心の支援が、支援者の間では阪神の経験から盛り上がっているが、現場の声はまだまだ。心の支援ニーズが見えて来るほど復興は進んでいない。原発も余震もあり、Post-になっていない。
もともとこの地は精神医療、心のケア体制が立ち遅れている。「ガマン」の文化、心の支援を受ける動機づけは低い。しかし適切な支援の手を差し伸べればニーズはある。今日、自死で息子を失ったうつ病の女性と話してそう思った。
今後どのような形で心の支援ニーズが見えてくるか見守る必要がある。今回の滞在で見えてきたのは、家族を失った喪失感による自殺未遂と既遂。これは大きい。特に家族を複数失っている場合は深刻だ。
PTSDは不眠など比較的軽症が多かった。余震によるフラッシュバックなどがどの程度なのか、よくわからなかった。もう少し、現地に入り実態を体験し見聞きする必要がある。
精神科医が何をできるのか。
1) 医学モデルとしては現地の医療体制が復興するまでの臨時医療保健体制のバックアップ。東京都はこれをやっている。保健師によるアウトリーチ(健康保健調査)は全戸目指して全国からの応援がある。これは有効なニーズの掘り出しだろう。
2) 心のケアの心理社会モデルはいろいろ考えられる、というかあらゆる支援がそれに結びつけられているみたい。
3) 喪失とトラウマを語り表出する機会の提供。ストレートに集めても来ないだろう。食事、物資、レジャーなど出て来やすいことと抱き合わせて機会を提供する。生活、福祉、保健、教育など各種支援団体との連携が大切だ。どのように表現する機会を作るか工夫が必要だ。
4) 支援者の支援。burn out対策。短期でやって来る専門家チームは不要だが、不休不眠の現地担当者や若い学生ボランティア、フーテンボランティアは必要。
5) 心のケアチームの応援。今回加わったNGOチームは若い看護師、保健師、心理士などが頑張っていた。コーディネート役もちゃんといたから僕はチームにくっついて回るだけで、出番は少なかった。それでもチームにとってDrの存在は心強かったみたい。
家族療法家が何をできるのか。
1) 家族による悲哀の仕事のファシリテート。PTSD対策は主に個人ベースだろう。家族単位、コミュニティ単位が有効なのは喪失のワーク。共通の喪失体験が相乗効果を生む。でも、機会の設定とファシリテートに余程の工夫が必要だ。
2) 文献集めて、震災家族支援のマニュアル作って使ってもらうか。ネットで配信するとしても、机上の空論ではなく、実際に使ってみる必要あり。
3) PaulineのAmbiguous lossやJudith Landauでも紹介する?
4) 大会でなにする?今からだと自主ゼミ程度か。原案を練って、チームでも作るか。
今、これを帰りの新幹線の中でiPhoneで書いている。
福島までバスで来て、被災地陸前高田からの生還。街にはネオンが灯り、外食産業や新幹線がある。高田には何もなかった。見渡す限りに広がる街全域の瓦礫の山は何だったんだろう?まぼろしなのか?高田と東京、どっちが本来の人間の生活なんだろうか?
支援した、圧倒的な弱者のためになったのか。それを求めてやってきたけど、それが得られた実感はない。確かに役には立てたはずだ。でもそれって自己満足でしょ!いくらやったって自然の前に人間は無力だし、無力だけどいきながらえているんですよ。それは仕方がないことだし、無力さを謙虚に受け止めるしかないのかもしれない。
未だに「支援者ハイ」の状態が続いてるみたい。元の生活に再適応するには、多少時間がかかるかもしれない。
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