私が子どもの頃、毎夏お盆の時期に愛媛県の母の実家に帰省しました。
親戚やいとこたちみんなで遊んだ海水浴は、とても懐かしい思い出です。
ある夏の思い出です。巣立とうとする思春期の青年たちは、自分の力で泳げるのか試します。
たしか小学校高学年だったと思いますが、いとこのお兄ちゃんが沖にいるのを目指して、覚えたての平泳ぎで、プカプカゆっくり気持ち良く泳いでいました。
すると、突然手漕ぎの小舟が近づいてきて、「大丈夫ですか?」と、舟に乗せられ、岸に戻されました。
岸では親戚みんなが大騒ぎです。どうも心配性の叔母さんが、「タケシ君が溺れてる!」と叫んだのがきっかけだったようです。確かに岸から見れば潮に流され、溺れているように見えます。母はパニックで泣いていました。私としては、そんなに悪いことしていたわけじゃないけど、みんなに心配かけたのは悪いことだと思わざるを得ませんでした。
小さな子ども時代は、まわりの大人たちによって安全が確保されたプールで泳いでいます。
広い海はとても危険です。
勉強がうまくいかなかったり、友だちからいじめられたり、先生から叱られたり、クラブ活動の先輩や微妙な友人関係など。。。
親は不安です。
そんな危険な大海原を、この子は本当に泳げるのでしょうか?
泳ぎ始めは、みな下手くそです。はたで見てると、溺れるんじゃないかと心配します。
親としては、子どもを溺れさせるわけにはいきません。助け舟を出します。子どもは海から引き揚げられ、自分の泳ぎを習得する機会を失います。
本当に大丈夫なのでしょうか?
この子は、自分で何とか困難を乗り切る力を持っているのでしょうか?
その答えは、実際にやってみないとわかりません。
必死に泳ぐ当事者だって自信がありません。
周りの人が「あぶない!」と言えば、危ないし、
「大丈夫!」と言えば、大丈夫かなと思うしかありません。
親が心配のオーラを投げると、子どもも心配になります。
親が安心して子どもを見守っていると、子どもも安心して、何度か失敗しながらも困難な海を泳げるようになります。
ひきこもっていたAさんは、一大決心して、親から離れ自分ひとりで生活することにしました。親にとって、それまで身近にいたAさんの姿が見えなくなります。様子がわからなくなります。連絡しても、電話に出ません。コンタクトが途絶えてしまいました。ひとりで何してるのだろうか?とても心配になります。もしかしたら、死んでるかもしれない。。。そんな不安が親の心をよぎります。----
それではいけません。
子どもを心配し過ぎるのは、親のエゴです。
子どもを信頼してあげましょう。
この子は大丈夫だ。ひとりで泳げる!
その親の眼差しが、子どもを成長させます。
子どもを信頼せず、いろいろ干渉してくる親を子どもはとても嫌がります。
子どもは親の心配を拒否しようとします。
すると、子どもから拒否された親は傷つき、さらに心配します。
この悪循環が、巣立とうとする子どもを縛ります。
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