2017年9月22日金曜日

セラピストが自分を語る体験

先日、私のスーパーヴァイジー(私が指導している若いセラピスト)からメッセージをいただきました。

最近、先生のタム研ニュースが届かないのですが、どうしたのですか?
毎週、楽しみに読んでました。
先生の内面を知ることで自分のことも語りやすくなる、、、
きっと他の人もそうだと思います🌻
共感できるというか、、上手く言葉が見つかりませんがそんな感じです。

 夏の間、しばらく執筆をサボっていました。どうも済みません。
 特に忙しかったわけでも、体調がすぐれなかったわけでもありません。
 夏ということで日常生活から抜け出し、普段と異なる活動をしたので、普段の仕事とは別の気分になっていたのかもしれません。
 その活動をご紹介します。
 セラピストが自分を語るトレーニング(研修)を二つ行いました。

1)タム研の夏合宿

 群馬の山奥にある私の別荘(と言っても小さな山小屋です)で、毎年、私の指導するセラピストたちと共に2泊3日の夏合宿を行います。普段は広尾のオフィスに集まり、セラピストが困難と感じる臨床事例について、どのようにしたらもっと効果的にセラピーができるか指導します。これは、1−2時間ほどの時間です。
 夏には、日常生活を抜け出し、気持ちの良い高原でリフレッシュされながら、時間をかけ、セラピストたちが自分自身の内面を語りました。

2)マレーシアでのリトリート

 マレーシアの熱帯雨林のリゾートで、地元マレーシアを中心にシンガポール、台湾などから若いセラピストたち十数名が集まり、やはり二泊三日の合宿を行いました。
 クアラルンプールに住むセラピストの友人が空港まで迎えに来てくれて、車で2時間ほどの山の中の施設に向かいました。
 日本の「リゾート」ほど整い、豪華ではありませんが、できたばかりの綺麗で素朴な保養地でした。3日間、十分な時間をかけて仲間たちと語り合います。
 ゆっくりした時間が流れ、私にとっては仕事であり、またリラックスできる休暇でもありました。

セラピストが自分を語る体験

 この二つの研修で行うことは共通しています。セラピストたちが自分自身の内面を語ります。セラピストの仕事は、心の悩みを持つクライエントたちの話を伺い、お気持ちに共感して、クライエントさんたちが気持ちを整理して、元気を取り戻し、再び前に進めるようにお手伝いすることです。

 気持ちを語ること。これは、普段、クライエントさんたちに促していることですが、それをセラピスト自身が体験します。普段、我々の日常生活では、感情をあらわにすることを避けます。不安、悲しみ、恐怖、失敗体験というようなマイナスな気持ちを表象に思い浮かべると、心が重くなり、日常生活をうまく営めなくなります。

 研修では、日常から切り離された安全・安心な場所で、あえてその気持ちを表象に浮きだたせ、信頼できる相手に語ります。
 安全・安心な場所とは、信頼できる相手がいて、その人が批判したり否定することなく、ちゃんと受け止めてくれる場、そして語られた内容が他の人に漏れたり噂にならないプライバシーが保障された場のことです。

 普段身につけている心の鎧を開き、纏(まと)っている着衣を脱いで、ありのままの自分、どれほど勇気がいることか。普段は思い出したくないマイナスの自分も語ります。それは無防備な自分の隠したいところをさらけ出すことであり、恥ずかしく、一時的に自分はダメな人間だと思わせてしまいます。
 しかし、それを誰かにしっかり受け止められると、とても気持ちが楽になり、今まで隠していた部分を、もう隠す必要がなくなります。自分が認められた気持ちになり、心が軽くなります。今まで自信がなくて、できなかったことや、躊躇して進めなかったことを、前に進めることができるようになります。

 これは、言葉で説明しても説得力がありません。実際に自分自身が体験しないと、なかなかわからないものです。
 それを、セラピスト自身が体験します。
 普段、セラピストは、同じことをクライエントさんたちに促しているわけですから、まずセラピスト自身がその気持ちを体験することはとても重要で、セラピストの成長につながります。セラピストたちは、心理学やセラピーの○○理論といった「理屈」を学ぶことも大切です。しかし、それは理性に働きかけているわけで、それだけでは不十分です。
 心理学やカウンセリングでは、理性よりも感性をたくさん扱います。感性を深める作業がどのようなマイナスの痛みと、プラスの効果をもたらすのかを会得するには、理屈では学べず、実際に体験して感覚を味わうしかありません。

 理性と感性。
 この両者を十分に習得することにより、より有能なセラピストになります。

家族は本当に信頼できるのだろうか?

高校生のA君は学校に行けなくなった。

去年までは、一日も休まず学校に行っていたのに。
A君自身、どうして行けなくなったのかわからない。どうにかしたいと自分でも思い、積極的にカウンセリングにやってきた。
高校生の年代、しかも男子が自ら相談を求めることは稀だが、時々ある。

田村)なぜ、去年までは学校に行っていたの?
A君)親が厳しくて、親に行けと言われていたから。

なぜ、今、学校に行けなくなったの?
わからない。
仲が良かった友達に悪口を言われたのがショックだったけど、それが本当の理由かわからない。
部活は楽しいから行きたい。将来、大学にも行きたい。
でも、今の高校には行きたくない。高校に行く意味が見いだせない。自分が将来、何になるか、何を目指したらよいのかがぜんぜんわからない。だから、高校に行くことに価値を見いだせないんだ。

去年までは、学校に行くことに価値を見出していたの?
そんなこと思わなかった。
ただ、親から言われて、何も考えずに行っていただけだ。

今、親は学校行けといわないの?
しつこく言ってくるけど、僕が価値を見いだせないものは行けないんだ。

なるほど、よくわかるよ。
つまり、こうかな。
去年までは親のエンジンで動いて、学校に行っていた。
でも、心が成長して、親から自立して、自分のエンジンで動きたいと思うようになった。
自分のエンジンを使うためには、親が差し出すエンジンを切らねばならない。
でも、自分のエンジンはまだ試し始めたばかりで、うまくかからずエンストする。そうすぐには快調に動けないよね。道が見えて、トンネルの出口が見つかるまではどっちに進んで良いかわからない。止まってしまうよね。
とりあえず、部活に価値を見出せるのなら、担任の先生に了解を得て、部活だけ出てみたらどうかな。
A君はうなづいた。

A君のご両親とも相談した。
父親はA君のことを理解できない。高校生は学校に行くのが当然なのに、家で何もせず寝て、ゲームばかりしている息子の姿を見るのはとてもストレスになる。どうにかしてほしいと訴える。
親子同席で面談した。
私からA君に語りかけた。
「Aくん、君はとてもよく自分の気持ちを分析しているから、A君が前回私に語ってくれたこと、学校についてどう思っているかということを、ご両親にも話してみたらどうかな。

A君は、恐る恐る、なぜ学校に行けなくなったかということを親に話した。
母親は、A君の気持ちは理解できるという。
しかし、父親はA君の気持ちを全く理解できないという。

高校の意味を見出せなくても、とにかく行かねばダメだろ。
行きながら考えればいいんだよ。

父親は、A君の気持ちをわかることを、拒んでいるような印象を受けた。

ご両親は、A君が学校に行かなくなってから、夫婦でA君のことを話題にしなくなった。相談すると、Aくんへの対応が夫婦の間で異なり、決裂してしまう。
先生が第三者としていてくれたから、ここまで話し合えたと言う。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私(田村)自身のお話をしたいと思います。
今、80代の母親の病状が悪化し、体力が低下して、人生の終末期を迎えています。
病院や施設を転々とする母の対応を巡って、子どもふたり(私と妹)が対応しています。
関われば関わるほどきょうだいの意見が割れ、ぶつかり合います。
母親にどう対応するか、
妹の気持ちと、考え方。
私の気持ちと、考え方。
当然微妙に異なります。
認知症の母親は自分の気持ちや考えを持つことができません。
(いや、気持ちを持っているよと想像することはできるけど、その想像もきょうだいで異なります)。
昨日も、電話でぶつかり合いました。
妹は「もうこれ以上話し合っても、平行線だから、いいよ。」
私「いや、良くない。もっと話し合わなくちゃダメだろ。」

これは、私にとって懐かしいセリフだ。
私が結婚した当初、ふたりは夫婦ケンカに慣れていなかった。
日常の生活の中で意見がぶつかり合うと、
妻は「もう、いいわよ。」と口を閉じ、心を閉じていた。
すると、喧嘩の元ネタはどこかに行ってしまい、妻が閉じたことに対して私が突っ込む。
「閉ざしちゃダメだよ。ちゃんと言わなくちゃ!」
「だって言ってもわからないでしょ。無理だし。辛いよ!」
「いや、無理じゃない。ちゃんと優子の言いたいことを言わなくちゃダメだよ!」
という具合に。

若い頃は、年の差もあり、私が勝っていた。
(夫婦ケンカに勝ち負けもないとは思うが)
しかし、晩年は私が連敗だった。妻がふてくされて黙っていると、私が議論をふっかけた。当然、私の方が勝つという想定で。
ところが1時間ほど言い合うと、いつの間にか私が劣勢になっていた。
「わかった、ごめん。週末のゴルフはキャンセルするよ。」
と負けを認めざるを得なかった。

親しいはずの家族同士が意見をぶつけ合うのは辛い。
しかし私はそれをやらなくては、困難を通り越せないと考えている。
その辛さに耐えられるのか?
それはわからない。
もしかしたら、妻とこのようにぶつかり合い、子育てを終えたら離婚していたかもしれない。
幸か不幸か、その段階に至る前に、妻が他界してしまった。
今となっては思い出は美化され、ぶつかり合っていた時のことを懐かしく思い出す。

妹と私は仲が良かった。
中学・高校時代はケンカばかりしていたが、大学生になり、受験のプレッシャーから解放されると仲良くなり、今でも頻繁に交流している。
お互いに結婚して所帯を持ってからも、何度かケンカしたが、その都度どうにか帳尻を合わせてきた。

私が幼い頃、両親はよく些細なことで喧嘩していた。
海育ちの母親が海産物を食卓に出すと、山育ちの父親は魚が嫌いで、怒っていた。
その度に幼い私はビクビク怖かった。
でも、その二時間後には何事もなかったように普通の夫婦に戻っていた。
私はホッと安心した。

〜〜〜〜〜
うちの家族は、風通しが良くないのです。

とA君の母親が語る。
それはいったいどういうことでしょう?
それは、親が生まれ育った環境にあるという。
A君のこととは直接関係ないけど、そのあたりの事情について丁寧に伺っていった。

A君の父親は、自分の父親から受け入れられた体験を持たなかった。
A君の祖父(父親の父親)は社会的に成功した人だが、家では権威的・ワンマンで、夫婦ケンカが絶えなかった。
息子(A君の父親)にも自分の価値を押し付け、それを嫌がり、早くから家を出た。そのまま時が経ち、祖父は自分の息子と向き合えないまま他界した。

父親は、カウンセリングに来ることが辛いと言う。
息子のA君に向き合うことも。
このように自分の生い立ちを語ることも。
しかし、父親は、これはどこかで乗り越えないといけない作業であると薄々感じてはいた。
もし父親自身の人生を語ることが息子が立ち直ることと関係があるのならと、ご両親で辛抱強く親の相談に通い続けた。

当初、父親が語るふたつのこと、つまりA君の現在の問題と、父親自身の家族の話は、別々の事象として認識されていた。母親も同席して、よくよく語り、父親の気持ちが妻と私に受け止められる体験を経るなかで、父親の心の中に繋がりが見えてきた。

私は自分の父親から認められたという実感が持てていない。
私は、自分の息子を認めるという実感を持てない。

そして、カウンセリングの中で、父親は、自分の心の中の父親と和解することが出来た。
(注:こう書くと簡単なように見えますが、とても困難でした。カウンセリングに十分な時間をかけて、丁寧に解題してゆきました。)

A君の両親は、気持ちが軽くなった。
家族の風通しが良くなったと感じた。
父親は、以前と比べるとA君とよく話し合うようになり、A君のことを理解するようになった。

そうこうしているうちに、A君のエンジンは少しずつ調子を上げ、高校に再び通うようになった。

〜〜〜〜〜

 今、私の母親は命を終えようとしている。
 これは、家族にとって大きなストレスだ。ケアが大変だし、さまざまな意思決定をしなければならない。その度に、きょうだいが話し合う。楽しいことではない、辛いことの連続だ。それほど遠からずに、喪失と悲しみを受け止めなければならい。

 これは「家族ストレス」であっても「家族の危機」ではない。親を見送るのは、正常な家族ライフサイクルの一部であり、すべての家族が経験することだ。
 しかし、このような家族ライフサイクルの節目(子どもの巣立ち・結婚・出産・死別など)がストレスとなり、家族が決裂することはよくある。子ども時代は仲の良かったきょうだい関係も、大人になり、このようなストレスを機に決裂して疎遠になるのはよくあることだ。私と妹の関係が、今回のことを機に疎遠になる可能性だって十分にある。でも、決裂せずに乗り越えられるかもしれない。それは、実際にやってみないとわからない。
 自立してそれぞれの家庭を持つきょうだいが決裂しても、日常生活にさほど支障はない。
 一緒に生活する家族(親子や夫婦)が決裂したら、日常生活にとても大きな支障が出る。

家族は本当に信頼できるのだろうか?
大切な人と、うまくやっていけるのだろうか?

それは、誰にもわからない。
うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない。

うまく行くだろうと期待してたら、うまくいくかもしれない。
可能性はある。
うまく行かないだろうと諦めたら、うまくいかない。
可能性はなくなる。

これを、成就性予言と言います。