2019年8月14日水曜日

群馬移住1)なぜ移住するのか?

なぜ私は群馬に移住する気になったのか?
詳しく紹介したいと思います。

心理臨床家は自分の心を振り返るのが好きです。
私の人生のターニング・ポイントについて、昨年、学会誌にエッセイとして書きました。こちらをご覧ください。
この流れからすると、群馬移住は、私の9番目のターニングポイントになります。

<バックカントリー・スキー>
直接のきっかけは4年前にバックカントリー ・スキーを始めたことです。
スキーは幼少期から始め、生涯楽しんでいますが、施設や環境が整ったゲレンデ・スキーには飽き足らず、自然の山の中を滑るバックカントリー・スキーを始めました。もっとも、高校時代に山岳部でもやっていました。当時は"backcountry ski"という言葉はなく、「山スキー」と呼ばれていました。
守られたゲレンデから自然の中に飛び出すバックカントリー・スキーは危険が多く、必ず地元のスキーガイドさんと共に行きます。月夜野にあるガイドのベースに出入りし、そこでの生活を垣間見るうちに、自然の中での暮らしを具体的にイメージするようになりました。

<家族の喪失と離脱>
10年前に妻を突然の病気で失いました。
3人の子どもたちは二十歳を過ぎ、自立しようとしています。子どもを養育する親役割を卒業しました。
2年前に80代だった両親の最期を看取りました。
家族を育て、ケアする役割から解放された自分は本当に何を求めているのだろうか、孤独と向き合い、自由な立場から考えるようになりました。

<ライフサイクル>
私は62歳になります。同年代の友人たちは長年勤め上げた職場を退職し、老後に向けての生活を模索しています。
若い頃は、人生の山を登っていました。20・30代は家族を作り、社会の中での自分のポジションを確保し、40・50代の頃はそれをどう拡充していくかに夢中でした。
60代になり、山を安全に降りていくことも考えるようになりました。突然崖から墜落してはいけません。その一つが53歳で大学教授を早期退職し、広尾に開業し、定年にこだわらない私自身の老後のプランを固めたはずでした。60代を過ぎてからの大きな生活の変化は大変だから、50代のうちに済ませておこうと思ったのですが、また動きたくなりました。落ち着かない、悪いクセです。

<リセット願望>
今まで築き上げてきたものを手放し、新たに出直す作業は大変です。新たな安定性を得るためには、既存の安定性を崩し、過渡的にせよ不安定な時期を経なければなりません。新たなものを得るためには、すでに持っているものを捨てなければならない。それは勇気が必要です。
なぜ、国立大学の教授職は都内での自由診療を手放すリスクを冒すのか?
そこまでやらなくてはならないのか?
多分、そこには喪失体験の反復強迫があります。30歳で結婚した時は、深く考えなくとも、ごく自然に愛着対象をを得て、子どもたちを生み、育ててきました。
愛着対象(妻)を突然失い、強制的にリセットをかけられました。
愛着喪失の危機に陥り、不安定で脆弱な自分に向き合ってきました。
10年間、いくつかのtry and errorを重ねた末、新たな愛着対象を得ました。
その関係を育むための移住でもあります。
PCが強制終了して、書きかけの原稿を失っても、記憶を頼りに再び一から書き直す自信を得ました。

<群馬の原風景:私自身のルーツ>
私は東京に生まれ、東京に育ち、東京で家族を築きました。
しかし、私のルーツは群馬にあります。
四万温泉は父親の実家です。
私の幼少時、祖父母や親戚がいる四万温泉には家族とよく里帰りしていました。
父親がよく連れ出してくれました。
多くの従兄弟たちと一緒に小倉の滝、摩耶の滝へ遠足しました。
小さな休憩小屋があるだけで、リフトも何もない「四万スキー場」で確か小学校低学年のころ、長靴にスキー板を引っ掛けてスキーを始めました。これらが未知の世界に飛び出していく原体験です。父と母が田舎から都会に出てきたように、私は東京から海外に飛び出して行きました。

大学時代、万座温泉スキー場に久しぶりに父親と行き、体力的・技術的に父を追い抜いたと実感しました。
同じ万座温泉スキー場で、妻を失いました。
子どもたちが生まれ、私自身が体験したように子どもたちにも「田舎」を体験させてあげたいと思い、草津に小さな中古の別荘を買い、家族でよく訪れていました。

父親を見送り、父親との強い愛着を実感しました。
群馬に戻りたい。
表面的なきっかけはバックカントリー・スキーでしたが、移住先として群馬しか考えられませんでした。長野や栃木や北海道といった一般的な選択肢は始めからありませんでした。
群馬移住は、(多分?)私にとって最後のアドベンチャーなのでしょう。

<群馬で何をするのか?>
しかし、旅を終えるわけではありません。
人里を離れ、人の交流を断ち、、、
という生活は、私にとって無理です。
私は、人と交わる中でエネルギーを得るタイプです(外向性)。
多くの人数はいりません。親密な少数の人々との深い交流が私自身の幸せ・生きがいに繋がります。
若い頃のように、拡張志向で仕事を広げていこうとは思いません。
ゆっくりとマイペースで暮らしていきたいと思います。

私自身の幸せは、人との関わりの中から生まれます。
私の知識や経験が、人々を幸せにできることに誇りを持っています。
すでに幸せ感を持っている人ではなく、未だ幸せ感を掴めていない人たち、つまり具体的な悩み・不安・困り感を抱えた人々と関わることで、彼らが少しでも幸せ感を抱けるお手伝いをしたいと思います。

精神科医師として、家族療法家としてできること。
豊かな自然の中で、、、
ゆっくりとした時間の中で、、、
大切な人たちがお互いに向き合える触媒になります。
大切な人だからこそ、期待してお互いを求め、それが成就されずに傷つき、結果的に相手をも傷つけてしまいます。
掛け違えているボタンに気づき、いったん外して掛け直します。
大切な人たちがうまく結びつくことで、安心のパワーを生み出し、不安から安心に転換できるお手伝いをしたいと思います。
具体的には、

a) 子どものメンタルや家族関係の問題を抱え、幸せを感じられなくなっている人たちへの相談活動であり、

b) 事例検討会やスーパーヴィジョンなどを通じて、子どもや家族に関わる支援者・専門家たちを支援する活動でもあります。

これらは私が今までずっとやってきたことです。
(a)は30年前から東京で、(b)は10年ほど前から力を入れ、東京や世界で実践してきました。
群馬は私が一番落ち着ける場所です。ここで、一番落ち着ける人と共に、より洗練した臨床を行なっていきます。

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まだ、移住の言い訳は続きます。

続・なぜ移住するのか?

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