2011年9月3日土曜日

自信を獲得するプロセス


我々は、理解不能な出来事や問題に出会うと、病気・障害という概念を持ってこようとします。専門家に相談すれば、何らかの専門的なカテゴリーをもらうことができますから。たとえば、軽度発達障害、アスペルガー症候群、ADHD、うつ病、統合失調症などが最近の流行です。
しかし、これらの心理的・対人関係的な問題を判断する専門家からすれば、あくまで相対的・仮説的なわけで、絶対的な真実としてのアセスメントではありません。

むしろ、病気・障害などのラベルを持ってくることの功罪を考えなければなりません。
疾患という自分のせいでもない、親のせいでもない、専門的な、一般の人はよくわからなくて良い概念を持ってくることで、不可解な現象に一応の説明を与えることができます。それにより、

  • 怠け・甘え・ダメな人間だからといった本人ダメ言説・本人責任論や、
  • 親の責任、しつけのせいといった親の責任言説

から逃れることができます。
そのことは、自分が悪いんだ、自分のせいなんだと悩んでいる人を解放して、一定の自信を得ることができます。

私は、そのような専門的なラベル付けはできるだけ避け、クライエント自らの言葉で、自らが納得する説明を、他者から言い渡されるのではなく、本人自身が見つけ出すプロセスを大切にしています。その多くは、自身の現在・過去の生活体験の中に埋め込まれているはずです。

しかし、自分のことを本当に理解するってかなり難しい作業です。現在と過去の自分、そして自分を取り巻く人間関係を客観的に理解しなければなりませんから。自分ではわかっているようで、一番わかりにくいことなのかもしれません。もし困難さの由来を自分の言葉で理解して腑に落とすことができれば、そこを意図的に変えるという解決策も得ることになります。

でも、今まで体に染みついてきた習慣を変えるって、とても勇気が要ることです。なじみのあるパターンの方が楽だし、新たなパターンに変えるって、よっぽど確信、自信がないとできません。

どうやったら自信を回復できるのでしょうか?
かなり難しいことですよね。

自信(=自分を肯定すること)とは、現在の自分のみならず、自分の由来、自分の過去の歴史をも肯定することです。
つまり育った環境や、親との関係ですね。
でも、そこに考えを及ぼそうとすると、イヤな体験、思い出したくない体験がまず飛び出してきたりします。
マイナスな過去の記憶を、現在の表象に蘇らそうとする作業はとても苦しく、無理に思い出そうとすれば、せっかく築き上げてきた自信が崩れてしまいます。だから、ふつうそんなことはしません。だれだって本能的に「痛み」は遠ざけようとしますから。

でも、その部分を安全な守られた環境のもとで、丁寧に解きほぐしていくという作業がいつかどこかで必要になります。
「機能不全家族」とか「複雑な事情」という言葉によって、マイナスの体験を毛玉のように丸めて「立ち入り禁止」というラベルを張ることができます。それ以上深めることは危険ですから。

でも、あえてそこに入り込み、ていねいに毛玉をほぐしていくと、ふと糸口を見つけたりします。そうすれば「複雑」とか「機能不全」という原因不明のレッテルを使わずとも、その時代の社会情勢や家族状況に照らし合わせて十分に理解できる、特殊ではなく普通の出来事として見方を新たにします。
そうすれば、自分の過去をマイナス体験として恐れずとも、ふつうに振り返ることができるようになります。

家族はアンビバレントですね。愛と憎しみが両方ごっちゃになっています。憎しみの部分を整理して風通しを良くしてやれば、その背後に隠された愛の部分が何となく見えてきます。
そうやって、自分の過去・自分の由来・自分の家族をじっくり見据えて肯定し、愛し、受け入れることができれば、本当の意味で自分自身を肯定し、過去ばかりでなく、現在の自分と家族や社会と関わる自信を獲得できます。

私の臨床では、こういうことを時間をかけて、じっくり話し合っていきます。
クライエントの語りを伺って、私の中にちょっと別の要素を含んだ物語が生まれます。それを語り返すことにより、クライエントの物語がちょっと変化してバージョンアップされます。それを何度かやりとりして、ふたつの物語(クライエントの主観的な物語と、私の客観的な物語)をすり合わせていくうちに、より良く機能する新たな物語をクライエント自らの力でつくっていくことができます。

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