2021年8月22日日曜日

ジェノグラム合宿(8月)下書き

コロナの渦中ですが、今年はジェノグラム合宿を3回行います。
 8月に行った第2回合宿の振り返りをご紹介します。

私がこの合宿で一番強烈な学びだったことは、『鎧を脱いで素の自分を他者に認めてもらうことで得るもの、自分の心の変化』そして、『その他者との関係』です。
今まで自己肯定感を高めるためには「鎧を脱いで素の自分を他者に認めてもらうことが必要」というのは度々田村先生から伺っていたことですが、これをまさに強く実感しました。

合宿中に自分の話をするのは怖いなと思っていました。自分の番が回ってくるまで本当にドキドキでした。でも初日に田村先生のお話を伺って「そこまでお話なさるとは!」と私はかなり衝撃が走っていたので、自分も打ち明けたいという欲求に火がついたのだと思います。
参加した方が涙ながらにお話されたことで自分の怖さが緩むのを感じました。人からどう思われるかという怖さです。

今までも私はミーティングなどで結構自分のことはオープンにしてきたつもりです。少なからずそのような体験をしてきました。だからわかっていたつもりでしたが、合宿ではその素の自分のレベルがより深いところ、普段では絶対出せないところ、性的なことを出すことができました。すごく恥ずかしかったです。すごく恥ずかしかったけれど、打ち明けた後は気持ちが楽になり、スッキリとした気分になりました。
そして、ジェノグラムを通していろいろ質問してもらったことで自分の中の矛盾点に気づき、答えていく中で徐々に整理されていき、最終的な私の答えが見いだされてきました。『自分って捨てたもんじゃないな、こんな自分でも良い』ということ。
この間、ずっと皆さんが受容的な雰囲気でいてくださったことを覚えています。だから、どんどんどんどん話せました(笑)
合宿で出せた素の自分を本当に伝えたい人に出す勇気も出てきて、伝えることができました!
話す前は、私の話で嫌な気持ちになるのではないかと思っていたので、とても怖かったです。でも予想外の反応で、本当にとても安心しました。信頼が私の中でさらに深くなりました。

しっかりと心の変化を体験していただけたことは、主催者の私としても嬉しく思います。
性(セックス)というテーマは心の一番奥深くにあります。そこまで掘り下げられるのは難しいのですが、よく出来ました!
は生きるために、命を繋ぐために最も大切なことです。
それだけに肯定的否定的な大きな感情をもたらします。
それがうまく成就されると、人生の深い幸福となります。
それが傷つけられると、とても深い傷を負います。
それだけデリケートで敏感な部分ですから、そう簡単には言及できません。
語ることは羞恥心を伴うからとても困難です。パートナー同士で、セックスという行為はできても、それをお互いに語ることはなかなかできません。
子ども達への性教育が大切だと理解しても、大人達もなかなかうまく扱うことができません。
そういう意味でも、自分自身を、性に至るまで安全に語ることができたのはとても大きな成果であり、そのような場を作れたのは私としても嬉しく思います。

何度も合宿の振り返りを文字に起こそうとしたのですが、上手く言葉にすることができず、あっという間に2週間がすぎてしまいました…。
拙い文章ではありますが、今の気持ちや考えた事を言葉にしてみました。

この合宿に参加しようと決めてから、自分なりに心の準備をしているつもりでした。しかし、実際に話をしていくと、思いがけない所で涙が溢れ、言葉につまり、改めて家族や自身の体験を話すことの難しさを感じました。
そんな中でも、パニックにならず、最後まで冷静に話をすることが出来たのは、参加した皆さんの温かい雰囲気によって、安心する事ができていたからだと思います。

今まで自分の家族に対して否定的な気持ちが強く、そんな自分にも否定的でした。しかし、田村先生から「どうして家族のためにここまでできるのか?」という質問をして頂いた時、「家族のことが大好きなんだと思います」と答えました。あまりに自然に口から出たので驚きましたが、これが本当に純粋な家族に対する気持ちなのだと感じました。その後に先生が仰られた「大嫌いだけれど大好き」という言葉で、私の家族に対する気持ちが明確になったように思います。同時に、その感情を肯定して頂いたことで、今の自分を無理に変えようとしなくていいと思うことができました。

また、「亡き祖父が今の私になんと言うか?」という質問に答えたことで、祖父が私にとってどれだけ大きな存在だったのか気づき、感謝の気持ちでいっぱいになりました。今考えると、今までの自分の行動を肯定できた瞬間でもあったようにも思います。

合宿の後、今までずっと心に張り付いていたものが取れ、心が平坦になった気がします。
確かに今も家族の問題は存在しますが、子どもやきょうだいという立場ではなく、1人の人間として自分の道を生きることを優先しながら、自分が出来ることをゆっくり考えていきたいと思います。

この振り返りを読ませてもらった時、私も涙が溢れました。
「パンドラの匣」だと思うんです。
絶対開けてはいけない箱を好奇心に駆られて開けてみると、中から疫病、犯罪、悲しみなどなど、ありとあらゆる災いが飛び出してきました。そのあと箱の中に残されたものは「希望」でした。
「大嫌いで、大好き」というアンビバレンスは、家族に普遍的に存在しているはずなのですが、そのことに気づきたくはありません。だって、大嫌いだから好きだなんて認めたくないし、あるいは逆に大好きなはずなんだから、嫌いだなんて認めたくありません。
しかし、その葛藤を受け入れることができると、固まっていた気持ちが氷解し、ストンと安心できるのだと思います。

家系図には生きている人だけを書いて、亡くなった人は書かない場合がよく見られます。しかし亡くなった人も含め、三世代以上の家族を書いて、どう相互に影響しあっているか展開してみることが大切です。

自分の家族のジェノグラムを作成しながら話すことで、それまで頭の中でごちゃごちゃしていたものが外に出て、視覚的に理解でき、とても整理しやすかったです。
新しい発見だったことをお伝えします。
田村先生に「なぜ外に出るのが怖かったのですか?」と質問されたときに一瞬面食らった感じになりました。
今まで怖いという感情にしかフォーカスしていなかったので、何故怖かったのか?自分でわからなかったです。そして、外に出るのが怖かったときの当時の心情を思い出して、考えず出た言葉が
「ひとりぼっち」
「誰とも繋がっていないから」
「安心を得るためには人に合わせるしかない、でもそれは苦しいから外に出たくない」と。
私自身について新しい発見でした!
そして、人との心のつながりって大事なんだ!と改めて気づきました。
先生が以前お話された南極の昭和基地のことを思い出し、ああ、こうゆうことだったのかと腑に落ちました。わかっているようでわかっていなかったことがいろいろあったことに気づきました。

家族を語る中で、新しい自分に出会えるって、素晴らしいですね!
一人では見いだせないけど、対話する中で見えてくる自分なのだと思います。

初日に田村先生の赤っ裸な話しを聞き、話す勇気もですが、なにより話された田村先生に親近感や今まで以上の信頼感を感じた瞬間、裸になる気持ちの良さが全身に溢れてきました。
自分のジェノグラムを小さい頃からの自分、成長していくにあたっての関連性を思い話していくうちに気がついたら父親の話に自分の気持ちがいっていることを先生に言われはっとしました!
小さい頃から今現在、常に自分に中に抱えている問題はそこにあるんだな!
そこを変える事ができればと!
父親との関係を深く考えれば考えるほど幼き頃からのトラウマばかりでどうしてもそこから抜け出せない自分の気持ちを先生が
『なんで長男の名前に父親の一字を使ったんですか』
という言葉にはっとさせられました。
そうだったんだ誰から頼まれたわけではなく父親の一字を長男が生まれたときなんの迷いもなく命名した自分がいた事。その時の気持ちが甦ってきました。
相手への嫌悪感が自分を支配していてそんな気持ちがあったのを忘れていたことを。
その気持ちを掘り下げて父親に接してみよう、時間はかかっても父親と向き合ってみようと光が見えてきました。

鎧は脱ぐんじゃなくさらに着るものじゃなきゃいけないと言われる世界にいたのかなって自分のジェノグラムを考えていたら思いました。
身を守るための鎧を着たもの同士の世界、いっぱい着るから鎧と鎧がぶつかっちゃって、自分を守るためにさらにその上から鎧を着るそんな心の身動きが出来ない窮屈な世界にいた時期があったなって。
相手にもよるんでしょうけど鎧を脱ぎ裸になった時、実はその姿が一番素晴らしいって事を実感しました。

裸は気持ちが良いですよね(笑)!
でも、恥ずかしいからすごく勇気がいります。
ジェノグラムを書くと、世代間に伝達されているレガシー(遺産)に気づくことができます。
プラスの遺産と
マイナスの遺産
たいてい、両方あるんですよ。
しかし合算してマイナスになると、プラスの遺産が見えなくなります。
継承方法もいろいろです。
男子のレガシー)祖父から父へ。そしてその息子へ。
女子のレガシー)祖母から母へ。そしてその娘へ。
男性の遺産相続はなかなかやっかいです。
物質的・金銭的な遺産は見えるのですが、その陰に隠れた心情的な遺産は見えにくいものです。だから、気が付かず無意識のうちに次世代に継承されてしまいます。
プラスの遺産はどんどん継承し、マイナスの遺産は相続を放棄します。
それがMurray BowenやMonica McGoldrickらの多世代派家族療法であったりします。

男子が鎧をたくさん着込む窮屈な世界は、私自身も経験してきました。
学力をつけ、体力をつけ、経済力をつけ、
人より優れていること、試合に勝って、金メダルを目指すこと。
弱音を吐いてはいけない!、泣いてはいけない!
弱さを隠して、強くあらねばいけない!
そのような伝統的な男の世界に、私もいました。
危険な社会で生きるために立派な鎧は必要です。
でも、本当は違うんですよね。
私は十代の頃、柔道を習いました。
柔よく剛を制す。
自然体でいることが、本当の人間の優美なのだと思います。

次の第三回合宿は9月に行います。
「メタ合宿」、つまり、今まで参加した経験をお持ちの方限定の合宿で、さらに深めていきます。

2021年5月18日火曜日

自分を出すこと(グループSV)

先週土曜日のグループSVはオンラインで5名の方が参加されました。
3時間のSVで、二人の方が事例を提示されました。
振り返りをご紹介します。
 
またたくさん語らせていただき、私ったら要約しすぎて大事なポイント伝えてなかったなと自分自身の抜けっぷりに苦笑でした。でもたぶん日常に紛れて埋もれがちな、でも実はケースにとって大切な要素だったのかなと、皆さんと議論する中で気づく感覚もありました。
話をしている中では、ひとつひとつのプロセスをこなしていくのに必死で、一所懸命で、つい全体を見ることや、ケースの本質の部分から離れてしまう部分もあるということなのかなと思いました。
後、ケースを知るために聞かれるというか深められるプロセスはSVの安全な場の中であってもドキドキする体験でした。クライエントの方も味わっていることなのかもしれません。
ある意味では皆さんに私が煮たり焼いたりされる過程は相談のプロセスとも似ているのかもしれないですね。とてもエネルギーを使う、でもためになる体験でした。
先生のスキーのコーチの例えはとても斬新で、勉強になりました。目の前に現れてくる課題をクリアにしながら、それでも根本となる体幹を鍛えたり、重心を捉えたりする視点を大切にこれからもケース運営をしていきたいと思います。

よく言われることですが、ケースを出すこと自体がケースについて考えることなので、それが一番大切なことだと再認識しました。

確かに、自分を出すことは勇気のいることです。
支援者は自分が関わるケースを
クライエントは自分の感情や体験を。
自分を出せば、痛いところ、弱いところ、ダメなところ、いろいろ出てしまいます。
恥ずかしいからね。ドキドキですよ。
だから、ついごまかしたくなって、自分じゃない別のものを出すんですよ。
支援者はSVで自分を出さずにクライエントを出したり、
患者は自分を隠して、体の病気を出したり、子どもを出したり、連れ合いを出したり。。。

でも、そのあたりは開き直った方が良いと思います。
素の自分が恥ずかしい、、、と思う部分を変えるんです。
もちろん、ハダカの自分は恥ずかしいですよね。
よっぽとルックスや身体美に自信があればそうでもないかもしれませんが、ふつう、素の自分なんて人に見せたくないものです。

なぜなら、自分はマトモである、、、と思い込みたいから。
でも、よく考えるとそのあたりに無理があるんですよね。
人は誰でもマトモでありヘンでもある。。。その両方を持っている
と思えばよいのです。
半々だったり、6割・4割だったり、人によってその割合が多少違うだけであって、すべて100%マトモな人なんているわけないし、すべてがダメな人もいるわけがない。
誰でもダメでヘンな部分を持っているわけです。
そう思えば、別に自分のダメな部分、弱い部分を出しても恥ずかしくはありません。
むしろ、それを出す勇気があるってすごく素晴らしい強さじゃないですか。
患者さんでも支援者でも、ちゃんと自分のダメさを開示できる人って強い人だと思います。

SV場面でも、相談治療場面でも、痛い部分を持っているのなら、ちゃんとまな板に乗っていただいて、煮たり焼いたりされると痛い部分から解放されるばかりでなく、人間として真の意味の成長に一歩近づけると思います。

まあ、こういうことは理屈では納得するのですが、実際に、自分を出すとなるとドキドキ体験ですよね。
それはよくわかります。

2021年5月3日月曜日

家族の距離感(家族療法教室)

5月1日の家族療法教室には15名(オンサイト7名、オンライン8名)の参加がありました。
参加者からのフィードバックをご紹介しながら、内容についてご紹介します。

今回の事例、先生の関わり方、アプローチの仕方や家族の関係性の変化がよくわかりました。

はじめに私が関わった事例を紹介しました。
次に、具体的な話から深め、その背後にある考え方、つまりアセスメントや支援方法についてお話ししました。

目の前のクライエントだけでなく、その家族との関わり方のポイントをいただくことができました。現場で実践していきます。

木を見て森を見ず。
ごくごく当たり前のことなのですが、心理臨床の場でその視点をどう活用していくか。
家族療法はその一言に尽きるかもしれません。
従来の精神医学や個人心理療法のアプローチは、いかに問題を持ったひとつの木に注目し、内面を深めていくかという視点です。個々の木の特性と、森全体の特性を結びつける視点は、家族療法に独特です。

困っている母親の様子や父親の態度を具体的にイメージすることができました。母親の苦しみは消えていないのだと思いますが、A君は母親と距離をとり自立に向かっていると感じました。治療のゴールは子どもの問題解決でしたが、母親が自分のゴールを決めて自ら治療を求められるようになるといいと思いました。

視点を広げて周りの木々も見れば、どれも大変だし苦労を抱えています。
個人療法の考え方では、どの木を治せば良いのか視点がぼやけてしまいます。
家族療法の考え方では、周りを見渡すことで、新たな有効な視点を獲得できます。

家族の距離の大切さを実感しました。
関係性を調整することで様々な課題が解決に向かっていく。家族療法には希望があります。当事者同士の煮詰まった関係にうまく介入できる支援者でありたいと思いました。

今回は、家族療法の中でも構造派(Structural model)の考え方を紹介しました。
木々の相互の距離感は、個々の木の成長と、森全体の成長のステージによって変化していきます。近すぎても良くないし、遠すぎても良くありません。

関係性が自然に変化する方法として安心の場を作るということが勉強になりました。そのためには私自身がいかに安心していられるか。今後はその辺りをポイントにいろいろやってみようと思います。
家族、先生、友人:関係性の距離を調整するとても大切なところ、フォーカスするポイントに気づきました。

健康な森は、成長とともに木々の距離感が自然に変化します。
陽の光が不十分だったり、風が強かったり、土壌の栄養分が足りなかったり。
環境が厳しくなると、森は頑なになり、木々の距離を変化させて成長できなくなります。
そのような森に、どのように入り、どのように元気さを取り戻していくか。
そのやり方について、今後の教室で説明していきます。
いろいろな森をご紹介しながら。

2021年4月28日水曜日

あるひきこもり経験者の物語(2)

 太郎さん(仮名)は定期的に私の外来に通って来ています。
今日も、その後の物語のデータをUSBメモリに入れて持って来ました。



とてもよく自分自身の体験を表出し、考察しています。
その考察内容について多少理解しにくいところがあったとしても、これだけまとめ上げる力は素晴らしいと思います。
彼の旅は、まだまだ続きます。


2021年4月24日土曜日

スーパーヴィジョンの醍醐味

本日のグループ・スーパーヴィジョンは4名の方が参加しました。
事例を提示した方からの振り返りです。

久しぶりに自分のケースについてこんなにじっくり検討する機会をいただきました。最初は話す事の怖さも少しありましたが、それぞれの方がそれぞれの視点で真摯に考え発言してくださるのを聞いて、大丈夫だなという安心感になりました。

まとめてもいない事例を話すということに、自分自身が圧倒されそうになりながらも、その後の皆さんからの振り返りを聞いて、どんどん自分の中でフレーム化されていなかったことへの気づきがわいてくるのを感じて感動しました。それぞれ異なるポジションの方々からのトークがとてもよくて、勉強になりました。

事例を通して、家族って大変だよなという思いと、でも家族だからこそ、近い関係だからこそ生まれる心理的な葛藤こそが生きていくことの醍醐味なのかもしれないなという思いになりました。家族は立ち向かった問題をどう乗り越えていくかのプロセスワークですもんね。

それからあることに”はまる”事(依存すること、オタク化すること、発酵すること)のメリット、デメリット、、それらは表裏一体であること、そういう視点で考えたことがなかったのでとても斬新で、勉強になりました。その視点を持っているだけで何かしらの依存の問題に立ち向かうときに新たな視点を生み出せそうな気さえします。

今回も参加できてとてもよかったです。前回とはまた違った深みがありました。

これがスーパーヴィジョンの醍醐味ですね。セラピーにも共通して言えることです。
そこには二つの要素があります。
内容(content):どのような事例が提示され、どのような意見が出たのか。ここでは、SVで語られた内容については守秘義務もありますし、一切触れていません。
過程(process):内容を抜きにして、どのようなことが起きたかという様式です。自分の体験について怖さを抱きながら語り、それが他者に受け止められ、語り返されるという過程です。
内容からも得ることはたくさんあるとは思いますが、それを抜きにして、スーパーヴィジョンというプロセス(過程)自体が大きなエンパワーメントになるということです。
それはセラピー(クライエントとセラピストとの関係性)にも共通しています。自分が体験してきたことをまとめ、言葉にして語ります。その物語が共有され、共感されること自体が新たな体験であり、そこから新たな気づきや視点が生まれます。
自分の語りが認められ、肯定される体験自体に大きなヒーリング効果があります。
これを書きながら考えたのですが、このように言葉で説明してもなかなか実感を伴って理解できないと思います。逆に、実際に体験してみると、難しく考える必要もなくストンと腑に落ちるはずです。
それがセラピーやスーパーヴィジョンの醍醐味です。

2021年4月13日火曜日

私が生きてきた価値(2)


自分の人生について、非常に無価値であると思っています。
なんとか早く自分の寿命が尽きないかと思います。
まったく意味のない人生であると思います。
きっかけは子供のことです。
自分の人生がどうしようもないので、その悪影響が子供に出てしまいました。
しかしその解決方法がわからない、自分の人生は無価値であるし、取り返しがつかないという無限の責任論のなかをさまよっています。
生きているのがつらいです。

あなたの方向性は基本的に正しいです。
自分の価値はスタンドアローン、自分ひとりの単体では生まれてこないんですよ。
他者から肯定的に肯定されて、他人からの「いいね!」をもらって、初めて自分に価値が付与されます。

それに、私が前のブログ記事に書いた「価値」と、あなたが言っている「価値」はちょっと種類が違います。私が言っていたのは偏差値とか立身出世とか、私が身につけてきた鎧、登ってきた山の価値であり、あなたが言っているのは、鎧を着る前の素の自分の価値でしょう。
鎧の価値なら、合格証書をもらったり、本を書いたりテレビに出て有名になったり、Facebookやインスタでいくらでも「いいね!」をもらうことができます。
素の自分の価値は、素の自分を相手に見せなくてはなりません。
幼い子どもはまだ鎧を作っていないから、身近な人(愛着で結ばれている人)には自ずからよく見えます。大切なのは、その人が「いいね!」を発行できたかですね。
いわゆる、無条件の愛とか、unconditional positive regardとか言うやつですね。
あなたは昔きっと無条件の「いいね!」をもらい損ねたから、無条件の「いいね!」を子どもや家族に与えることができず、苦しんでいるように思います。

大人になると、鎧を纏って素の自分を隠すから、なかなか「イイね!」を出してもらえません。
あなたは、立派な大人ですけど、こうやって素の自分を私に見せようとしています。まだ一部ですけど。
素の自分を誰かに見せることができれば、「いいね!」をゲットする可能性はあります。
でも、大人の人は、なかなかできないことなんですよ。とっても恥ずかしいことですから。
子ども時代なら自然に見せちゃえるのですが、大人になると相当な抵抗感があります。
そういう意味で、あなたの方向性は基本的に正しいんです。
でも、まだ道なかばで、価値を見いだせるまでには、まだもうちょっと苦労しますけど。

2021年4月11日日曜日

私が自分を語る時(家族ミーティング)

 昨日の「家族と支援者ミーティング」は新年度初回ということもあり、オンライン・オンサイトを含め4人の参加でした。
参加者からのフィードバックをご紹介します。

以前から少し疑問に思っていたのですが、オープンダイアログというからには、ファシリテーターももっと当事者感を出していくものじゃないのかな?田村先生はあまりご自分の話をされないな、と思っていたのですが、いつもは人数が多いからだっだんですかね。
今日はたくさんお話されたので、先生の当事者性を少し強く感じることができ、リンクを感じた気がしました。
実は、先生のブログを前からずっと読ませていただいてきたのですが、文中の先生はかなり良い意味でエモーショナルな印象なのに、実際にSVなどで出会うとちょっとクールな印象で話づらくなってしまう時があります。今日の先生の印象は、より先生の書かれるものに近い印象がありました。
それはわたしにとっては安心に繋がるものです。

確かに昨日は私自身の体験を随分語ってしまいましたね。
意図していたわけではないのですが、シチュエーションに合わせて、客観的な支援者を装ってクールにいくか、自分の鎧を脱いで感情体験を語りホットにいくか、何となく調整しているのかもしれません。
昨日は、人数も少なかったので私もより安心したのかな(?)、自分を語ることができました。

各種シチュエーションを問わず、普段は触れない鎧の下の感情に気づいて欲しい、タブーにするのではなく扱えるようにして欲しいという願いは共通しています。
普段の「家族と支援者ミーティング」は人数が多く、参加者同士でシンクロするパワーがすごいんですよ。誰かが鎧を少し脱ぐと、みなさん触発されてどんどん脱ぎ始めるんですね。私が脱ぐ見本をお見せするまでもなく。
それは、群馬で初めてこのミーティングを持った蛙トープ時代から感じていました。
(開催場所を蛙トープ→いぶき会館→村役場の会議室→古民家と移動してきました)

ジェノグラム合宿では、より集中して鎧を、そして下着まで脱ぐんですよ(失礼)。
その時は、まず私がホットになって自分の鎧を脱ぐデモンストレーションをしたりします。

ブログや本のあとがきでもエモーショナルな自分を書いてますかね。。。
文章はもともとクールなメディアなので、あえてホットな感情を書いたりもしています。

いのち電話の相談員さん向けの講演会などでは100名を超える聴衆の前で、涙とともに感情体験を語ったりします。「先生の話に感動しました!」と語ってくれる人々がいる一方で、そこまでついていけない人にとっては違和感を抱くのだろなと思います。

セラピーや個人SVの場面では、あまり自分をホットに語ることはしませんねぇ。
相手が自分を掘り下げる前に、私が掘り下げちゃったらびっくりして引いちゃうんじゃないか、、、みたいな不安があるのかもしれません。
でも、ご指摘のように、もう少しホットに語った方が、相手も語りやすいもんでしょうかね???
このあたり、私ももう少し検討してみます。

ーーー
今年度も、ミーティングの構成は変わりませんが、より方向性を明確に打ち出していこうと思います。

家族療法教室
家族療法の考え方ややり方について、具体的な事例をとおして学びます。

グループ・スーパーヴィジョン
支援者目線から、事例について語ります。

家族と支援者ミーティング
当事者目線から、体験を語り合います。

ジェノグラム合宿
支援者・当事者を超えて、自分自身の体験を深く掘り下げます。

クール(客観性)か、ホット(主観性)かという視点では

クール(客観性)・・・家族療法教室<グループSV<家族ミーティング<合宿・・・ホット(主観性)
の順番になります。

2021年3月31日水曜日

私が生きてきた価値とこれから

自分が追い求めてきた価値は一体なんだったんだろうか?
その価値を成就し、客観視した後に、その価値から自由になれる気がする。

私の亡き父親は高山村の隣の四万に生まれ育った。
山奥の小さな集落ではあるが、温泉が湧き出し都会から湯治客がやってきた。産業があり、それなりに豊かさもあったのだろう。
山の分教場(小学校)で複式学級、つまり二学年が一緒のクラス。その中で成績優秀で、旧制前橋中学に進学した。前橋の親戚宅に下宿して。旧制前橋中学=今の前橋高校。群馬で子ども達の臨床をしていると、東京ほど学校の数が多くない県内のトップ校である前高(マエタカと読む)の価値がよくわかる。
高校は旧制浦高(今の埼玉大学)、大学は東京大学。
群馬の山の中から成長と共に南下して東京に落ち着いた。

私の亡き母親は愛媛県周桑郡壬生川町(今は西条市)に生まれ育った。
私が子どもの頃、よく両親の実家に帰省したが、都会とは全く異なるのどかな山と海の風景が広がっていた。
母は地元の中学・高校では成績優秀の「副級長(級長は男子に決まっていた)」を通し、
当時の女子では珍しい四年生大学に進学した。都会のハイソな神戸女学院で4年間過ごし、卒後は実家に戻り、近所の子ども達を集めて英語塾を開き、花嫁修行とお見合いをして、東京に嫁いで行った。
のどかな瀬戸内海の海辺から成長と共にに移った。

私は二人の長男として東京大森に生まれ育った。
地元の公立小・中から11群の都立高校へ。私にとって11群(日比谷・三田・九段)は途中経過に過ぎずそれ自体には大した意味はなかったのだが、13群に行った友人から見ると11群は「価値」であったようだ。
そして国立大学の医学部、大学院、イギリスの大学へ。
AFS高校アメリカ留学やイギリス留学を経験し、私は東京という極東(Far East)の中核都市から西洋社会へ、西を目指した。

良い教育を受けることは私の家族の価値であり、東アジア社会に共通の価値でもある。
私の家族は社会的価値に裏付けされ、私の価値は家族によって裏付けられた。
より高い偏差値の学校に進学することが、より高い社会的ポジションを獲得するという価値の中で育った。私の前の妻もその価値の中で育ち、我々は結婚した。
今の妻はその価値とは別の世界で育った。

立身出世=社会的に高い地位・身分について名声を得ること。つまり社会に認められること。

故郷に錦を飾る=故郷を離れていた者が立身出世して華やかに帰郷すること。

先日、上毛新聞に私の移住体験が写真付きで載った。
先日、村会議員さんが私のうちに挨拶にやってきた。どんなヤツがやってきたのかチェックしたかったのだろう。

父と私は親子二世代かけて故郷に錦を飾ったのかもしれない。
より良い教育を受け、良い地位(医者であり大学教授であり)を得た私は、社会や家族から与えられた価値を無事にゲットできた。
得てしまえば、そこには大した意味はなくなる。
山を登っている最中は必死に頑張り、山頂に到達した感動は大きいけど、いつまでも極めた山頂に立っていても意味がない。山を降りるか、次の山を目指すか。
山頂を目指している道程では、その山頂は絶対登るべき唯一の価値だけど、登ってしまえば多少の高低差はあるにせよ、無数にある山々の一つにしか過ぎない。

都市化(田舎から都会へ)
私の両親の時代には地方と中央には格差があった。都会の方が職も、文化も、富もあった。
今は違う。ITの進化により情報の地域格差はなくなった。
東京にはたくさんのエンタメや洒落たレストランがある。前にいた西麻布はその典型だ。
高山村に夜の街はない。居酒屋もイタリアンレストランもない。
しかし、温泉と、登山やバックカントリーができる山々と、新鮮な米や野菜がある。
ファーストフード店はないが(中之条や渋川に行けばマックもケンタもあるけど)、手作りのこんにゃく、味噌、ベーコン。庭のピザ窯で焼くピザや焼肉など、豊かなスローフードがある。

立身出世
医師や大学教授など、高い地位を得れば「先生!」と呼ばれ、安定した収入も得られる。
しかし、幸せ感を得られるとは限らない。
私のクライエントの多くは、高い地位や収入を得ながら、精神的に苦しんでいる。支援を求められる人はまだ良い方で、プライドが邪魔して支援すら求められず孤立している人々も多い。

脱亜入欧
明治時代の日本において、「後進世界であるアジアを脱し、ヨーロッパ列強の一員となる」ことを目的としたスローガン。

Pax Americana 
=アメリカによる平和。超大国アメリカ合衆国の覇権が形成する「平和」。

渋沢栄一など明治維新の立役者たちは、洋行して西欧の進んだ文化を日本に持ち帰った。
私も欧米を目指したかった。私の高校時代は、まだ"American Dream"神話が生きていた。
しかしトランプ元大統領が支持される今のアメリカ社会はもはや超大国ではない。代わりに中国が台頭し(それも不安ではあるが)、アジアの価値が浮上している。
私はInternational Association of Family TherapyやAustralian Association of Family Therapyで「アジアの家族」について基調講演を行った。

価値は常に変遷している。
私が東京で育ち、欧米に行き、追い求めてきた価値はすでに相対化された。
目指すべき山頂を制覇してしまった。それはラッキーだったと思う。
しかし、山頂に居座り続けて余韻を楽しんでも意味がない。
私は次にどこへ行くのだろう?
どこかを目指すのだろうか?
山を降り、故郷に戻るのか??
高山村に住み始めてもうすぐ1年が経つ。

こんなことを考えながら日々を過ごしている。
こちらに移住する前は、シンプルに人生の山を降りる準備をするのだろうと想像していたが、
こちらに来てみて、それだけでは私に残された時間を消化しきれないことに気づいた。

。。。その2へ続く

JKT Case Conference

Click above for more information

毎年、3国(日本・韓国・台湾)持ち回りで家族療法のケース会議を開催しています。
去年、予定していた会議がコロナで今年に延期となり、上記の通り開催します。

全体のディスカッションは英語で
小グループに分かれてのディスカッションは日本語で行います。

ハイブリッド開催です。
現地に来れる方は伊香保温泉の旅館で、
オンラインで参加される方々と一緒に行います。

今回は、日本家族療法学会の主催となり、コロナ禍を鑑み、参加費は無料といたしました。
みなさんどうぞご参加ください。


2021年3月16日火曜日

古民家家族療法

人間としての
根源的な
生きる力を育てる。

薬を使わず
対話をとおして
こころとからだを
整えていく。

自然豊かな場所で
家族に支えられて
こころを解き癒す
古民家家族療法。

今、診療所のパンフレットを作っているんですよ。
そこに埋め込まれたフレーズがこれです。
私のやっていることを、どう伝えたら良いか、よくわからなんですよ。
メッセージを伝える側の目線ではなく、受け取る側の目線で伝えたいのですが、
私が考えたら、伝える側の目線になってしまいます。
今回、作ってくれているのは世代の違う若い、女性のデザイナーさんです。
とてもポップでアートなパンフができそうです!!
若い女性のクライエントが増えるんじゃないかな。。。

ただ問題は、私の特性としてアイデアが色々出てきて、話が途中で変わっちゃうんですよ。
「古民家療法」
で行こうと思ってたんだけど、名称を変えたくなりました。
「古民家家族療法」
です。

古民家療法だけじゃ何をやってるのかよくわからんでしょ。
ヨガだか催眠だか、、、
もう少し突っ込んで、「家族療法」にしたのですが、どうでしょう?
私がやりたいことを説明して、利用者側の目線で作ってくれたのが冒頭のフレーズです。
なるほど、そうなんですね。
こういうのは支援者側からだとなかなか出てこないんですよ。
それにちょっと修正したのが「古民家家族療法」です。
家族療法って理解されにくいんですよね。それを一言でどう利用する人たちに伝えるのか。
とりあえず、このキャッチでやってみます。
ただ問題は「家」の字が二つ重なるんですよね。
古民家家族療法
とか
古民家家族療法
とかして違いを表現するか。

で、古民家家族療法っていったい何ですか?
古民家のパワーを使って、
家族のパワーを使って、
治療を進めていくことなんです。
「家族のパワー」ってのは既に家族療法という既存の概念があるから良いのですが、
「古民家のパワー」をどう説明したら良いか。。。
私にとっての主観的なパワーですからね。他の人も体験したらわかってもらえると思うけど、口で説明してもわからないと思う。
むしろ、これは利用者側の目線でしょう。
それをどのようにしてお伝えしていくかが、私の課題です。

2021年3月8日月曜日

ひきこもり連載(11)スクールソーシャルワーカー

  公明新聞 2021.3.4.

スクールソーシャルワーカー
学校現場に配置、大きな力に

 スクールソーシャルワーカーという職種はあまり知られていませんが、ひきこもりの支援に大きな力を発揮しています。いじめ、不登校、児童虐待、ひきこもり、貧困など、子どもを取り巻く問題に対応するために、15年ほど前から学校現場に配置されるようになりました。本人と家族の状況を把握し、必要に応じて社会の資源につなげるのがその仕事です。

 中学生のAさんは不登校で、リストカットを繰り返していました。スクールソーシャルワーカーから勧められ、Aさんと母親が私の病院にやって来ました。話を聞くと家族の問題が見え隠れします。保健室の先生に「死にたい」と漏らすなど、命の危険が迫っていました。

 スクールソーシャルワーカーが中学校の先生、スクールカウンセラー、児童相談所、医師を集め、ご両親も加わって緊急の会議を開き、Aさんの見守り体勢を整えました。この会議をきっかけに、それまで全く姿が見えなかった父親も診察に来るようになりました。母親からは仕事に逃げ、家庭を顧みない父親と聞いていましたが、二人の話をよく伺うと、母親は父親のやり方が気に入らず、子どもに関わってほしくないというのが実情でした。家だとけんかになるのでこの話はできません。

 Aさんは病院に通ううちに自分の気持ちを話せるようになり、つらい気持ちを打ち消すために手首を切っていたと打ち明けてくれました。それも治まり、学校にも保健室登校を経て教室に顔を出せるようになりました。

 ひきこもりは本人の力だけでは、あるいは家族、学校、医療など個別の力だけでは解決困難です。異なった立場の人々が連携することで解決の可能性が高まります。スクールソーシャルワーカーは子どもと家族を教育・福祉・心理・医療などの社会資源につなぎます。

 新しい職種であるスクールソーシャルワーカーの役割はまだ十分に知られていません。今後の活躍に期待しています。


2021年3月4日木曜日

薪の生活

薪三昧の生活を送っています。
土間に設置した薪ストーブはとても暖かく、火をボーッと見ているだけで癒されます。
しかし、薪ストーブは手間がかかります。火を起こし、30分おきくらいに薪をくべます。
そして何よりも手間がかかるのは薪の調達。
ホームセンターにゆけば売っていますが値段が高い。どう安く薪を調達するかがポイントです。
都会では無理でしょう。村だからできるのは、近所の山に行き、プロの方が切り倒した木を地元の仲間と一緒に軽トラに乗るサイズに切り、家の庭に持って帰り、ストーブに入るサイズに玉切りして、斧で割ります。
軽トラ
チェーンソー
これが薪づくりの三種の神器。
都会の生活では無縁のものです。
斧での薪割りは男のロマンです。
結構な重労働なので忌避してエンジン付きの薪割り機を使う人もいます。私も人から借りて使ってみました。確かに効率的に割れるし楽です。でも、あえて斧で割るのも楽しいですよ。
秋に作った薪棚(写真の中央)にいっぱい詰めた薪もひとシーズンでほぼ使い切ります。
薪棚をもう一つ作らなければと、ネットを色々調べ、今回はてHolz Hausen(ドイツ語で「薪の家」)を作ってみました(写真の右)。
薪を円形に積んだだけです。木を乾燥させるのにもってこいだし、普通の薪棚より見栄えもします。
田舎暮らしもイイものですよ!


 

2021年3月1日月曜日

ひきこもり連載(10)ネット依存

  公明新聞 2021.2.25.

ネット依存
冷静に話し合い、ルールを作る

 ひきこもりとネット依存は卵と鶏の関係に似ています。ネットに長時間はまる結果、朝、起きられず学校や仕事に行けなくなると考えがちです。しかし、スマホやゲームを取り上げても良い結果は得られません。

 ネット以外にもお酒、薬物、ギャンブル、買い物、恋愛などさまざまな依存症があります。どれも節度を守って楽しむ分には問題ないのですが、費やす量が増え、自分でコントロールが効かなくなり、勉学や仕事などの日常生活に支障が出るのが依存症です。そこまでいくとやめようとしても自力では無理で、周囲からの支援が必要です。

 学校、職場、地域や家族など本人にとっての居場所が楽しく充実していれば、ネットにはまっても必ずそこに戻って来られます。そこがストレスに満ち、居心地が悪ければ依存の世界へ逃避し、現実世界に戻れなくなります。それがひきこもりの実態です。

ネット依存とひきこもりの解決のカギは、自分の存在が認められているという豊かな現実の回復です。家族が協力して問題を解決しようとする試みは、豊かな家族を回復する良い契機です。ゲームやネットの使用について、本人と家族がよく話し合ってみましょう。家族おのおのがどのように問題を感じているかを伝え合います。一方的に親の主張を押し付けるのではなく、本人の気持ちも理解します。なぜ長い時間ゲームにはまってしまうのか。なぜ朝、起きられず学校に行けなくなってしまうのか。本人もそのことはよく分からず答えられないかもしれませんが、それで構いません。

意見が対立しても叱ったり糾弾したりせず、お互いを理解して解決策を見いだそうとする姿勢が大切です。親子が納得できるまで時間をかけて冷静に話し合い、家族のルールを作ります。ネットに興味を持ち始める小学生など、年齢が早いほど効果的です。家族から見守られているという安心感が、ひきこもりやネット依存から決別する勇気を生みます。

2021年2月22日月曜日

ひきこもり連載(9)心理カウンセリング

 公明新聞 2021.2.18.
心理カウンセリング
気持ちが整理され行動に

ひきこもり支援に、心理カウンセリングは大きな力を発揮します。

困っている人はすぐに答えを知りたいものですが、カウンセラーはなかなか教えてくれません。答えは人から与えられるものではなく、自分自身が見いだすものです。

不安、恐れ、悲しみ、怒りなどマイナスな気持ちは人を動けなくします。経験豊富なカウンセラーは、その気持ちを安全に引き出してくれます。気持ちが整理されると、今までできなかったことが自然にできるようになります。

Aさんは、ひきこもっている息子にカウンセリングを受けてほしいと願っていますが、心を閉ざしているので無理です。仕方なく母親であるAさん自身が受けました。複雑な思いを語って心が浄化されると、夫や息子に自分の気持ちを伝えることができました。すると夫が動き出し、息子も変わっていきました。感情の世界を扱うカウンセリングは信じない人というも多くいます。感情表出に違和感を抱く人は仕事や公共の場で理性的な会話はできても、家族や親密な間柄で気持ちの交流ができません。そのような人こそカウンセリングが効果的です。

相手の気持ちは変えられません。変えられるのは自分だけです。自分が変わろうとする勇気は相手を動かし、自らも変わる勇気を与えます。

カウンセリングは医療機関、学校、会社などで受けることができます。民間のカウンセリング機関も増えてきました。地域の保健所や都道府県に設置された精神保健福祉センターでは、ひきこもりのカウンセリングも受け付けています。

 心理カウンセリングは社会的ニーズがあっても、誰でも気軽に利用できるほど行き届いていません。医師や看護師などの国家資格は古くから制度化されていますが、公認心理師は、ごく最近制度化されました。学校の養護教諭は常勤ですが、学校カウンセラーは非常勤です。今後、全ての学校や中規模以上の企業に心理カウンセラーの常勤配備が求められます。


ひきこもり連載(8)医療者

 公明新聞 2021.2.11.

医療者
よく聴き理解してくれる人を

ひきこもり支援に、医療は大きな力を発揮します。

気持ちが不安定な時や落ち込んでいる時、あるいは不安で眠れない時などに精神科の薬は効果を発揮します。薬は習慣性や副作用があるから使いたくないと考える人も多いのですが、少量を適切に利用し、その効能をよく理解して上手に付き合うことが大切です。

ただ、薬の力だけではひきこもりの根本解決には至りません。大切なことは、家族や身近な人々の理解と環境調整、社会的なサポート、そして本人の気持ちの整理です。

診療科は精神科や心療内科がよいでしょう。ただし、ひきこもりや若い年代の診療に慣れていない医師もいますので、事前に問い合わせるなどよく調べるとよいです。話をよく聞かず、丁寧な説明がないまま、やみくもに薬を処方するだけの医師は避けた方がよいでしょう。心の病気は検査などの客観的なエビデンスが乏しく、医師の経験に基づく主観に頼らざるを得ません。診断する医師によって病名や処方される薬が異なることがよくあります。納得するためにセカンドオピニオンを求めるのもよいことです。よく聴いて理解してくれているという実感を持てる医療者を見つけてください。心の治療にとって、医療者との信頼関係がとても大切です。

 厚生労働省は、ひきこもりに特化した相談窓口として「ひきこもり支援相談センター」を全国70カ所余りに指定しています。地域の支援施設や医療機関の紹介、来所や電話による相談、家から出られない場合は訪問相談にも応じてくれます。

ひと昔前までは専門家としての医師の言葉をそのまま受け取る風潮でしたが、今は違います。インフォームド・チョイス、つまり利用者とその家族が病気や治療薬についてよく説明を受け、希望する医療を自ら選択し、納得して受ける姿勢が回復の近道になります。

2021年2月7日日曜日

ひきこもり連載(7)学校との関わり

 公明新聞 2021.2.4.

学校との関わり
教師と保護者の信頼関係が大切

ひきこもり支援に、学校は大きな力を発揮します。
人は傷つき体験を乗り越える中で成長します。人生のハードルにつまずき、何度か挑戦して失敗が成功に転じる体験が自己肯定感を育みます。
ハードルの挑戦は自立心が芽生え始める思春期、女子では小学校高学年、男子では中学生くらいから始まります。保護者によって守られ、自分の思い通りになる世界から巣立ち、異質な他

者と向き合い、自分の居場所に取り込んでいきます。
時には否定されたり、思いどおりにならないことに傷つき、人との関わりから撤退し、ひきこもります。十代のハードルを無難にこなした人が二十代、三十代にその時期を迎えることも稀ではありません。
傷を癒すために数週間程度ひきこもることは問題ないし、むしろ長い人生を生き抜くために必要です。しかしその期間が長びくと、撤退していることが自信喪失に繋がるので、適切な時期に復帰します。そのためには、成功するかもしれないという希望と、失敗しても見捨てられないという安心感が必要です。それを与えるのが親や教師などの信頼できる大人の存在です。本人の苦しみを理解しつつ、本人の潜在力を信じて、手を出し過ぎず、本人の努力を暖かく見守ります。
ハードルの種類を変えてみるのも良いでしょう。現在はいわゆる普通学級だけでなく、様々な選択肢が用意されています。小中学校段階では適応指導教室や特別支援学級、高校段階では、通信制、昼間の定時制、サポート校などが適応しやすく自信を獲得しやすいと言えます。
高学歴であることが幸せに結びついていた昭和の時代にはより高い偏差値の学校が好まれ、それ以外の選択は一段低いものと見られていました。多様な価値観・生き方が許容される今は、旧来の価値観にとらわれず、本人の個性に合致した居場所が人生の幸せ感に結びつきます。
学校の中に落ち着ける居場所を見つけることも重要です。多くの仲間たちがいる教室はハードルが高いので、保健室など保護的で個別の対応ができる場所を活用します。養護教諭と担任教師がよく連携し、本人のペースに合わせ段階的に復帰します。
学校と家庭の連携も重要です。得てして学校は家庭の、家庭は学校の対応が悪いと批判しがちですが、教師と保護者がじっくり話し合い、相互の信頼関係を樹立します。家族が信頼している学校であれば、本人も復帰しやすくなります。
教師が家庭を訪ね、本人と落ち着いて話し合えると学校復帰の大きな力になります。まず教師と保護者がよく話し合い、十分な了解のもとで訪問します。それが得られない状態で家庭を訪問するとトラウマの再体験になりかねません。

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講釈)私は多少長めの原稿を送って、新聞記者に編集してもらいます。上記の青文字が削除された部分です。確かに削除しても全体の意味は通るから上手な編集ですよね。
でもピンク色の部分は残して欲しかったなぁ。ちょっと話題はそれますが言いたかった部分なので。

2021年2月1日月曜日

ひきこもり連載(6)家族の力で回復

 公明新聞 2021.1.28.
家族の力で回復
勇気を出し本音で語り合う

ひきこもりは家族の力で回復できます。
 海斗くん(仮名)は地域で一番の高校に進学しましたが、優秀な仲間たちに入れず体調を崩し、不登校になりました。カウンセラーから、親は口出しせず本人に任せるよう指導され、学校のことは一切触れないできました。半年たっても変化がないので、母親が私のところに相談に来ました。
 家族が協力しなければいけないと頭では分かっていますが、母親はどうしてもできません。10年前の夫の浮気がきっかけで、本音で話し合えなくなっていました。このことも誰にも言えず、先生ならと、苦しい気持ちを初めて言葉にしました。
 2回目の相談には夫婦で来訪。初めて息子の不登校に向き合うことができました。父親は海斗くんのことが心配で、仕事も手につかないと言います。母親はびっくりしました。夫は家族のことなど全く念頭にないと思っていたからです。
 3回目の相談には海斗くんと両親の3人でやってきました。父親が初めて海斗くんと話し合えました。海斗くんは今の高校には行きたくないけれど、一人で勉強して高卒認定試験を受けるつもりだと言います。それを聞いて両親はびっくりしました。家にひきこもり、ゲームしかしていない海斗くんは将来のことなど何も考えていないと思っていたからです。
 その翌週、海斗くんは何事もなかったかのように登校し始めました。「うちの家族は傷つくことを恐れ、お互いに言いたことを言えなかったのだと思います」。母親はしみじみと語りました。
 家族の勇気が海斗くんを救いました。母親は封印してきた気持ちを信頼できる人に語り、夫と向き合う勇気を得ました。妻に支えられた父親は息子と向き合う勇気を得ました。海斗くんは家族の勇気に支えられ、学校の仲間たちと向き合う勇気を得ました。
<編集部より>本連載で扱ってほしいテーマをkyousen@komei.jpにお寄せください。




2021年1月30日土曜日

看板と表札が完成しました

 田村毅こころの診療所

素敵なデザインの看板と表札が出来ました。
今までは標識が何もなく、カーナビで近くまで来られてもよくわからずに迷われた方が何人かいました。
これからはご迷惑をかけずに済むと思います。










2021年1月27日水曜日

ひきこもり連載(5)安心を与える

 ひきこもり:求められる支援(5)
公明新聞2021.1.21.
安心を与える
母性と父性の両方の愛情が必要

家族の力でひきこもる人をどう救えるのか。一言で言えば、人と関わる安心を与えることです。それは二段階あります。

第一段階は本人の気持ちを受け止め、安心してひきこもる環境を整えることです。ひきこもる気持ちの中核は、人と関わる不安です。学校、職場、家庭などの居場所で受け入れられ、価値がある人と認められれば、大きな安心と幸せをもたらします。逆に向き合ってくれず、否定的に評価されると、その場にいること自体が不安となり撤退します。避難した家でも家族の人が認めてくれないと、本人は生きる居場所を失ってしまいます。

第二段階は、人と関わる安心感を与えることです。人は思春期を経て大人に成長する中で、自分の思い通りになるピーターパンの世界から下界に降りてゆきます。子ども時代は母性的な無条件の愛情を受け取る「わがままの世界」です。この世に生まれた肯定感と自分は価値がある人間だという確信=プライドを得るために大切なことです。

一方、下界は自分の思い通りにならない世界、わがままが通用しない世界です。他者と折り合う中で100%のプライドが傷つき、6割か7割に縮んでしまいます。ここで父性的な愛情が必要です。リスクに挑戦して傷ついた子どもを遠い距離から温かく見守ります。

自分のプライドを下方に調整できないと、100%完璧にこなすか、全くやらないゼロのどちらしか選択できません。母性愛だけでは、子どもは安心してひきこもることはできても、社会に飛び立つことはできません。

 母性を母親が、父性を父親が担当するとは限りません。父親・母親が役割を交換したり、ひとり親が両方の愛情を与えることも十分に可能です。

逆に、親が不安の中で生きていると、安心を子どもに与えようとしても、意図せず不安感を与えてしまいます。その場合、まず親が一人の人として安心感を醸成することが必要です。そのためには、安心な人とつながることが大切です。

<蛇足つぶやき>
記事の見出し、今回で言えば
「安心を与える
母性と父性の両方の愛情が必要」
は、私はつけず、新聞記者が付けてくれるんですよ。原稿も多少長めに送り、うまく編集してくれます。新聞記者は原稿書きのプロですからね。
毎回どんな見出しをつけてくれるのか、楽しみなんです。私が言いたかったことを、読み手はこうやって一言でまとめるんだなって。

2021年1月21日木曜日

ひきこもり連載(4)家族ができること

 ひきこもり:求められる支援(4)
公明新聞 2021.1.14.
家族ができること
人と関わる安心と自信を与える

家族はひきこもり問題を解決する大きな資源です。

本人は人と関わることに大きな不安を抱え、家族以外の人を避けています。唯一関わることができる家族が、人と関わる安心感と自信を与えます。

ひきこもりの回復には四段階あります。
1)葛藤期:挫折したことに本人も家族も不安を抱き、葛藤や衝突が起きる。
2)自閉期:社会との関係を拒否して家に閉じこもる。
3)試行期:失敗と成功を繰り返しながら、徐々に社会との接点を取り戻していく。
4)回復期:社会の中に居場所を見いだす。

「家族は何も刺激せず、本人のペースと自主性に任せて待つべきだ」と、よく専門家は言います。初めの数週間はその通りなのですが、自閉期以降は異なります。家族は良い刺激を与え、人と関わる安心と自信を与えます。しかし、実際には家族がどうしたらよいのか分からず、長期化した、ひきこもりに立ち尽くしているケースが多く見られます。要点は、マイナスの刺激ではなく、プラスの刺激をどう与えるかです。

特に効果的なのが心理的に遠い家族との交流です。例えば母親とは近いが父親と遠い場合、父親との関係回復がひきこもり脱出の大きな鍵になります。しかし実際には容易でありません。過去の葛藤や失敗体験から、家族がどう関わるべきかを見失っているからです。

そのためにも、同じような体験を持つ親同士が交流し体験を分かち合い、自信を回復することが有効です。この20年来、ひきこもりの支援は民間からスタートしました。KHJ全国ひきこもり家族会連合会は、全国に散らばる草の根的な家族会をまとめています。

厚生労働省では、10年前からひきこもり支援事業を展開し、「ひきこもり地域支援センター」を全国に指定しています。例えば、東京都ひきこもりサポートネットでは、電話、メール、訪問で相談窓口を設け、地域若者サポートステーションや地域の支援活動を紹介しています。


ひきこもり連載(3)二重のひきこもり

 ひきこもり:求められる支援(3)
公明新聞 2021.1.7.
二重のひきこもり
親も人に知られることを回避

10年以上ひきこもっている次郎さん(仮名)のことは、ご両親にとって深刻な問題です。自室に閉じこもり、家族と食事をすることもなく、母親と必要最低限の会話をするだけです。本当は、これからどうしたいのかを話し合いたいのですが、以前に、その話題を持ちかけて大変なことが起きました。以来、その話題には触れず、腫れ物のように関わってきました。

ひきこもりは親のせい、不適切な養育が原因だという「家族原因説」が世間にはびこっています。そのために親は自信を失い、家族の恥と感じ、周りの人に支援を求められなくなります。

確かに、子どもをしっかりした人間に育て、自立させるのが親の役割です。子どもがいつまでも自立できなければ、親がその役割を十分に果たせなかったと考えるのもよく分かります。

親としても思い当たることもあります。仕事が忙しかったから、親自身の生活が大変だったから、親がストレスを抱えていたから。さまざまな理由から、子どもにキツく叱り過ぎた、あるいは先回りして心配し過ぎたなどと反省する親は少なくありません。

世の中の親たちは気付かずに、たくさんのマイナスを子どもに与えます。しかし、それでよいのです。完璧な親はいません。それでも子どもは育ちます。親はマイナスだけでなく、たくさんのプラスも与えているはずです。

多くのひきこもり家族は「二重のひきこもり」に陥っています。本人は自信を失い、他者のまなざしを気にして人との関わりを回避します。親は子どもに接する自信を失い、わが子のひきこもり状態が人に知れることを回避します。

社会のひきこもり支援は、まだ不十分ながらも以前に比べれば整いつつあります。ひきこもりの解決は、二重のひきこもりから回復することを意味します。その第一ステップは、家族が社会の支援とつながることです。家族が具体的にできることを次回ご説明します。

ひきこもり連載(2)誤解

ひきこもり:求められる支援(2)
公明新聞 2020.12.24
誤解
「ゲームが原因」「楽しんでいる」など

ひきこもっている次郎さん(仮名)は家族を避け、夜中に起きてゲームばかりしています。
このような社会的ひきこもりが受ける誤解について説明します。

誤解その1:インターネットやゲームが原因である。
確かに一日中ゲームばかりやっている姿は、依存症と言えます。しかしそれは結果に過ぎず、原因ではありません。お酒や薬物、ギャンブルなど依存症の本質は、生活に適応できず、居場所を失っていることです。苦しみを忘れるために、刹那的な安らぎを与えてくれる世界に依存します。決してゲームにやりがいを見いだし、楽しんでいるわけではありません。

誤解その2:自分のことを何も考えていない。
一見何も考えていないように見えますが、心の底では苦しみ、戸惑っています。自分でも、どうにかしないといけないことは分かっています。しかし、そのことを考えるのはあまりにつらいので、苦しみを避け、心が壊れることを守っています。

誤解その3:ひきこもって楽をしている。
確かに現実に向き合わず、怠けているように見えます。しかし、決して楽をしたいから、ひきこもっているわけではありません。実際はその逆です。今の状況から抜け出さないといけない、周りに迷惑をかけていることはよく分かっています。

誤解その4:社会の人々との関わりを拒否している。
確かに就業や就労、友人関係、支援者など、人と関わりを拒みます。支援の場を提供しても、そこに関わることができないのが、ひきこもり支援の困難さです。本人としても人と関わらなければ生きていけないということは十分に分かっていますが、他者が自分のことをどう見ているか、自分のことを否定しているかもしれないという大きな不安があります。

 このような心情の人がどのように安心して人とつながっていけるか。それがひきこもり脱出の重要な鍵になります。
 

2021年1月20日水曜日

ひきこもり連載(1) 社会問題化

私は公明党員ではないのですが、公明新聞から連載を頼まれまして、毎週、3月まで連載することになりました。
新聞に掲載された後、順次こちらでも紹介していきます。
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ひきこもり:求められる支援(1)
公明新聞2020.12.17
社会問題化
長期化・高齢化、国内に150万人

 次郎さん(仮名)は32歳。中学1年生までは優等生でしたが、中2でいじめを経験し、学校に行けなくなりました。高校を卒業した後は進学も就職もできず、家にひきこもり、10年が過ぎてしまいました。昼夜が逆転し、インターネットでゲームをするだけの生活です。外出は夜間のコンビニだけで、友達はおろか、社会との接点が全くありません。親はどう息子に接したら良いものか分からず、何も言えずにいます。これはひきこもりの典型的な例です。ひきこもりの本当の原因は分かっていません。しかし、心の根底にあるのは、家族や友人、社会の人など、他者との人間関係を築く不安です。発達障がいや、うつ病などの精神疾患が隠されている場合もありますが、そのように誤診されるケースもあります。

私が精神科医になった35年前、社会的ひきこもりは十代や二十代の問題でした。今では、ひきこもりの長期化・高齢化が大きな社会問題となっています。

国内のひきこもり者の数は100万とも言われますが、その正確な数は分かりません。家族の恥と考え、隠すからです。社会の支援を拒み、80代の高齢者の支援に入ったケアマネジャーが長期間ひきこもっている50代の子を発見したりします。これが「8050問題」です。

世間からは怠けや甘えと見られがちですが、当人たちはとても苦悩します。孤立し、誰にも救いを求められず、生活の糧と生きる目的を失い、自死するケースも少なくありません。
家族にとっても長く苦しい日々です。家族原因説のために親は自分を責め、自信を喪失し、何も言えずに腫れ物に触るようです。

ひきこもりは当事者と家族ばかりでなく、教育・医療・心理・福祉などの支援者たち、地域の人々、そして行政など社会全体が取り組む大きな課題です。

本連載ではひきこもりをどう理解したら良いのか、本人や家族ができること、支援者たちがどう手を差し伸べたら良いのかをご紹介します。

思い込みから自由になる

研修に参加した方からの振り返りを紹介します。
 
今回、自分の心にあるつっかかりを思い切って出してみまして、今まで自分自身ではどうしょうもない解決出来ないと思っていた問題の解決策、答えは実は自分に中にあるということ、自分が相手に対して恐怖感の疑念を抱きすぎている事が、相手にたとえその感情が相手にあったとしてもそれは、自分自身の相手に対する思い込みでさらに恐怖感を倍増している事がわかり、自分自信の恐怖感を出来るだけ無くすことで相手のその感情を抑えられる実感が湧き、問題解決の後ろ押しの勇気と自信が湧いてきました。
そして翌日、さらにその翌日とその気がついた事を念頭に問題にとり組んだ結果、今まで行き詰まっていた問題に解決の糸口がつかめました。
わかってはいたものの、診療所で心の壁を取っ払って共感できる先生や皆さんとの交流の有意義さと感謝を感じました。


人は誰しも「思い込み」を持っているものです。
でも、ホントに信じているから、自分が思い込みを持っているということに気づきません。
こうやって、共感してくれる人の前で開示することで、それに気づきます。
わかってはいるんですよね。
気づいた後は、そう言えるんですけど、気づく前、つまり「思い込み」の渦中にいるときは、わかっていることがわかりません。本当はとても単純なことのはずなのですが。
「思い込み」を専門用語で「認知の歪み」と言います。
「歪み」という言い方は私はあまり好きではないのですが。どういう認知が歪んでいて、どういうのが歪んでいないのかなんて、相対的なものだから正解などないはずです。
でも、こうやって人は自分自身の思い込みから解放されていくのでしょう。

2021年1月6日水曜日

家族療法教室:どのように森全体を見渡すか?

 12月26日(土)「事例から学ぶ家族療法セミナー」

今回は3回目、
「親の夫婦療法と子どものひきこもり・摂食障害」の事例をもとに展開しました。
ひきこもり・不登校・摂食障害などの問題を抱える二人の子ども達の相談に、ご両親が5年間に渡り(だいたい1−2ヶ月に一回の頻度で)通い続け、本人とは一度も合わず親面接だけで子ども達は元気になっていきました。
参加者からのフィードバックをご紹介します。

今回、初めて家族療法教室に参加しました。昨年度よく参加させていただいていた「子どもと家族の研修会」と異なり、講義形式の進行で内容も専門性が高く、家族療法や心理療法の基礎知識がなければ理解するのは難しいと思いました。しかし、セラピーの中で起こった現象を理論と結びつけて説明してもらえたので、臨床現場に身を置いている者には示唆に富むお話でした。終わった後、「聴いてよかった」と胸が高鳴りました。

田村先生は海外で仕事をすることも多く、西洋の家族システムについて詳しいこともあり、日本をはじめアジア圏の特異性をわかりやすく解説してくださいました。日本にいると、自分たちの家族システムが身近すぎて見えないことがたくさんありますが、西洋との比較により、いかに日本が大家族でシステムを作り上げているのか、嫁が嫁ぐとどんなシステムが発動するのか、ハッとするようなことがいくつもありました。

また、問題を表出している個人ではなく、家族全員に広く目を配り、抱えながら丁寧に個人面接や夫婦同席面接を織り交ぜてケースを動かしていく様子から、すぐに効果は出なくても粘り強く関わることの大切さやセラピストの包容力の重要性を見せてもらったように思っています。

セラピストを信頼し、よくなりたいと頑張る家族の力と、それを受け止め家族の健康的な力を引き出すセラピストの相互作用があってIPの症状が改善していったことを考えると、個人に関わるだけでは限界があり、全体を見る力を養っていくことが大切だと思いました。

いくつか補足説明いたします。
全体を見る力
これこそがシステム論的な視点の中核なんです。
私はよく「木を見て森を見ず」という比喩で説明しますが、みなさんそのことはよくわかってくれるんですよ。
しかし、実際の臨床現場になると、この見方は忘れ去れてしまうんです。
それはなぜかと考えると、科学的方法論の根底にある還元主義(reductionism)に行き当たります。物事の本質を見極めるためには、どんどん分解していって、より細かく、ミクロの世界に入っていく。それが「正確さ」に繋がるという価値観です。
例えば、単に「お腹が痛い」というだけではその本質はさっぱりわからないけど、
内視鏡で胃潰瘍が見つかりました。
組織を顕微鏡で見たらがん細胞でした。
がん細胞をDNAレベルで治療していきましょう。
つまり、症状から身体の状況へ。外から見えない中身に迫り、組織→細胞→分子レベルと、より細かく分析していきます。
子どもが学校に行けない、食事が取れない、だけじゃ本質は見極められず、甘えてるからだとか、親のしつけや友だちからのいじめが悪いんだくらいに漠然とした原因論しか見極められません。そこに、脳の認知機能の異常だ、発達障害だなどという視点があれば、まだ納得しやすいのです。
一つの木に問題があれば、森全体を見渡すより、どうしても木の中身を細かく観察したくなるのは当然でしょう。
その視点から離れ、全体を見るエコロジカルな視点とはどういうことなのでしょうか?
心理臨床において、個人(一つ一つの木)を取り囲む森は何なのでしょうか?
それは個人が生活する場としての家族や職場、コミュニティーというのはわかります。
さらに、その森を取り囲む全体像は何かという時に、文化やジェンダーという視点が出てきます。
今回のケースで説明したことは、、、
アジアの家族は親子間の絆が強いとされています。
戦後社会のライフスタイルは核家族化していますから、実際に生活している家族は個人単位、あるいは二世代の核家族であっても、その根底にある家族観:自分の家族はどこまで含まれるかと問われれば三世代、四世代の大家族像が見えてきます。
それはアジア家族の価値、つまり我々にとっては当然なのですが、独立主義(individualism)の欧米文化では、いつまでも拡大家族がひっついていたり、成人しても親子の結びつきが強いというのは病理的・依存的と見られてしまいます。
彼らから見ればアジアは集団主義(collectivism)なのですが、アジア森の中にいる我々にとって、それは名前をつけることもない、ごく当たり前のことです。

自分の「家族」はどこまで含まれるのか:核家族か拡大家族か?
そこにジェンダーによる価値観の差が出てきます。
多くの男性は拡大家族を、女性は核家族をより志向します。
今回の夫婦は学生時代から仲の良い恋人でしたが、結婚して夫の親と同居する話になり、妻はびっくりしました。友達に相談しても、まあ何とかなるわよということで、疑心暗鬼のまま二世代同居を始めました。
しかし、ダンナは自分の親とより繋がっているんですね。妻は自分だけ外されたようて疎外感を味わいます。妻とすれば自分の家族は当然、夫と子どもたちであり、義父母は含まれません。一方、夫にとっての家族とは自分の両親も当然、含まれるわけです。
森の境界線はどこまでかというダブルスタンダード:夫婦間の相違がトラブルの発端です。
義父母とうまくやっていけない妻の技量の狭さ・性格の問題でしょ!
妻より親を優先してしまう夫の親離れできていない未熟性でしょ!
と、子どもの周りにいる父親と母親という個別の木の問題と捉えることもできますが、それではまだ「森を見ている」ことになりません。
夫も妻もしっかりした素敵な人たちです。
妻は結婚前やりがいのある仕事を持ち社会で活躍していました。
夫も有能な社会人です。
子ども達の問題について、両親揃って熱心にカウンセリングに通い続けていました。
女性は昔から別れの儀式を経験してきました。自分の原家族と別れ、夫の家族に「嫁入り」します。新しい家族システムには若年の女性という一番下のポジションからスタートするわけで、うまく入り込めばラッキーですし、そうでなければ苦労します。
女性にとっては戦後の欧米的核家族観の方が有利ですからいち早く変革してきました。
一方、男性、特に長男は親の扶養義務(親孝行)もあるわけで、原家族との「別れ」は経験しません。いつまでたっても、結婚しても、自分の親は家族であり、離れて暮らしたとしても、何かあったら息子が責任を持たねばなりません。
この男女の意識の差は未熟性とか病理性ではなく、文化的・歴史的流れの中での当然のダブルスタンダードな訳で、どちらが悪いというわけではありません。二人とも一生懸命自分の価値の中で生きているにすぎません。
このダブルスタンダードを話し合い、認め合えるだけのコミュニケーションの機会があって、お互いに調整し合えば何も問題なかったのですが、夫の仕事も忙しく、若い時代の夫婦にはその余裕がありませんでした。
そのことを、子どもに問題が生じてセラピーにやってきて、やっと話し合うことができました。この夫婦がカウンセリングにやってくると、いつも子どもの話題から始まるのですが、15分くらい話を深めていくと、必ず夫婦葛藤の問題に移っていきます。
私の方からは心理教育の技法やジェンダー論・文化論などもお話ししながら、夫婦が過去と現在の家族の痛みについてよく話し合い、少しずつ折り合えるようになってきました。結局、この家族カウンセリングは5年かかったのですが、その間に子ども達は10代後半から20代へと成長し、親から見ればちょっと期待はずれだったりしますが、客観的に見れば発達課題のチャレンジをそれなりにちゃんと乗り越えて、当初の問題は徐々に消滅してゆきました。

どの木に問題があるのだろう?
と、悪者探しをすることなく、文化・ジェンダーという広い森全体の特性を視野に含めたセラピーの例でした。

2021年1月3日日曜日

昨年の振り返りと、今年の抱負

 昨年の振り返り
  • 2年かけて移住先の選定・リノベーションを済ませ、6月より高山村に住み始めました。大都市東京でのライフスタイルと、高山村での暮らしは大きく異なります。還暦を過ぎてから、新たな場所で、新たな人と、新たな生活を始めました。
  • 新型コロナウィルス感染拡大により、世界中の人々は新たな生活様式を求められました。私にとってコロナ禍による生活の変化は頻回の海外出張がなくなったくらいで、むしろ移住による生活様式の変化の方が大きいです。
    • Social Distance: 高山村の人口密度は東京区部の約250分の1。
    • 夜の街の自粛:高山村に人が集まる「街」はありません。
  • 渋川市内の病院で勤務医をやりながら、古民家での精神科自由診療を始めました。個人療法や家族療法、支援者へのスーパーヴィジョン、各種グループ活動などを始めました。これらは広尾のクリニックでやっていた活動の延長線上にあります。
今年の抱負
  • 臨床活動
    • セラピー(個人療法・家族療法)、個人及びグループスーパーヴィジョン、合宿形式のワークショップ・スーパーヴィジョンなどを拡充していきます。「家族療法講座」は10月より3月までの半期を計画しましたが、4月以降もより体系的に行います。
    • ウェブサイト、パンフレットの作成。SNSやブログによる情報発信
    • ワークショップの開催(ピザ窯料理、薪割り、ウッドデッキ制作、鶏小屋の解体など)
  • 執筆活動
    • Australian and New Zealand Journal of Family Therapyのアジア特集号の編集(Guest Editorなのですが筆が遅れています)
    • 「古民家療法」の概念と臨床をまとめ、本の執筆・出版
  • 学会・講演
    • 日本家族療法学会の活動
    • コロナが落ち着いたら、海外との交流も再開するでしょう。
      • Asian Academy of Family Therapy
      • Japan-Korea-Taiwan Case Conference
      • 中国における講演とスーパーヴィジョン
  • 古民家リノベーション
    • 広い古民家の1/4のリノベーションは完了したので、残り3/4のリノベーションは来年以降まで持ち越して、、、
    • 家の周りの環境整備
      • 南側)薪小屋・ウッドデッキの作成、植栽(園芸、菜園、樹木など)、鶏小屋の解体と駐車場の整備
      • 北側)竹林と小川の整備
  • 身体のメンテナンス(健康の維持)
    • 減量と生活習慣病の予防
    • 健康を維持する食生活
    • 身体のフィットネス:冬のbackcountry ski、夏のサイクリングと登山
  • 家族生活の充実
    • 新たなパートナーとのstable and secure attachmentの形成
    • 子ども達を含めたreconstituted family systemの安定化(自分の家族が実験台です)