2012年7月3日火曜日

ジェンダーにこだわるセラピー


ジェンダーにこだわるセラピー (Gender sensitive psychotherapy) というのが私の専門分野のひとつです。
もともとは、feminist therapy、つまり女性性にこだわるセラピーでした。
女性外来って結構あるでしょ。
女性という特性(ジェンダー)に注目して問題を解決する。
もちろん、婦人科とかもともと女性のためのものもあったし、女性ならではの病気、症状なんてのもあるし、女性の先生・スタッフの方が良いし。
そういう意味では、カウンセリングって、女性外来みたいなものなんです。
クライエントもカウンセラーも女性の方が多い。
思春期外来だって、女性(母親)が付き添ってくる場合が多い。最近は男性(父親)も来るようにはなってきたけどまだ少ないですね。

男性カウンセラーは割と少数派。精神科医(お医者)は男性の方が多いですけど。
私が男性ですから、男性のためのカウンセリングの場も提供したい。

精神科の女性外来は、フェミニスト・カウンセリングといって、結構昔から一部では盛んになされています。女性であることによって引き起こされる心の問題。たとえば、暴力やレイプ被害。家庭の中、職場の中、社会の中で、女性であるということから劣位におかれ、そのことが女性自身の心の健康を妨げている場合です。
ふつうだったら、「女性だから」ということはそれほど注目せずに問題を理解して、治療しようとするのですけど、フェミニスト・カウンセリングは、その部分を特に注目して、ジェンダーという縛りを解放することによって、女性の心の健康を回復していこうとします。女性の気持ちや体験を共感的に理解するためにはカウンセラーも女性である方が有利です。だから、フェミニストのカウンセラーはほとんど女性です。男性のフェミニスト・カウンセラーも少数ながらいますよ。フェミニストというのは女性の立場に敏感であるという意味だから、別に自分が女性であるということが必要条件ではないのですが、実際は女性の方が圧倒的に多いです。その方がやりやすいし。

Then, what about men?
じゃあ、男性はどうなんでしょう?男性も、男性であるというジェンダーの縛りによって、男性の心の健康が影響されてはいないんですか?そんな視点も、フェミニズムに付随して欧米では1980年代から、日本では1990年代から少しずつ表れてきました。
それ以前の社会では「男性のための・・・」ということはほとんど考えられませんでした。だって、男性であることは世の中のdefaultですから、あえて取り上げる必要もありません。女性は劣位に置かれているからいろいろケアしなければという発想もわきますが、男性優位社会の中ではあまり男性に特化して考えることはなく、人々すべてのことを考える=男性のことを考えるという図式でした。

でも、バブルが崩壊し、高度経済成長、男性優位社会みたいな言われ方が崩れ始めてから、ひょっとして、男性も劣位に置かれることがあるんじゃないだろうか。そんなことに気づき始めました。

それはどういうことかというと、たとえば、
気持ちを表せない。
武士は食わねど、、、、
男の子は泣いてはいけません。
だから、自分の気持ちを表現できません。negativeな気持ちを表現したら、それは「女々しい」と言われて禁じられてきました。女性が泣いても、可愛いいとか、守ってあげなくちゃとか、結構肯定的に見られることもあります。泣く、弱みを見せるということは、心の健康を回復するためにとても大切なことなんです。そうやって、感情を表出したり、他者に支援を求めることで問題を解決できます。だから、カウンセリングも感情表出を扱いますから、女性の得意分野で、男性は来たがりません。

社会の中で、女性は弱者です。
家族の中で、男性は弱者です。
自分の父親が不在だった。だから、父親としてどうふるまっていいかわからない。
家庭内の役割が規定されていない。だからどう家庭人としてふるまっていいかわからない。
(会社の役割は決められているけど、、、、)

Gender sensitive therapy for menというのは、強さへの強迫的な固執とそれを達成するために作ってきた鎧について自分で理解する。強さから弱さへの変革。鎧の下に隠してあった自分の弱さを知る、表現する。弱さも見せ、それも包括した総合的なホントの強さへ変革していく支援です。
男性の治療的指向は、理性(理屈)、合理性・科学性、説明、言葉よりも具体的なモノを求める。理屈で理解する。気持ちはどうでもよい、というか感情を扱えない。

従来のうつ病の治療は生物学的な治療。薬を使う。脳科学に還元する。
本当にそれで良いのだろうか?科学的な根拠を見出し、薬を飲むこと、脳の代謝を何らかの方法で賦活することで解決しようとする。それを否定する訳ではない。でも、本当はそれ以外の方法を避けているのではないだろうか。
うつは、生物学的な見方ではなく、これまでの人生体験の中にその原因が周到に埋め込まれている。それを見たくないがために、脳科学にすり替えてはいないだろうか。そうすれば、自分の人生経験に責任を負わずに済むのだから。

本当の自分を見つめることが、うつ病の回復につながる。
本当に健全な、真実としての男性性とは何か?
ふつうに考えれば、長年努力して来た鎧(力)の強さを男性性としてとらえられているだろう。
しかし、私は違うように考える。
本当の力は、ヨロイにあるのではなく、ヨロイの下に隠された弱さに向き合える力
自分は強い、と信じているうちは、本当は強くない。
自分の弱さを認め受け入れることが、本当の強さである。

長年かけてせっかく築いて来たヨロイを脱ぎ捨てるわけではない。行きていくために必要な武器だから大切にする。
しかし、安全な環境で、一時的に脱いで裸になり、裸の自分の姿を鏡に映してみる。ふだんは隠している弱い部分だから、鏡に映った姿の醜さに卒倒する。それに耐え、醜さを見つめることができるのが、人間としての本当の強さである。
自分のヨロイを捨てる訳ではない。自分のヨロイを相対化(客観視)する。
ヨロイの下に周到に隠してあった影の部分に安全な光を当て風通しを良くする。
今まで見過ごしてきた、隠してきた自分の弱さを表現する。他者に伝え、自分自身でそれを認知する。
そのためには自分自身で点検するしかない。でもひとりだけでは荷が重すぎる。そのプロセスを信頼できる他者に見守ってもらい、証人になってもらう。そういう姿を他者に受け入れてもらう。

どうやってその作業を行うのか?
ひとりでは困難である。そのプロセスを他者に承認されることが必要だ。
信頼できる他者のもとで、自分のヨロイを一時的に手放し、その下の姿を確認する。それをやっているプロセスを、見守ってもらうこと。
このような作業ができるために必要なことは、安全な他者の存在。信頼できる、この人なら大丈夫だと肯定的に評価できる他者。秘密が守られ外には漏れない。表出した弱さの部分を批判・評価せず、そのまま受け止めてくれるはずという確信。

なぜ、男性治療者なのか?
本当にわかりあえる。
男性性のアイデンティティを獲得するためには、健全な男性モデルが必要となる。
男の人生の中で、男同士は傷つけ合う機会が多い。
自分の父親から、仲間から、先輩から、上司から。
男性同士で向き合うことが出来ない。男性同士、親密に心を開くことが出来ない。男性に向き合えない。
男性恐怖症というのは、ふつう女性が抱くものであったりする。男性からトラウマを受けているから。
しかし、同性である男性も、男性恐怖症はけっこうある。男同士がうまく関わることが出来ない。
それを乗り越えると、真の男性性を獲得することが出来る。
セクシュアリティは、男性の孤独・親密性の希求に関わる最もコアな部分であり、最も恥ずかしい部分である。それを安全に開示して、語れることが大切だ。それを女性に安全に語ることはまず不可能である。なぜなら性を女性に語ることはとても恥ずかしくて出来ない。もし無理に開示しようとすれば性の語り自体が性行為、つまりその性的欲求を満たすことになってしまう。
だから、男性が語る相手は男性(セクシュアリティの対象ではない人)であることが必要だ。

なぜ男性グループなのか?
グループでやることの効果。
お互いに体験を共有できる。分かり合える。男性同士の親密性を獲得できる。
ツーショットでやるのが個人治療。
複数でやるのが男性グループ。
グループの力は絶大である。

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