2016年8月15日月曜日

2016年度グループ・スーパーヴィジョン 夏合宿

草津温泉にある私の別荘で、支援者たち7名と二泊三日の夏合宿をやってきました。
これが、事前にお渡しした案内です。
 支援対象を語るためには、まず、自分自身を語れなければならないということは、誰でも理屈では理解できるものの、実際にはなかなかその機会を得ることができない。自分一人でできないこともないが、スーパーヴァイザーなど信頼できる他者と共に行うことが望ましい。
 我々は支援者としてクライエントの人生体験を理解し、その心理に共感する時に、自分自身の過去・現在の生活体験と、そこに含まれた感情体験を無意識のうちに参照している。それは意識しないだけであり、実際は様々な表現方法で自己を語っているはずなのだが、多くの場合そのことに気づいていない。夏合宿では、安全な場で改めて自己を語り直すことを目的とする。それは自己と向き合い、新たな発見と認知されるであろうが、実は、普段気づかずに表現している程度にとどまり、それを超えて新しい何かがつけ加わるわけではない。
 このようなトレーニングは心理療法の各派で行われている。ロジャースなどの人間学派ではエンカウンター・グループやフォーカシングで、精神分析では教育分析で自己の転移感情に気づく。私は「関係性」をテーマにしたシステムズ・アプローチに準拠しているので、自己との向き合い方は、家族内や家族外(社会)における過去および現在の関係性と、そこに埋め込まれた自己を見出すという手法になる。
人生には当然、山あり谷あり。
山(positive)の部分は表に出して、谷(negative)の部分は隠して生きています。
通常はそれでまったく問題なく、谷にわざわざ注目せずとも人生を全うできます。しかしし、時に深い谷にはまって前に進めなくなり、様々な問題を生じます。その人たちを救い出そうとする心の支援者は、谷の部分の探索の仕方を習得していなければなりません。

そのために、まず自分の人生の谷を訪ねます。そこに近づくと悲しみ、不安、怒りといった痛みを感じるので、通常は隠して自分でも見ないようにしています。なんとなくわかってはいるのですが、あえて注目したり深く考えようとはしません。他者にも隠し、恥の部分となり、自尊心や自信を奪います。立ち入り禁止部分が大きくなると、支援者としての活動にも制限が加わり、やりにくくなります。

語らない物語は、その人だけが隠し持つ、見てはいけない、不可解で、特殊な物語です。そこに立ち入ると混乱して不安になります。
それを語るためには、まず不安の除去が必要です。相手が受け取ってくれるだろうという期待の元で、勇気を出して語ります。語りが進むと、それまで切り離しておいた感情もよみがえり、痛い思いをします。
それに耐え、感情をうまく語り得ることができれば、その部分は他者によって承認された、隠す必要のない、他者か理解しうるし、他の人にもあるかもしれない一般的な物語になります。それを与えるのが、支援者としての「愛」です。
たとえ語ったとしても、谷は谷であることには変わりがなく実在し続けるのですが、立ち入り禁止ではなく、自由に訪ねることができる谷になります。もはや隠す必要はなく、自尊心を奪うこともなくなります。
そのような自己体験を経ると、心の臨床において、他者の谷にも安全に分け入ることを支援できるようになります。

この体験は、プロの支援者でいる限り、何度も繰り返して行わなければなりません。
普通にくらしている人はやらなくても良いです。
問題を抱えていたクライエントは、問題が解決すれば、もうやらなくても良いでしょう。
しかし、支援者はずっとやり続けます。
私の谷も、30代、40代、50代と、語り直す度に新たな意味が付与され、物語が変化して行きます。常にup to dateな自分の物語を持っているようにします。

今回の参加者たちは、みな自分の谷に分け入る勇気を持った人たちでした。私の役目は安全な環境を提供するだけです。周到な場さえ用意されれば、自然と深めることができます。

広尾のオフィスで展開してもいいのですが、合宿ではよりやりやすくなります。都会の喧騒から離れ、涼しい高原の屋外でやりました。静寂とプライバシーが確保され、3日連続の忙しさに区切られないゆっくりとした時間の流れの中で、語りが促されます。

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参加者からのメッセージです。

セミナー、大変お世話になりました。
ジェノグラムを初めてキチンと描いたことで、あらためて自分の家族を見つめなおす良いきっかけになりました。
ブログも見させていただき、改めて自分の中で何が起こったのか考えています。
合宿では自分でも思いがけない言葉が飛び出し、びっくりしたと同時に、やはり戸惑っています。
人生観が変わると言うのは大げさかもしれませんが、それぐらい大きな変化が自分の中に生じた気がしています。
でも、まだうまく消化できていません。また誰かに聞いてもらいながら、深めたほうがいいのでしょうね。

2016年2月24日水曜日

ひきこもり脱出講座第二回の振り返り

ひきこもり脱出講座は連続6回の講座です。同じ参加者が6回参加するうちに、だんだんお互いに打ち解け、本当の家族の様子や本当の自分の気持ちを語ることが出来るようになります。
これは、第二回目に参加した後の参加者からのフィードバックです。

〇〇さんがとても変わられたことにびっくりしました。1回のディスカッションでこれほどまでに人は変われるものなのかと、とても感動しました。

そう。
1回目の時は、〇〇さん、「それは絶対に無理!」
と言ってましたものね。
それが、二回目の時は、何とか実行できました。
親がとてもよい感じで変化しています。

◇◇さんのお子さんが「死にたい」とか「死ね!」とかいう言葉を連発されている様子は、私もとても胸がつまされました。思わず、「お母さんの気持ちをそのままいえばいいんじゃないでしょうか!」と言いながら、涙が出てしまいました。
「親は子どもに死にたいだなんて言ってほしくない!」
「お母さんはあなたに生きていてほしい」
「学校なんて行かなくてもいいから元気で生きていてほしい!」
そう◇◇さんに言いながら、これは自分が子どもに言いたいのはこの言葉なんだと思いました。

とても良い涙でしたよ。
涙を流す方は辛いですが、とても共感した気持ちが相手の方にも伝わったと思います。
参加者の方々がお互いに共感し合い、その力をテコにして、みなさん前に進まれています。とても良いことです。

講座に参加されているみなさんとの話し合いと、田村先生からのお言葉で、私自身が少しずつ変われたように感じています。以前は「辛い、悲しい」などの気持ちが優先して、どうしたらよいのか考えることが出来なくなっていました。
しかし、今は自分や家族のことを客観的に見ることができるようになり、感情的に泣いたり落ち込んだりすることもなくなり、冷静に考えられるようになりました。
安心して「放す愛」で見守ることが出来るようになり、「子どもに何があっても、大丈夫!」という覚悟と自信もできました。
子どもにも以前のように指図しないで黙って待っていたら、子ども自身から自分の意思で行動するようになりました。親が変わることで、子どもも変化しているように感じます。

子どもに向き合う冷静さと自信を獲得されましたね。
それは、とても大切なことです。親が子どもに向き合う自信を得ると、子どももそれが伝播して、学校・友達・社会などに向かう自信を得ることが出来ます。


集団の中に入って、はじめて「自分」が見えてきて、人との差が明らかになり「自分」という存在がどういうものなのか、自分の役割や使命は何なのかと考えるようになると思いました。

2016年2月4日木曜日

子どもの心を育てる

ひきこもり脱出講座で参加者の皆さんから出た質問にお答えします。

質問)ひきこもりは心の成長の”つまづき”だとしたら、先生がおっしゃった「心を育てる」とは具体的にどうするのですか?

思春期には、子どもの心(万能的自我)から大人の心(社会的自我)に移行していくということはブログでも繰り返しお伝えしています。ふつうは意図しなくとも普通に成長するのですが、何らかの理由でそれがうまく成長できず、社会的自我が育たずに、十代後半以降になっても万能的自我から抜けきれない時、うまく社会に適応できずひきこもりになる場合が多くみられます。

では、どうしたらよいのでしょうか。親は何をできるのでしょうか?

それは、万能的自我から社会的自我への移行を支援することです。子どもは学校や社会の中での様々な人々と接することで失敗体験と成功体験を得ます。人と交わることが成長を促します。失敗して自信を失い、成功して自信を得ます。失敗しても挽回できるのだという自信が社会的自我への成長を促します。

ひきこもらず、普通に社会生活を営み、多様な人と接していれば人々と接する体験が自然に得られ、親がそれほど関わらなくても仲間や先生、地域の人々なと多種多様な人々と接する中で、子どもは自然と成長してゆきます。しかし、ひきこもってしまうと他者との関係性が遮断されてしまいます。残された人間関係は家族だけですから、家族が人間関係の体験を与えなければなりません。
その際に大切なことは、本人の中に芽生えてきた社会的自我に働きかけて下さい。子どもが強さやしっかりしている一面をキャッチし、それを承認します。

よく見られる間違いは、親が一生懸命子どもに働きかけるのですが、大人の心(社会的自我)ではなく、子どもの心(万能的自我)の側面に働きかけている場合です。弱さや甘え、依存などの子どもの心に承認を与えると、子どもの世界に安定して留まったままで、成長できません。ずっとひきこもっていることになります。

質問)先生がおっしゃった「子どもは親のエネルギーを求めている」とはどういうことでしょうか?

思春期になると勉強も人間関係も難しくなり、飛び越えなければならないハードルがたくさん出現します。ハードルを跳びこえるのはとても勇気がいります。思い切って跳んでも失敗して痛い思いをするかもしれません。でも跳ばなければ前に進めないこともわかっているから、とても迷い苦悩します。そのような時に親がプラスのエネルギーを与えます。それは、「跳んでもいいよ」と許可を与えることです。

子ども自身はとても迷います。もしかしたら、うまく跳べるかもしれない。でも失敗して痛い思いをするかもしれない、、、、いくら迷っても、その答えは出ません。跳んでみるしかないのですから。

そのように子どもが迷い、動けなくなっているときに、親は「前に進んでごらん。行ってごらん。動いてごらん。君なら出来るはずだ。痛くても構わない。」と指針を与えます。
親は、まわりから価値が与えられ、本人はその価値を試しながら取捨選択して自分自身の価値を作ることが出来ます。まわりから価値が与えられないと、自分(の価値)を作るネタが得られません。つまり大人の心へ移行できません。

親は子どもが跳ぶだけの力を持っているだろうと、子どもの潜在的な能力を信頼できれば、「やってごらん!」と跳ぶことを促します。その言葉に励まされ、子どもは思い切って跳躍を試みます。成功するか失敗するかなんて、跳んでみないとわかりません。子どもはとても不安です。その不安に対して、親が安心を与えます。

跳んだ結果、成功するかもしれません。親の力ではない、自分自身の力で跳べた成功体験が自信につながり、心がぐんと成長します。
跳んだ結果、失敗するかもしれません。自分はやっぱりダメなんだと自信を喪失します。その際に、親は「失敗しても構わない。失敗したら、もう一度挑戦すればよい。成功するまで何度でも挑戦してごらん。あなたが格闘している姿を、ここで見守っているから。」と伝えます。

決して、無理をさせてはいけません。失敗して傷ついたら少し休んで回復を待つことも必要です。焦らせてはいけません。親が焦ると子どもも焦ります。親が不安になると、子どもも不安になります。

しかし、いつまでも休んでいてはいけません。痛みがある程度回復したら、また立ち上がりましょう。親が安心すると、子どもも安心します。適当な時期を見計らい、「もう休んでエネルギーを再び蓄えられただろう。もう一度挑戦してごらん!」と親が促します。

2015年12月18日金曜日

「不満だが、とりあえず満足できる安定」を崩す

今年、2015年を表わす漢字が「」の字になりました。
「安全保障関連法案の採否や、世界のテロや異常気象、マンションの杭打ちデータなどで人々が不安になったことなどが理由に挙げられた。」のだそうです。

」にちなんで、「安心」・「安全」その反対の「不安」について考えてみましょう。

(質問)
先生は「大丈夫だと思ったら、背中を押してやりなさい」と何度も繰り返し言いますが、やはり大丈夫でない状態もあるわけですね?
なかなか家族は大丈夫とは思えないですが、先生は何を指標に大丈夫か否かを判断されているのでしょうか?

いいえ。
私は判断していません。ご家族自身が「うん、これで良い!」と判断できる材料を提供しているだけです。
大丈夫でないとはどういう場合でしょうか?たとえば、

  • 今までせっかく居間に出てきて差しさわりのない会話を親子でできるようになったのに、言うとまた自分の部屋にひきこもり、親と話せなくなるかもしれない。
  • 親に暴力を振るうかもしれない。
  • もっと傷ついてころんでしまい、立ち直れなくなるかもしれない。
  • リストカットとか自分を傷つけてしまうかもしれない。
  • 生きがいを見失って、追い詰められ、自殺してしまうかもしれない。

これらは、みな大丈夫でない場合です。
それはだれが判断するのでしょうか?
関わっているご家族が判断します。

ふつう、ひきこもっている本人の「背中を押す」のは禁じ手とされています。
たとえば、次のような言説です。
「ゆっくり時間をかけて、温かく見守っていきましょう。」
「本人が一番苦しんでいるのだから、刺激してはいけません。」
ひきこもりは、家庭や学校社会で生じる様々なトラブルやストレスから、とりあえず身を守るために防衛する反応です。」

ソトの世界はストレスに満ちていますね。いつ傷つけられるかわかりません。そんな危険な場所にいたら身が持ちません。疲れて、一旦撤退します。それは当然のことです。

サッカーのゲームに例えてみましょう。
サッカー場は半分に分かれます。自分のゴールがある守るべき陣地は自陣、相手のゴールがあり攻めるべき陣地を敵陣と呼びます。
ひきこもりは、敵陣(社会)のストレスから身を守るためにいったん自陣に撤退した状態です。
自陣に撤退したら、なにもせずのんびりしていたらよいわけではありません。一見、のんびりはしているのだけど、大切な仕事があります。
「本当に必要なのは親が子どものあるがまま受け入れる無条件の愛。それが満たされて、子どもは安心して他者と人間関係を結び、自己肯定感をもって前向きに生きることができる。」
「子どもを承認し、見守り続けるメッセージを伝える。」
そのようにして、自陣で心のエネルギーを蓄え、社会に出ていくだけの力と自信をつけます。
自信とは、自分を肯定することです。でも、自分ひとりでは肯定して良いのか否定すべきなのかよくわかりません。家族などのまわりの人が肯定してあげて、ああ、自分はOKなんだという自信を復活することができます。
「ひきこもりは防衛反応なのだけど、いつまでも閉じこもっていてはいけない。」
「子どもの自己決定を信じてひたすら待つのは放置である。」
多くのカウンセラーは、無条件の愛を与え続ければ、子どもに自己肯定感が育ち、自然に自ら動き出すと考えます。ひきこもり始めてまだ日が浅い場合はそれでOKです。
しかし、長期化したひきこもりの場合はそういうわけにいきません。
短期間の自陣への撤退はゲームの作戦上必要なことです。作戦も立てずに焦って敵陣に乗り込むことはよくありません。
しかし、長い間、自陣に居すわると、そのこと自体がストレスになります。
観客のサポーターからも「早く攻めろ!」とブーイングがきます。

講座に参加して、子どもを動かすためには、親や家族が変わらなければいけないということを改めて思いました。しかしなぜか行動に移せないことがあります。
なぜだろうとずっと考えていたのですが、子どもがひきこもり始めてから現在までにたくさんの衝突や、葛藤をするうちに、理解したり、妥協したりを繰り返し、子どもも親も双方から影響し合って、今の状態が出来上がっていることに気づきました。
いろいろなつらい経験の上に「不満はあってもとりあえず我慢できる安定した現状」が出来上がってしまいました。だから子どもが動き出すのを望みながらも、今の安定を崩したくない思いが起こってしまうのかもしれません。
だからこそ、子どもを動かそうと思うのなら、子どもが動くのではなく、親や家族も動き出さなければいけないし、逆に言えば、親や家族が動けば、必ず子どもにも動きが伝わるのだなと思いました。

そう。自陣内で味方どうしでそっとパスを回している方が安心です。
でも、子どもがある程度力と自信をつけたら、いつか守りの姿勢から攻めの姿勢に転じて、敵陣に入っていかなければなりません。
それは一旦、バランスを崩すことになります。
危ないですね。不安ですね。

社会に乗り込むためには、今までより強いボールでパス回しをしなければなりません。

  • 朝、親が子どもを起こしても起きない。
  • 勉強しないでゲーム・ネットばかりしている。
  • 親が叱る。本人は黙ったまま何も言わず、不機嫌オーラを出す。

このような場合、今までだったら、本人の気持ちを尊重して暖かく見守り、刺激せずそれ以上は何も言いません。

もっと強いパスを与えるためには、

  • 子どもが不機嫌なオーラを出しても親はひっこまず、あえて本人との対話を続けます。

よく見られることは、こどもの「あるがまま」を受け入れ何も言わないのは良いとしても、親が不安のオーラを出し続けている場合です。言葉では何も伝えていなくても、親の不安を子どもがたっぷり受け取ります。
親は不安のパスを与えてはいけません。本人も不安になります。
安心のパスを与えます。
どうやったら安心のパスを子どもに回すことが出来るのでしょうか?

(質問)
なかなか家族は大丈夫とは思えないですが、先生は何を指標に大丈夫か否かを判断されているのでしょうか?

私は判断しません。家族が大丈夫と判断します。
強いパスを与えてもちゃんと受け取れるだろう。そういう選手同士の安心感・信頼感があれば、強いパスを選手に蹴りつけることができます。

本人が自信を得て社会に向かって出ていくためには、家族も一緒に自信を持ってパスを回しながら敵陣に攻撃を仕掛けなければなりません。

(質問)
仲間たちはどうやって「安心のパス」を回せるようになるのでしょうか。

3つのコツがあります。順に説明しましょう。

1)第一にチームプレイです。
選手一人だけでドリブルして、多くの敵がいる敵陣(社会)に乗り込むのは無謀でしょう。不安だらけです。
仲間と共に、パスを回しながら乗り込んでいきます。仲間同士が連携してちゃんとパスが通るということを確認できていれば、安心して社会に乗り込むことができます。
ひとりではダメだし、本人と親のふたりだけでもダメです。第三者が必要です。
本人に一番近い父親と母親と本人と、三人でパスを回します。
両親の間でパスが通らず(うまく話し合うことができず)、進む方向が異なっていたら、とてもふたりでパスを回せません。そんな状態では、敵陣に乗り込むのは不安です。
しかし、仲間同士でうまくパスがつながる安心感があれば、不安を乗り越えて敵陣(社会)まで前に進むことができます。

たとえば、
父親はなかなか本人にパスを伝えません。
母親が、「お父さんから子どもに伝えてよ!」と声をかけても「オレが言ってもしかたがない」とスルーしてしまいます。母親としてもそれ以上は夫に伝える気になれません。
父親は今まで仕事中心で、子どものことは妻任せ、子どもに関わってきませんでした。
経験がないので、いきなり成長した子どもにパスを回せと言われても、どうボールをキックしたらよいのかわかりません。それに、以前にボールを回したら、子どもはみごとにスルーしました。(違う方向にボールが行ってしまい、うまくつながりませんでした。)
つまり、親として子どもに向き合う自信がないのです。

妻も夫とあまり向き合って来ませんでした。
以前、向き合ってみたのですが、うまくいかなかったので、もうやめてしまいました。
この場合、まず夫婦のキャッチボールの練習から始めなければなりません。とてもやっかいです。でも子どもの問題が契機となり、夫婦が向き合うことを余儀なくされます。そこで踏ん張り、夫婦が向き合うことで、家族としてまとまり、親として成長し、家族が関わり合う自信を深めることが出来ます。

子どものためには、夫婦で向き合いたくないなんて言っている場合ではありません。妻から夫へ、夫から妻へ、うまく繋がらないリスクを冒してでも、パスを投げてみましょう。

2)ふたつ目は選手同士の距離です。
お互いに遠すぎるとパスは通りません。
近すぎてもパスになりません。ちょうど幼いちびっ子サッカーのように、選手たちみんながボールに近づきダンゴ状態に一体化してしまいます。
遠すぎてもいけない、近すぎてもいけないということは理屈ではわかるし、サイドラインから眺めればその状況がよくわかるのですが、一生懸命プレイしている選手たちは距離感を失ってしまいます。
それでも、遠すぎる距離は何となくわかるんですよ。一番難しいのは近すぎる場合です。外から見れば明らかに近すぎるのに、当事者の選手(母親の場合が多いです)は全くそのことに気づきません。コーチが指摘しても、選手は夢中なので受け入れてくれません。
場合によってはきょうだいや祖父母などの選手とパスを回すのも良いでしょう。
でも、そっち(きょうだいや祖父母)にパスが行ったらダメだ、回らなくなる、相手チームにボールを取られてしまうと思ったら、回せませんね。信頼関係の回復がまず必要です。

3)第三に、敵を味方に取り込む作戦です。
クラスの仲間からのいじめや先生からの叱責などがきっかけとなり、不登校が始まる場合、子どもにとって、同級生や先生は「敵」(ストレスの源)です。本人が彼らを味方にするのは無理でしょう。
しかし、親と子どもが近すぎず適切な距離があれば、子どもとは別の立場を取り、彼らを味方につけることも可能です。たとえば、親が先生にコンタクトしてよく話し合ってみましょう。始めは恐る恐る不安ですが、よく話し合ってみると、案外、子どものことをよくみてくれている信頼できる先生かもしれません。親が先生や学校への拒否感を和らげることが出来ると、子どもも自然と先生や学校への拒否感が和らぐものです。

不安、つまり大丈夫だとは思えない状態で、無理して敵陣に乗り込むのが一番危険です。不安を抱いて乗り込むと、必ず失敗します。予期不安が成就してしまうからです。
スキーや車の運転に例えて説明しましょう。
スピードに慣れないうちはとても怖いです。自分でコントロールできず転んでしまう恐怖です。怖くないうちは転ばないのですが、「怖い!」と感じた瞬間に転びます。だんだん慣れて上手になると、同じスピードでも怖くなくなってきます。しかし、急斜面に向かい、だんだんスピードを上げていくと、ある臨界点から「怖さ」が出現し、そうすると転びます。その臨界点がシフトしていくということが上達なわけです。
慣れてくると、早いスピードでもコントロールできる、安心できるようになる。不安なのに無理に急斜面を滑り、スピードを出すと、恐怖心から必ず転びます。
安心のうちは何とか成功するものです。でもその同じ斜面が不安に感じていると、失敗します。

ひきこもり、外との繋がりがないので不満だが、何も刺激しなければ平穏無事、家族内ではふつうに会話し、普通に暮らせているのでとりあえず満足できる。でも将来のことを考えると不安です。
ひきこもりは自陣の中でボールを回す仮の安定性です。
敵陣(社会)に乗り込み、その中で多様な人と関わりながらボールを回し、社会生活を送るのが真の安定性です。
ひきこもりを脱出して真の安定性を獲得するためには、仮の安定性をあえて崩さなければなりません。「とりあえず満足できる状況」の中から自然に切り替わることはありません。

金星探査機「あかつき」が従来の軌道から、新しい金星の軌道に乗り換えるために、危険を冒してロケットを噴射しなければなりませんでした。一旦、新しい軌道に乗ってしまえば、噴射しなくても自らの力で回り続けます。

とりあえず安定したひきこもりの軌道から、社会の中で活動する軌道に乗り換えるには、危険を冒して親のロケットを噴射しなければなりません。短時間、集中して噴射して、ロケットが新しい軌道に乗ってしまえば逆噴射は必要ありません。不満がより少ない新たな軌道を自らの力で回り続けることができます。

サッカー場(世の中)でプレイするのは選手とそのチームメイト(家族)です。
コーチ(セラピスト)自身はプレイしません。サイドラインから指示を出します。
選手たちはプレイに夢中ですから、全体の姿を見失いがちです。
コーチは、どんな時に自陣に撤退するか、そしてどんなタイミングで再度敵陣に切り込むのか、指示を出します。そのタイミングが遅くても早くてもいけません。そこはコーチの手腕です。
選手たちの気持ちが上がらず、「相手チームは強すぎるから、もう負けだ!」と意気消沈している時に、コーチは選手たちを励まし、前に向かう気持ちを甦らせます。

ここまで書いてきて、私は普通のセラピストとは少し違うのだろうと気づきました。
家族療法をやっている私は、そうでない普通のセラピストとは少し違った視点を持ちます。
普通のセラピストは、選手が大丈夫かどうか、ちゃんと判断します。敵陣に乗り込めるだけの体力や能力があるのか、病気や障害を持っているかどうかを判断します。
私はあえて判断しません。その判断をご家族に委ねます。
普通のセラピストは個人中心です。選手をカウンセリングしたり治療したり、薬を処方したりします。
私は、選手が治療を求めてやってくればもちろんそうしますが、選手本人が来なくても、チームをサポートします。

私は能天気なコーチです。
能天気というのは、選手一人一人の力を信じているということです。選手本人も家族も、みんなそれなりの力を持っています。
それは私が広尾で開業しているからということもあるようです。自由診療をやっている精神科医のところに相談にいらっしゃるって、多分、そうとう敷居が高いと思うんですよ、我ながら。その敷居をまたいでやってくる方々は、みなさんある意味ではしっかりしています。サッカーの能力は十分に持っているのですね。ただ、チームプレイに自信がないだけです。
私は以前、児童相談所や公立小中学校のコンサルテーションをやっていました。そういう現場では能天気なことは言えません。サッカーする基本的能力が十分でない選手も多くいました。その場合、ここに説明しているのとは異なった支援が必要になってきます。

私はチームプレイ中心のコーチです。
選手のひとりひとりが名選手、スーパープレイヤーである必要はありません。能力が劣っていても構いません。チームでカバーし合い、盛り上げれば、けっこう行けるものです。
私は、あまり本人個人は激励(治療)しません。チーム全体を激励して檄を飛ばします。
チームが元気と自信を回復すれば、選手本人も元気と自信を回復できます。

人との関わりの中で問題(成長のつまづき)を解決するためには、よっぽどのことをしなければならないのですね。背中を押すためには1回でうまく行かないので練習が必要であり、何度も失敗することを覚悟して積み重ねていく努力が必要だと思いました。

はい。とても当然で、大切なことに気づかれました。
名選手たちは口をそろえて言いますね。血のにじむような練習をやってきた。才能ではない、努力だと。
何度失敗しても構いません。うまくいくまで、何度でも背中を押し続けて下さい。成功するまで、押し続けて下さい。ただし、安全な押し方でお願いします。危険な押し方をしては絶対いけません。

2015年12月9日水曜日

ひきこもり脱出講座の参加者より

つづけて、「ひきこもり脱出講座」の参加者からの感想です。

ひきこもりの問題は、ひきこもっている子ども自身の問題と、夫婦間の問題の2つがあることを感じています。私の夫は人さまの前で自分の家族のことを話すことに抵抗があるようで、夫婦間で話せば済むことでありこの講座への参加も前向きではありませんでした。しかし、実際には家庭内での夫婦間の話し合いは簡単ではなく、言い争いになることもしばしばです。夫婦(両親)の足並みが揃わなければ、ひきこもっている子どもにも良い影響があるはずがありません。講座に参加して、我々夫婦の意思統一が出来ていないことがわかった一方で、子どもの問題点を共有する一つの方策であることもわかりました。
 まず、両親の足並みが揃っていないんだということを、おふたりが認めるところからスタートします。それが認められれば、そこを変えることもできます。そこに気づかなければ、変えることもできません。
親が変わることで、子どもが良くなる可能性が高まるなら、たとえそれが、夫への批判であっても、「心にためている不満を口に出す」ことも必要だと思いました。
そうですね。子どもが良くなるためにできることは、なんでもトライしてみましょう。この際、躊躇している場合ではありません。
子どもの年齢も高校生から40歳位で、各ご家庭状況は当然様々で、自分の家庭とは異なりますが、悩んでいらっしゃることの共通点は多く、直接生のお話を聞けたことが参考になりました。
各家庭の事情はそれぞれユニークで異なりますが、親の気持ち、子どもへの視線は共通している部分があります。そのことをお互いに知ることでホッとできます。うちだけじゃあないんだということがわかって。
参加したことで、新たな前向きになれる発見も出てきます。問題点も見つかります。何もしなければ、何も始まらず、始めることに遅いということはないと思います。
  • そうですね。手遅れということは決してありません。「手遅れ」と思い込んでしまえば、本当に「手遅れ」になります。
田村先生は、
「どうしてそう思われたのですか?今あなたはこうおっしゃいましたよね?」
「それでいいと思いますよ。」
「どうしてですか?もっとやられてもいいと思いますよ。」
と私を動かすような言葉をおっしゃって下さいます。
「(不安や疑問に立ち止まるより、)試してごらん、やってごらん」
先生の一貫した姿勢は、私にやる気を起こさせて下さいました。三週間毎の軌道修正がやる気の継続につながりました。

初めてこういった親の集まりに参加しました。皆さんは、違った体験、似た体験、知識があり、私は、自分の位置を知ることが出来、安心して話せ、聞いて下さり、共感でき、ほめてもらいました。私は参加するのに少し勇気が要りました。同様に、子どもが外に行くのも飛びきりの勇気が要るだろうと思いました。私が勇気を出して第三者の力を借りれば、子どもも第三者に借りに行くのかなと感じました。理屈で分かっていても越えられない壁を乗り越えるのは、自分のフィールドを広げるようです。違った気持ちや知識を得ることで、前向きになり、勇気と元気を貰い、壁を乗り越えていくのだなと思いました。

誰かの支えになろうとする人こそ、一番支えを必要としています。ひとりだけでがんばろうとしないで、良いサポーターを探しましょう。
講座では、私がサポーターとなりますが、それと共に、参加者同士がお互いのサポーターになるのが素晴らしい点です。

2015年12月5日土曜日

ひきこもり脱出講座

前回のひきこもり脱出講座に参加した方々からの感想をそのままご紹介します。

この講座に参加すると、もっと親の考えや希望を言って良いという気持ちにさせてくれますが、まだ子どもと向き合ってそのような話をできない自分にもどかしさを感じつつも、自分は子どもに何を言いたいのか考えることの重要性を感じています。
親が子どもに向き合うということは、当たり前のことですが、実際はなかなか難しいものです。具体的に、どのようにしたら「向き合う」ことになるのかを講座でご紹介しました。
毎回みなさんから家族の様子を聞かせて頂きありがとうございました。当事者研究の発表を聞くような感じでとてもためになり、そして癒されました。親として子どもに働きかけてメッセージを伝えたいと思っても、ちゃんとできませんでした。親子に立ちふさがるいろいろな壁が会って、その壁も親がそう思っているということが分かりました。誠実に明るく落ち着いて、プラスのメッセージを分かりやすく伝える努力が必要だと思いました。
そうですね、プラスのメッセージをどう伝えるかが重要です。親としてはそうしているつもりでも、実際はマイナスのメッセージになっていたりします。プラスとマイナスとはどういうことなのかをお伝えしました。
はじめはどうしていいかわからず、暗い気持ちでいました。しかし、毎回みなさんのお話を聞いていると、同じような悩みを抱えていることがわかり、気持ちがとても楽になりました。みなさんも頑張っているので、私も頑張ろうと思いました。今は、とても前向きに考えられるようになり、私自身の気持ちが明るくなりました。
とても大切なことに気づかれました。親が前向きになりましょう。そうすれば、子どもも前向きになることが出来ます。
親の「先取り心配性」は、子どものひきこもりのひとつの要因になっていることに気づきました。親は子どもを信じて、そして自分自身をも信じて、子離れしなくてはと思いました。
ひきこもっている子どもはのんびり構えているように見えても、内心とても心配になっています。まず親が「心配」から解放されることが大切ですね。親が子離れしてください。そうすれば、子どもも家族から離れて社会に入ってゆけます。
今、子どもが落ち込んでいるので、親は子どもに振り回されないように、自分の生活と思考の空間を保ちつつ、親として子どもに期待できることを明らかにしながら関わっていきたいと思います。この講座に参加すると、ほっとします
ホッとする感覚を大切にしてください。いったんホッと出来ると、今までいかにホッとしていなかったかということがありありとわかるでしょう。
一言で言えば、子どもが変化して自立に向けて動いていくには、親の側が変わることが重要だという当たり前のようだが肝心なことが見えてきました。子どもが社会性を持って自立するには、親と子でコミュニケーションをうまくとること、しかも子どもが内実に持っている力と可能性を信頼して、そっと、あるいは時には力を入れて背中を押すこと。その場合に言葉の力が問われると痛感しました。
そう、うまい「子どもの背中の押し具合」が肝心です。下手に押してはいけません。しかし、押さないで子どもの自発性だけに待っているというのもよくありません。ひきこもりが長期化してくると、自分自身の力だけでは外に出れなくなります。本人が自信を獲得できるよう、背中を押してあげて下さい。
子どもが自分から動くのを、親が受動的に待っているのではなく、親の側が大きな方向性について親の思い、考えを率直に伝えることが大切だと思いました。とかく本人の自主性・内発性を「信頼」するあまり、不必要に親が遠慮することが多いのですが。親自身が自信を回復することが大切ですね。
本人の自主性は尊重します。しかし、親は遠慮してはいけません。親は良い意味での期待を子どもに与え、子どもはそれを成就することによって自信を得ます。まず親が自信を回復してください。そうすれば、子どもも自信を回復できます。
毎回、何らかの気づきや発見があったことが有り難いと思います。一年ほど前は、ひきこもりの子どもを抱えているという重さにつぶされそうで辛い毎日でした。現在は親に余裕が出てきて、本来の親になれそうな気がしています。あまりオタオタせず、落ち着いて子どもに接していこうと思います。
ひきこもりは、本人も辛いのですが、親もひどく辛いものです。重さを跳ね除け、元気を回復してください。
この講座でたくさんの家庭の様子を伺い、それをどうしたらよいか皆で考えることができて良かったです。自分の家庭で起きていることも聞いてもらえ、先生からのアドバイスも有り難かったです。凝り固まっていたところを、温かくほぐしてもらい、また気づかなかった点を厳しく指摘してもらえて良かったです。今、親として子どもに何を伝えたいのか、真剣に考えて子どもに伝えていこうと思います。
私からのアドバイスもありますが、参加者のみなさん同士でアドバイスし合っているのは良かったです。ひきこもりの親という当事者同士の繋がりは、日常の中ではなかなか得られません。講座という機会をぜひ活用して下さい。
毎日が目に見えるように改善はされていないが、最近は何となく希望の持てるような日が続いています。これまで先の見えない日々の連続でしたが、精神的に気持ちの安らぎを得られるようになりました。
そのような雰囲気でみなさんひきこもりから回復されます。突然、劇的に晴れるのではなく、なんとなく気が付かないうちに先が見えるようになってきたなぁ、、、という具合ですね。
次回の参加者へのメッセージも頂きました。

新たに参加される方もいろいろな悩みを持っていらっしゃると思いますが、子どもに言いたいことが伝えられないという悩みは共通だと思います。勇気を持って伝えられるようになるのは、親の心の元気さだと思います。みなさんのお話を聞いて、元気になってください。

2015年11月13日金曜日

二種類の家族モデル

佐藤 花子さん(妻:仮名)
私はどんなに夫の家族から否定されていたことか。
私がまるで部外者のように扱います。私の存在が否定されました。

夫は、そんな時でも私を助けてくれませんでした。
いくらお義母さん・お義父さんにあなたから言ってほしいと頼んでも、「仕方がないんだ」と一言で片づけ、取り合ってくれません。逆に、「もうそのことは言うな!」と逆切れされます。
私は夫から守られているという感覚が全くありません。
子どものこと両親が協力するべき、、、とよく言われますけど、そんな夫に心を開くことは正直に言えば無理です。

佐藤 太郎さん(夫:仮名)
妻と私は、生まれ育った環境があまりにも違うんですよ。
私の実家は地方の、とてものんびりした田舎です。
代々農業を営んでいたけど、戦後、農地を売って商売を始めました。素朴で、ざっくばらんな、何でも言い合える大家族です。

妻は都会のサラリーマン家族に育ちました。教育ママと多忙なサラリーマンから、かなり厳しく勉強させられたようです。妻の兄は親の期待どおりの大学に進み、立派な会社に就職しました。しかし、妻の弟の方は残念ながら、、、、。あっ、このことは妻には内緒にしていて下さい。この話になると、妻の機嫌が悪くなります。

うちに嫁いだ後も不満が多くて、、、
ウチの実家のことを、内心馬鹿にしているんです。妻はわがままなんですね、基本的に。
うちは、小さい時から大きな家族で育ち、もまれてきました。
妻の家族は都会育ちで祖父母も同居していなかったから、うちの家族の習慣を理解できないんです。
自分勝手で、ほとほと手を焼いています。あっ、このことも妻には言わないでください。

ご夫婦で深く話し合うと、どうしても口論になってしまうのですね。

どの夫婦でも育った環境が違いますから、価値観をすり合わせが難しいのは当然です。
おふたりは何年間結婚されていますか?

いまからでも遅くはありません。よく話し合い、たくさん口論をして、価値観をすり合わせてください。
「良い意味での口論」が大切です。多少は傷つけあっても構いませんから(ただし、大きくは傷つけないでください)、お互いの価値観をよく話し合いましょう。

その際に、ひとつ大切なことを説明します。
「家族」の捉え方には二種類あります。

ひとつは、伝統的な拡大家族観です。
家族の枠組みは祖先から子孫まで綿々と続くという考え方で、自分の親も子も同等に尊重します。

ふたつめは、近代的な核家族観です。
結婚したら実家から離れて、親としての自分たちと子どもたちで新しい核家族を作るという考え方です。この場合、自分の老親とは距離を置き、核家族を一番大切にします。老親との絆を保とうとするのは「親離れできていない人」と否定的に見なされます。

戦後、欧米からの入ってきたこの考え方が、今では主流になりつつありますが、依然として伝統的な拡大家族観も生きています。

家族に正解はありません。
伝統的な拡大家族観と、近代的な核家族観の一方がダメで、もう一方が正しいというものではありません。

佐藤さんの場合は、ご主人が拡大家族観をお持ちで、奥さまが核家族観をお持ちです。
そのような家族が多いです。なぜかというと、昔は男性優位社会で女性のさまざまな犠牲の上に社会や家族成り立っていました。現代の男女平等の考え方は核家族観を支持します。
男性が拡大家族観を志向し、女性が核家族観をより志向するのももっともなことです。それを急に変える必要はないと思います。

ただし、重要なことは、相互の価値観と気持ちを尊重することです。
佐藤さんの場合は、奥さまがご主人の家族から痛つけられた苦しみを、ご主人が十分に理解し、奥さまのお気持ちをわかって、奥さまを支えてあげることが大切です。

それとともに、ご主人が親世代の価値観を尊重したいというお気持ちを、奥さまがよく理解し、わかってあげて下さい。

そうすれば、ご夫婦がよく理解し合い、核家族も、拡大家族も尊重することができます。
このように理屈で説明するのは簡単ですが、実際、おふたりですり合わせるのはかなり難しいと思います。
しかし、子どものことでご両親が本当に協力するためには避けて通れない道なので、よくよく「良い口論」をしてください。