2017年2月8日水曜日

高学歴家族の自尊心

自尊心 Self-Esteem 
=自分に自信を持ち、自分のやっていることに誇りを持てること。

人は、自尊心がないと前向きに生きていけません。
とても大切なものです。
それをどう作って、どう調整するのか。
人生のハードルをいくつも越え、成功と失敗を繰り返しながら、自分の身の丈にあった自分、肯定できる自分が作られます。
しかし、それは思春期の子どもたちにとっても、そしてそれを見守る親にとっても簡単ではありません。
越えるべきハードルが高いのが高学歴家族です。それを飛ぶことができないと、前に進めなくなります。その高さは、微妙に調整しなくてはなりません。しかし、それは難しいことです。
私の家族を例にして、お話ししましょう。

<<息子の自信獲得>>

自分で言うのも変ですが、うちは典型的な高学歴家族です。
私も、妻も、両親も、子どもたちも、いとこたちも、みんなA級の高校・大学に進学しました。
家族によって設定された高いハードルを飛び越えることが期待されます。
しかし、末っ子の次男はそのレベルに達していません。
次男は兄・姉と同じようなA級都立高校に挑戦して、落ちました。
彼は、まだ自己万能感の世界の中にいました。根拠もなく、自分は当然、受かるつもりでいました。

父親と見に行った合格発表に、彼の受験番号はありません。
父親である私は、呆然として落胆を示しました。
次男は「オヤジ、そんなに落ち込むなよ!」と慰めてくれました。
その直後の帰り道、彼の堪えていた涙が突然吹き出しました。

以来、彼は自信を得られずに、もがいている。。。と、親は勝手に見ています。
本人がどう感じているかは、分からないのに。

現在、次男は大学受験の真っ最中です。
彼は滅多に自分を表現しません。典型的な思春期男子です。私自身もそうでしたから。

父親が、「どこを受けるんだ?模試の結果を見せろ!

と言っても見せようとしません。
しつこく言って、やっと見せた模試結果の志望校は全てF判定でした。
そりゃあ、親に見せたくないよな。

ところで、第一希望はどこなんだ?

まだ、決めてない。

決めてないわけないだろ。
でも言ってしまって、そこを落ちたときのことを考えてるんだろう。
だから、親には言わない。
自信なんか、ぜんぜんないよな。

3年前の高校受験は本命と滑り止めと2校しか受けませんでした。
今回の大学受験は8校受けるようです。
どこを受けるのか、すべて本人が決め、親に干渉させようとしません。

これから連続で始まる受験の初日、朝起きてきて、

おやじ、ハンドパワーをくれよ!

と、握手を求めてきました。
普段は無口で、親が話しかけても答えず、ほっといてくれよと、身体が触れることさえ嫌い、距離を置こうとする次男にとっては青天の霹靂です。
彼にとってもよっぽど心細かったのか、緊張していたのでしょう。

次男は頑張っています。
塾や予備校を勧めても、父親が英語を教えてやろうと言っても、すべて断り、自分でやると言います。
自立したいだけなんだ。
自分の足で立ちたいんだ。

彼が選んだ大学は、すべて彼の身の丈にあったB級大学です。
ふつう、一個くらいはちょっと上の大学を受けるだろう。
誰だって、背伸びしたいものです。夢は捨てられない。
しかし、彼は、ちゃんと捨てています。10割から7割に縮んだ自分を受け入れているのだろうか。
だとしたら、父親が未だに解決できていない葛藤を、すでに乗り越えていることになります。

いや、そんなエラいもんじゃないのか。
ただ、気が弱いだけなのか、背伸びしたくないのか。
自分に制限をかけているのか。
それとも、大学の序列とかどうでもいいと思っているのか。
受験生たちには、直近の目の前にあるハードルしか見えません。AとかBとかその高さは関係なく、ただ、目の前に置かれたハードルをなんとかクリアしたいだけなのでしょう。
そのハードルが、社会や親族の中でどんな意味を持つかなんて、もっと後からやってくるのでしょう。

次男は高学歴家族がどうのこうのなんて、考えちゃいないのかもしれません。
親の私が気にして、勝手に不安がっているのでしょうか。
その不安を子どもに投影してしまうと、子どもがせっかく飛べたハードルの意味を壊してしまいます。そんなハードルは価値が低いと親が評価すると、子どもは成功体験を得られません。
AとかBとかという価値は、世間からやってくるように見えるけど、実は家族からやってくるものです。

どうやって彼は自信を獲得していけるんだろう?
私にはわかりません。
それが父親の不安です。
なぜなら、私自身に、その経験がないからです。

そんな、難しいことごちゃごちゃ言わないで、
ただ単純に彼が飛び越えたものを承認すれば良い。
頭ではそう考えますが、自信がありません。

来週、次男は、きっと、どこかの大学に受かるでしょう。
私はそれを、大いに祝福してやりたい。
浮ついた言葉ではなく、心の底から伝えたい。
そのためには、自分自身の心をもう少し深く点検しなければなりません。

〜〜〜

<<父親の自己万能感の再調整>>

幼児は、すべて自分の望みが叶うという幼児的自己万能感に浸っています。
100%の自分でいたいと願うことで、基本的な自己肯定感が生まれます。
そして、成長する中で、プライドが傷つき、100%から70%、60%と縮小せざるをえなくなります。それを受け入れることにより、ピーターパンの世界から現実の世界に降りて来ます。
傷つきを受け入れ、傷ついた自分を受け入れることによって、本当の大人になれるのです。

そういう意味では、もしかしたら私はまだピーターパンの世界にいるのかもしれません。
自分自身では、「なりたい自分」を成就してきました、、、というかできちゃった。
まだ本当の挫折を知りません。
私は、「学歴」というちっぽけな、しかし日本社会では大きな幅を利かせている価値を頼りに自尊心を築いてきました。

進学高校⇒高校アメリカ留学⇒国立医学部・大学院⇒英国留学⇒国立大学教授⇒開業医、、、

自尊心を作っていく過程は、自分自身のみに終わらず、自分の延長である家族にも及びます。それが、子どもたちの成長を見守る姿勢に現れています。
うちの家族の通過儀礼のハードルはA級なんだ。それを飛べて一人前になる。
それを子どもたちに期待して、承認を与えてきたように思います。
そんなこと、誰も決めていないのに、私の自己万能感の中に自動的に組み込まれています。
では、Bのハードルを飛んだ次男に、どうやって承認を与えるのか?
そんな、単純な、当たり前ことが、実感できません。

今、私自身の自己万能感を、再調整する時なのです。

大学の偏差値って、いったい何の意味があるんだ!?
昭和の高度経済成長時代の終身雇用制度では、大学のランクが就職先のランクに直結して、生涯収入額と幸せの量にも比例していたのでしょう。
豊かさを十分成就してしまった今の日本社会では、その世間的価値もとっくに崩れています。
一部上場企業に行っても、つぶれるし、人々は転職が当たり前だし、うつ病だって、過労死だってあります。医者や弁護士になったって、アルコール依存も、DVも、家庭崩壊もあります。そういう人たちを、私はたくさん知っています。

だのに、私は形骸化した価値観に、未だに縛られています。
それは、私自身が、その価値観に準拠して自尊心を作り上げてきたからです。
ちっぽけな、現代日本という狭い時代の狭い社会にしか通用しない準拠枠をすべてだと思い込んできました。

講演会では、司会者が私のプロフィールを紹介してくれます。

田村先生は、○○大学医学部をご卒業、博士号を取得された後、イギリスに渡り、○○を学びました。6年前に○○年間奉職された○○大学の教授を早期退職され、西麻布に精神科クリニックを開業されました。。。

これが、私の自尊心の根拠なわけ?
人より抜きん出ることが自尊心ですか?
業績が、自尊心ですか?
なんか、それって薄っぺらな自尊心じゃないかしら?
人と比較しないと、自尊心を持てないの?
人と比べて、自尊心を持つの?
そういうの、エリート意識っていうんじゃないの?

いや、そうじゃないんだ。
自尊心を得るためには、二段階が必要なんです。

1)何かを達成する。
ストレートに達成しても良いんだけど、もっと深いのは挫折し、失敗して、自尊心が傷つき、万能感が打ち砕かれた後に、再度立ち上がり、別の何かを達成します。
何らかの努力は必須です。それがないと、他者は承認する根拠が得られません。
空手形の誉め言葉ではダメです。

2)それを承認する他者がいる。
「よくできた。素晴らしい!」
という言葉があって、それが達成であることが初めて意味づけされます。
遠くの世間の人から賞賛を得るには、何かで抜きん出ないといけません。誰もがそれをできるわけでもないでしょう。
近くの人の方が大切です。身近で、自分にとって大切な人、自分のことをよく理解してくれる人からの承認が必要です。それは家族です。

▲世間からたくさんの承認を受けているのに、身近な家族から受けていない人は、寂しく。孤独を感じています。
●世間には全く知られないけど、身近な家族から承認を受けている人は、どこか満ち足りています。
幸福は世間からではなく、家族からやって来ます。

さあ、次男、頑張れ!!
諦めず、努力しろ!!
しかしどこかで限界を認めなくてはなりません。
エベレスト登頂では、勇気ある撤退が必要です。せっかくたくさんのお金と時間をかけて頂上を目指すが、隊長は気象条件と隊員の疲労度を考え、判断します。
ここで無理をすると遭難する、いや、しないかもしれない、でも危険だ。もともと登頂なんて危険なはずなのに。
判断するには、相当な勇気が必要です。
そして、撤退します。

次男は山を撤退したわけじゃない。
彼が選んだ山を登ろうとしているだけです。
彼はよく選べたと思う。
家族の伝統を意識したら、3000m級の北アルプスを目指さなければなりません。
しかし、彼は既に傷つきを受け入れ、自己万能感をリサイズできています。
ちゃんと2000m級の奥秩父を目指しています。

すごいじゃないか。父親より、兄・姉より、お前は人間が出来ているぞ。
そのはずだ。父親は、おまえを信じている。

次男の達成を、心から祝福してやろう。

おまえは、素晴らしい人間だよ!!

それを、早く伝えたいよ。

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