2012年10月29日月曜日

村上春樹と自分


村上春樹の自分語り本「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んでいる。
別に村上春樹が特に好きというわけでもない。はっきりいって彼の存在はどうでもよい。ノーベル賞をとってもとらなくても。
では、なぜ彼の話に興味を持つかというと、結局彼の話に触発され、鏡に映して自分の話を語りたいのだろう。彼の話自体はどうでもよくて、そこから導き出される自分自身の話に耳を傾けようとしている。
  • 書いたものが自分の設定した基準に到達できるかできないかというのが何よりも大事になってくる、、、
私は真逆ですね。自分の成果を計る基準は自分は設定しません。自己評価はあくまで暫定的なものであり、他者の設定した基準が何より大事になってくるかな。その他者って誰かと聞かれても、それは状況によって異なるでしょう。家族か、友人か、クライエントか、世間か、、、
  • 一人でいることをそれほど苦痛としない性格である。毎日一時間か二時間、誰とも口をきかずに一人きりで走っていても、四時間か五時間一人で机に向かって、黙々と文章を書いていても、とくにつらいとも、退屈だとも思わない。そういう傾向は、若いときから一貫して僕の中にあった。誰かと一緒に何かをするよりは、一人で黙って本を読んだり、集中して音楽を聴いていたりする方が好きだった。一人でやることならいくらでも思いつけた。
これも真逆です。ひとりでいることがとても苦痛で、すぐ人を求めてしまいます。人と関わると面倒なことが起きたとしても、ひとりでいるよりはマシかな。1−2時間、誰とも口をきかず自転車で走ったり山を歩くことは苦痛ではなく楽しみです。しかし4−5時間ひとりで机に向かい黙々と文章を書いたり読んだりは苦手中の苦手です。すぐにどこかに行きたくなる。ひとりで部屋に閉じこもるよりは、スタバか図書館か人々の気配がする中で読んだり書いたりする方がかえって集中できたりします。と言いつつ、黙って本を読むことも好きなんですよ、気持ちを集中できれば。でも音楽そのものには集中できません。頭の中にイマジネーションが沸き起こり、別の世界に行ってしまいます。
  • 一人きりになりたいという思いは、常に変わらず僕の中に存在した。だから一日に一時間ばかり走り、そこに自分だけの沈黙の時間を確保することは、僕の精神衛生にとって重要な意味を持つ作業になった。
この辺りは僕も同感です。人の中にいたいという思いが常にあり、海外の学会に出ても、ひとり名所旧跡を回るよりは学会や懇親会で多くの人と交わる方が落ち着きます。だからこそ、その対極にある沈黙の時間、自分だけの時間も大切にしたい。でも、それは敢えて意図して作らないとすぐにウロウロ動き出してしまいます。今、これを書いているのは台北のホテルの部屋。半日フリーの時間が出来たので、サイクリングに飛び出したくなる衝動を敢えて抑えてひとりPCに向かっています。これも自虐的な楽しみがありますね(笑)。
村上春樹と田村毅とどっちが正解かということじゃないんですよ。MBTIで言えば彼はIntrovert Type、つまりエネルギーを自己の身体の内側から得て、私はExtrovert Type、つまりエネルギーを自己の外側である他者との関わりから得るわけです。利き腕が右か左かというほどの違いであって優劣の差はありません。右にしろ左にしろそっちに偏りすぎると不便になるので、利き腕は尊重しつつもバランスをとることが大切です。
  • 走っているときにどんなことを考えるのかと、しばしば質問される。、、、そのような質問をされるたびに、僕は深く考え込んでしまう。、、、正直なところ、自分がこれまで走りながら何を考えてきたのか、ろくすっぽ思い出せない。、、、昔起こった出来事を脈絡なく思い出すこともある。ときどき(そういうことはほんのたまにしか起こらないのだが)、小説のちょっとしたアイデアが頭にふと浮かぶこともある。
自転車で走る楽しみのひとつは、いろんなアイデアが沸き上がってくるからです。これも真逆だな。空想の世界にあちこち飛び回り、突拍子もないアイデアが浮かんできます。特に深いアイデアではなく漠然としています。「あっ、それ原稿に使える!」と思っても、次の別のアイデアが湧いてくると、その前のアイデアを忘れてしまいます。いつも惜しいことをしたと後悔するので、ふたつ以上アイデアが出てきたら自転車を止めてiPhoneにメモします。3つ目が出ると一つ目はほぼ必ず忘れてしまうので。断片の単語でもメモしておけば、後で思い出して再展開できます。
  • 僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。
私はイマジネーションの森の中を走っているかな。
  • 生身の身体を通してしか、手に触ることのできる材料を通してしか、ものごとを正確に認識することのできない人間である。
私は具体的な詳細を正確に認識したとしても、それが正解とはとても思えません。材料は単体では意味を持ちません。それが全体の中でどう位置づけられているのか、具体性の背後にある全体像や関連性を得ることに寄ってはじめてものごとを正確に認識できます。
要するに村上は五感を通した具体的な現実に依拠するSensing Typeで、田村は具体性の背後にある関連性や想像性に依拠するIntuitive Typeなんです。

このように書いているとナルシシストのように思えるかもしれません。そう、こうやって自分の声に耳を傾けること自体が癒しに通じるところもあります。しかし、別に自己愛に浸るために、つまり自分を「良い子、良い子」して自己肯定の幻想に浸りたいわけではない。むしろその逆に自分を切り裂き、余分な幻想を切り落とすことによって、他者と関わる自分の実像に焦点を当てることができます。

2012年10月26日金曜日

否定されると、心配になる(羽田空港)


映画「ディア・ハンター (Deer Hunter)」の一場面を思い出す。
前線で生死をかけた戦闘から帰還した元ベトナム兵が、盛り場の闇でロシアンルーレットの賭博で再び生死をかける。
トラウマの強迫反復行為。
私の海外出張はそれに近い部分がある。
もちろん高校留学という原体験はトラウマではない。その正反対、とてもpositiveな体験だった。だから良いのだろうが、何かと理由をつけて原体験を強迫的に繰り返している。


なんとなく気持ちがとっ散らかってる。
後ろ髪を引かれる思い。
ホントに海外出張行っても良いのだろうか?
目的はある。というか十分ありすぎるくらい。

実は行く直前に、仕事の根幹ではないが小さくもない部分でケチがつき、どうしようか・こうしようかと考えを巡らせている。今まで当然「良し」としてきた部分を否定されたのだ。普段は陰りのない自己肯定感が少ししぼんでしまった。すると当該の件だけでなく今まで疑問の余地がなかった他のすべてのことが、なんとなくこれでホントに良いのだろうかと自信がなくなってくる。
普段の仕事を放ったらかしにして海外出張なんかに行っちゃって良いのだろうか?
何か隠れた取りこぼしがあるんじゃないだろうか?
留守宅は大丈夫だろうか?
なんだかわからないけど、大切なことを見落としているんじゃないだろうか?
などなど。
ひとつひとつ丁寧に考えれば問題はないはずなのだけど、なんとなく漠然とした不安を感じる。
強迫神経症の人の不安感がなんとなく理解できる。

他者から否定され、今まで維持していた自信の片鱗がとぎれると、なんか心細くなる。
そういうときは、自分だけだと悪循環のスパイラル。こうやって気持ちを表出するか、他者からバックアップしてほしくなる。

2012年10月19日金曜日

カウンセラーの心のフィルター

1時間、しっかりお話を伺うと、私の心のコップは満杯になります。
たくさんの出来事、家族や学校などいろいろな人々の動き、困難な問題、辛さ・苦しさ・悲しみ・不安・後悔・怒りなどなどさまざまな感情、、、
世間話のように軽くない、深刻なお話しがたくさん私の心に入り、重くなります。

「先生は人の悩みを聴いてばかりで、自分が悩んじゃったり疲れたりしないんですか?」

よくそう尋ねられるのですが、たしかに疲れますよ。
でもプロですから、自分の心のメンテナンス、整理の術を心得ています。
心のフィルターから満杯の水が静かに引いていく中で、消え去らずに残る残差があります。
面接の直後はわからないのですが、2-3日経ってから面接の場面を思い出し、あの方はこういう気持ちだったのだ、こういうことを一番言いたかったのだ、、、と状況がより明確に見えてきます。

カウンセラーの心が満杯だと、どうカウンセリングを進めたらよいのかよく見えません。
しばらくして、勘所が見えてくると、カウンセリングの方向性が見えてきます。

そのようにして得られた残渣を、このブログに書いています。
それは実際のカウンセリングの話ではありません。それを私の心のフィルターを通して創り上げた物語(フィクション)です。

子の成長、親の成長

私に力がないからなんです。
思ったことをなかなか口にして言えません。
私がもっとしっかりしていれば、こうにはならなかったかもしれない。私が原因なのかもしれません。
子どもができても、子どもに向き合う余裕がなく、自分がまわりから好かれたい思いばかりでした。
ちゃんと子どものことを向いてあげられませんでした。
自分が人生をちゃんと歩んで来なかったと思います。
こんな私が子どもをちゃんとひっぱってあげられるはずありません、、、

そのお気持ち、よくわかりますよ。
面接でそうお話しされながら、ずいぶんたくさんの涙を流されましたね。
それで構いません。それで良いのですよ。

あなたはしっかりした大人になりきらないうちに、親になってしまったのですね。
ホントにそうなのかはわかりませんが、少なくともご自身でそう感じていらっしゃるようです。
それで良いのですよ。完璧な親なんていません。
誰しも自分を十分しっかりさせてから親になるわけではありません。

  • しっかりした大人の部分
  • まだ未熟な子どもの部分

このふたつは明確に分けられるわけではありません。両者が混在しています。
どんな子どもの中にも、しっかりした部分は必ずあります。
どんな大人の中にも、未熟な部分は必ずあります。
うまくいったり、うまくいかなかったり、いろいろな経験を重ねる中で、だんだんと未熟な部分が少なくなり、しっかりした部分が増えてゆきます。
それは、子ども時代だけではありません。大人になり身体の成長は止まっても、心の成長はずっと(死ぬまで)続きます。

今抱えているお子さんの問題は、親が成長するチャンスと考えましょう。
もし、あなたが今までしっかりしていなかった(とお考えな)のなら、しっかりできるようになるチャンスです。

思春期の子どもは、いろいろな問題を引き起こしてくれます。
お子さんが赤ちゃんの頃、今まで経験しなかったほど大変だったですよね。
思春期は赤ちゃんの時代以上に、親の力が試されます。
親の力って何でしょう?
それを見出すのが親のカウンセリングです。

子どもの問題を解決するには、
しっかり子どもと向き合わねばなりません。
ご両親がお互いに向き合わねばなりません。
学校とも話し合わねばなりません。
「思ったことをうまく言えない」あなたにとって、それはとても気が重いことでしょう。
子どもや夫婦や学校と向き合うって、具体的にはどうすれば良いのでしょう?
それを具体的にカウンセリングで見出してゆきます。
それを達成して、親の力をうまく発揮できれば、きっと子どもの問題も解決します。
それを機に、思春期の子どもは、ぐっと成長できます。
それと同時に、親であるあなたも、人間としてぐっと成長できます。
カウンセラーはそのお力になりましょう。

2012年10月17日水曜日

子どもを救う親の力

ご両親で相談にいらして、本当に良かったと思います。
現役時代は忙しく、家族と関わる時間が限られていたお父さまも、今は退職され家族と向き合えるようになったのこと。
今、お子さんは、ご両親の力を必要としています。

人はだれでも自己治癒力を持っています。身体の傷も、免疫によって自然に治癒しますね。心の傷も同じです。人は素晴らしい力を持っています。
しかし、それは人との関係があるからこそ発揮される治癒力です。
いじめや友人関係のトラブル、職場の人間関係や上司・同僚との行き違いなど、人間関係の傷は、人間関係によって修復されます。人と出会い、失敗体験と成功体験を繰り返す中で、また人と関わろうとする元気が出てきます。

社会からひきこもり家族以外の人と接触しなくなると、人間関係の機会を失ってしまいます。そのため、いつまでたっても人間関係で生じた心の傷が修復できず、長い間ひきこもってしまいます。

家にひきこもり、外部の人との関係が遮断された状態で、唯一得られるのは家族との接点です。
家族とのうまい関わりの中で、お子さんは心の傷を修復し、外に出る元気を取り戻すことができます。

では、家族はどう関わったら良いのでしょうか?
二種類の関わりが必要です。
  1. お子さんの心情を理解し、受け止めること。逆境の中をよく耐え、生き抜いているお子さんを受け入れ、肯定します。
  2. 大丈夫。キミならできるはずだ。もう一度挑戦してごらん、傷ついても大丈夫。キミならの乗り越えられるはずだ。親がそばで見ていてあげるから。」と傷つく不安と闘いながら前に進む元気を与えます。

今のご両親は(1)の関わりはなさっているのですが、(2)を十分に伝えていません。
お母さまは(1)のように理解し受け入れていることは十分なさっていますが、お子さんのことをとても心配されているので(2)のように「大丈夫。挑戦してごらん!」とは言えませんね。

お父さまは(2)の「挑戦してごらん!」とはたくさんおっしゃっています。ただ、「今のままじゃダメだ。どうにかしなさい!」とお子さんの現状を否定していますが、前に進む元気は残念ながら十分に与えていらっしゃいません。

お父さまのお気持ちや立場もわかります。
頑固で威圧的なお父様自身の父親と折り合いがつかなかったと伺いました。
我々は子どもと接するとき、自分自身が親から育てられてきたイメージ・記憶を心の中に抱き、それを子どもに伝えます。
ご自身の父親と折り合う体験がないお父さまにとって、息子さんと折り合うイメージが持てないのも当然のことです。なにもお父さま自身の落ち度ではありません。戦後の時代背景の中、父親の背中しか見ることができず育ってきた多くの男性にとって、多かれ少なかれ共通していることだと思います。

それを取り戻すのが親へのカウンセリングです。
ふだんの生活の中で、どのようにお子さんに接し、どう向き合えば良いのかを考えてゆきます。
なぜ、だらしない生活をしている子どもに対して、そこまで下りてゆかねばならないのだ!
というお父さまのお気持ちもよくわかります。
そうおっしゃりつつも、こうやってご両親で相談にいらっしゃいましたね。
それはとても良いことです。

どうぞ、お子さんの将来のために、今ご両親が何ができるかよくご相談なさってください。
外との関係が絶たれ、ご本人もカウンセリングにいらっしゃらない今、ご本人が問題を解決するために利用できる唯一の資源はご家族です。

2012年10月16日火曜日

相談を拒否する親

弟は10年以上ひきこもっています。
でも母は専門家に相談することを一切拒みます。
「弟は性格がとても特殊な変人だから、心から理解できる専門家などいるわけがない」、
「無理にそんなところへ連れて行ったら、どんなに傷つくかわからない、本当に二度と心を開いてくれなくなるから絶対にできない」と強く拒絶します。
母はもうひきこもりを解決することそのものを恐れている気がします。
弟とふつうに接することができるのは母だけです。しかし母は弟に対して「外へ出て働きなさい」など強く言ったことは一度もありません。
これ以上母を動かすことはとても難しく感じます。しかし専門家からは「母をまずなんとかしなければ。母は逃げているだけだ。」と言われます。

 お母さまはとても自信を失くされていらっしゃいますね。長年、息子さんのことで悩み、あるいは他にも事情があって、深く傷ついていらっしゃるように思います。息子さんのことを相談する前に、お母さんご自身が元気になることを目標にしましょう。
 まず、娘のあなたとお母さんがご一緒に相談にいらしてください。とりあえず、弟さん自身を連れてくることは考えず、家族のカウンセリングをすすめましょう。
 お母さんの気持ちを十分に支えたいと思います。お母さん自身が専門家と関わっていくうちに元気が出てきます。そうすれば、これまでの「とても無理」という気持ちから「もしかしたらできるかもしれない」という気持ちへ変化してゆきます。
 それでも、お母さんは相談を拒否するかもしれません。その場合は、お姉さんおひとりでも構いません。相談にいらしてください。もう少し事情を伺い、姉としてご家族にできることを丁寧に探っていきましょう。
 決して簡単ではありません。
 しかし、希望を捨てる必要はありません。

2012年10月15日月曜日

相談の仕方がわからない


何をどう相談してよいかわかりません。
半年前から学校へ行かなくなりました。理由の一つは学力だと思います。中間テストで成績がかなり下がってしまいました。
 もう一つは人間関係です。前の学校でも「いじめ」と思われる部分もあり、性格的にすねているようなところがあります。父親は海外単身赴任が長く、ほとんど母子家庭状態でした。
クラスの友だちと付き合うことが上手くできないのか、学校へ行けぬまま、昼夜逆転の生活を送り、大半の時間をゲームとパソコンに使っています。
 すみません、これでは相談になっていませんが、なにをどこにどう相談していいのか、それがわからないのが一番の悩みでいます。これ以上間違えば、本当のひきこもりにしてしまうのではないかと心配ですが、どうすることもできません。

はい、相談の仕方はこれで大丈夫です。
何にお困りか?、、、学校に行きません!、、、
どれほどお困りか?、、、、本当のひきこもりになってしまうことが心配、、、

そのことだけ持って相談にいらしてください。
あとは、私との対話の中で明らかにしていきます。

どういう状況なのか?、、、半年学校に行けず、昼夜逆転、ゲームばかり、、、
どんな理由が考えられるのか?、、、学力か、いじめか、
そういうことを相談していきます。

順序立てて整理されなくても構いません。時々、今までの様子を詳しく書いたお手紙を持ってくる方がいます。そういう情報があっても良いですし、なくても構いません。どちらにせよ同じことです。

これが原因じゃないだろうか?、、、たとえば人間関係が下手だから、、、
こうすれば治るんじゃないだろうか?、、、たとえば、カウンセリングで本当の気持ちを話したらすっきりして行けるようになるかも、、、
といったご家族なりの見立てをお持ちの場合もありますが、ほとんどの場合それははずれです。

一緒に話を進めていく中で、何が原因なのか、どうすれば問題が解決するのかが見えてきます。それは、本人へのカウンセリングであったり、お薬を飲むことであったり、親の対応を工夫することであったり、学校を変えることであったり、多くは思いもよらぬことです。
それをご一緒に見出していくのが相談の仕方です。

どうぞ、気軽に相談にいらしてください。

2012年10月13日土曜日

生徒からの質問

私からの講演の後、生徒からの質問です。

全部の質問には答えられません。その理由はいくつかあります。

  1. 正解がないからです。
  2. 私ならこうするという体験や自分の考えを話しても良いのだけど、そうしない方が良いと思うから。それって、人から答えをもらってもどうしようもなく、自分で答えを見つけないとホントの答えにならないからです。

でも、大切なことは、そうやって悩んでいる・考えていることを、言葉にして表現してみることですね。
そして、それを仲間同士で共有することです。
「あっ、それ私の気持ちと同じ!」
というのが結構あったと思います。
そう、そういうことで悩んだり困ったりしているのは自分ひとりではないのだ!と理解するのが大切なんです。

  • 進路
  • やりたいことも特にないし、今の進路も本当にやりたいことなのかわからなくて毎日不安です。大学に入ってから、仕事についてから、自分の選択した道に満足できる気がしません。
そういう不安があって当然だと思います。講演で紹介したワークをやってみてください。きっと何かが見えてきますよ。


  • 勉強
  • 目標を下げて実行可能な志望校に落とすというのは逃げることになりますか?
  • 高校の先生方はなんで志望校のレベルを上げたいのでしょうか?
  • 自分を鼓舞または奮起させるためには?
イチローの言葉を思い出してみて!
「いま自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと、遠くの大きな目標は近づいてこない。」
これは、大切なことだから、別の記事でもう少し詳しく説明します。
  • 勉強の目標を立てるのですが、それをうまく実行できず、計画どおりに進まなくて葛藤しています。どうしたらいいですか?
達成できるのなら、目標を立てる必要はありませんね。達成できないから目標が必要なんです。実行できなかった部分を振り返り、修正して、次の目標を立ててみてください。すべてその繰り返しですよ。

  • 友だち
  • 仲が悪くなってしまった友人との仲直りの方法を教えてください。
  • どうすれば長く付き合える友だちを作れますか?
はじめから長くつきあえる友だちを作ろうなんて考えない方が良いですよ。私が長く付き合っている友だちは、高校生の頃、「こいつとだけは長く付き合いたくない」と思っていた友人です。

  • 信頼関係
  • 自分の行動は他人を突き動かせるものではなく、他人を不快にさせると思っていました。自分が誰かにとって大切な存在だという感覚は得たことがなく、期待されたり望まれることが本当に苦手です。だけど、ひとりではいたくないんです。去る者追わず、来る者拒まずというのはまだ良いのですが、自分を大切だって言ってくれる人を拒んでしまうのが一番辛いです。誰かを信用するのってどうした良いのでしょうか?
「自分が誰かにとって大切な存在だという感覚」は、生きていく上でとても大切です。その感覚が芽生えていくと、人と関わることがとても楽になります。ぜひその感覚を育んでいってください。

  • 自信

  1. 自信を持て、と言われる理由がわかりません。「何でも叶うなら、もっと頭が良くなって、もっと性格が良くなって、もう少し他人に好きって思われるようになりたいです。」と言ったら、自信を持てと言われました。なぜですか?
  2. 17年間も生きていて、親が自分にかけてくれた分の価値が自分にあるとは思えないんですけど、どうすればいいでしょうか、これ。何をするにも面倒くさいし、つくづく自分はこの世界に淘汰される人間だと感じます。バカのくせに無駄にプライドは高いし、無駄にポジティブだし。絶対自分とは友だちになりたくないと思うし、そのそも何人が自分のことを友だちと思ってくれているのかわかんないし、何が人の心を不快にさせているのかわからないし。ていうかこれ全部、自分でわかっているから大丈夫だろうと自分に言い聞かせているみたいだし、だからと言って死ぬのは怖いし。ホントに自分を嫌いなんですけど、これ生きてていいんですかね。まあ、ダメって言われても死ぬ勇気はないんですけど。
  3. 私は超ネガティブなのですが、どうしたらよいでしょうか?
1) 自信を持てたら、「自分はそこそこ頭が良くて、そこそこ性格も良くて、そこそこ他人も好きって思うだろう」と思えるようになるからです。
2) とても良く自分を見つめ、深層心理を表現できているよ。
3) どうする必要もないよ。それで良いよ。と、自分の超ネガティブさを受け入れるという行為は、とてもポジティヴですね。

  • 不安
  • 自分が不安に思っているということを認めたくない自分がいます。自分の不安を認めるにはどんなことをしたら、どんな思考をしたらいいのですか?
  • 1週間に1-2回くらい何もやりたくないし、やる気も起きず、ただ食べて寝るという日が出来てしまいます。
それで良いですよ。1週間にそれ以外の日はやる気があるのですね。人生、焦ってはいけません。

  • 考えすぎ
  • 「いろいろと考えすぎてしまう」というのは性格で、一生付き合っていかねばならないものでしょうか、それとも思春期特有だったりしますか?
  • 勉強していても昔のイヤなことを思い出してしまい集中できません。心を落ち着かせるためにはどうすれば良いですか?
  • イライラしたときにむしゃくしゃして、やってはいけないことやイタズラをしてしまいす。それで先生に怒られてまたむしゃくしゃします。この悪循環のスパイラルをどうしたらいいですか?
「考えすぎ」は一生続きます。でも思春期に一番多く、だんだんとそのこと自体が気にならなくなっていきます。

  • 人の弱さ・自分の弱さ
  • 弱い人を見ていると腹が立ちます。どうしたらいいでしょうか?...そんな自分が弱いことはわかっているのですが、どうしようもありません。
それで良いですよ。弱さを相手に投影して、自分自身に腹を立てているということを理解しているものね。

  • 死にたい
  • もう人生が辛すぎて死にたいと思っています。どうすれば良いですか?
「死にたい」と思って構いません。それは、ホントは「生きたいのに、、、」と思っている裏返しですから。
だから、ホントには死なないでください。

  • ホントの自分
  1. 人に嫌われたくないから笑うことしかできないし、人を困らせたくないから悩みを言うこともできません。どうしたら自分を出せますか?
  2. ここ5,6年心から感動して泣いていません。どうしたら心が動くようになるのでしょうか?
  3. 家族・友人・先生、それぞれに違うウソをついています。全く隠し事をしないで付き合う方が良いのでしょうか、それとも今のままオン・オフを使い分けていけばいいのでしょうか?
  4. 強がらず、ありのままの自分を見せている人の方が生きやすそう。でも、弱みを見せたら負け、という考えがぬぐえません。
1,2)人に遠慮せず、思いっきりホントの気持ち・ホントの自分を出せる場所を作りましょう。日記などに表現するのも良いです。
3)オン・オフを使い分けて良いですよ。それらすべてがホントの自分です。
4)弱みを見せて、もう私はダメ、自分ではどうしようもできないから、全面的に助けてくださいという生き方は負けですね。弱みも含めありのままの自分を見せて、でも自分でなんとかやっていくから、ちょっとだけ助けてくださいというのは勝ちの生き方です。

自分のココロを知る


先日、受験を控えた高校3年に講演しました。その要旨です。

みなさん、こんにちは。
今、10月だからもうすぐですね。
  • 今、どんな気持ちですか? プレッシャーを感じる?

感じますよね。
受験はなぜプレッシャーに感じるのでしょう?まずそのことから考えてみましょう。

心の法則その1「新しいことが近づくと、期待とともに不安が大きくなる。

私がみんなと同じ高校3年生のころ、はるか昔のことだけど、こんな気持ちだったかな。(崖の前に立ち尽くす人の写真)
険しく、とてつもない高い壁の前に立ち尽くし、一生懸命よじ登ろうとしてました。
でも、ぜんぜんわからなかったですよ。
ホントに登れるのかどうか。登れないんじゃないかと不安になるし、でもそんなこと言ってられない、登るっきゃないと思ったからゴシゴシ登っていたんですけど。でも、登った先に何があるのか、なぜ登らなくちゃいけないのか、ぜんぜんわからなかった。
つまり、自分の進路とか、生きがいとか、生きる目的とか、自分ってなに、とか一生懸命考えて、本なんかも読んだりしてた。
それに、友人関係や部活や、いろんなことも特に激しく悩んでいたわけじゃないけど、何となくぼんやり、悩んでいて、自分がどうしたらいいかなんてよくわからなかったですよ。

  • 受験はなぜプレッシャーになるのでしょうか?
合格か、不合格か、有無を言わさず判定されます。
「合格」なら、「おまえはグー(good)だ!」と社会から判断され、自信を獲得できます。
「不合格」なら、「お前はダメ(no good)だ!」と社会から言われるわけですから、自信を失います。
このどちらかを言い渡されるというのは、相当なプレッシャーですよね。
さて、みなさんに尋ねます。
  • みんなは自分に自信がありますか?
  • みんなは不安な気持ちがありますか?
自信あるなんて、なかなか言えないよね。
不安はきっとみんな持ってるけど、それもはっきりみんなの前では言えないよね。

自信とは、根拠のない肯定的な未来予想図です。
不安とは、根拠のない否定的な未来予想図です。
そりゃあ、模試でA判定とか、B判定とか、予想するための数値的な根拠を得ることはできます。
でも、だれも未来のことは予言できません。そういう意味で、すべてに根拠なんかないんですよ。

イチローは言いました。
いま自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと、遠くの大きな目標は近づいてこない。
  • 努力すれば、必ず夢は叶うものでしょうか?
いいえ、そんなことありません。
  • それでは逆に、努力すれば必ず夢は破れるものでしょうか?
そんなこともありませんね。
正解は、夢は必ず破れるし、必ず叶うものです。
そのどちらかしかありません。

でも、夢が破れると傷つきますね。
傷つきたくない。そう考えれば、はじめから夢を持つことを諦めてしまいます。安全策ですね。
でも、夢がなければ、それが破れることはないかわりに、叶うこともありません。
  • では、どうすれば自信がつくのでしょう? どうすれば不安を乗り越えられるのでしょうか?
ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥教授が言いました。
  • お前は「やまなか」ではなく、「じゃまなか」や!
医者になって臨床医(整形外科医)を目指したけど、手術が下手なので挫折して、臨床医をあきらめ、基礎研究の道に進みました。
  • 野球は3割打つと大打者。でも研究は1割バッターで大成功だと思う。1回の成功は9回失敗しないとやってこない。
彼の成功の背後にはたくさんの失敗と挫折があるんです。逆に言えば、たくさん傷つき、失敗したからこそ、最後に成功を得ることができたのです。

だから、たくさん失敗して良いんです。
たくさん傷ついて良いんです。
傷つくことは怖くありません。
人は、傷ついて成長します。
挫折は成長の糧になります。
傷つくことは、子どもから大人へ、大きく成長するチャンスなのです。

ここで、子どもと大人の違いについて説明しましょう。
子どもが傷ついても自分で処理できません。まわりの保護者が守ってくれます。 
大人が傷ついたら、自分の力で乗り越えます。もし自分ひとりで難しかったら、自分の方からまわりの支援を求めます。そうやって、保護者の力で守ってもらうのではなく、自分の責任で傷つきを乗り越えられたら、大人へと大きく成長できます。
  • ホントの強さって何でしょう?
みなさん、そんなことを考えたことありますか? 
たとえば、 
力が強い人? 
頭が良い人。能力が高い人? 
めげずにがんばる人? 
弱音を吐かない人? 
失敗を繰り返さない人? 
自己中じゃなくて、人に優しく思いやれる人? 

どれが正解とか、不正解ということではありません。 

「強さ」とは漠然とした抽象度の高い概念ですから、人それぞれの定義があって構いません。
  • あなたは「強い人」ですか?手を挙げてみてください。
  • あなたは「弱い人」ですか?手を挙げてみてください。
「強い人」に手を挙げた人はほとんどいませんね。まあ、良いでしょう。
「弱い人」に手を挙げた人はたくさんいました。この人たちは、実は「強い」んですよ。このパラドックスわかりますか?
何故かというと、自分が「弱い」ことを認め、意思表示できたからです。その行為自体は「強い」ことじゃないですか!

100%、強い人なんていません。
100%、弱い人もいません。
人はみな、強い部分と弱い部分の両方を持っています。

本当の強さとは、、、私はこう考えます。
自分の弱さ(不安・恐怖・心配)から目を背けず、向き合えることです。

人の本性は弱いんですよ。だから、弱さをカバーするために鎧を着て強いように見せかけます。
鎧とはさまざまの力のことです。体力、精神力、知的能力、経済力、生活力、努力、、、、
お金や地位、資格、教育などもその一部ですね。
みんなは高等教育という鎧を獲得しようと、今一生懸命なのです。
そうやって、みんな強いふりをしています。
でも、心のどこかで、ホントは自分は弱いのだということを常に心に留めておきます。

さて、ここからが重要な部分です。
今まで、失敗や傷つくことを恐れず、成長の糧にしようという話をしました。
でも、傷つくことって相当痛いです。辛いです。傷つきたくありません。
  • 実際に傷ついたり落ち込んだ時、どうしたら立ち直れるのでしょうか?
子どもなら何もしなくても構いません。まわりの人がカバーしてくれますから。
  • しかし、大人へ成長するために、自分の力でリカバーするためにはどうしたらよいのでしょうか?
まず、良くない例。
ひとりだけで悩んでいたら、悪循環のスパイラルとなり、どんどん落ちていきます。

私がお勧めの方法は、表現してみることです。
失敗体験や傷つき体験って、心の中に溜まったゴミみたいなものです。
否定的な記憶は心のごみ箱に放り投げて蓋をしておきます。
それほどたくさんゴミがなければ、ゴミ箱にずっと入れたままで人生を終えることもできます。
でもある程度ゴミが溜まってくると、ごみを捨てに行かねばなりません。
  • どうやって捨てるんですか?
いくつか方法があるけど、「表現してみる」という方法について説明しましょう。
心の中の秘め事を、表現することによってソトに表出します。そうしても記憶が消えることはありませんが、かなり心が軽くなります。
具体的には、
声に出してみよう!語ってみよう!
友人、先輩、家族、先生、カウンセラーの先生などに。
書いてみよう!
日記もいいですし、ネット(メール、ブログ)を利用しても良いです。
ただし、安全性は自分自身で確保してね。本当に信頼できる人のみに開示すること。
プライバシーが破られると、さらに傷つきますから。特にネット関連は要注意です。それさえ配慮されれば、ネットは心の整理に結構有効ですよ。
  • 自信が持てない?
?本当の自分は恥ずかしい
?人と深く付き合えない
?自分の気持ちを伝えられない
?本当の自分を見せたら嫌われる
?誰も自分を理解してくれない
?自分のことを好きになってくれるはずない

なんて思うことありますか?
自信が持てない時、そういう風に考えたりします。
そういう時のために、「自信を見出すワークをやりましょう(詳細は省略)。これ、家に帰ったら自分でやってみてください。あるいは、友だち同士でシェアしても良いかもしれません。やってみたら、何かが変わるよ。
何が変わるかって?やる前には説明しません。実際にやってみたらわかるから。
  • 進路
私は高校の先生じゃないから具体的な進路指導はできませんが、心の問題としての進路ならアドバイスできます。

?自分は何になりたいの?
?どういう道を進めばいいの?
?どうやって自分の道を見つけるの?
?自分の生きがいって何?
?自分のやりたいことは何?

なんて疑問に思ったり考え込むことありますか?
そういう時にお勧めなのが、このワークです。(詳細は省略)
これも、やってみたらよくわかります。
それをこれから死ぬまでの〇十年かけて達成するには今、なにをしたらよいのだろう?
このように逆の発想で考えれば、今、自分がするべきことは何なのか見えてくると思います。

2012年10月12日金曜日

父親の関わり


本人が就職情報誌・ハローワークなどで、就職先を見つけようとしているが、なかなかその先への一歩が踏み出せません。
本音は、人間関係をうまく築けるか自信がないようです。少々の意地悪を笑いで撥ね退けるという元気がありません。家族に嫌なことを言われると、黙ってしまい自室にはいってしまいます。
父親との会話は、父親が一方的に言い渡し、息子がそれを黙って聞いているという感じです。そこが、父親にとっては暖簾に腕押しで、癪の種となっているようです。雑談をするという雰囲気ではありません。母親やきょうだいとは、少しは会話になるし、耳学問的なことも言うので、それもまた父親にすれば「働きもしないのにえらそうなことばかり言って・・」ということになります。

息子さんも一歩踏み出したいと願いつつ、人間関係に自信が持てないということですね。それを乗り越えるために父親というちょうど良い練習台がありますので、それを活用しましょう。
 子どもが自立し家から巣立っていくためには、共感的に理解し優しく受け止める母性的な愛情と、厳しく原理原則を伝え勇気を与える父性的な愛情が必要です。あなたのご家庭には両方の愛情が存在していますが、父性的な愛情がお子さんにうまく伝わっていないように思います。

 ①父親には、親として充分やっているのに、何故これ以上の理解を求めるのか?息子の生活を何故・いつまで?という思いがあります。「働かざる者食うべからず」という考えとどのように折り合いをつけたらいいでしょうか。

このように厳しく言い渡し、外に押し出そうとする父性的な愛情は、優しく受け入れようとする母性的な愛情と、具体的な対応はかなり異なります。しかし、その根底にある子どものことを愛し、成長を願う親の愛情は共通していますね。表面的な日常生活の対応方法では正反対で折り合えなくても、その根底の愛情の部分で折り合ってください。

②私は父親と息子の間に入りコミュニケーションをとるようつとめましたが、かえって母親が甘やかす・かばうととられてしまいました。今は一切あいだに入らず、直接二人に任せるというようにしています。会話がピンポン玉のように弾まなくとも、声掛けと捉え、一歩前進と捉えていますが、いかがなものでしょうか?

はい、それでOKです。
お子さんが一見厳しく怒りっぽい父親とどうにかうまく関われるようになれば、外の人との人間関係にも自信を持てるようになります。おふたりに任せ、母親はぎこちなく見える二人の会話を外からのんびり眺めていてください。

③「本人が動こうとしないのに、なぜ親が動かなければならないのだ?」という夫をどう説得したらいいですか?

何も説得する必要はありません。ご主人は「なぜ親が動くんだ?」と言いつつも、とても息子さんのことを心配して、どうしたらよいのか深く悩んでいらっしゃいますね。説得するとしたら、ご両親で一緒に相談にいらしてください。本人が動き出すために、親がどのように動いたら良いのか、どの程度動いたら良いのか具体的に相談しましょう。お母さまとお父さま、それぞれ持ち味をお持ちのようですから、それをうまく組み合わせたらお子さんの成長にとって一番良いと思います。

サポートセンターは行きたくない


カフェや図書館などは行くが、サポートセンターのようなところは嫌だ。私はひきこもりではない、変な人たちと一緒にしないで!と言います。

なぜカフェや図書館は行くけどサポートセンターが嫌なのですか?
カフェや図書館は受付やレジくらいで人との交流がほとんどありません。だから人と会いたくない、人と会うと緊張するという人でも行きやすい場所です。

一方、サポートセンターが嫌な理由はいくつか考えられます。
  • どうしても人と交流することになります。「どうしました?何をしますか?」などと尋ねられ、自分のことを多少とも話さなくてはなりません。そのような人間関係が嫌な場合。
  • 「ひきこもり」というヘンなレッテルを貼られるのが嫌な場合。
  • サポートセンターに行くということは、自分がサポート(支援)されるべき人間なんだということになります。そのことを受け入れるのが嫌な場合。

これ以外にも、人それぞれの理由があるかもしれません。
〇〇してみようという家族の勧めを本人が断る時は、イヤな理由を話し合うことから始めましょう。その気持ちをよく理解してあげた上で、本人が受け入れやすいところを探します。ひとことに「サポートセンターのようなところ」といっても、以前と比べ今はさまざまなタイプのサポートが整いつつあります。その中から一番合ったもの、本人が納得できるものを選ぶことが大切です。

2012年10月11日木曜日

見守るだけで良いのでしょうか?


いろいろなところに相談に行きました。どこのカウンセリングでも「暖かく見守りましょう、休ませましょう」といいます。ホントにそうなのでしょうか?今までずっと見守って来ましたが、一向に改善しません。
専門家は否定しますが、押し出すことも必要だったのではないでしょうか。小遣いをあげ続けてきたのは本当に良かったのでしょうか?

 見守り、休ませることは親の対応の基本です。でも、ひきこもりが長引いている時はそれだけでは足りません。押し出すことも必要です。
 二つの段階に分けて考えましょう。

第一段階:安心してひきこもれる環境づくり
 ひきこもり始めた段階では、焦りや不安を軽減し気持ちを休ませます。
 ひきこもりはじめると、不安でいっぱいになり、とても焦ります。
 このままでは大変だ。どうにかしないと、将来取り返しのつかなくなるかもしれない。
 本人と親の間で不安と焦りのキャッチボールが始まり、悪循環のスパイラルにハマってしまいます。
 しかし、焦っていると、何かをやろうとしても空回りするだけでなかなかうまくいきません。まず気持ちを落ち着け、心の平穏を取り戻します。そのために「親は暖かく見守り、休ませましょう」とカウンセラーは強調します。
 普通のカウンセリングはそこまでです。休めば自然に元気を取り戻し、自分から立ち直っていく人もいます。でもそれができずに長い間ひきこもっている人は別の対応が必要になります。

第二段階:安心して社会に出る環境づくり
 ひきこもりから決別して社会に出てゆくためには、「親の責任だ、もうダメだ」という気持ちから、自分で「がんばろう」という気持ちに切り替えなければなりません。それは、本来子ども自身が決心することなので、家族やまわりの人がどうこうできるものではありません。家族は安心できる環境を整え、あとは本人を暖かく見守り、本人自身が自然に決心するのを待つしかありません。従来の個人中心の心理学はそのように考えました。
 家族療法の考え方では、そこをもう一歩押し進めます。本人が気持ちを切り替える環境を、もっと積極的に創り出すことを目指します。
 「もうあなたは出来るはずだ。自信を持ってもよい。ひきこもっていなくてもよい。外に出てごらん!」
と、安心して社会に飛び出すメッセージを伝えます。でも、それは難しいものです。やみくもに伝えると、かえって悪くなってしまいます。伝え方には次の二つのコツが必要です。
  • 親自身が十分な安心感と自信を持ち、それを子どもに伝えられること。
  • 適切なタイミングを図ること。

親の責任・子の責任


娘は長い間ひきこもり、ひとりで悶々としています。
今まで、あまりせかさず見守ってきましたが、年々ひどくなるばかりで、本人は焦っています。
娘は親の育て方が悪いと責め、「私の一生は親にめちゃくちゃにされた」と母親にあたります。
母親は申し訳ないと謝ったが、父親は悪いとは言わず取り合おうとしません。
夫婦は別居中です。夫婦の折り合いがうまくつきませんでした。だから子どもの言うこともわかります。かわいそうです。済まないと思います。
謝るのがよいのでしょうか、それとも取り合わないほうが良いのでしょうか?

親が謝ることは大切です。しかし、子どもが親に甘え、依存している部分まで引き受けて謝ってはいけません。
娘さんの言うとおり、たしかに親の育て方が悪かった部分もあったのでしょう。それで良いんです。完璧な親なんていませんね。そのことは素直に認め、済まなかったと謝まりましょう。
しかし、それだけではダメです。100%すべてが悪かった子育てなんてありません。良かった部分と悪かった部分の両方があるはずです。子どもに悪い部分を指摘されても、親としての自信を失うことはありません。

次のように考えてみましょう。
うまくいかないのはだれの責任でしょう?

100%、親の責任ですか?
娘さんはそう主張しているのですね。
でも、そんなことありませんね。娘さんの言い分をすべて認めてはいけません。自分で責任を取る習慣を付けなければ、ひきこもりから立ち直ることは出来ません。「自己責任」を取ることが、ひきこもりから回復するための第一歩です。

 100%、子どもの責任ですか?
「親は悪くない」と取り合わなければ、子どもは「親がそう思ってる」と感じてしまうでしょう。
でも、そんなことありませんね。親の至らなかった部分もきっとどこかあるはずです。その部分は親として認め、ちゃんと謝ります。
子どもに対して親自身の過ちを認めることは辛いことです。でも、親はそれを乗り越えましょう。子どもと向き合ってください。

子ども自身と親と、両方半分・半分の責任ですか?
そう考えるのが良いでしょう。親子で落ち着いて話し合うことが大切です。
親の至らなかった部分や悪かった部分ってどこですか?
²   子ども側はどう考える?
²   親側はどう考える?
子ども自身の責任の部分ってどこですか?
²   親側はどう考える?
²   子ども側はどう考える?

このように話し合うことができれば、過去を悔いる見方から、将来これからどうしようかという見方に180度転換できます。
でも、実際にはそこまで落ち着いて話し合うことはとても難しいことでしょう。でも、やらなくてはならない、大切なことです。

2012年10月5日金曜日

私の文章の書き方

やっと原稿をひとつ書き上げた。
といってホッとするわけでもなく、次の原稿に向かわなければならない。
ホントに書きたいのは自分の本の原稿だけど、締め切りがある依頼原稿を優先せざるを得ない。自分自身の原稿にも動かせない絶対的な締切日を設定できれば良いのだけど。
でもこうやって追い立てられつつも、書くべき原稿があるということは幸せなのかもしれない。もし書くニーズがなくなっってしまったら、すごくつまらないだろう。

書きたいことはいっぱいあるけど、長い文章を書くのは苦手だな。論文くらいの長さ(原稿用紙40枚とか)でさえもプレッシャー。そりゃあ難しいですよ。誰でもスラスラ書けるわけではない。集中力と構成力が必要です。私は想像力と発言力はあると思うけど、構成力が弱い。
その点、短いのなら負担なく書ける。ブログくらいの長さがちょうど良い。書く方も書きやすいし、読む方も読みやすいよね。まず気楽に短いのをいくつも書きためて、それをまとめて論文なり本にしていくしかない。

<ネットのどこに書くか>
従来は本や学術誌に載せてなんぼの世界だったけど、これからはむしろネット記事の方が有効になるのかもしれない。ネットの各種伝達メディアをどう使うかが迷うところ。
長さ、保存性、内容によってTwitter、Facebook、ブログ、ウェブサイトを使い分けている。

  • Twitterは短い文章だしどんどん流れ過ぎて行くので、リアルタイムな思いを気軽に呟ける。
  • FacebookはTwitterとblogの中間の長さ。画像を入れないとアピールしない。これもTwitterと同様にタイムラインを流れていくので記事の寿命は短い。
この二つは内容はプライベートからマジメな話まで硬軟いろいろなトーンで書く。人によってもいろんな使い方してるようだ。
届ける対象は有限だ。私の場合300~500人くらい。だれに届いているか確認できる。Facebookは実名主義なのでどんな人か見当がつくが、Twitterはさっぱり見当がつかない。

ブログにはもう少し長い文章を書いている。届ける対象は限定されていない。パスワードをかけなければ誰でも読みに来れる。
オーブンだから読者層をもっと特定出来ないのだけど、僕の方で用途を特定している。
  • 私の公式ブログ(?)は精神科医としてクライエントに呼びかけるスタンスで。
  • 「弟子」が作ってくれたタム研ブログは研究者、スーパーヴァイザーとして若い専門家、支援者向けに
  • 個人ブログはプライベートな気持ちをモロ出し。カギ付きバージョンもある。
それぞれ読者も違う。
集客という意味ではこれらをまとめた方が良い。公式ブログとタム研ブログに書いた記事をTwitterやFacebookで紹介して飛ばせばそれぞれ別の顧客を流動させることができる。個人ブログはスタンド・アローン。



<デバイス:筆記用具は?>
デスクトップPC)自宅でもオフィスでもディスプレイを二枚使っているので広いし、キーボードだから入力しやすい。特に長い文章を遂行して仕上げるときには結局デスクトップを使うかな。

ノートPCApple MacAirの11inchを使っているけど、ほとんど文章入力のエディターなんだよな。
ブラウザとEvernote、あとはWordとPowerPointくらいしか使っていない。となるとスピードやブランドより軽さとキーボードの打ち易さがポイントとなる。どこでも持ち歩けるのが良いですね。
iPad)は活用されていない。タブレットは電子書籍を読んだり写真を眺めたりは良いのだけど、入力が今ひとつやりにくい。Macノートと重さもさほど変わらないので、こっちを持ち歩く必然性もない。

スマホ(iPhone)が注目ですね。画面が狭いし、フリック入力はだいぶ慣れてきたもののフルキーボードの便利さには到底及ばない。でも若い人たちはすごいよね。長い文章も厭わずにすごい速さで入力している。慣れてもっと使えるようにしたいかな。
手書きノート)アナログも捨てたもんじゃないですよ。モレスキンと万年筆をいつもカバンに忍ばせて、ちょっとぜいたくな気分で書きたいときには、あえてデジタルを避けて手書きにする。ボールペンや鉛筆ではオフィス仕事になってしまう。文筆家じゃないけど気持ちを文字に移していくのは手書きが一番だ。この2年間でモンブランの50ml入りのインクボトルがもうすぐ空になる。クリニックでカルテに記入するときに使っているんですよ。ブログなどにアップするためにA/D変換するという手間がかかるのだけど、やる意味はあるかな。


<どこで書くか>
自宅とオフィスではデスクトップを使うのでしっかり書けます。でも、なんだかお仕事しているみたい。
むしろノマド風に外で書いた方がアイデアは浮かぶんですよ。
ノートPCを持ち歩くとしたらカフェとか。スタバはちょっと狭くて落ち着かない。西麻布だとボンダイカフェの雰囲気がいいですね。新宿や渋谷でもお気に入りの場所が欲しいのだけどなかなか見つかりません。広尾の有栖川公園にある都立中央図書館も平日なら空いてるしPC用コンセントも用意されているのでお勧めです。
移動中の交通機関も良いかな。何もせずにボーっとできないたちなので、寝るか、呑むか、読むか、書くか。新幹線は良いですね、東海道新幹線は電源ついてるし。でも東京~大阪の無線LANは遅い、遅い。もう少しどうにかしてくれないと。在来線も良いのだけどけっこう揺れが大きいので、あまり長い間やってると気持ち悪くなってくる。そういう意味ではあれだけのスピードでも揺れが少ない新幹線は偉大ですね!
空港ロビーや飛行機の中で。エコノミー席だと狭い空間との闘いになる。でも比較的長時間集中できるという点では良いですね。飲んじゃって寝るか、酒を我慢して書くかのどちらかです。
出張先のホテルのバーも落ち着きますね。カウンターでバーボンのロックを飲みながらというのが気分が良い。飲み始めはイマジネーションが走るのだけど、そのうち酔っ払ってダメになる。時々結婚式の二次会みたいな客が騒がしい時は撤退するしかない。
スマホを使うのが通勤電車と自転車通勤中。ポケッとしてると、ひょいとアイデアが出てくる。その断片が消えないうちに記録するのはiPhoneのPostEverというアプリが良いんですよ。すばやく立ち上げ、すぐに書けます。それを送信すれば自動的にEvernoteに入ってくるわけ。
寝ているときにもアイデアは出てきます。寝入りばなは、ほとんど即死状態なのであまり出てこないのだけど、夢の中とかにリアルなアイデアがヒョイと出るときがあります。あ、これはいい、覚えておこうと夢の中で思っても、朝になったらたいてい忘れています。

<ソフト>
Twitterはスマホが多いですね。PCで書いても良いのだけど、その習慣がないというか、せっかくPC広げるならブログに書かなくちゃみたいなところもあって。
FacebookはスマホとPC半々でしょうかね。写真をアップするには、スマホのiCloud経由でPCからアップします。
ブログは直接打ち込んでも良いのだけどエディタを使うかな。

以前はいろいろなアウトラインプロセッサ、アイデアプロセッサを使っていたけど、最近はEvernoteがマイブームかな。思いついたら複数のPCもしくはスマホからクラウドに上げて、後でPCで成形して原稿化するスタイル。