2020年3月18日水曜日

不安な世の中で安心感を保持する方法

先週、コロナ感染症の流行について友人の医師の言葉を引用しながら私の考えを書いたところ、

コロナ不安の世界流行(pandemic)


普段以上に多くの反響がありました。
別の医者の友人からメールが来ました。
新型コロナ感染症の問題については、一般向けのブログでははっきりした意思表明をしない方が良いよ。田村の考え方は個人的には好ましく思ってはいるが、何分、現状は未知の危機状態で、どう自分に跳ね返ってくるか分からないから。
医療者たちは世の中にたくさんの病気があり、その多くは原因も治療法もなく、どのような結末になるかということを感覚として理解していますから、今回の新型コロナウィルスがそれらの病気の中でどう位置づけられ、どれほど心配して、どう対応したら良いのかということを理解できます。ですから過剰に不安がることも、無理して安心だと言い切ることもなく、自身の不安の立ち位置をコントロールすることができます。
そのような知識のない多くの人にとって、「知らない」ということは不安に繋がります。
カナダ在住の友人が、私のブログを読んで、現在一時帰国していることをそれまで隠していたのですが、カムアウトしました。 
不安=危険な(否定的な)ことが起きる未来予測
安心=危険な(否定的な)ことが起きない未来予測

どちらも未来予測ですから、どう転ぶか確実なことはわかりません。
それなら安心を装うより、不安な気持ちで警告を発していた方が安全です。

不安感は伝播し、安心感は伝播しません。
不安は伝え合うことが必要ですが、安心感は伝えてもあまり意味がありません。
群れをなす野生動物たちは、天敵などの危険が迫ると仲間たちに警告を発し、危険から身を守ります。危険のサインを出すことは重要ですが、安心のサインを出す必要はありません。
グループスーパーヴィジョンの後、帰り際にある参加者が「先生のブログを読んで安心しました」と伝えてくれました。
この参加者も、私と会って挨拶したからこのことを伝えてくれたのであり、わざわざメールなどで伝えることはなかったでしょう。

不安は、安全に生きるために必要な感情です。
例えば、もし車でどんどんスピードを上げても不安を感じない人がいたら、危険極まりないでしょう。
危険を避けるために、不安は必要な感情です。
人間集団が危険に遭遇している時には、危険情報は共有されなければなりません。

安心は、不安な状況の中で、個人個人がかろうじて作り出すことができる個別の肯定的な感情です。だから同じ不安な状況でも安心感を保持する量は人によって大きな開きがあります。

不安が亢進しすぎて空回り状態になると、機能不全に陥ります。
慢性的な不安状態は交感神経が優位になります。交感神経は非常事態(アラート)の神経ですから、体が警戒状態になり、心拍数が上がり、呼吸が活発になり、意識が覚醒します。一時的な交感神経の覚醒は身を守るために必要なのですが、それが長い間続くと体の症状(自律神経症状)となります。例えば動悸(心臓のドキドキ感)、息切れ・過呼吸・窒息感、頭痛や胸痛、めまい、吐き気などです。過覚醒のために眠れなくなります。
都会の人は電車に乗れなくなります。各駅停車には乗れても、快速や特急に乗れなくなります。もしもの時に、すぐ電車から降りられない不安のためです。地方の人は車を運転できなくなります。この違いは群馬に来て発見しました。

個人の不安ばかりでなく、人間集団の不安が高まっても社会全体が機能不全に陥ります。投資家たちの不安から株価が下がります。人々の移動が制限され、交流が断絶されます。最近のニュースを見ていると、コロナウィルスの感染状況の報告よりも、社会不安の情報(株の乱高下、経済不安、国際交流やイベントの制限、アメリカと中国のケンカ、有名人の感染発見など)が主になってきているようです。

毎日のニュースで国内の県別感染者数や世界の国別の感染者数が報告され、地図がだんだん黒くなってきている状況を聞かされても、最近では鈍感になり、一つ一つ反応できなくなってきました。しかし、毎日コロナ関連ニュースには目を離せません。新しい情報が入るたびにドキドキします。もう考えたくない。でもニュースをフォローしてないと、どうなっているのか不安になります。これは「コロナ疲労」と呼べるでしょう。

この世に生きるということは、基本的に不安だらけです。
いつも不安を抱えて生きています。
今回のコロナウィルス感染不安は、それが世界中に波及し顕在化しただけの話です。
我々は、不安な世の中で、いかにして安心感をキープして生きていけるのでしょうか。
不安の原因を突き止め、それを取り除くことができれば一番です。
しかし、それができない不安もたくさんあります。不安の根っこを解決できない時、どうしたら良いのでしょうか?

それは「人と人との繋がり」だと思います。
不安材料(例えばコロナウィルスとか)は世の中に存在しますが、不安感は個人個人の心の中に存在します。不安情報を共有するだけでなく、一人ひとりが抱える主観的な感情世界を伝え合います。

社会全体が抱えるコロナ不安の場合、それを具体的にどう伝え合えば良いのかはよくわかりません。もう少し考えてみます。

私は普段、精神科医として人々が抱える個別の不安に向き合っています。
●解決策が見つかりそうな不安。●解決しようがない不安。
●根拠のある不安。●根拠のない不安。
●自分自身の不安。●大切な人(家族)の不安。
様々な種類の不安がありますが、結果的に何らかの機能不全に陥り、救いを求め私のところにやってきます。私ができることは二つあります。

1)私自身が繋がり、不安を受け止め、共有します。ただし、私自身もその不安の渦の中に入り、不安になる訳ではありません。その人の持つ主観的な不安感を十分に共感しますが、その人の主観的な感情体験を共有するわけではありません。客観的な立ち位置をキープします。
2)大切な人同士、家族同士を繋げます。不安自体を共有してしまうと共倒れになってしまうので、お互いが客観的な立ち位置を維持しつつ、十分に分かり合える環境を整えます。こう書けば理屈はわかるのですが、実際の臨床はなかなかうまくは行きません。これが家族療法の考え方です。

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