2016年12月7日水曜日

お正月と家族関係

クリスマスとお正月。
年末年始のホリデー・シーズンは一年中で一番おめでたく、楽しい時期です。
家族や親族が集まり、お祝いの気持ちが高まります。

しかし、家族のストレスが最も高まるのもこの時期なのです。
楽しさの陰にある家族の辛さは、なかなか言い出しにくいものです。

---

あけみさん(仮名)は、動悸(心臓のドキドキが苦しい)と不眠(布団に入っても寝つきが悪い)を主訴に相談にいらっしゃいました。よくお話を伺うと、その原因は明らかです。二世帯同居しているお義母さんと会った日に限って体調が悪くなります。

お義母さんはとてもキツい人です。なるべく普段は顔を合わせないようにしているのですが、時々ささいなこと、たとえば作った煮物が余ったからというようなことで電話してきます。本当は用事だけ済ませてすぐに戻りたいのですが、必ず長居させられます。
お義母さんは普段はよく気の付く人なのですが、ひとたび機嫌が悪くなると火がついたように怒ります。あけみさんは、お義母さんの前では何も言えず、ただ話を聞いているだけです。そのような日の晩には、必ず体調が悪くなります。

こんな取るに足らない事で相談に行くのもためらったのですが、あけみさんにとって、年末年始が一番つらい時期です。
お正月のことを考えただけで胸がドキドキしてくるので、思い切って相談してみることにしました。

あけみさんの悩みは今に始まったことではなく、結婚した当初からずっと続いています。

お義母さんは若いころ、とても苦労した人です。お義父さんは家庭を顧みない人で、お姑さんと小姑さんがいる中で、ひとり頑張って夫を育てました。その結果、夫はよい大学、よい就職をして、今の地位を築きました。夫との恋愛中はとても幸せだったのですが、結婚して家に入ってからは、苦労の連続でした。
お義母さんと距離を開けることができれば何も問題ないのですが、お正月が近づくと居ても立っても居られなくなります。

初回はあけみさんひとりで相談にいらっしゃいました。
あけみさんのご主人は仕事が忙しく、なかなか話し合うゆとりがありません。誰にも話すことが出来ない悩みを十分に語ることができただけで、気持ちが軽くなりました。

あけみさんが相談にいらっしゃったことは、ご主人にも話しました。ご主人も、あけみさんの気持ちは理解しているものの、どうすることもできません。次回は、ご夫婦でいらっしゃることを私から提案して、あけみさんも帰勇気を出してご主人と相談してみることにしました。

---

2週間後に、ご夫婦がそろって相談にいらっしゃいました。ご主人は忙しくて難しかったのですが、あけみさんの説得が功を奏して、面談の時間を作ることが出来ました。

ご主人自身も、実は母親のことでとても悩んでいました。毎晩、帰宅したら、母親のところに顔を出すのですが、疲れて帰ってきて、そのことが苦痛でたまりません。早く切り上げたいのですが、黙って聞いているしかありませんでした。
優しいご主人は、あけみさんの悩みも十分に理解はして、済まないと思っているのですが、何もしてあげられません。

そこで、私から提案して、ご夫婦の年末年始の過ごし方を話し合いました。

毎年、年末はあけみさんとお義母さんが一緒におせち料理を作るのですが、今年は別々に作ることにします。その代り、ご主人とあけみさんが揃って、お義母さんの住居の大掃除を手伝うことにします。

元旦は親戚が集まり会食するのですが、今回は、幸か不幸か、喪中です。元旦の午前中にご挨拶だけ軽く済ませ、午後からは夫婦みずいらずで温泉旅行に出かける計画を立てます。子どもたちを連れていくか迷いましたが、子どもは残して、夫婦だけの旅行にします。

こんなことをしたら、お義母さんは烈火のごとく怒るのは目に見えています。
果たして計画通りに事を進められるか、あけみさんには全く自信がありません。
しかし、今回は夫も理解を示してくれて、夫のきょうだいともお義母さんのことを相談してみると言ってくれました。

-----
年末年始を楽しく過ごす秘訣集

  • 家族が久しぶりに集まるのは楽しくもあり、負担感も増えます。その気持ちを家族で共有しましょう。
  • 多くの家庭では、お正月は女性の負担が増える時期です。そのことを、男性は十分に理解しましょう。
  • 大掃除、ご馳走の準備・手配、年始の挨拶、年賀状など、たいへんな仕事を家族で分担しましょう。
  • 年末年始の過ごし方を、家族でよく相談しましょう。各人の気持ちを大切にして。
  • 今までにはなかった、新しい過ごし方を試してみましょう。
  • 家族と共に過ごす時間と共に、ひとりの時間も大切にしましょう。


お正月は伝統行事として、家族の繋がりを確認する時期です。今まで過ごしてきた習慣を大切にします。
その一方で、今は家族のライフスタイルも多様化しています。妻と夫、親と子ども、それぞれにとって楽しい過ごし方は微妙に異なるものです。そのことを家族でよく提案し合い、今までになかった新しい過ごし方を話し合ってみましょう。

2016年11月30日水曜日

ひとりぼっちでも寂しくない生き方

人は、みな寂しいものです。
ひとりでは生きてゆけません。
誰か支えてくれる人が必要です。
ひとりぼっちの孤独は、辛くて生きていけません。

でも、人はひとりで生きていかなくてはなりません。
いくら人に囲まれていても、結局はひとりです。
孤独に耐えなければなりません。

どうしたら、人は孤独に耐えられるのでしょうか?

人がちゃんと生きていくためには、誰かとしっかり繋がっていることが大切です。
身体や生活が繋がっているだけでなく、心を繋げます

心の中で、誰かと繋がっていれば、ひとりぼっちでも寂しくありません。
親子でも、夫婦でも、恋人でも。
その人が、目の前に居なくても大丈夫です。

思春期は船出の時期です。
家族という古巣を飛び立ち、自立します。

誰かから肯定され、心の中でしっかり安心感を抱いていれば、そのつながりを糧にして、ひとりで動けます。知らない人の中に入って行く不安に耐えることもできます。

親は子どもを信頼します。
たとえ今は不十分でも、子どもの底力を信じます。きっと、できるはずだと。
巣立ったばかりの若者は、これで良いのか、みんなに受け入れられるのか、さっぱりわかりません。「それで良いよ」と言ってくれる人が必要です。
親は子どもをしっかり見守ります。
良いことをしたら、たくさんほめてあげます。
好ましくない時は、「それではダメだ!」としっかり叱りす。

その繋がりがないと、ひとりぼっちです。
ホントにこれで良いのかわかりません。自分の価値を生み出せません。
未知の世界に入り、他人と交わる不安に耐えられません。

大人も同様です。
パートナー同士がしっかり繋がっていると、ひとりは外で、もうひとりは中で、離れていても、仕事も、子育ても、安心してこなすことができます。

もし気持ちが繋がっていないと、一緒に生活していても、お互いに向き合えません。
家族に問題が起きても、協力して乗り越えることもできません。
子どもにも向き合えなくなります。

繋がる相手は、パートナーである必要はありません。
パートナーがいなくても大丈夫です。
だれか、繋がる相手を求めます。
友だちでも、先生でも、自分の親でも。

子ども時代を過ぎ、大人になっても、自分の親との繋がりはとても大切です。
親が生きていても、亡くなっていても。
そばにいても、いなくても構いません。
肯定的で、安心感に満ちた親との繋がりを心の中に保持していると、その安心感を胸に抱いて、新しい人たちと繋がることができます。

あるいは神様との繋がりも有効です。
西欧の個人主義は、神との形而上的な繋がりを基盤に成り立っています。
日本社会では神の存在はそれほど目立ちません。
「世間」が「神」の役割を果たしています。

つながる相手は人それぞれです。
とにかく「大切な他者」の存在が必要です。

それを失うと、寂しさに襲われます。
孤独はあまりにも辛いので、何とか取り繕うとします。いろいろな生き方があります。

1) 例えば感情に蓋をして、寂しさを感じないようにする生き方です。
そうすれば孤独から解放され、一応、安全に日常を過ごすことができます。
しかし、それは仮の安定であって、何かの拍子に蓋が開いて寂しさが飛び出さないかと心配します。
また、悲しみや寂しさの刺激をブロックするために、怒りの防衛線を張り巡らします。
あるいは気持ちに蓋をする副作用として、喜びや感動などの豊かな気持ちも使えなくなります。

2) 寂しさを、なにか他のもので代償する生き方です。
お酒、薬物、ギャンブルやセックスなどにのめり込むことで寂しさを紛らわせようとします。少しの程度ならまだ良いのですが、依存すると、どうしてもやり過ぎてしまいます。自分でコントロールが効かず、やめたくてもやめられなくなり、おしまいには身を滅ぼします。歌手のASKAさんの覚せい剤逮捕がその例です。

3) 仕事に過剰に没頭して、無意識に寂しさや葛藤から目をそらす生き方です。
仕事に一生懸命なのは良いことなのですが、熱心なあまり、家族と過ごす時間が減り、家族関係から疎外されてしまいます。家族に困ったことが起きても、どうしてよいかわかりません。

4) 寂しさの相手を子どもに求める生き方もあります。
本来あるべきパートナーとの繋がりが得られないと、その繋がりを子どもに求めます。
親としては、一生懸命子どもに向き合い、愛情を注いでいるつもりでも、親自身が寂しさや不安に満ちていると、その気持ちが子どもに伝わってしまいます。子どもは親から愛してもらおうと、親の気持ちに添おうと努力します。
その結果、親と子がマイナスの気持ちで繋がり、不安の綱引きが始まります。
君はまだ未熟で、無理すると危険な目にあう。心配だ。あまり出ない方が良いよと、
親自身の不安を子どもに投影します。
子どもは親の不安に縛り付けられて、外に出られなくなります。

以上の生き方は、あまり勧められるものではありません。

しかし、寂しさが容赦なく襲って来る時。
どうしたら、寂しさを抱えながら、ひとりで生きていけるのでしょうか?

正直に自分の気持ちに向き合い、蓋をせず、自分の寂しさを認めてあげます。

これはとても勇気が要ります。
一人だけではまず無理です。
自分では向き合ったつもりでも、全然できていないという場合がよくあります。

必死で寂しさに向き合う自分を、見守ってくれる誰かが必要です。
その人は、家族ではないでしょう。
家族やパートナーがしっかり見守ってくれていれば、そもそも寂しくないですから。
その人は、自分の寂しさを直接埋めてくれる愛着対象ではありません。
でも、あなたの気持ちをしっかり理解して、その寂しさを包み込んでくれます。
その人の助けを借りながら、自分の心の中の「寂しさちゃん」を大切に受け止めてあげます。
それがうまくいったとしても、寂しさが消えるわけではありません。
寂しさは、相変わらず寂しいままです。
しかし、今までは耐えられなかった寂しさが、
受け止めることができて、耐えることができる寂しさに変わります。
そうすれば、寂しさを隠したり、他のもので補わなくても大丈夫になります。

そのようにして、自分の寂しい気持ちを、優しく飼い慣らすことができます。

-------

クリスマスを大切な人と過ごせない時は、
仕方なくひとりで過ごすのではなく、ひとりを積極的に楽しんでみましょう。
ひとりで、好きな映画や美術館、音楽会に行ってみてはいかがでしょうか?
好きな作家の小説を、好きな場所でゆっくり読むとか。
近くの公園を散歩したり、小さなひとり旅も良いかもしれません。

え〜〜、そんなの寂し過ぎる、、、

そう思うかもしれません。

大丈夫。寂し過ぎても、病気になったり、身体を壊すことはありません。
むしろその反対に、自分の寂しさを無視してケアしてあげないと、寂しさが暴れ出して、手に負えなくなります。

そして、大切なことは、ひとりで過ごした時間を、
「ひとりで○○したんだ〜!」と、本当は繋がりたい相手に伝えてみましょう

2016年8月15日月曜日

2016年度グループ・スーパーヴィジョン 夏合宿

草津温泉にある私の別荘で、支援者たち7名と二泊三日の夏合宿をやってきました。
これが、事前にお渡しした案内です。
 支援対象を語るためには、まず、自分自身を語れなければならないということは、誰でも理屈では理解できるものの、実際にはなかなかその機会を得ることができない。自分一人でできないこともないが、スーパーヴァイザーなど信頼できる他者と共に行うことが望ましい。
 我々は支援者としてクライエントの人生体験を理解し、その心理に共感する時に、自分自身の過去・現在の生活体験と、そこに含まれた感情体験を無意識のうちに参照している。それは意識しないだけであり、実際は様々な表現方法で自己を語っているはずなのだが、多くの場合そのことに気づいていない。夏合宿では、安全な場で改めて自己を語り直すことを目的とする。それは自己と向き合い、新たな発見と認知されるであろうが、実は、普段気づかずに表現している程度にとどまり、それを超えて新しい何かがつけ加わるわけではない。
 このようなトレーニングは心理療法の各派で行われている。ロジャースなどの人間学派ではエンカウンター・グループやフォーカシングで、精神分析では教育分析で自己の転移感情に気づく。私は「関係性」をテーマにしたシステムズ・アプローチに準拠しているので、自己との向き合い方は、家族内や家族外(社会)における過去および現在の関係性と、そこに埋め込まれた自己を見出すという手法になる。
人生には当然、山あり谷あり。
山(positive)の部分は表に出して、谷(negative)の部分は隠して生きています。
通常はそれでまったく問題なく、谷にわざわざ注目せずとも人生を全うできます。しかしし、時に深い谷にはまって前に進めなくなり、様々な問題を生じます。その人たちを救い出そうとする心の支援者は、谷の部分の探索の仕方を習得していなければなりません。

そのために、まず自分の人生の谷を訪ねます。そこに近づくと悲しみ、不安、怒りといった痛みを感じるので、通常は隠して自分でも見ないようにしています。なんとなくわかってはいるのですが、あえて注目したり深く考えようとはしません。他者にも隠し、恥の部分となり、自尊心や自信を奪います。立ち入り禁止部分が大きくなると、支援者としての活動にも制限が加わり、やりにくくなります。

語らない物語は、その人だけが隠し持つ、見てはいけない、不可解で、特殊な物語です。そこに立ち入ると混乱して不安になります。
それを語るためには、まず不安の除去が必要です。相手が受け取ってくれるだろうという期待の元で、勇気を出して語ります。語りが進むと、それまで切り離しておいた感情もよみがえり、痛い思いをします。
それに耐え、感情をうまく語り得ることができれば、その部分は他者によって承認された、隠す必要のない、他者か理解しうるし、他の人にもあるかもしれない一般的な物語になります。それを与えるのが、支援者としての「愛」です。
たとえ語ったとしても、谷は谷であることには変わりがなく実在し続けるのですが、立ち入り禁止ではなく、自由に訪ねることができる谷になります。もはや隠す必要はなく、自尊心を奪うこともなくなります。
そのような自己体験を経ると、心の臨床において、他者の谷にも安全に分け入ることを支援できるようになります。

この体験は、プロの支援者でいる限り、何度も繰り返して行わなければなりません。
心の支援者とかカウンセラーではない、一般の人はやらなくても良いです。(本当はやったほうが良いのだけど、、、)
問題を抱えていたクライエントは、問題が解決すれば、もうやらなくても良いでしょう。
しかし、支援者はずっとやり続けます。
私の谷も、30代、40代、50代と、語り直す度に新たな意味が付与され、物語が変化して行きます。常にup to dateな自分の物語を持っているようにします。

今回の参加者たちは、みな自分の谷に分け入る勇気を持った人たちでした。私の役目は安全な環境を提供するだけです。周到な場さえ用意されれば、自然と深めることができます。

広尾のオフィスで展開してもいいのですが、合宿ではよりやりやすくなります。都会の喧騒から離れ、涼しい高原の屋外でやりました。静寂とプライバシーが確保され、3日連続の忙しさに区切られないゆっくりとした時間の流れの中で、語りが促されます。

ーーーー
参加者からのメッセージです。

参加者A
セミナー、大変お世話になりました。
ジェノグラムを初めてキチンと描いたことで、あらためて自分の家族を見つめなおす良いきっかけになりました。
ブログも見させていただき、改めて自分の中で何が起こったのか考えています。
合宿では自分でも思いがけない言葉が飛び出し、びっくりしたと同時に、やはり戸惑っています。
人生観が変わると言うのは大げさかもしれませんが、それぐらい大きな変化が自分の中に生じた気がしています。
でも、まだうまく消化できていません。また誰かに聞いてもらいながら、深めたほうがいいのでしょうね。

参加者B
がっつり家族をテーマに据えた内容で、自分にとってはかなりエネルギーを要する内容だった。しかし思った以上に話すことが出来、とても良い経験になった。自信にも繋がる。
前に同じテーマで話したとしたら、恐らくもっと話せなかっただろうし、もっと防衛的に話していただろうな、と思う。

今まで掘り下げてきたお陰もあり、また先生を含め参加者の皆さんに支えられてのことでもある。貴重な機会だった。

2016年2月24日水曜日

ひきこもり脱出講座第二回の振り返り

ひきこもり脱出講座は連続6回の講座です。同じ参加者が6回参加するうちに、だんだんお互いに打ち解け、本当の家族の様子や本当の自分の気持ちを語ることが出来るようになります。
これは、第二回目に参加した後の参加者からのフィードバックです。

〇〇さんがとても変わられたことにびっくりしました。1回のディスカッションでこれほどまでに人は変われるものなのかと、とても感動しました。

そう。
1回目の時は、〇〇さん、「それは絶対に無理!」
と言ってましたものね。
それが、二回目の時は、何とか実行できました。
親がとてもよい感じで変化しています。

◇◇さんのお子さんが「死にたい」とか「死ね!」とかいう言葉を連発されている様子は、私もとても胸がつまされました。思わず、「お母さんの気持ちをそのままいえばいいんじゃないでしょうか!」と言いながら、涙が出てしまいました。
「親は子どもに死にたいだなんて言ってほしくない!」
「お母さんはあなたに生きていてほしい」
「学校なんて行かなくてもいいから元気で生きていてほしい!」
そう◇◇さんに言いながら、これは自分が子どもに言いたいのはこの言葉なんだと思いました。

とても良い涙でしたよ。
涙を流す方は辛いですが、とても共感した気持ちが相手の方にも伝わったと思います。
参加者の方々がお互いに共感し合い、その力をテコにして、みなさん前に進まれています。とても良いことです。

講座に参加されているみなさんとの話し合いと、田村先生からのお言葉で、私自身が少しずつ変われたように感じています。以前は「辛い、悲しい」などの気持ちが優先して、どうしたらよいのか考えることが出来なくなっていました。
しかし、今は自分や家族のことを客観的に見ることができるようになり、感情的に泣いたり落ち込んだりすることもなくなり、冷静に考えられるようになりました。
安心して「放す愛」で見守ることが出来るようになり、「子どもに何があっても、大丈夫!」という覚悟と自信もできました。
子どもにも以前のように指図しないで黙って待っていたら、子ども自身から自分の意思で行動するようになりました。親が変わることで、子どもも変化しているように感じます。

子どもに向き合う冷静さと自信を獲得されましたね。
それは、とても大切なことです。親が子どもに向き合う自信を得ると、子どももそれが伝播して、学校・友達・社会などに向かう自信を得ることが出来ます。


集団の中に入って、はじめて「自分」が見えてきて、人との差が明らかになり「自分」という存在がどういうものなのか、自分の役割や使命は何なのかと考えるようになると思いました。

2016年2月4日木曜日

子どもの心を育てる

ひきこもり脱出講座で参加者の皆さんから出た質問にお答えします。

質問)ひきこもりは心の成長の”つまづき”だとしたら、先生がおっしゃった「心を育てる」とは具体的にどうするのですか?

思春期には、子どもの心(万能的自我)から大人の心(社会的自我)に移行していくということはブログでも繰り返しお伝えしています。ふつうは意図しなくとも普通に成長するのですが、何らかの理由でそれがうまく成長できず、社会的自我が育たずに、十代後半以降になっても万能的自我から抜けきれない時、うまく社会に適応できずひきこもりになる場合が多くみられます。

では、どうしたらよいのでしょうか。親は何をできるのでしょうか?

それは、万能的自我から社会的自我への移行を支援することです。子どもは学校や社会の中での様々な人々と接することで失敗体験と成功体験を得ます。人と交わることが成長を促します。失敗して自信を失い、成功して自信を得ます。失敗しても挽回できるのだという自信が社会的自我への成長を促します。

ひきこもらず、普通に社会生活を営み、多様な人と接していれば人々と接する体験が自然に得られ、親がそれほど関わらなくても仲間や先生、地域の人々なと多種多様な人々と接する中で、子どもは自然と成長してゆきます。しかし、ひきこもってしまうと他者との関係性が遮断されてしまいます。残された人間関係は家族だけですから、家族が人間関係の体験を与えなければなりません。
その際に大切なことは、本人の中に芽生えてきた社会的自我に働きかけて下さい。子どもが強さやしっかりしている一面をキャッチし、それを承認します。

よく見られる間違いは、親が一生懸命子どもに働きかけるのですが、大人の心(社会的自我)ではなく、子どもの心(万能的自我)の側面に働きかけている場合です。弱さや甘え、依存などの子どもの心に承認を与えると、子どもの世界に安定して留まったままで、成長できません。ずっとひきこもっていることになります。

質問)先生がおっしゃった「子どもは親のエネルギーを求めている」とはどういうことでしょうか?

思春期になると勉強も人間関係も難しくなり、飛び越えなければならないハードルがたくさん出現します。ハードルを跳びこえるのはとても勇気がいります。思い切って跳んでも失敗して痛い思いをするかもしれません。でも跳ばなければ前に進めないこともわかっているから、とても迷い苦悩します。そのような時に親がプラスのエネルギーを与えます。それは、「跳んでもいいよ」と許可を与えることです。

子ども自身はとても迷います。もしかしたら、うまく跳べるかもしれない。でも失敗して痛い思いをするかもしれない、、、、いくら迷っても、その答えは出ません。跳んでみるしかないのですから。

そのように子どもが迷い、動けなくなっているときに、親は「前に進んでごらん。行ってごらん。動いてごらん。君なら出来るはずだ。痛くても構わない。」と指針を与えます。
親は、まわりから価値が与えられ、本人はその価値を試しながら取捨選択して自分自身の価値を作ることが出来ます。まわりから価値が与えられないと、自分(の価値)を作るネタが得られません。つまり大人の心へ移行できません。

親は子どもが跳ぶだけの力を持っているだろうと、子どもの潜在的な能力を信頼できれば、「やってごらん!」と跳ぶことを促します。その言葉に励まされ、子どもは思い切って跳躍を試みます。成功するか失敗するかなんて、跳んでみないとわかりません。子どもはとても不安です。その不安に対して、親が安心を与えます。

跳んだ結果、成功するかもしれません。親の力ではない、自分自身の力で跳べた成功体験が自信につながり、心がぐんと成長します。
跳んだ結果、失敗するかもしれません。自分はやっぱりダメなんだと自信を喪失します。その際に、親は「失敗しても構わない。失敗したら、もう一度挑戦すればよい。成功するまで何度でも挑戦してごらん。あなたが格闘している姿を、ここで見守っているから。」と伝えます。

決して、無理をさせてはいけません。失敗して傷ついたら少し休んで回復を待つことも必要です。焦らせてはいけません。親が焦ると子どもも焦ります。親が不安になると、子どもも不安になります。

しかし、いつまでも休んでいてはいけません。痛みがある程度回復したら、また立ち上がりましょう。親が安心すると、子どもも安心します。適当な時期を見計らい、「もう休んでエネルギーを再び蓄えられただろう。もう一度挑戦してごらん!」と親が促します。

2015年12月18日金曜日

「不満だが、とりあえず満足できる安定」を崩す

今年、2015年を表わす漢字が「」の字になりました。
「安全保障関連法案の採否や、世界のテロや異常気象、マンションの杭打ちデータなどで人々が不安になったことなどが理由に挙げられた。」のだそうです。

」にちなんで、「安心」・「安全」その反対の「不安」について考えてみましょう。

(質問)
先生は「大丈夫だと思ったら、背中を押してやりなさい」と何度も繰り返し言いますが、やはり大丈夫でない状態もあるわけですね?
なかなか家族は大丈夫とは思えないですが、先生は何を指標に大丈夫か否かを判断されているのでしょうか?

いいえ。
私は判断していません。ご家族自身が「うん、これで良い!」と判断できる材料を提供しているだけです。
大丈夫でないとはどういう場合でしょうか?たとえば、

  • 今までせっかく居間に出てきて差しさわりのない会話を親子でできるようになったのに、言うとまた自分の部屋にひきこもり、親と話せなくなるかもしれない。
  • 親に暴力を振るうかもしれない。
  • もっと傷ついてころんでしまい、立ち直れなくなるかもしれない。
  • リストカットとか自分を傷つけてしまうかもしれない。
  • 生きがいを見失って、追い詰められ、自殺してしまうかもしれない。

これらは、みな大丈夫でない場合です。
それはだれが判断するのでしょうか?
関わっているご家族が判断します。

ふつう、ひきこもっている本人の「背中を押す」のは禁じ手とされています。
たとえば、次のような言説です。
「ゆっくり時間をかけて、温かく見守っていきましょう。」
「本人が一番苦しんでいるのだから、刺激してはいけません。」
ひきこもりは、家庭や学校社会で生じる様々なトラブルやストレスから、とりあえず身を守るために防衛する反応です。」

ソトの世界はストレスに満ちていますね。いつ傷つけられるかわかりません。そんな危険な場所にいたら身が持ちません。疲れて、一旦撤退します。それは当然のことです。

サッカーのゲームに例えてみましょう。
サッカー場は半分に分かれます。自分のゴールがある守るべき陣地は自陣、相手のゴールがあり攻めるべき陣地を敵陣と呼びます。
ひきこもりは、敵陣(社会)のストレスから身を守るためにいったん自陣に撤退した状態です。
自陣に撤退したら、なにもせずのんびりしていたらよいわけではありません。一見、のんびりはしているのだけど、大切な仕事があります。
「本当に必要なのは親が子どものあるがまま受け入れる無条件の愛。それが満たされて、子どもは安心して他者と人間関係を結び、自己肯定感をもって前向きに生きることができる。」
「子どもを承認し、見守り続けるメッセージを伝える。」
そのようにして、自陣で心のエネルギーを蓄え、社会に出ていくだけの力と自信をつけます。
自信とは、自分を肯定することです。でも、自分ひとりでは肯定して良いのか否定すべきなのかよくわかりません。家族などのまわりの人が肯定してあげて、ああ、自分はOKなんだという自信を復活することができます。
「ひきこもりは防衛反応なのだけど、いつまでも閉じこもっていてはいけない。」
「子どもの自己決定を信じてひたすら待つのは放置である。」
多くのカウンセラーは、無条件の愛を与え続ければ、子どもに自己肯定感が育ち、自然に自ら動き出すと考えます。ひきこもり始めてまだ日が浅い場合はそれでOKです。
しかし、長期化したひきこもりの場合はそういうわけにいきません。
短期間の自陣への撤退はゲームの作戦上必要なことです。作戦も立てずに焦って敵陣に乗り込むことはよくありません。
しかし、長い間、自陣に居すわると、そのこと自体がストレスになります。
観客のサポーターからも「早く攻めろ!」とブーイングがきます。

講座に参加して、子どもを動かすためには、親や家族が変わらなければいけないということを改めて思いました。しかしなぜか行動に移せないことがあります。
なぜだろうとずっと考えていたのですが、子どもがひきこもり始めてから現在までにたくさんの衝突や、葛藤をするうちに、理解したり、妥協したりを繰り返し、子どもも親も双方から影響し合って、今の状態が出来上がっていることに気づきました。
いろいろなつらい経験の上に「不満はあってもとりあえず我慢できる安定した現状」が出来上がってしまいました。だから子どもが動き出すのを望みながらも、今の安定を崩したくない思いが起こってしまうのかもしれません。
だからこそ、子どもを動かそうと思うのなら、子どもが動くのではなく、親や家族も動き出さなければいけないし、逆に言えば、親や家族が動けば、必ず子どもにも動きが伝わるのだなと思いました。

そう。自陣内で味方どうしでそっとパスを回している方が安心です。
でも、子どもがある程度力と自信をつけたら、いつか守りの姿勢から攻めの姿勢に転じて、敵陣に入っていかなければなりません。
それは一旦、バランスを崩すことになります。
危ないですね。不安ですね。

社会に乗り込むためには、今までより強いボールでパス回しをしなければなりません。

  • 朝、親が子どもを起こしても起きない。
  • 勉強しないでゲーム・ネットばかりしている。
  • 親が叱る。本人は黙ったまま何も言わず、不機嫌オーラを出す。

このような場合、今までだったら、本人の気持ちを尊重して暖かく見守り、刺激せずそれ以上は何も言いません。

もっと強いパスを与えるためには、

  • 子どもが不機嫌なオーラを出しても親はひっこまず、あえて本人との対話を続けます。

よく見られることは、こどもの「あるがまま」を受け入れ何も言わないのは良いとしても、親が不安のオーラを出し続けている場合です。言葉では何も伝えていなくても、親の不安を子どもがたっぷり受け取ります。
親は不安のパスを与えてはいけません。本人も不安になります。
安心のパスを与えます。
どうやったら安心のパスを子どもに回すことが出来るのでしょうか?

(質問)
なかなか家族は大丈夫とは思えないですが、先生は何を指標に大丈夫か否かを判断されているのでしょうか?

私は判断しません。家族が大丈夫と判断します。
強いパスを与えてもちゃんと受け取れるだろう。そういう選手同士の安心感・信頼感があれば、強いパスを選手に蹴りつけることができます。

本人が自信を得て社会に向かって出ていくためには、家族も一緒に自信を持ってパスを回しながら敵陣に攻撃を仕掛けなければなりません。

(質問)
仲間たちはどうやって「安心のパス」を回せるようになるのでしょうか。

3つのコツがあります。順に説明しましょう。

1)第一にチームプレイです。
選手一人だけでドリブルして、多くの敵がいる敵陣(社会)に乗り込むのは無謀でしょう。不安だらけです。
仲間と共に、パスを回しながら乗り込んでいきます。仲間同士が連携してちゃんとパスが通るということを確認できていれば、安心して社会に乗り込むことができます。
ひとりではダメだし、本人と親のふたりだけでもダメです。第三者が必要です。
本人に一番近い父親と母親と本人と、三人でパスを回します。
両親の間でパスが通らず(うまく話し合うことができず)、進む方向が異なっていたら、とてもふたりでパスを回せません。そんな状態では、敵陣に乗り込むのは不安です。
しかし、仲間同士でうまくパスがつながる安心感があれば、不安を乗り越えて敵陣(社会)まで前に進むことができます。

たとえば、
父親はなかなか本人にパスを伝えません。
母親が、「お父さんから子どもに伝えてよ!」と声をかけても「オレが言ってもしかたがない」とスルーしてしまいます。母親としてもそれ以上は夫に伝える気になれません。
父親は今まで仕事中心で、子どものことは妻任せ、子どもに関わってきませんでした。
経験がないので、いきなり成長した子どもにパスを回せと言われても、どうボールをキックしたらよいのかわかりません。それに、以前にボールを回したら、子どもはみごとにスルーしました。(違う方向にボールが行ってしまい、うまくつながりませんでした。)
つまり、親として子どもに向き合う自信がないのです。

妻も夫とあまり向き合って来ませんでした。
以前、向き合ってみたのですが、うまくいかなかったので、もうやめてしまいました。
この場合、まず夫婦のキャッチボールの練習から始めなければなりません。とてもやっかいです。でも子どもの問題が契機となり、夫婦が向き合うことを余儀なくされます。そこで踏ん張り、夫婦が向き合うことで、家族としてまとまり、親として成長し、家族が関わり合う自信を深めることが出来ます。

子どものためには、夫婦で向き合いたくないなんて言っている場合ではありません。妻から夫へ、夫から妻へ、うまく繋がらないリスクを冒してでも、パスを投げてみましょう。

2)ふたつ目は選手同士の距離です。
お互いに遠すぎるとパスは通りません。
近すぎてもパスになりません。ちょうど幼いちびっ子サッカーのように、選手たちみんながボールに近づきダンゴ状態に一体化してしまいます。
遠すぎてもいけない、近すぎてもいけないということは理屈ではわかるし、サイドラインから眺めればその状況がよくわかるのですが、一生懸命プレイしている選手たちは距離感を失ってしまいます。
それでも、遠すぎる距離は何となくわかるんですよ。一番難しいのは近すぎる場合です。外から見れば明らかに近すぎるのに、当事者の選手(母親の場合が多いです)は全くそのことに気づきません。コーチが指摘しても、選手は夢中なので受け入れてくれません。
場合によってはきょうだいや祖父母などの選手とパスを回すのも良いでしょう。
でも、そっち(きょうだいや祖父母)にパスが行ったらダメだ、回らなくなる、相手チームにボールを取られてしまうと思ったら、回せませんね。信頼関係の回復がまず必要です。

3)第三に、敵を味方に取り込む作戦です。
クラスの仲間からのいじめや先生からの叱責などがきっかけとなり、不登校が始まる場合、子どもにとって、同級生や先生は「敵」(ストレスの源)です。本人が彼らを味方にするのは無理でしょう。
しかし、親と子どもが近すぎず適切な距離があれば、子どもとは別の立場を取り、彼らを味方につけることも可能です。たとえば、親が先生にコンタクトしてよく話し合ってみましょう。始めは恐る恐る不安ですが、よく話し合ってみると、案外、子どものことをよくみてくれている信頼できる先生かもしれません。親が先生や学校への拒否感を和らげることが出来ると、子どもも自然と先生や学校への拒否感が和らぐものです。

不安、つまり大丈夫だとは思えない状態で、無理して敵陣に乗り込むのが一番危険です。不安を抱いて乗り込むと、必ず失敗します。予期不安が成就してしまうからです。
スキーや車の運転に例えて説明しましょう。
スピードに慣れないうちはとても怖いです。自分でコントロールできず転んでしまう恐怖です。怖くないうちは転ばないのですが、「怖い!」と感じた瞬間に転びます。だんだん慣れて上手になると、同じスピードでも怖くなくなってきます。しかし、急斜面に向かい、だんだんスピードを上げていくと、ある臨界点から「怖さ」が出現し、そうすると転びます。その臨界点がシフトしていくということが上達なわけです。
慣れてくると、早いスピードでもコントロールできる、安心できるようになる。不安なのに無理に急斜面を滑り、スピードを出すと、恐怖心から必ず転びます。
安心のうちは何とか成功するものです。でもその同じ斜面が不安に感じていると、失敗します。

ひきこもり、外との繋がりがないので不満だが、何も刺激しなければ平穏無事、家族内ではふつうに会話し、普通に暮らせているのでとりあえず満足できる。でも将来のことを考えると不安です。
ひきこもりは自陣の中でボールを回す仮の安定性です。
敵陣(社会)に乗り込み、その中で多様な人と関わりながらボールを回し、社会生活を送るのが真の安定性です。
ひきこもりを脱出して真の安定性を獲得するためには、仮の安定性をあえて崩さなければなりません。「とりあえず満足できる状況」の中から自然に切り替わることはありません。

金星探査機「あかつき」が従来の軌道から、新しい金星の軌道に乗り換えるために、危険を冒してロケットを噴射しなければなりませんでした。一旦、新しい軌道に乗ってしまえば、噴射しなくても自らの力で回り続けます。

とりあえず安定したひきこもりの軌道から、社会の中で活動する軌道に乗り換えるには、危険を冒して親のロケットを噴射しなければなりません。短時間、集中して噴射して、ロケットが新しい軌道に乗ってしまえば逆噴射は必要ありません。不満がより少ない新たな軌道を自らの力で回り続けることができます。

サッカー場(世の中)でプレイするのは選手とそのチームメイト(家族)です。
コーチ(セラピスト)自身はプレイしません。サイドラインから指示を出します。
選手たちはプレイに夢中ですから、全体の姿を見失いがちです。
コーチは、どんな時に自陣に撤退するか、そしてどんなタイミングで再度敵陣に切り込むのか、指示を出します。そのタイミングが遅くても早くてもいけません。そこはコーチの手腕です。
選手たちの気持ちが上がらず、「相手チームは強すぎるから、もう負けだ!」と意気消沈している時に、コーチは選手たちを励まし、前に向かう気持ちを甦らせます。

ここまで書いてきて、私は普通のセラピストとは少し違うのだろうと気づきました。
家族療法をやっている私は、そうでない普通のセラピストとは少し違った視点を持ちます。
普通のセラピストは、選手が大丈夫かどうか、ちゃんと判断します。敵陣に乗り込めるだけの体力や能力があるのか、病気や障害を持っているかどうかを判断します。
私はあえて判断しません。その判断をご家族に委ねます。
普通のセラピストは個人中心です。選手をカウンセリングしたり治療したり、薬を処方したりします。
私は、選手が治療を求めてやってくればもちろんそうしますが、選手本人が来なくても、チームをサポートします。

私は能天気なコーチです。
能天気というのは、選手一人一人の力を信じているということです。選手本人も家族も、みんなそれなりの力を持っています。
それは私が広尾で開業しているからということもあるようです。自由診療をやっている精神科医のところに相談にいらっしゃるって、多分、そうとう敷居が高いと思うんですよ、我ながら。その敷居をまたいでやってくる方々は、みなさんある意味ではしっかりしています。サッカーの能力は十分に持っているのですね。ただ、チームプレイに自信がないだけです。
私は以前、児童相談所や公立小中学校のコンサルテーションをやっていました。そういう現場では能天気なことは言えません。サッカーする基本的能力が十分でない選手も多くいました。その場合、ここに説明しているのとは異なった支援が必要になってきます。

私はチームプレイ中心のコーチです。
選手のひとりひとりが名選手、スーパープレイヤーである必要はありません。能力が劣っていても構いません。チームでカバーし合い、盛り上げれば、けっこう行けるものです。
私は、あまり本人個人は激励(治療)しません。チーム全体を激励して檄を飛ばします。
チームが元気と自信を回復すれば、選手本人も元気と自信を回復できます。

人との関わりの中で問題(成長のつまづき)を解決するためには、よっぽどのことをしなければならないのですね。背中を押すためには1回でうまく行かないので練習が必要であり、何度も失敗することを覚悟して積み重ねていく努力が必要だと思いました。

はい。とても当然で、大切なことに気づかれました。
名選手たちは口をそろえて言いますね。血のにじむような練習をやってきた。才能ではない、努力だと。
何度失敗しても構いません。うまくいくまで、何度でも背中を押し続けて下さい。成功するまで、押し続けて下さい。ただし、安全な押し方でお願いします。危険な押し方をしては絶対いけません。

2015年12月9日水曜日

ひきこもり脱出講座の参加者より

つづけて、「ひきこもり脱出講座」の参加者からの感想です。

ひきこもりの問題は、ひきこもっている子ども自身の問題と、夫婦間の問題の2つがあることを感じています。私の夫は人さまの前で自分の家族のことを話すことに抵抗があるようで、夫婦間で話せば済むことでありこの講座への参加も前向きではありませんでした。しかし、実際には家庭内での夫婦間の話し合いは簡単ではなく、言い争いになることもしばしばです。夫婦(両親)の足並みが揃わなければ、ひきこもっている子どもにも良い影響があるはずがありません。講座に参加して、我々夫婦の意思統一が出来ていないことがわかった一方で、子どもの問題点を共有する一つの方策であることもわかりました。
 まず、両親の足並みが揃っていないんだということを、おふたりが認めるところからスタートします。それが認められれば、そこを変えることもできます。そこに気づかなければ、変えることもできません。
親が変わることで、子どもが良くなる可能性が高まるなら、たとえそれが、夫への批判であっても、「心にためている不満を口に出す」ことも必要だと思いました。
そうですね。子どもが良くなるためにできることは、なんでもトライしてみましょう。この際、躊躇している場合ではありません。
子どもの年齢も高校生から40歳位で、各ご家庭状況は当然様々で、自分の家庭とは異なりますが、悩んでいらっしゃることの共通点は多く、直接生のお話を聞けたことが参考になりました。
各家庭の事情はそれぞれユニークで異なりますが、親の気持ち、子どもへの視線は共通している部分があります。そのことをお互いに知ることでホッとできます。うちだけじゃあないんだということがわかって。
参加したことで、新たな前向きになれる発見も出てきます。問題点も見つかります。何もしなければ、何も始まらず、始めることに遅いということはないと思います。
  • そうですね。手遅れということは決してありません。「手遅れ」と思い込んでしまえば、本当に「手遅れ」になります。
田村先生は、
「どうしてそう思われたのですか?今あなたはこうおっしゃいましたよね?」
「それでいいと思いますよ。」
「どうしてですか?もっとやられてもいいと思いますよ。」
と私を動かすような言葉をおっしゃって下さいます。
「(不安や疑問に立ち止まるより、)試してごらん、やってごらん」
先生の一貫した姿勢は、私にやる気を起こさせて下さいました。三週間毎の軌道修正がやる気の継続につながりました。

初めてこういった親の集まりに参加しました。皆さんは、違った体験、似た体験、知識があり、私は、自分の位置を知ることが出来、安心して話せ、聞いて下さり、共感でき、ほめてもらいました。私は参加するのに少し勇気が要りました。同様に、子どもが外に行くのも飛びきりの勇気が要るだろうと思いました。私が勇気を出して第三者の力を借りれば、子どもも第三者に借りに行くのかなと感じました。理屈で分かっていても越えられない壁を乗り越えるのは、自分のフィールドを広げるようです。違った気持ちや知識を得ることで、前向きになり、勇気と元気を貰い、壁を乗り越えていくのだなと思いました。

誰かの支えになろうとする人こそ、一番支えを必要としています。ひとりだけでがんばろうとしないで、良いサポーターを探しましょう。
講座では、私がサポーターとなりますが、それと共に、参加者同士がお互いのサポーターになるのが素晴らしい点です。