2018年6月2日土曜日

中国のひきこもり事情

先週末は、上海で「ひきこもり」のワークショップを3日間開催してきました。
40名ほどの参加者はカウンセラーなどの専門家が大半でしたが、何人かひきこもりの親(当事者)もいました。

中国へは、学会で何度も往復していますが、直接人々と触れ合い、教えるのは3月の武漢に続いて2回目です。

 武漢での初回は私にとってカルチャーショックでした。日本の聴衆はおとなしく、促しても質問・意見があまり出ません。中国ではその正反対。私の話をさえぎり、自分の問題を解決してほしいと質問の嵐でした。仕方がないので、当初の予定を変更して、私が講義をするのではなく、参加者が抱えている問題の公開コンサルテーションに切り替えました。事例を募っても、日本では躊躇してだれも手を上げないことが多いのですが、武漢では手を上げるどころか、指名する前に勝手に前に出てきてコンサルテーションの椅子に座ってしまいます。
 今回は2回目なので、そんな状況も予期しながら、なんとか参加者のニーズに応えられました。

我々が持つ中国のイメージは概ね否定的です。
声が大きく、車内でもどこでも平気でケイタイで話している、厚かましく割り込んできて、自分ばかりを主張して、礼儀をわきまえないといったイメージを私も抱いていました。
 中国で心理学関係の学会やワークショップを行うと、日本では考えられないくらい多くの人々が参加します。中国は人口が多いからなのか、心理学へのニーズが高いのだろうかなどと思いつつ、自由にものを言えない一党支配社会で、心の自由な開放を促す心理学やカウンセリングが成り立つのだろうかと、疑問を抱いていました。

今回、ナマの人々の声に実際に触れてみて、そのような疑問が払しょくされました。文化や社会に付与されたステレオタイプではなく、人間はどこでもそう変わるものではないと思いました。

日本に比べると、中国やほかのアジアの国々は、ひきこもりに対する専門家の理解や、社会の対応策も遅れています。「不登校・ひきこもり」の分野については、(残念ながら)日本が群を抜いて先進国です。中国社会ではカウンセラーやセラピストが少なく、不登校・ひきこもりを人間的に理解するすべがなく、医者に行くと「うつ病」と診断されて、強い薬を飲まされます。日本のように発達障害やアスペルガー障害(自閉症スペクトラム)といった概念も専門家や社会の中にまだ浸透していないようです。
 
日本と中国やほかのアジア文化で似ているのは次の点です。

  • 不登校・ひきこもりが多い。これらは世界中どこでも存在していますが、その頻度や数はアジア諸国が抜きん出ています。といっても、私が見聞きしているのは韓国、台湾、中国、香港、マレーシア、シンガポール、タイなどで、他の国は知りません。
  • 親の教育期待が高い。子どもに良い教育を願うのは、世界中の親に共通しています。日本では、私が子どもの頃の高度経済成長期には「教育ママ」が当たり前でした。しかし、バブル崩壊以降は教育ママの弊害も指摘されるようになり、あからさまな教育期待は影を潜めましたが、今でも日本の親の隠れた教育期待は高いと思います。中国では、あからさまに、明確に、教育期待が高く、子どもへプレッシャーをかけています。
似ていると同時に、日本と中国が大きく異なる点もあります。

  • コミュニケーション様式が違います。日本は遠慮の文化:出過ぎることは忌避されて、相手に迷惑をかけてはいけない、そのために相手に気を遣い、自己主張はあまりせず、相手を尊重して、自分は引っ込めた方が良いと考えます。中国ではその逆です。遠慮せず、自分を守り、主張して、どんどん前に出ていきます。
  • その違いが、親子関係にも反映しています。不登校など、子どもに問題が生じると、日本では初めの頃は「行きなさい!」と無理やり強制したり、怒ったり、親は主張しますが、効果がないことがわかると、親はひっこめ、腫れ物を扱うように子どもに遠慮して何も言えなくなります。
  • 武漢と上海で多くの不登校のケースを経験しましたが、「腫れ物扱い」のパターンは見られません。すべてのケースで親はしつこく子どもを怒り、強制して、その結果、子どもも親も疲弊していました。
中国の不登校を経験する前には、日本の「遠慮文化」が「腫れ物扱い」を生み、不登校・ひきこもりの回復を遅らせているという仮説を抱いていました。しかし、中国でも不登校が多いという事実から、この仮説は成り立たなくなりました。そこで、次の仮説を立てました。

不登校・ひきこもりの根底には、親子の愛着の強さがある。

 アジアでは、親子関係が一生続きます。
 それは、我々にとって当たり前なことですが、欧米ではそうではありません。もちろん、一生親子の縁は切れませんが、青年期のLeaving Home, Launching Childrenというライフサイクル以降は親子の愛着が弱まります。
 親子は一生、相互扶養の責任を負います。お互いに元気な時は自立して離れています。しかし、どちらかが元気でなくなり、助けを必要としたら、親子がその責任を負います。
 子ども時代、自立するまでは親が責任を持つのは万国共通です。
 思春期以降の子どもに対して、欧米では親は責任を取りません。子どもが精神的に未熟でも、家を追い出します。というか、家を出るのが当然なことで、親が子供の面倒を見ると言う発想・選択肢はありません(最近はそうも言えなくなりましたが)。社会で十分に機能しない若者はホームレスになります。ヤング・ホームレスは欧米に多く、アジアではほとんどいません。高齢者に対しても、子どもは心配してどうにかしようと立ち回りますが、子どもが親の介護の責任をとろうとはしません。社会がその責任を負います。
 日本やアジア諸国では、親子のどちらかが元気でなくなったら相互に責任を持ちます。思春期・青年期になっても社会で機能しない若者は、親が責任を負います。彼らの居場所は家の中(ひきこもり)であり、路頭でホームレスになりません。高齢者の社会的介護が発達してきたにもかかわらず、成長した子どもは年老いた親の責任を負うのが当然の親孝行(善行ではなく、人として当たり前のこと)と考えます。
 アジア諸国に共通した、生涯続く親子関係の強い愛着は美徳であり、優れたサポートシステムです。機能しない若者は家族に囲まれ安住の地を得て、ホームレスや犯罪、薬物依存、暴力などの少ない社会が実現されます。
 しかし、その分、成長した子どもを抱える家族は大きなストレスと不安を抱えます。その不安の対処方法が日本と中国で大きく異なることが分かりました。
 多くの日本の親子は、愛着が不安定になると回避行動をとります(fearful avoidance)。相手を傷つけ、自分が傷つくことを恐れ、気持ちを引っ込めて、距離をおきます。それが若者にとっての社会不安(不登校・ひきこもり)であり、親が子どもに遠慮して、腫れ物を扱うように子どもに何かを言うことを恐れ、何も言えなくなってしまいます。
 中国では、不安定な愛着の親子は相手にしがみつき、距離を縮め、葛藤状態になります(clinging)。気持ちを押し出して相手に関わり過ぎて、否定的な感情(怒り)の渦に巻き込まれます。中国の子どもたちの不登校は、社会不安というよりは、親のメッセージに対する反抗(resistance)という印象を持ちました。

 私は、今回を契機に、またワークショップやスーパーヴィジョンを求められており、これから中国やアジア諸国に出かける頻度が増えそうです。20世紀後半のアメリカの時代(Pax Americana)は終焉し、これからはアジアの時代です。大国である中国が経済的に発展し、北朝鮮問題が今後解決されれば、今後アジアの勢いは世界を凌駕するでしょう。
 中国とのスーパーヴィジョンはZoomでのオンラインも視野に含めています。世界がどんどん身近になっています。

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