2012年2月8日水曜日

弱く保護されるべき子どもから、傷つきを乗り越える大人へ:思春期の心の成長とひきこもり

ひきこもりには未熟、甘え、わがままといったマイナスのイメージがどうしても付きまといます。どのように考えたらそれを払拭できるだろうかいろいろ考えてきました。確かに彼らは未熟です。しかし幼い子どもは誰でも未熟なわけで、それが劣っているとかマイナスなわけではありません。そこからスタートして子どもの心から大人の心への移行するプロセスがスムーズにいっていない状態がひきこもりと考えます。
子どもは自分で生きる力を持っていません。親などの他者に依存して生きています。親は子どもの安全を保障し、無条件に愛そうと力を発揮します。子どもは良きものか悪しきものか判断できるほど成熟していないので、そのまま無条件に愛します。子どもはその愛を受け入れることによって自分の存在そのものが肯定され、この世に生きていくための基本的な自信と自己肯定感を得ます。それは自分の欲求が満たされる世界です。満たされない部分を修復する力を子どもは持たないので、保護者の責任と考えどうにかしてくれと訴えます。これが幼児的自己万能感、いわゆる「我が儘」の世界です。
一方、大人は自分で生きていく力を持っていることが前提です。もちろんひとりでは生きていけませんから、他者と関係を持ち生きるために必要な資源を導き出します。異質な他者と折り合うためには自己万能ではいられません。自分が100%満たされていた世界は崩れ、6割から7割程度しか満たされないことを受け入れます。他者と関わりますが、依存しません。ものごとがうまくいかないことの責任は自分が負います。自分の欲求は自分の力で満たしていくしかなく、その力も備えているはずです。
子どもが思春期にさしかかると自分の住む世界が広がり、対人関係も複雑になり、勉強も難しくなります。自分の思いどおりには事が進まず自己万能感が傷つけられます。すべてが崩れるのではなく、6-7割の自分でいることに満足できれば、傷ついてもやっていけるという自信を獲得します。子ども時代の自信は他者に守られた世界の中での自己肯定でしたが、大人としての自信は自らの力に対する自信です。
思春期は子どもの心と大人の心が混在した状態です。ある時は大人の心を発揮して強く前に進み、別のときには自信を失いまわりの人に依存します。前進と後退を何度も繰り返しながら、徐々に成長してゆきます。自信を失い学校や社会生活から一時的に撤退することもありますが、挫折しながらも何とか大人の心へ成長してゆきます。
何らかの要因によってこの変化がスムーズにいかず、挫折の悪循環が長期化した状態がひきこもりです。その背景には本人、環境、そして家族の要因が考えられます。本人の要因として何らかの発達上の障害や精神的な障害があります。認知や思考能力が十分機能しないので他者とのやり取りがうまくいかず、社会に適応できません。また、環境の要因もあります。いじめや対人関係のトラブルなど、その場に入っていくのが危険であったり、求められる要求水準が高過ぎる場合などです。

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