2017年10月26日木曜日

家族を失い見えてきたこと(1)妻との愛着

 大切な人を失い、その人との関係性が断たれると、主観的な位置から客体的な位置に昇華されて、その人との関係性、自分にとっての意味が明確に見えてくる。
 9年前に妻を、昨年父を、そして3週間前に母を亡くし、一番身近で大切な家族との関係が客観的に捉えることが出来た。
 裏返してみれば、今まで身近にいるときは如何に家族の意味が見えていなかったかということになる。

 家族を失った後に、私が見出したのは「愛着」というテーマだった。
 幼少時の母親から父親への身体的愛着のターニングポイントが、父親への強固な愛着を生み、それが高校時代の海外体験というターニングポイントにつながった。思春期の海外体験が国際交流・比較文化という私のライフワークを生み、人生を方向づけた。妻の喪失というターニングポイントが人生観や職業観を大きく転換させた。
 これらの家族体験と喪失体験が、私の臨床家としての仕事ぶりにどう影響しているかを語るにはまだ早いのかもしれないが、とりあえず言語化してみる。これを本当に客体化できるのはもう少し後、セラピストを退職した後なのかもしれないが、とりあえず今の段階で言えることを記述してみる。

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9年前に妻を急性心筋梗塞で失った時は、とにかく心が痛かった。
悲しみからどうやってリカバーするか、必死だった。
かなり焦っていたと思う。私は「うつ」になりたくなかった。心の専門家として、それが喪失の悲しみ以上に、どれほど辛いことはよくわかっていた。
どのようにして悲しみを癒すのか理屈ではわかるし、多くのクライエントに支援してきた経験もある。その要点は、とにかく気持ちを秘めてはいけない、感情を表出することなのだ。
今回は、私自身が当事者の立場になった。
焦っていた私は、あらゆる人々の助けを借りようとした。


初めの一週間、近所の保育園仲間が家に集まり、思考が停止しそうになる私と子どもたちを助けてくれた。
2週後から大学での講義も再開した。「家族関係学」という授業を持ち、以前から自分の家族のことを例としてよく話していた。今から思えばどうかと思うが、授業で妻を亡くしたことを語り、大泣きした。学生たちはさぞ驚いただろう。教授の涙をどうとらえたか。
感動した、良かったと言ってくれた学生もいたが、みながそう肯定的にはとらえていなかったはずだ。

またクライエントの立場になり、グリーフ・セラピーを受けた。それは死別の悲しみから立ち直るために、悲しみの気持ちをたくさん出し切るものだ。
初めの2-3ヶ月は2週間に一度、その後は月に1回のペースで、セラピストの前で相当泣いた。2-3年経過してからは、セラピーの要素は減り、スーパーヴィジョンとして9年たった現在でも継続している。


妻の喪失体験が、私の人生観を大きく変えた。
大学を退職して、個人開業を始めた。
前々から開業したいとは考えていたのだが、大学の職を辞する決心がつかなかった。
妻を失い、広い世界がそれほど意味を持たなくなった。
それまでは、自分の生きがいを社会に求め、多くの人から承認を得たいと考えていた。
しかし、一番近い人を失い、そして、近い人々との関係の中で癒され、生きる意味がそこにあるということに気づいた。多くの学生や患者さんたちと向き合うよりは、少人数の患者さんとの深く関わり、彼らが本当に癒されることに私自身の生きがいがシフトした。


といった以上のことは死後5年目に上梓した著書「ひきこもり脱出マニュアル」のあとがきにも書いた。その後、妻の喪失から9年たち、両親も相次いで亡くした今から振り返ると、5年前とはまた違った側面が見えてきた。


私には生まれてから今まで、「愛着」が当然のようにあったことに気づいた。それはあまりにも当たり前に空気のようにあったため、その存在に気づかなかった。
愛着関係を失うと、どれほど心が不安定になるか。安心の愛着(secure attachment)が崩れ、不安の愛着(anxioulsy attachment)、あるいは愛着回避(avoidant attachment)になる。
裏を返せば、子どもにとっても大人にとっても、愛着関係が、どれほど心の安定に寄与しているのかを実感した。今まで、そのことは理屈では理解していたが、それを身をもって体験した。


<愛着理論>の解説。
愛着とは、大切な人との間の深い情緒的な結びつきのことだ。「愛情」を心理学的に理論づけたものが愛着であるとも言える。
愛着という概念は1960年ごろから英国などのヨーロッパで生まれたが、その当時は子どもと保護者(主に母親)との関係のことで、成長した大人は関係ないと思われていた。しかし最近ではその概念が広がり、愛着関係は一生必要と言われるようになった。

大人の愛着とは何か?
ひとことで言えば、
「君がいるから元気になれる」関係
「君がいるから安心して毎日を過ごせる」関係
逆に言えば、
「君がいないと元気がなくなり、毎日の生活が辛くて不安になる」関係といえばイメージしやすいだろう。
安定した愛着関係は、揺るぎない信頼と安定感に満ちている。
不安定な愛着関係とは、大切で信頼できるはずの人がいなくなったり、信頼できなくなる場合だ。


妻を失い、代替の愛着を取り戻そうとしたが、そう簡単ではなかった。
今まで、私はそれほど苦労せず、当たり前のように手に入れていた。
一旦失った愛着を作り直すことがどれほど難しいか。
愛着を失うということは、ただ悲しいとか寂しいとかいうことではない。
人間関係が不安定になる。
愛着不全で不安定な心の状態で親密性を求めようとしても、うまくいかない。
不安に駆られるために、相手に突っ込みすぎるか(anxiouly attached)、逆に怖くて突っ込めなくなる(avoidant)。

家族(親子や夫婦)という親密な相手に、本当は言いたいこと、簡単なことのはずなのだけど、言えなくなってしまう状況は、心理臨床の現場でよく遭遇する。
その背後にある不安定な気持ちのありようを、身をもって体験して、よく理解できるようになった。

逆に言えば、今まで、安心できる愛着がない状況というものを、想定できていなかったことになる。心理臨床家としての経験は全然不十分であったのだ。

2017年10月11日水曜日

ひきこもり脱出講座参加者の声

今までの講座に参加した方々の声をお届けします。
来週から、新たな講座が始まります。まだ空きがありますから、どうぞご参加ください。

自分も含め、他のご家族の葛藤などを聞き、お互いに成長できたことはとても良い機会でした。何よりも夫が自分の気持ちを話すようになり、ずいぶん変化があったように思います。それに伴い、子どもも私たちに自分の考えを話すようになりました。家族の風通しが良くなりました。夫婦が楽しく元気でいることの大切さを感じました。

心を開くことが大事なことで、それは自らが行わなくてはいけないことを改めて思いました。自分が心を開かないと、相手も開けないです。子どもが本当に心を開くのにはまだ時間がかかりそうですが、親が見守り続けるしかありませんので、良い距離感を見つけて、付かず離れず、気づかせてあげたいと思います。

田村先生の「家族が心を開く時」というお話から始まり、皆さんのお話しが今日は特に心に響くものでした。みなさんのお話しにとても共感できることばかりでした。外から見たら何もなさそうにみえても、心の中の思いは一緒だなと思え、希望が持てました。

他のご家族の話を聴いて、みな同じようなことで悩んでいるんだ、ウチだけじゃないんだと思いました。

子どもには社会とのつながりを持ち、充実した人生を歩んでほしいと思っています。そのためには、まず私たち両親が充実した人生を送らなければ。子どもの手本になるよう、子どもの未来を信じて向き合っていこうと思います。

問題を抱えてしまうと自信を失います。それを語って言語化して、不安を減らしていくこと。それが安心につながることを再認識しました。

あえて私の方からコメント・解説する必要もないと思います。
参加者の方々の感性を尊重したいと思います。

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ご夫婦そろって参加された方々の声もお届けします。

どのご家庭でも、講座が始まってからこの3ヶ月少しずつ子どもの変化がありました。
初回の頃と比べると、ご両親の表情も柔らかくなり、夫婦間コミュニケーションが取れているように感じます。自分の考えを夫婦の間だけでなく、他のご夫婦に聞いていただくことで、共通点もあり、安心できます。

夫婦がお互い自分の気持ちを伝え、ぶつかり合いあいながらも形を作っていきたいと思いました。今までがコミュニケーション不足で、夫婦の考えに違いがあることに慣れていなかったので。