2012年9月7日金曜日

成長痛

そのまま成長しても良いよ。
何があっても、きっと大丈夫だよ。
傷ついても、傷つけても、きっとなんとかなるよ。
信頼して、安心して、見守っているよ。

思春期の子どもは、このようなメッセージを必要としている。
成長するって、ホントはとても不安でたまらない。
今までの馴染みの世界を失うことになる。自分はダメなんです。助けて、守って、保護してよ、お願い、、、と言えなくなってしまう。
ソトの世界は不安に満ちている。失敗するかもしれない。いじめられるかもしれない、傷つけられるかもしれない。逆に誰かを傷つけてしまうかもしれない。
傷つくことを恐れてはいけない。いじめられるかもしれない、仲間はずれにされるかもしれないと、先回りして心配しすぎてはいけない。

私は高校時代、海外に留学したくてたまらなかった。
中学の担任の先生に相談すると、高校留学した教え子の先輩に会わせてくれて、話しを聞くことが出来た。飛び出すことを認めてくれた。
高校の担任に相談すると、おまえそんなことしたら大学に行けなくなるぞと反対された。飛び出しを抑え込まれた。
父親に相談したら、「行ってこい!」と認めてくれた。
母親は心配するばかりで相談にならなかった。それももっともだろう。17歳の子どもが手の届かない遠い異国に行ってしまうなんて、喪失体験以外の何ものでもなく、母親にとっての想像の範疇を越えた世界だったのだろう。
こうやって振り返ると、私はそのころずいぶん親に心配をかけていたのだろう。高校山岳部でよく北アルプス、南アルプスに登っていた。山育ちの父親にとって登山は馴染みの世界だが、海育ちの母親にとって登山は体験したことのない分からない世界だ。知り得る情報は時々入る山岳遭難のニュースくらいだろう。でも、私は山に登ってしまった。岩登りこそしなかったが、一度山スキーで遭難しかけたことがあった。父親には話せたが、母親には話せなかった。高校を卒業しても山を続け、遭難し亡くなった後輩が二人もいる。

よくわからないけど、きっと大丈夫。どうにかなるよ。

子どもはそういう自信を始めから持ってはいない。
他者から与えられなくてはならない。
親が、まわりの大人たちが、そのようなメッセージを伝えられるか。

学校にも行かず、仕事もせずひきこもっている子は、人と交わることに、仕事を一人前にこなせるか、まわりから認められるかどうか、大きな不安を抱えている。

おまえはいったいこれからどうするつもりなんだ?将来のことについてどう考えているんだ?
ひきこもっている子どもにこう尋ねることは禁句とされている。そこは、一番痛い部分、本人にとっての不安の塊の部分である。普段の日常会話、サッカーやスポーツや世界情勢は今晩のおかずの話はできるけど、核心の話はできない。それを親が口にしたらもうたいへん。子どもはイライラして、こうなったのも親のせいと親を責め、そんな話をするなら部屋に閉じこもってもう口をきかないと拒絶する。

大丈夫。おまえなら出来るはずだ。心配しなくても良い。
失敗しても良い、傷ついても良い。100%の無垢で完璧な自分でなくても良い。傷ついて縮小してしまったおまえで構わないのだ。

親がこのようなメッセージを伝えるためには、まず親自身が子どもの将来について「きっとどうにかなるよ!」という安心のヴィジョンを持つことが先決だ。親が子どもの将来を悲観し、内心は心配で一杯なのに、口先だけで「働きなさい。家を出なさい」と伝えたら、親の不安感を子どもに投影していることになる。子どもはますます不安になり、ますます気持ちが荒れる。拷問に等しい。

人は傷つくことに敏感だ。鈍感であっては危険すぎる。不安感は自分を守るために必要な感情だ。不安がなくなると山で遭難する。不安が大きすぎるとひきこもる。
人は傷つくことが必要だ。安全に傷つくこと。危険に傷ついて命を落としてはだめだ。100%自分の思い通りにはいかない。妥協しなければならない。でもそれで良いじゃないか。ダメな自分を認めれば良いのだ。大丈夫。傷ついても良いから前に進んでごらん。見ていてあげるから。
そのような安心のまなざしを子どもに向けてあげる。

親は子どもが傷つくことに敏感になりすぎてはいけない。
子どもを傷つけても良いのだ。傷つけて、ダメ出しをして、傷ついた子どもを受け入れてあげる。傷ついても良いのだと承認する。
ホントに傷ついても大丈夫なの?
傷ついたら立ち直れなくなってしまうのでは、子どもがダメになってしまうのでは?子どもを守らなくては。
親は子どもを守らなくてはならない。思春期に入る前の小さな子どもに対して。
親は子どもを傷つけなくてはならない。思春期から大人に成長しようとしている子どもに対しては。
ホントに大丈夫ですか?
大丈夫かどうかはわからない。
というか、ホントは親自身、自分の体験でわかっているはずだ。親自身が、自分の人生体験の中から見出さなければならない。
親が人生のどこかで傷つき、その結果今がダメなら、きっと傷つけてはいけない。
親が人生のどこかで傷つき、その結果今がどうにかOKなら、きっと子どもを傷つけても大丈夫。
子どもを安全に傷つけるためには、まず親自身が自分自身の傷を克服していなければならない。

親が自分の痛みを振り返り、傷ついてもOKであることを確認する。
親自身が傷ついても立ち直れることを確認する。

セラピスト(私)は親に対して「傷ついても大丈夫。何とかなるよ」というメッセージを伝える。
そうすれば、親が子どもに対して「傷ついても大丈夫。何とかなるよ」というメッセージを伝えられる。
そうすれば、子どもは傷つく不安を乗り越えて、前に進むことが出来る。

親子が不安の相互キャッチボールにはまっているとき、セラピストはあえてそこに介入し、安心のボールにすり替える。安心と希望はじっとしていても生まれてこない。だれかが、第三者が、そこに投げ入れなければならない。

私自身の思春期を振り返ると、母親は愛情と安心を与えてくれたけど、未知の世界に飛び出す勇気は与えてくれなかった。父親が与えてくれた。
そういう意味でも、私の考え方は父性的なのだと思う。

子どもを支える大人の関わり方


本日のフォーラムは350人以上の参加者で熱気にあふれていました。
前半は「元ひきこもり・元不登校」そして「ひきこもりの父親」という「当事者」の飾らない率直な体験談が、参加者を勇気づけたと思います。

後半の私の話は、いつになく力が入ってしまったかな。当初は学校の先生などの「支援者」が多いと想像していたのだけど、半数以上は一般参加者、つまりひきこもりの家族・親ということです。それだけ注目されているんですね。そういう方々に元気になってほしい、希望を持ってほしいと、冷静な話というより、熱の入った演説調になってしまいました。

 親子の不安の連鎖をどう断ち切るか、不安から安心へ、さらに一歩進めて「希望」をどう醸成するのか。そのためには孤立していてはいけない、震災の「絆」をキーワードに連携していくことの大切さをお伝えしたいと思いました。

不登校・ひきこもり支援の考え方も一昔前に比べて進化してきたように思います。
今までは不安から安心へというメッセージ。つまり家族内の不安の連鎖とイライラ・暴力などを断ち切るために「安心してひきこもれる環境を」というメッセージでしたが、今日のテーマとなったことは、どう親が(教師が)外に連れ出すことができるか。時期を間違えればダメなのですが、上手くいかなかった体験から何もできなくなっている周りの人たちを勇気づけ、外に出ても良いんだよという父性的なメッセージを伝えても良いんだよと、保護者の方々、学校の先生方に伝えようと思いました。

ウチ(巣に居るひな鳥)からソト(巣立ち)へ。そこにまつわる不安と勇気づけというモデルは私の定番でよく使うのですが、少し修正したいと思います。
鳥の場合、あるいは欧米の家族の場合、巣立った後の古巣はそれほどの役を果たしませんが、我々の場合、けっこう重要な役目を果たすのだと思います。まだ恐る恐る飛び始めた若鳥にとって、こんな飛び方でいいのだろうか、ふと不安になって振り返る瞬間に、遠くから見守り、「大丈夫、それで良いんだよ。心細くなったら帰っておいで。」と言ってあげる親鳥が必要なんですね。高校で迷った時に、指針を与えてくれる卒業した中学の恩師のように。「帰ってもいいよ」と言われれば安心して帰らず、「帰るな」と言われれば帰りたくなってしまいます。
あと、高齢化の時代、親鳥の人生は巣立った後も延々と続きます。若鳥は自分が飛べているだろうかという不安と共に、巣立った後の親鳥がどうなっているだろうかという不安も抱きます。自分が雛として親鳥の生きがいを与えてきたのだから、巣立ったら親鳥はどうなるんだろうという不安が、飛び立つ勢いを削いでしまいます。親鳥が安心して雛鳥を離す力、そして子育て役割を終えたってひとりの鳥としてちゃんと安定してやっていけるんだよということを見せてあげることが大切なのですよね。講演を終えて、そんなことを考えました。

2012年8月24日金曜日

私的休暇論

(4−5日前)
Long Vacationが終わった。明日から仕事に復帰。
楽しかった。良い休暇だった。でも、結局すごく一生懸命休暇を過ごしてしまうんだよな。もっとのんびりしたい。何もせず、何も考えず、身体と心を休めたい。
だけどそれができないんだ。楽しいことを必死に行動して、いろんなことを考えて、精一杯「休暇」してします。
ふだん、イソイソと仕事をしているのと基本的には変わらないじゃないか。
その対象が仕事か遊びか、その違いだけ。まあそれは大きいのだけど。
リラックスできる場所を確保したら、何もせず、のんびりポカンとしたい。どこかのリゾートに着いたら何もしないでいたい。でも実際は原稿を書き始めるか、本を読むか、うろちょろ出歩くとか、なにかをしないといられない。まあそれでも良いのでしょうかね。

(今)
韓国ソウルに来ています。
仕事は明日一日だけなんだけど、昨日から入り、今日は体調の調整。と言っても日本と時差はないし、沖縄より近いくらいの距離ですけど。
半分仕事で、半分休暇。研究者・大学の先生の学会出張って、仕事という名目の気晴らしみたいなところもありますからね。

休暇って何?
その目的は何?

★リフレッシュ=普段の疲れを取る。
普段の疲れがたまってくるとさんざん使い込んで汚れた下着、水分が抜けてしぼんだ果物のようにヨレヨレになっちゃう。それを洗濯して汚れを取って、再び新鮮な状態によみがえらせる(re-fresh)わけ?
ヨレヨレになるのは身体?、それとも心?
➡大学教師時代には教育と研究と雑用と大学以外の仕事と、、、繁忙で目が回って、睡眠不足で、必死だけど何がなんだか分からなくなって、仕事の質が下がって、自己嫌悪に陥って、、、という悪循環にはまることが多々あった。開業してからは仕事を選べるのでそういうことはあまりない。ホワイトカラーは身体よりも心をリフレッシュさせることが大切で、運動不足の身体は逆に少し活性化してという具合でしょうか。
いずれにせよ、最近ヨレヨレ感はもうない。休暇とらなくてもやっていけるの?

レジャー=好きなことを楽しむ。
普段できないことをする。
何が好きかによりますね。
➡スキー、テニス、リゾートビーチでダイビング。運動系は大好きですね。しまなみ海道サイクリングは最高でしたよ!
旅行して物見遊山、きれいな自然とか美術館とか世界遺産とか観光するのも楽しいんですけど、ただ訪ねるだけ、観るだけってあまり好きじゃない。それよりは人との出会い、例えば学会で新しい人と出会い意見交換して懇親してみたいな方が楽しいかな。

★暇つぶし=することないから何かする
パチンコみたいな?
タクシーの運ちゃん「お客さん、これから休暇ですか?良いですねえ。私は休暇は1日だけですよ。でも休暇もらっても一日することないですからね。仕事してた方が楽ですよ。」
羅臼の漁師さんは3ヶ月の鮭マス漁で一年分を十分に稼ぎ、冬場は出稼ぎする必要もなくパチンコしてるんだって。
子どもたちも休みに入ると「ヒマだ〜!」と叫んでいる。
➡私の場合、ヒマということはありえないですねえ。やるべきこと・やりたいことが山積みだし、休暇に入ってもヒマ状態にもっていくことは不可能。何かを必死にやってしまう。
やる気がなくなっちゃう(うつ状態)ことも想像できない。

大切な人と一緒に過ごす時間
親密な時間。
新婚旅行って何かとってつけたようで緊張しますよね。 
普段一緒にいてもすれ違いの毎日。他の用事を切り捨てて、一緒の時間を持つことが出来れば、大切な人のホントの大切さを確認できる。でも、向き合ったらケンカが始まるリスクも覚悟しなければなりませんが。
➡確かにガチンコ勝負だと疲れますね。観光とかグルメとか、相手との間に共通に楽しめることを挟めば、大切さを呼び戻しリニューアルしてくれる最高の時間です。

家族旅行 
家族も大切な人たちですから。日常ではそれぞれの役割・仕事に関わりすれ違いの毎日。そういう役割・仕事を切り離して家族の時間を持つのは楽しいですね。
子どもたちは「遊ぶ」ことが仕事。遊園地とか海水浴とかとにかく行動する。ゆっくりなんかしたくない。大人は逆に休みたい、ゆっくりしたい。あるいは、それぞれに特化した趣味・楽しみたいことがある。男性・女性、ジェンダーでその好みはたいてい違いますからね。男性が女性の買い物に付き合わされるのは試練だったりして(笑)。サイクリングにもなかなか付き合ってくれない。
家族で休暇を取りましょうといったって、夫や子どもに振り回されている女性は休めない。
お正月やお盆休みで親戚が大挙してやってくる実家のお嫁さんにしてみれば、家族という組織に振り回される「仕事」状態であり、家族旅行でゆっくり休めるのは夫と子どもだけ、自分は家族という仕事をしにいくわけであり、家族旅行から帰って来てホッとひとり自分のやりたいことができる日常の方がよっぽど「休暇」なのではないでしょうか。
➡今、娘と来ています。ティーンエイジャーの女の子の買い物に付き合わされました。息子たちも旅行に誘ったんだけど興味ないって振られました。
マイタイム=誰にも邪魔されない自分の時間他者に従属するのではなく、自分が本来の姿で居られる状態。➡会社とか家族という組織に縛られている人は「自分の時間」感覚を取り戻すことが大切なのかもしれません。自営業の私は仕事自体が自分の責任、自分の時間。別に休暇をとらなくたって自分の時間は良い意味・悪い意味両面で十分にキープしている。

のんびりする=自分に合ったペースで、やりたいことをする。
他者(組織)のペースに自分を合わせている人にとっては、自分のペースに戻ることが大きな意味を持つのでしょう。
➡大学や病院に勤務していたとき、一応組織のペースはあったけど、教授として医師として裁量をかなり任されていたのである程度自分のペースを保つことは出来ていた。私自身のペースはDog Year的に結構早いので、ペースをスローダウンしたいと思うことはあまりない。というかスローダウンすること自体がストレスになります。

現実逃避=日常から切り離された世界
旅行して場所を変えると日常性がなくなっちゃうから、仕事とか家事とかルーチンのストレスから解放されます。
でも、子どもと一緒の家族旅行は子育てというルーチンもくっついて来ます。夫のお世話がルーチンな奥様は、夫婦で旅行したって休まらない、それとも場所が変われば関係性も多少は変わる?
私が勤めていた私立病院の院長は職住近接。お正月やお盆休みは都内のホテルに滞在(逃避)してました。家にいたら休まらないって。
➡フーテンの寅さんのごとく、現実から逃げたい。しばらく逃げていたらまた戻りたいという願望はあると思います。「あなたはフラフラしすぎぎ!」とよく言われます。
海外も旅行なら逃避先だけど、住んでしまうと現実になります。ロンドンに滞在していた頃、週末はよくパリに逃げていました。


贅沢=一点豪華主義
普段は慎ましく生活して、たまには自分にご褒美をあげよう!
勤勉で、たまにしか休暇をとらない人なら成り立つんですけど、贅沢が日常になってしまうと贅沢の意味を成さなくなる。
和風旅館の豪華メシも、ホテルのバイキングも二日続けるとちょっと身体にきついかも。後で体重を戻すのに苦労します。

まとめ➡結局、何を言いたいの?
「あなたは、いつも休暇モードじゃないの!!」
と言われます。


いつも心と身体がリフレッシュされ、
仕事や日常の生活を楽しんでいる。
家族や愛する人との時間を大切にして、
自分の時間も大切にする。
日常に飽きることなく新鮮な気持ちで毎日を過ごし、
贅沢をしなくても毎日が充実している。
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ。

2012年8月9日木曜日

Long Vacation

 Longと言ったって12日間。私の中では一番長いかもしれない。フランス人のヴァカンスほどじゃないけど、日本人としてはがんばった方だ。今は開業1年目、まだそれほど忙しくはないからこれほど取れるわけであって、今後だんだん忙しくなってきたらとれなくなるよ、、、
 普通そう考えるけど、そうは考えたくない。「忙しく仕事に没頭するほど美徳」という高度経済成長的価値観から脱皮したいと思っています。

 休暇にはいつも仕事(=書きかけの原稿と読みたい本)を山のように持っていく。これは私だけではなく、ダンナが大学の先生をやっている友人も言っていた。でも、持っていくだけで結局はほとんど手につかずにそのまま持って帰る。そうなることはわかっていながら、どうしても持っていかざるを得ない。という研究者(あるいは仕事中毒者)の可哀想な習性なのだ。

 これは、仕事モードと休暇モードをうまく切り替えることができないために起きる現象です。休暇に入る段階ではアタマがまだ仕事モードのために、休暇=時間がある=溜まっている仕事ができる、、、という発想になる。実際には休暇に入りのんびりモードに切り替わるので、結果的には仕事はできない。まあそれで良いわけで、休暇中も仕事モードだったら可愛そうですからね。
 と言いつつ、必ずノートPCとネット環境は持参して、時間の隙間にこうやってブログ原稿を書いたりしています。

2012年8月4日土曜日

想定外の人生:パニックとその立て直し

土曜日の仕事を終え、週末は草津の家へ向かった。あと30分で着くころに、家のカギを忘れたことにハタと気づいた。さあ、困った。どうしよう??
軽いパニック状態。運転しながら選択肢を必死に考える。
・東京に引き返したらせっかくの週末が台無しになる。
・ベランダからカギのかかりが甘い雨戸はなかったかな。思い返しても、サッシのガラスを割らないかぎり無理だろう。
・明日の朝には管理人さんが来るから、それまで車内で夜を過ごす。私ひとりならそれでも良いけど、子どもたちもいるし、、、
・草津の旅館に泊まるしかないか。定宿に電話しても出ない。夜9時過ぎだもんな。温泉街入り口の旅館案内所も閉まっている。湯畑の駐車場のおじさんに尋ねても、「この時間じゃあ無理でしょう。」あとは直接旅館に交渉するしかないか。小さなところは無理だろうから、湯畑の前の大きなホテルに直接乗り付けた。「1泊朝食付きで◯◯円です。」値段を交渉する余地はない。思わぬ出費、カギを忘れただけのための無駄遣いだ。
仕方がない、ここに投宿することにした。

道中、カーラジオでオリンピック男子サッカーの準々決勝を聴いていた。エジプトの選手がレッドカードをくらい退場。11人から10人に減りフォーメーションが崩れ、想定外の事態に選手たちは動揺する。監督の支援で、しばらくしたら立て直した。結局は3-0で日本が勝たせてもらったが。

誰しも、想定外の人生を経験する。誰が経験するかも想定外。こうなるはずではなかったという人生はたくさんある。
・妻を突然病気で亡くした男性。
・十代の生命力に満ちているはずの子どもを突然、病気で亡くした父親。
・結婚は失敗だった、子どもを産んだのは失敗だったと振り返る女性。
・非精神病性の「ひきこもり」と思っていたら、どうも統合失調症のようだ。私は思春期に医学モデルはあまり使わないが、使わざるを得ない場合もある。子どもの障害受容は親にとってとても重たい。母親ひとりでは辛すぎる。ご両親に来てもらい、丁寧に、でも率直に今後の見通しをお伝えする。

案内された部屋は建て増しを重ねた大型旅館の一番奥の部屋。この値段でこの部屋?こんなはずではなかった。
、、、仕方がない、気を取り直して手ぬぐいをぶら下げて大浴場へ行く。もともと家に着いた後、湯畑の白旗の湯には来るつもりだったけどね。立派な温泉に入れるし、明日のブッフェ朝食も美味しく食えるかな。週末の過ごし方を立て直さないと。なんとか楽しむ方策を見出すしかない。

人生のパニックは、立て直せるものなの?
・家族を突然失った男性たちは、涙をたくさん流した。
・失敗したはずの結婚相手も妻の求めに応じてなぜか毎回カウンセリングにやってくる。「いや、私はダメですから。弱いですから。」ホントにそう思ってるの?いや、確かに過去はかなりダメでしたね。でも今は?なぜカウンセリングに来るの?素晴らしいじゃない!!
・子どもの障害をどう受け入れ、どう向き合うのかご夫婦と話し合う。なぜか父親はoptimisticで母親はpessimisticだ。夫婦間で、ひとつの現実に対してずいぶんと見方がが違うのね。でも、それで良いですよね。人生、そう楽天的ばかりにも、悲観的ばかりにもならなくてもよい。両者が適度にミックスするのが一番良いですね。

、、、とこうやってブログ記事を書けたから、まあ想定外の今宵も無駄ではなかったよね。こじつけるしかない。

2012年8月1日水曜日

しまなみ海道サイクリング

0) 尾道~向島
新幹線⇒福山乗換⇒在来線で尾道まで輪行。
往復割引が効く距離
尾道駅構内の観光案内所でクーポン券を250円で購入する。各橋ではこの回数券をちぎって通行料を払う仕組み。












尾道・向島間の渡船

青いサイドライン
因島大橋(向島-因島)





尾道大橋は自転車道がなく、尾道駅前の渡船で向島へ渡る。3つの船会社が運航するが、どれも110円で似たようなもの。













各島の中は自動車道(しまなみ海道)を離れて一般道を行く。指定された自転車道には青のサイドラインが引かれ、迷うことない。



1)因島大橋
この橋だけが自動車道と二段式になっており、金網で保護された自転車・歩行者道を行く。鳥かごの気分で眺めはあまり良くない。


1-2)因島
因島大橋のたもとにある「はっさく屋」の大福を楽しみにしていたのだが、あいにく夏休み中。
ブルーラインと標識は内陸のフラワーセンター経由になっているが意味ない。落ちぶれた植物園か30mのヒルクライムを追加したい人以外は海沿いの道を行くべし。

2)生口橋
しまなみ海道の6つの橋の両側には自転車専用のアプローチ道が整備されている。50m前後登ので全体を走破すると50×6=300mほどのヒルクライムになる。自転車のことをよく考えらえていて、斜度がきつくなると勾配の異なる「自転車・歩行者道」と「原付バイク道」が分かれる。登り道もなかなか快適だった。

2-3)生口島
北側の海岸沿いを走る。南側はけっこうきついらしい。ずっと海沿いなので気持ちが良い。
瀬戸田町にある平山郁夫美術館は興味がないのでパスしたけどずいぶん立派だ。画伯はここに生まれたのね。

3)多々羅橋
ここから愛媛県に入る。

3-4)大三島
大三島と伯方島内の道は短いが、このあたり対岸の島々が間近に迫り素朴な風景が美しい。

4)大三島橋
一番初めに出来た一番短い橋。港から登っていく大三島側の自転車道アプローチが何となく好きだ。

4-5)伯方島
道の駅では「塩ソフト」が美味しい。自転車クーポンで250円が200円になる。

5)伯方・大島大橋
大島側のアプローチ付近から眺める対岸の伯方島、能島の景色が美しかった。

5-6)大島
生口橋
この島だけサイクリング道が島の真ん中を突っ切っている。60mのヒルクライムもあり、一番の難所か。この坂と比べると各橋のアプローチは自転車が登りやすい斜度に計算されていることがわかる。それでも上りでは降りて押している人もいたが。
大島側の道の駅から眺める来島海峡大橋は圧巻。ここではミカンのソフトが200円。そうとう暑いから糖分を遠慮なく補給する。

6)来島海峡大橋1・2・3
3連吊り橋はしまなみ海道中一番長く、一番高くそびえている(標高80mほど)。橋の袂から見下ろす海峡の渦潮と行き交う船、それに遠景の島々はホント美しい。車で通りすぎたら味わえない自転車だからこそ得られる絶景だ。歩行者も同様だが、この猛暑の中歩いているほどはごくわずかだった。
大三島橋
ここだけ通行料を払うゲートに人がいた(週末のみ)。他のゲートはみな無人。

6-)今治
波止浜港の造船所群が見えてしまなみ海道もおしまい。と思いきや、今治駅までが結構の距離がある。今まで橋とのどかな島々の空いた道を走っていたので、交通量の多い市内の道は浮世から現実に戻って来たような印象だ。予讃線沿いにJRの駅へ。駅前にはGiantのフラッグショップができたらしいが行かなかった。80kmの道を6時間で走破した充実感。
ここからJRで松山まで輪行。さすがに足の筋肉は負担だったようで、車内で右足全体が痙攣を起こしものすごく痛かった。松山では温泉に浸かった後、念入りにマッサージをしてもらい快眠。
道の駅伯方S・C



伯方・大島大橋

来島海峡大橋from道の駅よしうみ

来島海峡大橋

来島海峡

道後温泉@松山

2012年7月31日火曜日

家族の価値の伝承

今回の愛媛出張は仕事のついでに遊ぶというより、遊びのついでに仕事をするというほど楽しむことができた。なにも享楽的に楽しんだわけではない。自分のルーツを探る旅だ。子ども時代には毎年訪れていた母の実家を久々に再訪し、親戚と昔話がたくさん出てくる。あのいとこはどうした、あのおばさんはどうした、、、、話しているうちに私が家族の価値を受け継ぎ「顔向けできる」メンバーだから、こうやって再訪を楽しめるのだということに気づいた。

家族は生活と安全・安心の場を提供するのみならず「価値」を与える。その価値は家族の無形文化財だ。どこにも明文化されておらず、メンバー各々の心の中に取り込まれ、意図されないまま伝承されていく。私が内面化した家族の価値は次のようだ。

父方・母方の原家族はかなり「しっかり」している。家族の価値がしっかりと受け継がれて行く。その作業はかなり大変で、しっかり受け継ぐことが出来ると安泰だが、うまくいかないと大きな負担となる。母方の家は瀬戸内海に面する小さな町の大きな家だった。先祖代々続き、元はなんとか水軍(瀬戸内海の海賊?)がルーツである。おじさんが記載した美談それを家族のホコリとして伝えて来た。戦前までは豪商でかなり羽振りが良かったと聞く。しかい戦後、農地改革で多くの土地を手放し、家業は没落して行った。しかし、母が生まれ育った頃はまだそれまでの名残で資産もあったのではないだろうか。母の父(私の祖父)はホントは医者になりたかったが家業を継ぐためと戦争体制のために(?)かなわず、渋々受け継いだ家業には熱心にならず、私が夏に帰省すると、いつも朝から晩酌(というか朝酌)している。でもそれは家長の特権として正しいものであり、祖母が甲斐甲斐しく酒と肴の用意をしていた。7人兄弟で息子ひとりに娘が6人。女子の高等教育などいらん時代なのに、おばさんたちを関西や関東の都会の大学に進学させた。そして、上から順番にお嫁に出していく。なにしろ6人もいるのだから年齢順も狂うだろう。順番が逆になること自体が問題となった。祖父の満たされなかった夢を成就するべく6人の婿たちのうち二人が医者、二人が東大卒だ。いとこたちは全部で17人。子ども時代、お盆に帰省してずらっと並んで楽しかった。親についてくるのはせいぜい中学くらいまでだ。でもその後もおばさんたちからあの子はどこそこ大学に受かった、というような情報は確実に流されていた。医者になり、おじいちゃんの夢を果たしたのは私を含めて3人だ。私はこの家の価値を受け継ぐことができたから、原家族を再訪する価値があると自分で勝手に思い込んでいるのだろう。

父の実家は群馬の温泉旅館。今でこそ温泉ブームでガイドブックやパンフレットを飾る有名旅館だけど、祖父は地方の中核都市から辺鄙な山奥に飛ばされ、しっかり経営して仕事に熱心だったわけでなくゴルフばかりやっていた。でも、土地と源泉と従業員を多く抱えた家内企業の社長さん。私のふたりのおじいちゃんたちは、それなりに大きな家の家長としてあくせく働かずに悠々としていた。ふたりとも若い頃戦争を体験している。そのことも関係あるのだろうか。父方も7人きょうだいで、いとこは16人。集まって遊ぶのはやはり楽しい。旅館に泊まり温泉に入れるのもさらに楽しかった。おじいちゃんは若い頃、当時の甲子園大会に出たほどのスポーツマンだったがアカデミックな期待値はそれほど高くなかった。

 家族の価値は親から子へ伝えられていく。期待され、お金をかけ、機会を与えられ、家族の価値にのっとった枠組みに照らし合わせた「幸せ」を願う。今回、原家族を訪ねてその大変さに改めて気づいた。オリンピックを見ても、どこの国、どの時代でも自分の所属する集団(国)が秀でていることは大きな喜びと自信につながる。家族という集団の価値も同様だ。より良くありたいと期待する。スポーツや芸術(音楽や芸能など)を期待するのは限られた家で、多くはより良い職業選択の機会を求めアカデミックな成功を求める。子どもは家族の期待に応え、お前は良い子だと承認を得て自己肯定(=生きる根拠と自信)を獲得していく。 子どもは親の期待を無視することはできない。それを成就するか、成就せずにドロップアウトするかのどちらかだ。いずれにせよそれは家や親という枠組みから受動的に与えられた価値であり、子ども自身が自ら能動的に生み出した価値ではない。若い頃は、家の価値を一旦受け入れるか拒絶することしかできない。その後、自身の葛藤を重ねた末に、やっと自分自身の価値を見出すことができる。それは早くとも30代以降だろう。

家から与えられた価値 vs. 本人自身の価値。

 この構図は必然的に葛藤を生む。ガチンコ対決の親子間、拡大家族間の争議であったり、子ども側の問題(反社会的・非社会的逸脱行動)であったりする。それは、家族にとって「良くない」とされる行動・状態である。
 私の場合は楽だった。父は二男、母は四女。それぞれ地方の大家族から離脱して、東京に新たな核家族をつくった。私にとっては親の価値こそ健在だったが祖父母時代から伝わってくる「しっかりした」価値からは切り離されていた。 でも、本家では結構たいへんなんだと今回改めて感じた。本家・分家なんて時代錯誤な! 家制度は崩壊しても、世代間で価値を伝えていく伝統はまだまだ残っている。上の世代からやってくる家族的価値と、自分自身が個人として見出す価値との闘いはそう簡単なものではない。個別の価値はシステムによって承認され、初めて正当化される。家の価値、前世代の価値を受け取るなり拒絶することは容易い。しかしそこから自身の価値を見出し、他者からの承認を得ることは難しい。この葛藤を解決できずに立ち止まり、にっちもさっちもいかなくなってしまった青年たちをたくさん知っている。

家族の価値は、日常の何気なく繰り返されるフレーズの中に埋め込まれている。私が子どもの頃、父親から受け取ったフレーズは「学部時代より、大学院時代にホントの勉強ができるんだよなあ。」つまり大学院まで進学することと勉強という価値が無条件に伝えられた。そして、その頃になると「教授クラスになると忙しくて良い研究はできない。若い助手・講師クラスが一番良い研究ができるんだ。」それは父親自身の体験を振り返ったものであり、何も子どもに伝えようとしたことではないのだろう。価値は意図せず発せられ、受け取る側が多くの日常会話の中から選択して勝手に取り込むのだろう。 私自身がどんな価値を子どもたちに伝えているのかわからない。自分では伝えていないつもりなのだが、きっと子どもたちは何かを受け取っているに違いない。 私は大学院に進学し、大学教授になり、親から勝手に受け取った価値を成就し、承認されたと思っている。大学教授として、医者として、社会からも承認されたと思っている。そういう意味で、期待を引き受けるだけの個人的な素質と、承認してくれる家族という資源を持てたことはホントにラッキーだったと感じている。
 公務員であった父にとって、教授を中途退職して開業するという価値はなかった。これは、家の価値から逸脱した私自身の価値だと言えなくもない。しかし世代をさかのぼれば母方祖父の「医者になる」という価値のワク内であるし、双方の実家の家業経営者ではあるし、結局は大きな家族の価値を抜け出すことはできないし、そうだからこそ幸せを感じることができているのかもしれない。


 先日は突然おじゃまさせていただき、美味しい地元のご馳走をありがとうございました。子ども時代の思い出話に大変懐かしく感じました。酔いにまかせて失礼なことを申し上げたのではと心配しております。

 どこの家でも親は次の世代に価値を伝えようと一生懸命ですね。子ども世代はそれを干渉と感じつつも親の承認を得たいと願います。しかし家族の価値を下地にして、本当の自分の価値を見出すためには多くの経験を積み試行錯誤した末、30代、40代になってからやっと獲得できるものなのかもしれません。
 月曜日は伯方島から尾道まで3時間でした。しまなみ海道は最高のサイクリング道ですね。また機会があれば訪れたいと思います。それでは、季節がらトレーニングのやり過ぎに注意して、お体にご自愛ください。