2020年2月28日金曜日

君がいれば心が強くなれる

When I am down and my soul so weary 気持ちが落ち込み、心が辛い時
When troubles come and my heart burdened be 困難に向かい胸がつぶれそうな時
Then, I am still and wait here in the silence 私は静かに立ち止まり
Until you come and sit a while with me 君が来て隣に座ってくれる時を待つ
You raise me up, so I can stand on mountains 君がいれば山の頂にも立てる
You raise me up, to walk on stormy seas 君の力があれば荒い海も渡れる
I am strong, when I am on your shoulders 君が支えてくれるとき私は強くなれる
You raise me up...to more than I can be. 君がいれば私は自分を超えられる

たとえば君がいるだけで心が強くなること
何より大切なものを気づかせてくれたね
....

私は時々、特定の楽曲にハマってしまいます。
この二つの曲も私の定番です。
メロディーもすごく良いのですが、歌詞にすごく共感します。

私はメンタルが弱いから、、、
と言う人がいますが、もともとメンタルが弱い人も強い人もいません。
心の強さ・弱さは、その人が固定的に持つ属性ではなく、状況に依存します。
それが、私の支援者としての、また私自身の当事者としての経験です。

人は、いくらでも強くなれます。
人は、いくらでも弱くなれます。

「君」がそばにいる時、人の心は強くなります。
逆に、人の心が弱くなるのは、
1)「君」がいない時、「君」から切り離された時
2)「マイナスの君」がそばにいる時
です。

「君」とは誰か?
どうしたら「プラスの君」になれるのか、「マイナスの君」にならずに済むのか?

私自身が「君」を得て、「君」を失い、模索して、新たな「君」を得る中で、その答えが見えてきました。
その経験を念頭に置き、ふだん支援を求めてくる人たちと接しています。

2020年2月26日水曜日

グループSVの振り返り

2020年2月24日に高山村で行なったグループ・スーパーヴィジョンについてご紹介します。
参加者は3名。みなさんの振り返りです。

  • 自分の担当しているケースを安心して話せる場。田村先生からの問いかけや、一言に励まされます。そして参加者からも気づきをいただけるのがSVだと思いました。
  • 自分の話を聞いてくれる人がいることをありがたく思います。みなさん、それぞれの現場で一生懸命対応されているので、私もがんばろうと思いました。
  • いろいろな視点を学ぶことができました。特に長期間かかる事例からは、長期的な見方を持って今後の支援を考えることも大切だと感じました。

通常のグループSVでは、前もって事例を提示する担当者を決めるのですが、今回は人数も少なく、初めて参加する方もいたので、みなさんからそれぞれ事例を出していただきました。

壁を作らない支援:研修会の振り返り

2020年2月24日に高山村役場で開催した「子どもと家族の研修会」の様子をお伝えします。
コロナウィルスの感染拡大で、いろいろな集会のキャンセルが相次ぐ中、今回も20名ほどの方々が参加してくれました。うち5名の方が初参加です。
みなさんが最後に記入してくれた「振り返り」をご紹介します。
  • 学校の先生から紹介いただき初めて参加しました。子供の変化の部分で悩んでる保護者も同じようにいらっしゃったので参考になりました。
  • 初めての参加で、とても緊張しました。SCや面談など相談する側の生徒はこういう気持ちだったのかと改めて気がつかされました。
  • 色々な立場の方がいらして深いお話が聞けて勉強になりました。
  • 当事者の方々の声が聞け参考になりました。
  • 当事者や支援者の抱える課題やどんな対処をしているかと行った具体的な話を聞くことができて良かった。
  • 参加人数が多かったですが、だんだんと会が進むにつれてみなさんが話し始めると共にリラックスした雰囲気になっていったなぁと感じました。いろいろな立場の方のお話が聴けてとても良かったです。
  • とても参考になるケースでした。当事者の方々が向き合っている様子が素晴らしいと感じました。
  • こんなに当事者の方、特に父親(学校からは物理的・心理的距離が一番遠い)が参加されていたこと、この場が安心して語れる場所なのだと本当に思いました。
  • 日々、私もわからないことが多い中で、そのことを再びこの場で考えると違った視点で見られるなと思いました。
  • 古民家療法1〜8はとても参考になりました。自分は教員をしていますが、教室を子どもが安心できる場、心を開いて本音を語れる場にしていきたいと思います。
  • 切実なお話を聞くことができ、視野を広げることができました。
  • 時間が足りないと思うくらいみなさんの意見が様々な形で興味深かったです。悩める方がこの場に参加して気持ちが楽になればと思います。
  • 田村先生の語りを聞いて、とても安心しました。私自身が癒された感があります。安心を実感しました。
  • 重い話が多く、聞いていて疲れてしまいました。それだけ参加されている方の抱えているものが大きいのだと思います。「壁を作らない支援を」という話がありましたが、ある程度壁があるから自分を護って支援者として働けるところもあります。境界のあり方についてみなさんと話し合えたらいいなと思いました。
私は、不安(緊張)からどうやって安心(安全、リラックス)の文脈を作り出せるか。
そのことに気を配っていました。
「壁」の話題も出ましたね。
壁を作ることによって得られる安心感
壁を作らないことで得られる安心感。
その両方があると思います。
例えば、
  • 時間と場所の枠組みがあり、それを越えて情報が伝わることはありません。
  • どんな話でもOKです。お互いが批判されることはありません。
  • 私が研修会の流れを作るコーディネーターの役割を担います。
  • みなさんの支援者・当事者といった役割を外し、同じ立場で語り合います。
  • 自分のことを語らない安心感。
  • 自分のことを語る安心感。
これらを柔軟に使い分けたら良いと思います。
今後のご希望もお聞きしました。
  • 今日のような具体的事例(不登校、愛着、ひきこもりなど)があるとありがたいです。
  • お互いの考えを聞ける場を多く作っていただけたらと思います。
  • 当事者の子ども自身の話も聞いてみたいと思いました。
  • 愛着障害から回復する支援はどのようにすればよいかご教授いただきた。
  • 愛着についてもう少し詳しく聞きたいと思いました。
  • いじめについて。
これらのご希望を参考にして、今後の研修会を行なっていきたいと思います。

2020年2月24日月曜日

群馬移住5)古民家療法

2019年10月4日
「古民家お片付け作戦」が開かれました。
始まる前は、まあ5-6人も来てくれれば良いかなと思ったら、驚きの40名近くの人たちが集まってくれました。
一階・二階合わせて建坪100坪ほどの広い家に古い家財道具がぎっしり詰まっています。それを二階から外に落とし、軽トラ5−6台のピストンで村の衛生センターまで分別して捨てに行きました。
人の力はすごいですね。人海戦術で予想をはるかに越える効率で片付いて行きました。

私)昨日はありがとうごさいました。あれほど沢山の人達が来てくれて感動です。
どうして皆さん来てくれたんでしょうかね?
参加した方々から、「今日は楽しかった」と言ってくれました。私は片付けとか嫌いなんですけど。

鈴木さん)人と関わるのが大好きなんですよ。落ち着いたら今度はお茶飲みに皆さんを招待してあげて下さい。

さきちゃん)みなさんがそれぞれの興味で楽しまれていたと思います。
移住したいひと、古民家リノベを検討しているひと、古道具が好きなひと、引きこもりの人、なんとなく楽しそうでから。働くイケメンを見に来た人、そして、田村さんが来てくれるのが嬉しくてサポートしたい。ほんとそれぞれの想いでいいなぁ〜と実感しました。
鈴木さんのおっしゃる通り、関わりたい。というのがみなさんに共通するところだと思います。完成もワクワク自分の事のようにたのしみにしていることと思います。
完成お披露目✨できるといいですね!


「私が来るから」という人も中にはいたかもしれませんが、多くの人は、どんな人が引っ越してくるのかも知らないで来てくれたんだと思います。

古民家には人を集め、癒すパワーがあるのか?

みな「古民家」であることに注目します。
私自身も「古民家」に惹かれました。
なぜなんでしょう?

きっかけは沼田のトライアルハウスにするはずだった古民家を見に行った時でした。
トライアルハウスとは、沼田市に移住を考えている都会の人が無料で泊めてくれる家です。そこは普通の広めの民家で、私も何度も泊めていただき、素敵な家でした。実はそことは別の古民家をトライアルハウスにする予定だったんですと、沼田市の移住コーディネータの小島さんが紹介してくれました。その古民家は耐震上問題あるということで結局はトライアルハウスにはなりませんでした。
古く、広く、大きな古民家。そこを見てから、自分でもなぜかわからないけど「古民家」に惹かれました。

なぜなのでしょう?
古いということ?
京都のお寺とか、古い家は気持ちがなごむのでしょうか?
昔の人たちの息吹を感じるからでしょうか?
あるいは、広いから?
二人で住むには、こんな広さは要りません。
しかし、広い家に住むと、気持ちも広がります。その広がりは周りの自然の環境にまで広がります。
沼田市の古民家を見てから、ここで何ができるだろう?
いろんなイメージを抱いてきました。
---------

(追加:私の古民家療法の概念は進化中なので、前に書いたのは消さないで追加していきます)

------ 10月14日(祝)↓↓ ------

2回目の「お片付け作戦」の日。私は早朝に成田空港に到着し、お昼過ぎから参加しました。2階ばかりでなく1階部分もほぼ古道具が持ち出され、すっかり空っぽになりました。さあ、これからリノベです。夕方、DEFの小島さんらとリノベプランについて打ち合わせしました。私の基本コンセプトをソフトウェアとハードウェアに分けてイメージしてみます。

ソフトウェア:
人は、安心して人と繋がりたいと願っています(安心の愛着)。
しかし、人と繋がるのは危険が伴います。うまく繋がれば幸せになりますが、繋がりたい人とうまく繋がれないと傷つき危険です。そうなると心が弱ってしまいます。
うまく繋がる場を提供したい。それが私の古民家療法です。
人や嫌な体験をすると、心のシャッターを降ろします。心のお店を閉じてしまったら、人と繋がれません。閉じたまま人と関わろうとしても、ガチャガチャお互いに痛いだけです。シャッターを開けないといけません。でも、シャッターは重いし、うまく開けるのは難儀です。無理に開けると壊れてしまいます。どうやったらうまく開けることができるか。支援者の心のシャッターが大切です。クライエントはまず支援者とうまく繋がる体験をとおして回復していきます。言葉で言えば「支援者との信頼関係」なんですが、これがなかなか難しく、深い経験と自己洞察が必要でs。

ハードウェア:
環境をどう整備したら良いか。これが古民家療法の極意です。
自然環境)都会を抜け、渋川から坂を登り、峠を超えて高山村に降りて行く時、いつもホットするんですよね。心が伸び伸びするというか。今朝も古民家に泊まり、時差ボケで朝早く起きてしまったので、中山盆地の道の駅まで往復1時間半歩いてみました。朝日が輝き、田園風景と山並みがマッチしています。ここにいるだけで心が癒されます。
涼しさ)古民家では、夏もエアコンはいらないでしょう。
暖かさ)冬の寒さは厳しいので、断熱確保はきっちりします。
火)私は火や水を見ると癒されます。薪ストーブと囲炉裏を入れたいと思います。
水)ウラに小さな川が流れ、竹やぶの向こうから水の音が聞こえます。裏庭も整備して水の側でのんびりしたいと思います。
空間)古民家の広さは心を広げてくれます。二階の元養蚕室は広い空間のまま残したいと思います。一部、天井を抜いて吹き抜けを作りたいと思います。家のまわりの空間もうまく使いたいと思います。
食)食べることは至福です。孤食ではなく、人と一緒に食べること。幸い、妻は食と栄養の専門家で、天然酵母パンを作りたいとか言ってます。みんなで食べ物を採り、調理して、一緒に食する。そのことが癒しに繋がるし、人と人とをうまく繋ぐ触媒になります。
二回の片付け隊のお昼は、近所の農家民宿亀久保ゆっこさんが美味しい「農家料理」を振舞ってくれました。


--------- ココロが落ち着く場所。気持ちが落ち着く場所を求めていました。
私は、心が落ち着かず、不安や悲しみ、怒りなどの痛みを持て余し、苦しんでいる人たちに関わってきました。そういう人たちの痛みを癒したい。
あまりに痛い時には薬(心=神経の痛み止め)で応急手当てはできるのですが、それはちょっと違うかなと思います。1960年代以降、向精神病薬の開発によって、それまで治らない「狂人・変人」として隔離の対象として扱われてきた人々が回復可能な治療対象となりました。薬の効果は絶大です。
でも、それだけではない、もっと根本から、人間性を回復したい。
それは可能なんだと思います。「狂った」ように見える人たちの人間性を信頼したい。

やっぱり人の力だと思うんです。
大切な人(愛着対象)から切り離された時、愛着を失った時、承認されなかった時、誰にも見守られず孤独な時、、、
人は心の危機に陥るのだと思います。

人と人のつながりを取り戻せる場所。
それが「古民家療法」かなと思います。
その場所にいると、心が落ち着く。
その場所で、大切な人同士が心を落ち着けて、つなぎ直す。
人が自然と集まる場所。

居るだけで癒される、「安心」できる場とは?
それが「古民家」なのでしょうか?
自然の中に囲まれ(自然との一体感を感じ)、
寒くも暑くもなく、風通しがよく、
夏にはウッドデッキや木陰の涼しさ、
冬には薪ストーブや囲炉裏の暖かさ。

夏合宿に参加した人の感想です。
「いつも、みんなでいたから家族になった、一体感があった、、、みんなでいつもいて、ご飯も分かち合ったからこそ、お互いに本音を言い合えて、自己内省に進んだ、、と思います。田村先生の焚き火とベーコンスモークも効果出していたと思います。」

居心地の良い場所だけではダメです。そこに言葉が、対話が生まれることが大切です。
ひとり孤独ではダメ。
人がいても、言葉がないと緊張します。お互いが伝わらないから。
自分を語り、それが相手に届き、受け止められる体験。
鎧の上から語ってもウソの言葉になります。鎧を脱ぎ、本当の自分を語れること。
そのためには、鎧を脱いだ人が見守っていることが大切です。
オープン・ダイアログの考え方も、
ベテルの家の「三度の飯よりミーティング」の考え方もそこに通じます。

人を結びつける共同作業があっても良いでしょう。
今回の「お片付け作戦」もそうでした。
自然体験(屋外のウッドデッキとかでのミーティング、散歩・ウォーキング・山登り、畑で野菜づくり、米作り、山菜採り、、、)
薪割り療法)釜炊きや薪ストーブの薪づくり。うちの息子たちはノコギリや斧の作業が大好きです。
食の共有:私はあまり自然食には興味がないのですが、食を通した共同作業も大切な役割を果たします。昔風の男が飲み食い、女が台所でてんてこ舞いということではなく、男女も子どももみんなで食事を作る。そして、会食する。

オープンハウス
リノベーションが完成した時には、お披露目したいと思います。2週間くらいの期間を定めて、自由に来て、自由に集まり、楽しんでもらえたらと思います。
お披露目だけでなく、週のうち日時を決めて、この期間はいつでもどうぞという時間を作っても良いかと思います。古民家目当てでも良いのですが、むしろ私の精神科医・家族療法家としての専門性を目当てに来てもらえたら。
そこで、自由に語り合います。ひとりでも良い、家族で来ても良い、他の人がいても良い。言葉が相手に届き、受け止められる環境であれば色々なメンバーであっても構わないと思います。偏見や、否定的評価や、批判や、対立ではありません。肯定的に受け止められ、共感される場所にします。言葉が相手に届かず分断した時、人は痛みを感じます。逆に、言葉がちゃんと届き、受け止められた時、人は癒されます。

週末セラピー
都会からわざわざ来てもらうのに、1時間のセッションではもったいない。土曜の午後に来てもらって2時間くらいのセッション。その晩はゆっくり古民家生活を楽しみ、日曜の午前にまた2時間のセッション。古民家セラピーで心をキレイにしてもらいます。

グループ・ミーティング
個人セラピーも、家族療法もやります。
さらに、グループの力を使ったグループ療法も積極的に取り入れていきたいと思います。

当事者性と支援者性の循環
従来の考え方では、この両者は分けるべきとされていました。当事者(クライエント)は問題や悩みを抱えている人でクライエント向けのセミナーを。
支援者はそういう人たちを支援する専門家で、支援者向けのセミナーをという具合に。
でも、本当はみな当事者であり、支援者です。自分の人生を生きる当事者であるからこそ、人を支援できます。そういう目線から、人々の悩みや問題もみんなで語り合ってきました。入り口は「当事者向け」「支援者向け」など色々あって良いと思いますが、結局は同じことなのです。

自分自身に向き合うワークショップ
今までは支援者向けとして二泊三日の「合宿」を行ってきました。これを支援者・当事者誰でもオープンにしたらどうなるでしょうか?

地元への貢献
片付け作戦中も、お隣さんのおじいさんが一体何事が起きてるんだんべ!!と、興味津々で見物していました。隣組やご近所の方々にはj引越しのご挨拶を村役場の方と一緒に済ませました。得体の知れないよそ者が入ってくるのではなく、地元の方々にとってもプラスになることがあればと思います。週末に泊まれる家。今のところ村内の宿泊施設はゆっこさんの農家民宿しかありません。近隣には水上温泉や四万温泉があります。村内に民泊してくれるところができれば。また、他にも移住してくる方への呼び水になれば。

民泊
来る人たちには泊まってもらいたいと思います。一緒に食と住を共有するのも大切な要素です。
しかし、古民家に民泊施設の認可を得た方が良いのか思案しています。ビジネスとして民泊をするわけではないですから。

榛名病院との連携
長谷川院長も「古民家療法」には興味を示してくれています。榛名病院の分院にするか。全部で200名ほどいる職員の研修とケアの場にするか。

料金体系:スライディングスケール
たくさん儲けるためのビジネスモデルではありません。子どもたちも(ほぼ)自立し、金銭的な豊かさは必要ありません。
人と関わり、人々の痛みを取り除き、不幸から少しでも幸せに変えることができれば、人々にとっても、私にとっても精神的な豊かさに繋がります。
と言いつつ、生活のお金は必要だし、料金をあまり安くすると、かえって良くないのではという考えもあります。
広尾では1時間3万円でやっていました。
「東京だから可能なんで、地方では無理でしょう!」とよく言われるけど、東京と地方で、それほど所得格差があるとも思えません。群馬にだってお金持ちはいます。むしろ、メンタルのケアにどれほどお金をかけるモチベーションがあるかという文化の問題(敷居の高さ)ではないかと思います。
そこで考えたのがスライディングスケールです。日本ではあまり馴染みがないけど、ロンドンのInstitute of Family Therapyではこの方法を採用していました。世帯年収を「少なめ、普通、お金持ち」の三段階くらいに分けて、松は3万、竹は2万、梅は1万といった具合に。そうすると、ごまかして安い方を選ぶのでは、あるいは逆に安い方を選ぶと良いサービスを得られないのではなどの思惑が出てきますが、それでも良いかなと思って。

自由診療
保健所に医療機関としての届けは出そうと思いますが、広尾と同じように保険診療は使わないでおこうと思います。医療行為として、診断書くらいは出しますが、処方箋は書きません。お薬が欲しい人は榛名病院といずみ医院で出します。

----- ↓↓2020年1月1日追加↓↓ ------

週末セラピー(東京と群馬を結ぶ臨床)
自然環境の癒し効果を信じたいと思います。
数年前から草津温泉の別荘で開いてきた2泊3日の夏合宿(グループ・スーパーヴィジョン)がそれを証明しています。
東京にお住いの方々も古民家を経験してもらい、癒されてお帰りいただきたいと思います。
セラピー)個人でも、家族でも。親だけでも、ご夫婦でも、親子一緒でも結構です。生活を共にする中で心を元気にしていきましょう。
スーパーヴィジョン)グループおよび個人のSVを行います。週日の単発のSV、週末のSV、2〜4泊程度の合宿を考えています。
ワークショップ)「古民家お片付け作戦」の続編です。古民家造りはまだまだ続きます。壁塗り、ウッドデッキ作り、ピザ窯作り、草花の造園、まき割り、、、などなど古民家づくりを体験していただきます。

子どもと家族のトレーニング
子ども・思春期の精神科臨床には薬物療法よりも心理社会的治療が重要です。
子ども)自然を活用したSocial Skill Training
親)Parent Training。親グループで。親子グループで。さまざまな手法が考えられます。

------ ↓2020年2月26日追記↓↓ ------

月1回開催している「子どもと家族の研修会」は、古民家療法のイメージにかなり近づいてきました。

研修会と古民家療法

人々が集まり自由に語り合うといったソフトウェアとしての古民家療法のイメージは上記ブログに紹介したとおりです。
しかし、ハードウェア、つまり物理的空間としての古民家療法は違うんですよね。
村役場の会議室は閉ざされた空間として安全で暖かい部屋という意味では安心できるのかもしれませんが、窓は小さく、壁・床・天井などは古ぼけ、照明も薄暗く、あまりその場にずっと居たいかという雰囲気ではありません。
でも、古民家も窓は小さく、建物は古ぼけ、照明はそれほど明るくはありません。
それでも、その場に居たいと感じるような、場自体が醸し出す癒し効果って何なんでしょうか?
何軒か訪ねた古民家に佇んでいると、確かにそういう安心感が得られるんですね。
草津の別荘でもその感覚はありました。そこでは、自然との一体感を得られます。それが大切なのでしょうか?
まだよくわかりません。体験としては十分実感できるのですが、理屈としてはまだうまく言語化できません。

2020年2月23日日曜日

スキーとアタッチメント

バックカントリー・スキーはスキー板にシールを付けて山を登るんですね。
身体は常に動かして忙しいのですが、特に綺麗な景色でもなく、樹林帯を黙々と歩いているときは頭の中がヒマになり、いろんなことを考えます。
新しいアイデアなども浮かんできて、私にとってはなかなか楽しい時間です。

愛着(アタッチメント)に関する研修を今週末行うので、そのことを考えていました。
私が考える愛着について、どう説明したらみなさんわかってもらえるだろうか。。。
愛着には二種類あります。
安心の愛着(secure attachment)
不安の愛着(insecure attachment)
人と関わる時、自動的に安心感を持てたり、不安感を持ってしまったり。
この違いは大きく、理屈でわかっていてもなんともしようがないんですよ。

私、スキーが大好きなんです。
斜面を滑るスピード感覚はなんともいえない快感でとても幸せな気分になります。
バックカントリー・スキーはかなりのチャレンジです。
安全に整地されたゲレンデを飛び出し、自然の山の中に入り、自力で山を登ります。
1時間かけて山を登り、そこを5分で滑り降りるといった具合です。
多くはかなりの急斜面で、亀裂や岩や木や雪崩など、どんな危険が待ち構えているかわかりません。滑り降りるときは、不安が高まります。先にガイドさんが滑り、下で待っていてくれるのですが、身体が緊張しこわばっているのが自分でもわかります。
それでも勇気を振り絞ってなんとか滑りだします。
スピードが出過ぎたり、危険な直面に遭遇し、「怖い!」とビビります。
そう思った途端に、コケます。
バックカントリーでは、コケてはいけないんです。新雪の中では体勢を立て直すのがかなりきつく、身体を消耗し、遭難の危険が高まります。
ガイドさんに連れられ、一日山を登り滑っていると、1回か2回くらい、そういう怖さを感じます。

怖くてビビっている時の選択肢は二つ。
その斜面は滑らず回避します(avoidant)。
ガイドさんがいなければそうするけど、ガイドさんに促されれば滑り出すしかありません。
思い切って滑りだして、ビビって転んで失敗します(conflict)。

滑り出す前はビビりまくっていても、実際に滑り出すとなんとか上手く行くときがあります。
すると大きな快感に変わります。誰もいない大きな新雪にスピードをあげて大きくシュプールを描く滑降はなんともいえない快感なんですね。
だから、コケても懲りずにBCスキーを続けているのですが。

恐怖と快感は紙一重なんですね。
「怖い」と思ってしまうと、心のブレーキがかかってしまい、身体は緊張し、うまく滑れなくなります。
この斜面は「大丈夫」だ。俺でもこなせると思うと、身体はリラックスして、大胆にスピードを出すことができます。

愛着とは、親密な人と関わる時の自動的な気持ちです。
家族や恋人、友人など、親密な人と向き合うのは、時に怖く、時に幸せです。
理解してくれないかもしれない、否定されるかもしれない、攻撃されるかもしれない、、、そう思うと、たまらなく不安で怖くなります。
逆にわかってくれた、受け止めてくれたと思うと、とても安心して幸せな気持ちになります。

不安感と安心感というのは、生理的な感覚でして、理屈でどうこうしようと思ってもコントロールできないんです。

私は野菜が大好きです。
でも小学生の頃は大根、ニンジン、玉ねぎなど大キライでした。まずい(と感じていた)学校給食のせいかもしれません。キライなものを好きになれと言われても無理です。
キライなものを無理して食べても生理的に受け付けず、吐き出すしかありません。
親や先生から食べろと言われても、無理なものは無理なんですよ。

では、どうしたらいいのでしょうか?
愛着理論が体系化された頃は、無理なものは無理とされていました。
親しい人と向き合う時の愛着のパターン(不安か安心か)は幼少時に親(保護者)との関わりの中で決定する心の鋳型で、一旦それが出来上がると、一生その鋳型を使って人と接していくもの。鋳型は変更できないとされていました。今でも、多くの心理学者はそのように信じています。

精神分析はそのような考え方でした。子ども時代に「心」ができあがると、その経験は脳の中に刻み込まれ、成長したあとはそう変わるものではないとされていました。せいぜいできることとしては、そのことを自覚して理屈でどうにか対処するしかありません。

その後、学習理論(認知行動療法)やシステム理論(家族療法)が出てきて、心のパターンを変えることもできるという考え方に進化しました。認知行動療法では自分でそのパターンを発見し、徐々に慣らしていきます(脱感作)。家族療法では関係性を築き直すことにより安心を生み出します。

怖い斜面が、どうやって安心の幸せな斜面に変わるのでしょうか?

1)何度も経験するしかないです。
3回挑戦して、2回失敗しても1回くらいは成功するかな。気持ちよかったな!
その根底には、過去に成功した体験が必要です。
あの時、ダメだった斜面を克服できた(失敗もしたけど)。その体験があれば、失敗してもめげずに挑戦できます。

2)ひとりでは無理です。信頼できる人がそばにいること。
バックカントリーはひとりでは危険すぎます。
急斜面を滑り出そうか躊躇している時に、「さあ田村さん、行ってみましょう!」
とガイドさんが背中を押してくれると、思い切って滑り出すことができます。
万が一、失敗して危険な状態に陥った時は助けてくれるはずです。その期待が安心を生みます。

人は、痛い思いはしたくないものです。できれば避けたい。
しかし、ハードルを乗り越えなければ次に進めないこともわかっています。
信頼できる人と関わる中で、不安感安心感に差し替えることができます。

、、、山でスキーしながら考えていた時は良い比喩だと思ったんですけどねぇ。。。
下界に戻ってこうやって書き出してみると、イマイチですかねぇ。。。

2020年2月22日土曜日

親子の壁を取り除く

葉月さんは中学3年生。
小児科の先生から「親子関係を診てほしい」と私のところに紹介され、葉月さんがお母さんと児童相談所の人と一緒にやってきました。

葉月さんは朝起きられない、集団に馴染めず一人でいることが多い、指示が入らない(親の言うことを聞かない)、反抗する、リストカットなどたくさんの問題を抱えています。お母さんは、何か障害があるのではないかと小児科に連れて行きました。

小児科医の紹介状には「発達障害(自閉症スペクトラム障害)」と書かれ、ついでにお母さんもその傾向があるとのことでした。

お母さんのしつけは厳しく、早寝早起き、時間を必ず守る、家の手伝いは当たり前
という方針です。しかし葉月さんはそのいずれもできません。
中学2年生の頃から母娘がよく対立するようになりました。葉月さんは母親に反抗し、母親は激昂し、葉月さんを叩くこともよくありました。

葉月さんは家を出て、友人の家に行きました。母親は警察に連絡して連れ戻そうとしましたが、葉月さんは家に戻ることを拒否したため児童相談所で一時保護することになりました。

この段階で、私は葉月さんと面談しました。
保護施設の生活は他の子どもたちのことが気になり、気が休まりません。家に戻るしかないかなぁと考えるようになりました。お母さんと面談しましたが、とても大変そうです。離婚してシングルマザーで頑張っていますが、仕事が忙しく、子どものケアが十分にできません。親の言うことを聞かない葉月さんに対して拒否的な態度でした。母親の実家の両親(葉月さんの祖父母)は孫娘を心配して戻っておいでと言いますが、母親にとって実家は戻りたくない場所でした。

児童相談所の人とも相談しました。
母親はひとりで仕事と子育てに孤軍奮闘して、パートナーや実家からのサポートも得られません。適切な養育環境とはいえず、家に戻せば、母娘葛藤が再燃することは目に見えています。私は児童養護施設、あるいは里親さんを見つけることをお勧めしました。

その後、お母さんとも何度か面談し、お母さんの生い立ちも伺いました。お母さんの父親はとても厳しく、男尊女卑だったそうです。早寝早起き、時間厳守、女子は男子の面倒をみることと教えられ、お母さんは自分の意見を言うことが許されず、全く自由がありませんでした。親は家の近くに留まるよう勧めましたが、お母さんは高校生になると家を出て、以来、実家から離れて暮らすようになりました。

葉月さん、お母さん、児相の職員と葉月さんの今後の行き先について話し合いました。
葉月さんは、施設はイヤだから家に戻りたい。
祖父母は、実家に戻っておいで。
お母さんは、一人では葉月の面倒を見切れないけど、実家の助けは借りたくない。
児相は、養護施設の空きはなく、里親さんもなかなか見つからない。
ということで、なかなか良い選択肢が見つかりません。
母親にはサポートが必要です。
心配してくれている母親のご両親に良い知恵があるかもしれません。祖父母も一緒に相談に来るよう、お勧めしました。

その次の面談では、葉月さん、お母さん、母方祖父母、児相の人が一緒にやってきました。
高齢の祖父母もお元気で、娘と孫のことを心配しています。
お母さんは、勇気を出して、思い切って、両親に相談し、葉月さんのことで病院まで一緒に来て欲しいと伝えました。ご両親は、お母さんの話をわかってくれました。あれほど厳しかった父親が一緒に来てくれてとても安心しましたと、涙ながらに語りました。

お母さんはさらに語りました。私は今まで実家に壁を作っていました。実家は、私にとって難しい環境でした。身近な人に心を許して甘えることができませんでした。裏切られることが怖かったんです。

その後、葉月さんは、一時保護所から家に帰り、自宅でお母さんと生活することになりました。お母さんは週末には実家に度々帰るようになり、お母さんと葉月さんの葛藤は格段に減りました。お母さんと葉月さんの心の壁も取り除かれました。

私から診ると、葉月さんもお母さんも、発達障害(ASD)の診断基準に当てはめる必要もありませんでした。葉月さんとお母さん、お母さんとそのご両親の間には壁がありました。お母さんの実家は昔風の封建的な家風でした。その中でお母さんが自立して自由を獲得するためには、壁を作るしか方法がありませんでした。しかし、その習慣は次の世代に持ち越され、お母さんは自分の親と同じことを葉月さんに無意識のうちに求めてしまいました。

壁の根底には、親子の愛情が健在でした。葉月さんの問題に直面し、お母さんは勇気を出して親との壁に挑戦し、厳しかった父親はお母さんを受け入れ、壁を取り除くことができました。すると、葉月さんとお母さんの間の壁も自然に取り除かれました。

2020年2月9日日曜日

斎藤環の新書

斎藤環著)中高年ひきこもり (幻冬舎新書)

「成熟とは何かを失い、諦めていく過程」
「ひきこもりという現象は私たちの社会がある種の必然として生んでいるもの」
(ひきこもりの背景にあるのは)「家族主義の文化。成人した子どもが親と同居する割合が高いこと。また経済的な豊かさも。」
「人格とか成熟といった概念は、そう固定的に捉える必要はないのかもしれない」

斎藤環氏の最新書は彼の本音が書かれていて面白い。
私の大学時代の後輩なので贔屓するわけですけど(?)、彼の著作は時にすごい難解で私が読んでもさっぱりわからないのですが、これは読みやすく、共感できる部分がたくさんあります。
肩に力を入れない「語り下ろし」という書き方がとても読みやすくしています。
アマゾンではすでにベストセラー1位とか!