2018年10月12日金曜日

セラピストも変化し成長し続ける

先日の学会に初めて参加した若いセラピストからメールを頂きました。

学会のシンポジウムで先生のお話を聞き、Person of the Therapistでしたでしょうか、セラピストも常に変化し成長し続ける、それを恐れずむしろ楽しむような先生の姿勢に触れることができたように思います。

ありがとうございます。
とても良く私のことを理解していただけたと思います。

自分が得てきたものを手放し、自分を見失い、変革を求められることは、ある意味とても怖いことです。
しかし、心の支援者が成長するプロセスにおいて、初学者としてひととおりの理論や技法を使えるようになった後は、自分自身の内面に向き合い、自己の体験から得た人間性をどうクライエントとの関わりに生かすかという視点が重要です。
このことは心の支援者に限らず、すべての人にとって大切なことだと思います。

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セラピストの変化・成長とはどういうことでしょうか?
たとえば、私自身の例をご紹介しましょう。

人は自分が肯定されないと、つまり「善きもの」と認定されないと、生きていけません。
そのために一生懸命、自分を磨き、自分は善き存在であることを証明しようとします。
そうすれば、人とも向き合うことが出来ます。
自分を肯定し、相手も肯定できます。
それは、
・自分を良く見せるための鎧
・自分のアイデンティティ
・自分のプライド(自尊心)
・自分が一番大切にしてること
などと言い換えることもできるでしょう。

私は長い間、成績が良いこと、エリートであることを、自分のプライド(自尊心)、つまり私がOKであることの根拠にしてきました。
自分で言うのもなんですが、私は小中高時代に勉強がよく出来ました。偏差値も高かったです。
大学に行くと劣等生でした。何度も追試験を受けて、やっと卒業できました。しかし、それは国立医学部というエリート集団の中での話です。自分の鎧が傷つくことはありませんでした。

医学部を卒業してから、自分の専門を決めます。優秀な仲間たちが行く内科や外科といったメジャーな診療科に進む自信はありませんでした。精神科は比較的マイナーな分野でそれほど人気はありませんでした。私が精神科を選んだのは様々な理由があるのですが、これも理由のひとつだったと思います。

大学5-6年生(22-3歳)の頃、3歳年下の女性と付き合いました。地元(茨城の田舎)のレストランでバイトしている高卒の女の子です。私が初めて深く付き合った女性で深く愛し合い、卒業したら北海道に移住して医者をしようかなと考えていました。なぜなら彼女は馬がとても好きだったからです。
そのことを大学の先輩に相談したら、「田村、彼女はヤバいぞ!」と言われました。何がヤバいのかよくわからなかったけど、当時の私は自分の選択に自信はありません。その後しばらくして彼女と別れました。
何人かの女性を経て(10代の頃はさっぱりでしたが、医者になった20代は女性からもてました)、高学歴で、英語が私よりも上手な妻と結婚しました。
そして子どもを3人つくりました。

人は小さな世界(家族)で生まれ、成長し、思春期になると大きな世界(社会)に船出して、自分のポジションを見出します。

青年期の頃、私は大きくなりたい、より大きな世界に出て行きたいと思っていました。
海外に飛び出し、多くの人々と交わり、多くの人から賞賛を受けて、お金持ちになり、立派な家族を作りたかった。そのためには「エリート」で、人よりも抜きん出ることが有利だと考えていました。

私の高学歴志向は、家族のレガシー(遺産)でもあります。
私の父親も母親も昭和一桁生まれで、7人きょうだいの中ほどでした。両親とも数多いきょうだいの中では一番勉強が出来て、名門と呼ばれる大学を卒業しました。父親は東京大学、母親は神戸女学院です。そんな二人の属性がマッチングされ、お見合いで結婚しました。学歴レガシーはそこから生まれました。
両親の実家自体は学歴など無頓着な商家でした。その地域(群馬と愛媛)では比較的大きな商家だから、その時代背景における優位なポジションという意味では両親以前の世代にさかのぼるレガシーであったのかもしれません。
いずれにせよ、私個人の家族の歴史から生まれたちっぽけな価値に過ぎません。

私は自分を善き人として成り立たせているもの(自尊心)は、人と比べ、より優れていること、専門職(医者で大学教員で)として多くの人から承認されていることだと、ずっと思ってきました。
良いポジションを得ることと、幸せになることはあまり関係がないはずなのに。
社会が貧しかった時代は、良い社会的ポジションが幸せの必要条件だったかもしれません。しかし、豊かになった今の日本社会ではほとんど関係ありません。心理臨床の現場では、良いポジションを得ながら幸せになれない人々にたくさんお会いしています。

私は最近両親を見送り、自分の年齢(ライフサイクル)のことを考えるようになりました。還暦を過ぎ、会社勤めの友人たちはリタイアの時期が近づいています。
人は小さな世界(家族)に生まれ、鎧と武器を携えて大きな世界(社会)に居場所を見出します。そして、年齢と共にものを失い、小さな世界に戻っていきます。

・退職し、社会的役割を失います。
・身体(体力・精神力や健康)を失っていきます。
・子どもが巣立ち、親役割を失います。
・家族も失っていきます。

やがて小さな自分に戻り、孤独に耐え、亡くなるときはひとりです。
私は10年前に一番大切な妻を亡くしました。失くしたものは専門職として活躍する妻ではなく、親密で何でも分かり合える妻、育ち盛りの子どもたちの母親である妻でした。

その時に気づきました。
・私を成り立たせているものは、専門職として関わる社会の人々からの承認ではなく、身近で親密な人からの承認であることに。
・それは、パートナーからの承認であり、老いて亡くなるまで息子である私を見守ってくれた両親からの承認であることに。
・家族からの承認という安全な母港があったから、私はソトの世界に船出できたのだと思います。

人より優れ、自分の有能さを示すための専門職プライドは意味を持たなくなりました。
私にとって一番大切なものは、自分のすべてを(弱いところも、恥ずかしいところも)伝え合い、何でも分かり合える親密な人です。若い頃も、それが一番大切だったのですが、当たり前すぎて、そのことに気づきませんでした。失って、初めて気づきました。

それでも専門職であることは誇りに思います。退職年齢を過ぎても、体力と気力が続く限り仕事を続けられます。
頑張って高機能の鎧を手に入れて、大きな世界(社会)から賞賛を得ても、小さな世界(親密な愛着関係)から承認を得られず苦しんでいる人たちの気持ちがよくわかります。なぜなら、それは自分自身の姿でもあったからです。

そういう人たちの苦しみをどうやって解放するかというと、
まず私自身が、彼らの小さな世界に入り込みます。そして、
1)私が承認を与える場合もあるし、
2)身近な人同士(愛着対象であるはずの人)がお互いに承認を与え合えるコンテクスト(文脈)を作ります。
結構むずかしい作業ですが、それをできること、それを後進の支援者たちに伝えることが私の専門職としてのプライド(誇り)です。

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長くなりましたが、これがセラピストとして、ひとりの人間として、変化し成長し続ける私の一例です。

私がエリートという自分の鎧を、それが必要でなくなる年齢まで崩さずに来れたことは、幸運でした。

逆に言うと、まだ鎧(自尊心)を必要としている時期に、それを失う痛手がどれほど大きいかということもよくわかります。特に、鎧の制作中である思春期・青年期にとっては致命的な痛手となります。
価値の喪失を受け入れ、そこ立ち直り、新たな変革を可能にするのは、その根底にある安全な母港の存在です。
このことも、自分自身の体験からよくわかります。

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