2012年7月31日火曜日

家族の価値の伝承

今回の愛媛出張は仕事のついでに遊ぶというより、遊びのついでに仕事をするというほど楽しむことができた。なにも享楽的に楽しんだわけではない。自分のルーツを探る旅だ。子ども時代には毎年訪れていた母の実家を久々に再訪し、親戚と昔話がたくさん出てくる。あのいとこはどうした、あのおばさんはどうした、、、、話しているうちに私が家族の価値を受け継ぎ「顔向けできる」メンバーだから、こうやって再訪を楽しめるのだということに気づいた。

家族は生活と安全・安心の場を提供するのみならず「価値」を与える。その価値は家族の無形文化財だ。どこにも明文化されておらず、メンバー各々の心の中に取り込まれ、意図されないまま伝承されていく。私が内面化した家族の価値は次のようだ。

父方・母方の原家族はかなり「しっかり」している。家族の価値がしっかりと受け継がれて行く。その作業はかなり大変で、しっかり受け継ぐことが出来ると安泰だが、うまくいかないと大きな負担となる。母方の家は瀬戸内海に面する小さな町の大きな家だった。先祖代々続き、元はなんとか水軍(瀬戸内海の海賊?)がルーツである。おじさんが記載した美談それを家族のホコリとして伝えて来た。戦前までは豪商でかなり羽振りが良かったと聞く。しかい戦後、農地改革で多くの土地を手放し、家業は没落して行った。しかし、母が生まれ育った頃はまだそれまでの名残で資産もあったのではないだろうか。母の父(私の祖父)はホントは医者になりたかったが家業を継ぐためと戦争体制のために(?)かなわず、渋々受け継いだ家業には熱心にならず、私が夏に帰省すると、いつも朝から晩酌(というか朝酌)している。でもそれは家長の特権として正しいものであり、祖母が甲斐甲斐しく酒と肴の用意をしていた。7人兄弟で息子ひとりに娘が6人。女子の高等教育などいらん時代なのに、おばさんたちを関西や関東の都会の大学に進学させた。そして、上から順番にお嫁に出していく。なにしろ6人もいるのだから年齢順も狂うだろう。順番が逆になること自体が問題となった。祖父の満たされなかった夢を成就するべく6人の婿たちのうち二人が医者、二人が東大卒だ。いとこたちは全部で17人。子ども時代、お盆に帰省してずらっと並んで楽しかった。親についてくるのはせいぜい中学くらいまでだ。でもその後もおばさんたちからあの子はどこそこ大学に受かった、というような情報は確実に流されていた。医者になり、おじいちゃんの夢を果たしたのは私を含めて3人だ。私はこの家の価値を受け継ぐことができたから、原家族を再訪する価値があると自分で勝手に思い込んでいるのだろう。

父の実家は群馬の温泉旅館。今でこそ温泉ブームでガイドブックやパンフレットを飾る有名旅館だけど、祖父は地方の中核都市から辺鄙な山奥に飛ばされ、しっかり経営して仕事に熱心だったわけでなくゴルフばかりやっていた。でも、土地と源泉と従業員を多く抱えた家内企業の社長さん。私のふたりのおじいちゃんたちは、それなりに大きな家の家長としてあくせく働かずに悠々としていた。ふたりとも若い頃戦争を体験している。そのことも関係あるのだろうか。父方も7人きょうだいで、いとこは16人。集まって遊ぶのはやはり楽しい。旅館に泊まり温泉に入れるのもさらに楽しかった。おじいちゃんは若い頃、当時の甲子園大会に出たほどのスポーツマンだったがアカデミックな期待値はそれほど高くなかった。

 家族の価値は親から子へ伝えられていく。期待され、お金をかけ、機会を与えられ、家族の価値にのっとった枠組みに照らし合わせた「幸せ」を願う。今回、原家族を訪ねてその大変さに改めて気づいた。オリンピックを見ても、どこの国、どの時代でも自分の所属する集団(国)が秀でていることは大きな喜びと自信につながる。家族という集団の価値も同様だ。より良くありたいと期待する。スポーツや芸術(音楽や芸能など)を期待するのは限られた家で、多くはより良い職業選択の機会を求めアカデミックな成功を求める。子どもは家族の期待に応え、お前は良い子だと承認を得て自己肯定(=生きる根拠と自信)を獲得していく。 子どもは親の期待を無視することはできない。それを成就するか、成就せずにドロップアウトするかのどちらかだ。いずれにせよそれは家や親という枠組みから受動的に与えられた価値であり、子ども自身が自ら能動的に生み出した価値ではない。若い頃は、家の価値を一旦受け入れるか拒絶することしかできない。その後、自身の葛藤を重ねた末に、やっと自分自身の価値を見出すことができる。それは早くとも30代以降だろう。

家から与えられた価値 vs. 本人自身の価値。

 この構図は必然的に葛藤を生む。ガチンコ対決の親子間、拡大家族間の争議であったり、子ども側の問題(反社会的・非社会的逸脱行動)であったりする。それは、家族にとって「良くない」とされる行動・状態である。
 私の場合は楽だった。父は二男、母は四女。それぞれ地方の大家族から離脱して、東京に新たな核家族をつくった。私にとっては親の価値こそ健在だったが祖父母時代から伝わってくる「しっかりした」価値からは切り離されていた。 でも、本家では結構たいへんなんだと今回改めて感じた。本家・分家なんて時代錯誤な! 家制度は崩壊しても、世代間で価値を伝えていく伝統はまだまだ残っている。上の世代からやってくる家族的価値と、自分自身が個人として見出す価値との闘いはそう簡単なものではない。個別の価値はシステムによって承認され、初めて正当化される。家の価値、前世代の価値を受け取るなり拒絶することは容易い。しかしそこから自身の価値を見出し、他者からの承認を得ることは難しい。この葛藤を解決できずに立ち止まり、にっちもさっちもいかなくなってしまった青年たちをたくさん知っている。

家族の価値は、日常の何気なく繰り返されるフレーズの中に埋め込まれている。私が子どもの頃、父親から受け取ったフレーズは「学部時代より、大学院時代にホントの勉強ができるんだよなあ。」つまり大学院まで進学することと勉強という価値が無条件に伝えられた。そして、その頃になると「教授クラスになると忙しくて良い研究はできない。若い助手・講師クラスが一番良い研究ができるんだ。」それは父親自身の体験を振り返ったものであり、何も子どもに伝えようとしたことではないのだろう。価値は意図せず発せられ、受け取る側が多くの日常会話の中から選択して勝手に取り込むのだろう。 私自身がどんな価値を子どもたちに伝えているのかわからない。自分では伝えていないつもりなのだが、きっと子どもたちは何かを受け取っているに違いない。 私は大学院に進学し、大学教授になり、親から勝手に受け取った価値を成就し、承認されたと思っている。大学教授として、医者として、社会からも承認されたと思っている。そういう意味で、期待を引き受けるだけの個人的な素質と、承認してくれる家族という資源を持てたことはホントにラッキーだったと感じている。
 公務員であった父にとって、教授を中途退職して開業するという価値はなかった。これは、家の価値から逸脱した私自身の価値だと言えなくもない。しかし世代をさかのぼれば母方祖父の「医者になる」という価値のワク内であるし、双方の実家の家業経営者ではあるし、結局は大きな家族の価値を抜け出すことはできないし、そうだからこそ幸せを感じることができているのかもしれない。


 先日は突然おじゃまさせていただき、美味しい地元のご馳走をありがとうございました。子ども時代の思い出話に大変懐かしく感じました。酔いにまかせて失礼なことを申し上げたのではと心配しております。

 どこの家でも親は次の世代に価値を伝えようと一生懸命ですね。子ども世代はそれを干渉と感じつつも親の承認を得たいと願います。しかし家族の価値を下地にして、本当の自分の価値を見出すためには多くの経験を積み試行錯誤した末、30代、40代になってからやっと獲得できるものなのかもしれません。
 月曜日は伯方島から尾道まで3時間でした。しまなみ海道は最高のサイクリング道ですね。また機会があれば訪れたいと思います。それでは、季節がらトレーニングのやり過ぎに注意して、お体にご自愛ください。

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