2021年1月30日土曜日

看板と表札が完成しました

 田村毅こころの診療所

素敵なデザインの看板と表札が出来ました。
今までは標識が何もなく、カーナビで近くまで来られてもよくわからずに迷われた方が何人かいました。
これからはご迷惑をかけずに済むと思います。










2021年1月27日水曜日

ひきこもり連載(5)安心を与える

 ひきこもり:求められる支援(5)
公明新聞2021.1.21.
安心を与える
母性と父性の両方の愛情が必要

家族の力でひきこもる人をどう救えるのか。一言で言えば、人と関わる安心を与えることです。それは二段階あります。

第一段階は本人の気持ちを受け止め、安心してひきこもる環境を整えることです。ひきこもる気持ちの中核は、人と関わる不安です。学校、職場、家庭などの居場所で受け入れられ、価値がある人と認められれば、大きな安心と幸せをもたらします。逆に向き合ってくれず、否定的に評価されると、その場にいること自体が不安となり撤退します。避難した家でも家族の人が認めてくれないと、本人は生きる居場所を失ってしまいます。

第二段階は、人と関わる安心感を与えることです。人は思春期を経て大人に成長する中で、自分の思い通りになるピーターパンの世界から下界に降りてゆきます。子ども時代は母性的な無条件の愛情を受け取る「わがままの世界」です。この世に生まれた肯定感と自分は価値がある人間だという確信=プライドを得るために大切なことです。

一方、下界は自分の思い通りにならない世界、わがままが通用しない世界です。他者と折り合う中で100%のプライドが傷つき、6割か7割に縮んでしまいます。ここで父性的な愛情が必要です。リスクに挑戦して傷ついた子どもを遠い距離から温かく見守ります。

自分のプライドを下方に調整できないと、100%完璧にこなすか、全くやらないゼロのどちらしか選択できません。母性愛だけでは、子どもは安心してひきこもることはできても、社会に飛び立つことはできません。

 母性を母親が、父性を父親が担当するとは限りません。父親・母親が役割を交換したり、ひとり親が両方の愛情を与えることも十分に可能です。

逆に、親が不安の中で生きていると、安心を子どもに与えようとしても、意図せず不安感を与えてしまいます。その場合、まず親が一人の人として安心感を醸成することが必要です。そのためには、安心な人とつながることが大切です。

<蛇足つぶやき>
記事の見出し、今回で言えば
「安心を与える
母性と父性の両方の愛情が必要」
は、私はつけず、新聞記者が付けてくれるんですよ。原稿も多少長めに送り、うまく編集してくれます。新聞記者は原稿書きのプロですからね。
毎回どんな見出しをつけてくれるのか、楽しみなんです。私が言いたかったことを、読み手はこうやって一言でまとめるんだなって。

2021年1月21日木曜日

ひきこもり連載(4)家族ができること

 ひきこもり:求められる支援(4)
公明新聞 2021.1.14.
家族ができること
人と関わる安心と自信を与える

家族はひきこもり問題を解決する大きな資源です。

本人は人と関わることに大きな不安を抱え、家族以外の人を避けています。唯一関わることができる家族が、人と関わる安心感と自信を与えます。

ひきこもりの回復には四段階あります。
1)葛藤期:挫折したことに本人も家族も不安を抱き、葛藤や衝突が起きる。
2)自閉期:社会との関係を拒否して家に閉じこもる。
3)試行期:失敗と成功を繰り返しながら、徐々に社会との接点を取り戻していく。
4)回復期:社会の中に居場所を見いだす。

「家族は何も刺激せず、本人のペースと自主性に任せて待つべきだ」と、よく専門家は言います。初めの数週間はその通りなのですが、自閉期以降は異なります。家族は良い刺激を与え、人と関わる安心と自信を与えます。しかし、実際には家族がどうしたらよいのか分からず、長期化した、ひきこもりに立ち尽くしているケースが多く見られます。要点は、マイナスの刺激ではなく、プラスの刺激をどう与えるかです。

特に効果的なのが心理的に遠い家族との交流です。例えば母親とは近いが父親と遠い場合、父親との関係回復がひきこもり脱出の大きな鍵になります。しかし実際には容易でありません。過去の葛藤や失敗体験から、家族がどう関わるべきかを見失っているからです。

そのためにも、同じような体験を持つ親同士が交流し体験を分かち合い、自信を回復することが有効です。この20年来、ひきこもりの支援は民間からスタートしました。KHJ全国ひきこもり家族会連合会は、全国に散らばる草の根的な家族会をまとめています。

厚生労働省では、10年前からひきこもり支援事業を展開し、「ひきこもり地域支援センター」を全国に指定しています。例えば、東京都ひきこもりサポートネットでは、電話、メール、訪問で相談窓口を設け、地域若者サポートステーションや地域の支援活動を紹介しています。


ひきこもり連載(3)二重のひきこもり

 ひきこもり:求められる支援(3)
公明新聞 2021.1.7.
二重のひきこもり
親も人に知られることを回避

10年以上ひきこもっている次郎さん(仮名)のことは、ご両親にとって深刻な問題です。自室に閉じこもり、家族と食事をすることもなく、母親と必要最低限の会話をするだけです。本当は、これからどうしたいのかを話し合いたいのですが、以前に、その話題を持ちかけて大変なことが起きました。以来、その話題には触れず、腫れ物のように関わってきました。

ひきこもりは親のせい、不適切な養育が原因だという「家族原因説」が世間にはびこっています。そのために親は自信を失い、家族の恥と感じ、周りの人に支援を求められなくなります。

確かに、子どもをしっかりした人間に育て、自立させるのが親の役割です。子どもがいつまでも自立できなければ、親がその役割を十分に果たせなかったと考えるのもよく分かります。

親としても思い当たることもあります。仕事が忙しかったから、親自身の生活が大変だったから、親がストレスを抱えていたから。さまざまな理由から、子どもにキツく叱り過ぎた、あるいは先回りして心配し過ぎたなどと反省する親は少なくありません。

世の中の親たちは気付かずに、たくさんのマイナスを子どもに与えます。しかし、それでよいのです。完璧な親はいません。それでも子どもは育ちます。親はマイナスだけでなく、たくさんのプラスも与えているはずです。

多くのひきこもり家族は「二重のひきこもり」に陥っています。本人は自信を失い、他者のまなざしを気にして人との関わりを回避します。親は子どもに接する自信を失い、わが子のひきこもり状態が人に知れることを回避します。

社会のひきこもり支援は、まだ不十分ながらも以前に比べれば整いつつあります。ひきこもりの解決は、二重のひきこもりから回復することを意味します。その第一ステップは、家族が社会の支援とつながることです。家族が具体的にできることを次回ご説明します。

ひきこもり連載(2)誤解

ひきこもり:求められる支援(2)
公明新聞 2020.12.24
誤解
「ゲームが原因」「楽しんでいる」など

ひきこもっている次郎さん(仮名)は家族を避け、夜中に起きてゲームばかりしています。
このような社会的ひきこもりが受ける誤解について説明します。

誤解その1:インターネットやゲームが原因である。
確かに一日中ゲームばかりやっている姿は、依存症と言えます。しかしそれは結果に過ぎず、原因ではありません。お酒や薬物、ギャンブルなど依存症の本質は、生活に適応できず、居場所を失っていることです。苦しみを忘れるために、刹那的な安らぎを与えてくれる世界に依存します。決してゲームにやりがいを見いだし、楽しんでいるわけではありません。

誤解その2:自分のことを何も考えていない。
一見何も考えていないように見えますが、心の底では苦しみ、戸惑っています。自分でも、どうにかしないといけないことは分かっています。しかし、そのことを考えるのはあまりにつらいので、苦しみを避け、心が壊れることを守っています。

誤解その3:ひきこもって楽をしている。
確かに現実に向き合わず、怠けているように見えます。しかし、決して楽をしたいから、ひきこもっているわけではありません。実際はその逆です。今の状況から抜け出さないといけない、周りに迷惑をかけていることはよく分かっています。

誤解その4:社会の人々との関わりを拒否している。
確かに就業や就労、友人関係、支援者など、人と関わりを拒みます。支援の場を提供しても、そこに関わることができないのが、ひきこもり支援の困難さです。本人としても人と関わらなければ生きていけないということは十分に分かっていますが、他者が自分のことをどう見ているか、自分のことを否定しているかもしれないという大きな不安があります。

 このような心情の人がどのように安心して人とつながっていけるか。それがひきこもり脱出の重要な鍵になります。
 

2021年1月20日水曜日

ひきこもり連載(1) 社会問題化

私は公明党員ではないのですが、公明新聞から連載を頼まれまして、毎週、3月まで連載することになりました。
新聞に掲載された後、順次こちらでも紹介していきます。
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ひきこもり:求められる支援(1)
公明新聞2020.12.17
社会問題化
長期化・高齢化、国内に150万人

 次郎さん(仮名)は32歳。中学1年生までは優等生でしたが、中2でいじめを経験し、学校に行けなくなりました。高校を卒業した後は進学も就職もできず、家にひきこもり、10年が過ぎてしまいました。昼夜が逆転し、インターネットでゲームをするだけの生活です。外出は夜間のコンビニだけで、友達はおろか、社会との接点が全くありません。親はどう息子に接したら良いものか分からず、何も言えずにいます。これはひきこもりの典型的な例です。ひきこもりの本当の原因は分かっていません。しかし、心の根底にあるのは、家族や友人、社会の人など、他者との人間関係を築く不安です。発達障がいや、うつ病などの精神疾患が隠されている場合もありますが、そのように誤診されるケースもあります。

私が精神科医になった35年前、社会的ひきこもりは十代や二十代の問題でした。今では、ひきこもりの長期化・高齢化が大きな社会問題となっています。

国内のひきこもり者の数は100万とも言われますが、その正確な数は分かりません。家族の恥と考え、隠すからです。社会の支援を拒み、80代の高齢者の支援に入ったケアマネジャーが長期間ひきこもっている50代の子を発見したりします。これが「8050問題」です。

世間からは怠けや甘えと見られがちですが、当人たちはとても苦悩します。孤立し、誰にも救いを求められず、生活の糧と生きる目的を失い、自死するケースも少なくありません。
家族にとっても長く苦しい日々です。家族原因説のために親は自分を責め、自信を喪失し、何も言えずに腫れ物に触るようです。

ひきこもりは当事者と家族ばかりでなく、教育・医療・心理・福祉などの支援者たち、地域の人々、そして行政など社会全体が取り組む大きな課題です。

本連載ではひきこもりをどう理解したら良いのか、本人や家族ができること、支援者たちがどう手を差し伸べたら良いのかをご紹介します。

思い込みから自由になる

研修に参加した方からの振り返りを紹介します。
 
今回、自分の心にあるつっかかりを思い切って出してみまして、今まで自分自身ではどうしょうもない解決出来ないと思っていた問題の解決策、答えは実は自分に中にあるということ、自分が相手に対して恐怖感の疑念を抱きすぎている事が、相手にたとえその感情が相手にあったとしてもそれは、自分自身の相手に対する思い込みでさらに恐怖感を倍増している事がわかり、自分自信の恐怖感を出来るだけ無くすことで相手のその感情を抑えられる実感が湧き、問題解決の後ろ押しの勇気と自信が湧いてきました。
そして翌日、さらにその翌日とその気がついた事を念頭に問題にとり組んだ結果、今まで行き詰まっていた問題に解決の糸口がつかめました。
わかってはいたものの、診療所で心の壁を取っ払って共感できる先生や皆さんとの交流の有意義さと感謝を感じました。


人は誰しも「思い込み」を持っているものです。
でも、ホントに信じているから、自分が思い込みを持っているということに気づきません。
こうやって、共感してくれる人の前で開示することで、それに気づきます。
わかってはいるんですよね。
気づいた後は、そう言えるんですけど、気づく前、つまり「思い込み」の渦中にいるときは、わかっていることがわかりません。本当はとても単純なことのはずなのですが。
「思い込み」を専門用語で「認知の歪み」と言います。
「歪み」という言い方は私はあまり好きではないのですが。どういう認知が歪んでいて、どういうのが歪んでいないのかなんて、相対的なものだから正解などないはずです。
でも、こうやって人は自分自身の思い込みから解放されていくのでしょう。

2021年1月6日水曜日

家族療法教室:どのように森全体を見渡すか?

 12月26日(土)「事例から学ぶ家族療法セミナー」

今回は3回目、
「親の夫婦療法と子どものひきこもり・摂食障害」の事例をもとに展開しました。
ひきこもり・不登校・摂食障害などの問題を抱える二人の子ども達の相談に、ご両親が5年間に渡り(だいたい1−2ヶ月に一回の頻度で)通い続け、本人とは一度も合わず親面接だけで子ども達は元気になっていきました。
参加者からのフィードバックをご紹介します。

今回、初めて家族療法教室に参加しました。昨年度よく参加させていただいていた「子どもと家族の研修会」と異なり、講義形式の進行で内容も専門性が高く、家族療法や心理療法の基礎知識がなければ理解するのは難しいと思いました。しかし、セラピーの中で起こった現象を理論と結びつけて説明してもらえたので、臨床現場に身を置いている者には示唆に富むお話でした。終わった後、「聴いてよかった」と胸が高鳴りました。

田村先生は海外で仕事をすることも多く、西洋の家族システムについて詳しいこともあり、日本をはじめアジア圏の特異性をわかりやすく解説してくださいました。日本にいると、自分たちの家族システムが身近すぎて見えないことがたくさんありますが、西洋との比較により、いかに日本が大家族でシステムを作り上げているのか、嫁が嫁ぐとどんなシステムが発動するのか、ハッとするようなことがいくつもありました。

また、問題を表出している個人ではなく、家族全員に広く目を配り、抱えながら丁寧に個人面接や夫婦同席面接を織り交ぜてケースを動かしていく様子から、すぐに効果は出なくても粘り強く関わることの大切さやセラピストの包容力の重要性を見せてもらったように思っています。

セラピストを信頼し、よくなりたいと頑張る家族の力と、それを受け止め家族の健康的な力を引き出すセラピストの相互作用があってIPの症状が改善していったことを考えると、個人に関わるだけでは限界があり、全体を見る力を養っていくことが大切だと思いました。

いくつか補足説明いたします。
全体を見る力
これこそがシステム論的な視点の中核なんです。
私はよく「木を見て森を見ず」という比喩で説明しますが、みなさんそのことはよくわかってくれるんですよ。
しかし、実際の臨床現場になると、この見方は忘れ去れてしまうんです。
それはなぜかと考えると、科学的方法論の根底にある還元主義(reductionism)に行き当たります。物事の本質を見極めるためには、どんどん分解していって、より細かく、ミクロの世界に入っていく。それが「正確さ」に繋がるという価値観です。
例えば、単に「お腹が痛い」というだけではその本質はさっぱりわからないけど、
内視鏡で胃潰瘍が見つかりました。
組織を顕微鏡で見たらがん細胞でした。
がん細胞をDNAレベルで治療していきましょう。
つまり、症状から身体の状況へ。外から見えない中身に迫り、組織→細胞→分子レベルと、より細かく分析していきます。
子どもが学校に行けない、食事が取れない、だけじゃ本質は見極められず、甘えてるからだとか、親のしつけや友だちからのいじめが悪いんだくらいに漠然とした原因論しか見極められません。そこに、脳の認知機能の異常だ、発達障害だなどという視点があれば、まだ納得しやすいのです。
一つの木に問題があれば、森全体を見渡すより、どうしても木の中身を細かく観察したくなるのは当然でしょう。
その視点から離れ、全体を見るエコロジカルな視点とはどういうことなのでしょうか?
心理臨床において、個人(一つ一つの木)を取り囲む森は何なのでしょうか?
それは個人が生活する場としての家族や職場、コミュニティーというのはわかります。
さらに、その森を取り囲む全体像は何かという時に、文化やジェンダーという視点が出てきます。
今回のケースで説明したことは、、、
アジアの家族は親子間の絆が強いとされています。
戦後社会のライフスタイルは核家族化していますから、実際に生活している家族は個人単位、あるいは二世代の核家族であっても、その根底にある家族観:自分の家族はどこまで含まれるかと問われれば三世代、四世代の大家族像が見えてきます。
それはアジア家族の価値、つまり我々にとっては当然なのですが、独立主義(individualism)の欧米文化では、いつまでも拡大家族がひっついていたり、成人しても親子の結びつきが強いというのは病理的・依存的と見られてしまいます。
彼らから見ればアジアは集団主義(collectivism)なのですが、アジア森の中にいる我々にとって、それは名前をつけることもない、ごく当たり前のことです。

自分の「家族」はどこまで含まれるのか:核家族か拡大家族か?
そこにジェンダーによる価値観の差が出てきます。
多くの男性は拡大家族を、女性は核家族をより志向します。
今回の夫婦は学生時代から仲の良い恋人でしたが、結婚して夫の親と同居する話になり、妻はびっくりしました。友達に相談しても、まあ何とかなるわよということで、疑心暗鬼のまま二世代同居を始めました。
しかし、ダンナは自分の親とより繋がっているんですね。妻は自分だけ外されたようて疎外感を味わいます。妻とすれば自分の家族は当然、夫と子どもたちであり、義父母は含まれません。一方、夫にとっての家族とは自分の両親も当然、含まれるわけです。
森の境界線はどこまでかというダブルスタンダード:夫婦間の相違がトラブルの発端です。
義父母とうまくやっていけない妻の技量の狭さ・性格の問題でしょ!
妻より親を優先してしまう夫の親離れできていない未熟性でしょ!
と、子どもの周りにいる父親と母親という個別の木の問題と捉えることもできますが、それではまだ「森を見ている」ことになりません。
夫も妻もしっかりした素敵な人たちです。
妻は結婚前やりがいのある仕事を持ち社会で活躍していました。
夫も有能な社会人です。
子ども達の問題について、両親揃って熱心にカウンセリングに通い続けていました。
女性は昔から別れの儀式を経験してきました。自分の原家族と別れ、夫の家族に「嫁入り」します。新しい家族システムには若年の女性という一番下のポジションからスタートするわけで、うまく入り込めばラッキーですし、そうでなければ苦労します。
女性にとっては戦後の欧米的核家族観の方が有利ですからいち早く変革してきました。
一方、男性、特に長男は親の扶養義務(親孝行)もあるわけで、原家族との「別れ」は経験しません。いつまでたっても、結婚しても、自分の親は家族であり、離れて暮らしたとしても、何かあったら息子が責任を持たねばなりません。
この男女の意識の差は未熟性とか病理性ではなく、文化的・歴史的流れの中での当然のダブルスタンダードな訳で、どちらが悪いというわけではありません。二人とも一生懸命自分の価値の中で生きているにすぎません。
このダブルスタンダードを話し合い、認め合えるだけのコミュニケーションの機会があって、お互いに調整し合えば何も問題なかったのですが、夫の仕事も忙しく、若い時代の夫婦にはその余裕がありませんでした。
そのことを、子どもに問題が生じてセラピーにやってきて、やっと話し合うことができました。この夫婦がカウンセリングにやってくると、いつも子どもの話題から始まるのですが、15分くらい話を深めていくと、必ず夫婦葛藤の問題に移っていきます。
私の方からは心理教育の技法やジェンダー論・文化論などもお話ししながら、夫婦が過去と現在の家族の痛みについてよく話し合い、少しずつ折り合えるようになってきました。結局、この家族カウンセリングは5年かかったのですが、その間に子ども達は10代後半から20代へと成長し、親から見ればちょっと期待はずれだったりしますが、客観的に見れば発達課題のチャレンジをそれなりにちゃんと乗り越えて、当初の問題は徐々に消滅してゆきました。

どの木に問題があるのだろう?
と、悪者探しをすることなく、文化・ジェンダーという広い森全体の特性を視野に含めたセラピーの例でした。

2021年1月3日日曜日

昨年の振り返りと、今年の抱負

 昨年の振り返り
  • 2年かけて移住先の選定・リノベーションを済ませ、6月より高山村に住み始めました。大都市東京でのライフスタイルと、高山村での暮らしは大きく異なります。還暦を過ぎてから、新たな場所で、新たな人と、新たな生活を始めました。
  • 新型コロナウィルス感染拡大により、世界中の人々は新たな生活様式を求められました。私にとってコロナ禍による生活の変化は頻回の海外出張がなくなったくらいで、むしろ移住による生活様式の変化の方が大きいです。
    • Social Distance: 高山村の人口密度は東京区部の約250分の1。
    • 夜の街の自粛:高山村に人が集まる「街」はありません。
  • 渋川市内の病院で勤務医をやりながら、古民家での精神科自由診療を始めました。個人療法や家族療法、支援者へのスーパーヴィジョン、各種グループ活動などを始めました。これらは広尾のクリニックでやっていた活動の延長線上にあります。
今年の抱負
  • 臨床活動
    • セラピー(個人療法・家族療法)、個人及びグループスーパーヴィジョン、合宿形式のワークショップ・スーパーヴィジョンなどを拡充していきます。「家族療法講座」は10月より3月までの半期を計画しましたが、4月以降もより体系的に行います。
    • ウェブサイト、パンフレットの作成。SNSやブログによる情報発信
    • ワークショップの開催(ピザ窯料理、薪割り、ウッドデッキ制作、鶏小屋の解体など)
  • 執筆活動
    • Australian and New Zealand Journal of Family Therapyのアジア特集号の編集(Guest Editorなのですが筆が遅れています)
    • 「古民家療法」の概念と臨床をまとめ、本の執筆・出版
  • 学会・講演
    • 日本家族療法学会の活動
    • コロナが落ち着いたら、海外との交流も再開するでしょう。
      • Asian Academy of Family Therapy
      • Japan-Korea-Taiwan Case Conference
      • 中国における講演とスーパーヴィジョン
  • 古民家リノベーション
    • 広い古民家の1/4のリノベーションは完了したので、残り3/4のリノベーションは来年以降まで持ち越して、、、
    • 家の周りの環境整備
      • 南側)薪小屋・ウッドデッキの作成、植栽(園芸、菜園、樹木など)、鶏小屋の解体と駐車場の整備
      • 北側)竹林と小川の整備
  • 身体のメンテナンス(健康の維持)
    • 減量と生活習慣病の予防
    • 健康を維持する食生活
    • 身体のフィットネス:冬のbackcountry ski、夏のサイクリングと登山
  • 家族生活の充実
    • 新たなパートナーとのstable and secure attachmentの形成
    • 子ども達を含めたreconstituted family systemの安定化(自分の家族が実験台です)