今回は「メタ合宿」。
過去の合宿にも参加した人が、その経験を踏まえてメタなポジションから「当事者であり支援者である自己の統合」を目指します。
参加者からの振り返りです。
ウグイスのさえずりやひぐらしの鳴き声、木々や竹林が風に揺れる音、白木の香る田村先生邸。夜のセッションでは、温泉に入って美酒と美食に舌鼓。まさに、五感で味わったメタ合宿でした。
今回のメタ合宿では、ここ数年の個人的な課題としていたテーマが出てきました。これまでの合宿でも自分を振り返り、しこりとして残っているエピソードをきっかけに自分の未解決の課題を整理してきましたが、今回は田村先生のガイドの下で、最後まで残っていたエピソードと向き合いながら、そのエピソードに隠されていたテーマを見つけ、語りを通じて自身を受け容れるプロセスを体験してきました。
自分の未消化の課題を語るということは、心のパンツを脱ぐようなものですが、田村先生の作り出す安全な、そして安心感のある空間の中で勇気を出して、心のパンツを脱ぎました。本当だったら見たくない自分の恥部を直視した上に晒すわけですから、痛いやら恥ずかしいやら、さまざまな感情が入り混じった、よくわからない気持ちになります。ただ、
今年のメタ合宿とは、例年と異なる体験もしました。それは、昇華作業の結果、「もう、大丈夫」「なんとかできそう」という感覚が湧き出てきたことです。この感覚をメタ合宿のテーマに沿って表現するのであれば、「現時点における等身大の支援者としての自己を統合できた」と感覚があったと言えるでしょうか。地に足のついた、たしかな手応えとしてこの感覚を体験しました。
田村先生の合宿に参加し続ける中で、自分の過去を掘り起こして耕してきましたが、今回の作業を通じて、次のフェーズへの移行段階に来たと思えました。これからもいろんな壁にぶち当たると思いますが、この合宿に足を運び続けて、自分を成長させていきたいと思います。自分自身のこれからの変化が、自分でも楽しみです。
私も講師として、支援者として、当事者として参加しましたが、当事者ポジションとしての感想を書きます。
安全な愛着(secure attachment)を形成するには、相手を深く信頼し、自身の心の内側をどれほど素直に伝えられるかにかかっているように思います。それがうまく伝われば、相手もちゃんと受け入れることができます。それは、単純といえば単純なことなのですが、難しい時にはバンジージャンプより怖くなります。
愛着の基盤が不安定だと(insecure attachment)人は理性がぶっ飛び感性のコントロールが効かなくなり狂ってしまうし、それが安定すれば、昭和基地から極寒の極地でもどこでもブレずにに冒険できます。
愛着の基盤が不安定だと(insecure attachment)人は理性がぶっ飛び感性のコントロールが効かなくなり狂ってしまうし、それが安定すれば、昭和基地から極寒の極地でもどこでもブレずにに冒険できます。
新しい古民家に新しい人と共に住み始めてまだ2ヶ月です。ここで新しい生活、新しい臨床、新しい冒険に乗り出していけそうです。
この愛着の関係性は当事者としてばかりでなく、支援者としてセラピーやスーパヴィジョンの対象関係でも全く同じです。
参加者から「センセ、合宿とかやって疲れないんですか?」と尋ねられました。
いや、ウチにいろんな人がゴチャゴチャ来てても、自分がエンパワーされるとむしろ疲れが回復するんですよ。
今回の合宿、本当は行かないつもりだったのですが、結果的に参加してよかったです。
誰もがみんな、問題を抱えています。
だけど、普段はそんなことを意識してなくて、自分が一番苦しいと思ってしまいます。
しかし、人の生き様を聴かせてもらうと、みんなそれぞれ苦しみながら必死に生きていることがわかります。
だからこそ、その人の人生に敬意を払える器の大きい支援者になりたいと思います。
いろんな気づきをありがとうございました。
語ることができず一人で抱えている問題は、私だけが持っている、誰にも理解されない、特殊な問題と認知されます。
語ることができて、他者に受け止められた問題は、話せば他の人も理解しうる、他の人にも起こり得る、苦しいけど一般的な問題に変換されます。
するとだいぶ楽になりますね。
昨年の夏合宿で自分の問題を棚卸ししようと試み、今年は「原点回帰」の年にしようと決めていました。
「原点回帰」には、いろんな想いを込めています。夏合宿の時にはまとまっていませんでしたが、時間が経って落ち着いて来て、ようやくことばにできるようになってきました。昨年の田村先生からのフィードバックで、「なりたい自分」を見つけることができました。今思うと、今年はなぜ「なりたい自分」に近づけないのかを考えて答えを見つけたかったのではないかと思えて来ました。
私の人生の転換期には、必ずと言っていいほど、ナルシシストが関わっていました。これまで、彼らから攻撃されたり、批判されたりして自我を傷つけられるのは、全て自分が悪いからだと思い、どうしたら関係をよくできるのか試行錯誤し続けて、ついに私はエネルギー切れを起こしてしまいました。今回のエネルギー切れは重症で、なかなか回復しません。それだけ彼らは強烈に私を傷つけたのだと思います。今もその傷は癒えることなくジクジクしています。活気は相変わらず出てきません。自分を責めるクセもそのままです。
だけど、一つ変わったことがあります。「自分については十分振り返ったから、相手について知ってみよう」と考えるようになったことです。ナルシシストから下ろされていた役割から卒業するために、相手について知ってみようと思うようになりました。
自分を知り、相手を知り、自分と相手の相互関係を知る。そして、支配される恐怖から自由になりたい。「原点回帰」は本来の感情を相互関係の中で表現できることなのかもしれません。
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