2011年6月30日木曜日

やる気のエンジンの切り替え時期(=思春期)

将来の目標もなく、クラブ活動など好きなこともなく、ただ家でゲームの毎日です。試験前も勉強せず、「今の日本はクズばかりだ。将来はバイトでもしてゲームができればいい」と言います。

自分の実力をあきらめてしまい、あとちょっとという努力をしない子どもに、どうやったら本人を動かすことができますか?

勉強に努力する姿が見られず、結果も出てこないのでもっと努力するように言うと「一生懸命がんばっているんだから」と言います。やる気を出させるために親は何ができるでしょうか?

疲れてしまって眠いときが多いです。成長期(寝る子は育つ)かなと思って寝かせていましたが、大丈夫でしょうか。物事をクールに考えすぎているように思います。でも、クラスや部活の事とかはきちんと時間を守って参加していますが、もっと熱くなってほしいです。

やらなくてはいけない事は後まわしで、ダラダラ ダラダラ・・・。そのたびに「早くしろ」「やらないでどうするの?」と自分でもイヤになります。放っておけば本当にやりません。どこまで言ったらいいのか、放っといていいのかわかりません。

時間の感覚がありません。「あと5分よ」と言っても、焦るわけでもなく、超ゆっくり。結局こちらが焦りまくる毎日です。時計は読めるのに、「あと何分だからこうしよう」と時間の管理ができないのはなぜでしょう?

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小中学校の保護者向け講演会では、事前にどんなことをお知りになりたいか伺います。これらは、実際にあったご質問です。

さあ、どう考えたらよいのでしょうか?
私は、よく車のエンジンの比喩を使って説明します。

人ががんばって前に進むためには、やる気の原動力(エンジン)が必要です。
大人は、自分のエンジンを持っています。
幼い子どもは、自分のエンジンをまだ使えません。親のエンジンを使って、しっかり子どもを動かしてあげなければなりません。子どもはどう前に進んでよいのか、どちらの方向に進んでよいのかわからないので、親がよく見守り、ひとつひとつ丁寧に指示しなければなりません。それが親の果たすべき責任です。

思春期は、親のエンジンから、自分自身のエンジンに切り替わる時期です。車は基本的にエンジンがひとつですね。ふたつもあったら暴走してしまいます。だから、子どもがエンジンを使い始めたら、基本的に親のエンジンを止めなくてはなりません。

勉強に努力する姿が見られず、結果も出てこないのでもっと努力するように言うと「一生懸命がんばっているんだから」と言います。やる気を出させるために親は何ができるでしょうか?


そう。自分なりにはがんばっている=つまり、自分のエンジンを試し始めたのですね。
でも、新しいエンジンは調子がうまく出ません。ブスブスエンストばかり起こして止まってしまいます。さあ、困った。でも、困るのは誰でしょう?自己責任。自分で責任をとることを学ぶには、自分が困らなければなりません。親が困ってくれれば、きっと親が何とかしてくれると期待しますから(親責任)、自己責任は学べません。
では、親は何もすることがないのでしょうか?

自分の実力をあきらめてしまい、あとちょっとという努力をしない子どもに、どうやったら本人を動かすことができますか?

親が動かしちゃったらダメですよ。それは親のエンジンを貸してやることになりますから、本人のエンジンは使わなくて済みます。
エンジンを動かすガソリンは自信(自己達成感)、つまり、「努力すればきっと報われるに違いない」という肯定的な見通しです。それはそう簡単には得られません。小さな成功体験を積み重ねていくなかで、少しずつガソリンを蓄えてゆきます。

疲れてしまって眠いときが多いです。成長期(寝る子は育つ)かなと思って寝かせていましたが、大丈夫でしょうか。物事をクールに考えすぎているように思います。でも、クラスや部活の事とかはきちんと時間を守って参加していますが、もっと熱くなってほしいです。

ずいぶん熱いお母さんですね(良いことですよ)!
この時期に親ができること⇒良いところ探しです。
「クラスや部活のこと、すいぶんがんばってるのねえ。それ、とても良いと思うわ!」
親が子どもを肯定的に見てあげることで、子ども自身も自分のことを肯定できるようになります。
すべてをほめちぎって、おだてるのとはちがいますよ。
ダメなところは、はっきりダメだと指摘することも親の役目です。
でも、子どもは悪いところばかりでなく、必ず良いところも持っています。
それを親が見つけ出してあげること。それが親の力です。すぐに見つけられれば良いのですが、見つからない時はどうしたらよいでしょう?トリフュ探しよりも難しいかもしれませんよ。

将来の目標もなく、クラブ活動など好きなこともなく、ただ家でゲームの毎日です。試験前も勉強せず、「今の日本はクズばかりだ。将来はバイトでもしてゲームができればいい」と言います。

将来の目標さがしも思春期の難しい課題です。
子ども時代は、サッカー選手になりたい、アイドル歌手になりたいと素朴な夢を抱けましたが、現実が見えてくる思春期には、将来の夢の再構成をしなくてはなりません。そう簡単に見つかるものではありませんね。それまでは、やる気のエンジンもかなり不調のままです。

やらなくてはいけない事は後まわしで、ダラダラ ダラダラ・・・。そのたびに「早くしろ」「やらないでどうするの?」と自分でもイヤになります。放っておけば本当にやりません。どこまで言ったらいいのか、放っといていいのかわかりません。

もう一、度伺います。
放っておけば本当にやらないのですか?
どれくらい放っておきましたか?
30分?
半日?
一週間?
子どものエンジンは、そうすぐに動き出すものではありません。
場合によっては何年もかかることさえあります。
その間、親は焦りまくりますね。
まわりのお子さんは、ビュンビュンとスピード出して進んでますから、うちの子だけ取り残されそうでとても不安です。とりあえず、親のエンジンを差し出せば動くんですけど、本当にそれで良いのでしょうか?

子どもを信じてあげましょう。
親自身の自信が大切になります。
自信=この子はきっと大丈夫に違いない、今はエンストしてるけど、そのうち動き出すに違いない、という肯定的な見通しです。
焦りや不安に負けてしまってはいけません。
あまり近くで見過ぎていると、細かいところが見えてきてどうしても気になります。
少し距離を開けて、薄眼で見ているくらいがちょうどよいのです。
子どもが幼い時は、距離を詰めて、近くからしっかり見てあげないといけません。
思春期は、それとまったく逆になります。

時間の感覚がありません。「あと5分よ」と言っても、焦るわけでもなく、超ゆっくり。結局こちらが焦りまくる毎日です。時計は読めるのに、「あと何分だからこうしよう」と時間の管理ができないのはなぜでしょう?

「時間の感覚失調症」という病気は存在しません。
子どものエンジンはのろのろ、プスプス調子が悪いですね。その姿をじっと観察して、焦りまくる親の気持ちもよくわかります。
でも、根底の部分で子どもを信頼してあげることができれば、焦らず見守ってあげることができます。親の責任じゃありませんね。
遅刻するのも自己責任。成績が下がるのも自己責任。
そうやって、子どもはだんだんとエンジンの調子を上げてゆくことができます。
そうなるまでは、もう少し時間がかかりそうですね。

2011年6月23日木曜日

「思春期子育て塾」へのお誘い

思春期は、心と身体が大きく成長する時期です。
今まで、あんなに可愛く、なんでも言うことを聞いていたうちの子が、、、
親に反抗したり、逆にべたべた甘えてきたり
何かにがんばっているなら良いのだけど、やる気をなくし、だらしなくゲームやテレビばかりに熱中して、やるべきことをやってない!?
それに、友だちとのトラブルや傷つく体験もけっこうあります。
学校は忙しくなり、勉強も難しく、先生も厳しくなります。塾に行かせるべきか。目の前には受験・進学というハードルも迫ってくるのに、、、

このままで良いのだろうか?
この先、どう子どもに接したらいいのだろうか?
親は黙って本人に任せた方が良いのか。親としてもう少ししてあげることはないのか?

思春期の子育ては戸惑うことばかりです。
思春期子育て塾は、そのような保護者の方々に向けた講習会です。
子育てに正解はありません。完璧な子育てもありえません。子育ての方針はそれぞれの家庭で異なります。この講座は正しい子育てをお教えするものではありません。でも、親が安心して元気に子どもに接することができると、子どもも安心して元気に育ってゆきます。2時間、ご一緒に話し合う中で、家族に向き合う元気を取り戻します。
お子さんの年齢制限はありません。10代はもちろん、これから思春期を迎える小学生、あるいは思春期をまだ卒業していない20代のお子さんでもOKです。みなさんのご参加をお待ちしています。申し込み方法などの詳細はウェブサイトをご覧ください。

2011年6月21日火曜日

「準備周到派」と「臨機応変派」

ユング心理学によると、どのようにまわりの世界と接することを好むか、ふたつのタイプに分かれます。

準備周到派=「すぐに手を打ちましょう」のタイプ(判断的態度)
このタイプの人は計画や秩序に基づいて行動することを好みます。
まず判断を下し、ひとつのことに決着をつけてから、次のことに進みます。ものごとを体系立てて行い、規則正しく整理された状態を好みます。始めに決めたことちゃんとをやり遂げることに喜びを感じます。

臨機応変派=「しばらく様子を見ましょう」のタイプ(知覚的態度)
まわりの状況にあまり捕らわれず、柔軟に行動することを好みます。
計画をきちんと立てることは束縛と感じます。まわりの状況の変化に応じて、臨機応変に対処することに喜びを感じます。
このタイプの人は、仕事を最後まで引き延ばします。あれこれ思案しているだけで、あるいはほったらかしにして、なかなか仕事に着手しようとしません。結局、お尻に火がつくギリギリ最終段階になって、やっと腰を上げて一気に仕上げようとします。

このふたつのタイプはどちらが良くて、どちらが悪いという話ではありません。
どちらも良い点と悪い点があります。
準備周到派の良い点は、計画的で、きちんと締め切りを守ります。悪い点は、始めに決めたことに固執し、状況の変化に弱いことです。
臨機応変派は、状況が変わっても柔軟に対応できます。悪い点は、優柔不断で曖昧、意見や考えがころころ変わります。

他人と協力して何かをやろうとする場合、相手が違うタイプだと苦労します。
準備周到派にとって、臨機応変派の人はだらしない、決断力がない、仕事を先延ばしにして、マジメに取り組もうとしていないと感じます。
その逆に臨機応変派にとって、準備周到派の人は杓子定規で硬い、柔軟性に欠ける、キチキチしすぎていると感じます。

では、同じタイプの人同士が良いかというと、必ずしもそうではありません。
準備周到派同士だと、お互いに細かいことが気になり、計画が決まらないとイライラしてしまいます。
臨機応変派同士だと、のんびり構えすぎて、仕事が終わりません。

では、どうしたらよいのでしょう。
まず、自分はどっちのタイプなのかを知ります。何となく自分はこっちだなとわかったりしますが、いくつかの質問に答えることで自分のタイプがわかる心理検査(MBTI心理テスト)があります。手に右利きと左利きがあるように、だれしも、準備周到か臨機応変化、どちらかが得意です。その逆のタイプのようにふるまおうとすると、とてもストレスを感じます。
そのような時、自分と相手のタイプに合った振る舞いに心がければ、無理なくうまく物事を進めることができます。

私は典型的な臨機応変派と自認しています。
3月締め切りの原稿をまだ仕上げられず、編集者から鬼の催促が来ています。
明日からアメリカに出張します。アメリカの学会で、「東日本大震災の心のケア」と、「日本青年のひきこもり」というふたつの発表を行う予定です。でも、その準備をぜんぜんしていません。忙しくて時間がないわけでもありません。現に、このブログ原稿を書くヒマがあるんだったら、さっさと取り掛かれば良いものを、何となく気持ちが乗らず、ギリギリまで引き延ばしています。
この手で失敗することもあるのですが、うまくいけば、土壇場まで追い詰められた状態で、今までなかった新たなアイデアが天から降臨してきます。前の段階ではそういうことはありえません。良い言い方をすれば、降臨の時を静かに待っている具合です。
ひとりで取り組んでいる分にはそれでも良いのですが、チームで仕事をする場合は、どうしても相手に迷惑をかけてしまいます。それは、準備周到派の人だと顕著です。そういう時は、全体の見通しの計画を具体的に伝え、なるべくその枠組みを尊重するようにします。どうしても変更せざるを得ないときには、そのことを明らかにして、相手によく説明して理解を求めるようにします。(と、頭ではわかっているのですが、なかなかうまくいきません)

あなたは、どちらのタイプですか?
実は、簡単な質問に答えることにより、自分のタイプを判断することができます。

田村毅研究室では、自分のタイプを理解することから相談やセミナーを始めます。

中学生の盗癖

中学生の息子が、何度か家族のお財布からお金を抜き出すことがありました。二度としてはいけないと厳しく叱ったのですが、こりずに何度も繰り返します。買いたい物がある、というよりも、ストレスから極端な買い物をしているように思えてなりません。
子どもが小さいころ、夫とは離婚しました。
学校の保健室の先生にそっと相談したら、週に1回学校にカウンセラーが来ているから相談してみてはと勧められました。でも、子どもにどうやって切り出したらよいかわかりません。やはり、親が離婚すると子どもは問題を持つようになってしまうのでしょうか?

  • 子どもの頃の盗癖は、比較的よく見られます。将来、犯罪を犯すような人間になってしまうのかと親は心配しますが、そんなことはありません。子どもの場合、一時的な行動で、しばらく経てば収まる場合がほとんどです。
  • 子どもに精神的なストレスが加わると、それが万引きや盗癖のような問題行動として現れることがあります。「いけないことはいけない!」とはっきり伝えることは大切です。しかし、それでも収まらずに繰り返す場合、子どもや子どもをとりまく環境に、なにか気になることやストレスがないかどうか確認してみてください。
  • やはり親の責任なのか。親がちゃんとしていないからこうなるのか、、、と自信を失ってしまう保護者の方が多いのですが、決してそんなことはありません。子どものストレスは、勉強、学校、先生、友人関係など、さまざまな要因があります。確かに家族がストレスの由来であることもありますが、それだけではありません。「親の責任」「家族に問題があるから」と短絡的に考える必要はありません。
  • ひとり親だと、子どもに問題が起きやすい、、、という図式も関係ありません。確かにふたり親に比べ、ひとり親は何かとハンディを負う場合があります。しかし、それはふたり親がちゃんと協力できている場合のこと。親がふたりいても、うまく協力できなければ、むしろひとりで頑張れた方が良い結果を生む場合もあります。
  • 子どもの環境にどんなストレスがあるのだろうか?親や家族は子どもとの距離が近すぎて、客観的に判断しにくいものです。そのようなときに、第三者に相談してみることは大切です。学校の担任の先生、保健室の先生、学校カウンセラーなど、もちかければ快く相談に乗ってくれるはずです。親だけで我慢して頑張ってしまうとよくありません。客観的に見てくれる誰かの視点を含めることで、思わぬ解決策が見えてきたりします。
  • 自分の悩みやつらい気持ちを心おきなく話すカウンセリングは、ストレスの緩和によく効きます。しかし、それはあくまで本人がそうしたいと望んでいる場合です。大人は自分自身を深く見つめ、気持ちを言語化できますが、子どもはなかなかできません。女性は気持ちの言語化が比較的得意ですが、男性は不得意です。思春期の女子は、信頼できる大人に悩みを打ち明けたりしますが、男子はなかなかカウンセリングをうまく利用しません。もう少し小さい小学生くらいまでなら、言葉の代わりに遊びを用いたプレイ・セラピーを利用できますが、中学生段階は言葉も遊びも使いにくい、難しい年頃です。
  • もし、中学生本人がカウンセリングに乗り気でない場合、代わりに親が継続してカウンセリングを受けてみることも有効です。親が元気になって、子どもへの接し方を変えることができたら、子どもも元気になり、問題の行動が自然に消えていくことも少なくありません。

2011年6月19日日曜日

家族療法の考え方

内覧会にお集まりいただき、ありがとうございました。

人が集うって、素敵だと久しぶりに思いました。

そうなんです。それがすべてだと思うんです。

心の問題ってどのようにして起きるか、大きく3つに分けられます。

  1. 身体のレベル。特に心の問題の場合は脳の代謝の変化によって起きる。
  2. 心理のレベル。どう感じて、どう考えるか、気持ちレベルの変化によって起きる。
  3. 人間関係のレベル。(身近な)人との関わりの変化(ぎくしゃく)によって起きる。

どれも正しいんです。というか、この3つのレベルがお互いに関連した結果として、ひとつの「問題」として結実します。
たとえば、お父さんがリストラにあい、家族関係がぎくしゃくします(人間関係のレベル)⇒イライラ、不安感が強くなる(心理のレベル)⇒よく眠れなくなり、朝も起きれず、やる気が低下して(身体のレベル)⇒学校に行けなくなる、という具合に。
これは、わかりやすく単純化した例ですが、実際はもっと複雑に絡み合っています。

このように、心の問題をどう見立てるかによって、解決の見通しが異なってきます。

  1. 身体のレベルから攻める場合、身体、特に脳神経系に効くお薬を使います。上記の例でしたら入眠剤や安定剤を投与して、よく眠れるようにして、身体をすっきりさせるというように。
  2. 心理のレベルから攻めるには、一対一でじっくり話し合います。イライラした気持ち、不安な気持ちなどを表現し、どう考えたらよいのか気持ちを整理します。その結果、新たな見方や希望が生まれてきます。
  3. 人間関係のレベルから攻めるには、心の問題の背後にある人と人との関係性をチェックし、うまくいくように支援します。上記の例だったら、家族関係をどうにかぎくしゃくしないように調整します。ハローワークではないので、お父さんに仕事を見つけてあげてリストラ問題をどうにかするなんてことはできません。リストラという家族ストレスが加わった状況の中でも、ぎくしゃくする場合と、ぎくしゃくが軽くなる場合があると思います。そのあたりに焦点を当てます。その結果が功を奏せば、子どもも元気になって学校に行けるようになります。

この3つのレベルをうまく使い分けることが大切ですが、どこに焦点を持ってくるか、問題の性質によって異なります。

  1. 心の問題の背後に、統合失調症や自閉症など、身体の病気が隠されている場合、身体レベルの治療(=お薬)が効きます。
  2. 自分の心のありように悩み、だれかと話したい、気持ちを整理したいと願っている場合、つまり動機づけが高い場合、カウンセリングによる心理レベルの治療が効きます。
  3. 人間関係のレベルから攻めるのが有効なのは、人間関係のぎくしゃくが心の問題に大きく影響していると考える場合です。だれがそう考えるか、それは問題を抱えた本人、身近に関わっている人、あるいはそれを客観的に見立てる支援者・周りの人のいずれでも構いません。あるいは、人間関係そのものを修復したい(夫婦関係とか)も、ここに含まれます。

心の問題は身近な人との関係の中で生れ、身近な人との関係の中で癒される。

身近な人との関係の中で生まれているなあと感じる場合、人の力を借りた治療はとても有効になります。身近な人ってだれ?友人や恋人もそうだけど、家族はとても身近ですね。家族の持つ力に焦点を当てるのが家族療法です。
上の命題の「身近な人」を「家族」に限定してみましょう。

心の問題は家族関係の中で生れ、家族関係の中で癒される。

ということになります。
「家族の悪いところを治療する」
という考え方ではありません。家族のせい(家族原因論)、家族が悪いから(家族病理論)ではないんです。もちろん、完璧な家族はありませんから、家族だって悪いところはたくさんありますよ。でも、そんなことどの家族でも同じです。
家族は絶大なパワーを持っています。
そのパワーがマイナスに働くと、人の心の健康に大きなダメージを与えます。
逆に考えて、そのパワーをプラスに働かせることができると、心の問題を解決するための絶大な資源となりえます。

そりゃあ、そうだ。納得できるけど、じゃあ、どうやって?
それが家族療法なんです。
マイナスに働いてしまっている家族パワーを、プラスにひっくり返す術。
そんなことできるの?
そこが職人技なんですよ。
外科手術みたいに、職人のパワーを全開にするわけではありません。
家族の持っているパワーを使います。もともと、家族は大きな力を持っていますから、その方向性をひょいと転換してあげます。その勘所さえつかんで、要所をちょっと押してあげる。もちろん、押す時にパワーは必要ですが、家族の持っているパワーと比べたらたいしたことありません。その結果、家族は自分たちの持つ癒しの力(healing power)を使い、免疫力で傷口を癒すように、自然に問題が消えてゆきます。

人が集うと、傷つきます。
そういうことってたくさんあります。

でも、それと同時に
人が集うと、とても素敵です。

2011年6月18日土曜日

Stigmatized psychiatry vs. Positive psychiatry.

陸前高田は、日本の伝統的コミュニティはどこでもそうだが、精神医療(メンタルケア)が辺縁化されている。市の中心にあった市民病院には内科・外科はそろっているが精神科はない。市内唯一の精神科は収容型の精神病院が町の外れの山際にある。前者は被災し、後者は津波の被災を逃れた。


日本の(世界の)従来の精神医療は、正常から異常を選別し、「狂気」のラベルを貼り、偏見と共にmainstreamの社会から排除する。その前身は「座敷牢」だ。専門家の役割は、なるべく正確(妥当)なラベルづけの作業。そのために疾病論や操作的診断技術(DSMなど)が発達してきた。


私の目指す精神医療はちょっと違う。Mainstreamの中での精神医療だ。異常を対象とするのではなく、正常を対象とする。つまり、誰でも経験するnormalなlife-cycleのtransitionの中での危機を乗り越え、よりpositiveに生きるための支援である。具体的に言えば、

  • 出生~子ども~思春期~大人への発達の危機(発達課題が複雑であればあるほど、それを滞りなく達成することが難しくなる。たとえば、社会性獲得の危機としてのひきこもりなど)
  • 親密性の獲得~パートナーシップ形成における危機(marital therapy)
  • 中年期における危機(社会的役割獲得の困難さ、更年期障害など)
  • あるいは、事故・災害などによるトラウマ、対象喪失による悲哀など。

これらの問題は病気(異常)ではない。誰もが遭遇する人生の危機である。これをうまく乗り越えられないと、社会的機能が低下し、悪循環の末、結果的に病理化されてしまう。
それを未然に防ぎ、より健康に、positiveに生きるための支援を目指している。だから、診断も、抗精神病薬も必要ない。クライエントが望めば差し上げるけど、それを与えることが目的ではない。
困難さにより凍結した人生を、再び動き出すための支援は、言葉の中から生まれる。

2011年6月15日水曜日

ユニバーサル vs. ローカル・デザイン

内覧会に来てくれた、ファンクラブの方の感想。

広々ととした相談室のソファーに腰かけた時、この空間で、いろんな人が、いろんな感情と出会い、いろんな感じ方を知り、いろんな無意識を揺さぶられ、お互いの見方がほんの少し変わった気がして、お互いを前よりも尊重できるかもしれない自分に気付き、これまでのごたごたが、必要で尊いものと感じられる・・
そんな空気が流れたりするのかな、とわくわくと嬉しい気持ちとしんみりした神妙な感覚を味わいました。そして、そのリードを先生がされるんですよね。
(たぶんカジュアルな服装で)凄いかっこいい!!!楽しみ!!!

ただ、1つ残念なことがありまして・・・・。既に、お気付きかとも思いましたが建物のアプローチがスロープなしの階段でしたねっ。早い話ユニバーサルデザインじゃなかったわけで・・。

いや、指摘されるまで気づきませんでしたよ。
20件近く物件を見て回り、これに決めた私の責任ですね。
竣工したのが90年代のバブル時代だったので、内装などバブリーでしょ。でも、その頃は、universal designまで配慮が行かなかった。気づかなかった私も90年代で止まったままなのか。
でも、私の研究室の価格設定がそもそもuniversal designじゃないですよね。多くの人にaccessibleではなく、localでselected designになってしまった。それは、残念なことです。

服装もどうしようか迷っているんですよ。
Selectedでフォーマルな服装にするか。
カジュアルでいくか。
といっても、前者のような服は持っていないので買い揃えなくちゃ。というか、そもそもセンスがないので、難しいかも。ということは、後者で行くしかなさそうですね。それも、残念なことかも!?

2011年6月14日火曜日

ひとり温泉で心を整える

サッカー日本代表の長谷部誠が著した「心を整える(幻冬舎)」が書店に山積みになっていた。「心、、、」をテーマにしたベストセラーだったので手にとってみた。「孤独に浸かるーひとり温泉のススメー」という見出しが目に飛び込んだ。

孤独な時間だからこそ、できることがある。
自分にとって本当に大切なものは何なのか、そういう自分と向き合える時間を作るのに「ひとり温泉」はうってつけなのだ。

二週間ほど前、開業準備の忙しさを縫い、ひとりで草津温泉に行ってきた。草津は行き慣れた場所だ。高級志向なら老舗の大阪屋、奈良屋、益成屋。子連れで遊びたいならプールやアウトドア設備の整っている中沢ヴィレッジ草津ナウリゾートホテルが良い。でも、私が一番よく使っているのは老舗だが手ごろな村松屋だ。草津に数ある源泉の中でも湯畑の湯は肌に柔らかい。熱い硫黄泉が身体に染み込んでいく。
しかし、今回はあえて趣向を変え湯畑を見下ろす大型旅館のホテル一井にした。早々にチェックインしてひと風呂浴びてから、部屋でノートPCを開ける。ひとりだから集中できるはずなのに、なかなか気分が乗らない。夕食は宿では取らず、前々から狙っていた洋食屋どんぐりに行く。週末はひと月前でも予約が取れないほどの人気店だ。ビールと夕食後のひと風呂ですっかり眠くなってしまった。せっかくのひとり時間を有効に使おうと思ったのに。
その分、翌朝は早く起き、チェックアウトまでゆっくり部屋で原稿に向かった。

旅は道連れ。ひとりは寂しい。しかし、その寂しさを敢えて選ぶことで、家族や友人との旅とは別種の愉しさが見えてくる。帰りの電車の中でもお気に入りの本を読みながら赤ペンでメモを書き込む。時間と気持ちに余裕がないとできないことだ。
長谷部誠の本はなかなか良い。よく言われる「心を強くする」「心を治す」「心を磨く」ではなく、「心を整える」という表現は柔らかい。その対極の表現と比較するとよくわかる。
心が弱い強くする
心が病んでいる治す
心が曇っている磨く
心が弱かったり病んでいたら、それを強くしたり治すのは大変だ。

心が乱れている整える
乱れているだけなら一時的な状態。ちらかった物を整理すればよい。病理として扱うのではなく、だれでも起こりうることとして気軽に考えることができる。

本には彼なりの心の「整え方」が具体的に紹介されている。弱冠27歳で成功した一流選手に啓発され、寄るとし53歳の(成功しているかどうかはわからないが)精神科医が自分の心をどう「整えて」きたのかよく見えてくる。なるほど、こんな風に書けばわかりやすいね。そのいくつかを、今後も紹介していこう。
当研究室のセミナー男のメンタル・トレーニングも彼の本から借りてきた。

ドイツでは最近メンタルトレーナーを採用するチームが増えてきた。


治療やカウンセリングよりトレーニングという言葉が男性には受け入れやすいと思ったのだが、どうでしょう?

2011年6月3日金曜日

アイデアを形にしてゆくプロセス

家族療法の学会で今日・明日は静岡にいる。
開業準備で十分忙しいのに、押し寄せる忙しさに流されるのはイヤだ。
自分がやりたいこと、motivationを高められることを敢えて選択したい。

この時間の大会シンポジウムは興味が薄いのでサボり、ひとり休憩室でノートPCに向かっている。この後のセッションには出るから、帰るわけにはいかないので。

頭の中にモクモクと雲のように湧いてくるアイデア。それをpin downするのが難しい。漠然としたイメージの世界なので、ちょっと違うことに意識が向いてしまうと、もう消え見えなくなったりする。紙やPCに文字化して書きだそうとしても、なかなか言葉にならない。アナログなイメージとデジタルな文字の間にはギャップがある。
ツイッターで、まずとりあえず書き出す。そして、あとからそれを成型していく。乗っているときには、モヤモヤ・モクモクを描き出していくのが楽しい。だんだんとカタチになっていく。それをさらに整理して、読みやすいようにするのもなかなか難しい。書いている最中でも、どんどんイメージが発展・変形しちゃうので、ひとつのところに留まらず、拡散してしまう。

さて、こんなことを言っていないで、ウェブサイトの原稿を書かなくては!

2011年6月2日木曜日

いよいよ6月

今日も、なんだかわけのわからない一日だった。
オフィスにほぼ一日居たのも初めてかな。
事務員さんと初顔合わせ。どうぞ、よろしく!
「患者さんから電話があったら、どう対応するんですか?」
「う~ん、始めのうちは私が対応してみて、どういう風にするか考えましょう。」
消防署の火災報知器の検査が入り、冷蔵庫とPCが搬入された。
ネットは繋がったけど、プリンターはまだ来てない。
壁は出来上がり、家具もほぼ入ったのだが、僕と受付のデスクはまだ。PCを床に置いてインストール設定した。
どうも、空調の音がうるさいんですよね。業者に頼んで調べてもらうけど、いまひとつはっきりしない。話すことが商売なんで、よろしくお願いしますよ!
紹介された患者さんから電話が入った。初めての予約だな。
夕方には、前から診ている患者さんがひとりやってきた。待ちきれないよね。済みません。でも、領収書の用意がまだなんで、お代は次回にお願いします。

なんか、疲れたなあ。
大したことはやっていないのだけど、なぜか疲れた。
考えてみれば、仕事も家庭も、日常生活ってほぼパターン化され、次に何が起こるかは枠組みにおいてだいたい予測できる。しかし、今日なんかは次の展開、何が起こるかほとんど予想できない。未知の世界ですな。それが面白いと言えば面白いのかもしれないけど、なんだか疲れた。

夜は明治大でvan der Kolk博士の「震災とトラウマ」の講演に参加した。大ホールに満員の聴衆。タダということもあるけど、震災支援の関心の高さが伺われた。感情の変化が身体に影響することは心身症などなじみ深いが、身体生理学的刺激が脳に刻み込まれた感情の記憶を変化させ、癒しにつながるという構図は目から鱗だった。EMDRなども、大昔前にトレーニングを受けたものの、今ひとつ信じ切れずにほとんど使ってはいない。Psychotherapyも、感情のみならず身体へも働きかけた方が良いのかもしれない。