2013年9月16日月曜日

家族臨床-私の見立て (2):関係性モデル

関係性モデル

 このように臨床家として駆け出しのさまよえる時期に私は家族療法と出会った。大学院生であった私は1984年の本学会第一回大会のミニューチンの講演を聞き、家族を理解する枠組みに目から鱗が落ちる思いだった。学会をきっかけとして当時国立精研にいた鈴木浩二先生のもとで半年ほど学んだ後、ロンドンで3年間家族療法を学んだ。これらの臨床体験とトレーニング体験を経て、私の視点は個人中心の医学モデルから関係性モデルにシフトした。

ロンドンのTavistock Clinicでは対象関係論とシステム論を学んだ(文献1)。水と油のような両者の共通点は「関係性」である。乳幼児期の母子関係に限らず、人は一生を通じて安全な関係性の中でエンパワーされ、不安定な関係性の中で生きる力が削がれ病理を生み出す。問題を維持しているのは個人の内部にあるのではなく、個人を成り立たせている文脈にある。臨床も全く同様であり、安全な治療関係の中で人は癒される。

(安全な関係性と不安定な関係性)
安全(secure)な関係性の基盤があると、未知の他者を信頼して肯定的な側面に目を向ける力を得ることができる。お互いに本音を伝え合い、考えの異なる他者を認めつつ相互が適度に自己主張して折り合う。安全な関係性の中で開示された否定的体験を他者が承認し、関係性を築く自信を得る。肯定的な自己をつくり、人生の困難を乗り越える力を得てライフサイクルを前に進めることができる。思春期の子どもは社会性を獲得し、家族から巣立っていく。

不安定(insecure)な関係性の基盤の上では他者を信頼できず、どうしても相手の否定的な側面に目を向けてしまう。自己主張すると相手を傷つけ、自分も傷つくので本音を伝えることも、違いを受け入れることができない。親密な関係性の中に不安を抱えているために、新たな関係性を築こうとしても不安が先行してしまう。親密な他者から十分に支えられず、お互いの不安を投影し合い、不安が家族間で連鎖する。肯定的な自己像を作ることが困難になる。困難や問題に直面しても十分に話し合うことができず、孤立したまま不安に満ちた解決策を繰り返してしまい、よけい不安が増大してしまう。ライフサイクル上の変化や突然の人生の困難さに向き合うことができず、停滞してしまう。思春期に入りソトの世界の新たな関係性に不安を抱き、傷つきから身を守るために外界との関係を絶ちひきこもることもある。

ひきこもりは個人病理でも家族病理でもなく、安全な関係性が確立できない状態と私は考えている。思春期は関係性のスキルを獲得していく時期である。家族や小学校など受動的に関係性が与えられるウチの世界から見知らぬソトの世界に飛び出して、自己に責任を持ち、能動的に他者との関係性を作り始める。人は通常の社会生活を営んでいるかぎり、人々と交流体験を通して関係性を進化させる。巣立つ元の家族関係に焦点を当てなくとも、巣立つ先の関係性で試行錯誤することで成長する可能性がある。しかしひきこもり、他者との関係性が絶たれると成長の機会を失う。それが長期化して、臨床場面にも本人がやってこなければ、唯一のこされた関係性は家族のみである。家族という関係性をいかに有効な資源として活用できるかが最重要のテーマとなる。

家族は問題を抱えると不安定な関係性に傾きやすい。それが長期化すると不安の悪循環に陥り固定化してしまう。このパターンは夫婦不和、実家との葛藤、ひきこもりなど慢性的な問題を抱えた家族によく見られる。臨床家は家族に参入して治療システムを形成し、関係性の安定を図る。そのためには専門家という立場を利用して各メンバーを共感的に理解し信頼関係を樹立する。家族各人の立場をねぎらい、相手から否定されがちな状況を肯定的に意味づけする。たとえば、子育てに関して両親がお互いのやり方を批判しあっているとき、父性・母性という異なるアプローチが子どもには必要であることを説明して両親それぞれの異なる立場を肯定する。家族がお互いに傷つけあうことを恐れ、本音を伝え合えない関係性に臨床家が参入し、双方を肯定しながらコミュニケーションを促がす。このような働きかけをあきらめずに繰り返していく中で家族の関係性が多少とも好転して、各メンバーが潜在的に持っていた解決策を語り始める。そうなれば治療者が直接問題解決に関わらなくても、家族自身の力で自らの危機を乗り越えられるばかりでなく、家族が自信を回復し、レジリエントな家族システムへ進化できる。

このようにして不安定な関係性をより安全な関係性に変化させるのが関係性モデルにおける臨床家の役割である。それを遂行するために最も重要な要件は、治療者・クライエント間の安全な関係性を確保することだ。それを複数の家族メンバーとの間に同時に確保することは、個人セラピーに比べて難易度がかなり高い。治療への動機づけはメンバー間で差がある。動機づけの高い人に比べて、低い人との関係性構築がより難しい。また一方との信頼関係がもう一方との関係性樹立の妨げになることもある。治療者は中立性を保ちつつ各メンバーに深く共感し、焦らず丁寧にジョイニングしていく。

(関係性の中で見立てる)
関係性モデルでは観察者から切り離された客観的な対象としてではなく、関係性という枠組みの中で見立てる。共感的な理解は臨床家自身の感情体験を投影する主観的な体験である。

クライエントが問題をどのように語り、そこにどのような感情を乗せるかは臨床家との関係性に大いに影響される。治療初期の信頼関係が途上の段階ではクライエントも臨床家も納得のいかない中途半端な語りしか得られない。治療を進め信頼関係が深まると問題の背景や解決の可能性について初期の頃とは全く異なる内容が語られるようになる。深化する関係性の中で、見立ては常に変化している。

 臨床家が持つ見立て(診断名というストーリー)はクライエント自身が持つ見立ての上位に位置するものではない。臨床家は理論的枠組みと臨床経験という強みを持ち、クライエントは自分の体験という多くの情報の中からどの部分を切り出すか自由に選択する。いずれにせよ双方が持つ見立ては多くの可能性の中から恣意的に選んだひとつのストーリーにしか過ぎない。たとえば、多くのクライエントはなぜ学校に行かずひきこもっているのか「分かりません」「理解できません」という姿勢で相談にやってくるが、よく話を聞いていると本人も家族も何らかの「見立て」を持っていることに気づく。「うちの子は何かの精神病かもしれない。」、「親には言えない悩みを抱えているから、専門家と話せば良くなるはずだ。」、「親の関わり方が良くなかったから。」、「単に甘えているだけ。母親が甘やかしているから。」といった具合である。これらの見方は臨床家の見立てとは別の次元の主観的な見立てであり、家族内でも父親・母親・本人さらにはきょうだいの間で異なる。まずそれらをよく導き出すことが肝要だ。ひとりのストーリーよりは複数の異なるストーリーがあった方が良い。臨床家とクライエントがそれぞれの見立てを出し合い会話する中で相互に影響を及ぼし合い、語り方が変化していく。それを積み重ね何度もバージョンアップした末に、「なるほどそういうことだったのですね。こうすれば問題が解消されるのですね。」と腑に落ちるストーリー(alternative story)を臨床家とクライエントが持つことができれば、治療という行為は成功とみなされる。

(臨床家自身の関係性に焦点を合わせる)
臨床家は自身の体験を投影することによってクライエントに共感する。クライエントが表出する影の部分(否定的な感情や体験)を否定したり、怒りや不愉快な反応で防衛することなく肯定的に受け止めることでクライエントは安心と臨床家に対する信頼を得る。信頼関係に裏打ちされた自己肯定感が育つと、当初は否認していた光の部分(自己および他者に対する肯定的評価)を表出するようになる。臨床家はそれを自身の光(肯定的な体験)に照らし合わせて共感することによりクライエントと臨床家の間に安全な関係性が育成される。クライエントはその体験を家族関係にも波及させて、より安全な家族関係を築くことができる。

臨床トレーニングの中で自己の体験を外在化できれば、それを臨床現場で自由に利用できる。それは①一個人としての生育歴・家族歴に埋め込まれたライフサイクル上の重要な他者との否定的・肯定的な関係性であり、②臨床現場における関係性に埋め込まれた感情体験である。否定的な体験を語り、未だ言葉にされていなかった体験に言葉を与えていく作業の困難さを体験し、それが他者に受け止められる安全感を体験する。精神分析家のトレーニングにおいて自己の内面を振り返る教育分析が基本となるように、家族療法家にとって自己の体験を振り返るトレーニング self of the therapist training) は基本中の基本である (文献2)。

私も臨床家になってから何度もこのトレーニングを繰り返してきた。20歳代で行った時はまだ自己体験を落ち着いて振り返る余裕はなく、全く腑に落ちなかった。結婚、子育て、パートナーの喪失などの家族体験を重ねていく中で、自己のストーリーは30代、40代、50代と年齢と共に変化していく。臨床家にとってクライエントと協働する臨床体験はパーソナルな自己の生活体験と相似形であり、臨床家が自己を語るトレーニングの場を持つことが、クライエントが自分を語りうる臨床場面を提供することにつながる。

(文献)
1) Byng-Hall, J. (1995) Rewriting Family Scripts: Improvisation and systemic change. New York, Guilford Press.
2) Baldwin, M. ed. (2000) The use of self in therapy. New York, Haworth Press.

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