2018年4月25日水曜日

親の役割は子どもを心配することです

親は子どもの無事を、心から願います。
子どもの安全を守るために、アンテナを張り巡らせます。
子どもに何か異変が起きたら、いち早くキャッチして、先回りして、子どもを守ります。
「先回りして心配してはいけない」とよく言われますが、子どもが弱い(自分の力で自分を守れない)うちは先回りしなければなりません。

子どもが成長したら、親は子どもの底力を見出すことができます。
親がカバーしなくても、自分の力で出来る姿が見えてきたら、親は心配のまなざしを緩めます。
子どもに任せて、チャレンジさせます。
成功するかもしれないし、失敗するかもしれません。しかし、親はすぐにカバーしようとせず、子どもの底力を信じて、安心して見守ります。

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あるお母さんが、娘のことで相談にやってきました。
相談したいことはもうひとつ。母親自身の気持ちがうまくコントロールできないことです。

このお母さんは、自分自身が生きる不安を抱えていました。子ども時代の辛かった体験が未解決のまま、今に至るまで持ち越されてきました。そのこともカウンセリングでよく話してくれます。
私が話を伺っていると、娘に対する不安と、母親自身が抱えてきた不安が連関していることがよく見えます。自分の不安で心が霞み、娘の成長した底力を見落としてしまいます。
しかし、本人にとって、このふたつの出来事は全く別もので、関連付けることはしません。

カウンセリングを進める中で、お母さんは不安を、安心してよく語ってくれました。
私からこうお伝えしました。

そう。母親は心配するものですよ。それが母親の役割ですから当然です。

彼女は徐々に自分の心に気づき始めました。

私が娘を構ってしまうのは、他のお母さんたちがやっている姿を見て、自分もやらなくちゃと焦ってしまうんです。母親として、自信がないんです。そのことに気づきました。

母親の心配を十分に語る中で、母親自身の縮こまっていた気持ちが、だんだんと伸びてきました。

そういえば、娘が言っていたことを思い出しました。
娘)もう私の面倒をみてくれなくていいから!
母)お母さんは何のためにいるの!?
娘)お母さんの存在理由を私にしないでくれる!

娘さんは、とても聡明で、よくわかっているようです。
母親にもよく言えました。

際限なく心配されたら迷惑なのよ。自立できないし。
親は自分自身の生きる不安を、一番愛する人に投影しているに過ぎません。

娘は何年か前につまづきました。
母親は心配してカバーしました。その不安が娘に伝わり、娘もますます不安になり、前に進めなくなったようです。

カウンセリングの部屋の窓の外で、カラスが電線から飛び立ちました。
母親はふと思いました。

もしかしたら、娘は私が思っている以上に、自分をちゃんと持っているのかもしれない。
どうしても、娘が可愛そうという気持ちが先に立っていたんです。
ここまで話してみて、とても気持ちが楽になりました。

それは良かったです。
どうぞ、気持ちを楽にしてください。
母親と娘の気持ちの連結を外しても大丈夫ですよ。
と私から伝えました。

親が安心すれば、子どもも安心して、再び前に歩み始めます。

2018年4月14日土曜日

「お母さん病」からの解放

中学生の娘を怒り過ぎて、ダメにしてしまいそうです。助けて下さい。

という主訴で、あるお母さん(A子さん)が相談にやってきました。

娘は、幼いころから個性の強い子でした。
何をやるにも遅くて、服は脱ぎっぱなしで片づけられません
一年中、自分の気に入ったひとつの服だけを着て、とてもこだわりの強い子でした。
小学校に入っても心配で、先生から呼び出されて、遠回しに「療育が必要」と言われた気がしました。
ネットやたくさんの本を読んで、「発達障害」のことを調べました。
しかし、夫は、娘は病気ではないと言い張り、障害があることを受け入れてくれません。
夫婦で1時間くらい話し合っても、夫はしまいに怒り出してしまいます。私の心配を理解しようとしてくれません。

A子さんはとても真面目な性格で、何事にも諦めず熱心に取り組んできました。
学校では優秀な成績を収め、自分の仕事に誇りを持っていました。
結婚した後もしばらく仕事を続けていましたが、妊娠を機に思い切って退職し、母親業に専念しました。
地域の子育て支援センターでペアレントトレーニング(親業)の訓練も受けました。夫にも受けるよう勧めても、必要ないからと拒否されました。

娘が中学2年生になってから、ほぼ毎日、私は娘と喧嘩してしまいます。私は大声で怒鳴ってしまい、夫はそれに耐えられずに逃げるんです。
娘もイライラしてしまいます。それが、学校でも出て、担任の先生に当たり、先生から三者面談の時に、別室に呼ばれて注意されました。
今は、言いすぎると、余計反応すると思って、言わないように我慢しています。

私はA子さんに尋ねました。
我慢していらっしゃるんですか?
それじゃあ、苦しいでしょう?

このままでは、二十歳になっても身の回りの始末をできないと思うと、頭の中が真っ白になります。

娘さんは今14歳ですから、二十歳になるまでまだ7年ありますね。どうして二十歳になっても身の回りの始末をできないとわかるのですか?

娘を普段見ていると、親から離れるとかしないかぎり、ずっと自分で自分のことはできないと思ってしまうのです。
心配性の私と引っ張り合いをしてしまうんです。

お母さんの中には「心配性の私」がいるんですか?

子どもが出来ないから、母親である私がしてあげないといけないと思うんです。
お母さんという病気」なんです。

A子さんは自分の気持ちを丁寧に語っていくうちに、心配し過ぎで自分自身を苦しめていたことに気づきました。
私から、こう伝えました。

娘さんは、発達障害ではありませんね。

すると、母親の表情はぱっと明るくなりました。
A子さんは、専門家に診断してもらったことはありません。A子さんの中で、そう思い込んでいました。

A子さんは、与えられた役割をきちんとこなしてきました。学校でも、会社でも、そして母親になってからも。
親の大切な役割のひとつが、心配することです。子どもに危険が迫る可能性をいち早くキャッチして、子どもを守ります。

A子さんの言葉を振り返ってみましょう。
A子さんは子育てをきちんと完璧にこなそうとがんばっていました。
そのため心配をキャッチするアンテナの感度が高すぎたようです。
子どもの個性が強いのはとても良いことです。しかし、A子さんにとって、それは他の子どもたちと同じでないといけない、協調できなければいけない、ひとりだけ目立ってはいけないと感じてしまったのでしょう。

子どもは、何をやるにも遅いです。
服を脱ぎっぱなしにして片づけられないのが子どもです。
自分の気に入った服は毎日着たいものでしょう。
それらを正常の範囲内にとるか、「病気」あるいは「発達のかたより」ととるかは、親のアンテナの強さによって、どちらでも可能です。

夫が「子どもに問題ない」と見立てても、心配のアンテナが強すぎるA子さんは聞き入れません。心配が肥大してしまうと、からまわり状態になり、周りの人が何を言っても受け付けられず、跳ね返してしまいます。

先生から言われたかもしれない遠回しの「療育」という言葉を敏感にキャッチして、ネットや本で調べれば、発達障害の症状が自分の子どもにも当てはまると受け取ってしまいます。

そのような心配に満ちた環境で育った子どもは、自分自身も心配するクセを身に着け、アンテナの感度が敏感になり、まわりの刺激に過剰に反応します。
それでも幼い頃は、母親に従順に従っていた娘も、思春期になり発言力が増すと、母親と娘の火花がスパークして、お互いの怒りがエスカレートしてしまいます。
怒り過ぎて、そのことさえ「子どもをダメにしてしまう。」と心配して、疲れ果て、A子さんは相談にやってきました。

A子さんに必要なことは、7年先の二十歳まで先回りして心配するアンテナを下ろすことです。そのためには、「心配」を打ち消す「安心」が必要です。
私は、「娘さんは病気ではありませんよ。」と伝え、安心を与えました。

お母さんが心配から解放されると、今までの自分や子どものことを客観的に振り返ることが出来るようになります。A子さんは感極まって、さめざめと泣きました。

そうなんです、今までは娘の悪い部分ばかり目が行っていました。
よく考えてみれば、うちの子は良い部分もあるのです。私に気を遣い、率先してお手伝いをしてくれます。私に優しいんです。

と初めて娘のプラス面を語ってくれました。
心配が先行すると、マイナス面をキャッチして怒ります。
安心が生まれると、プラス面に目を向けることができるようになります。

娘さんも、母親のA子さんも病気ではありません。
娘さんは発達障害ではないし、A子さんは「心配性」ではありません。
ただ、A子さんのアンテナの感度が良すぎて、心配が増幅されてしまっただけです。
子育てには心配と安心の両者のバランスが大切です。
孤軍奮闘していると、どうしても心配ばかりに心が傾いてしまいます。
信頼できる他者との関わりが、孤立した子育てを解放し、心配と安心のバランスを取り戻すことができます。

2018年4月13日金曜日

不安を乗り越えるには、経験と安心が必要

私のニュージーランド旅行とスキーのお話しをします。

先日、休暇で初めてニュージーランドに行きました。
レンタカーを借りて、観光地を周りました。
海外でのドライブは何度か経験しているのですが、ニュージーランドは車のスピードが速く、怖かったです。

NZには「高速道路(ハイウエイ)」がありません。
というか、日本でいう一般道路が「高速道路」なのです。
人口密度が日本の20分の1のNZでは、小さな集落が点在し、集落と集落の間は何キロ、十キロも離れていて、原野のみ。何もありません。北海道のスケールをさらに大きくしたイメージです。
道路の標識は整備されています。
集落に近づくと、80キロ、50キロといった標識があり、制限速度が低くなります。
しかし、集落を抜けると、100キロの標識があります。

私は日本の高速道路を100キロで飛ばすのは慣れていて心配ありませんが、一般道路を100キロで飛ばしたことはありません。
ほかの車がみな100キロで走っているので、私もスピードを上げようとしますが、とても怖くなります。せいぜい80キロくらいにセーブして走っていると車が後ろから迫ってくるので、何度も徐行して先に行かせました。
私も100キロにスピードを上げようとすると、怖さから緊張して身体がこわばり、どうしてもできません。無理にアクセルを踏むと、辛くなります。

なぜこんなに怖いのでしょう?
自分自身でもよくわかりません。
日本の高速道路では平気で出しているはずの100キロが、NZの道路ではどうしても出せません。
日本の一般道路で100キロなんて、とても危なくて出せません。その体験が身体に染みついて抜けないからでしょうか。

NZの道路はよく整備されています。100キロで走行できるように設計されているし、見通しも良く、原野を貫く道路には人も障害物も何もありません。理屈では日本とは違って安全なのだとは理解しても、身体のこわばりはどうしようもありません。

しかし、経験を積むうちに、だいぶ慣れました。
NZには1週間滞在したのですが、後半になると不安が和らぎ、自然に100キロを出せるようになりました。

〜〜〜
私の趣味はスキーです。
冬になると、顔が黒くなるので、お気づきの方も多いと思います。
子どもの頃からずっと続けており、ゲレンデでは面白くなくなり、
3年ほど前からバックカントリー・スキーを始めました。

バックカントリー・スキーとは、リフトがかかり、コースが整備されたゲレンデを抜け出し、自然に満ちた山の中を滑ります。
よくクロスカントリー・スキーと混同されるのですが、
クロスカントリー・スキーは平らな土地を細いスキーで走る北欧起源(ノルディック)のスポーツです。冬季オリンピックでお馴染みです。
バックカントリー・スキーはアルプス地方(アルペン)が起源で、急斜面を滑ります。新雪(パウダー)も滑るので、浮力を持たせるために幅の太いスキーで走ります。オリンピック競技にはありません。時々、遭難のニュースでメディアに出ます。

誰もいない山に分け入っていくのでとても危険です。雪崩に遭ったり、滑落したり、道に迷って遭難します。整備されていない急斜面を滑るには高度の技術が必要です。ひとりでは行かず、プロのガイドさんと一緒に行きます。遭難する人は山の怖さを知らず、ガイドを付けずに行ってます。
リフトもゴンドラもないので、スキー板の裏にシールという登攀具をつけて山を2-3時間かけて登り、10分で滑り降りるといったことを繰り返します。登るときは辛いのですが、誰もいない大斜面を自由に滑る解放感はゲレンデでは得られません。

時間をかけてドロップ・ポイントまで登りきり、シールを外して、さあ滑ろうという瞬間はとても怖いです。斜面は急でちゃんと滑れるのか不安になります。バンジージャンプの経験はありませんが、プールに飛び込む時の心境に似て、とてもドキドキします。
さあ、滑ろう! 左から2番目が私です。

しかし、いつまでも躊躇しているわけにもいかず、ガイドさんに促され、思い切って飛び込みます。滑り出したら怖いなんて言ってられません。必死に滑ります。うまく滑れる時もあるし、スピードが出過ぎて転ぶこともあります。
不思議なもので、「スピードが出過ぎてコントロールできなくなる。怖い!」と心の中で思った瞬間に転びます。その時は、雪まみれになりますが、怪我はしません。心が未然に危機を回避しているのでしょう。
上手く滑れず転べば落胆し、自己嫌悪に陥り、
転ばずなんとか滑り切れば、達成した爽快気分になります。

そんなことを3年ほど経験し、先日、以前に登った同じドロップ・ポイントに行きました。
あれ、ここは前に来た同じ場所だっけ?
前回は急斜面だったのですが、今回はそれほど急ではありません。
急斜面か否かという判断は、私自身の主観です。経験値によって、感じ方がかなり違います。
ここなら難なく滑れるだろうと予測するとドキドキすることも緊張することもなく、身体の力を抜き、楽に滑り降りました。

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私にとって、NZの運転も、バックカントリー・スキーも不安を伴うチャレンジです。
若者が自立し、大人になることは、さまざまな不安を伴うチャレンジです。いままで周りの人がやってくれていたことを、自分の力でやらなくてはなりません。
怖くて当然でしょう。

1)経験と失敗が必要です。
怖いのに無理に滑り降りようとすると、緊張して、こけます。でも、致命傷は負いません。何度かこけて失敗を繰り返すと、こけずに成功することもあります。経験を増やしていけば、当初怖かったことが、それほど怖くなくなります。

2)安心が必要です。
ガイドさんなしのバックカントリー・スキーは不安過ぎて行けません。
ドロップ・ポイントで躊躇している時、もう行っても良いよ!とゴーサインを出してくれる人、
もしも自分では回復できなくなった時には助けてくれる人
がそばに居てくれたら、安心して、不安を乗り越えることが出来ます。

安心がなく、不安のままで滑り出すと、傷つきます。
傷つきを回避するために、ひきこもります。