2020年9月30日水曜日

10月からの研究会とSVの概要

 今年の5月に古民家がオープンしてから、グループSVと研究会をオープン記念+コロナ支援ということで無料でやっていましたが、10月からはお金をいただこうと思っています。
 それに伴い、すこしやり方を変えようと思います。

事例から学ぶ家族療法セミナー
今回の新たな企画です。
講師(田村)が関わった事例を紹介し、解題します。
・どのように家族システムに関わり(ジョイニングして)
・どのように家族システムを見立てるか(アセスメント)
・どのような技法を用いて、家族の問題を解決したか
「木を見て森を見ず」
個人から視野を広げ、そのまわり(家族や学校、地域など)や過去・現在・未来など全体を俯瞰することが大切ということは誰でも理解できますが、その具体的な方法がわかりません。心理学、精神医学、システム理論などの基本を学びながら、そのやり方と応用を実践を通して理解します。
セミナーの後半には、参加者からの質問にお答えします。
当事者の体験を理性的・理論的に理解する支援者性を磨きます(基礎編)。
去年、蛙トープでやっていた頃の「子どもと家族の研修会」の雰囲気を目指します。
月1回、2時間。高山村の古民家で開催します。

家族療法事例検討会&スーパーヴィジョン
参加者が提示した具体的な事例を素材にして、どのようなアセスメントや介入が可能か検討します。支援者性を磨くための臨床編です。
また、クライエントに向き合う支援者自身の内面にも迫り、支援者の持っている癖や得手不得手について理解します。
月2回、各回2時間。高山村と大森で開催します。

家族と支援者ミーティング
今までの「子どもと家族の研修会」の名称を変えました。
安全・安心な場を確保し、参加者みなさんの家族としての、また支援者としての体験を自由に当事者目線で語り合います。他者から教え込まれるのではなく、自分自身の中から新たな気づきを見出します。
べてるの家などで行われている「当事者研究」、フィンランド発の実践「オープン・ダイアログ」の考え方に似ています。
家族と支援者自身の当事者性に向き合います。
月1回、3時間。高山村の古民家で開催します。

ジェノグラム合宿
従来の夏合宿です。
家族療法のジェノグラム(家系図)技法を用いて、参加者自身の家族システムに向き合い、理解を深めます。
支援者自身の当事者性に気づき、真に共感できる人間性を磨きます。
グループ・スーパーヴィジョンの応用編であり、POTT (Person of the Therapist) トレーニングであります。
二泊三日の集中トレーニングです(一泊二日の部分参加も可能です)。年に数回、高山村の古民家で開催します。

メタ合宿
過去に田村が主催する「スーパーヴィジョン合宿」に参加した経験者を対象にした合宿です。
今までの研修体験をふまえ、参加者の人間性・支援者性をさらに深めます。
二泊三日の集中トレーニングです。年1回、高山村の古民家で開催します。

対象者)いずれのイベントにも共通します。
・家族や自分自身の課題について、新たな見方や解決策を見出したい方
・子どもと家族の支援者(医師、看護師、心理師、教師、福祉士、相談員など)

オンライン参加
いずれのイベントも、zoomによるオンライン参加が可能です。

オープンダイアログと客観性:研究会の振り返り

 9月26・27日の研修会のご報告です。

9月26日(土)子どもと家族の研究会
古民家に5名、オンラインで4名。計9名の参加でした。
参加者からの振り返りをご紹介します。

普段関りが少ない職種の方や保護者の方が参加され新鮮でした。オープンダイアローグ形式は初めてでしたので当初は戸惑いましたが、皆が自由に意見を述べるなかで様々な発見があり勉強になりました。
正論と本音、感性と理性の話は考えさせられました。
田村先生が仰っていた、「親の感性を子供に伝えることが大切」との言葉が心に残りました。

 参加した率直な感想は、楽しかったなぁ、やはりこのグループは好きだなぁということです。何が好きなんだろうと考えると、人ってやはり奥深いなぁと感じることができたからです。人の考えていることって、そう簡単にはわからないしわかってるなんて思っちゃいけないよなぁと余韻に浸る夕暮れ時でした。
 今回、正論かそうでないか、正論をかざすのはやはり男か!?という話がわたしにとってはグループの話の中心だったような気がします。わたしからすると「正論」と思えることをおっしゃった方が、次の発言のタイミングではわたしからすると「リベラル」に聴こえることをおっしゃったり、本人は「正論」と思って話されているんだろうなということが、わたしからすると「いやいやそれは世間の軸とは違いますよ」と“思える“ことだったり、本当に面白いものだと思いました。そして、それが生きている人の面白さ、ではないでしょうか。

 すごく元気をもらって帰りました。認めてもらうと安心して、これでいいと元気をもらったような感じになります。
 お陰さまで、反抗期の娘にも「それでいい」と承認を伝えることができて、親子で笑い合いました。その日は親子バトルは無かったです(笑)
 その「これでいい」という安心感をいつも心にもてるようになると親子関係や自分自身についてもだいぶ楽になると思いました。
 「正論」と「本音」、「理性」と「感性」について学び、安心を保持した形で正論を伝えることが大事だと学びました。
私がいかにたくさんの安心を得るか?を考えたときに、こちらの会に参加することで確かに安心をもらっているなあと思いました。私と同じような問題を抱えた方のお話を伺っているととても共感的な気持ちになり、人生を頑張っているのは私ひとりではないと感じられて繋がりを感じます。又、普段は支援者としてお仕事をされている方の当事者性のお話を伺うこともものすごく安心します。同じ人間なんだと思えて、親近感や信頼の気持ちがもてます。こうした人との繋がりにとても安心を感じることに改めて気付きました。

この研究会は進化しています。
広尾→大森を経て高山村に移ってからは蛙トープ→いぶき会館→村役場の会議室→古民家と1年半ほど経つのですが、当初のやり方・雰囲気とはだいぶ変わってきたように思います。
やはり古民家の醸し出す雰囲気もあるのでしょうか?
今回は意図したわけではないのですが、オープン・ダイアログの雰囲気に近かったと思います。参加者が自由に、その時に語りたいことを語ります。私も参加者のひとりとして、その時に感じたことや頭に浮かんできたことをしゃべりました。その多重の語り(ポリフォニー)が参加している人々を繋げ、安心感を生むのでしょう。

ーーーーーーーーーー
9月27日(日)グループ・スーパーヴィジョン
こちらは古民家7名、オンライン1名、計8名の参加でした。

 私は当事者としての参加なので、GSVに参加することはとても緊張します。支援者の方がいる中で、自分がとんちんかんな発言をしてしまったら恥ずかしいなという気持ちがあります。子どもと家族の研修会に参加するときとは違う視点で、立ち位置を変えて参加すべし、と思っているので何だかリラックスできない身を引き締めるような心持ちで参加していました。今回の参加でその視点が、客観的な視点なのだということがわかりました。私はいつも感情に引っ張られて物事をみる癖があるかもしれないと思いました。子どもと家族の研修会の中でも田村先生が「1本の木ではなくその周りの森全体をみる」とおっしゃっていたのを思い出し、そのことをGSVで実感しました。
客観的にみる、俯瞰してみる。この点を意識しながら今後参加していこうと思います。
でもそうは言っても、どのようにして俯瞰力を鍛えたら良いのだろうか?
支援者の方がジェノグラムを描いて下さったのは、とても解りやすくて助かりました。
引き続き、自分の中の支援者性を育むために学んでいきたいと思っています。

そう、客観的な視点ですね。
実は、「子どもと家族の研究会」に参加する支援者も、とんちんかんなことを言わないかと緊張したりするんですよ。

「子どもと家族の研究会」は当事者スタンスの会です。
当事者スタンスとは主観的な感情体験の世界なんですね。
システム(洗濯機)の中にはまって、いったい何がどうなっているか見失い、グルグル目が回っている状態です。
システムにはいろいろあります。
学校や職場システム:子どもや会社員が学校や職場に行きたいんだけど、まわりの目が気になったり苦手な人がいたりして、行けなくなっちゃったり。
家族システム:子どもの問題にどう関わっていいかわからず、両親の間でも足並みが揃わず、変に関わってバトルになって、問題も一向に解決せず困っていたり。
治療者・患者システム:どう理解して、どう支援したらよいかわからなくなり、この方は私、苦手だなぁ、どうしたらよいかわからなくなっちゃったり。
多職種連携システム:病院で医師や看護師や心理士やワーカーや。学校で担任や学年の先生や管理職や養護教諭や保護者や。みんなそれぞれ違う動きをするので、やりにくくてしょうがないとか。
そのような渦中の困り感を出し合って言葉にすると、お互いに共感できるので、孤独から解放され安心します。すると元気になって、グルグル流されるだけではなく、自分から流れを作る元気が出てきます。
あるいは、自分で語ることで、人の語りを聴くことで、はっと気づいて、そうか、そういうことだったんですね!と客観性を獲得し、洗濯機の中から抜け出せたりします。

一方、「グループSV」は支援者スタンスの会です。
支援者スタンスとは客観的な理性の世界なんですね。
感情論を抜きにして、起きている問題を冷静に俯瞰して、何が起きているのか分析して整理します。これをメタポジションとも言います。
それは支援対象者に起きていることも、自分自身や自分の周りに起こっていることでも同様です。
何が正しくて、何が正しくないかという正論もあります。
だから、とんちんかん(へんなこと・正しくないこと)を言ってしまわないか緊張します。

「子どもと家族の研究会」は当事者スタンスなので正解も正論もなく、誰でも言っていることをそのまま受け止めます。そういう文脈なのに、つい支援者の癖が出てしまって、正論を言いたくなるんですね。ふつうの支援場面ではそれも正しいのですが、この文脈ではとんちんかんになってしまうかも、、、と緊張したりします。

でも、とんちんかんって思い込みですからあっても良いと思うんですよ。
恥ずかしがらずに当事者スタンスと支援者スタンスを自由に行き来できるような文脈を、研究会やSVでは作りたいと思っています。

2020年9月22日火曜日

第三回スーパーヴィジョン合宿

9月20-22日の連休中に今年3回目のSV合宿を行いました。
今回も参加者は4名。期せずして3回とも4名ずつの参加でした。
これは、今までの合宿と比較すると少ないほうです。
二泊三日のたっぷりの時間を4人の語りで過ごせるのは、ある意味とても贅沢な充実した時間でした。
それは、参加者にとっても、また合宿をコーディネートする私にとっても同様です。

毎回、合宿の雰囲気は異なります。それは参加する皆さんの特性ばかりでなく、私自身の文脈からも来ているのでしょう。高山村の古民家に住み始めて4ヶ月。まだまだ落ち着いてはいないとも言えるし、臨床活動も始め、地域の人達とも関わりながら、月単位で進化・成長しているように思います。今回は特に妻の役割が大きかったように思います。彼女も去年から合宿のサポートに参加する中でだいぶ慣れてきて、私のストーリーの中に出てくる妻の立ち位置や、参加者に食事を振る舞ってくれる妻の役割も大きく進化したように思います。

今回は、第一回SV合宿のブログに出てきた「心のパンツ」のフレーズがよく使われました。

今回はそれだけユーモアに満ちた雰囲気でもあり、合宿の真髄をついている言葉でもあります。これは、POTT (Person of the Therapist Training) modelのsignature themeにも該当します。

The idea of the signature theme is based on two assumptions: One, we all carry within us a particular psychological issue that is at the heart of our human woundedness, coloring our emotional and relational functioning throughout our lives. Two, for therapists to be able to relate most effectively to their clients, they must be able to selectively open themselves up in judicious vulnerability so they can feel and experience something of their clients’ pain and struggles. (Aponte, 2017)

二泊三日のSV合宿は支援者向けです。

効果が非常に高いこのモデルを当事者向けの支援にもうまく活用できないか。。。
そんなことも考えています。
参加者からの振り返りです。

 直前になってあれこれ迷っての参加でしたが、思い切って高山村の古民家にお邪魔し、皆さんと寝食を共にする中で、いろいろと家族の中の自分を振り返るきっかけとなりました。あれから数日経ちますがぼーっと父や母のこと、自分が幼かったころのこと等を思い現在の自分のルーツやこれからの自分のことを考えています。
 先生から「誇りは何ですか?」
と訊かれてあれこれ言ってから「娘です」と言いました。そうあの場で言った自分は決して意外ではなかったです。やっぱりねーという感じでした。私自身の価値観や大切にしているものを改めて確認することができました。
 古民家の生活を感じさせていただくことも今回のひとつの目的でした。ワークをしている場から目に入る、優しい灯りの下で食事の支度やパンを作る奥様の姿、先生との関わりはよい眺めでした。(笑)そして、柔らかい雰囲気の中でいただくおいしい食事やみんなの笑顔…素に戻ることができる場。本当に気持ちが安らぐ空間を感じ、家族の中での自分の在り方を反省しました。まずはご飯をちゃんと作ろう。
 2度目のジェノグラムをどうですか?とメッセージをいただきました。支援者として、ぜひ理論も学ばせていただきながら2度目のワークをしてみたいなあ、楽しみだなあと思います。

どうぞ、再び参加してみてください。きっとまた新たな気づきが得られますよ。
次の方のように。

 昨年に続き、2度目のジェノグラム合宿に参加しました。
 昨年はちょっとした事件があり、私はとてもイヤな気持ちになっていました。最終日が私の発表だったのですが、前夜、1人で事件の反省会をし、「こんな思いをさせられるんなら、全部ぶちまけてやろう」と怒り心頭で臨んだのを懐かしく思い出します。怒りは、私の感情的な主題だと思います。
 この怒りが何に由来するのかを見つめることは、私の問題解決に役立つはずで、今回の合宿でも少しいらだつ場面があり、そのことについてしばらく考えていました。
 そして、振り返りをして得たものは、私の人生における父子関係を中心とした、家族との関わりが私の人生台本の雛型になっているかもしれないという気づきです。合宿に参加してかなり感情がほぐれてきましたが、雛型をベースに他者からいろんな感情を投影され続けてきたため、相手の問題と自分の問題の境界がかなり緩んでいるように思います。私がよい支援者になるためには、自己分析が必要です。今後もスーパービジョンで自己理解と他者理解を深めていきたいと思っています。

自己分析、、、と聞けば何だかとても難しいことのように思えますが、そんなことはなく、素朴でごく単純なことです。気づくまではさっぱりわからないことも、ふと気づいて腑に落ちてしまえば、素の自分をそのまま受け入れるようになります。余計なところにエネルギーを使わなくなり、頭がスッキリして、大切な人に向き合えるようになります。
次の方のように。

 自宅に戻り、合宿で何があってどんな気づきがあったのかを素直に話そうと思っていましたが、しばらくはなかなか言い出せずにいました。2日くらいその様な状態でしたが、ついに感情が溢れ出し耐えきれずに話をする流れとなりました。
 そして合宿で心の奥底にあった罪悪感に気づいた事を告げ「幸せだったけど、ずっと辛かった」と本当の気持ちを伝え「本当にごめんなさい」と謝罪をしました。パートナーも「そんな気持ちにさせていたんだね。ごめんね。」と言ってくれました。何年も一緒にいて本音でコミニュケーションをしている様でしていなかったんだなと、改めて気づきました。
 それからしばらく、感情が溢れ出し子供のように泣いてばかりいました。でも、それを止めませんでした。気がすむまでそのままにし自分を静かに見守り、心の動きを静観する事にしました。
 2日くらい心が揺れ動いていました。今までの自分はなんだったんだろう?とか、そもそも今までがすべて間違いなのではないか?もうやめた方がいいのではないか?などと、気がつけば逃げる事ばかりを考えている自分がいました。
 そして「辛い現実に直面すると逃げたくなる」という自分の中のパターンを見つけ、いつからそれが始まったのか?を探る事にしました。
 境目はだいたい3歳頃、家に帰りたくたくないのに帰らなくてはならない現実に限界を感じ、辛い現実から逃げるため、自分の感覚を操作した事がわかりました。
 自分の感覚を操作すると、辛くても辛いと感じないし、痛くても痛いと感じない感覚にできるので、辛い現実から逃げるためには、そうするしかなかったのでしょう。無力な子供の私にとっては、これしか手立てはなく本能的にそうしたのだと思います。それを境に、私は自分の感覚を失い自分を感じる事ができなくなったと、過去を振り返り確認し腑に落ちました。
 それから、今までの人生をフッと振り返りかえっては「だからそうだったんだ〜」と腑に落ち納得するという事をしばらく続けていました。そして自然と落ち着きを取り戻しました。
 以前と今の私の感覚の違いを簡単に表現するならば「思考がうるさくなくなった」という感じです。ごちゃごちゃした頭の中が片付いて、余計な物がなくなったという感じでしょうか。
最初は落ち着かない感じでしたが、今は落ち着いて自分でいられるようになりました。
頭がスッキリして余計なところにエネルギーを使わなくなった気がします。
 今回の合宿に参加する事で、私は大きな気づきを得ることができました。心の根底にある罪悪感が人生にどのような影響を与えるのか、現実から逃げるために自分の感覚を操作する事が、その後の人生にどのような影響を及ぼし続けるのかなど、私にとってこの気づきは、人生の大きな転機となる出来事となりました。
 先生のこころの診療所は、本当に素晴らしい所だと思いました。やはり奥さまとのコンビネーションが作りだす場が、何とも口では表現できないほどの不思議な安心感を与えてくれました。そして奥さまの作ったパン、カレー、シリアルが忘れられません(笑)。今でもちょくちょく思い出し恋しく思っています。

ここが古民家療法の真髄なんですよ。
理論でも技法でもないんです。
古民家の空間がつくりだす雰囲気と、そこに住まう人の空気が、匂いが、味が、作り出す安心感なのでしょう。
妻も私も意図してそれを作りだしているわけではありません。
妻に言っても、多分さっぱりわからないでしょう。ただ単に料理を作って、一緒に食べているだけですからね。
なんだか理屈はわからないけど、人々がここに集い、語り合い、気づきを得て、癒やされていく。
それは、私にとって大きな喜びでもあります。

2020年9月2日水曜日

第二回スーパーヴィジョン合宿

 8月28−30日に今年の夏2回目のスーパーヴィジョン合宿を開催しました。
今回も第一回合宿と同じく4名の参加でした。
2名が古民家に宿泊し、2名が宿泊なし、家から通いの参加でした。
第一回はリピーター限定の合宿でしたが、今回は4人とも初めての合宿参加です。
スーパーヴィジョンも初めて、
自分のジェノグラム(家系図)を書くのも初めて、
始めはみなさん緊張していましたが、二泊三日の中でだんだんと解れていきました。

合宿では、各自のジェノグラムづくりを軸に進めていきます。
第一に、私が自分のジェノグラムを描き、そこに埋め込まれた感情体験を掘り下げるモデルを示します。
第二に、二人組ペアになり、対話の中でお互いのジェノグラムを描きます。
第三に、各自のジェノグラムを参加者全員でシェアします。

こころの支援者はクライエント自身の体験や感情の表出を促します。
しかし、普段の臨床では支援者自身の感情を表出する機会はほぼありません。
  • 本音を、自分の体験と気持ちを、語ることがどれほど困難なことか?
  • 語り、他者に受け入れられることで、どのような変化が起きるのか?
そのことを合宿で体験していただければと思います。
参加者からの振り返りをご紹介します。

 3日間の合宿から日常に戻り、仕事・臨床の場へ戻って、今回の合宿について参加し学んだことを反芻し、落とし込んでいる最中です。まだ、まとめきれず散らかっている状態ですが、参加した感想として書かせて頂きます。
 まず一つは、自分の事を語ることがこんなにも、辛く大変なことであることを再認識しました。どうしても、面談という場になれば、あれやこれを患者さんに対して聴きます。相手にとってはプライベートで聞かれたくないこともあるでしょう。そんな中で、その事を話して貰うことにどんな労力を割いていることかと言うこと、そして、相手が話すことがうまくまとまらないことも多々あるのは、当然だとも思いました。
 次に、先生から、「私が経験したことは、プラスに働いていると思うか、あるいはマイナスに働いていると思うか。」と質問をされ、私は戸惑いました。なぜならば、過去の体験がプラスに働いているものだと思い込み、支援者としての自分を作ったきっかけが、まさにそれだったからです。しかし、よくよく考えて見ると、本当にそうだったのか?と思います。これについては、まだ自分の中で消化しきれていないので、今後も考えて行きたいと思います。
 最後に、自分が自分を語り、他者から反応を貰える機会は、そう滅多にありません。自身と他の人から見た自分を知ることにより、少しではありますが、自身の思考の癖への理解と、それに伴い視野が広がった気がします。支援者としての自分・本来の自分というのを見つめなおすきっかけとなりました。私という人が果たして支援者で支援して良いものか?と疑念がわき始め、自身の感情との折り合いもまだできていない現状ではありますが、少しずつ自分自身に落とし込み、歩んでいければと思っています。

プラス・マイナスを体験してきた当事者としての自分を受け入れることができたら、支援者としての自分を受け入れられると思います。

 合宿前は緊張や3日間どう過ぎていくのか・自分のことをどこまで話せるかなど、不安でいっぱいでしたが、初日に田村先生がご自身の話をしてくださったことで、”ここで自分のことを話したいな”という感情に変化していきました。この心の変化は、初日に合宿が安心・安全な場所であると感じられたからだと思います。
 そして、今回の合宿で支援者としての一番の気づきは、自分の事(特にネガティブで、出来れば周りの人に隠しておきたい経験)を語ることの大変さです。自分の家族や体験を話す事がこんなに大変で、その時の感情や感覚を思い出すことの辛さ…。今まで、私が面接してきた患者さんは、こんなに大変な作業をしてくださっていたんだと、恥ずかしながら自分がその立場になって本当の意味で気づきました。
 一方で、自分のネガティブな体験を語ることで、長い間心の奥にひっかかっていた物が、少しとれたような感覚もあります。それはきっと、今までずっと誰かに話したかったけど話せなかった事を、この合宿で皆さんに聞いてもらえたからだと思います。聞いてもらうことで、自分の感情や体験が少し整理できたという感じでしょうか。
 支援者であるとともに、当事者でもあることに気づくことができた3日間でした。

自分でその感覚を体験したら、クライエントさんたちが経験しているその感覚も受け取れると思います。我々が支援することで、クライエントさんたちは言葉には出さなくても結構そうやって癒されているんですよ。

 合宿初参加、もう大丈夫だと思っていても、何度か語ってきたことでも、それでも振り返ると上手く話せなかったり、冷凍保存されていたような感情の処理はまだ出来てないなと感じました。けれど、残すものと手放すものの分別が少し進んだように思います。
 数年前まで、自分の弱点は、決して人に知られてはならないものでした。それが、社会生活に影響し始め、当事者として2年ほど過ごす中で、そこまで嫌わずにいられるようになってきたのですが、やはり、合宿終えて数日経って、何度か振り返るうちに、何とも言えないどうしようもなさや、恥ずかしさが込み上げます。誰でも何かしらあることなはずですが…職場のクライエントのいない場での差別的な会話にも、心が痛むものがあったことを思い出します。それは、そんな会話をしてしまう側もまた、痛みがあるんだろうということ。当事者になってより分かったことです。
 けれど、弱さって、そんなに隠せるものでもない気がします。触られると痛くて恥ずかしいのに、結構透けていたりする…弱さを自覚しているだけの状態で表に出てしまった後に待っていたのは、出すことに違和感を持つ強がりさんからの攻撃でした。隠してもダメ、出してもダメなんですね。
 受け止めてもらえることで肯定はできるけれど、もう一歩、悪さしない形まで昇華するのも、一人だと難しいところ。別の視点を頂けることで、「今ここ」これでOKになる。沼の上に足場ができるといくらか動けそうに思えます。ただ、やっぱり、正直、一歩目は怖いです。助けてが言えない、どう助けてと言ったらわからない、言葉にすることの大変さは改めて感じましたし、どんなに信頼してる人であっても、言えないことは残るんだろうと思います。言葉にならないその重みと尊さと、その人の人生を大切に思う気持ちは、絶対忘れずに持っていたいと思いました。
 先祖代々、受け継がれてきたものに、がんじがらめになっていましたが、それが少し解け、助けるとは何かということも、考えることになりました。自己犠牲的なもの、干渉的なものも混じっていたと思います。縛られていたけれど、同時に自分を助けていたものもありました。それを手放しても残る「助けたい」は、今見えている社会の仕組みの穴に落ちた経験からのものなので、そこに何ができるかはわからないけれど、もう暫くよく見つめたいと思っています。頂いた言葉に勇気づけられました。

ここまで深めることができたのは、素晴らしいと思います。