2011年6月18日土曜日

Stigmatized psychiatry vs. Positive psychiatry.

陸前高田は、日本の伝統的コミュニティはどこでもそうだが、精神医療(メンタルケア)が辺縁化されている。市の中心にあった市民病院には内科・外科はそろっているが精神科はない。市内唯一の精神科は収容型の精神病院が町の外れの山際にある。前者は被災し、後者は津波の被災を逃れた。


日本の(世界の)従来の精神医療は、正常から異常を選別し、「狂気」のラベルを貼り、偏見と共にmainstreamの社会から排除する。その前身は「座敷牢」だ。専門家の役割は、なるべく正確(妥当)なラベルづけの作業。そのために疾病論や操作的診断技術(DSMなど)が発達してきた。


私の目指す精神医療はちょっと違う。Mainstreamの中での精神医療だ。異常を対象とするのではなく、正常を対象とする。つまり、誰でも経験するnormalなlife-cycleのtransitionの中での危機を乗り越え、よりpositiveに生きるための支援である。具体的に言えば、

  • 出生~子ども~思春期~大人への発達の危機(発達課題が複雑であればあるほど、それを滞りなく達成することが難しくなる。たとえば、社会性獲得の危機としてのひきこもりなど)
  • 親密性の獲得~パートナーシップ形成における危機(marital therapy)
  • 中年期における危機(社会的役割獲得の困難さ、更年期障害など)
  • あるいは、事故・災害などによるトラウマ、対象喪失による悲哀など。

これらの問題は病気(異常)ではない。誰もが遭遇する人生の危機である。これをうまく乗り越えられないと、社会的機能が低下し、悪循環の末、結果的に病理化されてしまう。
それを未然に防ぎ、より健康に、positiveに生きるための支援を目指している。だから、診断も、抗精神病薬も必要ない。クライエントが望めば差し上げるけど、それを与えることが目的ではない。
困難さにより凍結した人生を、再び動き出すための支援は、言葉の中から生まれる。

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