2020年12月17日木曜日

家族ミーティング:繋がることで癒される

12月12日(土)に行われた家族ミーティング
参加者からの振り返りをご紹介します。

今回のミーティングでは、繋がりについて改めて学びました。
数日前に日常生活で心情が波風立つ出来事があり、自分で客観的に解決できるレベルでしたが、こういうことがあったとミーティングで吐き出したいと思っていました。頭では冷静に思っていても、どこか不安感があり夜はあまりよく眠れなかったりしていました。
そのことを皆さんに打ち明けて、そして皆さんから反応をもらって、それがとても安心しました。そして、他の参加者の方もおっしゃっていましたが、参加者の方々と共通することを感じて「繋がり」を感じました。この「繋がり」が安心するんだと改めて実感しました。
自分の中の支援者性でネガティブな感情はコントロールできましたが、どこかで不安感が残っているのを感じていて、それがミーティングでの対話によって皆さんとの繋がりを感じ、残っていた不安感が安心になるのを感じました。安心を感じるということは癒しにもなりますね。癒されて元気にもなりますね。
ああ、だから私は毎回ミーティングで元気をもらって帰っていたのかと合点がいきました(笑)
私は毎回参加しているので少し慣れてしまっていた感がありましたが、古民家という先生のお宅、薪ストーブの柔らかい暖かさの中で、田村先生の半分プライベートを解放してくださっている空間、田村先生のご家族の様子も感じながらのミーティングが本当に貴重な場であると改めて実感いたしました。先生ご自身の生き方に触れさせて頂くことが、私の癒しになっているのかもしれません。

この日はたまたま東京の会社に勤めている娘がパソコンを持ち込んで、古民家でリモート仕事をしてました。ミーティングを行う土間はキッチンと引き戸で隔たれています。その引き戸を半分開放し、休憩時間には妻がお茶と参加者が持ってきてくれたお菓子を出してくれます。

通常、こういうことはご法度なんです。
保健所に診療所を申請する際、仕事場とプライベートの生活空間をちゃんと区切ることが求められています。わざわざ確認のため見に来るんですよ、ふつうは!
公私の間に境界線を設け、混同しないようにちゃんと区切りましょう!
ふつう、そう考えますし、それは間違ってはいません。
しかし、私はあえてそこを崩します。
私情(プライベート)を排除して、公的な顔(パブリック)をして仕事をします。
それを混同してはいけません。
しかし、そう簡単ではないんですよ。壁を作って区別しても、公私は繋がってしまいます。
そのメカニズムをちゃんとわかっていないとごっちゃになってしまうんです。
精神科医やカウンセラーなどの支援者は、自分の悩みを気づかぬうちにクライエントに投影したり、、、
親は自分の悩みを気づかぬうちに子どもに投影したり、、、
夫婦の間でも同様なことが起きます。。。
主観性と客観性はそう簡単に分けられるものではありません。心の中で繋がっています。
だから、保健所が言うように公私の間に壁を作るのではなく、半分開放して相互に行き来できるようにして、あえて繋げます。
支援者は悩みを抱えている主体であるからこそ、クライエントの気持ちに寄り添うことができます。
自己を投影せず純粋に相手に共感するためには、自分自身の悩みが何であるか、しっかり把握していることが求められます。
自分の悩みに蓋をしていると、気づかぬうちに漏れ出て相手に投影してしまうんですよ。
そのあたりがよくわかっていない人は、無理せずに壁を作っておいた方が安全です。

分断すると不安になるんですよ。でもそれは隠し持っている自分の弱さを守るために必要なことなんです。(アメリカのトランプ大統領のように)
自分の弱さを認め、それを含めて繋げてあげると安心します。(クリントン元大統領もそれをやってましたね)
これが私の生き方でしょう。

2020年12月2日水曜日

家族療法教室(2):家庭内暴力と祖父母の役割

2020.11.28.(土)
事例から学ぶ家族療法教室2では、家庭内暴力の親子と祖父母の役割というテーマで、私が関わった家族事例を紹介しました。
その事例についてもブログで紹介したいと思いますが(書くのに時間がかかるので)、とりあえず参加者からのフィードバックを紹介します。
 
関係性の世代間伝達のお話、とても印象的で、事例を通してお話頂き、納得出来ました。
自分自身の家族との関係性についても改めて振り返るきっかけとなりました。
子どもに問題があって、その子を何とかしたいと思ってしまいがちですが、実は関係性の問題なのですね。自分自身の不安や葛藤を無意識のうちに全てその子のせいにしてしまっているのですね。
私の原家族における関係性の問題が昨日のお話でクリアになりました。
(私がクリアになっても仕方ないですが(注1)
頭では分かっていても、とっさの時には本能的に反応が出てしまうものですね。
その辺り、すぐにはどうにもならないかもしれませんが、自分でわかっているのと、そうでないのはだいぶ違うのかなと思いました。関係性が、変わっていけるような気付きのきっかけと、自分で気づくことが大事なのかなと思います(注2)
不安が解消されることで人と繋がれる安心感を得られて関係性が変わるお話(注3)、亡くなった後でも繋がれるお話(注4)、心がほぐれるようなお話がたくさん聴けて。暖かい気持ちになれました

注1)いえいえ。支援者が自身の家族の当事者性に向き合い、クリアすることは、支援者性を発揮するうえでとても大切なことですよ。

注2)「自分で気づく」のは精神分析療法や認知行動療法の考え方です。家族療法ではそこをさらに一歩推し進め、実際の関係性の中でそれを変えちゃうわけです。自分で気づかなくても構いません。
事例のお母さんが娘との関係と、実家の親との関係の相似形に「気づく」のも有用ですが、今回は、実際に声をかけて診察室に呼び、一緒に住むことになりました。心の中だけでなく実生活の変容まで行ってしまうのが家族療法の醍醐味です。家族システムが変容すれば、IPの主訴・問題行動も自然に解決します。

注3)人とつながることは両刃の剣です。プラスに繋がれば安心して幸福をもたらし、マイナスに繋がれば傷つき不幸をもたらします。その典型例が家族関係ですね。安心して繋がる中継ぎをするのが家族療法家です。

注4)亡くなった人と現物で繋がることはできませんが、心のなかで繋がることはできます。

祖母-母親-K子と,女系の葛藤が表面化していましたが,この関係性に祖父はどんな影響を与えていたのか,気になりながら話を聞いていました。家族面接の際にも,祖父にどんな役割を担ってもらうのかも知りたいと思いました。

今回は女系の流れを強調しましたが、祖父-母親関係も同様です。祖父母の夫婦関係はうまくいっています。母親にとっては両親を含めた実家(family of origin)からの自立と再構築が課題でした。

今日のお話ですが、母子間の世代間葛藤というのは、(自分も当事者でもあり)日常的に出会うケースの話でもよくある話です。
それだけに、解決は面倒だな、いわゆる纏綿状態っていうのになってるのでは
先生はどうやってほどかれるの?
と思っていたので正直なところ、
「え?それだけ?」って思ってしまった部分もありました(注5)
でも、いろんな方の質問を通してむしろ理解が深まったと思っているのですが、つまりこのケースは先生の関わりでピンチをチャンスに替えることができたということですね。
むしろ、それだけの大きな出来事だったからこそ、長年絡み合っていたものがほぐれるきっかけを作ったというか。
そして、それぞれにそのきっかけを作れるレジリアンスがあったのだなと思いました

注5)はい、それだけなんですよ(笑)。
当事者性の中で整理・解決されていない部分は、支援者として援助するとき、とても厄介で面倒と感じます。
当事者としての体験が整理されていれば、肩の力を抜いて、難なく支援できます。

あるひきこもり経験者の物語(ナラティヴ)

 仮に太郎さんとしておきましょう。
彼との出会いは、私が群馬に移住して新たに就職した精神病院です。
親への暴力のために入院させられた太郎さんの精神療法を担当することになりました。
主治医は群馬に流れる伝統の精神療法である「生活臨床」の第一人者です。
でも300人の入院患者と200人のスタッフを取りまとめる病院長のため、ひとりひとりの患者さんに多くの時間をさけません。
太郎さんは9ヶ月の入院期間と、その後の外来治療で、多くを語ってきました。
彼はとてもよく語れる人です。毎回ぎっしりノートに話したいことをメモ書きしてきます。

「当事者研究」という考え方があります。
医師などの専門家により語られ、診断され、治療される対象ではなく、
当事者自らが自分の言葉で自分のことを語ります。
そのようにして主体性を回復していきます。
退院する際に、私からぜひそれを手記にするよう提案しました。
これが退院後、1年以上かけてまとめ上げた原稿です。
A4用紙で100枚、約10万字もの大作です。
(太字ハイライトは田村によるものです)

これは「ひきこもり」で「精神障害者」とラベルされた彼が名誉を回復し、自分を取り戻すために必要な作業なのです。太郎さんのナラティヴ(物語)はまだ途上です。これからも続くことでしょう。

なにも彼に限ったことではありません。
すべての人は、自分の人生の物語を持っています。
それを一生かけて綴っていくのが、人生という作業なのです。
人に伝えないと、それは物語として完結しません。
人はみな、何らかの形で顕在的に、あるいは潜在的に、自分の物語を他者に伝えているのだと思います。
ナラティヴ・セラピーはそれを心理支援に応用した手法です。