2010年4月25日日曜日

ドッグラン・デビュー

もうすぐ1歳になるうちのビーグル犬のカイ君を、近くの公園にあるドッグランに連れて行った。昨日に続き今朝が二回目の体験。昨日のことを覚えていたみたいで、今朝、入口にさしかかると、入りたくない!と必死に抵抗した。
そうだよな。昨日は入るなり、たくさんの犬たちが寄ってきてカイのにおいを嗅ぎまくっていた。カイはビビりまくり、尻尾は股の間に入るくらい垂れ下がる。
みんな、カイのことに興味を持って、友だちになろうとしているんだよ!
でもカイの表情は怯えきり、他の犬から逃げ回る。すると、みんな追いかけるので悪循環。すっかり憔悴しきったようだ。
飼い主たちもドッグランの中に入り、わが子たちを見守っている。結構、血気盛んな犬たちはじゃれあい、ケンカになり、一方が攻撃すると、片方は腹を見せて降参する。

ひとり、名主みたいなおじさんがいて、私にも話しかけてきた。
大丈夫。片方が抵抗しなければ、襲ったりしないから。こうやって何度か痛い思いをしたらすぐに慣れるよ。このへんは、過保護な犬が多いからね!
若いカイ君にとって、犬社会へのデビューだね。ピカピカの1年生が学校に行くと、まわりはみんな6年生の多きなお兄さん・お姉さんたちばかり。とても太刀打ちできないよな。でも、ここで諦めたら友だちはできないよ。カイにとっては、みんながいじめてくるように思うだろうけど、そうじゃないんだよ。仲間になりたくて寄ってくるんだから、大丈夫。
また、来週、連れてこよう。

2010年4月22日木曜日

職場で辞職を表明

現在、勤めている大学を今年度いっぱいで辞め、開業することを、昨日の教授会で学科の教員仲間に伝えた。
かなり前から、親しい友人や、ごく身近な同僚たちには伝えてきたのだけど、秘密裏だった。
これで、おおっぴらに話を進められる。もう、後には戻れない。

同僚たちの反応は、思っていたよりクールだった。
大学教員は、企業の社員や、一般の公務員のようなチームワークの部分はそれほど多くはない。小中学校の教員は、学年単位・学校単位で協力しなければならない仕事が多い。大学の場合、輪番制の各種委員や学生の担任などの役割は、私が抜けることで迷惑をおかけするが、本体の授業や研究は個人単位で行われるから、チームを組んでいる仲間以外は、直接大きな影響を受けるわけではない。上司に相当する学部長もいるが、辞表を提出するわけでもなく、一応、僕の意向を告げ、あとは事務手続きを進めるだけだ。

過去に辞めていく教員を振り返ると、定年退職と、他の大学に移ったりの自己都合退職と半々くらいだろうか。医師免許を持っている教員は、私のように辞めて開業するパターンがけっこう多い。私が抜けることによって、新たに教員を公募することになる。その手続きが面倒で結構時間がかかるので、今回のように早め、つまり年度が始まってすぐに大学に伝えないといけない。大学が望むような新たな人材が見つかるか、不安は残る。また逆に、私より若く、優秀で、大学にとってふさわしい人材を発掘するチャンスだろう。

むしろ私が心を痛めるのは、僕と直接チームを組み、一緒に仕事をしている人たち。彼らは僕の辞職によって多大な影響を受ける。僕が抜けても、彼らの安寧をどう実現させるか。辞めるまでの間に考えないといけない。

今までは、組織の中の人間として、良くも悪くも所属する場によって自分の存在が証明されてきた。これからは、一匹おおかみ。所属機関は自分自身しかない。自由かもしれないが、厳しい。経済的には、きっとなんとかなると思うが、全部、自己責任だ。組織に頼ることはできない。それだけの覚悟ができているのか、よく自分自身に言い聞かせないと。

2010年4月18日日曜日

人生の方向転換宣言

3日後の教授会に、公開して、正式オープンにできる。
もう待ちきれないから、ここで言ってしまおう。
このブログはまだ誰にも伝えていないから、まわりの人たちもきっとまだ読まない。後々から読みに来るかもしれないけど。

はい。私は今年度末で今の職を退き、クリニックを個人開業します。

はあ、やっと言えた!
今まで、限られた親しい人たちには半年ほど前から伝えてはいるんだ。
もともと、「開業したいな~」という気持ちは10年近く前からあり、飲んで、昔の友だちや、仕事に関係ない友だちなんかにはよくこぼしていた。しかし、それを実行に移すほどの勇気というか、incentive、きっかけはなく、この10年、ずるずる今までの仕事を継続してきた。それでずっと良かったんですよ。今でも現状維持でもぜんぜん構わない。旧国立大学の教授職は、きっとみんながあこがれる、とても恵まれた職場です。安定し、仕事がひどくきついわけではない。自分の裁量で研究や授業の内容は決められる自由もあるし、授業がない自由時間が夏には40日以上もある。うちの学科は女性教員が多く、雰囲気もよく、人間も優しくスムーズです(もちろん問題がないわけではないが)。
それなのに、なぜ今、50代の脂の乗り切った時期(まわりの人はよくそう表現するけど、自分ではそういう意識はあまりありません)に、大きく方向転換をするのか?
そのあたりの事情は、今まで僕を支えてくれてきた人たち、これから臨床などで出会う人たち、そして空の優子や自分自身のためにもちゃんと言葉に表して説明しておいた方がよいと思う。
...ので、書きます。
いくつかの説明の仕方があるかな。
  1. 小さい頃からの夢
  2. 今の職場に対する違和感
  3. 定年後のライフプラン
  4. 優子との約束
(続く)

なぜ方向転換するのか?(その1)

1)小さい頃からの夢

原体験としては、高校3年のアメリカ留学時代。医者になりたいというおぼろげな将来の夢を聞いたhost motherが、自分のかかりつけの精神科医に僕を紹介してくれたんですよ。
「Tiki、私(host mother)の先生に会いたい?とても素晴らしい先生なのよ。優しいし、週末には家族とよくテニスしてるし。」
近くの町のクリニックの小さな診察室で、17歳だった私が始めて精神科医に出会い、握手したことは、今でもよく覚えています。中国からの東洋系アメリカ人。日本にもふつうにいるようなおじさんだったけど、host motherはとても尊敬し、誇りを持って僕に紹介してくれたんです。
日本では、精神医療や精神科医は闇の世界、自分が精神科にかかっていることは隠そうとするし、ましてや友人や家族に紹介したりしません。でも、僕の精神科医のイメージはその時、ほんの数分会っただけの彼から来ています。患者から、地域の人々から認められている人。アメリカ映画によく描かれている精神分析医もモデルになった。
その後、日本の医学教育や研修医時代に出会った精神科医や精神医療とは大違いでした。時代と共にずいぶん変わってきたとはいえ、精神医療に対する社会的偏見は根強いものがあります。「狂った人」を精神病院に収容するイメージ。一度入ったら二度と出られない。ジャック・ニコルソン主演の「カッコーの巣の上で」(One Flew Over the Cuckoo's Nest. 1975年)と今の日本社会はそれほど変わっていません。タブーな世界としての精神医療。病識のない患者さんとその家族から恐れられている精神科医。薬物療法が中心で、精神療法(カウンセリング)を希望して長く話したがるやっかいな患者は臨床心理士にオーダーを出して、まるでレントゲン検査か血液検査のように患者さんの心を評価しようとする医者たち。それが僕のかけ出し医者時代に経験した日本の精神医療でした。
僕がやりたいのはそういう古い体質の精神医療ではない。夢と希望を持てるような、positiveでproactiveな精神医療。
既存の精神病院で働くつもりは全くありません。今までの日本の精神医療との伝統とは全く違うところで、僕の考える、人々にとって、本当に力になれる医療を目指したい。それは、

  • 十分な時間をかけた、ゆっくりとした深い対話。
  • 薬の処方は二の次。必要な場合には使うけど、一番大切なのは会話。
  • エコロジカルなモデル。個人の病理(生物学・医学モデル)のみならず、環境の要因、つまりその人の生い立ちや家族・地域・社会・文化との関わりにも注目した支援。

そんなことを目指します。

日本の精神医療では、精神科医と心理士の役割が切り分けられ、別々になってしまった。
精神科医=生物学(医学)モデルによる薬物療法。
心理=心理学モデルによるカウンセリング。このように分かれてしまった理由は、心理士には十分な医学教育が含まれていないからしかたがないとしても、精神科医は両方のモデルを使えるはずです。でもそうならない理由は:
1)医学教育における心理学モデルのトレーニングの欠如。医者の学部と卒後教育は医学モデルに大きく傾き、心理学モデルがほとんど教育されません。少なくとも僕が30年前に受けた教育はそうだった。今は、エコロジカル(生態的)な時代です。Bio-Psycho-Socialの3つのレベルを重ね合わせた多重的なアプローチが必須です。特に精神医療の場合には。
2)医療保険制度の弊害。時間をかけた良質な精神療法に対する評価が組み込まれていない。今年の改定でも精神療法は5分以上で330点(3300円)、30分以上でも400点(4000円)。時間をかけても報酬がほとんど変わらない。それより、診療自体は短く切り上げて、薬をたくさん処方して、検査をたくさんしたほうがはるかに点数(=収入)を稼げる。
それでは、時間をかけた精神療法の点数をもっと上げれば良いのでは?
すると、こんどは時間をかけた精神療法の質をどうやって客観的に評価するかという問題に直面する。薬や検査の質、つまり効き目は客観的に評価可能だ。でも、精神療法は基本的に会話:おしゃべり治療だからね。ちゃんとトレーニングやスーパービジョンを受けて、深いところまで理解して効果を上げる場合と、治療者が何にも分かっておらず、見よう見まねの役に立たないおしゃべりだけで時間を潰すのか、その両者をどう見分けるか。本当は、目に見えないpyschotherapyに対するoutcome researchが必要なんだけど、なかなかそこまで研究が進んでいない。だから、もし仮に時間をかけた精神療法の点数を引き上げたら、売れない、腕の悪い精神科医が、あまり患者が来ないので、ひとりの患者をダラダラ長く診て、何もしていないのに点数を高くもらっちゃうという現象が起きるのでは。
だから、カウンセリングの効果をどうやってクライエントに示すのか。Evidence Based Medicineが必要な時代、psychotherapyにおけるevidenceとは何なのか?
治療を受けて、はい良くなりました、主訴が解決しました、症状が緩和しましたというoutcomeが必要なわけだが、それをどう測定するのか?
まず、ひとつ考えられるのは、クライエントの評価です。治療が終わった段階で、あるいは途中経過の中で、主訴の改善はこれくらいですとfeedbackしてもらう。紙に書いて、あるいは口頭で。それできるか?クライエントに負担がかからないか?正直な客観的評価が可能か?
もうひとつ考えられるのは、治療者側の自己評価。カウンセリングがうまくいっているか、効果が上がっているか、チェックリストを作る。でも、自分自身で客観的に評価できるのだろうか。恣意的・自己愛的に、甘くなりはしないか。
そういう意味で、もっと分かりやすいのは、治療の物語を記述することかもしれない。治療の効果がわかり、クライエントが呼んでも納得できる物語。ベストは、クライエント自身もその記述に参加してもらうこと。
(続く)

なぜ方向転換するのか?(その2)

2)今の仕事への違和感
いや、今の仕事は良いんですよ、すごく恵まれている。
でも、僕自身にとって、疑問が湧いていた。
教育よりも、臨床の方が良い。
人と関わり、人に対して専門の立場から影響を及ぼす。それによって、その人が成長したり、問題を解決することでbetter personになれる。そこまで立ち戻れば、両者は同じはず。
  • 大学教員が、学生たちに学びの場を提供することによって、彼らはbetter personになれる。
  • 精神科医は、患者と関わり、抱えている病気や問題について支援することで、彼らはbetter personになれる。
どちらも、結果は同じじゃない!どこが違うの?
密度の問題なんです。
大学教育:僕が学生たちに関われるのは、たくさんの授業の中のひとコマにすぎません。効力感の問題というか、僕がいなくても、社会人にはなれます。あと、専門性の問題。僕でなくてもできる。教育、少なくとも今僕がやっている事は、他の専門家でもできます。
思春期臨床:ひきこもりへの家族療法。男性支援。夫婦カウンセリング。異文化間夫婦。こういうのを扱える人は、僕のみとは言わないけど、この社会の中にかなり限られている・・・という自負がある。
すぐに効果が見えるという効力感:僕の関与が、直接的にクライエントの運命を左右することもある。それは大それた、恐ろしい事だし、責任を伴う。それだけ、やりがいもある。

あと、大学の授業で教え込むことへの違和感です。
僕自身の高校・大学時代を振り返っても、きちんと知識を覚えることが苦手というか、興味がありませんでした。既存の知識体系に入って行くことに自信がありません。

一番辛いのが、大人数の学生に、知識を教え込む授業です。一生懸命教授がしゃべればしゃべるほど、学生は興味を失う。それが僕自身の学生時代の想い出です。大学教員になり、今の学生たちを見ていると、僕の話に一生懸命食いついてくる学生と、寝たり内職したり興味を示さない学生の両者がいる。教員として彼らを見ていると、どうしても後者の方に共感してしまう。そうだよな、必修だから仕方がなくとっている科目の先生がしゃべったって、そんなに興味を持てないよな。そしたらやる気だってしないよな。自分でしゃべっていて、何かむなしさを感じる。
枠組みを教えるより、枠組みを破ることを伝えたい。少人数の大学院の授業や、卒論の個別指導はまだ良いんですよ。僕が教え込むのではなく、学生が自主的に新たな知識を求めるお手伝いをする作業です。
そういう意味で、精神科臨床、少なくとも僕のやろうとしているpsychotherapyは家族システムという既存の病理的構造を破り、新たなシステムを作ろうとする試みです。DSMなど、既存の診断基準にあてはめる操作的診断方法はイヤです。

3)定年退職後のライフプラン
今、公務員を辞めるのは収入的に絶対不利だ。
今、自己都合退職で辞めると、65歳の定年退職で辞める場合と比べ、退職金が約1/3。退職後もらえる共済年金(昔で言う恩給)ももらえなくなっちゃう。公務員の退職後はすごく手厚いんだよな。
それらを捨ててまで、開業する価値は、ホントにあるのか?
65歳まではそれほどメリットはないかもしれない。
問題は、それ以降。まだ、悠々自適には早い。多くの大学教員たちは、退職後、別の私立大学に天下りじゃないけど、再就職している。それは避けたい。条件の良いところが見つかる保証はないし、たとえ道が開けたとしても、学生に教えるのはもうたくさん。
臨床に戻りたい。でも、65歳過ぎて新たな道を切り開くのはしんどい。50代の今、作っておけば、その後も、体力・気力の続く限り、自分なりの社会との接点を維持できる。

4)優子との約束
private lifeにおける事情のため、プライベート版ブログに記載しました。