2013年3月9日土曜日

やる気の喪失と回復(大学受験編)

A君は小学校時代はとても勉強ができました。中学受験で失敗したので高校受験はがんばろうと、中学時代はとてもがんばり、高校はとても良い進学校に合格できました。
でも、高校ではうまくいきません。それまで熱中していたサッカー部では仲間と合わずに途中から退部して、勉強は難しくなり、秀才ぞろいの友だちからひけを取ってしまいます。がんばっても結果が出ません。
それでも高校3年生のときは受験勉強をがんばりましたが、受けた大学は全部不合格。学校の友達はみんな国立難関大学を目指すので、せいぜい早慶上智が滑り止め。それ以下の偏差値の大学なんて論外です。

浪人しても予備校はおろか、全く勉強が手につかず、深夜までネットやゲームばかり、朝も起きてきません。たまに中学時代の友だちと遊ぶくらいで、生産的なことは何もしていません。

親の勧めでカウンセリングにやってきました。当初は「話すことなんかない」とカウンセリングも嫌々でしたが、次第に気持ちを話してくれるようになりました。今何もやる気が出ないのはふたつの理由があるとA君は言います。ひとつは高校が合わなかったこと。もうひとつは、親が無理にこの高校に入れさせたことです。
A君はホントは別の高校に行きたかったのです。そちらは大学の付属校だから、のびのび好きなサッカーができるはずです。でも父親がどうせやるなら難関大学を挑戦しなさいとこっちの高校を奨めてきました。A君にとって父親はすぐ怒鳴り、自分の思ったことを絶対に曲げない人です。仕事が忙しくてあまり話すことはなかったのですが、しかたなくA君が折れました。入学してみると、やはり雰囲気になじめず、部活の仲間ともうまくいかず、成績もだんだん下がってきました。

その後も、時々カウンセリングにやってきます。それほど乗り気ではなく、親に言われて嫌々やってきます。でも、話しているうちにだんだんと気持ちの整理がついてきました。
  • 高校に入ってから自信をなくしていること、親が奨め、友達が目指すような難しい大学に受かる自信が全くないこと。
  • 自分は優柔不断で流されるタイプ。今まで如何に父親の圧力に屈してきたか
  • 中学のサッカーの友だちと交流していて、小中学生のころのサッカーがオレの自信の源だったこと
などが見えてきました。

A君と並行してご両親もカウンセリングにやってきました。無為な生活を送るA君を見ていると、このままずっと立ち直れないのではと不安になり、一緒にいる時間の多い母親は精神的にとても暗く辛くなり、父親は腹が立ちイライラしてつい妻や子どもにあたってしまいます。
なぜこんなに無気力でやる気が出ないのか、ご両親にとってまったく不可解です。
私の方から「マユこもり」のたとえで説明しました。
つまり幼虫から成虫に変化する狭間の停滞期間なのです。
子ども時代は親のエンジン(価値観・原動力)で動いています。親や先生などまわりの大人たちが設定した目標・価値に向かって動きます。
大人の心を持つとは、自分自身のエンジン(価値観)を見出さなくてはなりません。自分は何を目指すのか、どういう人になりたいのか。
このようなことで悩むのは女性より男性に多いように思います。
また、親が立派な学歴・ステータスをお持ちの場合が多いです。
親の価値観は言葉にして伝えなくても、親の存在自身が子どもの目標(目指す価値)になります。子どもは親の期待を敏感に感じ取ります。親のように立派になり、親からの承認を受けることで、自分はこれで良いのだ、一人前なのだという自信を獲得できます。

しかし、それまで親から与えらてきた価値観に代わる自分自身の価値観なんてそう簡単には見つかりません。時間がかかります。それまでは自信なんて持てません。
親から伝える価値観として、一番わかりやすい例が大学進学です。親が高学歴の場合、子どももどこの大学を目指すかという学歴が価値観となります。親の期待する学歴・大学レベルを目指す実力があれば、とりあえず自分の価値観などなくとも親の価値観を使って大学受験に向かうことができます。しかし、そのレベルに達していないとそこに進めません。停滞して、それに代わる価値(目標)を作らなければなりません。それはまだ未熟な高校生にとってかなり困難な課題です。

毎日ゲームやパソコンなど無為な生活を送り、楽をしている。ぜんぜん悩んでいないことが、親にとって何より不可解です。
A君は深く悩んでいます。でもそのことを誰かに表現するまで時間がかかりました。カウンセラーの私には少しずつ語ってくれましたが、親にはいまだに話したくありません。話せないというか、話す気にはなりません。
今のままではいけない、進路を決めて、勉強して、前に進まないといけないということは十分にわかっています。しかし、A君にとって親やまわりの友人から与えられた道は断崖絶壁のようにとても達成不可能な道です。
もしかしたら達成できるかもしれないという希望があれば、人はがんばることができます。
しかし、達成できる可能性が見えなければ、がんばることは不可能です。
私だってノーベル賞をとる目標を立てられたら、全くやる気をなくすと思います。

A君は少しずつ元気を取り戻しました。
始めはイヤイヤだったカウンセリングも、回数を重ねるにつれ自ら進んで気持ちを語るようになりました。
父親との交流も回復しました。身近にいる母親とは以前から普通に交流していましたが、父親との接点が増えました。何気ない会話が増え、子どものころは怖くてうまくはなせなかった父親とも、普通に話せるようになりました。
中学時代のサッカーの仲間とも時々交流し、気持ちの整理に役だったようです。

つい先日、A君が受験の報告にやってきました。今までは親に促されてやってきた面接も、今回初めて自分から予約をとりました。この半年間、やる気を回復して、某大学に合格したという報告です。A君にとって親が一番勧めていた難関大学ではありませんが、学校の先生や仲間にも紹介できる程度、自分でも許せる程度の大学です。
これまでは高校や勉強がうまくいかない理由づけを父親のせいにしていただけなのかなと、今までのことを振り返ります。

私から、これでカウンセリングも卒業だね。この苦しみを乗り越えた体験で、A君はとても成長したよと、たくさんの「おめでとう!」を伝えました。
初めてA君と出会ってから、ここに来るまで1年半かかりました。

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