小児科の先生から「親子関係を診てほしい」と私のところに紹介され、葉月さんがお母さんと児童相談所の人と一緒にやってきました。
葉月さんは朝起きられない、集団に馴染めず一人でいることが多い、指示が入らない(親の言うことを聞かない)、反抗する、リストカットなどたくさんの問題を抱えています。お母さんは、何か障害があるのではないかと小児科に連れて行きました。
小児科医の紹介状には「発達障害(自閉症スペクトラム障害)」と書かれ、ついでにお母さんもその傾向があるとのことでした。
お母さんのしつけは厳しく、早寝早起き、時間を必ず守る、家の手伝いは当たり前
という方針です。しかし葉月さんはそのいずれもできません。
中学2年生の頃から母娘がよく対立するようになりました。葉月さんは母親に反抗し、母親は激昂し、葉月さんを叩くこともよくありました。
葉月さんは家を出て、友人の家に行きました。母親は警察に連絡して連れ戻そうとしましたが、葉月さんは家に戻ることを拒否したため児童相談所で一時保護することになりました。
この段階で、私は葉月さんと面談しました。
保護施設の生活は他の子どもたちのことが気になり、気が休まりません。家に戻るしかないかなぁと考えるようになりました。お母さんと面談しましたが、とても大変そうです。離婚してシングルマザーで頑張っていますが、仕事が忙しく、子どものケアが十分にできません。親の言うことを聞かない葉月さんに対して拒否的な態度でした。母親の実家の両親(葉月さんの祖父母)は孫娘を心配して戻っておいでと言いますが、母親にとって実家は戻りたくない場所でした。
児童相談所の人とも相談しました。
母親はひとりで仕事と子育てに孤軍奮闘して、パートナーや実家からのサポートも得られません。適切な養育環境とはいえず、家に戻せば、母娘葛藤が再燃することは目に見えています。私は児童養護施設、あるいは里親さんを見つけることをお勧めしました。
その後、お母さんとも何度か面談し、お母さんの生い立ちも伺いました。お母さんの父親はとても厳しく、男尊女卑だったそうです。早寝早起き、時間厳守、女子は男子の面倒をみることと教えられ、お母さんは自分の意見を言うことが許されず、全く自由がありませんでした。親は家の近くに留まるよう勧めましたが、お母さんは高校生になると家を出て、以来、実家から離れて暮らすようになりました。
葉月さん、お母さん、児相の職員と葉月さんの今後の行き先について話し合いました。
葉月さんは、施設はイヤだから家に戻りたい。
祖父母は、実家に戻っておいで。
お母さんは、一人では葉月の面倒を見切れないけど、実家の助けは借りたくない。
児相は、養護施設の空きはなく、里親さんもなかなか見つからない。
ということで、なかなか良い選択肢が見つかりません。
母親にはサポートが必要です。
心配してくれている母親のご両親に良い知恵があるかもしれません。祖父母も一緒に相談に来るよう、お勧めしました。
その次の面談では、葉月さん、お母さん、母方祖父母、児相の人が一緒にやってきました。
高齢の祖父母もお元気で、娘と孫のことを心配しています。
お母さんは、勇気を出して、思い切って、両親に相談し、葉月さんのことで病院まで一緒に来て欲しいと伝えました。ご両親は、お母さんの話をわかってくれました。あれほど厳しかった父親が一緒に来てくれてとても安心しましたと、涙ながらに語りました。
お母さんはさらに語りました。私は今まで実家に壁を作っていました。実家は、私にとって難しい環境でした。身近な人に心を許して甘えることができませんでした。裏切られることが怖かったんです。
その後、葉月さんは、一時保護所から家に帰り、自宅でお母さんと生活することになりました。お母さんは週末には実家に度々帰るようになり、お母さんと葉月さんの葛藤は格段に減りました。お母さんと葉月さんの心の壁も取り除かれました。
私から診ると、葉月さんもお母さんも、発達障害(ASD)の診断基準に当てはめる必要もありませんでした。葉月さんとお母さん、お母さんとそのご両親の間には壁がありました。お母さんの実家は昔風の封建的な家風でした。その中でお母さんが自立して自由を獲得するためには、壁を作るしか方法がありませんでした。しかし、その習慣は次の世代に持ち越され、お母さんは自分の親と同じことを葉月さんに無意識のうちに求めてしまいました。
壁の根底には、親子の愛情が健在でした。葉月さんの問題に直面し、お母さんは勇気を出して親との壁に挑戦し、厳しかった父親はお母さんを受け入れ、壁を取り除くことができました。すると、葉月さんとお母さんの間の壁も自然に取り除かれました。
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