2012年9月14日金曜日

精神科=(歯医者+斎場)÷2

精神科医は、歯医者と葬式会場を足して2で割ったようなものだ。

というのはあまりにもひどい比喩ですが、初めて精神科医を訪ねる人の気持ちってこんなものかなと思います。そうとう抵抗ありますよね。訪ねてくるみなさんをみてるとそう感じます。そのココロは、、、?

歯の(心の)痛みは治療しなければ治らないのはわかってはいるのだけど、行きたくない。だって、怖いのだもの!!!
歯医者:治療そのものが痛い。
最近はそうでもなくなりましたが、昔は痛かったですよね。私は子どもの頃、歯医者が世の中で一番怖かったです(笑)。

精神科医の痛さとは何?
・強い薬を出される。
・そのまま強制的に入院させられる。
➡この辺りの偏見は少なくなってきたとはいえ、まだあるのではないでしょうか。病識のない(自分が病気だとは思っていない)方はそう思うかもしれませんし、ヤブ精神科医は必要以上に薬をたくさん処方します。
・痛い、というより恥ずかしい。
➡自分の気持ち、自分の弱みを人に語るのはかなり難しいです。人にはしゃべりたくない、自分の中に秘めていること。専門家だから、秘密は守られているからと、みなさん語ってくれますが、それでも辛いものです。、、、でもそれを乗り越え語ることにより、痛みから解放されます。

しかし同じ医者でも歯医者や内科・外科など(身体医学)の医者は抵抗なくて、なぜ精神科医は抵抗があるんでしょう?
・歯が痛い、頭が痛い。身体の痛みは自分ではどうしようもないこと、自分でコントロールする限界を超えていることだから恥ずかしくない。
・ココロの痛み(不安です、悲しいです、落ち込みました、眠れません、食欲がありません、会社に(学校に)行けません。夫婦ケンカが絶えません、、、)それは自分でどうにか出来るはずでしょ。気の持ちよう、がんばりなさい、根性が足りないから、努力が足りないから、甘えているから。そんなこと人に相談せず、自分で乗り越えなさい、、、。
まだまだそんな見方が世の中には残っています。
これらは、自分で我慢やコントロールできるようで、実際はできません。小さな痛みならだれでもあるし、別にそれをなくしたり減らす必要はありません。それが人生です。C'est la vie!; That's life!! 
自分でコントロールする限界を超えた大きな痛みは治療しないで放っておくと悪循環のスパイラルに落ち込みます。ひとりの力ではどうしようもなく、他者(専門家)の力を借りることで改善します。

精神科医=斎場
タブーの世界、縁起でもない場所。
そんなところに行ったらダメよ、けがれるわよ。忌み嫌う場所。一度行ったら「気ちがい」の烙印を押される。怖い人(看護師)が出てきてそのまま精神病院に入院(収容)されて二度と出てこれないわよ、というような偏見の場所でした。
以前は精神病院は市街地から離れた辺縁の地にひっそりと建てられました。それが都市化が進み、現在では市街地に含まれています。精神科ではない、普通の病院は町の真ん中にあります。精神病院は町のはずれにあります。
精神病=狂人=異常の人=タブー視して辺縁へ押しやる、、、というのが従来の見方です。
今は、心の不調=誰にでもあること=精神科医は心の健康を増進し、前向きに生きるための支援者、、、と私は考えています。

精神科でも斎場でも、みなさんよく泣きます。
どちらも泣くことが許される場所です。
斎場では、喪失の悲しみに泣きます。
精神科では、別に私がいじめて泣かしているわけじゃないですよ。普段は隠している生の感情、本音の気持ちが出てくるので、感情に圧倒されて泣きます。悲しいから泣く場合は少なく、隠し持っていた本当の気持ち(たとえば愛情)に思わず触れてしまい、圧倒されて泣かれたりします。
精神科医の視点から言わせてもらえば、泣く行為は気持ち(心)を浄化する作用があります。泣くことで、乱れていた気持ちを整えることができます。
でも、泣くことは勇気がいります。女性は割としなやかに泣くことが出来ますが、しっかりしている(と思っている)男性は特に難しいです。泣くことは自己崩壊体験、つまり取り澄ました平常心の枠組みを崩し、感情に圧倒されて感情のコントロールが失った状態に一時的に陥ります。このまま自分が崩れてしまうのではないかと恐れます。しかし、その気持ちを受け止める他者がいると、つまり安心できる環境で十分に涙を流すと、その感情に押し流されることなく、感情をコントロールできるようになります。そうやって気持ちが整理され、もう一歩前進することが出来ます。

安全に泣ける場所、泣いても良い場所
そういう意味でも精神科と斎場は似ているかもしれません。
(もっとも10分診療の精神科では無理ですが)

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