2013年12月5日木曜日

夫婦カウンセリングの受け方

<質問>
夫婦関係で色々と悩んでいます。
私が悩んでるということは妻も悩んでいると思います。
思い起こせば〇年前にこの人となら幸せな家庭を築けると思い結婚しました。
でも、いつの間にかすれ違うことが多くなり、気付けば話し合うことができなくなってしまいました。話し合おうとしても喧嘩になってしまい、結局イヤな気持ちだけが残るそんな関係が苦しくて仕方ありません。気持ちを話して傷つくのが怖くなってしまいました。

私たちのような仮面夫婦はきっと世の中にたくさんいらっしゃると思います。
努力もしないまま、関係が改善なれないまま一緒に過ごすのはとても苦しいのでなんとか歩み寄れないものかと思います。
昨日、勇気を出して妻に夫婦カウンセリングの話をしたら、幸い同意してくれました。

そこで質問なのですが、

  1. カウンセリングは夫婦揃って受けた方が効果的なのでしょうか?カウンセリングを受けたことがないので分からないのですが、妻の前で私の気持ちを話すことは、ちょっと抵抗があります。本当はそうしないといけないわかっているのですが、それができない自分を恥ずかしく思います。
  2. お互いの言い分を紙に書いてくるなど、何か準備するもの、持参するものがありますか?

<お答え>
カウンセリングの効果はおひとりか、夫婦そろってかによって差が出るというものではありません。
大切なことは、本当の気持ちを話せる環境づくりです。そのために、ご夫婦別々にお話しいただくか、ご一緒に相談するか、自由に選択します。
さまざまな選択肢があります。

  • 初めご夫婦別々にお話しいただき、その後、ご一緒に話し合うこともできます。
  • 1時間の相談時間を三等分して、お相手は待合室でお待ちいただき、1)夫ひとりで、2)妻ひとりで、そして3)夫婦いっしょに相談することもできます。
  • あるいは別々の日にご夫婦それぞれのお話を伺い、また改めてご一緒に相談することもできます。
  • ふたりで話し合おうとすると喧嘩になってしまう場合、カウンセラーが行司(第三者)として入り喧嘩にならず安全に話し合える場を作ることもできます。
  • おひとりだけで夫婦カウンセリングにいらっしゃることもできます。
  • おひとりのお話を伺い、なぜ相手は夫婦カウンセリングに来たがらないのか。どのように誘ったら来てくれるだろうかということを相談することもできます。
  • 夫婦が仲良くする道を選ぶのか、勇気を出して別れる道を選ぶのかが混とんとして自分でもわからなくなった時、そのことを整理するためにご相談することもできます。
  • どのように考えたら子どもと自分自身の将来のために離婚を肯定的な解決策として選べるのかを相談することもできます。

どれを選択してよいかわからないときも、話し合う中で自分自身だんだんと見えてきます。
何も準備するものも持参するものもありません。
「困った、、、どうにかしなければ、、、」という困り感だけお持ちください。

2013年12月3日火曜日

ひきこもる子どもに親の自信を伝える

Q 「親の会」に参加して基本は「あるがままの子どもを受け入れる」「見捨てず愛していく」と教わりました。ただ、私はそれができていないし、どうすればそうできるかもわからないのです。
 息子は、前のバイトをやめて2週間になります。私からは何も言わずにいたほうがよいのでしょうか。何も言わずに、私は待つべきなのでしょうか。もしくは、親としてどう働きかけていけばいいのでしょうか。

「あるがまま」という言葉には深遠な意味があります。

よく勘違いされるのは、外に出ずにひきこもっている状態を「あるがまま」とみなし受け入れてしまう場合です。それは本来の「あるがまま」ではありません。子どもの表に出ている行動を受け入れるのではなく、その背後にある子どもの本当の姿を受け入れることです。「今はひきこもっているかもしれない、態度が悪いかもしれない、怠けているかもしれない。でも、本当はこいつは良いやつなんだ」という具合に子どもの行為や状況に左右されない、その根底の人間性を受け入れるということです。それは親の肯定的な愛を子どもに伝えることです。基本的には良い子と信じることができるから成功する局面を念頭に置き、失敗の可能性を過度に心配せず何も言わず待つことも、あるいは親からこうしなさいと強く伝えることもできます。

親:「大丈夫、今はできなくても本来君はできるんだから。」
子:「なぜそんなことわかるの?」
親:「いや、具体的な根拠はない。でも君はできると親は信じているよ。」

親の愛は肯定的な愛と否定的な愛の二種類があります。

否定的な愛はいつも子どものことを心配しています。子どもの根底を信じていないので、本当はこの子はNG (No Good)なのではないだろうかと、マイナス側の見通しを念頭に置きます。このままひきこもっているとダメになるのではないか。子どもにはっきり言ったら怒るのではないか、絶望して崩れてしまうのではないかと考えます。だから子どもの気持ち逆らえません。子どもに常にイエスを出して、子どもの言い分を肯定します。それは「あるがままを認める」わけではなく子どもの言いなりになっているだけです。それが「甘やかし」です。

肯定的な愛は、親の判断として良くない部分やわがままな部分が見えれば、はっきりNOと言います。子どもはまだ善悪の判断が不十分です。将来のことをどう判断してよいかまだよくわかりません。親の目から見て良い部分はたっぷりYESを与えます。親の目から見て望ましくないと思えば、はっきりとNOを伝えます。なぜなら、子どもの本質を信じているから、否定しても必ず立ち直り前に進む力を持っていると信じます。

否定的な愛は心配し、用心して、子どもが前に進もうとしてもストップがかかってしまいます。

肯定的な親の愛は、心配や不安を乗り越え、子どもが前に進む原動力を与えます。

子どもには肯定的な愛が必要です。特に思春期の疾風怒濤の嵐にぶれずに立ち向かい、自信を持って他者と交流して、しっかりとした自分を創り、親の保護を離れて自立するためには、自分自身のことを肯定できることが不可欠です。それがあれば周りから多少は否定されても傷つかず、ぐらつかずに「自分はこれで良いのだ」という肯定感を維持して前に進むことができます。自己肯定感が足りないと、まわりのちょっとした出来事によって心配になったり傷ついたり、あるいは人から侵害された(いじめられた)気持ちになり、怒ったり、ひきこもったり、うまくやっていく自信を失います。

子どもが自分のことを肯定して自信を持てるようになるために、親は肯定的な愛情をたっぷり与えます。それは親だからできることです。それができるのは身近にいて子どもが絶対的に信頼する人です。
人はだれでも良い部分と悪い部分が共存しています。思春期は前向きの自立心と、後ろ向きの依存心が共存しています。後ろ向きの気持ちは、まだひとりではダメで何もできないので誰かに依存して面倒見てもらわないとうまくいかないと考えます。ものごとがうまくいかないのは周りの人のせいにします。その逆に前向きの気持ちは自分の力で困難を切り抜け自信を得たいと願います。前向きと後ろ向きの気持ちはどちらがホントでどちらがウソというわけではありません。両方ともホントの気持ちであるところがわかりにくいところです。ひきこもっているのは後ろ向きの依存心から出てきます。ひきこもりはじめると、それまで健在だった前向きの気持ちが後退して依存心が拡大してゆきます。それが退行現象と呼ばれます。子どもの依存心から発するニーズ、たとえば親に責任を転嫁したり、人と交わることを避けようとする欲求などを親が「あるがまま」に受け入れてしまったら、後ろ向きの気持ちがどんどん増えてしまい前に進めなくなってしまいます。

甘えたい気持ちや依存心を認め、受け入れることは大切です。しかしそれだけではダメです。少しずつ芽生えてきた前向きな自立心をしっかり認めます。

「あれ、きみ結構大人になってきたね。」

と、自立したい気持ちに注目してあげると、その部分が成長します。親の言葉は子どもに大きく影響します。

「そうなんだ、オレってけっこうできるんだ!」

と自信を増やしていくことができます。

しかし、これは思いのほか難しいものです。家にひきこもり、心がすっかり後ろ向きになってしまった若者は、本来持っているはずの前向きの気持ちを引っ込めて隠しています。自立したい気持ちを見出すことは至難の業です。それをうまく引き出してあげるためには、親自身が持っている「肯定する力」を使います。

前向きの気持ちと後ろ向きの気持ちが混在しているのはなにも思春期に限らず大人も同様です。親が子どもを見る眼差しはプラス(肯定的)になったりマイナス(否定的)になったり常に揺れ動いています。親の気持ちが前を向くと安心と自信が芽生えます。すると子どもの甘えや依存心はあまり気に留めず、時々垣間見せる自立心を目ざとく見つけ出すことができます。その逆に親の気持ちが後ろを向くと、子どもにうまく接する自信を失い不安な気持ちで満たされます。すると、子どもの気持ちがたまに前向きになってもそれに気づかずに素通りしてしまい、子どもの弱気な部分や依存心に波長が合うのでよく拾い出してしまいます。

したがって親が子どもの前向きな自立心を育成するには、親自身の気持ちを前に向かせて心が元気でいることが大切です。弱っている気持ちからはどんなに努力してもマイナスのメッセージしか出てきません。気持ちが前に向くと、特に意図せずとも自然にプラスのメッセージが出てきます。

親が肯定的な愛を発揮して子どもに接すると次のようになります。
子どもがひきこもりはじめた時、なぜひきこもっているのかを尋ねます。夜眠れなくて朝起きれないから、体がだるいから、疲れたからかもしれません。あるいは人の中に入っていく自信がない、自分がまわりの乗りについていけず浮いてしまっている気がする、勉強についていく自信がない、友だちや同僚からいじめられている、強い友だちに顔向けできないなど何か困難な状況があり人との関わりを避けているのかもしれません。そのような事情を聞いて、親はしっかり理解して受け止めます。それに対して叱咤激励しなくても構いません。しっかり受け止めること自体が大きな励みになります。アドバイスも不要です。子どもから尋ねてきたらそれに答えてあげますが、何も尋ねてこない時に親からアドバイスすると押しつけになってしまいます。あるいは、なぜひきこもっているのか何も事情を話さないこともよくあります。その際には無理に聞き出しません。語りたくない事情があったり、語る心の準備が出来ていないのでしょう。もう少し待ちます。

子どもに尋ねる際に最も大切なことは親がマイナスのオーラ(=内面から出るエネルギー)を与えないことです。詰問調になったり怒られるかもしれないと思うと、子どもは話せなくなります。ひきこもる時には必ず何らかの事情があります。まずそれを理解して受け止めます。そして、子どもの力を信じて待ちます。親の心が元気であれば、「いま子どもは困難に直面し心と身体の調子を整えるためにひきこもってしばし休息しているだけで、時期が来れば自分の力でまた前に進みだすだろう」と考えることができます。心配する必要はありません。親が心配すると、子どもも心配になってきます。子どもの回復力を信じて安心して待ちましょう。

このようなことは理屈ではわかっていても、なかなかうまくいかない時があります。子どもを信じるべきとはわかっていても信じることができず、不安な気持ちが一杯になってしまいます。その時は、子どもの心に向き合う前に、親自身の気持ちに向き合い、心を前向きに整えます。

たとえば子どもに対する苛立ちや怒りを抱いているとしましょう。こんなに親はしてやっているのに、なぜ子どもは親の言う事を聞かないのか、なぜちゃんと真剣に向き合わないのかと苛立ちます。怒りや苛立ちというのは、不安・恐怖の防衛です。怒りの背後には不安が隠されています。それが何かを突き止めれば、なぜ自分が子どもに怒っているのかが理解できます。その気持ちをまず十分に表出することが大切です。
親が子どもを怒り、苛立つとき、実は親は大きな不安を抱えています。その時は、子どもに怒りを伝えるのではなく、その根底にある不安を子どもに包み隠さず話してみます。親はどれほど子どものことを心配しているか親がどれほど発狂しそうなほどに子どものことを真剣に考えているか。それはとりもなおさず親の愛を伝えることになります。

子どもに怒り、苛立っていると、自分は本当に子どもを愛しているのか自信がなくなります。怒る時は、必ず子どもを心から愛しています。しかし、その愛が不安のために曇ってしまい、怒りという表現に転換されています。その場合は、怒りの背後にある子どもに対する不安感を自分自身で認めなければなりません。それは辛いことです。しかし、不安な気持ちを表現して自分自身で受け入れることができれば、怒る必要がなくなります。

怒ったり苛立たずに不安を伝えるためには、親の気持ちが前向きになっていなければなりません。前向きに不安を語れるということは親がその気持ちを相対化して乗り越えていることを意味します。不安を伝えるのはとても勇気がいることです。親は苦悩し、不安に押しつぶされることなくちゃんと向き合うことができている。苦悩しても構わない。苦悩しても心が崩壊せずにちゃんと立ち直れているという姿を子どもに見せると、子どもはとても安心します。親が自分の弱さを見せることができれば、子どもも自分の弱さを認め、弱さを抱えながらも前に進むことができるようになります。

また、親は子どもの怒りを怖がる必要はありません。怒りは相手に怖さを与え、相手を遠ざけます。怖くなるのも当然ですが、親は怖がらずに踏みとどまります。子どもの怒りの背後には不安が隠されています。そこにアプローチします。子どもを信頼して「大丈夫。きみならできるはずだから心配しなくても良い。」と丁寧に伝えます。そうやって不安が解除されれば、自然と怒りも収まり、落ち着いて話す事ができるようになります。

思春期は、本人にとっても親にとってもとても不安な時期です。不安に押しつぶされてしまうと前に進めなくなります。親ができることは、親が抱える不安に向き合い、それを解き放すことです。それができれば、子どもも同様に不安を乗り越え、前に進みだします。

 思春期に前に進む原動力は安心感です。親が不安に駆られていると、子どもも不安になります。親が安心な気持ちでいれば、子どもも安心します。親は子どもに「「君ならどんな境遇でも大丈夫。ちゃんと親が見守っているよ。見捨てることはないよ。」と安心を伝え続けてあげて下さい。

Q)正直、今まで子どもに関わり過ぎていたと反省しています。しかし、急に関わらなくなると、子どもは親から見捨てられたと感じるのではないでしょうか?

親の愛を子どもに届けることをやめてしまったのが、「見捨てる」ということです。子どもは前に進む力を親から受け取る事ができません。親は子どもを見捨てず愛し続けます。

しかし、「見捨てない」ことと「子どもを離さない」ことを混同している親がみられます。思春期になっても、いつまでも子どもに手を貸しているのは、子どもにマイナスの愛を与えていることになります。子どもの自立を認めていないことになります。子どもの成長を信頼すれば、親は子どもが問題に直面しても自分で解決するだろうと信じます。そうすれば、子どもの状況を把握しなくても、子どもが困難な状況に直面しても、すぐに手を貸さず離れたところから見守ります。
すると、子どもは始め戸惑いを示します。子どもは幼さとしっかりした側面のふたつを持っていますが、幼い心は、親に依存して自分ではできない、親に助けてほしいと依頼します。親はその手に乗ってはいけません。もう一方の自立心した心の方を支援してあげましょう。

「そう、あなたはひとりでできるよね。だから、親はもう手を貸さなくても良いでしょ。自分でがんばってみて!」

と愛し続けるゆえに手放していってあげます。これは、子どもを見捨てているのではなく、子どもの力を信頼して、しっかりと見守っていることを意味します。