2017年2月22日水曜日

こうやって話すと、辛くなりますよね?

P子さんは、息子のひきこもりについて相談にいらっしゃいました。
カウンセラーに相談するのは初めての体験です。
始めは、息子さんのことを話していたのですが、途中から、家族の話に移っていきました。

実は、家族の問題なんです。

と言いながら、家族が長年抱えてきた問題や、P子さんの辛さをよく語ってくれました。
最後に、P子さんが語ってくれた感想が、表題の言葉でした。

こうやって話すと、辛くなりますよね?

確かにそのとおりです。
人は、他者の問題については比較的話しやすいのですが、自分自身の問題について認め、語ることは、とても辛いことです。
なぜなら、痛みを自分自身で請け負わなければならないからです。

P子さんは、その痛みに耐え、よく語ってくれました。
とても、しんどかったでしょう。
しかし、それが根本的な問題解決への第一歩なのです。
その辛さを通り越すと、幸せを得ることが出来ます。

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S雄さんとT子さんが、夫婦カウンセリングにいらっしゃいました。
ふたりで一緒に相談した後、S雄さんはひとりで相談したいからと、T子さんに席を外してもらいました。

実は、T子を先生に診断してもらいたいんです。
ネットで見たら、T子は境界性パーソナリティ障害か、うつ病だと思うんです。
治るものなら、治してほしいです。
もし治らない病気なら、離婚したいと思います。
その場合、妻は病気だという先生の診断書を書いて下さい。

二人とも、人間としてはとても素敵な人です。
結婚するまでは、とても幸せでした。
しかし、5年たった今のふたりの関係は最悪です。

その一番の要因は、二人とも、心の中に抱えている大きな負の遺産です。
二人は、安全な家族で育ちませんでした。
一見、ごくふつうのご実家なのですが、家族の中に見えない葛藤を抱え、お互いを傷つけあいながら成長しました。
その体験が、二人の関係性に大きく影響しています。親密になり、心理的距離が近づくと何か悪いことが起きるのではと不安になり、自分を守るために、無意識のうちに相手を傷つけてしまいます。その応酬がエスカレートして、ふたりとも耐えられなくなりました。

T子さんは、自分の実家問題に気づいています。
そのことを認め、どうにかして自分が良くなりたい、夫婦関係が良くなりたいと、助けを求めています。

一方のS雄さんは、自分の家族に問題があったということを認めず、自分自身の意識からも追い出しています。
私から、「これはおふたりの関係性の問題であり、双方が変わらなくてはならない」と申し上げるのですが、S雄さんは認めません。
S雄さんにとって、問題の所在はあくまでT子さんに属し、自分自身の問題性は否認しています。

だれでも、自分の問題や欠点を請け負うことはリスクを伴います。
一時的に自尊心を失い、自信とやる気を失ってしまう。
P子さんも、S雄さんも、過去に家事や仕事が出来なくなり、寝込んでしまった時期がありました。
S雄さんは、医者に診てもらい「病気じゃないよ」と元気付けられ、どうにかカムバックしました。
そんな事情があるので、P子さんもS雄さんも、自分の心の健康に不安を抱えています。

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自分の弱みに鎧をかぶせ、隠せば、取りあえずどうにか動けます。
自分の弱みを開示してしまうと、痛くて動けなくなることもあります。
そこが難しいところです。
隠せる範囲内なら、棺桶まで持って行っても良いのかもしれません。
しかし、それが限界を超えて大きくなると、自分一人では処理できなくなります。
他者に救いを求めるしかありませんが、そのためには、どうしても自分の弱みを開かなければなりません。
自分自身でもそれを見ないといけません。
それは、恥ずかしく、落ち込んでしまいます。

だれでも、病院に行くのは嫌なものです。
痛いところを見せないといけません。
診察するために、服を脱いで、裸の姿を晒さなければなりません。

歯が痛くても、市販の痛み止めでどうにか我慢できるならいいのですが、
どうしようもなくなったら歯医者に行き、口を大きく開けなければなりません。

やぶ医者にはかかりたくありません。
よっぽど信頼出来る医者でなければ、自分の痛みを見せたくありません。

何を根拠に信頼出来るのでしょうか?
1)的確に診断して、痛みを取り除く腕があること。
2)自分の痛みをちゃんと理解して受け止めてて、無理せず、丁寧に優しく対応してくれること。
このふたつがとても大切です。

心のケアも同様です。
A) 心の痛みが、一人でどうにか処理できる範囲であれば、人に頼らず、痛みは自分の心の中に閉じて、自分で何とかがんばります。
B) しかし、それを超えたら、信頼できる人に自身の痛みを開き、自分自身もそれを認めます。

両者とも大切なことです。
この両方をうまく使い分けることが肝心です。
しかし、なかなかうまくいきません。
P子さんも、S雄さんも、既に限度を超えて、息子のひきこもり、あるいは夫婦関係が破たん寸前という深刻な問題を抱えているのですが、(A)から(B)に移行できません。
P子さんは「息子の問題」、S雄さんは「妻の問題」として処理され、「自分自身の問題」が棚上げされています。上手にたな卸し出来れば、子どもや夫婦関係の問題は必ず快方へ向かいます。

〜〜〜
自分でがんばるか、人に頼るか、、、
その志向性は、人によって異なります。

私の20歳の娘は、何か困ったことがあると、すぐに「助けてー!」と人に頼ってきます。
私の18歳の息子は未だ反抗期なのか、親と会話しません。困ったことがあっても、自分で解決しようとします。
今朝も、家の中で飼っているビーグル犬が粗相(ウンチ)をしてしまいました。
息子は親に救いを求めず、自分ひとりで掃除していました。
もしこれが娘だったら、家族みんなを巻き込んで大騒ぎです(笑)。

〜〜〜

大学に勤務していた頃、新入生の健康診断を担当していました。
診察の前に問診票を渡します。

( )夜、寝つきにくいことがある。
( )気分が悪くなることが時々ある。
( )食欲がわかないことがある。

といった質問にチェックしてもらいます。
ほとんどの学生たちは健康そのものなのですが、男子と女子でマルの数が異なります。
女子はマルの数が多いです。しかし、診察してみると、それほど大したことではなく健康です。
一方、男子はほとんどマルをつけません。診察して問題がある場合もです。

一般的な傾向として、
女性は、自分の弱みを開示して、他者に救いを求めることが得意です。
男性は、人に弱音を見せず、自分でなんとかしようとがんばります。

〜〜〜

私は、中学で柔道部でした。
柔道は受け身がとても大切です。
組み手をしている時は、身体に満身の力を込めて頑張ります。
しかし、どうしようもがんばれなくなり、相手に倒される瞬間、ふっと全身の力を抜くのが受け身です。すると、安全に倒れることができ、骨折などのケガから体を守ります。
相手に負けることを否認し、最後まで頑張り続けると、大きなケガをします。

私は高校で山岳部でした(笑)。
ヒマラヤ登山隊は、莫大な資金と労力を重ね、8000m級の山を目指します。
隊長は、気象と隊員のコンディションを見て危険が高いと判断すると、頂上アタックを断念します。せっかく目前まで迫ったのに、今までの努力が水の泡と消えます。
そうやって、隊員の命を守ります。

〜〜〜

人の本当の勇気とは、前に進むことばかりでなく、必要な時には撤退できる力です。
苦労して作り上げてきた自分の鎧(プライド)を脱ぎ、弱さを認める辛さに耐える力です。

2017年2月8日水曜日

高学歴家族の自尊心

自尊心 Self-Esteem 
=自分に自信を持ち、自分のやっていることに誇りを持てること。

人は、自尊心がないと前向きに生きていけません。
とても大切なものです。
それをどう作って、どう調整するのか。
人生のハードルをいくつも越え、成功と失敗を繰り返しながら、自分の身の丈にあった自分、肯定できる自分が作られます。
しかし、それは思春期の子どもたちにとっても、そしてそれを見守る親にとっても簡単ではありません。
越えるべきハードルが高いのが高学歴家族です。それを飛ぶことができないと、前に進めなくなります。その高さは、微妙に調整しなくてはなりません。しかし、それは難しいことです。
私の家族を例にして、お話ししましょう。

<<息子の自信獲得>>

自分で言うのも変ですが、うちは典型的な高学歴家族です。
私も、妻も、両親も、子どもたちも、いとこたちも、みんなA級の高校・大学に進学しました。
家族によって設定された高いハードルを飛び越えることが期待されます。
しかし、末っ子の次男はそのレベルに達していません。
次男は兄・姉と同じようなA級都立高校に挑戦して、落ちました。
彼は、まだ自己万能感の世界の中にいました。根拠もなく、自分は当然、受かるつもりでいました。

父親と見に行った合格発表に、彼の受験番号はありません。
父親である私は、呆然として落胆を示しました。
次男は「オヤジ、そんなに落ち込むなよ!」と慰めてくれました。
その直後の帰り道、彼の堪えていた涙が突然吹き出しました。

以来、彼は自信を得られずに、もがいている。。。と、親は勝手に見ています。
本人がどう感じているかは、分からないのに。

現在、次男は大学受験の真っ最中です。
彼は滅多に自分を表現しません。典型的な思春期男子です。私自身もそうでしたから。

父親が、「どこを受けるんだ?模試の結果を見せろ!

と言っても見せようとしません。
しつこく言って、やっと見せた模試結果の志望校は全てF判定でした。
そりゃあ、親に見せたくないよな。

ところで、第一希望はどこなんだ?

まだ、決めてない。

決めてないわけないだろ。
でも言ってしまって、そこを落ちたときのことを考えてるんだろう。
だから、親には言わない。
自信なんか、ぜんぜんないよな。

3年前の高校受験は本命と滑り止めと2校しか受けませんでした。
今回の大学受験は8校受けるようです。
どこを受けるのか、すべて本人が決め、親に干渉させようとしません。

これから連続で始まる受験の初日、朝起きてきて、

おやじ、ハンドパワーをくれよ!

と、握手を求めてきました。
普段は無口で、親が話しかけても答えず、ほっといてくれよと、身体が触れることさえ嫌い、距離を置こうとする次男にとっては青天の霹靂です。
彼にとってもよっぽど心細かったのか、緊張していたのでしょう。

次男は頑張っています。
塾や予備校を勧めても、父親が英語を教えてやろうと言っても、すべて断り、自分でやると言います。
自立したいだけなんだ。
自分の足で立ちたいんだ。

彼が選んだ大学は、すべて彼の身の丈にあったB級大学です。
ふつう、一個くらいはちょっと上の大学を受けるだろう。
誰だって、背伸びしたいものです。夢は捨てられない。
しかし、彼は、ちゃんと捨てています。10割から7割に縮んだ自分を受け入れているのだろうか。
だとしたら、父親が未だに解決できていない葛藤を、すでに乗り越えていることになります。

いや、そんなエラいもんじゃないのか。
ただ、気が弱いだけなのか、背伸びしたくないのか。
自分に制限をかけているのか。
それとも、大学の序列とかどうでもいいと思っているのか。
受験生たちには、直近の目の前にあるハードルしか見えません。AとかBとかその高さは関係なく、ただ、目の前に置かれたハードルをなんとかクリアしたいだけなのでしょう。
そのハードルが、社会や親族の中でどんな意味を持つかなんて、もっと後からやってくるのでしょう。

次男は高学歴家族がどうのこうのなんて、考えちゃいないのかもしれません。
親の私が気にして、勝手に不安がっているのでしょうか。
その不安を子どもに投影してしまうと、子どもがせっかく飛べたハードルの意味を壊してしまいます。そんなハードルは価値が低いと親が評価すると、子どもは成功体験を得られません。
AとかBとかという価値は、世間からやってくるように見えるけど、実は家族からやってくるものです。

どうやって彼は自信を獲得していけるんだろう?
私にはわかりません。
それが父親の不安です。
なぜなら、私自身に、その経験がないからです。

そんな、難しいことごちゃごちゃ言わないで、
ただ単純に彼が飛び越えたものを承認すれば良い。
頭ではそう考えますが、自信がありません。

来週、次男は、きっと、どこかの大学に受かるでしょう。
私はそれを、大いに祝福してやりたい。
浮ついた言葉ではなく、心の底から伝えたい。
そのためには、自分自身の心をもう少し深く点検しなければなりません。

〜〜〜

<<父親の自己万能感の再調整>>

幼児は、すべて自分の望みが叶うという幼児的自己万能感に浸っています。
100%の自分でいたいと願うことで、基本的な自己肯定感が生まれます。
そして、成長する中で、プライドが傷つき、100%から70%、60%と縮小せざるをえなくなります。それを受け入れることにより、ピーターパンの世界から現実の世界に降りて来ます。
傷つきを受け入れ、傷ついた自分を受け入れることによって、本当の大人になれるのです。

そういう意味では、もしかしたら私はまだピーターパンの世界にいるのかもしれません。
自分自身では、「なりたい自分」を成就してきました、、、というかできちゃった。
まだ本当の挫折を知りません。
私は、「学歴」というちっぽけな、しかし日本社会では大きな幅を利かせている価値を頼りに自尊心を築いてきました。

進学高校⇒高校アメリカ留学⇒国立医学部・大学院⇒英国留学⇒国立大学教授⇒開業医、、、

自尊心を作っていく過程は、自分自身のみに終わらず、自分の延長である家族にも及びます。それが、子どもたちの成長を見守る姿勢に現れています。
うちの家族の通過儀礼のハードルはA級なんだ。それを飛べて一人前になる。
それを子どもたちに期待して、承認を与えてきたように思います。
そんなこと、誰も決めていないのに、私の自己万能感の中に自動的に組み込まれています。
では、Bのハードルを飛んだ次男に、どうやって承認を与えるのか?
そんな、単純な、当たり前ことが、実感できません。

今、私自身の自己万能感を、再調整する時なのです。

大学の偏差値って、いったい何の意味があるんだ!?
昭和の高度経済成長時代の終身雇用制度では、大学のランクが就職先のランクに直結して、生涯収入額と幸せの量にも比例していたのでしょう。
豊かさを十分成就してしまった今の日本社会では、その世間的価値もとっくに崩れています。
一部上場企業に行っても、つぶれるし、人々は転職が当たり前だし、うつ病だって、過労死だってあります。医者や弁護士になったって、アルコール依存も、DVも、家庭崩壊もあります。そういう人たちを、私はたくさん知っています。

だのに、私は形骸化した価値観に、未だに縛られています。
それは、私自身が、その価値観に準拠して自尊心を作り上げてきたからです。
ちっぽけな、現代日本という狭い時代の狭い社会にしか通用しない準拠枠をすべてだと思い込んできました。

講演会では、司会者が私のプロフィールを紹介してくれます。

田村先生は、○○大学医学部をご卒業、博士号を取得された後、イギリスに渡り、○○を学びました。6年前に○○年間奉職された○○大学の教授を早期退職され、西麻布に精神科クリニックを開業されました。。。

これが、私の自尊心の根拠なわけ?
人より抜きん出ることが自尊心ですか?
業績が、自尊心ですか?
なんか、それって薄っぺらな自尊心じゃないかしら?
人と比較しないと、自尊心を持てないの?
人と比べて、自尊心を持つの?
そういうの、エリート意識っていうんじゃないの?

いや、そうじゃないんだ。
自尊心を得るためには、二段階が必要なんです。

1)何かを達成する。
ストレートに達成しても良いんだけど、もっと深いのは挫折し、失敗して、自尊心が傷つき、万能感が打ち砕かれた後に、再度立ち上がり、別の何かを達成します。
何らかの努力は必須です。それがないと、他者は承認する根拠が得られません。
空手形の誉め言葉ではダメです。

2)それを承認する他者がいる。
「よくできた。素晴らしい!」
という言葉があって、それが達成であることが初めて意味づけされます。
遠くの世間の人から賞賛を得るには、何かで抜きん出ないといけません。誰もがそれをできるわけでもないでしょう。
近くの人の方が大切です。身近で、自分にとって大切な人、自分のことをよく理解してくれる人からの承認が必要です。それは家族です。

▲世間からたくさんの承認を受けているのに、身近な家族から受けていない人は、寂しく。孤独を感じています。
●世間には全く知られないけど、身近な家族から承認を受けている人は、どこか満ち足りています。
幸福は世間からではなく、家族からやって来ます。

さあ、次男、頑張れ!!
諦めず、努力しろ!!
しかしどこかで限界を認めなくてはなりません。
エベレスト登頂では、勇気ある撤退が必要です。せっかくたくさんのお金と時間をかけて頂上を目指すが、隊長は気象条件と隊員の疲労度を考え、判断します。
ここで無理をすると遭難する、いや、しないかもしれない、でも危険だ。もともと登頂なんて危険なはずなのに。
判断するには、相当な勇気が必要です。
そして、撤退します。

次男は山を撤退したわけじゃない。
彼が選んだ山を登ろうとしているだけです。
彼はよく選べたと思う。
家族の伝統を意識したら、3000m級の北アルプスを目指さなければなりません。
しかし、彼は既に傷つきを受け入れ、自己万能感をリサイズできています。
ちゃんと2000m級の奥秩父を目指しています。

すごいじゃないか。父親より、兄・姉より、お前は人間が出来ているぞ。
そのはずだ。父親は、おまえを信じている。

次男の達成を、心から祝福してやろう。

おまえは、素晴らしい人間だよ!!

それを、早く伝えたいよ。

2017年2月2日木曜日

自分の弱さに向き合う生き方

前回の記事「自信の回復」は読者の皆さんから多くの反響をいただきました。
私が自信を失った話が、ショックだったようです。

> 先生、大丈夫ですか?

という心配の声だったり、

> 先生でも失敗するなんて、意外です。

という驚きの声もありました。

> 前回の週間レポートを読んで、
> 田村先生が失敗する、自信を失うことがあるのか…と少々驚きました。
> もちろん、100%完全な人間はおりませんが…

> 田村先生のレポートにある「自信を失ったことと、その後の対応」は、
> やはり心理の専門家である田村先生ならではのアプローチと思いました。
>ふつうなら、自信の喪失による心理的ダメージのなかで、どのように対応
> していけばよいのか、それを見つけることはむずかしいです。

実は、このように自分の弱さを自己開示することが、私の自信喪失のリカバリーの方法なんです。

人は誰でも不完全な部分を持っています。それは、当然のことでしょう。
でも、それをあえて人には言いません。
自分の失敗や欠点は隠して、他人には見せないし、自分でも見ないようにします。
それをオープンにして人に見せることは、とても怖く、抵抗を感じます。

自分の弱さは、他人には見せません。
自分は「良き人、強い人」と思っていたいものです。
他人には自分の良い面を見せます。
人から良く見られたいために、人からの信頼を得るために、自分を高く売るために。

特に、私は「先生」をやっています。
精神科医の先生だし、以前は大学の先生もやっていました。
先生というのは先を行く人、尊敬される人、信頼される人です。
相手から信頼されることで、私の仕事は成り立っています。
私の学生や患者さんからすれば、先生の失敗の話など聞きたくないでしょう。

> 先生が失敗したなんて、言ってほしくなかったです。

先生にはしっかり、強くいてくれないと、信頼も尊敬もできません。
頼っている先生が、「自分が弱い」なんて言い出したら、不安になります。

自分自身でも、失敗や弱さは見たくありません。
自分のダメさを受け止めると、自信を失います。
自尊心が下がると、物事をすべてマイナスに捉えてしまい、とても生きにくくなります。
精神的なダメージを避けるために、自分の弱さは否認します。

私も、若い頃はそうしていました。
自分の良い面を人には見せて、不完全な部分は隠していました。
自分は「強い人である」と思い込んでいました。

でも、それを覆す体験を20年ほど前に得ました。
私が30代後半の頃、ローマに渡り、イタリアの有名な家族療法家、マウリッチオ・アンドルフィが主宰する2週間の集中研修に参加しました。世界中から彼を尊敬する家族療法家たち15名ほどが集まり、カウンセラーとして必要な感性を磨きます。
普段、人には言えないような本音(弱さや欠点)を開示して、悲しみや不安・恐れなどの気持ちを表出します。
当時、私は自分のことを強い人間だと自認していたので、なぜ、他の参加者たちが、皆の前で泣くのかよく理解できませんでした。
自分は悩みも弱さも持っていないし、そんなことをする必要はないと達観していました。

ところが研修の最後日に、マウリッチオが自分自身の体験を語り出し、泣き崩れてしまいました。
彼は、ちょうどその頃、長年連れ添った夫婦関係が破たんする寸前であったと、後で知りました。
私はとても驚きました。
先生が、生徒たちの前で自分のナイーブな弱さを見せるなんて!
高名な先生であっても、本当は情緒的に弱い人だったんだ。
ついに壊れてしまったか、、、
とても残念に思いました。

しかし、彼は全く壊れていませんでした。
その直後の晩餐会では、普段の彼に戻り、陽気に振る舞っています。
泣き崩れる彼と陽気な彼の落差を理解できませんでした。
その後、この体験を反芻して、次のように考えました。

彼は他人に弱さを見せても平気な人なんだ。
自分の弱さを受けれていて、それを弟子たちにも見せることが出来る。
他者に依存したり、助けを求めるために弱さを見せているわけではない。
自分で感情を処理するために、あえて感情を表出しているんだ。
弱さを抱えてはいるが、弱い人ではない。十分自信を持っている人だ。
それが本当の強さなのだということを理解しました。

これは、私の30代後半の体験です。
大学の職を得て、子どもが生まれ、教員として父親としての自信を深めたいと願っていた人生の転換期でした。
マウリッチオとの体験は、安全にプライドを崩していく作業だったのかもしれません。

若い頃は、一生懸命、自分の鎧を作ってきました。
成長する中で、身体と頭と心を鍛え、強くして、人生のハードルを越えて、良い人間になろうと努力してきました。
当時は、弱さを認める余裕はありませんでした。

人生の半ばを過ぎ、それまでに得てきたものを多少は崩しても大丈夫という自信が根底にあったから、マウリッチオの強さを見出すことができました。

弱さや失敗を否認していたら、そこに手を加えることはできません。
自分の陰の部分に光を当て、修復するためには、まずその部分に立ち入らねばなりません。
それはとても勇気がいることです。一人では困難です。
カウンセラーは、そこに寄り添います。

ローマでの体験の後、私は、よく学生たちの前で泣いたり、感情を表現するようになりました。妻を亡くした時も、授業でたくさん泣きました。ちょうど「家族関係学」という授業を担当していたので、自分の家族のことをよく題材していました。
先生が泣き出して、弱虫先生と批判した男子学生や、
悲しみの感情に耐えられず、もらい泣きする女子学生がいる中で、
「先生の感情に触れて良かった」という感想を漏らした学生もいました。

人間の本当の強さとは何でしょうか?
強さに固執して弱さを隠すことは、弱さにつながります。

●自分の強さを認め、弱さも同様に認められること。
●安心して、自分の弱さを受け入れること。
弱い部分があるからといって、その人の価値が下がるわけではありません。
それが、本当の強さだと、私は考えています。

2017年1月25日水曜日

親が自信を回復して、子どもがひきこもりから脱出した例

いずみさん(仮名、女性)は、息子のひきこもりについて相談にいらっしゃいました。

大学生のA君は就職活動を目前に、立ち止まってしまっています。
中学までは成績優秀でスポーツも頑張り、元気でなんの問題もありませんでした。
高校は進学校に進み、優秀なクラスメイトの中で、うまく友だちが作れず、クラブ活動でのいざこざが原因で、3ヶ月ほど学校を休みました。しかし、その後は持ち直して、大学に進学できました。
大学1-2年生の頃は良かったのですが、3年生の後半になると就職への準備が始まります。1-2年生は大教室での講義を聞くだけの授業でしたが、3年生からはゼミの研究室に配属され、先生や仲間の前で発言するのがとても緊張します。4年生になっても、授業に出れず、あとわずかの単位を取得できないと、卒業できません。仲間は就職活動を始めていますが、A君はエントリーシートが書けず、何もできないまま外に出られずにいました。
母親のいずみさんも、A君に何を言ってもイライラしてイヤな顔をするので、何も言えません。業を煮やした父親がA君に「いったいどうするつもりなんだ?」ときつく言ってから大喧嘩になり、以来A君はリビングにも顔を出さなくなりました。

いずみさんは、友だちの勧めで私のところに相談にいらっしゃいましたが、本当はあまり来たくありませんでした。いずみさんは、自分は母親失格だとおっしゃいます。夫は仕事が忙しく、家庭はほとんど顧みない人です。ふたりの子どもの子育ては母親の責任なのに、息子がひきこもってしまったのはすべて母親であるいずみさんの責任だと感じて、落ち込んでしまい、食欲もなく、夜もよく眠れません。「うつ」に近い状態でした。

いずみさんは、とても聡明で思慮深い女性です。しかし、覇気がなく、自分の考えややることすべてに自信を持てません。
夫婦仲もうまくいきません。社内恋愛で夫から熱心に求愛されて結婚したものの、活発で社交的な夫にはついていけません。A君が高校に行けなくなった時、子どものことを相談しても、夫はいずみさんの考えすぎだからと、話をよく聞いてくれませんでした。今回も、夫に言うと息子を叱ってしまい、かえって状況は悪くなります。だから、今回のA君のことも、あまり詳しくは夫に伝えていません。
いずみさんは、人に打ち明けたり、相談することがとても苦手でした。それは、いずみさんの子ども時代にまでさかのぼります。いずみさんにはとても優秀な兄がいました。兄は家族やまわりの人たちの注目を集め、いずみさんは兄の陰で小さくなっていました。親はいつも兄のことを構って、いずみさん自身はあまり構われた思い出がありませんでした。その兄は目指していた大学受験に失敗してから反抗期が始まり、それまでとても良かった親と兄との関係が悪くなりました。その中で、妹のいずみさんは小さくなって嵐が過ぎ去るのを耐えていました。
結婚して母親になった今でも、他人に対してはっきり自分の意見を主張する経験がほとんどありません。娘は親が何も言わなくても元気に活動しています。しかし、いずみさんの兄の経験もあり、親は息子にどう接したらよいのかわからなくなってしまいました。

私は、いずみさんにいくつかのことを提案しました。

  1. 息子のひきこもりは母親の責任ではないことを、強調しました。もちろん、思春期の子どもの成長に、親の影響は少なくありません。しかし、親が自分の失敗だと落ち込んでいると、戸惑っている子どもに何も関わることが出来なくなります。大切なことは、過去を反省するよりも、これから何ができるのかを具体的に考えることです。
  2. 本人をカウンセリングに誘うように提案しました。今まで、いずみさんがこちらに相談に来ていることも、A君には伝えていません。そんなことを言ったら「余計なことをするな!」と怒り出すのが怖かったからです。私からは、失敗してもいいから、母親からA君に働きかけてみるように強く勧めました。
  3. ご主人と夫婦で相談に来るように提案しました。しかし、いずみさんはあまり乗り気ではありません。夫は仕事が忙しく、一緒に相談に行こうと言ってもOKしてくれるか自信がありません。それに夫はソトヅラが良く先生の前では立派なことを言うと思います。でも家に帰ると何もやってくれません。それに、いずみさんは夫と話し合っても、いつも言い負かされて、結局は夫の思い通りになってしまうので、本当は夫とはあまり話し合いたくないという気持ちです。私はいずみさんのその気持ちを良く受け止めました。いずみさんのおかれた状況であれば、そう感じるのも当然でしょう。いずみさんは、最後に、でも頑張って夫を誘ってみますと決心してくれました。
  4. ご夫婦で話し合う時間を確保するように提案しました。相談にいらしたご主人は、いずみさんの語るご主人像とは異なり、家族のことを心配する優しい方でした。彼もA君のことでは悩んでいました。しかし、母親と父親で考え方が異なります。父親はA君にもっと働きかけるべきと考え、母親は悩んでいるA君を刺激せずに、自ら動き出すまでそっとしておいたほうが良いと考えます。そのことを夫婦で十分に話し合う時間も持てず、仕事で家族と接する時間が限られているので、普段接することが多い妻に子どもたちのことは任せざるを得ません。しかし、夫婦仲が悪いわけではありません。単によく話し合う時間とその動機づけが足りないだけでした。
     私からは夫婦だけの時間を確保するように、そして夫からいずみさんを誘い出すように提案しました。幸い、おふたりともお酒が好きで、子どもが生まれる前は、よく近所の居酒屋に飲みに行っていたそうです。その習慣を再開するように提案すると、いずみさんはイヤな気持ちになりました。また夫が飲み過ぎて調子に乗り、まわりの人に迷惑をかけ、恥ずかしい思いをするからです。夫も、嫌がる妻を説得してまで行きたくありませんでした。しかし、先生からのアドバイスならやってみますと、ご主人は乗り気でした。
  5. いずみさんに「ひきこもり脱出講座」に参加するよう提案しました。いずみさんは人前で話すことが苦手です。この講座が参加者同士の交流もあるということをお伝えすると、参加したくないと尻込みされましたが、私の方から強くお勧めしました。

 その後、いずみさんはみるみるうちに親としての自信を回復されました。そして、A君のひきこもりも解決しました。

 「ひきこもり脱出講座」で、当初いずみさんは自分の気持ちを語ることが出来ず、自分の順番が回ってきてもパスしていました。他の参加者たちの話を聞いているうちに、A君ととても似ている家庭が多いことに気づきました。今までは、こんなに悩んでいるのは私だけだと思い込んでいましたが、実はそうではなかった、同じような悩みを抱えている人たちの話を聴けて、気持ちがとても軽くなりました。講座は3週間おきに6回シリーズです。前半はもっぱら聞き役だったいずみさんも徐々に元気を取り戻し、後半には自ら進んで気持ちを語るようになりました。

 いずみさんはご主人と共に相談にいらっしゃいました。父親はA君のことを心配しつつ、父親は何ができるかわからずにいましたが、父親からの働きかけも大切であることを私からお伝えし、いずみさんも夫が関わってくれると助かると言いました。父親は、会社で人事を担当している昔からの友人に相談して、A君を会わせるようセッティングしました。

 A君も相談にやってきました。始めは、親に説得されてきただけで何も話すことがないと言っていましたが、回を重ねるにつれて、前に進みたいけど怖くて動けないこと、すぐ怒り出す父親が大嫌いで、ウジウジしている母親を見るとムカつくことなど、A君の本音をよく語ってくれるようになりました。

そして、ついにいづみさんは息子のA君に対して、今までやらなかったような関わりを達成できました。
「今のままではダメでしょ。しっかり大学に行き、就職活動もやりなさい!」
今まで、そこまで息子に伝える自信がありませんでした。イラついて、文句を言うA君に太刀打ち出来ず、気持ちを引っ込めていました。母親から突然そう言われたA君は何も言わず、黙っていました。そして、その翌週から大学に行くようになりました。そして、A君はそれまで避けていた大学の就職課に行って情報を集めることもできるようになりました。いくつかの失敗の後に、無事に就職先が見つかり、卒業して、社会に巣立っていきました。

さて、以上の話をまとめてみましょう。
これは、前に進む自信を失っている息子に対して、親が自信を回復して子どもに前に進むためのエネルギーを与えることが出来た事例です。いくつかのポイントがあります。


  1. いずみさんは、今まで胸の内にしまっておいた息子のこと、そして夫婦のことや実家でのことを相談できました。始めは家の恥は話したくないと躊躇されていましたが、私に語ることができました。そして、ひきこもり脱出講座の中で、他の参加者たちにも自分の気持ちを開くことが出来ました。そのことだけで、いずみさんはだいぶ自信を回復できました。
  2. いずみさんが子どもに関わる自信を失った経緯について整理できました。息子に言うべきことをはっきり言えなかった背景には、1)夫のパワーに圧倒され、夫に言いたいことを言えなかったこと、2)息子の問題は母親のせいだと思い込み、自分を責めていたこと、3)子どもの頃は一番下のきょうだいとして兄の陰に隠れ、親から構ってもらえず、おとなしく周りに従っていたこと。これらのことが関係しているんだということにいずみさんは気づきました。
  3. 私の方から具体的なアドバイスをお伝えしました。
  4. そして、いずみさんは認めてくれる人を得ました。
    a) まず、カウンセラーである私がいずみさんの努力をよく労いました。
    b) そして夫さんもいずみさんの気持ちを深く理解できました。もともと仲の良い夫婦で、妻の気持ちも理解はしていたのですが、夫は忙しく、妻にそのことを伝えるチャンスが得られませんでした。今回、夫婦ふたりの時間を持つようになったおかげで、夫の気持ちを妻に伝え、妻の気持ちも夫に伝えることができました。
    c) また、「ひきこもり脱出講座」の参加者たちがいずみさんを支えてくれました。参加者たちはみな同じような経験を持つ当事者たちです。私にはできない、同じ目線からお互いの気持ちを理解し合うことが出来ます。そのことが、いずみさんの気持ちをとても楽にしました。

2017年1月20日金曜日

自信の回復


新しい年を迎え、私の今年の目標は

「自信回復」

にしました。

それは、私自身のことでもあり、クライエントさんを支援する目標でもあります。

まず私自身のことをご紹介します。

昨年、私は自信を失いました。

私は診察の他にも、学会の仕事をしています。
昨年の後半に、今まで長い間、なにげなく普通にこなしてきた仕事を大失敗してしまいました。
その時は、いったい何が起きてしまったのかよく理解できず、相手方の問題だろうと思っていたのですが、落ち着いてよく振り返ってみると、どうも自分に問題があったことが見えてきました。

なぜ、私はあんな失敗をしてしまったのだろう?
後から考えてもよくわかりません。
とても、自信を失ってしまいました。

自分は仕事をこなす能力がなかったのかしら?
なぜ、今まで普通にこなしていたんだろう?まぐれだったのだろうか?
本当は何もわかっていなかったのかもしれない?
自分は学者に値しない人間なのかもしれない。
いや、医者としても、社会人としても、ダメな人間なのかもしれない。。。

そんな疑問が頭の中をくるくる回り始めました。
すると、今まで当然こなしていた仕事ができなくなります。
やろうとしても、立ち止まり、前に進められなくなりました。

今までは、自分に自信があるか否かなどと考えもしませんでした。
自信を失ってみて、今まではそれなりに自信があったのだということに気づきました。
でも、それは上辺だけの自信だったのでしょう。

自信があれば、困難に向き合い、なんとか前に進むことができます。
自信を失うと、単純なことでさえ遂行できなくなります。

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クライエントの方々も、同じような状況にあります。
自信を失い、立ち止まってしまいます。

思春期は、厳しい成長の坂を登っていかねばなりません。
時に若者たちは、人々と交わり、前に進む自信を失い、立ち止まり、ひきこもります。

その親も、子どもに接する自信を失い、何も言えなくなります。
子どもにどう接したらよいのか、何と言ったらよいかわからなくなります。
その結果、腫れ物に触れるように、子どもに接して、家族のコミュニケーションを失ってしまいます。

若者がガス欠になり、前に進めなくなった時は、前に進むためのガソリンを補給しなくてはなりません。
自分自身で鼓舞したり、
まわりの人からプラスのエネルギーを補充します。
親のエネルギーは、特に大切です。

しかし、自信を失った親はそれができなくなります。
今、親が何かを言うと、子どもにとって悪い結果になるのではないか、
下手に口を出すと、子どもを傷つけ、自分の部屋に完全に閉じこもってしまうのではないか、
親と全く口をきかなくなるのではないか、、、
と心配します。

親の自信喪失の根底には、失敗体験が隠されています。
親として、失敗してしまった。
うまく関わる自信がない。
そのようなマイナスの体験を引きずっています。

たとえば、ひきこもり始めたころ、親の心配やイライラを子どもにぶつけてしまいました。
不安やイライラは、マイナスのエネルギーです。
子どもは、プラスのエネルギーがあると前に進めますが、マイナスのエネルギーが注入されると、かえって悪くなってしまいます。
その結果、親が何を言っても効果がないどころか、かえって状況が悪くなり、親は何も言ってもダメだと自信を失い、何もできなくなってしまいます。

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私の話に戻しましょう。
私は、昨年失った自信を、今、回復しようともがいています。
恥を忍んで、その具体的な過程をご紹介します。

第一に、失敗したことを、私のスーパーヴァイザーに相談しました

カウンセラーは、定期的に先輩格のカウンセラーに会い、難しい仕事やクライエントのことを相談します。これをスーパーヴィジョンと言います。

私のスーパーヴァイザーは私の失敗談を批判せず、丁寧に聞いてくれます。話しているうちに、今まで気づかなかった側面が見えてきました。

第二に、問題を整理しました
スーパーヴァイザーは黙って聞いているだけではなく、具体的にアドバイスしてくれます。
今までのプランAばかりでなく、こういう手もあるよと、プランBやプランCを提示してくれます。
私も、プランBやCも知ってはいました。でも自分には使えないなと思い込んでいました。改めて他者から指摘されると、思い切って試してみようかという気持ちになります。

第三に、失敗した仕事に、再びに挑戦しました。
プランBは慣れていないので、はじめかなり勇気が必要でした。
とりあえず、やるべきことはやりました。でも本当にこれで良かったのかどうか、まだ結果が出ていないのでわかりません。

第四に、それをまたスーパーヴァイザーに持ち帰り、やり方を検討します
これはまだやっていません。これからの仕事です。
これで良かったのか、良くなかったのか、自分だけではどうにも判断できません。
というか、「これで良いよ」と自分で認める自信もないので、誰かからそう言ってもらいたいのかもしれません。

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さて、子どもに関わる親は、どうやって自信を取り戻すのでしょうか?

どうやって、腫れ物扱いではなく、自信を持って子どもに関わるようになれるのでしょう?

1)まず、そのことを自分だけの胸の内にしまっておかず、誰かによく話します。
心の中にしまっておいたら、解決の糸口を見出せません。
まず、外に出すことです。
誰かと話している中で、自分でも気がつかなかったことが見えます。

2)なぜ自信を失ったのか整理します。
よく話し合っていると、自信を失った背景が見えてきます。

今回の失敗の背後には、過去の失敗体験が隠れていたりします。
たとえば、子どもが小さかった頃の失敗体験、
夫婦間で意見が違うためにうまく関われない、
親自身の子ども時代の体験、、、などなどです。
そのようなことが見つかると、ああ、だから私はこう考えていたんだと、過去と現在が繋がります。
今までわからなかったことにガッテンがゆき、気持ちが楽になります。

3)具体的な指針・アドバイスを求めます。
今までのプランAとは異なる、プランBやプランCを見出します。
ひとりでふだん接していると、違うやり方がなかなか見つかりません。
プランAがうまくいかないと、まだ不十分だからもっとやらなければと、さらに強度を上げてプランAAをやってしまいます。

そういうときは、思い切って別のやり方が有効です。
そのためにも、ひとりで取り組まず、別の意見を取り入れます。

4)そして、認めてくれる人が必要です。
本当に、これで良かったのでしょうか?

子ども自身もよくわかりません。
親としても、こう関わってしまって、良かったのか、わかりません。

本人だけでは判断できません。まわりから見てどうだったのか、という意見が必要です。

子どもは、親に認められます。
親も、これで良いんだよと認めてくれる誰かが必要です。

親にとって、一番大切なことは、あきらめずに、子どもに関わり続けることです。
そう簡単に成功体験は得られません。
何度も失敗した末に、成功します。
就職活動と同じです。

失敗したら、多少、軌道修正して、また挑戦します。
それを、何度も、成功するまで繰り返します。

しかし、これをやり続けることは、相当なエネルギーが必要です。
ひとりだけで親役割を遂行しようとしても、途中でめげて、やる気を失ってしまいます。

もう、私はなにもできない。。。
もう、勝手にしろ。オレは知らん、、、

そのような時は、親自身を支えてくれる誰かを求めます。

2017年1月12日木曜日

私自身の幸せ論

みなさんは、ふだん、自分は幸せだなぁと感じているでしょうか?
あるいは、その逆に自分は不幸だ、幸せでないと感じているでしょうか?

多分、そんなことは考える余裕もなく、毎日を過ごしていらっしゃるのではないかと思います。
私自身も同様です。自分が幸せか、幸せでないかなんて、考えても仕方がない、そんなこと思ってもいない。細かい悩みや問題はたくさんあるけど、とりあえず衣食住に困らず、ふつうに生活しているから、不幸とは言えないだろう、くらいに思っています。

普段の忙しさから解放されたお正月休みに、私にとっての幸せってなんだろうと考えてみました。

私の話の前に、興味ある調査研究をひとつご紹介します。
ハーバード大学では、700名以上の人生を生い立ちから老年期まで75年間の長い間、追跡調査して、人の幸せに最も貢献しているのかを明らかにしました。その内容は下記のサイトをご参照ください。

https://www.ted.com/talks/robert_waldinger_what_makes_a_good_life_lessons_from_the_longest_study_on_happiness/transcript?language=ja#t-562180

この研究では、一体なにが人々に幸せをもたらすのかについて明らかにしています。
その答えはとてもシンプルです。

富や名声ではありません。
私たちを幸福にする最も大きな要因は、良い人間関係を築いているかということです。
それも、量より質が大切です。多くの人々と関係を持っていることよりも、数は少なくとも親密な良い関係が一番大切です。

大切な人との人間関係は心ばかりでなく身体の健康にも良い影響を与えます。
家族、パートナー、 友達など、大切な人と深く、肯定的に繋がっている人ほど幸せを感じるばかりでなく、身体も健康で、より長生きします。

その逆に、孤独は心と身体の健康に害を及ぼします。幸せを感じられなくなるばかりでなく、脳の衰えが早まり、寿命が短くなります。
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科学者や芸術家たちは、幸せについてさまざまな思考を巡らせています。「幸福」に関する書物はたくさんあります。
しかし、「幸せ感」はあくまでその人自身が抱く主観的な感覚です。
有名な人の考えや研究は参考にはなりますが、結局、自分の幸せ感は何なのかということを各人が見出さねばなりません。様々な考え方・感じ方があるでしょう。

私が、一番幸せを感じるのはどういうときか、考えてみました。
私の考えは、上の研究によく似ています。

私にとっての幸せとは、、、一言でいえば、関係性です。

大切な人がそばにいて、その人が小さな幸せを達成した時、そしてその幸せに自分が多少でも貢献できた時に、私は大きな幸せを感じます。

ここでは、「小さな幸せ」と書きました。
それは、日常の些細なことでも構いません。
今までよりも少しだけ良い方向へ変化することです。

たとえば、入学試験や就職活動が上手くいった時など、とても大きな喜びを感じます。
でも、その学校や会社に居る間、ずっと幸せを感じているわけではありません。そ
れが当たり前になるからです。

同様に、結婚する時、とても大きな幸せを得ます。
しかし結婚生活を続けていることは、幸せより、むしろ苦労が多いものです。
関係がうまくいっているラッキーな夫婦は、日常生活の中に小さな幸せを見つけるでしょう。
大切な人を亡くした時も同様です。
喪失の深い悲しみは、一緒に居た時が幸せだったという思いの裏返しです。
その幸せを失うと、悲しいのです。

先日、娘の成人式がありました。娘の成長した振袖姿に、私は思わず涙してしまいました。
日常生活では見失っていた娘の成長を、振袖姿で確認できた幸せの涙でした。

昨年亡くなった私の父親は終末期を家庭で過ごしました。いわゆる在宅ホスピスです。
不治の病が戻らないことは父自身も理解していました。
在宅入浴サービスを利用して、久しぶりにお風呂に入りました。
「はぁぁ、気持ち良いなぁ」
とほっとした父の幸せの一言が、私や家族を幸せにしました。

私が6年前に大学を早期にやめて、開業した理由のひとつが、フルタイムの臨床医としてもっと多くの人たちを支援したいと思いました。
大学で教えるよりも、精神科医の方が私自身の特性を生かして人々の幸せに直接貢献できると考えました。

クライエントさんたちは、悩みや問題を携えて相談にやってきます。
それは、自分自身の問題であったり、大切な家族の問題であったり、様々です。
そのような方々と、まず私は安全な関係性を築きます。
クライエントさんにとって私が大切な人になれるよう、私の気持ちを注ぎます。
クライエントさんとの関係性をしっかり作ること自体が、私の小さな幸せのひとつです。

そして、私が関わらせていただく中で、クライエントさんの問題に良い変化が起きた時、
私はもっと幸せになります。
それは、根本の問題が解決した大きな変化であったり、
あるいは根本の問題はそのままだけど、少しだけ状況が前に向かう小さな変化だったりします。
はじめ悲壮な表情でいらした方が、何回かお会いする中で、微笑みを浮かべて帰られるようになった時に、私は支援者としての幸せを感じます。

関係性は両刃の剣です。
幸せの源泉になることも、不幸の源泉に成ることもあります。
関係性のために苦しみ、健康を損ねたり、命を奪われることさえあります。

関係性が閉ざされた状態が孤独です。
関係性の痛みを回避するために、人との関わりを閉ざすのがひきこもりです。

孤独は健康に大きな害を及ぼします。
心や身体の健康を損ね、命を縮めます。

孤独に比べると、大切な人のために悩んだとしても、関係を持てるということ自体が幸せの芽なのかもしれません。
関係の力を使って、マイナスをプラスに転換できる可能性を秘めています。そのお手伝いをさせていただくのが私の幸せです。
家族に問題が起きなければ、それほど関わる必要のなかった家族(親子や夫婦)が一緒に相談に来ることは、たとえその内容が不幸につながることであっても、真剣に語り合うこと自体は小さな幸せなのかもしれません。

2017年1月6日金曜日

私自身の子育て論

私には子どもが3人います。
長男は22歳で大学院1年生、長女が20歳の大学2年生、次男が18歳の高校3年生です。
三人とも、成功と失敗を繰り返しながら、それぞれの道を前に進めだり、立ち止まったりしています。

長男は昨年の就職活動が思い通りにいかず、次善の策として大学院に進みました。
彼は4年前の大学受験も第一志望が叶わず、浪人するか悩んだ末に、浪人せずに第二志望の大学に進みました。

長女は日本の高校を卒業した後に、海外の大学で学んでいます。果敢に挑戦したのは良かったのですが、異文化の中で勉強も友人関係も思うようにいかず、悩みが絶えません。
親にとっての幸いは、困ったことがあると、インターネットを通じて父親の私に連絡してきます。海外にいる娘との距離が一番遠いのですが、心理的な距離は一番近いです。
息子二人は距離的には近いのですが、親とは会話したがらず、気持ちの距離は遠いです。

次男は大学受験生です。
著書「ひきこもり脱出支援マニュアル」のあとがきにも書きましたが、私は親としてこの子が一番心配です。
自信を持って自分の道を選べるだろうか。
その道を歩んで、幸せをつかめるのだろうか。

親が子どもを心配するのは、子どもの力を信じていないからです。
過剰に心配せずに、子どもの底力をを信じなさい!

これは、私がよくクライエントご家族にお伝えするセリフです。
人さまの家族のことは客観的な視点からアドバイスできるのですが、自分の家族のこととなると理屈が役に立ちません。
頭では理解しても、気持ちがいうことをきかず、どうしても心配してしまいます。
逆に言えば、私自身が子どもを見つめる不安や葛藤をとおして、クライエントご家族のお気持ちに共感しているのだと思います。

ふだん家を離れて生活している上の二人も年末年始には帰省し、久しぶりに子どもたち3人が揃いました。
しかし、それも束の間、長男は昨日旅立ってゆきました。
再び3人が揃うのは早くても一年後でしょう。

〜〜〜

進学や就職、学校への適応、友人関係、、、。
青年期は誰でも試行錯誤の繰り返しです。
成功して、自分の思い通りの道、そして家族の期待に叶う道を進む経験をしたり、
失敗して、思い通りの道が閉ざされたり、まわりから否定的に評価され、ショックで自信を失ったり。
その度に、親は安心したり、心配したり。
親である私自身の気持ちも荒波の小舟のように大きく揺れます。

父親の私は、成長しつつある子どもたちに何ができるんだろう?
父親として子どもにどう関わり、どう育てようとしているんだろう?

改めて自問しても、はっきりと答えられません。
親は、子どものことを思えば思うほど、どうしてよいかわからなくなり、悩みます。

敢えて、考えてみました。私が父親として心がけていることは何だろうか?

〇親の期待は押し付けない。
よく「先生のお子さんもお医者さんの道を進むのですか?」と知人から尋ねられます。
3人とも医者や医療系とは全く別の道を進んでします。
医者は社会的に認められ、収入も良く、とても良い職業とされています。
私の友人医師たちの多くも、子どもに同じ道を勧めます。
私としても、子どもたちが自分と同じ道を進んでくれたら、きっと嬉しいと思います。
しかし、私は敢えてそのことは触れないようにしてきました。
子どもたちには、幸せになってほしいと強く期待しています。
しかし、子どもたちがどの道を選択するかは、本人に決めさせたいと思います。

その根底には、私と私の父親との関係があります。
私の父親も、そのように私に接していたと思います。
子どもの将来を期待してくれましたが、具体的な道は示しませんでした。
中学・高校生の頃、私は将来どうするか、悩みながらどうにか自分自身で答えを出そうとしていたと思います。
自分で決めたい。親にはさしずされたくない。
自分の意思決定に自信はありませんでしたが、親に決めてもらいたくない。
今から考えれば矛盾していますが、そんな風に思っていました。

〇放置してはいけない。
親の期待を押し付けない
ということは、
親が子どもに期待しない
ということではありません。

君の自由にしなさい。なんでも好きなことをやれば良い。

という言い方は、良さそうにも思えますが、そうではありません。
目を離してしまったら、それは「放置」になります。
子どもが自分の力で試行錯誤する様子を、しっかり見守りたいと思います。

私は大学時代にアメリカン・フットボールをやっていました。
アメフトはルールがわかりにくいとよく言われますが、ひとつのプレーが短く、頻繁に作戦タイムがあります。
通常は、選手たちが円陣を組み、次のプレイを決めますが、サイドラインにいるコーチから伝令を飛ばすことも可能です。
プレーコールの度に、頻繁にコーチから指示が来ると、選手たちは自分の意思でプレイできず、やる気を失います。
かといって、コーチが知らん顔をして自分たちのゲームを見てくれていないと、選手たちは不安になります。
自分で進む力があるときは、自分の力を試したい。
しかし、どうしようもなく行き詰ったらコーチの力を借りたい。
アメフトの選手として、そんな気持ちでした。

〇承認を与える。
第一・第二志望に失敗して、第三志望に合格したり。
成績がAやCではなくBであったり。
100%の成功ではなく成功と失敗が半分ずつといった状況に若者たちはよく遭遇します。
例えば「7割の達成」を成功とみなすべきか、失敗とみなすべきか、当事者である若者はよくわかりません。
そのような時は、敢えて「7割でも、成功だよ!」と親から最大の承認を与えます。
そのようにして新たな体験に「成功」というラベルを付与することができます。
成功体験によって自信を獲得して、次も挑戦できるという希望とやる気につながります。

〇安全基地を提供する。
アメフトの試合では、敵に攻め込まれ、打つ手がなくなることが時々あります。
何をやってもうまく行かず、頭の中が真っ白になります。
軽いパニック状態です。
そのような時は、タイムアウトをとり、いったん休憩して水分を補給します。
そして、コーチからの指示を得ます。
進む方向を見失ったときは、コーチからの一言が頼りです。何でもよいから、とりあえず進むべき指針を求めます。

子どもたちが強気でがんばっている時、私はそのやり方に疑問を持っても、敢えて口を挟まず見守ります。人生経験の豊富な親から見れば、もっと効率良いやり方があるだろうと口を出したくなるのですが、敢えて黙っています。
しかし、失敗が重なり、やる気を失った時は、「今まで頑張って来たから、少し休みなさい」とアドバイスします。
ここで休んでしまうと、二度と復帰できなくなるのではと、子どもは心配します。その時は、「そんなことはない、休憩して力を蓄えたら、また頑張れるよ」と安心を与えます。

私は、このようにして、子どもたちに接したいと思っています。
しかし、それと同時に、綺麗ごとを書いているようで、どうもしっくりきません。
理屈では上記のとおりなのですが、実際にはそううまくはいきません。
子どもたちに言わせれば、多分、「パパは子どもに任せるとか言って、ほったらかしでしょ!」と言われそうな気がします。(現に、娘からよく言われています:笑)

親は子どもにどう関わるのか。

親が子どもに何をできるのか。

考えれば、考えるほど親のあり方は難しいものだと、改めて実感します。