2012年7月19日木曜日

ひきこもりの家族療法

質問) 「ひきこもりの家族療法」って何をするのですか?

 ひとことで言えば、安心して成長・自立できる文脈を創り出すことです。
 本来、子どもは成長する力、つまり万能的自我から決別し、社会的自我を獲得する力を持っています。それは、居心地が良かったウチの世界をあきらめ、傷つくかもしれない、不安がいっぱいのソトの世界に飛び出そうとする勇気と自信です。思春期の子どもたちは、何気なくこのプロセスを通過しているけど、ホントは相当な勇気が必要です。 心の元気が必要です。元気になれる文脈を提供するのがカウンセリングです。


<不安の法則-その1>不安な気持ち・安心な気持ちは身近な人の間で伝播する

人は誰でも生きる不安を抱えています。不安とは、実態がよくわからない、漠然とした曖昧な感覚です。しかし不思議なことに、ある人が不安を抱えていると、中身がよくわからなくても、身近な別の人(親子や夫婦)に伝わり、その人もなんだかよくわからないけど不安になります。その逆に、ある人が安心していると、相手も何だかよくわからないけど安心してしまいます。

子どもが元気にウチの世界から飛び出してゆくためには、ウチの世界(家族)の人が元気でいることが大切です。そうすれば、子どももなぜか勇気を獲得できます。


 どうやったら家族は元気になれるのでしょうか。 家族も自然にしていれば本来の元気力を発揮できます。しかし、長年生活していれば、どうしても不安のオリがたまってきます。そのオリを見つけ出し、取り除いてあげることが家族療法です。 親がさまざまな不安から解放され、元気を回復すれば、自然に親子の距離が離れ、それまで子どもを保護していた親の囲いを安心して解き放すことができます。不安と緊張で縮こまっている子育てから、のびのび安心子育てに180°転換できます。


では、その不安とはどこから来るのでしょうか。それは巧みに隠されていて、なかなか見つけにくいものです。

  • 子どもの成長を見過ごしている場合です。普段、子どもと心理的な至近距離にいると、子どもの心が成長し、自立の兆しが芽生えていることを見過ごしてしまいます。すると、それまで子どもが幼かった頃の習慣のままに、子どものことをたくさん心配してきちんと関わり、子どもの安全を確保してあげようと一生懸命になります。子どもが幼い頃は、親は子どもをきちんと保護しないといけませんが、思春期になるとそれは却って邪魔になり子どもの自立を阻害してしまいます。このようなときは私から、「いえ、もう大丈夫ですよ。大人として扱っていいんですよ。」と安心材料を提供する(許可を与える)ことで、不安感から解放されます。
  • ひとりっきりで子どもの成長を見守り、しつけや教育の責任を果たしている場合です。自分だけが子どもに関わっているという孤立状況では、なかなか不安から解放されません。サポートが必要です。夫婦がどう協力して子どもに関わることができるか、あるいはカウンセラーや学校の先生などが第三者としてどう子どもに関わることができるか模索します。ひとりっきりではないのだと安心できると、それまでの不安感を荷卸しできます。
  • 親としての自責の念が不安感を強めてしまいます。親は子どもの健やかな成長を保証してあげなくてはなりません。それはそうなんです。子どもが傷つかないように親が責任を持って守らなければなりません。但し、それは思春期の前までです。思春期に入り、自立しはじめたら、徐々に責任の所在を親から子ども自身に移行していきます。一気に親が責任を放棄するわけではありませんが、徐々に手綱を緩めていきます。子どもの辛さや傷つきにもっと早く気づいてやればよかった、親としてできることがあったはずなのに、ちゃんとしてあげられなかった、、、、その気持ちは、未だに子どもの失敗の責任を親が引き受けようとしていることを表しています。そんなに自分を責めないでください。親が責任をとってしまったら、子どもは自分で責任をとれません。困難に直面し、どうにかしなくちゃと試行錯誤する責任を、親から子どもに譲渡しましょう。そうすれば、親は自責の不安から解放され、子どもが試行錯誤して苦労できるようになります。苦労は成長のためのスパイスです。
  • 高い教育期待を掲げる場合です。親や親族など優秀な家系に見られる現象です。思春期はそれまでの万能的自我(100%の世界)から社会的自我(60-70%の世界)折り合う道を見つけようとする時期です。しかし高い期待が維持されると、子どもはそれに応えようと100%どころか120%を目指します。それが成就されると大きな自信を獲得し大人になることができますが、残念ながら成就できない場合は、まわりの期待を調整してあげないと子どもはいつまでも60-70%にダウンサイズできず、「100%が果たせなければ0%しかない」という二分法から決別できません。通常、教育期待は無意識的な雰囲気として家族の中に漂っていますから、そう言われても親としてよくわかりません。そのあたりを家族でよく話し合うことで、親も子も不安感から解放されます。
 以上は、子どもにまつわる不安感です。これらはまだわかりやすい方で、実際にはもっと入り組んだ不安もあります。

<不安の法則-その2>不安感は易きに流れる。 人はたくさんの不安を抱えています。でも、そのことを想起すること自体が不安です。だから不安の存在を自分自身でも隠し、目の前にあるわかりやすい不安に流れていきます。親にとって、最もわかりやすい不安は子どもがちゃんと成長してくれるかという不安です。親が隠れた不安を抱えていると、それが地下水脈を伝わって、一番身近にいる大切な対象(子ども)に投影されます。

 そういう時に親自身の心配を尋ねても、「子どものことだけが心配」で、他の心配なんてありませんと言います。自分自身にも隠しているからです。このような時に「子どもの心配」を取り除くために「子どもは心配しなくても大丈夫」と私から言っても全然ダメです。まず地下水脈をどうにかしなくてはなりません。それは子どもとは全く関係ないところに存在しています。よく遭遇するのが、
  • 親自身の子ども時代の辛かった体験
  • 過去の失敗体験
  • 自分の親との未解決の葛藤
  • 夫婦間の越えがたいわだかまり
 などが長年にわたり、どうしようもなく横たわっています。 なにも、これらをクリアする必要はありません。人生、さまざまな困難があって当然です。ただ、大切なことはそこから目を逸らすのではなく、問題は問題としてちゃんと向き合うことです。そうすれば地下水脈の連結が外れて、別の不安が子どもへの不安として投影されず、元気に子どもに向き合うことができます。
 長年維持してきた地下水脈は生きるために仕方なく掘り進めた方策です。それを、自分だけで整理することはまず不可能です。他者の力がどうしても必要です。生きていく苦しさはそう簡単に解決できません。いや、解決する必要はありません。解決されなくともそのことを認知し、信頼でき絶対裏切らない他者に客観的に語ることが大切です。そうすれば、その問題を抱えているために発生するnegativeな気持ち(たとえば恥、罪の気持ち、怒り、自分を責めてしまう、自分がダメと思い込む、自信がなくなる、不安で元気がない)から解放されます。抱えている問題自体はどうしようもなく困ったnegativeなことのまま変わりませんが、それを抱えている自分自身を肯定して、自信を回復します。 問題を抱えたままでも家族が元気になれば、その元気が思春期の子どもにも伝わり、ウチの世界から飛び出し、不安なソトの世界に飛び込む勇気を獲得できます。そして、いつのまにか自然にひきこもりなどの問題が氷解してゆきます。

 ひきこもりの家族療法とは、本人も家族も、安心して「ひきこもり」という困難な課題を乗り越える元気を取り戻すことです。

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