました。
・3巡目は、ここでやりましょう。
このミーティングを振り返って考えたこと、感想などありましたら文章でお願いします。
まず私から。
こういうオンラインのミーティング(集まり)自体が新しい人と人との繋がり方かなと感じました。
今まで私が東京と群馬でやってきた、当事者と支援者が同じ立場で話しあうミーティングのオンライン版です。これは、べてるの家のミーティングや、当事者研究、オープン・ダイアログなどとも共通しているやり方です。参加者が自分の問題を語り合い、他の人に受け止められると、それが「問題」ではなくなります。
今回のZoomミーティングも同じやり方です。しかし、オンラインでやると、リアルとは異なった新しい繋がり方ができるなと思いました。
リアルなミーティングは、同じ場所で同じ空気を共有している、ひとかたまりの集団としての繋がりです。
オンラインでは、みんな別の場所にいます。集団の中ではない個別の存在なのに、メッセージも顔もよく見えます。みんなの顔が大写しで格子状に並んでいるという図は、今まではなかったように思います。お互いの関係性は見えません。のっぺりとした顔が並んでいます。表情もよく見えるし、言葉も気持ちも伝わります。
リアルではメッセージを発しなくても、「そこにいる」という存在感がありますが、オンラインでは自分から言葉を発しないと、その存在は目立ちません。あえて自分を言葉にして表すことが、前向きさの一助になるように感じました。
ーーーー
では、参加したみなさんからお願いします。
住んでいる立場、場所は違っていても似たような不安を抱えていることが分かっただけでも自身の不安軽減につながります。また印象になった言葉「話す、話す、放す」は、今後も心に残りそうなよいプレゼントをいただきました。
2回目の参加ということで、少し気持ちに余裕がありました。
前回は会そのものについての不安があり、今回は少し勝手がわかっていた分、ツールについて感じたことがありまた。
私は前回も今回もスマホでの参加でしたが、スマホだと参加者の皆さんのお顔は画面をスライドさせないと見えないし、今回はチャットを利用しましたがスマホだと画面全体がチャット用の画面に切り替わるので、お話しされている方のお顔を見ながら入力できないので、とても不便さを感じました。前回もスマホだと少しやりにくいのかなとは思いましたが、今回は「次回までにパソコンを購入しよう!」と決めました(笑)
※次回が何なのかわかりませんが(^_^;
前回も感じたことではありますが、オンラインだといろいろな場所に住んでいる方と職業も様々な方、普段のリアルな生活では絶対に関わることができないであろうお方とお話できることが、とても嬉しかったです。
田村先生の最初のお話の中で「同じ人間同士」というお言葉があり、この場では「一人の人間である私」を出していいという安心を感じて話すことができました。
Zoomミーティングのおかげで自分の気持ちを吐き出すことができ、いろいろな方と繋がる経験ができたことで、これからの新しい自分に向けて自信を持つことができました。
このような場を設けて下さったこと、そして出会った皆さんにとても感謝しています。
田村)次回は5月16日(土)の予定です(後ほどちゃんとアナウンスします)。その後も、週1回くらいのペースでやろうかなと検討しています。オンライン以外にも、コロナが落ち着いたら高山村と大森でやっているリアルのミーティングも再開しますよ。
ズームミーティングは、いろいろな立場の方との出会いがあり面白い体験でした。初対面ではありますが、普段は繋がらない方々との繋がりから、社会と自分が繋がっている、自分も社会の一員として存在しているという印象を持ちました。そして不安な今だからこそ、社会に期待したい。そして自分も社会の一部であるということを私は求めたのだと思います。
このような危機にみんな(広げると世界)で、この経験を生かしたからこその価値や気付きが生まれる。今はそういった期待を持ちたい、乗り越えたいと思っている自分がいるのかなと。
また自分を振り返り、今回の状況の変化や、自分や大切な人の命に危機が訪れるかもという不安なども感じていましたが、今まで経験した「自分の思考の癖と向き合う」ということが、自分の不安を増大させなかったのではないかと思いました。
今日は寝つきが悪かったなぁと感じた時に、気になっていることについて人と話して整理したり、引きずりすぎているのかな?と思って、切り替えてみたり、意識的にしていたと思います。この寝つきの悪さを引きずると、抵抗力が落ちたり、判断力が鈍ったりという、以前経験した負のスパイラルに入ると思ったのです。なので今回のミーティングで、自分の不安がそれほど出なかったことを自覚できたのかな?、、と、思えました。
今の私の中で「社会」というものが大きな存在だと思いますが、今日のミーティングで感じたことは、社会との繋がり方、関係性、人とのコミュニケーションはもっと多様化がされ、新たな価値観も生まれてくるのだと思いました。そう思うと、先生がミーティングの最初にお話ししていたレジリエンスのことが一周してなるほどと思いました。
はじめてのオンラインミーティングでしたが、違和感なく参加できました。
「新しい生活様式」が模索される中で、オンラインミーティングはその一つになりますね。
直接会えないため3次元が2次元になるものの、電話と違って顔の表情を確認できながら話ができるというのはいいですね。いろいろなバックグラウンドを持った方々とのお話は新鮮で、楽しかったです!
石垣島から本土に行くのには時間もお金もかかって大変ですが、ZOOMでしたら楽々参加できるというのも有難い。ピンチをチャンスに変えるべく、新たなコミュニケーションを楽しんでいきたいと思います。
感謝! 感謝!!
2回めの参加でした。顔ぶれが変わり話す内容も同じだったり、違っていたり。その変化を楽しむことができました。日々の生活に追われ、自分の家庭を回すのに精一杯。「もっと何かできるはず」「今の状況を活かすためのアクションを起こしたい」との思いで、自分を追い込んでいたことにも気づきました。何より、安心な場だったからこそだと思っています。
2020年5月4日月曜日
オンライン・グループSVのご報告
緊急事態宣言が5月末まで延長され、
どこもかしこも「オンライン」になってきました。
今はゴールデンウイーク中ですが、
明日はオンライン会議が2件、
明後日は緊急Zoomミーティングを主宰します。
私も時間ができたので、ブログを書きまくっています。
----------
というわけで、5月2日に行ったZoomによるオンライン・グループ・スーパーヴィジョンの様子をご報告します。
参加者は12名。
みなさん、今までに私の個人ないしはグループ・スーパーヴィジョンに参加したことのある方々でした(もちろん初参加の方も歓迎なのですが)。
今までも何度かZoomを使ったグループSVもやりましたが、ほとんどの方がオンライン参加は初めてでした。
10名の方が時間までに参加できました。
2名の方がうまく接続できず、かなり遅刻して参加しました。
Zoomを使うのが初めての方も何人かいました。
始めのうちは、使い方に慣れず、調整(音声や画像が届かなかったり)に手こずる人もいましたが、10分も試行錯誤すればみなさん何とか調整できたのではと思います。
パソコンを利用している人がほとんどで、スマホやタブレットを使う方も少数いました。
Zoomの画面は二種類あります(初めて使う人は、それもよくわからなかったり)。
1) スピーカー・ビュー Speaker View
喋っている人の音声をZoomが自動感知して、その人の画面が大写しになる。
2) ギャラリー・ビュー Gallery View
参加者全員の顔がモザイク状(アダルトビデオのモザイクではありません(笑)。パッチワーク状と言った方が良いか)に見える。
こんな感じです。
今回は、私を入れて13名なので4x4の格子になりました。
スマホやタブレットでもギャラリー・ビューは使えるのでしょうか?
かなり小さくなってしまうと思うのですが。
ちなみに、上の画像の出典はこちらです。
私は全員を見渡すためにギャラリー・ビューでしたが、参加者のみなさんはどちらを使っていたのでしょうか?
私のグループ・スーパーヴィジョンのやり方はオンラインでもリアルでも同じです。
私からみたグループSVの特徴をお伝えします。
ひとことで言えば、参加者同士の関係性が正面を向いた顔だけに集約され、他の情報が抜けるということです。そのために、場の雰囲気・空気がありません。お互いにみんなの表情はよく見えるのですが、相互の視線・眼差しを使ってお互いにコミュニケーションをとり、まわりの雰囲気の中で自分の立ち位置を整えることができません。
そのために、次のような印象を持ちました。
場の枠組みが緩くなります。リアルに一つの部屋に集まっていれば、誰かが出入りしたりノイズを出すと、全体の雰囲気に影響します。しかし、オンラインだとあまり気になりません。家庭からアクセスしているために、子どもがやってきてうろちょろしたり、電話が鳴ったり、回線が悪くなり途中で落ちたりということが時々あります。ノイズが出ればその人の音声をオフにすることができます。回線が落ちても、トイレや宅急便に中座しても、その人の一コマが抜けるだけで、それほど全体に影響しないように感じました。
みなさんが発言しにくかったのではないかと思います。つまり、いつ自分が出てきたら良いのかの間合いが取りにくいというか。リアルでしたら、相互の目線と表情を読み合って自分の出番を推し量ることができますが、オンラインだとその情報がなくなります。そのため、発言する人は手を挙げて、私が指名するという、学校の授業のようなスタイルになりました。リアルのSVでは手も挙げるまでもなく、みなさん自然に会話の流れを作ります。
その一方で、私が発言しにくいということはありませんでした。多分、事例提供者も同じだったのではと想像します。なぜなら、出しゃばる出番がSVの流れ上ちゃんと決まってますから場の雰囲気を読む必要がありません。そういう意味で、私にとってはオンラインもリアルと同様に、事例提供者との話を深めることができました。
ここまで書いてきて、オンラインSVの参加者をブログで募集していないことに気づきました。
第2回オンライン・グループ・スーパーヴィジョン
5月10日(日)午後1-3時
参加希望者は田村研究室公式ライン(下記)、もしくはメールにてお申し込みください。
緊急非常事態宣言中は、
SV参加料=無料
とさせていただきます。
田村毅研究室のLINE公式アカウントは、
こちらをクリックしてご登録ください。
https://lin.ee/wjTRzBHです。
お手持ちのLINEアプリに登録しますと、次のことができます。
1:メルマガ機能)このメルマガと同様に、LINEでのメルマガをお届けします。
2:メール機能)従来の電子メールと同様に、個別のメッセージのやりとりができます。
お問い合わせ、予約などにご利用ください。
-------
私の発言はとりあえずここまでにして、参加者のみなさんからのフィードバックです。
参加者が多いと予想し、画面の大きなパソコンを用意していました。前日までは、WiFiでつながっていたのですが、当日、突然つながらなくなりました。急遽、パソコンを変えて接続したのですが、90%まではダウンロードできるのですが、そこからが動かなくなりました。家の中で電波の強いところを探し、やっとつながりました。次回は、有線でトライしてみます。
Zoomは初トライでした。つながってホッとした気持ちと、自宅から参加する違和感がありました。自分の部屋にこもって参加するつもりが、電波の関係でリビングになってしまいました。家族はいなかったのですが、家族がいたら、参加できなかったかもしれません。自宅は、仕事と切り離している場所なので、仕事モードの自分を出しずらい場所でした。仕事や研究に対しての自由度が低いというか。これから、自宅から発信する機会も増えるので、自分なりの工夫は必要なのですが。
Zoomは色々な使い方ができて、便利だし、発想が広がると感じました。今回は、田村先生と提供者の方のセッションを観察させてもらいました。陪席させていただいているような感じでしょうか。参加者が参加スタイルを選べると感じました。リフティングチームも作りやすいのでは、と感じました。自分が提供者でなかったので、より、客観性が強くなったのかもしれません。提供者としての自分も体験してみたいと思います。
ZoomとGSVで、何か研究ができないかな。。と考えてしまいました。これから、ネット上でのカウンセリングは増えてくると思います。今までの、理論や方法と違う特徴がありそうです。
ブログ、拝読しました。以下、私の感想です。
・久しぶりの参加でしたが、とても刺激的で有意義な時間でした。事例を通じてのシステムの捉え方はあらためて勉強になるポイントがいくつもありました。
・田村先生のオンラインSVに参加させてもらったことがあったので、流れには慣れているように感じました。
・空気を読まなくていい分(読むための情報が極度に少ない分)、自由な感じがしました。
・それぞれさまざまな場所、状況からの参加で、多様性がより感じられてよい。これは以前参加させていただいたオンラインGSVでも感じたことですが、遠い土地同士の者がその時々に事情(台風で飛行機が飛ばないなど)やプライベートを踏まえて参加していることが伝わってきて、テーマ外の学びがたくさんありました。この多様性が発言の前提を自由にしてくれている感覚があります。
・どなたかが発言している間も、発言者以外に聞いているみなさんの表情をみて、こんな表情をする方なんだなー、この表情はどんな気持ちなのかなーと想像しながら聴いていました。そのこともあり、無意識に自分としてはリアクション=感じていること、トーンがわかりやすいように、やや過剰に表情に出していたかも感はありました。
・一方で、支援者としてクライアントに対するツールと捉えた場合は、自分がどのくらい困るのか、どのくらい相手の表情を読みづらいのかまだ未知数です。
以上です。
群馬も今日は曇りでしょうか。ブログもたくさん拝読し、刺激をいただき、わたしの学びスイッチも入っています!
個人特性だと思いますが,注意の転動性が高くなるように思いました。
ブログにあった枠が緩くなることと通じる部分があると思いますが,Online SVだと,集中力が切れやすいように感じました。注意の転動性が高い僕の途中なのかもしれませんが,ギャラリービューを見ているといろんな人の顔が1度に映り,しかも動きも見えるので,その動きに引っ張られて注意のフォーカスポイントが次々移ったように思いました。このような背景があって途中で猛烈にお腹が空いて,パンを食べたのだなと思いました
(自由で申し訳ありません)。
一方で,この場所から出ることなく先生のSVを受けることは,魅力的なメリットだと思いました。空間を越えられるメリットは,とても大きく感じました。
個人的にはFace to faceのGSVが好きですが,今後は上手に使い分けることができたらと思いました。
事例提供させていただきました。グループSVに参加させていただくこと自体が初めてでしたが、その上オンラインということで、貴重な経験をさせていただきました。
オンラインだったので、対面よりも周りからのプレッシャーをあまり受けることなく、わりとのびのびと話せたように思います。事例についても理解を深めることができ、次の一手をどうするかアイデアをいただくことができました。
一方で、周りの方々の様子を窺う余裕がなく、一人で一方的にばーっと話していた感があります。田村先生以外の方々からのご質問やご意見をいただくタイミングを、うまく推し量ることができませんでした。この点は、オンラインの難しさであると感じました。
このような難しさはありますが、それでもこうした状況の中で色々な方々と顔を見ながらお話しができるのは、私にとって貴重な時間でした。zoom等のツールについても、うまく活用できるようにこれから勉強してみたいと思います。本当ににありがとうございました。都合がつきましたら、また参加させていただきたいと思います。
zoomでの参加は初めてでしたので、早めに準備はしていました。
別の講座で講義の聴講だけは1度受けたことはありました。
手惑いましたがギャラリー・ビューに入る事ができほっとしました。
ノートパソコンが無線LANのたむめ、途中ネットの接続が不安定と出ることがあり、不安になりました。
事例提供はしませんでしたが、田村先生の助言を聴きながら、自分が抱える事例や自己の状況を頭に浮かべて、学ぶ事ができました。
指名されるまで手をあげての発言はしませんでした。
自分自身、コロナの影響か、仕事から来る疲労感が抜けていない状況での参加でしたので、移動時間なく、リビングの自由な環境で参加できた事は良かったです。
どちらかと言えば、田村先生のオフィスでのグループSVを望みます。
これまでにZOOMによる話し合い(3人、10人、30人)を経験した上での今回のオンラインSVの感想です。やはり、人数が増えれば増えるほど講義的な雰囲気が濃くなると感じています。逆に、人数が少ないと双方向性はかなり確保される印象をもちます。
今回のオンラインSVは、人数的にも事例発表者と田村先生のやりとりを聞いていくという(少し言葉が違うかもしれませんが)講義的な要素が多かったように思います。しかし、個人的にはその2人のやりとりを聞くなかで質問の方向性、方法、中身などを興味深く聞くことができました。また、聞いているだけかと言えばそうでもなく、個人的に聞きたいことは途中で聞くことができ、充実の2時間でした。
また、人数が増えた際や、情報が込み入ってきた際にも双方向性を確保するために、ZOOMの共有機能、コメント機能などの使い方やルールを模索しながら活用していくことで、オンラインの質も高めていく可能性があると思っています。そのためには、参加者のZOOMそのものの慣れやスキルもある程度必要ですね。職場でも今試行錯誤中です。
私は少人数のスーパービジョンでしたらズームのスーパービジョンがいいなぁと思っています。なんて言うのか画面を通して一体感が得られると思っています。なんでか分かりませんがそう思っています。
今までZoomを使うことは数回ありましたが、タブレット使用で、顔出しなく、発言もしないオンライン講座でした。
今回はスマホで参加し、画面はスピーカービューだったようです(先生のブログで2種類の画面があると初めて知りました)。
SVがどのように展開されていくのか、雰囲気がなんとなくわかったような気がしましたが、私の画面がギャラリービューだったら、もっと雰囲気を感じることができたのかと今頃気づきました。以前からグループSVが気になっていたので、体験できてよかったです。
どこもかしこも「オンライン」になってきました。
今はゴールデンウイーク中ですが、
明日はオンライン会議が2件、
明後日は緊急Zoomミーティングを主宰します。
私も時間ができたので、ブログを書きまくっています。
----------
というわけで、5月2日に行ったZoomによるオンライン・グループ・スーパーヴィジョンの様子をご報告します。
参加者は12名。
みなさん、今までに私の個人ないしはグループ・スーパーヴィジョンに参加したことのある方々でした(もちろん初参加の方も歓迎なのですが)。
今までも何度かZoomを使ったグループSVもやりましたが、ほとんどの方がオンライン参加は初めてでした。
10名の方が時間までに参加できました。
2名の方がうまく接続できず、かなり遅刻して参加しました。
Zoomを使うのが初めての方も何人かいました。
始めのうちは、使い方に慣れず、調整(音声や画像が届かなかったり)に手こずる人もいましたが、10分も試行錯誤すればみなさん何とか調整できたのではと思います。
パソコンを利用している人がほとんどで、スマホやタブレットを使う方も少数いました。
Zoomの画面は二種類あります(初めて使う人は、それもよくわからなかったり)。
1) スピーカー・ビュー Speaker View
喋っている人の音声をZoomが自動感知して、その人の画面が大写しになる。
2) ギャラリー・ビュー Gallery View
参加者全員の顔がモザイク状(アダルトビデオのモザイクではありません(笑)。パッチワーク状と言った方が良いか)に見える。
こんな感じです。
今回は、私を入れて13名なので4x4の格子になりました。
スマホやタブレットでもギャラリー・ビューは使えるのでしょうか?
かなり小さくなってしまうと思うのですが。
ちなみに、上の画像の出典はこちらです。
私は全員を見渡すためにギャラリー・ビューでしたが、参加者のみなさんはどちらを使っていたのでしょうか?
私のグループ・スーパーヴィジョンのやり方はオンラインでもリアルでも同じです。
- チェックイン(全員が一言づつ今の気持ちを短く話す)
- 効率よく最も事例を出したい人を決める(そのやり方は企業秘密です:笑)
- 話題提供者(スーパーヴァイジー)と私(スーパーヴァイザー)との対話。
- 他の参加者みんなからの発言。
- チェックアウト(全員が一言づつ今日の感想を伝え、終了)
私からみたグループSVの特徴をお伝えします。
ひとことで言えば、参加者同士の関係性が正面を向いた顔だけに集約され、他の情報が抜けるということです。そのために、場の雰囲気・空気がありません。お互いにみんなの表情はよく見えるのですが、相互の視線・眼差しを使ってお互いにコミュニケーションをとり、まわりの雰囲気の中で自分の立ち位置を整えることができません。
そのために、次のような印象を持ちました。
場の枠組みが緩くなります。リアルに一つの部屋に集まっていれば、誰かが出入りしたりノイズを出すと、全体の雰囲気に影響します。しかし、オンラインだとあまり気になりません。家庭からアクセスしているために、子どもがやってきてうろちょろしたり、電話が鳴ったり、回線が悪くなり途中で落ちたりということが時々あります。ノイズが出ればその人の音声をオフにすることができます。回線が落ちても、トイレや宅急便に中座しても、その人の一コマが抜けるだけで、それほど全体に影響しないように感じました。
みなさんが発言しにくかったのではないかと思います。つまり、いつ自分が出てきたら良いのかの間合いが取りにくいというか。リアルでしたら、相互の目線と表情を読み合って自分の出番を推し量ることができますが、オンラインだとその情報がなくなります。そのため、発言する人は手を挙げて、私が指名するという、学校の授業のようなスタイルになりました。リアルのSVでは手も挙げるまでもなく、みなさん自然に会話の流れを作ります。
その一方で、私が発言しにくいということはありませんでした。多分、事例提供者も同じだったのではと想像します。なぜなら、出しゃばる出番がSVの流れ上ちゃんと決まってますから場の雰囲気を読む必要がありません。そういう意味で、私にとってはオンラインもリアルと同様に、事例提供者との話を深めることができました。
ここまで書いてきて、オンラインSVの参加者をブログで募集していないことに気づきました。
第2回オンライン・グループ・スーパーヴィジョン
5月10日(日)午後1-3時
参加希望者は田村研究室公式ライン(下記)、もしくはメールにてお申し込みください。
緊急非常事態宣言中は、
SV参加料=無料
とさせていただきます。
田村毅研究室のLINE公式アカウントは、
こちらをクリックしてご登録ください。
https://lin.ee/wjTRzBHです。
お手持ちのLINEアプリに登録しますと、次のことができます。
1:メルマガ機能)このメルマガと同様に、LINEでのメルマガをお届けします。
2:メール機能)従来の電子メールと同様に、個別のメッセージのやりとりができます。
お問い合わせ、予約などにご利用ください。
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私の発言はとりあえずここまでにして、参加者のみなさんからのフィードバックです。
参加者が多いと予想し、画面の大きなパソコンを用意していました。前日までは、WiFiでつながっていたのですが、当日、突然つながらなくなりました。急遽、パソコンを変えて接続したのですが、90%まではダウンロードできるのですが、そこからが動かなくなりました。家の中で電波の強いところを探し、やっとつながりました。次回は、有線でトライしてみます。
Zoomは初トライでした。つながってホッとした気持ちと、自宅から参加する違和感がありました。自分の部屋にこもって参加するつもりが、電波の関係でリビングになってしまいました。家族はいなかったのですが、家族がいたら、参加できなかったかもしれません。自宅は、仕事と切り離している場所なので、仕事モードの自分を出しずらい場所でした。仕事や研究に対しての自由度が低いというか。これから、自宅から発信する機会も増えるので、自分なりの工夫は必要なのですが。
Zoomは色々な使い方ができて、便利だし、発想が広がると感じました。今回は、田村先生と提供者の方のセッションを観察させてもらいました。陪席させていただいているような感じでしょうか。参加者が参加スタイルを選べると感じました。リフティングチームも作りやすいのでは、と感じました。自分が提供者でなかったので、より、客観性が強くなったのかもしれません。提供者としての自分も体験してみたいと思います。
ZoomとGSVで、何か研究ができないかな。。と考えてしまいました。これから、ネット上でのカウンセリングは増えてくると思います。今までの、理論や方法と違う特徴がありそうです。
ブログ、拝読しました。以下、私の感想です。
・久しぶりの参加でしたが、とても刺激的で有意義な時間でした。事例を通じてのシステムの捉え方はあらためて勉強になるポイントがいくつもありました。
・田村先生のオンラインSVに参加させてもらったことがあったので、流れには慣れているように感じました。
・空気を読まなくていい分(読むための情報が極度に少ない分)、自由な感じがしました。
・それぞれさまざまな場所、状況からの参加で、多様性がより感じられてよい。これは以前参加させていただいたオンラインGSVでも感じたことですが、遠い土地同士の者がその時々に事情(台風で飛行機が飛ばないなど)やプライベートを踏まえて参加していることが伝わってきて、テーマ外の学びがたくさんありました。この多様性が発言の前提を自由にしてくれている感覚があります。
・どなたかが発言している間も、発言者以外に聞いているみなさんの表情をみて、こんな表情をする方なんだなー、この表情はどんな気持ちなのかなーと想像しながら聴いていました。そのこともあり、無意識に自分としてはリアクション=感じていること、トーンがわかりやすいように、やや過剰に表情に出していたかも感はありました。
・一方で、支援者としてクライアントに対するツールと捉えた場合は、自分がどのくらい困るのか、どのくらい相手の表情を読みづらいのかまだ未知数です。
以上です。
群馬も今日は曇りでしょうか。ブログもたくさん拝読し、刺激をいただき、わたしの学びスイッチも入っています!
個人特性だと思いますが,注意の転動性が高くなるように思いました。
ブログにあった枠が緩くなることと通じる部分があると思いますが,Online SVだと,集中力が切れやすいように感じました。注意の転動性が高い僕の途中なのかもしれませんが,ギャラリービューを見ているといろんな人の顔が1度に映り,しかも動きも見えるので,その動きに引っ張られて注意のフォーカスポイントが次々移ったように思いました。このような背景があって途中で猛烈にお腹が空いて,パンを食べたのだなと思いました
(自由で申し訳ありません)。
一方で,この場所から出ることなく先生のSVを受けることは,魅力的なメリットだと思いました。空間を越えられるメリットは,とても大きく感じました。
個人的にはFace to faceのGSVが好きですが,今後は上手に使い分けることができたらと思いました。
事例提供させていただきました。グループSVに参加させていただくこと自体が初めてでしたが、その上オンラインということで、貴重な経験をさせていただきました。
オンラインだったので、対面よりも周りからのプレッシャーをあまり受けることなく、わりとのびのびと話せたように思います。事例についても理解を深めることができ、次の一手をどうするかアイデアをいただくことができました。
一方で、周りの方々の様子を窺う余裕がなく、一人で一方的にばーっと話していた感があります。田村先生以外の方々からのご質問やご意見をいただくタイミングを、うまく推し量ることができませんでした。この点は、オンラインの難しさであると感じました。
このような難しさはありますが、それでもこうした状況の中で色々な方々と顔を見ながらお話しができるのは、私にとって貴重な時間でした。zoom等のツールについても、うまく活用できるようにこれから勉強してみたいと思います。本当ににありがとうございました。都合がつきましたら、また参加させていただきたいと思います。
zoomでの参加は初めてでしたので、早めに準備はしていました。
別の講座で講義の聴講だけは1度受けたことはありました。
手惑いましたがギャラリー・ビューに入る事ができほっとしました。
ノートパソコンが無線LANのたむめ、途中ネットの接続が不安定と出ることがあり、不安になりました。
事例提供はしませんでしたが、田村先生の助言を聴きながら、自分が抱える事例や自己の状況を頭に浮かべて、学ぶ事ができました。
指名されるまで手をあげての発言はしませんでした。
自分自身、コロナの影響か、仕事から来る疲労感が抜けていない状況での参加でしたので、移動時間なく、リビングの自由な環境で参加できた事は良かったです。
どちらかと言えば、田村先生のオフィスでのグループSVを望みます。
これまでにZOOMによる話し合い(3人、10人、30人)を経験した上での今回のオンラインSVの感想です。やはり、人数が増えれば増えるほど講義的な雰囲気が濃くなると感じています。逆に、人数が少ないと双方向性はかなり確保される印象をもちます。
今回のオンラインSVは、人数的にも事例発表者と田村先生のやりとりを聞いていくという(少し言葉が違うかもしれませんが)講義的な要素が多かったように思います。しかし、個人的にはその2人のやりとりを聞くなかで質問の方向性、方法、中身などを興味深く聞くことができました。また、聞いているだけかと言えばそうでもなく、個人的に聞きたいことは途中で聞くことができ、充実の2時間でした。
また、人数が増えた際や、情報が込み入ってきた際にも双方向性を確保するために、ZOOMの共有機能、コメント機能などの使い方やルールを模索しながら活用していくことで、オンラインの質も高めていく可能性があると思っています。そのためには、参加者のZOOMそのものの慣れやスキルもある程度必要ですね。職場でも今試行錯誤中です。
私は少人数のスーパービジョンでしたらズームのスーパービジョンがいいなぁと思っています。なんて言うのか画面を通して一体感が得られると思っています。なんでか分かりませんがそう思っています。
今までZoomを使うことは数回ありましたが、タブレット使用で、顔出しなく、発言もしないオンライン講座でした。
今回はスマホで参加し、画面はスピーカービューだったようです(先生のブログで2種類の画面があると初めて知りました)。
SVがどのように展開されていくのか、雰囲気がなんとなくわかったような気がしましたが、私の画面がギャラリービューだったら、もっと雰囲気を感じることができたのかと今頃気づきました。以前からグループSVが気になっていたので、体験できてよかったです。
緊急事態:Gさんの体験
初めまして。
友人に教えてもらい登録しました。
私は双極性障害を抱えております。また、何度も入院しました。
ところで一番今、気になっているのか異性の事です。
と言うのがデイケアのスタッフを好きになりやすく、相手も自分を思っていると思い込んでしまうのです。
少しでも「想われてない」と可能性が見えてくれば健康的ではないかと思います。
恋愛気質な方だし、この「思い込み」が小さくなればなるほど楽になるだろうなと思っています。
優しくされると弱いのが困り者です。
先生は専門分野でないのかもしれませんが、聞いて頂きたくLINEを送らせて頂きました。
コロナが開けたらミーティングなども参加してみたいです。
昔、当事者研究の自己病名を考えた時には
「思い込み性衝動的行動型」
と付けました。
恋愛以外でも思い込みが大きいと感じています。
友人に教えてもらい登録しました。
私は双極性障害を抱えております。また、何度も入院しました。
ところで一番今、気になっているのか異性の事です。
と言うのがデイケアのスタッフを好きになりやすく、相手も自分を思っていると思い込んでしまうのです。
少しでも「想われてない」と可能性が見えてくれば健康的ではないかと思います。
恋愛気質な方だし、この「思い込み」が小さくなればなるほど楽になるだろうなと思っています。
優しくされると弱いのが困り者です。
先生は専門分野でないのかもしれませんが、聞いて頂きたくLINEを送らせて頂きました。
コロナが開けたらミーティングなども参加してみたいです。
昔、当事者研究の自己病名を考えた時には
「思い込み性衝動的行動型」
と付けました。
恋愛以外でも思い込みが大きいと感じています。
2020年5月3日日曜日
オンライン学会の可能性と限界
昨日は昼間、オンライン・グループ・スーパーヴィジョンを12人の仲間たちと行い、夜は友だち7-8名とオンライン飲み会をやりました。
世界的規模の緊急事態はホントに大変なことですが、長期化している中で、なんとなく人間社会も適応しつつあるように思います。
こんな動画も見つけました。
いずれもZoomを使ったStay Homeからのパフォーマンス。
素晴らしいですよね!
特に(1)のcreativityには感動します。
この手法はVirtual Choirとして、以前からEric Whitacreなどによって演じられてきましたが、ここに来て一気に広がりました。
昔はこんなのもありましたけど。
https://youtu.be/9AjkUyX0rVw
ーーーー
私は、年齢的にも、いろいろな学会の企画に関わっています。
今年の夏から秋の学会は、軒並みキャンセルされてきました。
しかし、1週間ほど前から中止・延期するのではなく、オンライン学会にしたらどうかというアイデアが浮上してきました。9月に開催予定の二つの学会で、今、どうしたもんだろうかとオンライン上でメールで議論しています。
正式な学会が開けないので、縮小版・限定版としてのオンライン会議
という発想を超えて、従来の学会を超えた次の世代の学会のあり方として考えることもできるのではないでしょうか。
学会とは、
同じ分野を研究する人たちが交流して、
最先端の研究を発表し合う、、、
ことが目的です。
これを紙ベースでやるのが学会誌。
みんなが集まってやるのが学会です。
オンライン学会の可能性(positive)と限界(negative)について考えてみました。
場所と時間の縛りから解放される
学会は、2-3日の決まった時間に、あちこちから集まって一つの場所に集約します。
オンライン学会ではその必要がありません。
家からでも、どこからでも参加できるというのはとても便利です。
集まるために、2-3日、予定を調整してその期間中は学会だけに専念します。
(中には、学会という名目でゴルフとか観光とか遊んでる人もいますが)
オンライン学会ではその必要がありません。
週末とか、夕方の時間とか、人が都合をつけやすい時間に小分けにして開催もできます。
記録に残せる
口頭発表や講演は言いっ放しで、録画でもしない限り残りません。
ポスター発表も、学会が終われば撤去します。
オンライン学会ではネット上に流すので、録画のための特別な装置なしで簡単に録画できます。
そうすれば学会期間中に限定せず、その前後の期間にウェブサイトから観ることもできます。
さらに発展させれば、その前後だけとか言わずに、アーカイブとして一年中いつでも観れるような設定も可能です。
境界をどう作るか?
学会はふつう、会費を払った学会員しか参加しないクローズドです。オープンにはできない情報(クライエントのプライバシーとか)も含まれているので。
オンラインは基本的にオープンです。
自宅からアクセスすれば、宅急便がやってきたり、子どもがチョロチョロまとわりついたり、プライベートとの境界が曖昧になります。
大会費を払ってパスワードをもらったとしても、友だちに教えれば誰でもアクセスできます。そんなことしてはいけませんと規約をチェックしたところで、誰にもバレません。
そのあたりの境界線をどううまく作るかが課題です。
いっそ、みんなオープンにしちゃったら??
学会誌は図書館に行けば誰でもアクセスできますから、そんな感じで。
クライエントにもプライバシーを確保した形でオンライン学会で発表して良いですか、と了解を得たら良いのでは。
情報格差を生む
新しいツールを導入しようとすれば、必ずそれを使えない(使いたくない)人たちが出てきます。そういう人たちにどう納得してもらい、疎外せずにアクセスできるようにするかという工夫が大切です。
10年前、私が大会長の時に、参加・演題申し込みを全てネットにしようと提案したら、「私、使えませんから!」という人が少数ながら出てきました。今ではそんなこと言う人いないでしょうけど、当時はそういう時代でした。
通常のリテラシーは知識・経験がある人ほど高いものですが、
ことメディア・リテラシーに関しては、おおよそ人生経験と逆比例します。
若い世代がオンライン学会やりましょうと言い出して、理事会とかのお偉いさん達が納得できるか否か!?
それができる学会は、組織のレジリエンス・柔軟性が高いと言えるでしょう。
学会発表形式も色々なバリエーションが考えられます。
スタジオ収録
前もって発表をZoomかなんかで録画して、学会のウェブサイトにアップしてもらいます。
Zoomではパワーポイントなどなんでも「画面共有」できますから便利です。
ナマ放送
学会当日に、ライブで発表します。
発表した後、参加者と共に質疑応答もできます。
ビデオでやっても良いし、チャット欄に文字で質問・コメントをもらうこともできます。
昔、何度かテレビ出演したことがありますが、ナマ放送はガチガチに緊張しました。
トチったらどうしようって!
私が、若く駆け出しの頃、学会の口頭発表は心臓が飛び出るくらい緊張しました。
質問がきて突っ込まれたらどうしよう、、、!!
原稿を読み終わったら脱兎したい気持ちでした。
今は、なんも緊張しません。
逆に質問が来なかったら、私の発表は面白くなかったのかしら、興味を持たれないのかしらと心配になります。
私がオンライン学会で発表するとしたら、
若い未熟な頃だったらスタジオ収録を、
今だったらナマ放送が良いです。
ポスター発表と口頭発表
、、、の境目は曖昧になります。
多くの研究者にとって国際学会で発表すると業績のポイントが高くなります。
英語が不得意の先生はポスター発表を好みます。
口頭発表だと、前もって作った原稿を読み上げれば良いのですが、その後の質疑応答がチャレンジです。
スタジオ収録したビデオ発表でも、ポスターに書いた文字ベースの発表でも、学会ウェブサイトにアップして、質問・コメントをウェブ上に書き込んでもらって議論すれば、どっちも同じことだと思うんですけど。
無観客試合
大相撲でも野球でも、力士や選手にとって無観客試合ってどうなんでしょうか?
とりあえず対戦相手が目の前にいるので頑張りますが、応援もブーイングもないんですよ。
学会では、シンポジウムがこれに相当するでしょう。
何人かのパネリストがディスカッションして(オンラインでもリアルでも)、観客はオンラインで観戦します。
パブリック・ビューイング(メディア・ミックス)
以前、子どもに連れられてスポーツパブに行き、サッカーの試合を観戦しました。大きなスクリーンを観ながら、パブに集まった人たちと盛り上がるんですね。
発表者側も、観客側も、リアルとバーチャルの選択肢を与えるという発想です。
一応、リアルな会場は設定して、そこに来る発表者と、オンラインから発表する人と。
観客も、会場に来る人と(三密は避けて)、オンラインで観たい人と。
会場を北海道・関東・関西・九州とか複数に設定すれば、全国から集まれます(そこまでするのも大変か!)
ライブハウス
うちの学会だと自主シンポやワークショップがこれに相当するでしょうか。
比較的小さな部屋で、発表者が話題提起やレクチャーした後、聴衆の参加がメインになります。小グループに別れてディスカッションしたり、ロールプレイをしたり。
新型コロナもライブハウスがクラスターになったくらいですから、参加者同士のやり取りが最も濃密です。
これをオンラインでやるのはチャレンジですね。ZoomをPCで使えば5x5=25名くらいのモザイク画面を使って相互のやり取りもできるような気がします。小グループにわけて、、、というのも技術的には可能だと思うのですが、私はわかりません。
うちのワークショップは午前・午後まる一日やりますが、オンラインでは長すぎるのでは。もっと短くして、ネット上にアーカイブしても良いのでは。。。
ライブ・コンサート
特別講演とか基調講演とかが相当するでしょう。
大きな部屋で偉い方のご講話を1時間くらい聴きます。
海外の学会では講演の後の質疑応答・ディスカッションも盛んですが、私の知ってる国内の学会では、質疑応答は無しか、あってもチョボチョボです。
ほぼ一方向的な情報伝達ですからスタジオ収録でも無観客試合でも可能でしょう。
。。。と思うのですが、出演者側にとっては違うんですねぇ。
スタジオ収録とコンサートではノリが全然違います。
トチることを考えればスタジオ収録の方が安全なのですが、コンサートの臨場感が出演者のパフォーマンスを盛り上げます。
陸上の走り幅跳びの選手は、観客に拍手をリクエストして盛り上げますね。べつに目立ちたいからやってるわけじゃなくて、その方が良い結果が出るんですよ。
サッカーのサポーターは12人目の選手、、、
選手と観客が一体となって、、、
壇上のスピーチを聞いている観客の立場からすれば、自分の存在は黒子のように感じると思いますが、壇上からはよく見えるんですよ。
表情や眼差しから、どれくらい乗ってるか、興味をもって聞いてくれているか、飽きているか、居眠りしているか、、、
笑いや頷きや拍手があると、なるほどここでみんなは反応するのねと、出演者もますます盛り上がります。
大学で教えていた頃、自分の研究分野で興味がある授業は熱心に話しますから、学生たちの目も輝いて、面白そうに聞いてくれるのがよくわかります。教員も盛り上がり、授業に力が入ります。
逆に、カリキュラム上割り当てられた消化試合の講義はこっちもやる気がなくて手抜きの授業になり、学生たちもつまらなそうに聞いています。すると、教員もやる気を失い、ますます手抜きになります。
で(ここからが本題で:笑)、私の基調講演なんですけど、そういうわけでスタジオ収録や無観客試合はモチベーションが上がらないんですよ。できたらこんな風にしてもらったらと思うのですが、ご検討ください。
持ち時間が60分だと思うので、
まあ、私としても初めての試みなので、どうなるかやってみないとわかりませんが(笑)。
懇親会(ラウンド・テーブル)
若い頃、学会の懇親会は苦痛でした。
ご馳走とお酒を飲みたいからとりあえず参加して、偉い先生と話がしたいなと思っても、とてもセンターテーブルまで行く勇気はなく、一番末席のテーブルからビールをもらって、壁の花になっていました。
今となっては、センターテーブルに陣取り、学会で繋がった友人たちと歓談し、一番の楽しみになってしまいました。
これをオンラインでやるのは流石に無理かと思うのですが、その代替としてAFTA (American Family Therapy Academy)でやってるRound Tableをご紹介します。
10名くらいから多い時で30名くらい、新人からベテランまで参加者がひとつの部屋に集い、一人ずつ、学会の感想やら言い足りなかっことなどを語ります。基本的に言いっ放しでディスカッションはしません。それだけで1-2時間はゆうにかかってしまいます。
これならオンラインでもできそうな気がします。
懇親会の二次会(かなり余談)
親しい少人数の仲間たちと個別に繰り出すわけですが、
例えば、特定のテーマについて集まってZoom飲み会をするとか。
禁酒の真面目な集まりとか、お酒OKの気軽な集まりにするとか。
学会誌・学術集会(学会)に継ぐ第三の発表手段
学会誌もオンライン・ジャーナルが主流を占めてきました。
上記のように、学会発表の収録・保存も技術的に十分可能になってきました。
テキストベースの学術論文のみならず、学会での各種発表も研究成果の発表ですから、
学会期間中に限らず、ウェブサイトに残せば画像・動画ベースの学術論文になります。
学術誌の伝統は「査読」です。
これを通せば、箔がついて業績となります。
オンライン上でも査読は可能だと思います。
例えば、アップロードされた学会発表のうち、学会の編集委員なりが認めたものに「認証」マークを付ければいい訳です。
あるいは、認証されたものだけをウェブサイトにアーカイブするとか。
ーーーー
とまあ、アイデアは尽きません。
いろんな可能性があります。。。
世界的規模の緊急事態はホントに大変なことですが、長期化している中で、なんとなく人間社会も適応しつつあるように思います。
こんな動画も見つけました。
いずれもZoomを使ったStay Homeからのパフォーマンス。
素晴らしいですよね!
特に(1)のcreativityには感動します。
この手法はVirtual Choirとして、以前からEric Whitacreなどによって演じられてきましたが、ここに来て一気に広がりました。
昔はこんなのもありましたけど。
https://youtu.be/9AjkUyX0rVw
ーーーー
私は、年齢的にも、いろいろな学会の企画に関わっています。
今年の夏から秋の学会は、軒並みキャンセルされてきました。
しかし、1週間ほど前から中止・延期するのではなく、オンライン学会にしたらどうかというアイデアが浮上してきました。9月に開催予定の二つの学会で、今、どうしたもんだろうかとオンライン上でメールで議論しています。
正式な学会が開けないので、縮小版・限定版としてのオンライン会議
という発想を超えて、従来の学会を超えた次の世代の学会のあり方として考えることもできるのではないでしょうか。
学会とは、
同じ分野を研究する人たちが交流して、
最先端の研究を発表し合う、、、
ことが目的です。
これを紙ベースでやるのが学会誌。
みんなが集まってやるのが学会です。
オンライン学会の可能性(positive)と限界(negative)について考えてみました。
場所と時間の縛りから解放される
学会は、2-3日の決まった時間に、あちこちから集まって一つの場所に集約します。
オンライン学会ではその必要がありません。
家からでも、どこからでも参加できるというのはとても便利です。
集まるために、2-3日、予定を調整してその期間中は学会だけに専念します。
(中には、学会という名目でゴルフとか観光とか遊んでる人もいますが)
オンライン学会ではその必要がありません。
週末とか、夕方の時間とか、人が都合をつけやすい時間に小分けにして開催もできます。
記録に残せる
口頭発表や講演は言いっ放しで、録画でもしない限り残りません。
ポスター発表も、学会が終われば撤去します。
オンライン学会ではネット上に流すので、録画のための特別な装置なしで簡単に録画できます。
そうすれば学会期間中に限定せず、その前後の期間にウェブサイトから観ることもできます。
さらに発展させれば、その前後だけとか言わずに、アーカイブとして一年中いつでも観れるような設定も可能です。
境界をどう作るか?
学会はふつう、会費を払った学会員しか参加しないクローズドです。オープンにはできない情報(クライエントのプライバシーとか)も含まれているので。
オンラインは基本的にオープンです。
自宅からアクセスすれば、宅急便がやってきたり、子どもがチョロチョロまとわりついたり、プライベートとの境界が曖昧になります。
大会費を払ってパスワードをもらったとしても、友だちに教えれば誰でもアクセスできます。そんなことしてはいけませんと規約をチェックしたところで、誰にもバレません。
そのあたりの境界線をどううまく作るかが課題です。
いっそ、みんなオープンにしちゃったら??
学会誌は図書館に行けば誰でもアクセスできますから、そんな感じで。
クライエントにもプライバシーを確保した形でオンライン学会で発表して良いですか、と了解を得たら良いのでは。
情報格差を生む
新しいツールを導入しようとすれば、必ずそれを使えない(使いたくない)人たちが出てきます。そういう人たちにどう納得してもらい、疎外せずにアクセスできるようにするかという工夫が大切です。
10年前、私が大会長の時に、参加・演題申し込みを全てネットにしようと提案したら、「私、使えませんから!」という人が少数ながら出てきました。今ではそんなこと言う人いないでしょうけど、当時はそういう時代でした。
通常のリテラシーは知識・経験がある人ほど高いものですが、
ことメディア・リテラシーに関しては、おおよそ人生経験と逆比例します。
若い世代がオンライン学会やりましょうと言い出して、理事会とかのお偉いさん達が納得できるか否か!?
それができる学会は、組織のレジリエンス・柔軟性が高いと言えるでしょう。
学会発表形式も色々なバリエーションが考えられます。
スタジオ収録
前もって発表をZoomかなんかで録画して、学会のウェブサイトにアップしてもらいます。
Zoomではパワーポイントなどなんでも「画面共有」できますから便利です。
ナマ放送
学会当日に、ライブで発表します。
発表した後、参加者と共に質疑応答もできます。
ビデオでやっても良いし、チャット欄に文字で質問・コメントをもらうこともできます。
昔、何度かテレビ出演したことがありますが、ナマ放送はガチガチに緊張しました。
トチったらどうしようって!
私が、若く駆け出しの頃、学会の口頭発表は心臓が飛び出るくらい緊張しました。
質問がきて突っ込まれたらどうしよう、、、!!
原稿を読み終わったら脱兎したい気持ちでした。
今は、なんも緊張しません。
逆に質問が来なかったら、私の発表は面白くなかったのかしら、興味を持たれないのかしらと心配になります。
私がオンライン学会で発表するとしたら、
若い未熟な頃だったらスタジオ収録を、
今だったらナマ放送が良いです。
ポスター発表と口頭発表
、、、の境目は曖昧になります。
多くの研究者にとって国際学会で発表すると業績のポイントが高くなります。
英語が不得意の先生はポスター発表を好みます。
口頭発表だと、前もって作った原稿を読み上げれば良いのですが、その後の質疑応答がチャレンジです。
スタジオ収録したビデオ発表でも、ポスターに書いた文字ベースの発表でも、学会ウェブサイトにアップして、質問・コメントをウェブ上に書き込んでもらって議論すれば、どっちも同じことだと思うんですけど。
無観客試合
大相撲でも野球でも、力士や選手にとって無観客試合ってどうなんでしょうか?
とりあえず対戦相手が目の前にいるので頑張りますが、応援もブーイングもないんですよ。
学会では、シンポジウムがこれに相当するでしょう。
何人かのパネリストがディスカッションして(オンラインでもリアルでも)、観客はオンラインで観戦します。
パブリック・ビューイング(メディア・ミックス)
以前、子どもに連れられてスポーツパブに行き、サッカーの試合を観戦しました。大きなスクリーンを観ながら、パブに集まった人たちと盛り上がるんですね。
発表者側も、観客側も、リアルとバーチャルの選択肢を与えるという発想です。
一応、リアルな会場は設定して、そこに来る発表者と、オンラインから発表する人と。
観客も、会場に来る人と(三密は避けて)、オンラインで観たい人と。
会場を北海道・関東・関西・九州とか複数に設定すれば、全国から集まれます(そこまでするのも大変か!)
ライブハウス
うちの学会だと自主シンポやワークショップがこれに相当するでしょうか。
比較的小さな部屋で、発表者が話題提起やレクチャーした後、聴衆の参加がメインになります。小グループに別れてディスカッションしたり、ロールプレイをしたり。
新型コロナもライブハウスがクラスターになったくらいですから、参加者同士のやり取りが最も濃密です。
これをオンラインでやるのはチャレンジですね。ZoomをPCで使えば5x5=25名くらいのモザイク画面を使って相互のやり取りもできるような気がします。小グループにわけて、、、というのも技術的には可能だと思うのですが、私はわかりません。
うちのワークショップは午前・午後まる一日やりますが、オンラインでは長すぎるのでは。もっと短くして、ネット上にアーカイブしても良いのでは。。。
ライブ・コンサート
特別講演とか基調講演とかが相当するでしょう。
大きな部屋で偉い方のご講話を1時間くらい聴きます。
海外の学会では講演の後の質疑応答・ディスカッションも盛んですが、私の知ってる国内の学会では、質疑応答は無しか、あってもチョボチョボです。
ほぼ一方向的な情報伝達ですからスタジオ収録でも無観客試合でも可能でしょう。
。。。と思うのですが、出演者側にとっては違うんですねぇ。
スタジオ収録とコンサートではノリが全然違います。
トチることを考えればスタジオ収録の方が安全なのですが、コンサートの臨場感が出演者のパフォーマンスを盛り上げます。
陸上の走り幅跳びの選手は、観客に拍手をリクエストして盛り上げますね。べつに目立ちたいからやってるわけじゃなくて、その方が良い結果が出るんですよ。
サッカーのサポーターは12人目の選手、、、
選手と観客が一体となって、、、
壇上のスピーチを聞いている観客の立場からすれば、自分の存在は黒子のように感じると思いますが、壇上からはよく見えるんですよ。
表情や眼差しから、どれくらい乗ってるか、興味をもって聞いてくれているか、飽きているか、居眠りしているか、、、
笑いや頷きや拍手があると、なるほどここでみんなは反応するのねと、出演者もますます盛り上がります。
大学で教えていた頃、自分の研究分野で興味がある授業は熱心に話しますから、学生たちの目も輝いて、面白そうに聞いてくれるのがよくわかります。教員も盛り上がり、授業に力が入ります。
逆に、カリキュラム上割り当てられた消化試合の講義はこっちもやる気がなくて手抜きの授業になり、学生たちもつまらなそうに聞いています。すると、教員もやる気を失い、ますます手抜きになります。
で(ここからが本題で:笑)、私の基調講演なんですけど、そういうわけでスタジオ収録や無観客試合はモチベーションが上がらないんですよ。できたらこんな風にしてもらったらと思うのですが、ご検討ください。
持ち時間が60分だと思うので、
- 1時間弱くらいのスタジオ収録で、前もってスピーチをお送りします。
- 1−2週間前くらいにウェブサイトに上げてもらい、参加者に前もって観てもらい、感想・コメント・質問などを集めます(多くの人は観ないと思いますが)。
- 当日は無観客試合。お送りしたスピーチと同じ内容を30分くらい手短に喋ります。
- その後、参加者からのフィードバックを紹介してもらい、それに応える形で話をさらに深めます。
- もし可能なら、この部分をA先生との対談という形でも面白いかなと思います。
まあ、私としても初めての試みなので、どうなるかやってみないとわかりませんが(笑)。
懇親会(ラウンド・テーブル)
若い頃、学会の懇親会は苦痛でした。
ご馳走とお酒を飲みたいからとりあえず参加して、偉い先生と話がしたいなと思っても、とてもセンターテーブルまで行く勇気はなく、一番末席のテーブルからビールをもらって、壁の花になっていました。
今となっては、センターテーブルに陣取り、学会で繋がった友人たちと歓談し、一番の楽しみになってしまいました。
これをオンラインでやるのは流石に無理かと思うのですが、その代替としてAFTA (American Family Therapy Academy)でやってるRound Tableをご紹介します。
10名くらいから多い時で30名くらい、新人からベテランまで参加者がひとつの部屋に集い、一人ずつ、学会の感想やら言い足りなかっことなどを語ります。基本的に言いっ放しでディスカッションはしません。それだけで1-2時間はゆうにかかってしまいます。
これならオンラインでもできそうな気がします。
懇親会の二次会(かなり余談)
親しい少人数の仲間たちと個別に繰り出すわけですが、
例えば、特定のテーマについて集まってZoom飲み会をするとか。
禁酒の真面目な集まりとか、お酒OKの気軽な集まりにするとか。
学会誌・学術集会(学会)に継ぐ第三の発表手段
学会誌もオンライン・ジャーナルが主流を占めてきました。
上記のように、学会発表の収録・保存も技術的に十分可能になってきました。
テキストベースの学術論文のみならず、学会での各種発表も研究成果の発表ですから、
学会期間中に限らず、ウェブサイトに残せば画像・動画ベースの学術論文になります。
学術誌の伝統は「査読」です。
これを通せば、箔がついて業績となります。
オンライン上でも査読は可能だと思います。
例えば、アップロードされた学会発表のうち、学会の編集委員なりが認めたものに「認証」マークを付ければいい訳です。
あるいは、認証されたものだけをウェブサイトにアーカイブするとか。
ーーーー
とまあ、アイデアは尽きません。
いろんな可能性があります。。。
2020年5月2日土曜日
オンライン心理相談の可能性と限界
別項で説明したテレビ会議システムのコミュニケーション特性と、
私のこれまでの経験を踏まえ、
Zoomを利用した心理相談活動の可能性と限界について説明します。
安全な枠組みの確保
わざわざ病院や相談室に出向かなくても、家からでもどこからでも利用できるのはとても便利です。
しかし、気軽だからといって、安全になんでも話せる場所(枠組み)はしっかり確保しなくてはなりません。子どもがちょろちょろ動き回ったり、隣の部屋で家族が聞いていないかしら、、、まわりの雑音が気になったり、電話や来客で中断されたり。まあ、そうなることも想定した上で枠組みを作れば良いのですが、大切なことは、安心して気持ちを語り、感情を表出できる場所を確保することです。
視線が合わない
細かいことかもしれませんが、Zoomだと微妙に目が合わないんですよね。
画面の真ん中にある相手の顔を見て話していても、画面とカメラの位置がわずかに異なるため(カメラはたいていPCやスマホ・タブレットの真上にありますよね)、相手が見ると、わずかな角度でそっぽを向いているように見えます。
恋人同士はじっと目を見つめあって愛情を伝え、相手との距離を縮めます。
まあ、カウンセリングではそのような目チカラをずっと使ってるのも疲れるし(距離が近すぎる?)、目線を合わせたり反らせたりします。
だから、相談室でお互いが向き合う角度は真正面ではなく120°だか90°だかが良いとか言ったりしますが。
そういう意味では、視線が微妙にずれるのは、それほど相談活動の障害にはならないのかもしれません。
グループ・スーパーヴィジョン
私がよく行うグループSVでは、スーパーヴァイザー(私)とスーパーヴァイジー(参加者)との相互のやり取りばかりではなく、ヴァイジー同士のやり取りも大切にしています。
参加者は2-3人程度から12-13人程度くらいが普通ですが、それくらいの人数なら2x2から4x4くらいのモザイク画面で対応できるのでなんとかなります。
あ、これはPCの場合ですね。Zoomには画面のモードの切り替えがあり、喋ってる人(音声を出している人)のひとり画面になるモードもあります。スマホのような狭い画面だとそうなりますかね。
グループをコーディネートするヴァイザーとしては、グループ全体に目を行き届かさなければなりません。モザイク画面でなんとか工夫してます。
実際のSVのプロセスは、
という具合に進みます。
問題は、「事例提供者と他の参加者とのやり取り」の部分ですね。
二人の対話まではスムーズに行きますが、多人数を巻き込んだ多方向の会話をどう実現できるか。
まあ、実際には、他の参加者が事例についての感想や自分の体験などをモノローグ的に語る、いわば複数のモノローグの重なり合い(それをダイアローグというのかもしれませんが)になるので、なんとかなるでしょう。3人以上の人が重なり合って話出して発言者があちこちに飛ぶという状況はそれほど多くはありません。
実際には、そういうプロセスが出現すると、SVも面白くなり、グループSVの醍醐味なのですが。
家族療法
グループSV以上に、家族メンバー同士の対話が重要になります。
家族療法の進め方の話になりますが、初心者セラピストは家族のひとり vs. セラピストの対話が多くなりますが、経験を積んでいくと、家族同士の対話をうまくファシリテートできるようになります。
それZoomでどう生み出すかの工夫が必要になります。
二人(窮屈ですが3人も?)までなら一つの画面に入りますが、3-4人以上だと難しくなります。全体を入れようとするとカメラの距離が遠くなり、一人ひとりの表情が見えにくくなります。私の経験では、3人の家族セッションで二つのデバイス(PCとスマホ)を使い二つの画面にして、そのうちの一つの音声を切る(そうしないとハウリングが起きてしまう)対応をしました。
まだやったことありませんけど、多元中継の家族療法も可能になります。
モザイク画面を使って、単身赴任で別の場所にいるお父さんと、
ひきこもって自室にいる子どもと、
別の場所からの合同面接も可能です。
俺はひきこもっているから、姿は見せたくない!
と、音声だけで、自分のカメラをオフにして、相手の姿は見えるけど、自分の姿を晒さないということもできます(まだやった経験はありませんけど)。
ーーーー
では次に、オンライン学会について。
私のこれまでの経験を踏まえ、
Zoomを利用した心理相談活動の可能性と限界について説明します。
安全な枠組みの確保
わざわざ病院や相談室に出向かなくても、家からでもどこからでも利用できるのはとても便利です。
しかし、気軽だからといって、安全になんでも話せる場所(枠組み)はしっかり確保しなくてはなりません。子どもがちょろちょろ動き回ったり、隣の部屋で家族が聞いていないかしら、、、まわりの雑音が気になったり、電話や来客で中断されたり。まあ、そうなることも想定した上で枠組みを作れば良いのですが、大切なことは、安心して気持ちを語り、感情を表出できる場所を確保することです。
視線が合わない
細かいことかもしれませんが、Zoomだと微妙に目が合わないんですよね。
画面の真ん中にある相手の顔を見て話していても、画面とカメラの位置がわずかに異なるため(カメラはたいていPCやスマホ・タブレットの真上にありますよね)、相手が見ると、わずかな角度でそっぽを向いているように見えます。
恋人同士はじっと目を見つめあって愛情を伝え、相手との距離を縮めます。
まあ、カウンセリングではそのような目チカラをずっと使ってるのも疲れるし(距離が近すぎる?)、目線を合わせたり反らせたりします。
だから、相談室でお互いが向き合う角度は真正面ではなく120°だか90°だかが良いとか言ったりしますが。
そういう意味では、視線が微妙にずれるのは、それほど相談活動の障害にはならないのかもしれません。
グループ・スーパーヴィジョン
私がよく行うグループSVでは、スーパーヴァイザー(私)とスーパーヴァイジー(参加者)との相互のやり取りばかりではなく、ヴァイジー同士のやり取りも大切にしています。
参加者は2-3人程度から12-13人程度くらいが普通ですが、それくらいの人数なら2x2から4x4くらいのモザイク画面で対応できるのでなんとかなります。
あ、これはPCの場合ですね。Zoomには画面のモードの切り替えがあり、喋ってる人(音声を出している人)のひとり画面になるモードもあります。スマホのような狭い画面だとそうなりますかね。
グループをコーディネートするヴァイザーとしては、グループ全体に目を行き届かさなければなりません。モザイク画面でなんとか工夫してます。
実際のSVのプロセスは、
- 参加者一人一人のチェックイン
- 事例提供者がモノローグ的に語る
- ヴァイザーとヴァイジー(事例提供者)の対話(ダイアローグ)
- 事例提供者と他の参加者とのやり取り
- 全体のまとめとチェックアウト
という具合に進みます。
問題は、「事例提供者と他の参加者とのやり取り」の部分ですね。
二人の対話まではスムーズに行きますが、多人数を巻き込んだ多方向の会話をどう実現できるか。
まあ、実際には、他の参加者が事例についての感想や自分の体験などをモノローグ的に語る、いわば複数のモノローグの重なり合い(それをダイアローグというのかもしれませんが)になるので、なんとかなるでしょう。3人以上の人が重なり合って話出して発言者があちこちに飛ぶという状況はそれほど多くはありません。
実際には、そういうプロセスが出現すると、SVも面白くなり、グループSVの醍醐味なのですが。
家族療法
グループSV以上に、家族メンバー同士の対話が重要になります。
家族療法の進め方の話になりますが、初心者セラピストは家族のひとり vs. セラピストの対話が多くなりますが、経験を積んでいくと、家族同士の対話をうまくファシリテートできるようになります。
それZoomでどう生み出すかの工夫が必要になります。
二人(窮屈ですが3人も?)までなら一つの画面に入りますが、3-4人以上だと難しくなります。全体を入れようとするとカメラの距離が遠くなり、一人ひとりの表情が見えにくくなります。私の経験では、3人の家族セッションで二つのデバイス(PCとスマホ)を使い二つの画面にして、そのうちの一つの音声を切る(そうしないとハウリングが起きてしまう)対応をしました。
まだやったことありませんけど、多元中継の家族療法も可能になります。
モザイク画面を使って、単身赴任で別の場所にいるお父さんと、
ひきこもって自室にいる子どもと、
別の場所からの合同面接も可能です。
俺はひきこもっているから、姿は見せたくない!
と、音声だけで、自分のカメラをオフにして、相手の姿は見えるけど、自分の姿を晒さないということもできます(まだやった経験はありませんけど)。
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では次に、オンライン学会について。
Zoomのコミュニケーション特性
SkypeやZoomのことを「ウェブ会議システム」と言うのだそうです。
今回の非常事態宣言。
STAY HOME戦略により、テレワークやウェブ会議システムが一気に注目を浴びるようになりました。
私は、以前はSkypeを、今はZoomを使って細々と仕事でも使っていましたが、今、多くの人が使い始め、一気に広がりました。
具体的にはオンライン・カウンセリングやオンライン学会についてのニーズが高まったので、私の経験と考えていることを書きます。
「ウェブ会議システム」と言っても、私が使ってるのは上記の二種類だけです。他にも色々あるようですが、ここでは主にZoomを念頭に置いてお話しします。他のシステムも似たり寄ったりでしょうし、今後、システムの使い勝手やできることは日進月歩でどんどん進化していくでしょうから、とりあえずZoomを例に現状で言えることを書きます。
メディア相談の歴史
直接の対面(face to face)ではなく、コミュニケーションの媒介となるものをひっくるめて「メディア」と言います。
マスメディアは新聞とかラジオとかテレビとか。
パーソナルメディアとしては、手紙、電話、ファックス、電子メール、SNS(ツイッター、LINE, Facebokとか)、そしてZoom、、、。
手紙や電話は昔からあったけど、インターネットの出現により、メディアの進化はここ20年ほどで加速されました。技術の進化に、人間の進化がついていけませんね。新しい技術を使いこなすのが大変です。
私は、メディアを使った相談活動を色々やってきました。
1971年に日本で「いのちの電話」がスタートした時は、「電話」で心理相談なんかできるものかと世の中は猜疑的でしたが、その後、電話による相談という概念が生まれました。私もいのちの電話には深く関わってきて、1997年(だったかな)から、電子メール相談を立ち上げました。
電子メールによる心理相談もその頃から試験的に取り組み、本も二冊書きました。
メディア相談も、それなりには使いこなすこともできるし、効果もあります。
(この辺りのウンチクもたくさんあるのですが、また別の機会に)
その後、現在に至るまで、私の心理臨床には積極的には取り入れていません。
やはりリアル(対面相談)とバーチャル(メディア相談)の差は大きく、やっぱりリアルの方が良いよねということで、オーソドックスな対面相談に戻っていました。
これまでのメディアと比較すると、Zoomは飛躍的に「リアル」に近づきました。中国や韓国では、日本以上にZoomの利用が進んでいて、私も2年前ほどから、中国の人々とカウンセリングやスーパーヴィジョンに利用してきました(通訳を介して)。その点、日本人はconservativeというか、あまり積極的ではありませんでしたが、コロナ禍のSTAY HOME作戦により、Zoomなどが一気に市民権を得て、多くの人々が恐る恐る使い始めました。私としては、従来からメディア相談には興味を持ち、新しい試みを色々進めてきましたし、私自身が都会から田舎に移住するので、オンラインで活動ができれば便利です。
と、前置きが長くなりましたが、本題の、Zoomのコミュニケーション特性について書きます。
従来のメディアとの比較
相手との繋がり方が、従来のメディアでは限られていました。
手紙や電子メールは文字情報のみ。
電話は音声のみで視覚情報はなし。
それにも関わらず、なんとか工夫して相談活動に利用してきました。
その点、Zoomは一気にリアルに近づきました。
使うまでは猜疑的な人がいるんですけど、実際にある程度使って、慣れたら、普通に対面で話しているのと遜色ないですよ。画像の解像度も音声も向上してきて、よく聞こえるし、表情などもよく見えます。だから、一対一で向き合う分にはほとんど問題ありません。でも、あえてリアルの対面と比較したZoomの限界をいくつか挙げます。
1)立体感がない(平面になってしまう)
遠近感がなくなります。
例えば、カメラの前でお辞儀するとカメラとの距離が近くなって、顔がグッとでかくなったりするんですね。
現実は三次元の世界ですがZoomだと二次元になります。
それが相手との距離感やリアル感に微妙に影響してくると思います。それは具体的にどういうことなのか、まだ私もまだうまく言語化できません。
2)目玉や首を振ることができない(広角の視野の欠如)
一対一で話し合っているときはほとんど問題ないことですが、複数の人と話そうとするときに問題になります。
人間の目はよくできているんですよ。ミクロ(ズームイン)とマクロ(ズームアウト)の両方の機能があります。網膜の中心窩付近の感度はよく、細かい字や表情までよく見え、その一方で辺縁の情報も、ほぼ180°くらい俯瞰することができます。感度やよくなく、ぼんやりとしか見えませんが、眼球や首を降ってそっちに中心を持ってくれば、すぐに詳しく見えます。こんなレンズやカメラはありません。
テレビのニュースのアナウンサーは正面を見ながら、下の方の机に置いてある原稿を読めるよう訓練するんですよね。あれもすごいですよ。
テレビのバラエティー番組など、たくさんのゲストがワイワイ喋り合ってる状況を放送するために、テレビカメラを何台も使って、会話に応じて切り替えます。でも、現場にいるディレクターやスタッフたちは、一つの(二つの)目だけで、複数のカメラの機能をやってのけます。
つまり、何を言いたいかというと、Zoomで3人以上複数の人たちと話し合う時に、リアルの世界との差ができます。つまりZoomで大人数の人たちと話し合う時、ひとり(二人くらいでもイイんですけど)ずつが大写しになった画面をタテヨコに分割して、モザイク状に写します。すると、個別の人との対話はできるのですが、全体を俯瞰できない。全体の場がどうなっているのか、場の雰囲気、グループのダイナミクスを観察できません。
一回、10人くらいが一つの部屋に集まってる全体像を広角レンズを使ってZoomやったのですが、すると一人ひとりが小さくなって表情が見えなくなります。やはりモザイク画面にしないとうまく会話できないんですよ。
3)複数の人たちとのワイワイガヤガヤがやりにくい
一対一にフォーカスした対話なら問題ないのですが、上記の特性のため、複数の人たちのグループの会議やおしゃべりはやりにくように思います。
複数の人たちが集まって交流する時、人間の目と脳は、テレビ収録の複数のカメラと同様に、首を振り、目をキョロキョロさせて、多人数の情報を一気に処理して、全体の空気を読み、誰の発言が重要で、誰の発言はノイズで、どこに注目して、その一方で他の人にも気を使い、全体をマクロに把握し、中心となる情報もミクロに把握します。
考えてみれば、これってすごいですよね。
余談になりますが、人間の感覚的にもこれは難しいです。
発達障害の人たちは、脳の認知機能的に、
ひきこもりや不登校の人たちは、対人関係の心理発達的に、
このような処理がうまくできません。
ここまでうまくできたテレビ会議システムはまだ無理ですね。将来は、こういうのもできるようになるんでしょうか??
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とりあえずこれくらいでしょうか。
そのことが、相談活動(カウンセリング)と会議・ミーティングのやり方にどう影響するのか。項を改めて説明します。
今回の非常事態宣言。
STAY HOME戦略により、テレワークやウェブ会議システムが一気に注目を浴びるようになりました。
私は、以前はSkypeを、今はZoomを使って細々と仕事でも使っていましたが、今、多くの人が使い始め、一気に広がりました。
具体的にはオンライン・カウンセリングやオンライン学会についてのニーズが高まったので、私の経験と考えていることを書きます。
「ウェブ会議システム」と言っても、私が使ってるのは上記の二種類だけです。他にも色々あるようですが、ここでは主にZoomを念頭に置いてお話しします。他のシステムも似たり寄ったりでしょうし、今後、システムの使い勝手やできることは日進月歩でどんどん進化していくでしょうから、とりあえずZoomを例に現状で言えることを書きます。
メディア相談の歴史
直接の対面(face to face)ではなく、コミュニケーションの媒介となるものをひっくるめて「メディア」と言います。
マスメディアは新聞とかラジオとかテレビとか。
パーソナルメディアとしては、手紙、電話、ファックス、電子メール、SNS(ツイッター、LINE, Facebokとか)、そしてZoom、、、。
手紙や電話は昔からあったけど、インターネットの出現により、メディアの進化はここ20年ほどで加速されました。技術の進化に、人間の進化がついていけませんね。新しい技術を使いこなすのが大変です。
私は、メディアを使った相談活動を色々やってきました。
1971年に日本で「いのちの電話」がスタートした時は、「電話」で心理相談なんかできるものかと世の中は猜疑的でしたが、その後、電話による相談という概念が生まれました。私もいのちの電話には深く関わってきて、1997年(だったかな)から、電子メール相談を立ち上げました。
電子メールによる心理相談もその頃から試験的に取り組み、本も二冊書きました。
メディア相談も、それなりには使いこなすこともできるし、効果もあります。
(この辺りのウンチクもたくさんあるのですが、また別の機会に)
その後、現在に至るまで、私の心理臨床には積極的には取り入れていません。
やはりリアル(対面相談)とバーチャル(メディア相談)の差は大きく、やっぱりリアルの方が良いよねということで、オーソドックスな対面相談に戻っていました。
これまでのメディアと比較すると、Zoomは飛躍的に「リアル」に近づきました。中国や韓国では、日本以上にZoomの利用が進んでいて、私も2年前ほどから、中国の人々とカウンセリングやスーパーヴィジョンに利用してきました(通訳を介して)。その点、日本人はconservativeというか、あまり積極的ではありませんでしたが、コロナ禍のSTAY HOME作戦により、Zoomなどが一気に市民権を得て、多くの人々が恐る恐る使い始めました。私としては、従来からメディア相談には興味を持ち、新しい試みを色々進めてきましたし、私自身が都会から田舎に移住するので、オンラインで活動ができれば便利です。
と、前置きが長くなりましたが、本題の、Zoomのコミュニケーション特性について書きます。
従来のメディアとの比較
相手との繋がり方が、従来のメディアでは限られていました。
手紙や電子メールは文字情報のみ。
電話は音声のみで視覚情報はなし。
それにも関わらず、なんとか工夫して相談活動に利用してきました。
その点、Zoomは一気にリアルに近づきました。
使うまでは猜疑的な人がいるんですけど、実際にある程度使って、慣れたら、普通に対面で話しているのと遜色ないですよ。画像の解像度も音声も向上してきて、よく聞こえるし、表情などもよく見えます。だから、一対一で向き合う分にはほとんど問題ありません。でも、あえてリアルの対面と比較したZoomの限界をいくつか挙げます。
1)立体感がない(平面になってしまう)
遠近感がなくなります。
例えば、カメラの前でお辞儀するとカメラとの距離が近くなって、顔がグッとでかくなったりするんですね。
現実は三次元の世界ですがZoomだと二次元になります。
それが相手との距離感やリアル感に微妙に影響してくると思います。それは具体的にどういうことなのか、まだ私もまだうまく言語化できません。
2)目玉や首を振ることができない(広角の視野の欠如)
一対一で話し合っているときはほとんど問題ないことですが、複数の人と話そうとするときに問題になります。
人間の目はよくできているんですよ。ミクロ(ズームイン)とマクロ(ズームアウト)の両方の機能があります。網膜の中心窩付近の感度はよく、細かい字や表情までよく見え、その一方で辺縁の情報も、ほぼ180°くらい俯瞰することができます。感度やよくなく、ぼんやりとしか見えませんが、眼球や首を降ってそっちに中心を持ってくれば、すぐに詳しく見えます。こんなレンズやカメラはありません。
テレビのニュースのアナウンサーは正面を見ながら、下の方の机に置いてある原稿を読めるよう訓練するんですよね。あれもすごいですよ。
テレビのバラエティー番組など、たくさんのゲストがワイワイ喋り合ってる状況を放送するために、テレビカメラを何台も使って、会話に応じて切り替えます。でも、現場にいるディレクターやスタッフたちは、一つの(二つの)目だけで、複数のカメラの機能をやってのけます。
つまり、何を言いたいかというと、Zoomで3人以上複数の人たちと話し合う時に、リアルの世界との差ができます。つまりZoomで大人数の人たちと話し合う時、ひとり(二人くらいでもイイんですけど)ずつが大写しになった画面をタテヨコに分割して、モザイク状に写します。すると、個別の人との対話はできるのですが、全体を俯瞰できない。全体の場がどうなっているのか、場の雰囲気、グループのダイナミクスを観察できません。
一回、10人くらいが一つの部屋に集まってる全体像を広角レンズを使ってZoomやったのですが、すると一人ひとりが小さくなって表情が見えなくなります。やはりモザイク画面にしないとうまく会話できないんですよ。
3)複数の人たちとのワイワイガヤガヤがやりにくい
一対一にフォーカスした対話なら問題ないのですが、上記の特性のため、複数の人たちのグループの会議やおしゃべりはやりにくように思います。
複数の人たちが集まって交流する時、人間の目と脳は、テレビ収録の複数のカメラと同様に、首を振り、目をキョロキョロさせて、多人数の情報を一気に処理して、全体の空気を読み、誰の発言が重要で、誰の発言はノイズで、どこに注目して、その一方で他の人にも気を使い、全体をマクロに把握し、中心となる情報もミクロに把握します。
考えてみれば、これってすごいですよね。
余談になりますが、人間の感覚的にもこれは難しいです。
発達障害の人たちは、脳の認知機能的に、
ひきこもりや不登校の人たちは、対人関係の心理発達的に、
このような処理がうまくできません。
ここまでうまくできたテレビ会議システムはまだ無理ですね。将来は、こういうのもできるようになるんでしょうか??
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とりあえずこれくらいでしょうか。
そのことが、相談活動(カウンセリング)と会議・ミーティングのやり方にどう影響するのか。項を改めて説明します。
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