下馬評はすこぶる好評だし期待したのですが、その割には感動できませんでした。むしろ、子どもたちが置かれた厳しい現実を再確認しました。
いや、良い映画ですよ。愛着の喪失と再獲得のプロセスを自転車に象徴させる描写とか、芸術的な観点からみればとても良いのだろうと思いますけど、私はよくわかりません。でも、児童精神科医としては普段あまりにも見慣れている情景であり、これに感動したり新鮮に感じる子どもの心の専門家がいたら、ちょっとヤバい。もっと経験を積むか、感性を磨いてもらわなくてはと思います。
子どもが生きてく上で愛着対象を保持することがいかに大切かを確認しました。(大人もまったく同様なのですが、子どものほうがわかりやすいから。)拒否されても求め続ける親の愛情が拒絶され、顔をかきむしり身体を壁にぶつける姿(自傷行為)は、その行為だけ切り出せば異常きわまりないけど、子どもの心を理解すれば当然のことです。生きている根拠を失われつつ生きていかねばならい矛盾を表現するとこうなります。少年にとって、木から墜落して失神する痛みなんて意に介するまでもなく、やっとたどり着いた愛着対象のためにバーベキューの炭を届ける方がはるかに大切です。
私は児童養護施設で生活する子どもたちの心もケアしています。映画では子どもたちの愛着障害をわかりやすい形で伝ていますが、実際の現場はもっと複雑です。子どもたちは様々なバリエーションのacting outで保護者やまわりの人たちを悩ませます。たとえば、この父親は女性に促されて子どもにわかりやすい形で愛着を拒絶しているけど、一見ふつうにみえる親が密かな形で、あるいは親自身も気づかぬ形で愛着を拒否するとどうなるか。彼くらいの幼い年齢だからまだわかりやすいけど、これが年長、あるいは大人になったらどういう形で表現されるのか。攻撃性としてacting outする男の子ならわかりやすいのだけど、内向された攻撃性・葛藤の行き場はどうなるのか。女の子はどうなるのか。などなど、現実の方がもっと複雑怪奇、支援する我々の心に重くのしかかります。
逆境にある子どもの心はとても鋭く、大人の心理を見抜きます。まわりが気遣ってもそう簡単に心を開きません。なぜ少年が女性に心を開いたのか疑問です。恋人と彼と比べて彼を選択した点、とっくみ合いのけんかもいとわず彼に向き合った姿勢がそうさせたのでしょうが、できれば里親を選択した彼女自身の物語(愛着の喪失と必要性)も見ることができればストーリーが深まったと思います。
あえて一番共感したシーンを挙げればは、愛着を失った少年がひとり自転車を疾走させる部分かもしれません。ずいぶんと長いカットでした。風を切り力いっぱい漕ぐと、辛い気持ちも切ることができるんですよ。それは自転車乗りの私自身の経験でもあります。
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