2011年4月24日日曜日

被災地レポートのまとめ

2011410-16日にかけて一週間ほど、被災した陸前高田に入りました。私の感じたことも含め、その概要を報告します。

l  私がやったこと
Ø  民間NGOである日本国際民間協力会NICCOが展開する被災者支援チームにボランティア精神科医として加わり、心のケアを行った。
Ø  具体的には、巡回診療で医療支援を行う中で心のケアが必要な被災者と面談し、カウンセリングや投薬などのケアを行った。
Ø  陸前高田市の災害対策本部で毎朝・夕開かれる3つの支援者ミーティング(保健ミーティング、心のケアミーティング、医療ミーティング)に参加し情報交換などを行った。
Ø  支援チームのメンバー10数名とミーティングを行い、心の支援の考え方や具体的な方法などについて紹介した。

l  被災地の現状
Ø  山が海岸線まで迫る三陸海岸にわずかに開けた平地全体に津波が押し寄せ、見た渡す限りの平原が瓦礫の廃墟と化している。高田市(人口23千)の死者・行方不明者は約2500名。一割以上の方々を失った。まさに、戦時中の焼野原に相当する。報道の映像ではなく現場を目の前にすると、自然の破壊力と人間の生活の無力さに人生観が変わるほど強く気持ちを揺さぶられる。
Ø  道路の瓦礫は撤去され、車での移動はスムーズになっている。自衛隊や警視庁の重機が多数入り、私が滞在した1週間の間にも、どんどん瓦礫の山が整理されていた。しかし、まだまだ先は長いと思う。また、道路わきの電柱と電線の工事が急ピッチで進められていた。
Ø  避難所で生活する人々の数は震災直後に比べて減ってきている。残された人々も昼間は瓦礫の撤去などの活動を行い、留守のことが多い。仮設住宅も少しずつ作られてはいるがまだまだであり、親戚・縁者宅などに行く人が多いという。
Ø  高台の家など津波を逃れた地域も多いが、水道、電気、ガスなどのインフラが破壊され、炊事、トイレなどが使えない。生活は自宅でも、食事は避難所の炊き出しでまかなっている方々も多い。

l  心の支援体制
Ø  基本となる生活支援は急ピッチで進められているように見えた。まだまだ復興への道のりは長いが、一部の救援物資は倉庫内に溢れているとも聞く。供給される支援物質・内容と、必要とされる支援物質・内容とのバランスをうまく保つことが難しいようだ。
Ø  私が関わった医療・保健の支援分野では、とても活発であるという印象を受けた。全国から支援チームがやってくる。市・県を単位とした自治体からの保健師チーム、○○医大や大きな病院からの医療チームなどが多数集積してくる。
Ø  それらをコーディネートする機能も生まれている。市の災害対策本部では、生き残った高田市の行政が核となり毎日朝と夕方に30分ほどの支援者ミーティングが行われ、活気に満ちている。30-40名ほど、10-15チームほどであろうか、開始するチームと終了するチームが紹介され、県や市からの連絡事項、それぞれのチームの活動計画・報告などの情報交換が行われていた。
Ø  各地から派遣された保健師チームは、対策本部から地域を割り当てられ、避難所と生活している住居の全戸を訪問し「健康保健調査」が進められていた。3障害(身体、知的、精神)、母子、高齢者介護、高血圧などの慢性疾患などとともに、心の健康などがチェックされる。まだ1割程度の達成だったが、熱心に行われていた。
Ø  医療チームは崩壊した現地の医療システムを補うために、避難所などの巡回診療や、災害本部での仮設診療所などで暫定的な医療が行われていた。

l  心の支援の状況
Ø  生活支援や身体の疾患・ケアなどに比べると、心の状況は目に見えにくい。被災者から心の支援を求められる場面は少ない。
Ø  むしろ、支援者側の「こころのケア」に対する盛り上がりがすごい。心のケアが必要だろうという仮説のもとに、さまざまな支援が試みられている。食事の配給、体を動かしリラックス、エンターテイメントなど、一見関係ないような支援も「心の支援」と結び付けられている。支援者側は、心のケアのニーズを「発掘」しようとがんばっている。
Ø  心の支援が必要なケースは次のように整理できる。
²  1)震災前からあった問題として、
²  a)震災前から治療・支援を受けていた疾患・障害などが、震災により継続が途切れ、それを再開するニーズ
l  例1)50代女性。若い頃リストカットの経験あり。数年前にうつ病で1ヶ月ほど入院したことがある。2年前、突然20代の息子を自死で失う。入院以来、精神科で外来投薬治療を継続していたが、震災で中断している。保健師による家庭訪問により見出され、心のケアチームが訪問し、子どもを喪失した体験などの話を伺った。投薬し、仮設精神科外来に繋がるよう再度家庭訪問する予定。
²  1b)震災による支援により、今まで隠れていたニーズが「発掘」される場合
l  各家庭で閉ざされていた生活が、避難所や訪問支援などにより開かれる。
l  もともと、この地域は心のケア体制は立ち遅れていた。高田市民病院には精神科外来はなく、山間にスティグマ化した旧来型精神病院があるのみだ。震災により心の支援が注目されることによって、事例として新たに見えてくる場合もあるようだ。
²  2)震災によって新たに生まれた問題として、
²  2a) 震災体験がトラウマとなり生活に支障をきたす場合(PTSD
l  家庭訪問などにより、不眠、イライラ感などを訴える人が増えているというが、まだケースとしては多くは浮かび上がらず、潜在化しているように感じる。
l  240代女性。避難所巡回診療に花粉症の薬をもらいに来たついでに相談してみた。軽い不眠。イライラして子どもに当たってしまう。夜勤に行く日の午後になると「気持ちがドカドカする」。震災の晩、多くの人が職場に押し寄せ、暗闇の中、阿鼻叫喚、パニックになった情景が思い出されすくんでしまう (フラッシュバック)
l  例3)40代女性。不眠。津波で床下まで浸水したが、家は無事。震災の当日、空き巣に入られた。余震があると避難しなければならないかもしれない。余震と空き巣ねらいのため眠れない。(眠ろうとして眠れないというより、眠っては安全が脅かされる環境)。保健師により発掘され、一週間後に再度訪問して話を聞くと、「もう落ち着きました。」とのことであった。
²  2b) 震災により大切な人とものを失う喪失体験により引き起こされる問題
l  例4)妊娠8か月の30代女性。結婚数年後にやっと授かった妊娠。夫は地震の救援に当たっていて、メールもあったのに、1時間後に襲った津波により被災。一週間後に遺体が見つかる。職場の同僚もたくさん失った。被災直後は比較的元気だったが、火葬を済ませ遺品を整理してるうちに無口になり食事せず自室にカギをかけ閉じこもる。親が心配してカギを壊して入ると、泣きじゃくり、あの人の所に行きたい(自殺念慮)。一日泣いてばかり。家族がとても心配し、本人も家族も疲弊しきっている
l  例5)幼い子どもと妊娠中の妻と両親を震災で亡くした男性が自殺を図ったが、吊った紐が切れ助かった。心のケアチームと共に隣町の病院を受診し、抗うつ剤を処方され帰宅した。しかしその後、既遂して亡くなった。(伝聞した話で実際に私が体験したのではない)。
l  例6)立ち話で「うちでも、まだ親と妹が見つかってないんですよ~」と語る男性の表情は、喪失の悲しみではなく、大切なものがまだ見つからない当惑を表していた。「行方不明」という喪失は、喪の仕事を始めることができない。そのことが一層心のケアを困難にしている。
²  2c)震災による生活環境の変化による問題
l  例7)40代女性。嫁入りしたが、姑とうまくいかないので別居した。しかし、家が被災したため再同居する。嫁姑関係が悪化し、姑に罵倒され、うつ状態になる。
Ø  心の支援の困難さ。心のケアのニーズは、一見まだ高くない。
²  震災復興を、下記のような3段階に分けてみると、、、
l  Phase 1)危機介入・救命、安全の確保
Ø  生命の危機が回避され、避難所に至るまで。
Ø  避難所生活は安全を確保できるが、水は汲み出し、不衛生な臨時トイレ、食事は配給か炊き出しと、生活のQOLは最低レベル。
l  Phase 2) とりあえず生きながらえる生活の確保
Ø  仮設住宅に至るまで
l  Phase 3) 安定した生活の再建
Ø  QOLを維持し永続可能で自立した生活
²  本格的な心のケアのニーズが被災者からあがってくるのはPhase3以降であろう。今の陸前高田はPhase1を終え、Phase2からPhase3に向かい始めた時期であろう。まだ生活基盤が整わず、生きるのに必死な状況では、心の問題にまで意識が向かない。被災者と立ち話すると、悲惨な状況を淡々と特段の感情を伴わず語っている。
²  東北は「ガマン」の文化と言われる。過去に何度も津波災害に見舞われ、陸の孤島として他の地域から隔離されてきた地域性がそのような心性を生んだと言われるが、(例1)、(例2)のように落ち着いて話を伺う機会があれば、たくさん気持ちを話してくれた。心のケア体制がない中で生まれた「ガマン」文化の言説ではないだろうか。
²  (例4)、(例5)のように震災により自殺など心の危機に直面している方々もいる。地元の保健師さんの話によると、元来、この地方の自殺率は高く、震災後、3月の統計によると、自殺者が増加したわけではないという。しかし、今後、長期に渡り被災者たちを注意深く見守る必要はある。

l  支援者について
Ø  全国的、全世界的に支援の輪が広がっている。海外の友人や学会からも、支援の手が差し伸べられている。
Ø  支援者にとっても、ショックな体験だ。私も滞在期間中に状況をネット(ツイッターやブログ)を通じて自分自身の体験と感情を表出せずにはいられなかった。それが、結果的に多くの人々とつながることになった(ツイッターで震災体験を呟き始めて、フォロワーが一気に100人以上増えた)。
Ø  陸前高田で見る限り、支援者のインフラも整いつつある。私は寝袋を持参して、避難所的な生活を想像していたが、加わったNGO組織が陸前高田市の近隣の町に宿泊を、そして移動の車なども用意してくれた。普通の食事とお風呂も、電気も、ネット回線もある生活だった。他のチームも同様な状況のようだ。
Ø  個人ベースでやってくるボランティアのための受付センターも整っていた。専門スキルではない一般のボランティアがどのような動きをしているかは、今回みることができなかった。
Ø  全国各地からやってくる多様な支援者たちをどうネットワークしていくかが今後の課題だ。医療と保健分野では、地元の行政が中核となってミーティングなどまとめているが、彼ら自身が被災者で、数少ない人数で大量の業務をこなしている。彼らのバーンアウトが心配だ。
Ø  病院や各地の行政から送られてくる支援者は、数日単位で入れ替わる。申し送りがされているものの、支援の連続性をどう保つかが問題だ。
Ø  より効果的なネットワークを誰が、どのような形で構築してゆくのか。刻々と変化する支援ニーズを的確にとらえ、支援者たちに伝え、効果的に支援してゆくためのネットワーク機能についても長期的、全国レベルでの支援が必要だ。
Ø  地元と外来の支援者間のネットワークは工夫が必要だ。病院や学校など、地元の機関も被災して部分的に機能が失われている。外来の支援者たちは短期的で入れ替わりが激しい。両者で話し合いの機会を試みても、心情的にうまくいかない例がいくつか見られた。
Ø  支援者自身の心のケアをどう考えるかも重要な課題だ。被災者に接することで、支援者もトラウマを受ける(二次受傷)。それをうまく消化しないと、燃え尽き(バーンアウト)につながる。
²  特に、地元の被災者兼支援者である人は、被災による一次受傷と支援活動による二次受傷が重なり、より多くのストレスを受ける。
²  外部からやってくるボランティア支援者たちの動機についても注目する必要がある。既存の社会に軽い不適応を感じ、自分探し、居場所探しが無意識の目的となっている人も少なくない。
²  (比ゆ的に表現すれば)支援者自身の心の揺れを自覚する必要がある。今回のような大震災は、人々の心にも余震を残す。震災以前から自分の揺れを持っている人ほど、共感能力が高い。しかし、支援者自身の心の基盤がぜい弱だと、二次受傷のために崩れてしまう危険性も持つ。
²  それを予防するためにも、支援者のセルフケアが必要となる。たとえば、支援チーム内でミーティングを開き、業務連絡とは別に、自分自身の支援体験と巻き起こされた気持ちを表出し、クールダウンできる機会を設けるなどの対策が必要だ。

l  今後に向けて
Ø  私としても、日常生活の合間を縫い、支援を継続してゆきたい。効果的な支援を行うために、いくつかの可能性が考えられる。
Ø  精神科医の立場では、ふたつの支援モデルが考えらえる。
²  医学モデル)統合失調症、内因性うつ病など薬物・入院治療を必要とする方々を中心に、震災で失われた病院の機能を代替するために、臨時の診療体制を支援し、永続的な診療体制の復興へ向けて支援する。陸前高田市では、私が滞在している間に東京都の医療チーム(松沢病院が中心だった)が、震災対策本部の仮設クリニックに週1回午後だけの精神科外来を設立した。
²  心理社会モデル)地震・津波という恐怖体験によるPTSDや、愛する人や家財を失った悲嘆反応によって引き起こされる心の問題は、対症療法としての入眠剤や精神安定剤は一時的な解決にしかならず、信頼できる人との繋がりの中で復興できる。それは保健師、心理カウンセラー、教師、ボランティア相談員、地域コミュニティーのリーダーなどが活躍する分野である。精神科医としては、1) これらの人々をつなぎコーディネートする役割、2) 医学モデルとの峻別、あるいは、3) 支援者への後方支援(バーンアウトの予防・対応)が主な役割になるであろう。
Ø  私の所属する家族療法学会では、震災支援委員会が立ち上げられた。特に家族支援について、学会レベルで何ができるか検討する。
Ø  3月に国際家族療法学会に出席し、世界の家族療法家からの応援を受けた。世界の関心も高いことを実感した。6月にはアメリカ家族療法学会に出席し、特別に日本の震災についてのワークショップを開いてくれることになった。海外からどのような支援を受けられるか検討する (Boss, 2003. 2006; Landau, 2004, 2008)
Ø  私が理事を務める「いのちの電話」では、暫定的に「震災いのちの電話フリーダイアル」を立ち上げた。電話相談についても、さまざまな団体からの支援がすでにあり、混乱気味だ。今後、この活動をどう発展できるのか検討する。

l  文献
Ø  Boss, P., et al. (2003) Healing loss, ambiguity, and trauma: Families of union workers missing after the 9/11 attack in New York City. Journal of Marital and Family Therapy, 29 (4) 455-467.
Ø  Boss, P. (2006) Loss, Trauma, and Resilience: Therapeutic work with ambiguous loss. Norton.
Ø  Landau, J., Mittal, M., and Wieling E. (2008) Linking Human Systems: Strengthening individuals, families, and communities in the wake of mass trauma. Journal of Marriage and Family Therapy 34(2) 193-209.
Ø  Landau, J., and Saul, J. (2004) Facilitating Family and Community Resilience in response to major disaster. In Walsh, F. and McGoldrick, M. (Eds.) Living Beyond Loss: Death in the Family.

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