2020年9月22日火曜日

第三回スーパーヴィジョン合宿

9月20-22日の連休中に今年3回目のSV合宿を行いました。
今回も参加者は4名。期せずして3回とも4名ずつの参加でした。
これは、今までの合宿と比較すると少ないほうです。
二泊三日のたっぷりの時間を4人の語りで過ごせるのは、ある意味とても贅沢な充実した時間でした。
それは、参加者にとっても、また合宿をコーディネートする私にとっても同様です。

毎回、合宿の雰囲気は異なります。それは参加する皆さんの特性ばかりでなく、私自身の文脈からも来ているのでしょう。高山村の古民家に住み始めて4ヶ月。まだまだ落ち着いてはいないとも言えるし、臨床活動も始め、地域の人達とも関わりながら、月単位で進化・成長しているように思います。今回は特に妻の役割が大きかったように思います。彼女も去年から合宿のサポートに参加する中でだいぶ慣れてきて、私のストーリーの中に出てくる妻の立ち位置や、参加者に食事を振る舞ってくれる妻の役割も大きく進化したように思います。

今回は、第一回SV合宿のブログに出てきた「心のパンツ」のフレーズがよく使われました。

今回はそれだけユーモアに満ちた雰囲気でもあり、合宿の真髄をついている言葉でもあります。これは、POTT (Person of the Therapist Training) modelのsignature themeにも該当します。

The idea of the signature theme is based on two assumptions: One, we all carry within us a particular psychological issue that is at the heart of our human woundedness, coloring our emotional and relational functioning throughout our lives. Two, for therapists to be able to relate most effectively to their clients, they must be able to selectively open themselves up in judicious vulnerability so they can feel and experience something of their clients’ pain and struggles. (Aponte, 2017)

二泊三日のSV合宿は支援者向けです。

効果が非常に高いこのモデルを当事者向けの支援にもうまく活用できないか。。。
そんなことも考えています。
参加者からの振り返りです。

 直前になってあれこれ迷っての参加でしたが、思い切って高山村の古民家にお邪魔し、皆さんと寝食を共にする中で、いろいろと家族の中の自分を振り返るきっかけとなりました。あれから数日経ちますがぼーっと父や母のこと、自分が幼かったころのこと等を思い現在の自分のルーツやこれからの自分のことを考えています。
 先生から「誇りは何ですか?」
と訊かれてあれこれ言ってから「娘です」と言いました。そうあの場で言った自分は決して意外ではなかったです。やっぱりねーという感じでした。私自身の価値観や大切にしているものを改めて確認することができました。
 古民家の生活を感じさせていただくことも今回のひとつの目的でした。ワークをしている場から目に入る、優しい灯りの下で食事の支度やパンを作る奥様の姿、先生との関わりはよい眺めでした。(笑)そして、柔らかい雰囲気の中でいただくおいしい食事やみんなの笑顔…素に戻ることができる場。本当に気持ちが安らぐ空間を感じ、家族の中での自分の在り方を反省しました。まずはご飯をちゃんと作ろう。
 2度目のジェノグラムをどうですか?とメッセージをいただきました。支援者として、ぜひ理論も学ばせていただきながら2度目のワークをしてみたいなあ、楽しみだなあと思います。

どうぞ、再び参加してみてください。きっとまた新たな気づきが得られますよ。
次の方のように。

 昨年に続き、2度目のジェノグラム合宿に参加しました。
 昨年はちょっとした事件があり、私はとてもイヤな気持ちになっていました。最終日が私の発表だったのですが、前夜、1人で事件の反省会をし、「こんな思いをさせられるんなら、全部ぶちまけてやろう」と怒り心頭で臨んだのを懐かしく思い出します。怒りは、私の感情的な主題だと思います。
 この怒りが何に由来するのかを見つめることは、私の問題解決に役立つはずで、今回の合宿でも少しいらだつ場面があり、そのことについてしばらく考えていました。
 そして、振り返りをして得たものは、私の人生における父子関係を中心とした、家族との関わりが私の人生台本の雛型になっているかもしれないという気づきです。合宿に参加してかなり感情がほぐれてきましたが、雛型をベースに他者からいろんな感情を投影され続けてきたため、相手の問題と自分の問題の境界がかなり緩んでいるように思います。私がよい支援者になるためには、自己分析が必要です。今後もスーパービジョンで自己理解と他者理解を深めていきたいと思っています。

自己分析、、、と聞けば何だかとても難しいことのように思えますが、そんなことはなく、素朴でごく単純なことです。気づくまではさっぱりわからないことも、ふと気づいて腑に落ちてしまえば、素の自分をそのまま受け入れるようになります。余計なところにエネルギーを使わなくなり、頭がスッキリして、大切な人に向き合えるようになります。
次の方のように。

 自宅に戻り、合宿で何があってどんな気づきがあったのかを素直に話そうと思っていましたが、しばらくはなかなか言い出せずにいました。2日くらいその様な状態でしたが、ついに感情が溢れ出し耐えきれずに話をする流れとなりました。
 そして合宿で心の奥底にあった罪悪感に気づいた事を告げ「幸せだったけど、ずっと辛かった」と本当の気持ちを伝え「本当にごめんなさい」と謝罪をしました。パートナーも「そんな気持ちにさせていたんだね。ごめんね。」と言ってくれました。何年も一緒にいて本音でコミニュケーションをしている様でしていなかったんだなと、改めて気づきました。
 それからしばらく、感情が溢れ出し子供のように泣いてばかりいました。でも、それを止めませんでした。気がすむまでそのままにし自分を静かに見守り、心の動きを静観する事にしました。
 2日くらい心が揺れ動いていました。今までの自分はなんだったんだろう?とか、そもそも今までがすべて間違いなのではないか?もうやめた方がいいのではないか?などと、気がつけば逃げる事ばかりを考えている自分がいました。
 そして「辛い現実に直面すると逃げたくなる」という自分の中のパターンを見つけ、いつからそれが始まったのか?を探る事にしました。
 境目はだいたい3歳頃、家に帰りたくたくないのに帰らなくてはならない現実に限界を感じ、辛い現実から逃げるため、自分の感覚を操作した事がわかりました。
 自分の感覚を操作すると、辛くても辛いと感じないし、痛くても痛いと感じない感覚にできるので、辛い現実から逃げるためには、そうするしかなかったのでしょう。無力な子供の私にとっては、これしか手立てはなく本能的にそうしたのだと思います。それを境に、私は自分の感覚を失い自分を感じる事ができなくなったと、過去を振り返り確認し腑に落ちました。
 それから、今までの人生をフッと振り返りかえっては「だからそうだったんだ〜」と腑に落ち納得するという事をしばらく続けていました。そして自然と落ち着きを取り戻しました。
 以前と今の私の感覚の違いを簡単に表現するならば「思考がうるさくなくなった」という感じです。ごちゃごちゃした頭の中が片付いて、余計な物がなくなったという感じでしょうか。
最初は落ち着かない感じでしたが、今は落ち着いて自分でいられるようになりました。
頭がスッキリして余計なところにエネルギーを使わなくなった気がします。
 今回の合宿に参加する事で、私は大きな気づきを得ることができました。心の根底にある罪悪感が人生にどのような影響を与えるのか、現実から逃げるために自分の感覚を操作する事が、その後の人生にどのような影響を及ぼし続けるのかなど、私にとってこの気づきは、人生の大きな転機となる出来事となりました。
 先生のこころの診療所は、本当に素晴らしい所だと思いました。やはり奥さまとのコンビネーションが作りだす場が、何とも口では表現できないほどの不思議な安心感を与えてくれました。そして奥さまの作ったパン、カレー、シリアルが忘れられません(笑)。今でもちょくちょく思い出し恋しく思っています。

ここが古民家療法の真髄なんですよ。
理論でも技法でもないんです。
古民家の空間がつくりだす雰囲気と、そこに住まう人の空気が、匂いが、味が、作り出す安心感なのでしょう。
妻も私も意図してそれを作りだしているわけではありません。
妻に言っても、多分さっぱりわからないでしょう。ただ単に料理を作って、一緒に食べているだけですからね。
なんだか理屈はわからないけど、人々がここに集い、語り合い、気づきを得て、癒やされていく。
それは、私にとって大きな喜びでもあります。

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