2013年11月15日金曜日

大切な場所

Facebookで小学生時代の友達から40年ぶりに連絡が来た!
名前を見ても思い出せない。ホコリをかぶった卒業アルバムをひっくり返して、ああ、この子ね。思い出した。

彼女曰く:
田村くんは優秀だったからよく覚えています。

えっ、そうなの?
私って小学校で優秀とまわりから見られていたの?
知らなかった。
中学では成績の学年順位が出たけど、小学校ではそんなのもなかったからわからないじゃない!?
あえて言えば学芸会で主役を演じたり、学級委員をやったり、通信簿に「5」が多かったことは覚えているけど、それが「優秀」と呼ぶべきものかわからなかった。
一番初めに気づいたのは、中1の1学期の中間試験だった。
「成績が学年で3番です」
って、そういうことなの?塾にも行ったことなかったからよくわからない。
中学以降に社会の序列が見えてくる。

でも、嬉しい。
そうか。私が知らなくても、私のことを認めてくれている人がいたんだ!
それはとても気持ちが良く、嬉しいことだ。

誰でも人からの承認を求める。

あなたのことを知っているよ。
あなたのことを見ているよ。

その欲求は際限がない。
Twitterで多くのfollowersがいると安心する。
Facebookで多くの「いいね!」をもらうと嬉しい。
ネットの中のはかない関係の中でも承認を求めようとする。
では現実の中ではどうなんだろう、はかなくないのだろうか?

既に、私はたくさんの人から認められてきた、、、と思う。
仕事をその手段に使っている。
授業で多くの学生たちと接し、
クライエントと深く接する。
講演会で多くの人に話を聞いてもらう。
人から感謝される。
テレビにも出て、疎遠だった親戚や友人から「見たよ!」と連絡をもらう。

その快感をもっと味わいたくなる。
精神科医としてもっと有名になりたい。
本を書いてたくさんの人に読んでもらって、自分のことを知ってもらいたい。
有能な精神科医になって、多くの人に認められたい。
そういう欲求はまだ残っている。
より多くの人に認められれば、よりたくさん自分を肯定できる、、、と思い込んでいる。

あなたは大切なんだ。居て欲しいんだ。
と言ってくれる人がいて、自分がこの世に存在する根拠が生まれる。

その相手を誰に求めるかが重要だ。
量でいくか、質でいくか。
質が大切に決まっているのに。

一番身近で大切な人から
あなたは大切なんだ。居て欲しいんだ。
と言ってもらえ、その人に、
あなたは大切なんだ。居て欲しいんだ。
と言えることがこの世に生きる根拠につながる。

しかし、それがあまりにも日常化して気づかなくなったり、逆にそれが得られなくなったとき、フラフラと外の世界に承認を求めようとする。
Facebookも、本を書いて名を成すのも、仕事に生きがいを求めるのも、それはそれで良いだろう。
でも、一番大切なことは、結局、家族に戻ってくることなのだ。そのことを忘れないようにしたい。

しかし実際には、
戻りたくても戻れなくなったり、
気がついたら戻り方を忘れてしまったり、
家族の大切さを忘れてしまった人たちに、
臨床ではよく出会います。

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