2021年4月13日火曜日

私が生きてきた価値(2)


自分の人生について、非常に無価値であると思っています。
なんとか早く自分の寿命が尽きないかと思います。
まったく意味のない人生であると思います。
きっかけは子供のことです。
自分の人生がどうしようもないので、その悪影響が子供に出てしまいました。
しかしその解決方法がわからない、自分の人生は無価値であるし、取り返しがつかないという無限の責任論のなかをさまよっています。
生きているのがつらいです。

あなたの方向性は基本的に正しいです。
自分の価値はスタンドアローン、自分ひとりの単体では生まれてこないんですよ。
他者から肯定的に肯定されて、他人からの「いいね!」をもらって、初めて自分に価値が付与されます。

それに、私が前のブログ記事に書いた「価値」と、あなたが言っている「価値」はちょっと種類が違います。私が言っていたのは偏差値とか立身出世とか、私が身につけてきた鎧、登ってきた山の価値であり、あなたが言っているのは、鎧を着る前の素の自分の価値でしょう。
鎧の価値なら、合格証書をもらったり、本を書いたりテレビに出て有名になったり、Facebookやインスタでいくらでも「いいね!」をもらうことができます。
素の自分の価値は、素の自分を相手に見せなくてはなりません。
幼い子どもはまだ鎧を作っていないから、身近な人(愛着で結ばれている人)には自ずからよく見えます。大切なのは、その人が「いいね!」を発行できたかですね。
いわゆる、無条件の愛とか、unconditional positive regardとか言うやつですね。
あなたは昔きっと無条件の「いいね!」をもらい損ねたから、無条件の「いいね!」を子どもや家族に与えることができず、苦しんでいるように思います。

大人になると、鎧を纏って素の自分を隠すから、なかなか「イイね!」を出してもらえません。
あなたは、立派な大人ですけど、こうやって素の自分を私に見せようとしています。まだ一部ですけど。
素の自分を誰かに見せることができれば、「いいね!」をゲットする可能性はあります。
でも、大人の人は、なかなかできないことなんですよ。とっても恥ずかしいことですから。
子ども時代なら自然に見せちゃえるのですが、大人になると相当な抵抗感があります。
そういう意味で、あなたの方向性は基本的に正しいんです。
でも、まだ道なかばで、価値を見いだせるまでには、まだもうちょっと苦労しますけど。

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