8月15日の「子どもと家族の研修会」にはオンラインからの参加者が1名のみでした。
ひとり参加ですと、その方のニーズに合わせ話を深めることができます。なかなか一名のみという機会は巡ってこないので、参加された方はラッキーだったと思います。
8月16日のグループ・スーパーヴィジョンには6名の方が参加しました。
大森に来訪された方が2名、オンラインで参加された方が4名でした。
参加者からの振り返りをご紹介します。
8月16日のグループスーパーヴィジョンに参加させて頂きました。今回で2回目の参加。考えが行き詰っていた日々の仕事の中、あえて自分が症例検討を出してみようと考えました。
コロナで世間が騒がれているこの猛暑の中でも学ぼうとされている方は必死だなぁと。
そして症例に関しては、多角的な目線からものごとを見ることができ、アイデアが膨らんでいき、田村先生はじめ今回参加された皆様には大変感謝をしています。
病院で働いていると他職種連携はありますが、どうしてもヒエラルキー的なものを感じ、自分がいつの間にか孤独な気持ちに苛まれることもあります。しかし、この会では、そういったことも気にせず自由に平等に意見を出し合っていく、そういった環境がセッティングされている事が、素晴らしいと思いました。やはり、参加して良かったといった思いと同時に安心感が芽生えたような気がしました。
私も病院と学校の現場に長くいたので、病院システム・学校システムのhierarchicalな構造は痛感します。その方が効率的なのだと思います。医療現場では医師にオールマイティーな権限を持たせ、他の職種(看護・心理・薬剤師・ソーシャルワーク・療法士、、、)に「オーダーを出す」わけです。
学校は、国の次世代を育成するわけですから勝手な教育をするわけにいかず、文科省⇒教育員会⇒学校長・管理職⇒教室の教員と、やるべきことが決められています。
責任を持たされ意思決定をする立場の医師や管理職は、自分の裁量が認められる反面、これでいいのだろうかという疑問を確認できず孤独感が付きまとうというのもよくわかります。
Hierarchicalの反対がCollaborativeでしょうか??
意思決定のプロセスを一方向的なモノローグではなく、双方向的なダイアローグで行います。私のグループスーパーヴィジョンでは、スーパーヴァイザー(私)が「教える」わけではなく、事例提供者や他の参加者たちの語りをうまく引き出し、それをどう統合するか整理するかというあたりも、グループみんなでやっていきます。
とはいえ、参加者の多くは「先生に教えてもらう」ことを期待しますから、私の経験や知識ももちろんお伝えします。しかしそれがhierarchicalになってしまったら面白くないわけで、私の語りも披露しつつ、みなさんからいろいろ突っ込みをいれてもらい、より厚みのある語りに醸成できたら面白いと思います。
それがうまくいけば、孤独から解放されて安心できるのだと思います。
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