2013年5月31日金曜日

人間関係を修復するワザ

人と関わることは難しい。
離れている人、どうでもいい人、自分にとってそれほど重要でない人となら問題なくうまくいく(し、たとえうまくいかなくてもそれほど問題にならない)けど、大切な人が難しい。それは家族(親子とか夫婦とか)でも職場(仕事のパートナー)でも近い人、つまり家庭や仕事をうまくこなすために、お互いに必要としている相手だ。

「支配 vs. 服従」の上下関係なら葛藤は発生しない。下側の人が自分の意思を持たず黙って服従し、不満を抑圧するから。
ヨコの関係、つまりお互いに自分の考えを持ち、自分を主張しながら協働(collaborate)しようとすると、衝突する。

それをどうしたら乗り越えられるか?
いくつか重要な発想の転換が必要になる。
これらは転換してしまえば何のことはない、ごく普通のことなのだが、転換できるまえはとても困難、、、というか、そんな考えは論外と考える。

1、関係性の視点

まず、それが関係性の問題であるという認識を持たねばならない。
これが結構難しい。
いったい、なにが起きているんだろうか、、、?
それは、相手の問題性として認知する。
そりゃあ当然でしょう。
そういう状況では、相手方も相手の問題と認知していることが多い。
AはBの問題と認知し、BはAの問題と認知する。

その視点を変換できないと、「いや先生。これは関係性の問題とかじゃなくて、相手に問題があるんですよ!そこんとこ、先生わかってくれないと困るんですけど、、、」となってしまう。
「視点の転換」とかわけのわからない人は役に立たないから、「相手が悪い」という見方をしてくれる応援者を味方につけようとする。そうすると話が大きくなり、加勢する外野も加わってドロ沼試合となる。
お互いに相手を否定するという根本姿勢は変わらないためにいつまでたっても解決できず、力で屈服させるか、無視してその場から退くしか手段がなくなる。

その枠組みを根底から変えなければならない。

2.相対的な見方(真理の追究を諦める)

絶対的な見方では善悪の判断基準がある。法律、規約、正しいプロトコール、正しい夫婦のあり方、子どもの関わり方などがあらかじめ決められており、それに照らし合わせて合致しているか否かを検討する。
自分が正しいかはともかく、相手が間違っていることを実証する。
それは尤もなんです。
でも、人間関に関わる枠組みでは、その認知を根底から変える。

相対的な見方では、正しさ(真理)を追求しない。どっちが正しい・悪いという二分法を諦める。
良し悪しというのは状況によって変化するものだ。
相手が悪い(問題がある)と判断している自分自身も含めて俎上に載せると、そこには関係性の問題という見方が生まれる。

3.自分自身を相対化する

相手はダメだ。

なぜ?

そりゃそうでしょ。〇〇や××というエビデンスがあるから。

そうですね。それは間違っていないですよね、あなたの思考プロセスの中では。
つまり、

相手はダメだ。」と思う自分がいる。

えっ、私が間違っていると言うんですか?

いや、そうは言っていないでしょ。ここでは善悪はどうでもよい。
自分自身の思考プロセスを相対化する。

4.自己の限界を認める

いや、ホントは私が悪いと思っているんでしょ?

なかなか疑い深いですね。
そうです。
ホントは、あなたが悪いんです。
ではなく、あなた悪いんです。

自分のダメを認める。
ダメで良い。ダメな部分があって当然。それと同時に正しい部分もある。
100%の人も、0%の人も存在しない。ダメな部分とOKの部分が混在している。人によってその割合が微妙に異なるだけだ。

相手にダメがあるのだったら、自分にもきっとダメがあるのだろう。自分自身のダメを否認せずに見つめてみる。別にダメを見つけたからといって自信を失う必要はない。ダメでいいのだ。
ダメをダメと認めないのが一番ダメだ。
ダメをダメと自分で受け入れることができれば、否定されるべきダメさから、相対的なだれにでもあるダメさにパワーダウンする。

そして、それが相手に対する見方を変える文脈(コンテクスト)を与える。
自分のダメを認めれば、相手のダメを否定せずに理解しようという視点が生まれる。
相手はダメなはずという前提枠を外すことができれば、相手のダメな部分と良い部分が同等に見えてくる。

もっとも、この作業は結構難しい。若く、精一杯がんばりベストを尽くしたい状況では、自分を相対化できない。
自分のことに夢中だから、相手にも同様を期待し、相手の不完全さを許容できない。
自身を相対化して、振り返るためにはタメが必要。余裕がないとできない。
最前線から一歩退き、客観的に自分を眺めてみる。
自分自身に対してメタなポジションをとることは、結構むずかしい。

自分の限界を認めれば、相手を認めることができる。

5.自分の不安・恐れに気づく

なんで相手とうまくいかないのだろう?
相性が悪いのか、性格の不一致か。
それは言い訳に過ぎない。

その根底には不安・恐れがある。
〇相手に突っ込まれ、自分の痛いところを突かれるかも。
自分の中の大切なものを壊されてしまうかもしれない。
痛いところを隠さないといけない。
〇相手がいたら家庭がうまくいかない。子どもがうまくいかない。
〇相手がいたら仕事がうまくいかない。ポカをやってしまうでしょ。まわりの評価が気になる。
このような否定的な気持ちが自己を防衛し、そのまま相手に投影する。

そのプロセスに気づき、不安は不安のままで処理する。そうすれば、相手に投影しなくて済む。相手をフラットに眺めることができるようになる。

6.相手の懐に飛び込む

柔道で背負い投げをうまくかけるには、思いっきり相手の懐の中に飛び込むしかない。

そんなことしたら相手に批判されるかもしれない。
と、恐れて自己を防衛してはいけない。閉ざしてはいけない。開く。
自分は間違っているかもしれない。
ハイ、間違っているんですよ、たくさん。それで良いんです。
批判されても構わない。それを切り返す必要はない。そのままにしておいて構わない。

否定していた相手に近づき、相手の話をフラットに聴く。
思い切って肯定する可能性を残しながら。
もちろんダメな部分を見過ごすわけではない。
ダメはダメで構わない。無理に修正しようとせず、そのまま諦観しておきましょう。
それ以外の部分で、今まで見えなかったことが見えてくるかもしれない。

そうすると、ふとした瞬間に目からウロコ。
あ~、そうだったのね、、、
今まで絶対に腑に落ちなかった部分が、ストンと落ちる瞬間がある。
それが関係性が修復さた瞬間だ。

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7.第三者のファシリテート

以上のプロセスは、相手とのガチンコ勝負だとかなりきつい。
自助努力でできないことはないが、難しい時は第三者が支援する。
支援のコツは、双方がうまく試合を継続する文脈を作ること。
試合の渦中に第三者が入ってはいけない。どちらかの味方をしてはいけない。(下記の例外以外は)
折れそうになる両者を支え、試合を安全に、でも手加減せずに続けることを支援する。
試合に勝敗がついてはいけない。試合をするプロセスの中で、既存のルールにはなかった新しいルールを見つけ出すことが目的なのだから。
そのために必要なことは、

1)安全な土俵の整備
攻撃されて傷つく不安を回避するために、Aさんと支援者の安全な関係、Bさんと支援者の安全な関係を樹立し、維持する。

2)パワーバランス
どちらかが弱くて負けてしまったら試合は終わってしまう。
試合を継続させるためには、弱そうな方にちょっと味方をする場合もある。
ずっと味方をしていてはダメで、弱い方がエネルギーを持ち直したらすっと手を引き、双方だけの力で試合を継続させる。

2013年5月29日水曜日

家族を語り、自己を語る

先生とカウンセリングを始めてから、自分を持てるようになりました。

今までは、相手のことをいつも考えていたと思います。
一番に子どもたちのことを考え、次に夫のことを考え(、、、また、これも大変なんですけど、、、)、そして自分の親や夫の親のことも考え、そしてその次ぐらいにやっと自分のことを考えていました。

家族と一緒にいると、自分の世界でなくなってしまいます。
向こうが私を支配してしまいます。というか、私が勝手にそう思ってしまうのが悪いのですが。

今は、相手と一緒にいるけど、自分の世界を持てるようになった。

そう語るAさんは家族の中に解決しがたい問題を抱えています。
それも、ひとつではない、ふたつも、三つも。それぞれ別々の問題なのですが、それらがお互いに折り重なっています。
それも、今に始まったことではなく、Aさんが若い頃から、Aさんが結婚した当初から、Aさんの子どもが学生だったころからずっと抱えてきた問題です。
Aさんは、それらを解決したくてカウンセリングにやってきたわけではありません。
Aさんは、それらを整理したくてやってきました。

そうですね、いつも話の内容はご家族のことだけど、カウンセリングはAさんお一人ですものね。
自分のことをさておいて、家族のために生きてきました。
他者指向性。それは日本女性の伝統的な生き方です。
自分を家族のために捧げ、全霊を尽くしてきました。
それは、ある意味すばらしい生き方だと思います。
それがうまく成就されれば大きな幸せにつながります。
しかし、ひとつ間違えば大きな不幸にもつながります。

もっとも、Aさんは不幸とは感じていないと思います。
関連性の中で生きているAさんにとって、家族が辛いことであっても、生き甲斐であることには変わりません。

Aさんはカウンセリングでたくさん語り、また書いてきました。日記や手紙風に家族のことを書き、家族に関わってきた自分のことを振り返るように語り綴ってきました。
語る内容は家族のことだけど、語る主体はAさん自身です。

それを繰り返しているうちに、だんだんAさん自身が見えてきました。
自分という軸を再発見しました。
すると、今まで抱えていた問題も変わってきました。
客観的に見れば、何も変わっていません。
しかし、Aさんにとっての問題が大きく変わりました。
これまでは、問題がAさんそのものでした。
今は違います。問題とは別の位置にAさんが存在し、少し離れたところから問題を眺めるようになりました。
問題は、依然「問題」として存在し続けています。
しかし、Aさんはとても気持ちが楽になりました。

2013年5月27日月曜日

次世代のネット相談に関する提案

 インターネットは社会におけるコミュニケーション様式を、送り手から受け手へという一方向的な流れから、送り手と受け手が双方向的な流れに大きく変革した。インターネット相談の経験を踏まえ、今までの支援の在り方を振り返り、インターネットの双方向的な特性 を生かした新しい支援の考え方を提案する。
Web 2.0とはメディア関連の実業家であるTim O'Reillyが2005年ごろ提唱した概念で、従来の送り手から受け手への一方的な流れであった状態(Web 1.0)が、送り手と受け手が流動化し誰もがウェブを通して情報を発信できるように変化した仕組みのことだ。今までの消費者(情報の受け手)が書き手(情報の発信源)になったもので、たとえばGoogle(ロボット型の検索エンジン)、Wikipedia、Facebook, ブログ、ツイッターなどがその例である。その考え方を応用したのがGovernment 2.0(ガバメント2.0)であり、「市民と政府の関係を根本的に再編し、政府は自らサービスを提供するだけでなく、民間がさまざまなサービスを開発して提供するためのメカニズムそのものを提供するためのプラットフォームになる(Tim O'Reilly)」、つまり市民がネットを通じて政治や行政に関わる仕組みだ。この発想を我々の支援活動にも応用させたものが、「次世代ネット相談」の発想、いわば「Counseling 2.0」である。
 既存の相談活動では、支援者(相談員)と当事者(コーラー)が二極化していた。支援者は支援するための知識・経験・自覚を持ち、被支援者を守り、傷つけない責任を負う。そのために支援者側・被支援者側もプライバシーを守り、支援方法についての研さんを積んできた。一方、被支援者は悩みや問題を抱えた当事者として、支援を受ける立場である。支援の流れは支援者から被支援者へ一方向的であった。

 インターネット時代の新たな支援の考え方は、この二分法を脱構築する。人はだれでも支援者であると同時に当事者である。つまり人は誰しも当事者性(人生の生きづらさ、問題、否定的な体験)を持っている。だからこそ他者の心情に共感することができ、支援者性を発揮できる。それと同時に、問題や悩みを抱え支援を受ける側の当事者も、支援者性を発揮して他者を救う可能性を持つ。

 従来の支援はあくまで現実世界の中での活動である。対面(面談)が基本であり、電話やネットなどのメディアを介した支援は不十分あるいは不適切と考える。それが生かされるのは現実生活に直結した支援である。たとえば精神疾患などの医学的治療、身体的ケア(デイサービス、身体介護など)、暴力・危険からの保護(DV、児童虐待など)、経済的支援(生活保護、ライフプランニングなど)、就労支援(ハローワーク)、現実社会へ導くような支援(SST、デイケアなど)などである。
 一方、新たな考え方では、双方向性を重視するのでインターネット利用が向いている。電話・ネットなどのメディアでは現実に即した支援ができず、仮想世界の中で本人の主観的言語のやりとりのみの関係なので、自信喪失、孤立、社会的偏見・差別、過去のトラウマ情報不足といった心理レベルでの支援に効力を発揮する。具体的には、生きる悩み・自殺念慮、若者のモヤモヤ、子育て不安、高齢者の孤独、虐待、トラウマの後遺症(PTSD)、依存症(アルコール依存症、禁煙プログラム)、社会的マイノリティー(LGTB、在日)などが考えらえる。基本的に本人の気の持ちようで、前向きになることで問題解決する可能性を秘めており、そのプロセスを他者が横から支え、心理的にエンパワーするイメージである。
  • 人は、人との関わりの中で傷つき、問題や悩みが生じる。
  • 人は、人との関わりの中で救われ、心を癒すことができる。
 人と関わることは救いにもなるし、傷つける可能性もある。支援活動でも同様である。より後者を少なくして、前者を多くするために相談員は研修を受け、「支援者」としての質の向上に努めてきた。現行のネット相談もその伝統を踏襲し、複数の相談員によるシェアリングによって相談の質を高めてきた。従来の支援者vs.当事者という二分法はそのままである。
 しかし、そのことが相談員の負担を増やし、利用者の利便性を低下させてしまうことも否めない。相談員は丁寧に返信文を作り、複数の相談員でシェアリングするために、かなりの時間と労力を要する。そのために、限られた相談員数では多くの相談に対応することができず、受け入れる相談の数を制限せざるを得ない。コーラーは返事が届くまで待たねばならず、その間、次の相談を送ることができない。その一方で、何度も同じような相談を送り、何度も丁寧に対応しても進歩のない多数回コーラーに相談員は疲弊する。

 次世代の相談では、これらの弊害を極力少なくして、コーラーにとっても利用者にとってもより有効な方法を模索する。その一例として次のような方法を提案する。
  • 短い文章のやり取り(Twitterの140文字前後)
  • コーラーは返信を待たず、いつでも次の相談を何通でも送ることができる。
  • 即答性:より早く応答できるようにする。
  • 相談員はセンターに出向かず任意の場所から、任意の時間に、任意の頻度で活動する。
  • PCばかりでなく、スマートフォンやタブレット端末など、新たなメディアでも活動できる。
  • 相談文はすべての相談員に配信され、複数の返事が戻ってくる。返信数が多かったり少なかったり、ばらつきが出るかもしれない。
  • シェアリングは行わず、相談員個人の判断で自由に送信する。
 今の方式では相談員がセンターに集まり、シェアリングしてひとつの確実な返事を届ける。新たなやり方では、相談員はセンターに集まらなくとも、普段の生活の中で身近なデバイスを用いても活動し、シェアリングすることなく相談員個人として送信する。
コーラーにはより早く返事が届き、しかも多くの人から支援を受けることができる。ひとつひとつの返信はそれほど内容の濃いお返事ではないかもしれない。「いいね!」、「あなたのことを見ています」といったようなごく短い返事もありうる。それらを複数合わせれば、多くの相談員に見守られているという感覚を得ることができる。
シェアリングせずひとりの相談員の活動では不十分・不適切な返信も出てくるだろう。現存のやり方は研修やシェアリングなどにより支援の確実性を支援者側が担保しようと努力している。次世代の考え方では、コーラーにその選択を委ねる。市民相談員としての個性(当事者性)をそのまま相手に伝える。どのような返信が適切・不適切かをあらかじめ選択せず多様な個性をすべて伝え、どの返信がコーラーの心情に「ヒット」するかはコーラーの選択である。玉石混交の「個性的」な返信があっても、それが多くの妥当な返信の中で希釈されれば、コーラーも受け入れられるのではないだろうか。
また、相談に依存しているコーラーは、変化のない同じ悩みや相談事を何度でも送りたいだけ送信することができる。相談員としては、同じような多数の相談にひとつひとつ丁寧に返信できないとしても、送信されてきたことを知り、「あなたのことを見ている」といった短い返信であれば活動の負担も少なく、コーラーも多数の相談員によって見守られている感覚を得ることができる。
シェアリングは送信の前には行わない。その代り、届けられた返信文は相談員同士で共有する。つまり、相談員たちは、コーラーの相談文に加え、他の相談員からの返信文もすべて届けられる。相談員同士が送られた返信を読み合い、ネット上でサポートしあうことができる。この部分では、コーラーには見えない、相談員だけに届くサブグループを作る。つまり相談員は返信する活動を行いながら、同時に相談員同士でのサポートを受けることになる。そのことにより、返信文の質の高さはある程度保つことができるのではないだろうか。

実際の活動のイメージは、TwitterFacebookに近い。コーラーと相談員は各自のタイムラインを持つ。たとえば、次のような構成が考えられる。
  1. コーラーのタイムライン
    • 自分の相談文と、それに対する相談員からの返事
  2. 相談員のタイムライン
    • すべてのコーラーからの相談文と、それに対する相談員たちからの返事
    • さらに、相談員の返事に対するコメント。「いいね!」、「それは言い過ぎなのでは!」といったフィードバック。
    • このようにして、オンライン上でコーラーに届けた後の「シェアリング」を行うこともできる。
  3. 相談員とスーパーヴァイザーが話し合うタイムライン
    • 各相談事例や相談方法など全体的なことについて話し合う場所

世界崩壊体験


支援者という自分が、普段どんな感情を持ってクライエントや自分に向き合っているかなんて考えたこともなかったし、そこに目を向けることから避けていたようにも思います。確固たる哲学があってやっているわけでもなく、その場凌ぎでやってきた感じもあったので、目を向けたらボロボロと砂の城が崩れていってしまうのではないかと思っていたのかもしれません。そんなことが、今回のセッションで少しだけ見えてきた気がします。

「支援者の自己を振り返るWS」参加者のひとりからのフィードバックです。(掲載了承済み)

世界崩壊体験。
これはとても大切だと思います。 (精神障碍者の妄想体験ではなくて、、、)
今まで自分が準拠していた骨組みを脱いでみて、どんな枠組みなのか、その下にあるのはどんな自分なのかを点検する作業です。
ふつう、わざわざ好き好んでそんなことはやりません。でも、心の支援者(あるいは、その分野のプロフェッショナルを目指す人)がプロとしての自信を獲得するには必要なプロセスです。

なにしろ目を向けることを避けてきたわけですから。
目を向けたら、空っぽの自分を見いだして自信を失うかもしれません。とても不安です。
確固たる哲学を体系立てて組み立ててきたわけではないですよね。その場その場での断片的な学びや経験をとりあえず身にまとい、何とかその場を凌いできました。なんだかよく分からないままに、支援者としてやっていけるはずだという仮の自分を作ってきました。改めて、それを点検してみたら、いかにも継ぎはぎだらけの自分がバレてしまうかもしれません。バラさず、見ないでいた方が無難かもしれません。

Scrap and Build。
でも、真の自信は再建していくプロセスから生まれるんですよ。
継ぎはぎだとしても、なんとか枠組みがうまく成り立たせていた要のボルトが見つかるかもしれません。それは大きな安心につながります。
もしかして、何も見つからないかもしれません。それが不安だから崩したくないわけですけど。

今朝のNHKの天野アキちゃんもそうしたよね。
生まれて初の失恋を経験し、世界が崩壊しちゃっています。でも、若い彼女は一週間も経てば立ち直っていく(というストーリーのはず)だろうけど、現時点では完全な世界崩壊体験。我々も似たような経験があるから連ドラを見て共感できます。

村上春樹の作品(全部は読んでいないけど)の共通したテーマでもあります。突然、大切な支えを喪失するところからストーリーが展開します。

悩みや不安を抱えるクライエントさんたちも、自分が大切にしてきたものを失い、あるいは失うかもしれない恐れに立ち止まっています。それは、大切な家族、子どもの将来、夫婦の親密性、自分の子ども時代の宝、自分の将来の幸せ、、、などなど。

児童養護施設の子どもたちは壮絶だと思います。
安全で絶対的に準拠するはずの家族という愛着関係が崩れています。
そこから、どうやって立ち直り、安全な自分の骨組みを作っていくんでしょう。
うまくいく可能性も、うまくいかず失敗するリスクも、どちらも大きいです。

立て直すためには、まず崩れた(崩した)自分を見ないといけないんですよ。
それはとてつもなく不安です。
敢えて向き合うためには、とてつもなく大きな安心感(信頼感、支え)が必要です。

2013年5月25日土曜日

支援者の自己と向き合うワークショップ

さあ、今日から始まります。
あと1時間ほどで始まる前に、私自身、どのようにワークショップを進めるか、自分の考えと向き合っています。特に前もって定められたプロトコールがあるわけではありません。その都度、参加者とともにかじ取りしていきたいと思います。進めるのは私ではなく、参加するみなさんの力ですから。

「支援者の自己と向き合う、、、」
、、、って、どういうことですか?
どう向き合ったらよいのですか?
何に向き合ったら良いのですか?

この問いに、すぐに、何となくではあっても答えられる人もいるでしょう。
前々から思っていました。
自分は〇〇こ向き合いたいのです、、、と、自らお題を持ってきます。

良いですよ。この場所を使って、それを展開してゆきましょう。
まず、安全な場所を確保すること。
それが何よりも大切な準備作業です。

「支援者の自己と向き合う、、、」
、、、いやあ、よくわからない。
何となくその必要性は感じる、というかその大切さは理解できるけど、、、実際に何をどうしたらよいのか、よくわかりません。

そのような人もいるでしょう。
その場合、私がお手伝いしましょう。

自己と向き合うにはさまざまな方法があるのですが、ひとつの方法として支援者が日常関わる臨床経験から糸口を導き出すことができます。

もしクライエントを理性的・理論的にのみ理解しようとするのであれば、支援者は自己と向き合う必要はありません。感性を耕す必要はなく、たくさん勉強して、知識を仕入れて、理性を耕してください。
しかし、クライエントを感性的に、気持ちの動きを理解(というか共感)するのなら、まずその元となる自分の感性を耕すことが必須です。

どこを、どうやって耕すのでしょうか?

それを見出すカギは、普段の臨床活動の中に埋め込まれています。
Q)いったい私は支援者としてクライエントの中に、何を見ているのですか?
Q)いったい私は、その部分にどのような自己の体験を投影しているのですか?
結局、他者の中に見ているものは、他者という鏡に映し出された自分自身なのです。
それを明確にすることで、自然に自己と向き合うことができます。

これ以上は理屈で説明できませんので、具体例として私の場合をご紹介しましょう。
といっても、ここで紹介できるのは耕し済みのことばかりです。
現在、取り組み中の部分は残念ながらまだご紹介できません。

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問い)次の小問に答えながら「私が投影しているもの」を見つけなさい。
 小問1)私は、どういうクライエントと関わっているのでしょうか?
 小問2)私は、彼らにどのような眼差しを投げかけているのでしょうか?
 小問3)私は、そこに自分自身の体験をどのように投影しているのでしょうか?

★ひきこもりの若者たち:本人から話を聴く場合

私はひきこもる気持ちを本当にわかっているでしょうか?
⇒私自身は今も、若い頃も「本当にひきこもりたい」、、、というか「ひきこもざるを得ない」と感じた経験がありません。だから彼らの気持ちを本当にはわかっていないと思います。
でも彼らの心情を細かくみていけば、私自身の体験に通じるところがあります。

彼らは不安がいっぱいです。まわりの人たちに対して不安を抱きます。周りの人たちと渡り合える自信がありません。
⇒私にとって「自信」ってどんな具合だっただろう?
自信があった時もありました。自信がなかった時もありました。
今現在だって、半分は自信があり、半分は自信がありません。
自信を喪失した体験は多分いろいろあります。でもそれらを思い出し、語ることは辛いです。あまり思い出したくありません。
自分だけ場にそぐわないのじゃないだろうか。周りの人たちはわかっていることを、自分だけわかっていないんじゃないだろうか。
まわりは自分のことをどう見ているんだろうか。まわりから受け入れられているか不安だ。周りの人は自分のことをヘンと思っているのではないだろうか。あるいは、ぜんぜん無視して私の存在なんて気にも留めていないのでは?
自分だけ仲間から外されているんじゃないだろうか? 
だれも言ってくれないからわからないけど、そうかもしれないと思い込んでしまう過剰な自意識。
小学生の頃はそんな風に感じたことは多分ありませんでした。中学生・高校生の頃に一番強かった思います。大学に入ってからは、そんなことバカバカしくてあまり考えなくなった、あるいは考える必要がなくなったのだと思います。

彼らは、本来は自分の居場所であるべき所属する場所(学校や職場や友人関係、そして何よりも家庭)を自分の居場所として受け止めることができません。
⇒私がそう感じた体験はまだ耕されていません。断片的にしか思い出すことができません。
怖いし不安だった感触は何となく記憶しています。
それほど苦労せずに乗り越えてきたはず、、、としか思い出せません。

彼らは、まだそれを乗り越えていません。
⇒私はどうやって乗り越えたのでしょう?
よくわかりません。この部分を耕しても、多分成功体験しか出てこないような気がします。
当初は失敗していても、その後、なんとか成功に繋げた体験が多いと思います。
多分、イギリス留学時代、あるいは高校時代のアメリカ留学時代にもたくさん失敗を体験したと思います。これらは、まだ耕す余地がありそうです。

彼らは親に対する気持ちも語ってくれます
父親を毛嫌いしたり、反抗したり、衝突したり。
⇒私にとって父親は子ども時代は尊敬する人、思春期は反抗して乗り越えようとする壁でした。反抗した末に、乗り越えられたという実感も得たのだと思います。それは、いつだったか、この辺りはピンポイントで振り返ることができます。

彼らは母親に対して、「うまくいかないのは母親のせいだ!」と良く言います。
⇒私もその気持ちは良くわかります。
要するに「甘えている」んですよ。
自己責任をとれません。だって、母親が責任を先取りしてくれてしまいますから。親の私が悪かったって。口にはださなくとも、そう感じているのはわかってしまいます。
私にとって母親は無条件に受け入れ、泥沼のように吸い取ってくれる存在です。
だからこそ、私には安定した部分があるのだと思うし、とても感謝しています。
でも、そこから抜け出したいと思うし、この歳になっても抜け出せないとあきらめる気持ちもあります。
親に依存したくなる気持ちは私自身もよく体験しました。ものごとが順調な時は良いのですが、自信が打ち砕かれると親に頼り、親のせいにしたくなりました。

★ひきこもりの子ども:親から話を聴く場合
⇒私の3人の子どもたちは、今のところひきこもっていません。
だから、親の本当の気持ちは多分わかっていないと思います。
しかし彼らの気持ちをよく伺うと、私自身の親としての体験・気持ちと共通点が見つかります。

子どもを生み育てるって、どんな気持ちに直面するのでしょう。
⇒とても不安です。子どもが成長してちゃんと大きくなってくれるだろうか。
この子は大丈夫だろうか。
まわりから見れば「大丈夫よ。なぜ心配しているの?」と言われても、際限なく心配です。

両親の間で意見が異なり、折り合いがつきません。父親はもっと厳しくしなければ。母親はもっと優しくしなければ。。。ふたりとも必死です。
⇒私も必死でした。
過去形ではなく、今でも必死なのだと思います。
特に問題もなく、親の気持ちも平穏なときは両親で差があってもそれほど気になりません。しかし、たいへんだ、困った、このままではダメになる、、、などと危機感を持つと、親の余裕がなくなります。必死になると、他の意見を受け入れられなくなりました。相手が自分と同じように考えたり振る舞わないことが許せなくなります。

★夫婦間の問題
さまざまな問題・不一致で相談にやってきます。
彼らはちゃんとケンカできていないなと思います。相手を否定するだけ。
正しくケンカするって、とても大切だけど、とても難しいんですよ。
⇒私も苦労しました。
何度、「離婚しかないかなぁ、、、」と思ったか、、、。
ちゃんとケンカできていませんでしたね。面と向きあえなかったし、ホントに言いたいことを言えませんでした。
自分の中に「痛い」部分があります。それは、自信のなさ、恥、知られたくないこと、考えたくないこと、悲しいこと、辛いこと、、、などなど、とにかく自分でも見たくないことです。
自分でも見たくないものを相手に指摘されると、自分の大切にしているものを台無しにされたように感じます。すごくイヤです、、、

まだまだ私自身の話は続きますが、この辺で留めておきましょう。

要するに、こういう具合なんですよ。
「彼らは(クライエントは)、xxxxです、yyyyなんです、、、」
というように、支援者が相手に見ている部分(投影している部分)を自分自身に戻してみます。

「私は、xxxxですか? yyyyですか?」
そこから、支援者の自己を掘り下げる作業が始まります。

これは多種の掘削方法のうちのひとつで、他にも方法はあるのですが、割と有効な方法なので紹介しました。

2013年5月19日日曜日

ウェブページに投稿された「つぶやき質問」は、ここでお答えしたいと思います。ツイッターのように、200文字程度で質問やご意見をお寄せください。

そしたら、私の方で答えさせていただきます。どうぞいろいろなご質問・ご意見をお寄せください。サイトに立ち寄っていただく方々とのコミュニケーションを図りたいと思います。ただし、すべての投稿にはお答えできないと思います。私の方でウェブでみなさんに公開する価値があると判断させていただいたら、お答えを載せたいと思います。そうでない場合は、失礼ながらお答えを控えさせていただきます。悪しからずご了解ください。

質問したら、先生は必ず答えてくれるのですか?

いいえ。
必ずお答えできるとは限りません。
出来る限りお答えしたいとは思いますが、
お答えするか、お答えしないか。それは私に判断させてください。