2012年11月30日金曜日

<新講座>ひきこもり救出講座

<新年より新たな講座を始めます>

家族と支援者のための

ひきこもり救出講座

ひきこもりを家族と社会の力で解決しよう。

  • ひきこもりのお子さんとの向き合い方
  • 家族の対応のしかた:良い対応方法、間違った対応方法について
  • 思春期の心理の理解。家族関係・親子関係のあり方

などを実例に基づいて体験的に学びます。

開催日時 1000-1200(2時間)
  • 2月1日(金)、2月16日(土)、3月8日(金)、3月23日(土)、(4月以降の日程は未定)
対象
  • ひきこもりの人を抱えるご家族の方
  • ひきこもりのご家族を支援する機関(相談機関・学校・病院など)の方
定員 12名
参加費 各回4千円。

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ぜ、ひきこもるのでしょうか?
どうやったら前向きになり、ひきこもりを解決できるのか?

どうやったら家族の力で子どもの心を元気にできるのか?
ひきこもりのお子さんを抱える親の方々が、ひきこもりの本人と家族を支援する方々と共に、実際に役立てるよう体験的に学びます。

二種類の家族エネルギー

A子は友だち関係で傷つき、ホトホトしんどくなり、学校に行けなくなってしまいました。
友だちと一緒にいたいのだけど、自分が普通にしていたら嫌われちゃうと思い込んでいます。嫌われたくないから、誰からも好かれようと必死で明るく元気な姿を見せています。ホントは自分がとてもキライで、いくら取り繕っても良い人になれません。友だちの気持ちをとても気にして、何気ない一言に深く傷つきます。ホントは「傷つくからそんなこと言わないで!」と言いたいのだけど、とてもそんなこと言えません。
自己肯定感が低いので、それをどうにかしたい。お母さんと相談して、ひとりでカウンセリングにやってきました。自分がちゃんと学校に行けていないので、お母さんに申し訳なくて。

そうなんだ!とても親思いなんだね。、、、でも、お父さんにも申し訳ないとは思わないの?
いえ。お父さんはどうでもイイんです。
お父さんは金八先生や松岡修造タイプなんです。

えっ、それどういうこと?
情熱ゴリゴリというか、私に何かあると「A子、がんばれ!」と情熱的なメールを送ってきたり、ちょっと帰りが遅くなるとすごい勢いで怒るんです。
以前は親が絶対だったから、ただ怒られていて、身体が震えて過呼吸になったこともありました。
でも、今はお父さんも反省して少しマルくなりました。
私が考えすぎたりネクラなところはお父さん譲りなんです。昔は怖いだけだったけど、今はお父さんも打たれ弱いんだなと思うようになり、時々フォロー入れたりしています。

思春期はとても困難な時期です。たくさん傷つきます。無傷で通過することはまず不可能でしょう。
つまづくのが当たり前。不安や恐怖に満ちています。大人になるって、自分に自信を持つって、すごく不安なことです。まわりの人は自分のことを受け入れてくれるのだろうか。みんなから嫌われないだろうか。いつも心配だし、そんなことを考えていたら人に会いたくなくなるのも当然でしょう。

親は子どもを愛し、たくさんのエネルギーを注ぎます。
そのエネルギーには二種類あります。

親のPositiveなエネルギーとは、プラスの結果を予測します。
あなたは基本的にOKね。今とても苦労しているけど、きっと大丈夫。壁を乗り越える力を持っているね、、、という安心の眼差しを子どもに注ぎます。
そういう前提があれば、多少困ったことがあっても焦らず、あわてず、少し離れた位置から子どもを見守ります。あまり過剰に先回りして手を貸したり、怒ったりしません。基本的に子どもに任せるけど、もし子どもが心細くなって親の元に戻ってきたら、優しく休ませてあげればよいだけです。
親のpositiveなエネルギーを受け取った子どもは、辛く、傷つくことがあっても、まあ何とかなるかなあ、きっと何とかなるよ、、、とのん気に構えてその場に居続けます。するといろいろな経験をする中で、イヤな体験にへこんで元気を失い、良い体験に元気をもらいながら、だんだんと成長してゆきます。

親のNegativeなエネルギーとは、常にマイナスの結果を予期します。
  • この子は大丈夫だろうか?
  • ダメになっちゃうんじゃないだろうか?
  • とりかえしのつかない何かが起きてしまうかも、、、?
と常に不安・心配の眼差しを子どもに注ぎます。
だとすれば、親としてはマイナスの結果を未然に防止しなければなりません。先回りして心配して、とても過保護・過干渉になったり、とても厳しく叱ったりします。
子どもは親の気持ちに敏感ですから、親のnegativeなエネルギーをじかに受け取ります。傷ついたら自分はダメになっちゃうんじゃないだろうか、自分は傷に耐えられないんじゃないだろうかと、傷つくことをとても怖れ、傷つきを避けようとします。でもそれは不可能だから、傷つくことを防ぐためにはひっこむしかありません。
そうやって、うまくいかない兆しが子どもに現れると、親はさらに心配してnegativeエネルギーが増大します。それを子どもがもろに受け取って、子供もnegativeに、、、という悪循環のサイクルに陥ります。

ここでフットボールの比喩を思いつきました。
私は大学時代アメフトをやっていました。
心配性のコーチと安心感を抱えたコーチがいました。
ゲームなんだから、どちらかが勝って、どちらかが負けるわけ。どうにかして勝たせたいとコーチは必死です。

心配性のコーチはかなり出過ぎます。選手たちは自分の力で戦わなくてはならないのに、サイドラインから「あーしろ、こーしろ」とメガホンで怒鳴り、やたらうるさいです。選手の中でもクォーターバックがゲームの司令塔です。プレイの度にハドルを組んで、次のプレイの展開をみんなに伝えます。不安なコーチは、しょっちゅうサイドラインから伝令を飛ばし、次のプレイはこれで行け、あれで行けと細かく指示します。QBは自分の考えでプレーを出すか、コーチの指示に従うべきか悩んでしまって結局うまくいきません。

どっしり安心感のコーチは、練習の時は細かくうるさいけど、試合になったら選手に任せます。腕を組んでじっとプレイを見つめ、ギャーギャー騒ぎません。ファーストダウンやタッチダウンを取った時は、ガッツポーズで「よし、やった!」としっかり承認を与え、一緒に喜びます。
選手が行き詰まりどうしようもなくなった時にはコーチがタイムアウトをとります。その時はQBと主将をサイドラインに呼んで、しっかり明確な指示を与えます。でも、タイムアウトはひと試合に3回までしか許されません。3回とってしまったら、あとは選手に任せるしかないのです。

子どもは思春期というゲームを必死に闘っています。親コーチはどう取り組めばよいのか、悩ましいところです。

どこから親のnegativeエネルギーはやってくるのでしょうか?さまざまな場合があります。
  1. ホントに心配しないといけない弱い子どもの場合です。小さいころから病気を抱えていたり、虚弱体質だったり。親がカバーしないと生きていけません。
  2. 親自身が子どもの頃、自分の親がそのように接してくれた場合です。親はたくさん心配するものだから、親として当たり前のことをしているだけ、、、と考えます。祖父母⇒親⇒子へとnegativeエネルギーが世代間伝達されます。
  3. 子どものこととは全く関係ないが、親自身の人生に不安や困難を抱えている場合です。

どこから親のpositiveエネルギーはやってくるのでしょうか?
  1. とても元気で優秀な子どもの場合はどうでしょう?「親の七光り」の逆バージョン、「子の七光り」で親が元気をもらえる場合もあります。しかしどんな子でも思春期はつまづきますから、このようなケースはあまり想定できません。
  2. 親自身が子どもの頃、自分の親がそのように接してくれた場合です。親は子を信頼して見守っているものだから、親として当たり前のことをしているだけ、、、と考えます。祖父母⇒親⇒子へとpositiveエネルギーが世代間伝達されます。
  3. 子どものこととは関係なく、親自身がまわりから多くのpositiveエネルギーをもらい、安定した人間関係をキープしている場合です。安定して信頼できる夫婦関係、親子関係、友人関係などを持っていると、そのエネルギーを子どもへ伝えることができます。
家族カウンセリングもこれと似ています。安定しているカウンセラーと信頼関係をしっかり築き、大量のpositiveエネルギーを吹き込みます。それによって家族内のnegativeな悪循環を断ち切り、オセロの黒を白にひっくり返します。

Q)どうやってpositiveエネルギーを吹き込んでくれるのですか?
A)それは多くの経験から生み出された秘伝の隠し味です(笑)。
  どうぞゆっくり味わってください。

2012年11月26日月曜日

温泉旅行と親孝行


連休最終日の特急「草津号」は思いのほか混んでいる。
自由席でも座れないことはないだろうが、指定席にしておいて良かった。前の座席には若いカップルが一組いるが、周りを見回しても他は初老の、あるいは老年のカップルや仲間連れがほとんどだ。多くは観光客。四万・草津温泉へ行くのだろう。
上野駅から2時間。十分日帰りもできるようになったが、せっかくの骨休めなんだから一泊しよう。
文庫本も持ってきて京浜東北線では読んでいたのだけど、やはり読むより書きたくなった。今回の旅行はデジタルはやめた。たった1泊だし。早くコーヒーをこぼしてボコボコになったモレスキンを使い終えて新しく出たEvernote仕様のモレスキンを買いたいからラミーのサファリでせっせと書いている。後でPCに入力するから二度手間なのだけど。
新幹線に比べると、在来線は揺れる。あまり集中していると乗り物酔いしそうで気分が悪くなる。
四万温泉の鍾寿館は父親の実家だ。温泉旅館が実家というのはかなり得している。父親にしてみれば里帰りだろうけど、私はおじいちゃんから小遣いをもらい大きなお風呂に入ってご馳走にありつける。

鍾寿館は戦前からの老舗旅館だ。もともと温泉旅行を享受できるのは一部の富裕層のみに限られていた。戦後、農地改革により農民が解放され、農閑期に湯治する習慣ができた。米や野菜を持参して自炊しながら長逗留する。他のお客さんとの相部屋を嫌がるほどプライバシー感覚はないし、むしろその方がおかずをシェアできて楽しいのだろう。当時は混浴もふつうだった。
高度成長期に入り、会社の慰安団体旅行という習慣ができた。大勢で貸し切りバスに乗り込み、大広間で大宴会。私の子どもの頃は、親戚一同が集まり、「きょうだい会」と称してよく宴会が開かれていた。7人のきょうだいと連れ合いが集まれば、その子どもたちは相当な数になる。上から下までいろいろな年齢層のいとこたちと遊んで一緒にお風呂に入ったり。力の差からいじめられることがあっても、集団性の中での楽しみだった。
そのような団体旅行は個人旅行にとって代わった。元の大広間に間仕切りができ、中・小の個室に分けられた。昔のトイレ無しの六畳間は、今の時代の客室には狭すぎる。畳対応の椅子・テーブルを入れて個別の食事会場になった。

父親は年に一度は帰省する。去年は娘も連れて親・子・孫の三代旅行だった。今年は親子の二人旅。おばあちゃんは出不精だし孫の世話が気になるから留守番に回る。母親と娘の旅行ならおしゃべりに花が咲くのだろうが、父親と息子のふたり旅なんて話すこともない。駅弁を食べて、孫の話をちょっとしたら、あとはだんまり。居眠りするか、こうやって仕事のふりをしてブログを書いている。それでも気まずさはなく、ゆったりした時間が流れる。父親ひとりで行けば良いのだが、あえて息子もついてきた。
実家旅館に着いても毎回やることはほぼ決まっている。次男坊の父と当主の兄との会話だって昭和ひとけた同志、30分も話せばネタが尽きてしまう。お墓参りにも行く。なぜ律儀にお墓参りする意味が、今までは理解できなかった。3年前、妻を亡くしてからその意味がわかるようになった。
父親が山間の集落--温泉がなければ、ホントに山奥の小さな集落だ--に過ごしたのは小学生までだ。小学校を卒業したら前橋の旧制中学に出て、高校は埼玉、大学は東京へ。四万に戻ることはなかった。巣立ちの年齢は普通18-20歳頃とすれば、父の巣立ちはずいぶんと早かった。土地を買い、家族も仕事も東京に拠点を移してからも、故郷への憧憬は強く残っているのだろう。たとえ80歳を過ぎても、いや、むしろ年齢と共に強まるのかもしれない。

親孝行という言葉は好きではない。儒教的規範としての親孝行は年功序列、家制度を保持するための前世代的価値観であり、現代の核家族の機能維持の妨げになる。あるいは、親孝行は高齢者の安全と生活を維持するために必要な家族の結びつきなのだろうか。
そうではなく、親孝行はもっと純粋に心情的なものであって欲しい。
親子の愛情って何なのでしょうか?
相互に関わりたい、関心を向けるという欲求。思いやり。その人のことを考えようとすること。そしてこれが一番大切なのだが、肯定感を与えること。
子が親の関心を受け、親の愛情を受けたという実感を抱けてこそ、子が親への関心を向けることができる。親孝行って、するべき規範でもノルマでもなく、自然にやりたくなる心情的なものだ。

もし私が家族の危機にも、仕事のストレスにもブレない安定感を備えているとしたら、父親との関係性に由来する部分が大きいと思う。
自分が生まれてきた由来、自分という存在の根拠である親をしっかり肯定でき、しっかり結びついているという確信は、不確実で不安な世の中にあっても、揺れずにいられる根拠を与えてくれる。
こういうことは、ふつう気づかない。自分自身の体験を、他の体験と比べてはじめて見えてくる。ふつう、他の人の体験なんて触れる機会はない。せいぜい映画や小説で触れるくらいだろう。

ふつうの精神科医は患者さんの中に潜む病気ばかりみているが、心理セラピストであり家族療法家である私は、人の心に潜む家族体験をよく見てしまう。時にはご本人自身も見えていない部分まで見えてしまう。いや、本人だからこそ見えにくいのかもしれない。見るのが痛い、見えてしまうのが怖い体験もたくさんある。
そこまで掘り下げるなんて失礼な。プライバシーの侵害じゃない!!
そうなんですよ。
身体医学のお医者さんは身体をハダカにして、さらにメスで身体の中まで侵入してきます。心のお医者さんは心をハダカにして、心の中に入り込んできます。ある意味、とても恐ろしいことですよ。それが治療のために、心の病気や悩みを治すために必要なことならば、嫌がるご本人の抵抗を乗り越えて入り込んでゆきます。

私と父親との関係は、特に悪くもなく、特に良くもなく、ごくふつうの父子です。しかし、それが自分の心の安定さの基盤になっているという気づきは、そうでない人々の心に触れることによって対比的に理解することができます。
時々、クライエントの話に涙することがあります。それは、クライエントの体験に共感するからであり、そのもととなっている自分自身の体験を再現するからです。

もし心情的に親孝行できないとしたら。
自分が親から愛されず、受け入れられた体験を持たないとしたら。
親を愛し、親を受け入れることが出来なくなります。
人生の始めに、無力な子どもを無条件に受け入れ肯定してくれた親。その人生の終わりに、無力となった親を無条件に受け入れ、肯定します。もし肯定された記憶がないのに、親孝行という規範だけで親孝行したとしても、老親を肯定することは不可能です。
親を受け入れず、否定することは、自分自身の起源、つまり自分自身をも受け入れず、否定することになります。それがどんなに辛く、苦しいことか。
たとえ物質的に恵まれ、社会的に認められ人々から称賛を浴びたとしても、心の根底では本当の安心と心のよりどころを得ることができません。そのことが、さまざまなカタチとなって表れ、精神科医のところにやってきます。

もっとも生きる基盤なんて盤石でなくとも、揺らいでいても、何とか生きていくことができます。学力・体力・知力・経済力などさまざまな力(=鎧)を獲得し、バランスを保ち、辻褄を合わせて生きてゆきます。
しかし、何かのきっかけでバランスが崩れると、きっかけとなった出来事の衝撃の強さ以上に大きく崩れる場合があります。そうなると、口火が切れた部分の応急補修では済まされず、それまでなんとか抱え込んでもやってこれた膿みの部分まで深める治療が必要になります。

、、、というようなことを電車の車内と、温泉宿でつらつら考えていました。

私の向かいには、父親がいます。

2012年11月16日金曜日

本当に求められている精神医療

<抗不安薬依存深刻に>
抗不安薬や睡眠薬を長期に処方された患者が、薬物依存に陥り、薬を減らしたりやめたりする際の離脱症状に苦しむケースが問題になっている。日本は欧米に比べ、抗不安薬や睡眠薬の処方が際だって多い。漠然とした処方をやめようとの動きも始まったが、薬物偏重の背景には、患者の訴えをきちんと聞くことのできない日本の精神科医療の問題がある。

...欧米では、治療指針で処方期間を4週間以内とするなど、早くから対策が講じられた。...

ところが日本では、多くの精神科医や内科医が「飲み続けても安全」と、漠然と使い続けた。

<訴え聞かず暴言吐く主治医>

...日本の精神科医療が薬物偏重である背景には、精神科医が、患者の訴えを聞いて診断する力が不足していることがある。ある精神科医は、「もし自分に、患者の訴えをきちんと聞く技術があれば、初診から薬を出すケースは相当減るだろう」と打ち明ける。...(医療情報部 佐藤光展)(読売新聞2012.11.13)

これは、最近の新聞からの引用です。
私が6年間の医学部で受けた教育は医学モデル、つまり病気の診断と治療が主で、心理学や社会福祉、ソーシャルワークなどの勉強はほとんどやりませんでした。
大学院や研修医時代にはもう少し幅の広い視点も養われました。しかし、話を聴こうとしても5分や10分、せいぜい長くても30分程度では限界があります。それで私は英国に渡り、家族療法のトレーニングを3年間積み、その後も国内外のさまざまな機会を利用して研修を積んできました。そのような勉強はすべての精神科医に求められているものではありません。精神科医の自助努力で行わなければなりません。日本の精神科医の大部分は医学モデルしか持っていません。
ホントは、3つの視点が必要だと私は考えています。

バイオサイコソーシャル・モデル(Bio-, Psycho-, Social- models)
という考え方があります。

  1. 生物学的な見方 (Bio-):精神症状の背後に生物的な異常、たとえば脳の神経代謝物質の異常や先天的な障害を想定します。治療は身体の化学的な組成に影響を与える薬物を用います。
  2. 心理学的な見方 (Psycho-):精神症状や悩みの背後に心のプロセス、たとえばショックな出来事(トラウマ)、失敗体験、恐かった体験などが隠されており、その影響で自信を失くしたり不安な気持ちが強く、物事がうまくいかないと見立てます(もちろん見立てはこれだけではありませんよ。様々な可能性があります)。治療はカウンセリングが主体となります。普段は避けているイヤな気持ち(悲しみ、不安・怖れ、怒り)などに向き合い、気持ちを整理して、後ろ向きから前向きな気持ちになれるよう自信を回復します。
  3. 社会学的な見方 (Socio-):個人のまわりに取り巻く環境や人間関係に焦点を広げます。家族、学校、職場、地域などで繰り広げられる人間関係の文脈を考えます。たとえば不況でリストラの危機にあったり、学校の雰囲気が悪かったり、家庭の雰囲気がいまひとつだったりすれば、多かれ少なかれ人のココロにも影響します。その場合、その人に投薬したりカウンセリングしてもうまくいきません。家族・学校・職場などを視野に含めて動かしていきます。

家族療法の考え方は、(2)心理学的な見方と、(3)社会学的見方を組み合わせた手法です。システム・モデルといってかなり役に立つ見方なのですが、それをうまく行うためは結構な時間と経験が必要です。

たとえば、「うつ」で会社に行けなくなった人を考えてみましょう。
1) やる気が出ず、眠れなくなり、食欲もなくなり、自分はもうダメだと悲観的になってしまいました。この症状だけ取り上げ、生物的な見方をすれば「うつ病」と診断できます。ではお薬を飲みましょう、、、ということになります。
2) もう少し話を伺うと、職場の上司とうまくいかず、仕事で失敗したことがトラウマになり自信を失っていました。それでは、カウンセリングをして気持ちの整理をしましょう、、、ということになります。
3) さらに話を深めると、最近、年老いた父親に介護が必要になり関わっているうちに、未だに父親から認められず子供の頃の父子葛藤が再現し、過干渉に心配する母親からも自立できないことが見えてきました。それでは、家族のことも含めてよくお話を伺いましょう。別にご高齢の両親を治療にお呼びするする必要はありませんが、心の中の家族関係を整理しましょう、、、というようなことになります。

もうひとつ、「ひきこもり」を例に考えてみましょう。
1) 友だちを作れず、学校で孤立して、夜、ネットゲームばかりにはまり、朝起きれなくなって学校を休み始めました。その現象だけを取り上げれば「発達障害」が疑われます。
3) もう少し話を伺うと、実は一族に久しぶりに生まれた男の子で、子煩悩のお父さんはとても期待をかけてスパルタ的にしつけていました。短大卒のお母さんは高学歴のお父さん一家に嫁いできて肩身の狭い思いをしています。夫からも「子育てはおまえの仕事」だと言い渡され、お姑さんの視線も気にして、お父さんから厳しくされるわが子を不憫に思い、甘やかして育てました。厳し過ぎるお父さんと甘すぎるお母さんの間で、友だちをうまく作り、早寝早起きの生活習慣を整えるだけの自立心がなかなか育ちません。ここまで見えてくれば、お父さん、お母さんも含めて一緒にカウンセリングに来てもらい、どうわが子に接したらよいのか見直していく中で、子どもがすくすく成長できる家庭環境を整えます。


ゆっくりお話を聞いて、薬をあまり使わない精神科医療が、今、ほんとに求められていると思います。私のところにも、精神科で薬ばかり増えて、症状が改善しない方や、症状が治った後で、安定剤や睡眠薬を切りたい方が来られることがよくあって、処方されている薬の多さに、驚きを禁じられない時があります。

これは内科医をしている友人の話です。
(1)の生物・医学的な見方しか持っていない精神科医にかかるとこうなってしまいます。
診療時間が短いと、具体的な症状の背後にある事情まで伺うことができません。

人生、いろいろありますね。誠意があり、患者の話をよく聴き、本人をよく見て、なぜこうなったのか、本人が今何を必要としているのか、また長期的に何がベターなのか、よく考えて対応下さる精神科医は本当に重要ですね。

これは別の友人からのメールです。
私も本当にそう思います。

2012年11月11日日曜日

中学時代の恩師

吉澤先生は、私の基盤の重要な部分を占めている。
思春期前の子ども時代に両親が基盤であったことは間違いないが、自立心が芽生えはじめた中2・中3に担任だった吉澤先生は、ソトの世界における基盤だった。

その前の中1の担任のX先生はひどかった、、、と自分で思っている。
具体的にX先生のどこがヘンで、Y(=吉澤)先生のどこが良いのか説明しにくい。
中学時代、私は相当やんちゃだった。別に不良っぽいというほど大したことはないが、廊下を走ったり、屋内でボール投げをしたり、習字の時間の後、書き損じの半紙をまるめて雪合戦をしたりホントに他愛ないやんちゃだった。X先生の授業中の態度が悪く(そう、内心先生をバカにしていました)、壁に立たされて、授業終了の「起立!、きをつけ!、礼!」の号令を学級委員だった私が立たされた状態でやった記憶がある。ウッシッシ!
本気で人を傷つけるわけじゃないが、何かを壊したかった。授業で将来の夢を書かされ、「ナポレオンみたいに革命を起こす人」と書いた記憶がある。体制を崩したかった。それは今までの自分を崩して、新しい別の自分になりたかったのかもしれない。
普段、X先生はダメダメのトーンから入っていった。「田村クンは勉強はできるけど、態度が悪い!」と否定された記憶がある。X先生の人となりに何かウソ臭い、イヤなものを感じていたのだと思う。手抜きで、生徒の前ではつまらなそうな機嫌悪そうな表情をしていて、放課後先生同士でテニスに興じていたときはすごく生き生きとしていた。生徒に見せる雰囲気とはぜんぜんちがっていた。今から思えば自己評価の低い先生だったのだろう。

中2のY先生は対照的だった。授業やホームルームで接していても何か肯定的なものを感じた。クラスのスローガンが「人に迷惑をかけない限り、何でもやってみよう。」これは気に入った。夏休みに友だち4人で2泊3日で尾瀬に行くかなり大胆な計画をY先生が認めてくれた。よっぽど信頼してくれたんだ、、、という基盤ができた。
夏の林間学校。昼の行事はどうでもよく、夜のアドベンチャーをよく覚えている。昼間、女子に「今晩行くからな!」と告げておき、就寝時間の後、定期的に見回りにくる先生の間隙を縫って悪ガキ仲間と一緒に別の棟の女子部屋へ遠征した。別にエッチなことをするわけではない、行って戻ってくるスリルを味わいたいだけ。人に迷惑をかけないで、何でもやっているだけなんですけど。
先生に見つかって、廊下に正座させられて、ひどく叱られるのも敵軍の捕虜になった気分だった。
その後もはしゃいで寝ようとしない我々の部屋にY先生が黙って入ってきた。我々は寝たふりをしてるが、先生は一緒に横になり寝ている。えっ、いつまでいるの?ずっと息を潜めて伺っていると、しばらくして黙って去って行った。他愛ない中学生の修学旅行的風景だが、なぜかそういう体験が私にとってのソトの世界の基盤になってしまった。
高校に入ったらアメリカ留学したいと漏らしたら、AFS留学体験のある卒業生と会わせてくれた。
高3で夢が叶った時、出発前に横浜のホテルニューグランドでお祝いの食事会をしてくれた。
その後も、クラス会をやったり、結婚前に妻とお宅を訪問したり、結婚式に来てもらったり、テニスを一緒にしたり、親交が続いていた。

そのY先生が手術不能の肝臓がんをわずらい、積極的な治療もやめた。
80歳を過ぎれば亡くなることはぜんぜん怖くもなくなるんですよ。でもその前に教え子たちに会っておきたい。
「じゃあ先生の趣味の写真の展覧会をやろう!」というクラス会の酒の席での話を真に受けて、実現に向けて進めている。
1月はもしかしたら間に合わないかもしれない。
しかし、これはY先生のためというより、私自身の基盤を確認し、リリースするための儀式なのだと思う。

追加)
繰り返しになるけど、Y先生はソトの世界の人だったんだ。ウチの世界の基盤はその時点でだいたいできていた。Y先生はウチからソトへの架け橋だった。1年生の担任X先生も、高校時代のS先生も大したことない、つまらない大人にしか見えなかった。彼らだけだったらソトの世界は大したことないつまらない世界だっただろう。Y先生は、私と十分に離れた位置からソトの世界をぐっと近づけてくれた。

話は聴くけど何も言ってくれないカウンセラー

私のところに相談にいらっしゃる前に、別のところで相談された様子を伺うと、
「カウンセラーの方はよく話を聴いてくれたのですけど、何もアドバイスしてくれないので、、、」
とおっしゃる方がよくいます。
これには3つの場合が考えられます。

1)来談者中心療法という技法は、クライエントの話をよく聴くことに徹します。上手なカウンセラーが話を良く聴いてくれると、何もアドバイスしなくても、何かわからないがとても気持ちが楽になった、どうすれば良いのか目から鱗が落ちたと感じます。
しかし、単に話を聴いているだけでも、実は裏技があります。カウンセラーにすれば裏技でもなんでもないまっとうなことをマジメにやっているだけなのですが、クライエントにはそれがよく見えないので「裏技」にしておきましょう。「ただ話を聴くだけ」のことが大きな威力を発揮します。
 この点、私はかなりアドバイスをします。来談者中心療法の考え方も取り入れますが、それプラスアルファの理論・技法を用います。

2)単に下手なカウンセラーの場合、ホントにただ聞いているだけです。来談者中心療法という技法は一見取っ付きやすいので多くの人々が使っています。不十分な理解のまま「裏技」を習得していないカウンセラーに聞いてもらっても、気持ちは楽にならず、目から鱗も落ちません。

以上はカウンセラーの技量の問題ですが、クライエントの技量の問題もあります。

3)クライエントのガードが固く、厚い鎧を着込んでいる場合です。「ホントに困ってます。どうにかしてください」と願いつつ、本音の弱い部分をしっかりガードして厚い鎧で守ります。そうなると、いくら上手なカウンセラーでも太刀打ちできません。クライエントは自分が鎧を着込んでいるなんて気づいていませんから、「このカウンセラーは下手だ」と認識してしまいます。
 もっとも、人はだれでも多かれ少なかれ鎧を身につけています。それを優しく開くよう促すのがカウンセラーの技量であり、勇気を出して鎧を開け放してみるのがクライエントの技量です。両者の技量がうまく重なると、カウンセリングの効果が最大に発揮されます。
 そう考えると、カウンセリングを受けるって難しいことなのでしょうかね。
確かに、症状を伝え、お薬をもらうだけの医療に比べれば難しいのかもしれません。クライエント側のがんばりが求められます。

料金が高い方が治りが良いわけ

私の相談は1時間じっくりかけるので料金を通常よりも高く設定させていただいています。
いらっしゃる方はその対価をお支払いできる方に限定されてしまうのですが、経済的に余裕のある「お金持ち」の方かというと、そうでもありません。
経済的な余裕の有る無しよりも、「それだけの対価を払ってもよいから相談したい!」という気持ちの高い方々がいらっしゃいます。
その結果、治りが良いです。
私が一昨年まで週1回診療していたクリニックは通常の保険診療ですから今よりかなり安く設定していました。
相談時間は同じ1時間でした。私の対応の仕方もそれほど変わりません。たくさんお金を頂くからその分サービスを良くするとか一生懸命やるということではありません。昔も今も、私の出来る限り真剣に取り組んでいます。
つまり、私の技量や相談の時間は変わらないのに、料金を高くすると治りが良くなります。なぜでしょうか?
「お金持ちはレベルの高い人だから治りやすいんだ」というわけではありません。
その訳は、みなさん相談を受ける動機づけが高いからです。平たく言えば「これだけ払うんだから治らなくちゃ!」と真剣に取り組まれています。

私は相談の中で、「こうしてみましょう。ああしてみましょう。」とかなり突っ込むタイプです。よく「話は聴いてくれるけど何も言ってくれない」タイプのカウンセラーがいるのですが(これについては別項でお話しします)、私はかなり違います。もちろん話はよく伺いますが、いろんなことを言います。
「問題を解決するために、◯◯しましょう。」
通常のお医者は◯◯に「薬を飲みましょう」が入るのですが、私はあまり薬も処方しません。
私の◯◯は「もっとその部分を聴かせてください」とか「今までとは変えて、こんな風に試してみましょう」といった課題を出します。
すると「え、、、そうすれば良いとはわかるのだけど、ちょっと××だから難しいかも、、、」と反応します。
問題を解決するためには痛みを伴います。
大きな痛みを取り除くために、小さな痛みを引き受けなければなりません。
人は「変わりたい」という気持ちと、でも「変わりたくない」という両方の気持ちを持っています。
たとえば、ひきこもっている人は「ひきこもりから脱したい、普通に社会に出たい」と願う一方で、「人と関わりたくない、傷つくのがイヤだ」と思います。
あるいは、相手と(あるいは自分と)向き合わねばならないのはわかっているのだけど、向き合いたくない(恥ずかしい、怖い、ムカつく、心配だ)と思います。
私はその部分を丁寧に優しくプッシュします。でも、いくら優しくしてもプッシュすることには変わりはないわけで、そんなこと出来たら避けたいというのが本音です。
お金をかけても「解決したい」と動機づけの高い方は、私が提案する小さな痛みによく耐え、がんばります。その結果、大きな痛みが解決され治りが良いのです。

2012年11月9日金曜日

小春日和のポタリング

昨日の仕事は飯田橋⇒広尾⇒飯田橋の移動。いつもは早くしなくちゃと時間ぎりぎりに出るのだけど、昨日は天気も良いので少し早めに出て、小春日和の中いつものルートをポタリングと決め込んだ。
自宅から平和島の品川水族館前を過ぎ、鈴ヶ森刑場跡から旧東海道に入る。一方通行の商店街を逆行して北品川から品川駅の裏側、港南口に回り込む。高輪側の方が近道だが第一京浜の交通量を避ける。
田町を過ぎてガードをくぐり、JR線路わきの公園を通過。昔からの車窓の風景。以前は確か入り江で小舟もあったけど、今は区画整理されすっかりきれいになった。


第一京浜から日比谷通りに入り、日比谷公園へ入る。日比谷図書館はもうやっていないのかな?松本楼の脇をとおり、テニスコートは早朝からプレイしている。

内堀通りから皇居外苑へ入る。二重橋前はいつも外国人観光客でにぎわっている。
日本人はジョギングか自転車で通過するだけ。

そのまま内堀通りを北上し、竹橋のパレスサイドビルから九段下の交差点⇒飯田橋へ。

普段の何も考えていない通勤ルートをこのように紹介すると、それなりに都内の観光名所を巡っているようですね。確かに通勤電車に押し込められ、スマホをいじっているよりは楽しいです。これからの季節、風は冷たいけど空気は澄み、都内自転車を楽しめる時期かもしれません。

2012年11月8日木曜日

安心して傷つける


相談では、とても良くご自身と向き合われていたと思います。
日常生活ではなかなかそこまではいかず、つい避けてしまうものだと思います。特に悲しみ、不安、恐れなどの辛い体験があると、無意識のうちに心の「感情装置」をまるごと冷凍庫に入れて凍らせてしまいます。そうすればマイナスの感情を感じなくて済みますが、副作用として元気や自信などプラスの感情も感じなくなってしまいます。
親の元気や自信などの感情が復活すれば、子どもに必要なことをしっかり伝えることができるようになります。
叱り飛ばせば子どもは傷つきます。「あなたはダメよ!」と伝えるわけですから。
でも、あえて親が子どもを叱り飛ばすということは、「これだけ叱ってもあなたは大丈夫、傷つきに耐えられると思っているのよ」というメッセージも子どもに伝えることができます。
この子は親が叱り飛ばしても大丈夫なはずという親の安心感を子どもに伝えることが「安心して傷つけてあげる」という意味です。そうすれば親の安心感が子どもに伝わり、安心して今までできなかったことに挑戦する勇気を得ることができます。

モンブランの万年筆

診療で使っているモンブランのボトルインクが空になりました。
今まで、仕事はボールペンがほとんどだったのですが、最近万年筆を愛用しています。
ラミーのサファリは書きやすく、しかも安価なので、細字・中字など太さの違う万年筆に各種の色のカートリッジを入れてTPOに応じて使い分けています。マジメな書類には細字の黒、パソコンで打ち出した原稿のチェックや追加には細字の赤、旅先で沸いてきたアイデアをノートに書きだすときは中字のパステル色という具合に。

大切な手紙やカルテに記入するときはモンブランの極太マイスターシュテックを使います。相談中はクライエントの話に集中しているので、大切なキーワードだけをカルテに走り書きします。後から読み返しても判別できないことがあるので、できるだけ大きな字で書きます。ボールペンのように力は入れず、滑らかに優しく書けるのが万年筆の良いところ。

カートリッジのインクはけっこうすぐになくなり取り替えますが、50mlのボトルインクを使い切るってかなり大変。この万年筆は37年前、高校留学のお祝いに頂いたものです。アメリカ滞在中の日記はこれで書いていましたが、ボトルを使い切ることはありませんでした。帰国後使わなくなり、30年以上机の奥に眠っていましたが、開業を機にオーバーホールし蘇らせました。
開業して1年4か月ほど。多くのクライエントの方々をこの万年筆がお迎えしました。
この万年筆には私の歴史が刻まれています。

すでに次のボトルをアマゾンから購入し、使い始めています。新しいボトルが空になるのはいつ頃になるかな。楽しみです。

追伸)これと同じような記事をFacebookにアップしたのですが、すぐに「いいね!」の反応が返ってきます。こちらのブログではそういうことはありません。どう使い分けようか思案中。

2012年11月7日水曜日

若者の「もやもや」


インタビュアー:若ナビ」では、18歳以上の若者を対象として、人間関係の悩みや漠然とした不安などのもやもやした気持ちを抱える方々からの相談をお受けしていますが、若者の「もやもや」した気持ちっていったいどんなものでしょうか。

田村:若者の「もやもや」には2種類あります。ひとつは、『よくわからない状態』で、何に困っているのか自分でもわからない。さらに言えば、自分がわからない、生きる意味がわからない。自分の存在が不確定で自信を持てず、これでよいのだろうかと戸惑い不安を抱くという状態です。もうひとつは、『表現できない状態』で、つらさや弱みを出したいけど、どう出したらよいかがわからない。誰かに話したいけど、話せる人やわかってくれる人がいない。恥ずかしくて話したくない、でも話さずにはいられない。どう話していいかわからない。話すべきではないと思う。自分のプライドにかかわる。いったん話すと自分が壊れてしまいそうで怖い。そういった状態です。

なるほど、若者のもやもやには『よくわからない状態』と『表現できない状態』の2種類があるんですね。その背景にはどのようなことがあるのでしょうか。

 『よくわからない状態』の背景のひとつには、「肯定的に自己を評価できない」ことがあります。生活していく中で次から次へ遭遇する大小様々な困難に立ち向かうためには、自分はそれを乗り越えるだけの力を持っているはずだという肯定的な見通しが必要です。それが不十分で自分をうまく肯定できないと、「何をやってもダメ」「何に対しても自信が持てない」という思いが強くなり、毎日の生活のすべてのことに対して前に進めなくなってしまうのです。

また、『表現できない状態』の背景のひとつには、若者のコミュニケーション能力があります。他者と折り合うためには相手にメッセージを届ける能力と相手のメッセージを受け取る能力が必要ですが、そのコミュニケーションにも自信がもてないのですね。自分を主張したら、相手が自分のことを否定的に捉えるのではないかと心配し、自分の気持ちを伝えることをあきらめてしまう。そして、相手に合わせようとするが、まわりが自分を裏切るのではないか、見捨てられるのではないかと心配します。その結果、自分と相手のメッセージの折り合いがつかず、自分が受け入れられないと感じてしまいます。

2012年11月6日火曜日

ひきこもり青年と家族

私が青少年と関わる現場
私は思春期とその家族を専門とした精神科医である。受ける相談の多くが「ひきこもり」と言われる青年たちだ。投薬治療には重きを置かずカウンセリング、とりわけ家族療法という手法を取り入れている。これは一言でいえば心の問題を抱えた個人ばかりでなく、家族などのまわりの人たちにも焦点を当て問題を解決する手法である。
また、私は東京都のふたつの事業にも開設当初より関わってきた。ひきこもりサポートネットはひきこもり問題に悩む本人とその家族へ、若者総合相談(・э・)/若ナビは相談先が狭まる18歳以上の青年の悩みをインターネットや電話というメディアを通して支援している。
まず、「若ナビ」に訴えてくる内容を紹介しよう。多いのは仕事に関する相談である。たとえば就職がうまくいかない、自分に合った仕事が見つからない、どうやって自分に合った仕事を見つけたら良いのかわからない、どうやって就職活動をしたらよいのかわからないといった内容である。あるいは仕事が合わない、いろいろ仕事を試してもうまくいかない、何度転職しても気に入った仕事が見つからない、上司や仲間とうまくいかない、職場の同僚に恵まれない、上司が些細なことで怒ってくる、仲間のグチばかり聞かされて嫌だ、休み時間にどう同僚と接したらよいかわからない、自分だけ仲間はずれにされている気がするなどである。これらの悩みの背後には、人との関係をうまく折り合えない、職場を安心できる居場所として感じることができないという共通点がある。自分がこうあってほしい居場所と、実際に与えられている居場所がズレているために、自分と社会との間に違和感を抱く。
そのような体験が繰り返されるなかで、だんだんと人と関わる自信を失っていく。人とどう接したら良いのかわからなくなり、まわりの人々の眼差しを気にするあまり、自分がまわりからどう見られているか気にする。自分の存在がまわりの人たちに迷惑をかけているのではないか、自分はこの場にそぐわないのでは、自分だけ劣っているのではなどと感じる。それがさらに高じてくると、自分がいるために周りの人を不快な気持ちにさせているのではないか、悪口やうわさ話をしているのではないか、自分が周りの人を不快にさせるようなイヤな臭いを発しているのではないだろうかというような妄想(自己臭妄想)を抱くこともある。このように思い始めると落ち着かず、人の中にいるだけで緊張しストレスが高まり、その場から撤退する。一旦撤退してしまうと、なかなか社会に戻れなくなる。
もう一方の「ひきこもりサポートネット」に届く声は深刻である。生産的なことをやる気力がなくなり何もできなくなる。生活リズムが乱れ、朝起きなくなり、夜更かしして昼間に寝る昼夜逆転の生活になる。パソコンのゲームやインターネットを一日中している。一見、熱心に楽しんでいるかのように見えるがそうではない。確かにネットは時間を忘れ夢中にさせる効果がある。しかし、ネットがあるからひきこもるわけではなく、ひきこもりから抜け出せないために時間をつぶすためにしかたなくネットをやっているというのが現状だ。
このような不本意の状態になった原因を親などまわりの人に転嫁するのも特徴的である。親の対応の不適切さを責め、自分でうまくいかない責任をとらなければならないという考えは薄い。

万能的自我から社会的自我へ
なぜ社会の人々とうまく折り合えないのか、多くの青年たちとその家族と接する中でいろいろ考えてきた。その根底には子どもから大人へ心が成長する中で社会性を十分に獲得できなかった状態と私は捉えている。
子どもと大人の心のあり方は大きく異なる。子どもの心は万能的、つまり100%の自分でいることができる。乳幼児期から思春期にさしかかる10歳前後までの子どもは無力で、まわりから自分を守る術は持たない。親や先生などの保護してくれる人に守られ、無条件に愛されているという絶対的な安心感の中にいる。問題や困難があったら自分の力で解決できず、まわりの人が解決してくれる。この時期の子どもの自己万能感は保護者によって保障されたものである。
思春期にさしかかると自立心が少しずつ芽生えてくる。保護者によって支えられた万能感をてこにして、守られたウチの世界を抜け出しソト世界を試す。そこで生きていくためには自分の責任で他者と交流し、自分自身を守る社会的自我が必要だ。ウチの世界は安全性が担保されていたが、ソトの世界は危険に満ちている。攻撃をかわし、異質な人たちと折り合わねばならない。自分の枠組みをずらして相手に合わせたり、自己を主張して相手を近づけたり遠ざけたりする。相手は自分の期待どおりには動かず、自分のことを無条件に受け入れてもくれない。子どもの世界では当然保証されていた安心感を得ることができないので、多かれ少なかれ必ず傷つく。その経験を何度か繰り返す中で、今までの自己万能的自我ではもはややっていけないことに気づく。自分の思い通りになる100%の世界をあきらめ、他者と折り合うために自分の思いを削り70%に縮小される。完全な100%でもなく、全く捨てた0%でもない、その中間の妥協点という意味であり、70%でも60%でも50%でも構わないが、ここではかろうじて合格点の70%ということにしておこう。縮小された自分を良しと捉え、自分自身で受け入れることができたら、社会的自我の原型が芽生える。このようにして異質な他者と折り合う世界に居場所を確保できるようになる。
 しかしそれだけでは十分でない。万能的自我を捨て、社会的自我が確立するためには傷ついて70%に縮小してしまった自分を肯定してくれる他者の存在が必要である。それは条件付きの肯定である。子ども時代の万能的自我を支えた無条件の母性愛に対比すると、社会的自我を支えるのは、傷つき、否定された自我を肯定する条件付きの父性愛である。父性愛を担うのは子どもの心を安全に傷つけ、受け入れるのは至近距離でもなく、遠くもない斜めの位置から関わる大人である。学校の先生、部活の顧問や先輩、地域のスポーツクラブの監督などである。しかし最も大切なのは至近距離から母性的に愛する親ではなく、少し離れた距離から父性的に関わることができる親である。
子ども時代は親の母性機能が重要であり、父性機能は十分でなくても子どもはウチの世界の中で問題なく成長する。しかし、思春期以降にソトの世界に出て社会的自我を確立するためには父性的な機能が重要になる。旧来の権威的な父性ではなく、成長を促すために現状の一部分を否定し、傷ついた自我を支え、さらにそれを肯定する健全な父性である。ひきこもりの家族にはこの父性機能が不足している場合が多い。そのため父性・母性のバランスが崩れ、過剰な母性が子どもの自立プロセスを遅らせている。
父性と父親は異なる概念である。父性機能が不足していることと、父親が家庭に不在であることとは一致しない。父親がいなくても父性機能を与えることができるし、父親が家族と多く関わっていても父性機能を与えられない場合もある。伝統的な家族では父親が父性を、そして母親が母性を担っていたが、現代の家庭はかなり様相が異なる。
父性機能が得られない状況は、いくつかのパターンがある。代表的な例を4つほど紹介する。第一に、父性を担うはずの父親が不在の場合である。父親が仕事に忙しいというのは表向きの理由で、その背後には父親自身が子ども時代に自分の父親と関わった経験が希薄だったり、自分の父親に傷つき否定的な父親イメージしか持てず、自分がどう父親の役割を果したらよいのか見当がつかないこともある。関わろうとしないというよりは、どうやって関わったらよいのかわからないというのが本音だ。
第二に、両親の夫婦関係に顕在的あるいは潜在的な葛藤があり、両者が協力して子育てに関われない場合である。厳しく叱りつつ温かく受け入れるというように父性と母性はある意味反対のメッセージを同時に伝えるために両者の相互理解と協力が必要になる。このふたつを担当する夫婦間に葛藤があり十分なコミュニケーションがとれていないと、父性・母性という矛盾した両者を同時に与えることが出来ず、どちらかが撤退を余儀なくされる。母性の勢力の方が強いと父性が撤退し、家庭が母性一色になってしまう。
第三に、父性の表現方法が不適切な場合である。父親は子どものことを心配し、どうにかうまく成長して欲しいと願っている。心配・不安が高じて怒り・攻撃性に転じ、暴力的な父性となることがある。その背景には親自身が自分の親から暴力的に扱われてきたという否定的な記憶を持っていたりする。そのような扱いは絶対繰り返すまいと思っても、親となりいざ子どもに向き合うと自分が受けてきた親からの関わり方の記憶が無意識のうちに再現さてしまう。
第四に、両親とも母性的に関わっている場合である。子どもに明確な限界を設定して「ノー」と言えない。成長できず立ち止まっている子どもを全面的に受け入れるだけで、社会的自我を育成するために傷つけることが怖くてできない。

青年と家族への支援
子ども時代の万能的自我から社会的自我に移行する課題は誰にとっても困難であり、何年もかけて徐々に達成していく。最近は高学歴化・青年のモラトリアム化が進み、大人の年齢に達しているのに、心理的には万能的自我を捨てきれずうまく社会に適応できない青年たちが多くいる。
だれでも本来は成長する力を持っている。青年たちは家族や社会の人々と関わり多くの経験を積む中で成功体験と失敗体験を得ながら自分自身の力で成長してゆく。しかし失敗体験が一定の限界を超えてしまうと自分の力ではどうしようもできず立ち止まってしまう。そうなると家族だけに任せていてもうまくいかない。社会がこのような青年と本人に手を差し伸べ支援していく必要がある。このような青年たちに社会はどう関わり、何が出来るのだろうか。
一言でいえば、社会の中に健全な父性を作っていくことだ。旧来の家制度にあったような専制君主的で暴力的な父性ではない。相手を尊重しつつも健全な権威性を保ち行方を見失った子どもを非暴力的だが確実にしっかりと導き、傷ついた子どもを承認するような父性が現代社会には求められている。それを達成するにはつぎの二つが重要だ。
第一に、本人をとりまくコミュニティーの中に父性を発揮できる斜めの関係をつくる。友人、先輩、学校などの教師、指導者、親戚などとの絆を大切にしたい。第三者がカウンセラー的に関わってもよい。「ひきこもりサポートネット」や「若ナビ」では、傷ついた青年たちの声をしっかりと聴いている。
第二に、社会が家族を支援するという考え方もある。困難さが家族の解決能力を越えてしまっている場合には、社会が家族とつながり家族自体が成長できずもがいている青年をうまく支援できるように、家族に対して外側から社会が支援する。私は家族療法というカウンセリングを通してそのお手伝いをしている。子育てが失敗したと思い込んで自信を失っている家族とよく話し合い、家族に信頼と自信を回復してもらう。そうすれば潜在的に持っていた「家族の力」がよみがえり、家族が躊躇せずしっかり子どもと向き合えるようになる。
(ある雑誌に投稿した原稿です)

2012年11月2日金曜日

仕事にケチがついた話の続編


私が弱気になった記事を読んで、
http://tamuratakeshi.blogspot.tw/2012/10/blog-post_26.html
教え子やサポーターが応援してくれる。

先生、大丈夫ですか?
先生でもケチを付けられることがあるんですね。
そしてそれが気になることもあるんですね。

どうもありがとう!
みんな応援してくれるんですね。そのことが支えになります。
でも、大丈夫ですよ。

みんな弱くて良いんですよ。弱さをカラダの中に埋め込ませ隠しているんじゃなくて、取り出して眺めるんです。それはひとりの孤独な作業。他の人は何も出来ない。自分でどうにかするしかないんです。でも、そういう私を、「センセイ大丈夫?」と見ていてくれる人かいるだけでかなりがんばれるんですよね。
ということの大切さを身を以て示したくてブログに書いたんですよ。
誰だってブルーになるし。
ブルーになって構わないんです。

でも先生が弱気になっちゃったら困る。。。??
先生が不安になったら、自分も不安になっちゃう?
そうですよね。私も昔は自分の先生や親にそういうのを期待していたかもしれない。
自分が不安の時、自分が頼りにする人は、大樹のようにしっかり根付いてブレないことを求めていた。絶対的な存在。自分がブレたとき、ブレない絶対的な存在に依拠したかった。

でも、そんなのありえないですよね。自分が親とかセンセイの立場になってよくわかる。ホントは大樹であること(世の中にはそれを生き甲斐にしている人々もけっこういるけど)をやめたいのだけど、依拠する対象であることから逃げるわけにはいかないんでしょうね。
では、こうしましょう。建築学のことは何も知らないのだけど、ビルの耐震構造が二種類あるとしましょう。
  • ガッチリ構造:岩のように強く地震が来てもびくともせず、揺れのエネルギーを跳ね返す。
  • しなやか構造:地震の揺れに合わせて自分もうまく揺れて、揺れのエネルギーを吸収してダメージをうまく逃す。
地震(大地の揺れ)に限らず、心の揺れの場合も、ふつう前者を期待しますよね。
でも、ホントは後者の方がうまくいくと思いますよ。
揺れが襲ってもビクともせず跳ね返して揺れないのではなく、揺れを感知してそれを周りに伝え、共に揺れ合うこと(共振)で揺れのエネルギーを分散させるわけ。

ということを伝えたかったのだけど、みなさんを心配させてしまったようで済みません。
でも、ホントは言わなくたってわかってるし、そんなこと心配してないよね!?

2012年11月1日木曜日

弱腰サービスとクレーマー

飛行機の機材変更とかで出発が1時間遅れた。
まあ良くあることだししかたないなと思いつつ出発ロビーで待っていたら遅延のお詫びに千円の飲食券をくれた。ラッキー!
どこで使えるんですか?
あちらとこちらのショップでお使いになれます。

あっちに行ってみると、お店の人は「使えません!」
航空会社のカウンターに戻って「使えないってよ!」
済みません。今、確認します!
あちこち電話して、お店にも掛け合っている。
誠に申し訳ございません。あちらはダメのようです。こちらのお店にご一緒に行って、今確認して参ります。
と若いANAの兄ちゃんが走って行った。
別のオッサン客は「今頃こんなものもらっても仕方がないんだよ〜。くれるならゲートに入る前にもっと早く渡してくれなきゃダメだよ!
はい、どうも申し訳ございません。
よっぽどオッサンに何か言いたくなったけど、そこは抑えた。
 おかげでミックスナッツのおつまみを千円分買えたのは良かったのだけど、内心そこまでしなくても良いのになあ。まあライバル会社とのサービス競争もあるんでしょうけど。
アメリカの国内線では突然飛行機がキャンセルになり、半日空港で待たされても何もくれなかったよ!!
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半年ほど前の講演会。
事前に担当者から、「打ち合わせをするから1時間前に来てくれ」と言われた。レジメも既に送ってあるし、打ち合わせは15分もあれば足りると思うんだけど、、、と思いつつ1時間前に行くと、やはり打ち合わせは10分で終わってしまう。
これでもう結構です。まだ時間までありますから一旦解散して、10分前になったらまたお戻りください。
と言うヘラヘラ担当者の気弱な眼差しがどうしても見えてしまう。すると、思わずムカつきを表現してしまった。
あなたね〜〜。。。
一時間も前に来させておいて、一旦解散って、それは大変失礼なことわかってる!!
担当者はわかったのだかわかってないのか、へらへらのまま一礼して向こうへ行ってしまった。
となりの講師は何も言わない。私も何も言わなかった。
 何かなあ、こんな風に言わなくても良かったのだけど、、、
言ってから、何となく後味の悪い自己嫌悪モード。
 そういえば、だいぶ前にも同じように1時間も早く集合させられて、同じようにヒマだったけど、そのときは強面のしっかり担当者だったので、ムカつきも表さず、というか自分自身の中でムカつく気持ちも隠蔽されて、何も感じずポケッと待っていたこともあった。

 優しく、丁寧に、下から目線で謙譲サービスしてくれるのは尊重してくれる心地よさを抱く反面、過剰な弱腰サービスはお客さんをおだて上げ、高慢ちきな心情を増長させる。お客のクレームが始まってしまうと、途中から姿勢の高さをレベルアップする訳にもいかず、悪循環のスパイラルに嵌ってしまう。

 同じような現象が、思春期臨床でもよく見られる。
 子どもを愛する親が過剰にサービスすると、子どもは満足するものの、万能的自我(わがまま)が炸裂して自分の思いどおりに振る舞うことを周りの人に求める。うまくいかなかった原因を周りの責任に押し付け、自分で責任をとろうとしない。つまりホントは十分満足しているのに、あえて満足していないことをまわりにアピールする。すると親はサービスがまだ足りないから満足していないものと思い込み、さらにサービスを加える。こうやって悪循環が回り出しサービスがどんどん過剰になり、子どもは満足していないことをさらにアピールするはめになり、退行が進み、今まで出来ていたことも出来なくなってしまう。

 こういう場合、どうしたらよいのだろうか?
 弱腰な過剰サービスが発端の場合、それを適切なしっかりサービスに変えれば良い。飛行機が遅れてもサービス券など配らなくても良い。様々な事情で遅れるのは仕方がないのは十分に理解できる。そのあたりの事情をしっかり理解できるように説明してもらえれば良い。
 講演の1時間前に呼ぶのも、◯◯のアクシデントに備えて早く来てもらっている。支障がなければ早く済むが、過去に◯◯の問題が起きたので、念のためこのようにお願いしている、、、という具合に明確に説明してくれれば良い。
 それでもダメで納得しない場合、「責任者を呼べ!!」となる。
しっかり責任を取れる人に対応者が代わると、一旦クレームもリセットできる。責任をとるとは、お客に譲歩して際限なくサービス券を上乗せすることではない。あなたのことを理解しましたという意味である程度の譲歩も必要だろうが、どこかで限界を設定しなければならない。NOを言い渡すときは譲歩しない会社の決まりだから、我が家の方針だから、、、理由は何でも良いからきっぱりNOと言い渡す。

 その前に、最も大切なことは自分が過剰サービスをしていることに気づかないといけない。いくら人から「あなたのサービスは過剰よ」と言われても、「いや、適切だ」と言い張る。その逆に、うまくいかないのはサービス不足と勘違いしてさらにサービスを追加してしまう。客観的にみれば逆の方向なのだけど、本人は一生懸命だから気づかない。
 というか、内心は気づいている。サービス券を追加するのではなくしっかり「もうダメよ」と言うべきということはわかっているのだけど、「でも私、言えないのです。」
はい、そのお気持ちよくわかります。
しかし、そこが大切なんです。ご自身で「私は言えない」と決め込んでしまっている人が言える元気を獲得できるようにするのがセラピストの役目です。
 でも、無理に言わせようとしても無理です。出来ないことを無理にやらせるのは拷問みたいなもの。無理難題をふっかけられるいじめみたいなものだから、そんなところにはもう二度と行きたくありません。
 「私は言えない」背後には、それなりの深い理由があります。それを解き明かし、整理すれば、「言えない人」から「言える人」にグレードアップできます。
 いろいろな理由が考えられます。

 過去にひどい客がいて、しっかり言ったことが裏目に出てひどい目にあった経験を持つ場合です。
 ひどい客って誰でしょう?
 たとえば、子どもにしっかり向き合おうとすると、親自身の子ども時代に父親が母親にひどいことを言ったり暴力を振るった思い出がよみがえりフリーズしてしまう場合。
 あるいは、自分のきょうだいと親がひどいバトルを繰り返し、ひどいことになっちゃった場合。
 あるいは、夫がひどいことを言ったりやったりしていて、立ち直れないくらい傷ついている場合など。
 そういう過去の体験があると、また同じことが起きるのではと自動思考してしまい、自分の子どもにもっとしっかり伝えようとしても自動ブレーキがかかり言えなくなってしまいます。
 そういう場合、どうしたらよいのでしょう?
 安全感・安心感を回復することです。
 世の中、そんなひどい人ばかりではないという安心感です。しかし、自分でもトラウマと意識していない隠れたトラウマはかなり根深いものです。一見ふつうの人でも、ちょっと突っ込んで刺激したらとんでもないことが起きてしまう不安がどうしても残ります。
 その場合、当該のひどい人の記憶と、他の一般の人々との連結を外します。連結されたままだと、あの人がそうだったから、この人もそうなるかもしれないと予期不安が連結してしまいます。そうではないことを自分自身の思考の中で実証しなければなりません。あの人は、ふつうの人とは違う特殊な事情があったからひどかったんだ、普通の人とは連結されていないのだということを改めて理解します。
 しかしその作業はかなり困難です。理屈で説明するのは簡単ですが、だいたいその人や出来事を思い出すこと自体がトラウマの再現で、もっとも遠ざけておきたい事象です。ひとりでは無理で、セラピストなど、安全に手伝ってくれる人が必要です。なぜあの人はそんなにひどかったのだろう?よくよく考えると、その人の個別の事情が見えてきます。あの人には、「自分が不幸だ」と思い込ませるに十分な事情があったのかもしれません。
 でも、こんな作業は大変だし、やっても意味がないのではと思いますよね。過去を取り返すことなんてできるはずないし、第一、あの人はもうこの世にいません、、、。
 いえ、それで良いんです。過去は過去で構わない。それを現在によみがえらせるわけではありません。その逆で、過去は過去だったんだ、現在とは違うのだと、はっきり境界線を引き、忘れられない過去を丁寧に葬ってあげることです。

 こんな風にイヤな過去をほじくり出すことは、とても不快です。だからこそ、誰にも言わず、自分自身も心の片隅に隠して封印しています。
しかし、それでは解決しません。自分自身に隠さなくてはいけないということは、どこかで現在と繋がっているからなんです。もしその過去が現在と切り離されているとしたら、隠す必要がなくなりますから。
 そのようなネガティヴな過去の体験が、今を強く生きる自信を、必要なときに必要なことをはっきり「言える」力を鈍らせています。ホントは強く生きて良い人なのに。

 「言えない人」のもうひとつの理由は、単純に、そういう経験をしてこなかったから。
 子ども時代からずっとサービス券をたくさん与えられ、過剰サービスが当たり前の世界で育ってきた場合です。自分がそうやって育ってきたのだから、そのことを問題視する発想は持ち合わせません。
 そう、つまづかなければ過剰サービスはぜんぜん問題ありません。つまりずっと一軍でプレイすることができれば。しかし、過剰サービスの問題点はケガをして戦力外通告を言い渡されて一時的にせよ二軍に落ちたときです。二軍落ちの経験のない親は、二軍に落ちた子どもをどう支えたら良いのか見当がつきません。
 「しっかり言う」ことが、今までやったことのない、新しい体験となります。そういう場合はしっかり練習することで、新しいやり方を会得できます。それまでの旧式のやり方にこだわらず、新しいやり方に慣れることが出来れば目から鱗が落ちます。
 そして家族の問題も解決します。
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以上、空港のちょっとした出来事からイマジネーションが飛行機とともに飛び立ち、機内でメモしたことです。まだまとまっていないけど、公開してしまいます。後悔したりして(失礼)。

村上春樹と自分(2)

  • 才能の次に、小説家にとって何が重要な資質かと問われれば、迷うことなく集中力をあげる。自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力。これがなければ、大事なことは何も達成できない。、、、僕は普段、一日に三時間か四時間、朝のうちに集中して仕事をする。机に向かって、自分の書いているものだけに意識を傾倒する。ほかには何も考えない。ほかには何も見ない

 私はこれが大の苦手なんですよね。意識をまわりに分散させて全体を把握する力はあると思うのだけど、その逆の意識の一点集中ができないんですよ。だから個人への深い精神分析より、複数の関係性を扱う家族療法やグループ・セラピーが向いていると思うんです。1−2時間の短期なら集中できると、3−4時間はきついなあ。だから原稿を書いていてもすぐに飽きて他のことを始めたり、他のことはやらずに机に自分を縛り付けたとしても頭の中が勝手に他の方に行ってしまいます。
 しかし全く一点集中ができないこともないですね。思い返してみれば、若い頃の受験勉強や徹マン。今でも出来るとしたらテニスなどのスポーツや料理かな。でもそれもせいぜい1−2時間でしょ。だからブログは書けても本の原稿が書けないんです。(言い訳ばかり)
  • 集中力の次に必要なものは持続力だ。1日に3−4時間、意識を集中して執筆できたとしても、一週間続けたら疲れ果ててしまいましたというのでは、長い作品は書けない。日々の集中を、半年も一年も二年も継続して維持できる力が、小説家には求められる。
持続力はあるんですよ。ひとつのことに関心を抱き続けることができます。ひきこもりや家族療法やインターネット・セラピーとか20年近くそればっかり続けています。本を書こうとして、新しい想像力・アイデアは割と良く湧くんですよ。それをとりあえず草稿に追加します。だからEvernoteやアイデアプロセッサーを好んで使います。しかし、問題は断片的なアイデアの塊を順序良く並べて、全体を俯瞰した本にまとめる集中力が乏しいのです。だから、いつまでたっても草稿が草稿のままどんどん膨らんでしまい、一向にまとまりません(涙)。
 でも、村上春樹によれば才能はダメだけど、集中力と持続力は意図的に鍛えられるということなので、がんばるしかないかな。この歳で??
 こんなブログ書いている暇があるなら、本の原稿をまとめなさい>自分!!