離れている人、どうでもいい人、自分にとってそれほど重要でない人となら問題なくうまくいく(し、たとえうまくいかなくてもそれほど問題にならない)けど、大切な人が難しい。それは家族(親子とか夫婦とか)でも職場(仕事のパートナー)でも近い人、つまり家庭や仕事をうまくこなすために、お互いに必要としている相手だ。
「支配 vs. 服従」の上下関係なら葛藤は発生しない。下側の人が自分の意思を持たず黙って服従し、不満を抑圧するから。
ヨコの関係、つまりお互いに自分の考えを持ち、自分を主張しながら協働(collaborate)しようとすると、衝突する。
それをどうしたら乗り越えられるか?
いくつか重要な発想の転換が必要になる。
これらは転換してしまえば何のことはない、ごく普通のことなのだが、転換できるまえはとても困難、、、というか、そんな考えは論外と考える。
1、関係性の視点
まず、それが関係性の問題であるという認識を持たねばならない。
これが結構難しい。
いったい、なにが起きているんだろうか、、、?
それは、相手の問題性として認知する。
そりゃあ当然でしょう。
そういう状況では、相手方も相手の問題と認知していることが多い。
AはBの問題と認知し、BはAの問題と認知する。
その視点を変換できないと、「いや先生。これは関係性の問題とかじゃなくて、相手に問題があるんですよ!そこんとこ、先生わかってくれないと困るんですけど、、、」となってしまう。
「視点の転換」とかわけのわからない人は役に立たないから、「相手が悪い」という見方をしてくれる応援者を味方につけようとする。そうすると話が大きくなり、加勢する外野も加わってドロ沼試合となる。
お互いに相手を否定するという根本姿勢は変わらないためにいつまでたっても解決できず、力で屈服させるか、無視してその場から退くしか手段がなくなる。
その枠組みを根底から変えなければならない。
2.相対的な見方(真理の追究を諦める)
絶対的な見方では善悪の判断基準がある。法律、規約、正しいプロトコール、正しい夫婦のあり方、子どもの関わり方などがあらかじめ決められており、それに照らし合わせて合致しているか否かを検討する。
自分が正しいかはともかく、相手が間違っていることを実証する。
それは尤もなんです。
でも、人間関に関わる枠組みでは、その認知を根底から変える。
相対的な見方では、正しさ(真理)を追求しない。どっちが正しい・悪いという二分法を諦める。
良し悪しというのは状況によって変化するものだ。
相手が悪い(問題がある)と判断している自分自身も含めて俎上に載せると、そこには関係性の問題という見方が生まれる。
3.自分自身を相対化する
相手はダメだ。
なぜ?
そりゃそうでしょ。〇〇や××というエビデンスがあるから。
そうですね。それは間違っていないですよね、あなたの思考プロセスの中では。
つまり、
「相手はダメだ。」と思う自分がいる。
えっ、私が間違っていると言うんですか?
いや、そうは言っていないでしょ。ここでは善悪はどうでもよい。
自分自身の思考プロセスを相対化する。
4.自己の限界を認める
いや、ホントは私が悪いと思っているんでしょ?
なかなか疑い深いですね。
そうです。
ホントは、あなたが悪いんです。
ではなく、あなたも悪いんです。
自分のダメを認める。
ダメで良い。ダメな部分があって当然。それと同時に正しい部分もある。
100%の人も、0%の人も存在しない。ダメな部分とOKの部分が混在している。人によってその割合が微妙に異なるだけだ。
相手にダメがあるのだったら、自分にもきっとダメがあるのだろう。自分自身のダメを否認せずに見つめてみる。別にダメを見つけたからといって自信を失う必要はない。ダメでいいのだ。
ダメをダメと認めないのが一番ダメだ。
ダメをダメと自分で受け入れることができれば、否定されるべきダメさから、相対的なだれにでもあるダメさにパワーダウンする。
そして、それが相手に対する見方を変える文脈(コンテクスト)を与える。
自分のダメを認めれば、相手のダメを否定せずに理解しようという視点が生まれる。
相手はダメなはずという前提枠を外すことができれば、相手のダメな部分と良い部分が同等に見えてくる。
もっとも、この作業は結構難しい。若く、精一杯がんばりベストを尽くしたい状況では、自分を相対化できない。
自分のことに夢中だから、相手にも同様を期待し、相手の不完全さを許容できない。
自身を相対化して、振り返るためにはタメが必要。余裕がないとできない。
最前線から一歩退き、客観的に自分を眺めてみる。
自分自身に対してメタなポジションをとることは、結構むずかしい。
自分の限界を認めれば、相手を認めることができる。
5.自分の不安・恐れに気づく
なんで相手とうまくいかないのだろう?
相性が悪いのか、性格の不一致か。
それは言い訳に過ぎない。
その根底には不安・恐れがある。
〇相手に突っ込まれ、自分の痛いところを突かれるかも。
〇自分の中の大切なものを壊されてしまうかもしれない。
〇痛いところを隠さないといけない。
〇相手がいたら家庭がうまくいかない。子どもがうまくいかない。
〇相手がいたら仕事がうまくいかない。ポカをやってしまうでしょ。まわりの評価が気になる。
このような否定的な気持ちが自己を防衛し、そのまま相手に投影する。
そのプロセスに気づき、不安は不安のままで処理する。そうすれば、相手に投影しなくて済む。相手をフラットに眺めることができるようになる。
柔道で背負い投げをうまくかけるには、思いっきり相手の懐の中に飛び込むしかない。
そんなことしたら相手に批判されるかもしれない。
と、恐れて自己を防衛してはいけない。閉ざしてはいけない。開く。
自分は間違っているかもしれない。
ハイ、間違っているんですよ、たくさん。それで良いんです。
批判されても構わない。それを切り返す必要はない。そのままにしておいて構わない。
否定していた相手に近づき、相手の話をフラットに聴く。
思い切って肯定する可能性を残しながら。
もちろんダメな部分を見過ごすわけではない。
ダメはダメで構わない。無理に修正しようとせず、そのまま諦観しておきましょう。
それ以外の部分で、今まで見えなかったことが見えてくるかもしれない。
そうすると、ふとした瞬間に目からウロコ。
あ~、そうだったのね、、、
今まで絶対に腑に落ちなかった部分が、ストンと落ちる瞬間がある。
それが関係性が修復さた瞬間だ。
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7.第三者のファシリテート
以上のプロセスは、相手とのガチンコ勝負だとかなりきつい。
自助努力でできないことはないが、難しい時は第三者が支援する。
支援のコツは、双方がうまく試合を継続する文脈を作ること。
試合の渦中に第三者が入ってはいけない。どちらかの味方をしてはいけない。(下記の例外以外は)
折れそうになる両者を支え、試合を安全に、でも手加減せずに続けることを支援する。
試合に勝敗がついてはいけない。試合をするプロセスの中で、既存のルールにはなかった新しいルールを見つけ出すことが目的なのだから。
そのために必要なことは、
1)安全な土俵の整備
攻撃されて傷つく不安を回避するために、Aさんと支援者の安全な関係、Bさんと支援者の安全な関係を樹立し、維持する。
2)パワーバランス
どちらかが弱くて負けてしまったら試合は終わってしまう。
試合を継続させるためには、弱そうな方にちょっと味方をする場合もある。
ずっと味方をしていてはダメで、弱い方がエネルギーを持ち直したらすっと手を引き、双方だけの力で試合を継続させる。