2012年3月20日火曜日

海外留学と隔絶性

バンクーバーのホテルに到着。想像していたよりかなり寒い。上着を着て散歩がてらGranville Islandへ出かける。ダウンタウン南岸より可愛い渡し船に乗って5分ほど。以前は倉庫だったのかな、今は生鮮市場やお店、レストランなどがある洒落たエリアになっている。

今までは、海外に行くということは、それまでのなじみの世界(home country)とは隔絶されることを意味していた。私の高校アメリカ留学時代は早くても3−4日かかる国際郵便でのやりとりのみ。電話はクリスマスに1回かけたくらいだった。
1990年頃のロンドン留学でも同様に手紙か国際電話の時代で、ネットはなかった。

それが今ではネットの世界。ネットを使って仕事をする分には国内と全く変わらない。むしろ日常の生活から切り離されている分だけ時間が出来るので国内にいる以上にネットを多用できる。地理的な隔絶がネット的な近接を生み出すというパラドックス。
そのことが、留学の様相を変えてしまったようだ。私の頃は隔絶した世界にひとり飛び込み、辛くても寂しくてもなんとか自分でやるしかなかった。Either/Orの世界。
今までのなじみの世界と隔絶することで、新たな世界に適応することができた。
今は簡単にメールやFacebookやTwitterで本国の家族や仲間と交流できてしまう。今までの世界と繋がったまま、新しい世界にも入っていく。Both/Andの世界だ。
どちらの方が良いのか、一概には言えないが、新たな適応しにくさも見えてきている。
新しい環境に慣れるまでは、だれでも辛く、苦しい。
それは、ひとりで我慢し、頑張って乗り越えていくべきものなのか。
それとも、ホントの危機状況で早期発見・早期対応をしてあげないと、取り返しのつかないことになるのか。
本人の感覚ではその境目はない。ホントに辛いと感じても、しばらくすればどうにか立ち直る場合と、立ち直れずつぶれてしまう場合がある。どちらとも言えないが、そういう時期はだれもが多かれ少なかれ経験する。
その段階で、それまで馴染んでいた世界にSOSを出せるようになった。
断片的な情報しかない状況は不安を惹起する。
本人にとってはどちらとも言えないようなSOSのサインを子どもから受け取り、親がそれをどう反応するか。大丈夫だからがんばりなさいと言える親なら良いのだが、そうでないと親も不安になり、親子の間でネットを介して不安が共振して増幅されてしまう。もはや海外留学が、親子の連結を切り離す手段とはならなくなった。
適応すべき現実を失うと、依存症に走りやすい。ネットが好きでも、それ以上にリアルな世界が好きならば、ネットにはまる必要はない。現実の居場所がなければ、しかたがなくネットの居場所から離れられなくなる。

ではどうしたらよいのか?
ネットを禁止するのは無理だろう。仮に禁止できたしとしても、そのことが現実への適応が促進するかどうかは疑問だ。
では逆手をとってネットの交流をうまく活用して、適応を促すことができないだろうか。コントロールされたネットの世界。YouTubeとかネットゲーとか依存的な世界を止めることは出来ないが、適応しつつある高校生にとって有意義な場所をネットの中に提供する。
たとえば、帰国したリターニーたちによる交流の場、相談室、アドバイスの場、子どもからこんな相談が来たのですがパニック、どうしたらよいでしょうと困ってしまう親をフォローできる場とか。
そういうのを含め、自立の途上にある留学生たちをサポートするシステムを作ったらどうかなと思います。

話が思わぬ方向に発展してしまいました。

1 件のコメント:

  1. 田村さんがここに書かれていること、先日のプチリユニオンでも話題になってました。私もかねがね気にかかっていたことで、時代が違うといえばそれだけだけど、ネットが身近にある今の留学生たちの留学生活は、自分たちの時代のものとは異質なものになってることは確かです。留学中にFBで友達の輪を広げ深めること、国の家族や友人に自分の様子を知らせることは素敵な要素もたくさんあるのだけれど、問題もたくさん含んでいる。こういう部分って組織としてはどういう取り組みをしてるんでしょうね。田村さんのこの文章を読んで改めて考えています。(すみません、こんなところに書き込んで。すごく面白いと思ったので…。)

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