2021年4月28日水曜日

あるひきこもり経験者の物語(2)

 太郎さん(仮名)は定期的に私の外来に通って来ています。
今日も、その後の物語のデータをUSBメモリに入れて持って来ました。



とてもよく自分自身の体験を表出し、考察しています。
その考察内容について多少理解しにくいところがあったとしても、これだけまとめ上げる力は素晴らしいと思います。
彼の旅は、まだまだ続きます。


2021年4月24日土曜日

スーパーヴィジョンの醍醐味

本日のグループ・スーパーヴィジョンは4名の方が参加しました。
事例を提示した方からの振り返りです。

久しぶりに自分のケースについてこんなにじっくり検討する機会をいただきました。最初は話す事の怖さも少しありましたが、それぞれの方がそれぞれの視点で真摯に考え発言してくださるのを聞いて、大丈夫だなという安心感になりました。

まとめてもいない事例を話すということに、自分自身が圧倒されそうになりながらも、その後の皆さんからの振り返りを聞いて、どんどん自分の中でフレーム化されていなかったことへの気づきがわいてくるのを感じて感動しました。それぞれ異なるポジションの方々からのトークがとてもよくて、勉強になりました。

事例を通して、家族って大変だよなという思いと、でも家族だからこそ、近い関係だからこそ生まれる心理的な葛藤こそが生きていくことの醍醐味なのかもしれないなという思いになりました。家族は立ち向かった問題をどう乗り越えていくかのプロセスワークですもんね。

それからあることに”はまる”事(依存すること、オタク化すること、発酵すること)のメリット、デメリット、、それらは表裏一体であること、そういう視点で考えたことがなかったのでとても斬新で、勉強になりました。その視点を持っているだけで何かしらの依存の問題に立ち向かうときに新たな視点を生み出せそうな気さえします。

今回も参加できてとてもよかったです。前回とはまた違った深みがありました。

これがスーパーヴィジョンの醍醐味ですね。セラピーにも共通して言えることです。
そこには二つの要素があります。
内容(content):どのような事例が提示され、どのような意見が出たのか。ここでは、SVで語られた内容については守秘義務もありますし、一切触れていません。
過程(process):内容を抜きにして、どのようなことが起きたかという様式です。自分の体験について怖さを抱きながら語り、それが他者に受け止められ、語り返されるという過程です。
内容からも得ることはたくさんあるとは思いますが、それを抜きにして、スーパーヴィジョンというプロセス(過程)自体が大きなエンパワーメントになるということです。
それはセラピー(クライエントとセラピストとの関係性)にも共通しています。自分が体験してきたことをまとめ、言葉にして語ります。その物語が共有され、共感されること自体が新たな体験であり、そこから新たな気づきや視点が生まれます。
自分の語りが認められ、肯定される体験自体に大きなヒーリング効果があります。
これを書きながら考えたのですが、このように言葉で説明してもなかなか実感を伴って理解できないと思います。逆に、実際に体験してみると、難しく考える必要もなくストンと腑に落ちるはずです。
それがセラピーやスーパーヴィジョンの醍醐味です。

2021年4月13日火曜日

私が生きてきた価値(2)


自分の人生について、非常に無価値であると思っています。
なんとか早く自分の寿命が尽きないかと思います。
まったく意味のない人生であると思います。
きっかけは子供のことです。
自分の人生がどうしようもないので、その悪影響が子供に出てしまいました。
しかしその解決方法がわからない、自分の人生は無価値であるし、取り返しがつかないという無限の責任論のなかをさまよっています。
生きているのがつらいです。

あなたの方向性は基本的に正しいです。
自分の価値はスタンドアローン、自分ひとりの単体では生まれてこないんですよ。
他者から肯定的に肯定されて、他人からの「いいね!」をもらって、初めて自分に価値が付与されます。

それに、私が前のブログ記事に書いた「価値」と、あなたが言っている「価値」はちょっと種類が違います。私が言っていたのは偏差値とか立身出世とか、私が身につけてきた鎧、登ってきた山の価値であり、あなたが言っているのは、鎧を着る前の素の自分の価値でしょう。
鎧の価値なら、合格証書をもらったり、本を書いたりテレビに出て有名になったり、Facebookやインスタでいくらでも「いいね!」をもらうことができます。
素の自分の価値は、素の自分を相手に見せなくてはなりません。
幼い子どもはまだ鎧を作っていないから、身近な人(愛着で結ばれている人)には自ずからよく見えます。大切なのは、その人が「いいね!」を発行できたかですね。
いわゆる、無条件の愛とか、unconditional positive regardとか言うやつですね。
あなたは昔きっと無条件の「いいね!」をもらい損ねたから、無条件の「いいね!」を子どもや家族に与えることができず、苦しんでいるように思います。

大人になると、鎧を纏って素の自分を隠すから、なかなか「イイね!」を出してもらえません。
あなたは、立派な大人ですけど、こうやって素の自分を私に見せようとしています。まだ一部ですけど。
素の自分を誰かに見せることができれば、「いいね!」をゲットする可能性はあります。
でも、大人の人は、なかなかできないことなんですよ。とっても恥ずかしいことですから。
子ども時代なら自然に見せちゃえるのですが、大人になると相当な抵抗感があります。
そういう意味で、あなたの方向性は基本的に正しいんです。
でも、まだ道なかばで、価値を見いだせるまでには、まだもうちょっと苦労しますけど。

2021年4月11日日曜日

私が自分を語る時(家族ミーティング)

 昨日の「家族と支援者ミーティング」は新年度初回ということもあり、オンライン・オンサイトを含め4人の参加でした。
参加者からのフィードバックをご紹介します。

以前から少し疑問に思っていたのですが、オープンダイアログというからには、ファシリテーターももっと当事者感を出していくものじゃないのかな?田村先生はあまりご自分の話をされないな、と思っていたのですが、いつもは人数が多いからだっだんですかね。
今日はたくさんお話されたので、先生の当事者性を少し強く感じることができ、リンクを感じた気がしました。
実は、先生のブログを前からずっと読ませていただいてきたのですが、文中の先生はかなり良い意味でエモーショナルな印象なのに、実際にSVなどで出会うとちょっとクールな印象で話づらくなってしまう時があります。今日の先生の印象は、より先生の書かれるものに近い印象がありました。
それはわたしにとっては安心に繋がるものです。

確かに昨日は私自身の体験を随分語ってしまいましたね。
意図していたわけではないのですが、シチュエーションに合わせて、客観的な支援者を装ってクールにいくか、自分の鎧を脱いで感情体験を語りホットにいくか、何となく調整しているのかもしれません。
昨日は、人数も少なかったので私もより安心したのかな(?)、自分を語ることができました。

各種シチュエーションを問わず、普段は触れない鎧の下の感情に気づいて欲しい、タブーにするのではなく扱えるようにして欲しいという願いは共通しています。
普段の「家族と支援者ミーティング」は人数が多く、参加者同士でシンクロするパワーがすごいんですよ。誰かが鎧を少し脱ぐと、みなさん触発されてどんどん脱ぎ始めるんですね。私が脱ぐ見本をお見せするまでもなく。
それは、群馬で初めてこのミーティングを持った蛙トープ時代から感じていました。
(開催場所を蛙トープ→いぶき会館→村役場の会議室→古民家と移動してきました)

ジェノグラム合宿では、より集中して鎧を、そして下着まで脱ぐんですよ(失礼)。
その時は、まず私がホットになって自分の鎧を脱ぐデモンストレーションをしたりします。

ブログや本のあとがきでもエモーショナルな自分を書いてますかね。。。
文章はもともとクールなメディアなので、あえてホットな感情を書いたりもしています。

いのち電話の相談員さん向けの講演会などでは100名を超える聴衆の前で、涙とともに感情体験を語ったりします。「先生の話に感動しました!」と語ってくれる人々がいる一方で、そこまでついていけない人にとっては違和感を抱くのだろなと思います。

セラピーや個人SVの場面では、あまり自分をホットに語ることはしませんねぇ。
相手が自分を掘り下げる前に、私が掘り下げちゃったらびっくりして引いちゃうんじゃないか、、、みたいな不安があるのかもしれません。
でも、ご指摘のように、もう少しホットに語った方が、相手も語りやすいもんでしょうかね???
このあたり、私ももう少し検討してみます。

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今年度も、ミーティングの構成は変わりませんが、より方向性を明確に打ち出していこうと思います。

家族療法教室
家族療法の考え方ややり方について、具体的な事例をとおして学びます。

グループ・スーパーヴィジョン
支援者目線から、事例について語ります。

家族と支援者ミーティング
当事者目線から、体験を語り合います。

ジェノグラム合宿
支援者・当事者を超えて、自分自身の体験を深く掘り下げます。

クール(客観性)か、ホット(主観性)かという視点では

クール(客観性)・・・家族療法教室<グループSV<家族ミーティング<合宿・・・ホット(主観性)
の順番になります。