2013年3月15日金曜日

傷ついた支援者

ユングの言葉に「傷ついた支援者 (wounded healer)」というのがある。
「人生の中で傷ついた支援者が、自らの傷を自覚することで、他者の痛みを理解して、それがお互いの癒しへと成就していく。」
といった意味だ。

ある機関誌の巻頭言を頼まれた。
内容は何でも良い、先生にお任せするという。機関誌の性質上、若者の心理、ひきこもり、電話相談、自殺予防などのテーマが妥当なのだろうが、私自身が一番書きたいテーマと思いめぐらすと、このようなテーマになってしまう。
の4年間、講演や講義などさまざまな機会で語ってきたことだ。

私は4年前、心臓を持病に持つ妻を突然心筋梗塞で亡くした。
正直なところそれまでの50年間、目立った喪失体験や傷つき体験はなく幸せな人生を送ってきた。学歴も、家庭も、仕事にも恵まれ、満足した人生だった。もしかしたら自分で気づかないだけで、ホントはいろいろ傷ついてきたのかもしれない。そうだったとしても、気づかずに通り過ぎても支障ない程度の小さな傷だったはずだ。

妻を失い、大きな悲しみが突然襲ってきた。
何度も同じ夢を見た。妻が生き返り再会の喜びに泣き、夢から目覚めて現実に戻ってまた泣いた。
どうしようも気持ちを収めることができず、夜に友人たちに電話しまくった。(幸か不幸か、いのちの電話は利用しなかった。今から思えば利用しても良かったのかもしれない。)
お葬式には妻の学生時代の親友が福岡から駆けつけ弔辞を読んでくれた。若い頃は夫婦単位でよく交流した仲だった。3ヶ月ほど経ち、どうしようもない悲しみを抱えた私は、会葬御礼を兼ね福岡まで日帰りで彼女を訪ねた。太宰府を案内してもらい、並んで歩いているとふと妻と歩いているような錯覚に陥った。たくさん泣かせてもらった。
自分や小中学生の3人の子どもたちが「うつ」になり日常生活が回らなくなるなるかもしれないと不安だった。「うつ」がどれほど辛いものか、ふだん患者さんを診ているからよく知っている。不眠や食欲不信、仕事をする気力を失ったり、厭世的になったりしたら仲間に薬を処方してもらおうと思った。幸い、私にも子どもたちにもそのような症状は出現しなかった。

ふだん精神科医として心の痛みを抱え動けなくなった人たちを支援しているので、こういう時にどうしたよいのか理屈ではわかっている。人を失った痛みは、人を得ることで救われる。妻の死は友人・知人に知れ渡り、多くの人たちたちが私と子どもたちのことを気にかけて、応援してくれた。パートナーを喪失する痛みは誰にでもわかりやすいし隠すことでもない。多くの人たちが救いの手を差し伸べてくれた。

それに比べると私が精神科臨床で出合う人たちの痛みは深い。うつで仕事や学校に行けなくなるとか、子どもがひきこもっているとか、夫婦がうまくいかないといった痛みは他人に知られたくないし、偏見の目で見られがちだ。支援から孤立し、ますます問題が悪化してしまう。

私は、孤立することはなかった。

私は専門家にも相談した。普段はカウンセラーをやっている私がクライエントとなり、定期的にカウンセリングを受け、多いに救われた。それは4年経った今でも継続している。

私はこの4年間で何かが大きく変わったように思う。一体何が変わったんだろう?

第一に、私の住む世界(心の住処)が小さくなったように感じる。
以前は生き甲斐や自分が何者であるかというアイデンティティを社会という大きな枠組みの仲に位置づけていた。大学教授や医師という社会的役割を担い、授業や診療やメディアを通してより多くの人々に自分の存在が知れ、少しでも役に立つことを自分の生きる目的としていた。
それが妻の死の後は大きく変わってしまった。大きな枠組みの中の自分の立ち位置に興味を失い、家族や友人、臨床で出会う患者さんなど、より近い距離からパーソナルな親密性を求めるようになった。多分、一番親密な人を失い、近い距離の人々によって救われた体験がそうさせたのだと思う。大学教授を辞めて精神科を開業したのもそういう理由からだった。

第二に、他人の苦しみや痛みを自分の体験と照らし合わせて深く実感できるようになった。やっと「傷ついた支援者」になることができた。自分で痛みを体験していないと、他者の痛みを想像や理屈で理解するしかない。以前は「なぜだかわからないけど、心がザワザワする。」という患者さんの気持ちに共感できなかった。精神科医のくせに今までは人の痛みを上っ面しかわかっていなかったんだなとつくづく思う。

第三に、痛みを修復し乗り越える体験を得た。妻を失ったとき、自分がこれからどうなっていくのか皆目見当がつかなった。安定剤や抗うつ剤も飲まなかった。大切な人たちと関わる中で徐々に癒される体験した。
大切な人を失った体験は大切な人によって回復される。新しいパートナーを見つけることではない。自分をわかってくれる相手、気持ちを受け止めてくれる相手の存在によってどれほど救われたことか。
家族がいかに大切な存在であるかも実感した。子どもたちがいたことは養育する負荷以上に支えになった。生きがいを作ってくれた。若い頃、親から自立した後は、親との関係は自分の中では既に「済んだ」関係、あとは近い将来介護の役を引き受ける程度だと思っていた。しかし、心の危機に向き合い、老親がどれほど私を支えてくれたか、その重要性に気づいた。
 しかし、自分の痛みを乗り越えた体験は精神科医としてプラスとマイナス両方があるようにも思う。苦しみは乗り越えられるはずという前提が、未だに乗り越えられずにいる人に希望を与え乗り越える術を一緒に考える勇気を与える。その反面、乗り越えず、治らないままで留まることができない。どうしても前に引っ張ろうとする。

しかし、ここまで考えてきてふと思いついた。私はホントに悲しみを乗り越えたのだろうか。こんなことを考えたり書いたりしているのは、まだ乗り越えていないからに違いない。日常生活は滞りなく回っているし、「幸せ」や「生きがい」を感じることもできる。もしかしたら、それで十分とすれば良いのかもしれない。半分乗り越え、半分乗り越えていない状態で良いのだ。痛みや苦しみを乗り越え、解決することが目標なのではない。問題や苦悩は抱えたままでも良い。抱えながらもそれなりに日々生活を続け、時には小さな幸せを感じることができれば十分なのかもしれない。
そう思うと、だいぶ気持ちが楽になる。

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