2020年6月25日木曜日

7月の活動予定

●▽●▽ 7月の活動予定 ●▽●▽

★7月4日(土)13:00-15:00
子どもと家族の研修会(誰でも参加できます)
大森相談室+オンライン参加

★7月10日(金)〜12日(日)10:00-15:30
古民家おひろめ会+ワークショップ

★7月18日(土)13:00-16:00
子どもと家族の研修会(誰でも参加できます)
高山村こころの診療所+オンライン参加

★7月19日(日)13:00-16:00
グループ・スーパーヴィジョン
(主に支援者向けですが、誰でも参加できます)
高山村こころの診療所+オンライン参加

以上、研修会とスーパーヴィジョンは、今月も参加費=無料といたします。
参加希望者はご連絡ください。

研修会とスーパーヴィジョンの様子はブログに逐次掲載しております。

支援者性・当事者性とスキー場

これまでは、
子どもと家族の研修会→当事者向け
グループ・スーパーヴィジョン→支援者向け
と区別していました。

しかし、今回その垣根を低くしてみようと思い立ちました。
研修会には支援者もOKです。
グループSVも支援者ではない当事者に開放します。

当事者とは、家族や自分自身に解決すべき「問題」を抱えている人。つまり患者さん(クライエント)です。
支援者とは、自分自身のことではなく、他者のために支援しようとする人です。たとえば、守秘義務を遵守できる専門職(医師、看護師、臨床心理士、社会福祉士、精神保健福祉士、養護教諭・教師、相談員など)
ということです。
「この両者は支援する側・される側という別のカテゴリーだから研修なども分けるべし!」
というのが、一般的な、無難な、というか当然の考え方です。
でも、私はその常識に挑戦したいと考えています。
なぜなら、
当事者性と支援者性は循環しているから。
というのは、私がいつもお話ししていることなのですが。
人は自分自身の人生を生きているから、他者の人生もわかるし支援できます。
しかし、みなさん
「私は問題を抱えた患者です。」
「私は患者さんを支援するプロです。」
という二分法のラベルを持ちます。ラベルがなければわかんなくなってしまいますから、まあラベルは必要なんですけど。

でも、支援者は自身の当事者性を、当事者は自身の支援者性を忘れてはいけないんです。つい、忘れてしまうのですが。
忘れてしまうと、うまくいきません。
支援者が忘れてしまうと、忘れている自分自身の当事者性を支援対象(患者さん)に投影してしまいます。しかも、そのことに気づけません。
当事者が忘れてしまうと病気が治りません。当事者は自分の支援者性に気づくことによって回復していきます。

ですから、張り付けられたラベルの色が異なるだけで、もとをただせば人はみな同じなんですよ。

支援者(医者とか)・当事者(患者とか)は、その人に与えられたラベル(色分け)ですが、支援者・当事者は、異なった概念です。

当事者性とは、自分の人生を必死に生きている主体です。主観性の世界、感性の世界であり、余裕なんかない、頑張って必死に生きています。平穏で楽しさに満たされている時は幸せだし、逆に大変な時は辛くて、困って、身動きができない状態に陥ることもあります。良くも悪くも、とっぷりその気持ちの中に浸っている状態です。まあそれがあるから幸せも不幸も感じることができるのですが。

支援者性とは、そういう自分(あるいは他者)をどこか冷めて眺めています。客観性の世界、理性の世界です。感性に流される自分という主体(あるいは他者)の気持ちを受け止めながらも、今、どういう状態で、どんな気持ちでいるかを頭で理解していて、じゃあどうしたらよいのか、解決策を理屈で考えることができます。

これは、Bowenの言う自己分化(Self Differentiation)にも近い概念です。

支援者性だけでは人生おもしろくありません。当事者性があるからこそ人生の楽しみや苦しみを「感じる」ことができます。しかし、当事者性だけで支援者性が機能していないと、気持ちのコントロールが効かなくなってしまいます。「幸せの当事者性」に浸っているときはコントロールしなくても構わないのですが、「苦しみの当事者性」に浸っているときは、そこから抜け出すために自分自身の、あるいは他者の支援者性が必要になります。

隠された支援者性を磨き、自分自身や他者(クライエントや自分の家族など)の当事者性をうまくコントロールしてあげる。

当事者さん対象の研修会も、
支援者さん対象のスーパーヴィジョンも、
やってることを突き詰めれば、上記の言葉に還元されます。
では、何が違うかというと、難易度が違うんですね。
参加者の言葉をご紹介します。

 私は当事者の立場でしたので、今回初めてグループ・スーパービジョンに参加させて頂きました。支援者の方がどんなことをされているのか、とても興味深く楽しみでわくわくした気持ちで臨みましたが、終わる頃には全く反対の感情が出てきました。
「グループ・スーパービジョンって、なんて厳しいのだ!これは自分と向き合うことだわ!しかも事例を出すことは皆さんの前で自分と向き合うこと!うわ~怖いな。。。あっ、だから事例を決めるジャンケンのとき、私はなんとなく5と4は避けてしまったのかな、、、グループ・スーパービジョン、さすが支援者向けだわ。」
これが私の率直な感想です。

スキー場で例えれば、緑の初心者コースか、赤の中級者コースかという違いなんです。
当事者さん対象の研修会は緑のコース
支援者さん対象のスーパーヴィジョンは赤のコースです。
スキー道具や滑り方自体は何も変わらないのですが、斜面の角度が違います。
斜面とは、自分の(相手の)見たくないものです。そこに滑り込んでいきます。
自分の人生の、見たくないものを見てしまうと、とんでもない感情が押し寄せて圧倒されてしまいます。
やっぱり私はダメな人間なんだ。
生きてる価値なんかないんだ。
自尊心が底をつき、落ちてしまいます。

緑のコースでは優しく滑ります。
スピードはゆっくりだし、怖ければ滑らなくても、迂回しても構いません。
赤のコースでは斜度がもう少し急になります。怖くなります。
でも、怖いから嫌だとか言ってられません。仕事で人さまを支援するためには、どうしても滑り降りなければなりません。怖さを乗り越えなんとか経験できれば、怖さが軽減します。その斜面はもう怖いものではなくなり、ほかの人が滑る支援もできるようになります。

黒の上級者コースも用意してます。
合宿スーパーヴィジョンです。
何しろ2泊3日の集中コースですから逃げられません。
合宿に参加してスキルアップしたい(と理屈ではわかる)のだけど、怖くて参加できない人が結構います。
参加してしまえば、何とかなるものなんですけど、参加するまではビビりますよねぇ。
逆に、いったん参加したらやみ付きになり、毎年参加しているリピーターさんもいます(笑)。
参加者さんの言葉の続きです。

 やることは厳しいけれども、古民家と田村先生が醸し出す雰囲気に、又この日は皆さんとお茶タイムがあったりしてなんともあったかいひとときを過ごさせて頂きました。この場にいることがとても嬉しくなりました。
 参加者の方が「今まで言えなかったことを言ってよい場、言える場」とおっしゃっていたことがとても印象的でした。

どのコースでも、支えてくれるガイドさんの存在が大切です。
勇気を出して、自分の見たくないものに踏み込み、自尊心の底に落ちてしまっても、
「それでもイイんじゃない!!」
と無条件の承認を与えてくれる人がいれば、安心して滑り降りることができます。

、、、赤塚不二夫の「これでいいのだ!」は名言ですね!

急坂でもうまく滑り降りる人もいれば、
コケてひっくり返って、グルグル斜面を転がる人もいます。
でも、しょせんスキー場は危険を排除された安全な場所なんです。
コロコロ雪まみれで息苦しくなり、何が何だかわからなくなっても、骨折などの致命傷を負うことはありません。

初めて参加される方は、どのコースを選べばよいのでしょうか?
そう迷ったら、緑のコースからどうぞ。
それを難なくこなし、物足りなくなったら、徐々に難易度を上げていってください。
自信があればいきなり赤の中級コース黒の上級コースから始めても結構です。
その結果、やみつきになるか、散々な目にあってスキーは二度とやらないことになるかは、あなたの自己責任です

、、、と書いてはダメですよと、ベテラン参加者に指摘されました。
訂正します。

スキーが大好きになるか、大嫌いになるかはあなたの判断ですが、ベテランのスキーガイドはあなたが新たに挑戦したスキーを安全に楽しめるよう、責任を持ってガイドします。

ちなみに、このリンクが去年の合宿SVの様子と、参加者からのフィードバックです。

蛇足)私は幼い頃から今でもスキーをやっています。ゲレンデで滑るときはガイドは不要ですが、危険なバックカントリー・スキーに出かけるときは必ず山を熟知した地元のガイドさんと同行します。

2020年6月23日火曜日

言葉が心を変える

2020.6.20-21.
先週末は
土曜日に、子どもと家族の研修会(参加者は3名)、
日曜日に、グループ・スーパーヴィジョン(参加者は9名+オンライン2名)
を行いました。
まず、参加者からの振り返りをご紹介します。

 専門職の方々とご一緒させて頂き、緊張しながらも初めて参加させて頂いたGSV、すみません 家族療法とは少しポイントが離れたケース提案だったかと思いますが、とても勉強になりました。

いえいえ、ポイントはずれてませんよ。
家族が話題にのぼらなくても、本人と本人を取り巻く人間関係についてのお話だったので、家族療法の考え方そのものです。
それに、ここで提案するケースは、家族療法うんぬんにこだわる必要はありません。
どんなケースでも、どんな視点でも構いません。

 今回は先生が寝室としてお使いになられているお部屋での研修会ということで、また雰囲気が違いました。
 最初にお部屋に入って目に入ったのが昭和時代、いや、もっと昔?を彷彿とさせる「ちゃぶ台」!なんだかこのちゃぶ台を囲んでの会の雰囲気に妙に落ち着いてしまいました。人数も少なく、参加者の方とも初対面ではなかったので、じっくりと話すことができて「繋がり」を感じることができました。
 会の中で先生から、「なぜお子さんは回復したのですか?」との問いに一瞬答えに詰まってしまいました。意外でした。私なりにわかってたつもりがよくわかってなかったのかな。。。改めて今振り返りました。
 子どもがうつ状態になったことで本当に心の底から感じた「学校行かなくていい。生きていてくれればいい」という私の感情。スキンシップをたくさんして、なんとか家の中では生活できるようになり、しかし外へは出られない日々が続く、、、。
 田村先生のもとで家族療法に取り組みました。その中で、夫の一言で私の気持ちが変わり、夫婦関係が変わり、親子関係が変わりました。子どもに対して「守る愛」から「放す愛」に変わりました。私が「放す愛」を学びました。親子3人の間で本音を話すというコミュニケーションに最初はカウンセリングの場で挑戦して、徐々にカウンセリングの場でなくてもなんとなく言えるようになってきたと思います。夫の存在が心理的に近くなり、私自身が家族の中に安心を感じるようになりました。
 少しずつ少しずつ、新しいコミュニケーションを慣らしていくうちに子どもも少しずつ回復してきて今に至っているように感じます。
 これは私の振り返りですが、子どもにも「なぜ自分が回復したと思う?」と尋ねてみました。すると、「田村先生が『もうウツは治ったよ。少しずつ良くなっていくよ』と言ったから。お医者さんが言ったから大丈夫だと思った。ママが言っても医者ではないから」と。
私の変化は夫の一言で、子どもの変化は田村先生の一言のようです(笑)。

「一言」の言葉は人を回復に導きます。

言葉は人を変える力がある。
というのは、誰でも経験しているし、説明しなくても納得できると思います。
それができれば、薬を使う必要もありません。

家族の力は絶大です。
家族の言葉で、人の気持ちはとても変わります。
良い方向にも、
あるいは、悪い方向にも。

この子のように、私の言葉で患者さんが変わることもあります。
でも、せっかく家族という大切な資源があるのですから、家族の言葉を使わない手はありません。
悪い方向ではなく、良い方向に変わることができる言葉を、家族がお互いに伝え合える土俵(下地、文脈)を用意するのが私の役割であり、家族療法の考え方です。

2020年6月21日日曜日

古民家療法13) 古民家おひろめ会

内覧会とワークショップを開きます。


2020年6月15日月曜日

古民家療法12) 二ヶ所拠点の生活

二ヶ所拠点の生活が始まった。
毎月、4-5日間は東京に戻り、診察と雑用を済ます。
今月も先週木曜の晩から東京に戻り、月曜の晩に高山村に帰ってきた。

☆木曜の晩は友だちと夜の繁華街で遅くまで呑み、
★金土の晩は子どもたちと飯を食った。
☆東京の家は三人の子どもたちに任せてある。彼らもテレワークと大学のオンライン授業で家に閉じこもり、いい加減ストレスを溜めていた。
★IKEA港北店で家具類の買い出し。ベッドやソファなど、重点項目は良いお店で揃え、非重点項目はニトリ、イケア、カインズなどでコスパ重視で選ぶ。
☆行きつけの歯医者さんに行き、群馬北部の知り合いの歯医者を紹介してもらった。
★広尾開業以来十年来お世話になっている税理士さんと打ち合わせ。

まあ、盛り沢山の用事をこなしてきた。
そして高山に戻る。
東京・横浜は蒸し暑く、雑踏はゴミゴミしていた。
高崎・前橋あたりまでは都会の延長で、蒸し暑い。
渋川まで来ると少し空気が変わり、
山を越えて高山村まで来ると、空気が完全に入れ替わる。
田んぼの中を、ヒンヤリ涼しい空気が吹き渡る。

戻る場所が二つある生活。
今まで私のふるさとは、子ども時代に親と帰省した群馬や愛媛だと思っていた。
こうやって東京から離れてみると、東京も私のふるさとだったんだ。
都会の雑踏が懐かしい。
子ども時代から雑踏の中で生活していた。
小学生はラジオ作りやアマチュア無線にハマり、秋葉原の電気街(今はオタク街となっている場所)をウロウロしていた。
高校は都心の靖国神社の隣だった。
桜の季節には授業をサボって、北の丸公園の千鳥ヶ淵のボートを漕いだり、
神保町の古本屋街とスポーツ用品店街にもよく行った。
新宿は紀伊國屋、桂花ラーメン、歌舞伎町のジャズ喫茶「木馬」が定番だった。

ひとりでうろうろした街の雑踏が懐かしい。
東京も過去の街になったから、懐かしく回顧できる。

、、、とか、ノスタルジックなことを言っている場合でもないんだ。
東京も群馬も昔ではなく、今を生きている。
東京のオフィスでは前からのクライエントの診療で忙しい。
スーパーヴィジョンもある。
もう積極的には新患を取らないけど、知人からの紹介やウェブサイト経由でやってくる。
群馬でも同様だ。
新たな生活の枠組みを整えつつ、仕事も始めていく。

楽しいけど、大変だ!
なんでこんな生活を選んでしまったのだろう??

6月14日グループSV)レジリエンス発現の場

6月14日(日)午前中のグループSVは、
現場での参加が1名、
オンラインでの参加が10名、
計11名で行いました。
参加者からの振り返りを紹介します。

まず、初参加の方から。

 初参加ということもあり、少し緊張してしまいましたが、とても有意義な時間でした。
 教育現場など、第一線で活躍されている方々多くいらっしゃいましたが、私のようなあまり専門的な知識や経験のない者が、意見を述べて良いものかどうか、少し躊躇してしまいました。このような状態での参加でもよろしいでしょうか?
 来週も参加したいと思いますが、参加費等々の事を聞くのを忘れてました。どのようなシステムで、どうしたらいいのか教えてください。
 また、出欠はその都度先生の方にお知らせする形でよろしいのでしょうか?

人を支援するのに、知識や経験も必要だと思いますが、それだけではない、もっと大切なものがあると考えています。それをSVでは皆さんとともに見つけたいと思います。私自身も、それが何だか、よくはわかっていないんですよ(笑)。
専門的な知識を体系的な形で伝授する機会も、このグループSVとは別に作る計画です。
コロナ禍対応と、高山村こころの診療所オープン記念で、9月ごろまでは無料で行います。
今年度下半期からは参加費をお申し受けいたします。
はい、参加希望はその都度ご連絡ください。

 今回は先生の診療所に何人かがいる状況でのzoomでの参加でしたが、全員がzoomではなくとも円滑に行えるのだと感じました。普段は出会えない群馬県や北海道の先生方のお話も聞けたので非常に有意義でした。
 一つ目の事例については、母が依存していることとそのキーパーソンを決めていくことが重要だと学びました。子どもへの支援から介入していき、社会的資源を活用しながら母を支援していくことが大切だと学びました。
 二つ目の事例は、SCとしての環境設定が結果的に家族のレジリエンスを引き出したのだと学びました。「安心不登校ライフ」のような素敵なネーミングは、家族を安心させ元気づけるものだと感じました。

一つ目の話題を提供した方からです。

 今日は事例を皆さんに考えていただき、ありがとうございました。
 お母さんも、息子も、そしてお姉ちゃんもそれぞれに相当な支援が必要な家族。人は誰かに支えられて生きているのですが、教員としては、子供が自立して生きていく力を付けていきたいと常に思っています。そこをまず中心に据えて、私が出来る事、SCさんが出来る事、管理職が出来る事、などを整理しながら、かかわる者達での情報共有、整理をしていこうと思います。こちらの主観だけでは偏りが出てしまうので、きちんと客観的な情報の整理をした上でこの事例に向かい合うべきだと感じました。

 一時期zoom疲れがあり、久しぶりの参加となりましたが、やはり事例について様々な視点から話を聞くことができとても有意義な時間でした。
 今回は2つのケースを扱いましたが、振り返ってみると、最初に田村先生から話にあった「支援者と当事者」の関係性について改めて考える時間となりました。保護者は、子供の支援者でもあり、親としての当事者でもあり、それは切っても切れない関係であるとケースを通して改めて感じました。教員も、当然のことながら子供や保護者の支援者であり、近くに行けば行くほど当事者的な色合いが濃くなるようにも感じます。スペクトラムのようなイメージでしょうか。自分が今どのような役割でそこに存在しているのかを常に客観的に捉えておく必要があると感じました。また、保護者が家で子供に関わる際も、そういう考え方があるということを教員と保護者とが共有することで、さらに見えてくるものがありそうだと感じました。まずは、自分の存在の役割と意味を考えながら過ごしてみたいと思います。

「支援者と当事者」という観点から付け加えると、教員は職場(職員室)の中では完全に当事者ですよね。管理職・学年・養護・SC・校務分掌など、様々な関係性が錯綜する中で、どう自分の役割を見出していくかが大切だと思います。

明日からの学校再開を控え、現場の様子をゆっくりシミュレーションする機会となりました。
高校でも、このような過程を経て入学してくるのだろうと、色々考えながら、聞かせていただきました。高校でも、ようやく最近では、児童相談所や子ども家庭センターとの連携が日常化されてきつつありますが、管理職が少々ピリピリしていますので、必ずしも円滑とはいえません。
今年は、入学式が中止された一年生の担任で、明日からは保護者との初めての懇談会が始まりますので、特に、中学校の時に不登校だった家庭には「安心不登校ライフ」を私の中のキーワードにしてみようと思います。

 聴くこと、話すこと、見ること、感じること、意識すること、考えることって大事なことだと改めて感じた研修でした。皆さんとお話しする中で、「そうだ、私、いつもこんな風に思っていたじゃない」と我とわが身を振り返ることができました。
 「どんな苦境にあってもそれを跳ね返すしなやかさがそもそも人間には備わっている」とういリジリエンスの考え方は、支援する者にとっても、当事者にとっても希望が持てます。それを信じ、その人の持つ強みを生かし働きかけ、共に未来を描くソーシャルワークに可能性を感じました。
 マイケル・ウンガ―は「レジリエンスとは重大な逆境のもとで、自らの幸福を維持するための個人の持つ心理的、社会的、文化的、身体的、社会的資源に舵をとるための能力であり、なおかつ、それらの資源が文化的に意味のある方法で提供されるよう折り合いをつける個人的、集団的な能力である」と言っています。たとえリジリエンスが備わっていても、それを発現させるためのきっかけは必要です。しかも提供される資源が本人にとって価値あるものでなくてはなりません。私は、当事者・支援者協働して価値を創造するソーシャルワーク、対話による協働がリジリエンスを発現させるのではないかと思っています。「人の心を動かすものは人なんだな。リジリエンスを発現させるのはやっぱり対話なんだな」と実感する研修でした。
 オンライン研修は、全国の多様な地域、立場、職種の方々が一同に会す貴重な機会です。
このような機会を提供くださったことに、心から感謝します。あまり外見に気を配れない私でしたが、画面に映る我が身に驚きました(笑)!自分のことが自分自身、一番わかっていなかったことに気づき、あわてて美容院に飛び込みました。画面に自分が映ることで否応なしに自身をふりかえれる。オンライン研修の副産物(笑)に感謝します。

期せずしてレジリエンス(Resilience)が今回のキーワードになりましたね。
レジリエンスを発揮させるのは対話、、、
そういう意味では、この研修会・スーパーヴィジョンは参加者にとってのレジリエンス発現の場になれば嬉しいです。
私自身にとってもそうなんですよ!

2020年6月14日日曜日

救える命もあるけれど、救えない命もある

6月13日の「子どもと家族の研修会」には4名のご参加、全員オンライン(zoom)でした。
参加者からのフィードバックです。

田村先生の臨床観に安心感を覚えた。
「救える命もあるけれど、救えない命もある。」
この言葉がとても響いた。
支援者として仕事をするとき、「ミスは許されない」という覚悟をする。それは当然で異論を挟む余地はない。しかし、どこか違和感を感じていた。その違和感をハッキリ自覚した。それは「支援者としとの万能感」ではないのか?「支援が奏功すれば、クライエントは改善する」という前提にたち、「これまでも支援は成功してきた」という奢りがあったのではないか? 支援者は、「救えない命もあるけれど、全力を尽くす」という地に足をつけた謙虚さが必要なのではないか?
この姿勢を忘れてはいけないと思った。そして、今さらこんな大切なことに、今頃気づく自分に失望した。

いや、別に失望しなくてもイイと思いますけど(笑)。
これは支援者目線の文脈でしたね。
自分のクライエントを、
自分の家族・子どもを、
支援しても上手くいかないことがあります。
十分にしてあげられなかったんじゃないだろうか、、、
不適切だったんじゃないだろうか、、、
そんな不安に駆られます。
上手くできて当たり前、失敗は許されないと考えると、
上手くいかない自分はダメなんじゃないだろうか。
支援者として未熟・不適切なんじゃないだろうか。
そう考えます。
それは悪くはないと思います。そう考えることが、もっと上手くなりたいという動機づけになりますから。
その流れの中で、冒頭の言葉が出てきたんですよね。

私は、以前「いのちの電話」の相談員さんたちの研修を担当していました。
多くの方々が匿名で「生きているのが辛い、死にたい」などと訴えてきます。
相談員さんたちは一生懸命話を聞いて、なんとか生きてもらおうと願います。
しかし、電話を終えたあと、その方がどうなるかわかりません。
自殺を抑止できたかもできない。
できなかったかもしれない。
相談員さんたちは、その不安に向き合わねばなりません。

病院では、多くの患者さんたちが亡くなっていきます。
医療者はベストを尽くします。
しかし、人の死亡率は100%ですから、みなさん亡くなります。
それがいつ起きるかという違いだけです。

支援者の力なんて、ちっぽけなものなんだと思います。
人のいのちは、人の心は、大きな全体の力のダイナミクスの中で動き、進化しています。
そこに支援者が関わり、うまい方向へ変更しようとします。
それが上手くいくときもありますが、それほど容易いことではありません。
支援者の力量うんぬん以前の問題です。
自分の力のちっぽけさを受け入れれば、その範囲内で、ベストを尽くすことができると思います。

2020年6月11日木曜日

天井のスス払い

新しい(古い)家に住み始めて3週間。
今までの生活をリセットして、新しい場所でイチから再出発するのは楽しいけど、大変です。
やっと、洗濯機と掃除機と冷蔵庫と食器・鍋類が入りました。
食事を作ったり、風呂・洗面所・トイレは使えます。
しかし、、、

食卓の椅子がまだ来てません。⇒低い椅子で代用してます。
光回線がまだ入っていません。⇒ネットはスマホのテザリングでなんとかしのいでいます。
テレビがまだ入ってません。⇒壁掛けにしたいので、買う前に壁の工事をしなくちゃ!
ベッドがまだ入ってません。⇒板の間に布団を敷いてます。
ソファーがまだ入ってません。⇒のんびり座ってくつろげる場所がありません。
お茶碗とお箸は揃えたけど、洋食器とカトラリーがありません。⇒IKEAに買い出しに行こう。
こう書いてみると、古民家なのに、生活スタイルは古民家風じゃないですね!

天井は昔のままで手を付けませんでした。
すると、時々、ポツポツと天井から黒い粒が落ちてきます。
週末にまる二日かけて天井のスス払いをしました。
いや、太い柱と天井をこすると、ものすごい量の煤がボロボロと落ちてきます。
家の中で囲炉裏だか燃やしていたんでしょうね。百年分の煤が落ちてきます。黒光りする太い柱はススだったんですよ。
床を全面ビニールシートで覆い、脚立に乗って、防塵服・帽子・ゴーグル・マスク・軍手と完全防備したけど全身真っ黒け。ずっと上を向いてタワシでごしごし、へとへとにくたびれました。

こうやって新しい生活スタイルを作っていくんでしょうねぇ。
振り返れば、これも楽しみのひとつなんだろうけど、やってる最中は、もう大変ですよ!

思えば10年前、広尾で開業を始めた時は、還暦過ぎてからはきついから、50代のうちに新しい生活を作って、退職後もジタバタせずにのんびりしようと思って大学を早期退職したのに、、、
この歳になってもジタバタしてますよ(涙)。。。

2020年6月7日日曜日

古民家療法11)移住のきっかけは?


Q)移住(多拠点)居住を考えたきっかけなどございますか?

1)直接のきっかけはスキーですね。
ここ5-6年、バックカントリー・スキーにハマり、ガイドさんがいる月夜野ベースによく泊まり込んでたんですよ。
仕事を終えて新幹線で上毛高原へ。駅に迎えにきてもらい、スキーの後は温泉に入り、食事をする場所や大きなスーパーもあるし。
山の中の田舎でもけっこう生活できるじゃん!と思いました。

でも、その背景には若い頃からの経験がありました。

2)田舎暮らし
25年前に草津温泉の近くに小さな中古別荘を買ったりして、田舎暮らしには若い頃から志向していたのだと思います。

高校時代は山岳部でよく山に登っていました。私は海派ではなく山派なんでしょうね。山を見たり、山に囲まれるとテンションが上がるんですよ。

3)ふるさと回帰
もっと前にさかのぼれば、子ども時代、父親の実家である四万温泉に家族とよく帰省したんですよ。
そのイメージが残っていて、親のふるさとへの回帰願望みたいなのがあったのでしょうね。
私自身は東京生まれ・東京育ちですが。

4)アウトドア派
人間、アウトドア派とインドア派に分かれるみたいですね。
私はOutdoor派。
元の妻も、今の妻もIndoor派。
子どもたちも、娘はoutdoorだけど、息子二人と今の妻の子ども二人もindoorみたいです。
Outdoor派の人にとって、外にいる方が、田舎にいる方が落ち着くみたいです。
私がなぜ田舎が好きか、山が好きかと問われても、答えようがない。幼少期の体験とも言えるだろうけど、やっぱりoutdoorってのは元からあったみたいです。
だから、改めて考えることなくても、田舎暮らしは私にとっての自然の成り行きなんでしょう、きっと。

Q)移住を決めた時、どんなところに相談しましたか?

有楽町の交通会館にあるふるさと回帰支援センターに行きました。
そこで群馬県の移住フェアみたいなのに行き、市町村の移住コーディネーターさんたちに出会いました。
前橋市、沼田市、中之条町、高山村のコーディネータさんたちが「チーム田村さん」ライン・グループを作ってくれて、あちこちの物件を紹介してくれて見て回りました。沼田市のトライアルハウスにも何度もお世話になりました。渋川市とみなかみ町も見て回りたかったのですが、コーディネータさんとは繋がりませんでした。市区町村によって温度差があるんですね。みなかみの町役場も訪ねたんですけど、物件のファイルをポンと渡されただけで、あまり相談には乗ってくれませんでした。

25年前に別荘を探していた時は、群馬ばかりでなく長野県の軽井沢や八ヶ岳山麓も見て回りました。
しかし、今回は群馬以外は考えませんでした。
やはり群馬が私の「心のふるさと」なのでしょう。

物件の数は前橋や沼田の方がたくさんありました。
でも雰囲気的にピンとくるものがなかったんでしょうね。
前橋の赤城山麓は前橋市を見下ろし、榛名山系を遠景に良い風景でした。
沼田の河岸段丘も良かったです。
でも、心には響かなかったのだと思います。

高山村は物件がほとんどありませんでした。
でも、中山盆地の雰囲気にはなぜか心が落ち着きました。盆地の集落、間近に見上げる子持山と三並山の風景にピンときました。

沼田市で古民家を見に行きました。
家主さんと折り合いがついていないし、かなり痛んでいる部分もありました。
しかし、なぜか心を惹かれ、その後、古民家をいくつか見て回りました。
でも、古民家は難しいんですよね。空家はあっても、先祖からの家ということで持ち主さんはなかなか手放さないし、不動産屋としても利幅が少ないのであまり扱っていないそうです。
そんな中で、高山村の移住コーディネーターのさきちゃんが、持ち主さんとも交渉してくれて、今の物件にやっとたどり着けました。

Q)高山村で、やってみたいことはありますか?

妻とゆっくりとした時間を過ごすこと。子どもたちは巣立ったので(若干、一人まだ残っているが)。
妻とオープンキッチンに立ち、ゆっくりとご飯を作る。
夏はオープンデッキで、冬は薪ストーブでスローフードを楽しむ。
冬はスキー三昧。

安心できる場所で、少数の人と関わり、真の意味で心の健康を取り戻す。
私が精神科医として経験してきたことの集大成でもあります。

妻)
別にないよ。のんびりしたい。
家庭菜園だな。味噌作り。
裏庭で取れた筍で、筍ご飯を食す。

Q)多拠点の移動は大変ですか?

妻)
はい、大変です。車の移動で荷物を運ぶのが。 

私)
高山村:東京(大田区)間は車で移動しないです。妻はやってますが。
高山・渋川間だけ車で、渋川・東京間は電車で。急ぐ時は新幹線だけど、そうでない時は湘南新宿ラインでのんびり移動してます。

Q)楽しさなどもあれば知りたいです。

自然を身近に感じる暮らし。空気が澄み、人がそんなにいない。
今までの生活をリセットして、自分のやりたい新たな生活をイチからスタートさせること。まだ始めたばかりですから。
すごく大変ですが、やりがいはある。

(妻)
鳥の囀りと共に起きれる。起きてないけど。
景色がいい。
朝6時のチャイムはやめてほしい。(音がでかいんですよ)

2020年6月4日木曜日

6月の活動予定

東京大森と、群馬高山村における今月(6月)のイベントをご紹介します。
参加を希望される方は、来訪・オンラインとも、事前にご連絡ください。

*6月13日(土)13:00〜15:00
子どもと家族の研修会(誰でも参加できます)
大森相談室+オンライン参加

*6月14日(日)10:00〜12:00
グループ・スーパーヴィジョン(主に支援者向けですが、誰でも参加できます)
大森相談室+オンライン参加

*6月20日(土)13:00〜16:00
子どもと家族の研修会(誰でも参加できます)
高山村こころの診療所+オンライン参加

*6月21日(日)13:00〜16:00
グループ・スーパーヴィジョン(主に支援者向けですが、誰でも参加できます)
高山村こころの診療所+オンライン参加

コロナ禍への配慮、および古民家オープン記念として参加費=引き続き無料といたします。

ーーーー
今回から下記の点を変更します。
@高山村でのミーティングを2時間から3時間に延長します
古民家では、従来より時間をゆっくり流したいと思います。
十分な時間をかけ、途中に休憩を挟みながら、交流しましょう。

前回のミーティングの様子です。

@グループ・スーパーヴィジョンには、支援者だけでなく、どなたでも参加できます
今までは、支援者限定(医師、カウンセラー、ソーシャルワーカー、教師、相談員など)でしたが、今月から一般の人たちにも開放したいと思います。
会の雰囲気は、今までと同様、支援者目線です。
SVの目的は、実際の事例にどう関わるかという話し合いを通して、支援者のスキルアップ・成長を図ることです。
その根底には、支援者性と当事者性は循環している、つまり全ての人は大切な人と関わる当事者であり、大切な人への支援者であるという視点があります。
支援者として成長するためには、支援者自身の当事者性に気づくことが重要です。
カウンセラーや教師はクライエントの支援者であると同様に、
親は子どもの支援者であり、
夫婦はパートナーの支援者です。
そのような視点から、みなさん「支援者」として参加していただきます。
プライバシーに十分配慮した上で、参加者が抱える「事例」について安全に話し合います。
オブザーバー(観察者の立場)として参加することもOKです。

前回のミーティングの様子です。

@子どもと家族の研修会には、来訪参加をお勧めします
オンライン参加も可能です。しかし、コロナ禍もだいぶ落ち着いてきたことですし、来訪参加をお勧めします。
この会では当事者目線で語り合います。
当事者目線で自分を語ることは、支援者目線で他者を語ること以上に深いコミットメント(自己開示)を求められます。語り合う人同士の信頼関係が大切です。バーチャルの関係性でも可能ですが、リアルな関係性の方がより効果的であると思います。

@オンラインでは、Zoomのチャット機能、ホワイトボード機能を活用します
今まで、私もこの機能を十分に使いこなせていませんでした。
文字による話し合いを重ね合わせたり(チャット)、ホワイトボードを使うと、より効果的に交流できます。
そのためには、スマホよりはPCを使うことをお勧めします。

参加希望者は、田村までご連絡ください。

2020年6月1日月曜日

古民家療法10)リノベ初のグループSV

いや、新居で新しい生活を始めるのは思いのほかクタびれますね。
今日は注文してあった冷蔵庫と洗濯機が届きました。
生活を一つひとつ整えるのは新鮮でワクワク楽しいと共に、大変ですよ!!

そんな中で本日も2時間、古くて新しい民家でグループ・セッションを行いました。
古民家に来訪していただいた方が2人。
オンラインでの参加が6人でした。
まず、皆さんからのフィードバックを紹介します。

 オンラインでの研修に初めて参加しました。
 実際に会場に出向き、直接お会いしてお話を伺うのとオンラインでは雰囲気が異なるのではないかと想像していました。しかし、実際に研修が始まると、会場で参加している時と何ら変わらない温かな雰囲気が流れていることに気づきました。
 普段、周囲の人たちから余り緊張しないように思われがちな私ですが、人並みに緊張もします。オンラインでの参加は初めてでしたので、画面の操作など、それなりに緊張しました。それでも、そばで飼い猫が寝そべる大好きな場所から参加できることは、この上なく安心でした。
 「自宅のリラックスした雰囲気の中で意見交換できるオンライン研修は、家が大好きな私にぴったりだ。しかも、離れたところにいる人たちと意見交換できるなんて、素晴らしい~❗」と思いました。
 事例を提供された方の「この人たちのために、できることを何でもしたい」という熱い思いが伝わってきました。支援者自身が当事者になる事例検討は、他者の視点を意識できる絶好の機会なのだと改めて感じました。
 意見交換する中で自分では今まで気づかなかったことに気づける。グループ・スーパービジョンの良さだと思いました。私自身、皆さんとお話しする中で、支援の終結と評価を念頭に置き支援を開始する必要性を改めて実感しました。聴くこと、見ること、感じること、考えること、書くこと、話すこと、フル回転のオンライン研修でした。
 そこで、1つ提案なのですが、事例を提示するのにホワイトボードの機能を使って、情報を共有してみてはいかがでしょうか?手近にあるメモ用紙にそう思うとか書いて画面に出すアナログさもあっていいなと思います。
 次回のオンライン研修、楽しみです。田村先生の素敵なお住まいにお邪魔したくもありますが(笑)

田村)
どうぞ、ご来訪ください(笑)
ホワイトボード機能を含めた「画面共有」機能とか、「チャット」機能を使いましょう。
実は私もZoomは十分にその機能を使いこなせていないんですよ。参加する皆さんもzoomに慣れて、これらの機能を使えるようになると、より効果的なオンラインSVになりますね。

ケース1について
ケースの整理するプロセスの中で、誰の主訴でケースを動かしているかについてコメントした際に、田村先生も似たような視点でケースをみておられたということで、自信になりました。
ケースに2について
ケースの終結は、デリケートなテーマだと改めて思いました。クライエントから評価をもらうという指摘は、それまでのケースの振り返りを含むことになるわけですから、終結する際に、そのような時間を設けることはとてもよい事だと思いましたし、改めて意識化されたことが収穫でした。
 というのも、私は仕事から講義を行いますが、毎回、講義の感想を書いてもらっています。これは、講義の評価に他ならないわけで、何が役に立ったのか、改善できる点はないかの評価をもらうことで、次の講義に反映させるようにしており、教員としての成長(しているかどうかは分かりませんが(汗))につなげているつもりです。また、田村先生のWS後の1人1言も、同様の構造ではないかと思った次第です。
 毎回、いろんな発見があります。私にとって、このワークショップは宝箱を開けるような、そんなワクワクする時間です。

田村)
 参加者から講義のフィードバックをもらうというのは、私もやっていましたよ。
 当初は紙にアナログで書いてもらっていましたが、途中から期限を決めてメールで送ってもらいます。そして、それを匿名化して、時々このように私からのコメントを加え、プリントアウトして、「家族関係学(という講義でした)しんぶん」という名前で次回の講義で配布します。毎回フィードバックを送ることを小テストみたいに成績評価の一部にしていましたから、学生たちマジメに送ってきます。教える側(教員)へのフィードバックのみならず、参加者たちもシェアできて、考えを深めたりして、興味深く読んでいました。3-40名くらいの授業でしたから結構手間がかり、一学期にひとコマの授業しかやりませんでしたけどね。
 要するに、このブログ記事と同じ構造ですよ。
 続けて参加者からです。

 昨日はケースを扱っていただきありがとうございました。思い切って古民家診療所に伺い、検討をお願いして大正解でした。
1)まず、診療所に伺ったこと。
鳥のさえずりや澄んだ空気、古民家の落ち着いたしっとりした空気。木の匂い。こういう環境って人の気持ちを素直にさせるのだなあ開放してくれるのだなあと、まさに私自身体感しました。SC室も少し環境を整えるかとか。
2)1日経って思うことは、私自身クライエントの行動等の細部に目が行ってしまい、クライエントの気持ちや全体的なことが見えなくなっていたなあということです。学校現場の忙しい雰囲気に私も飲み込まれているのかもしれない。心理職は自分1人。悶々とする中で、原点に戻り自分の立ち位置を再確認した気持ちです。
 私自身の傾向も改めて皆さんからのコメントで、そうなんだよねーという感じです。こそばゆい感じでした。
静かな澄んだ空気の中で私もリセットして6月1日を迎えた気持ちです。ありがとうございました。また参加させていただきたいです。