2013年9月23日月曜日

安全に傷つく体験

  • 先生が講義の中でおっしゃっていた、「安全に傷つける」ということについて、具体例などをお話しください。
多くの方々から「安全に傷つく体験」について質問を受けました。一番重要な点なので、少し丁寧にご説明しましょう。
  • 「試練・傷つきが成長を促す」とありますが、ひきこもりソトの世界がない状態で、誰が試練を与えるのでしょうか?「親の声のかけ方・関わり方」なのですか?
はい。そのとおりです。親です。
他者との交流とのなかで「試練や傷つき」は与えられます。
ウチの世界にひきこもっていると、他者がいません。
他者との交流を避けるためにひきこもっています。
ひきこもっていると「試練・傷つき」の機会が失われます。そのままだとずっと成長できません。
唯一、利用可能な他者は家族です。
家族は、ふつうウチの世界の番人で、子どもが傷つかないよう保護します。
保護する機能(=母性)は大切ですが、それと同時に傷つけ、外に押し出す機能(=父性)が必要です。
子どもはウチの世界で保護する人よってに守られ、100%の自分でいることができます。自分の思い通りになる世界をまわりが作ってくれます。
子どもから思春期に成長し、ソトの世界に進出するには守ってくれていた保護壁から抜け出し、ひとりソロで相手と向き合わねばなりません。
他者というのは基本的に異質ですから自分の思うとおりにはいきません。必ず多かれ少なかれ傷つきます。100%の自分はもはやキープできません。それはよく考えてみればとてもショックなことです。
100%でなければもう自分ではなくなってしまう!
そう考えれば、傷つくような場面は絶対避けます。つまり、100%の自分をキープするか、前面撤退する0%のどちらしかありません。その中間はあり得ないのです。それが自己万能的自我です。

異質な他者を受け入れるには自分が折れなければなりません。10割のはずの自分が7割に目減りしてしまいます。3割ほど自分らしさが減ってしまうけどそれで構わないのです。残り7割でも大丈夫。十分、自分としてやっていける。でも、相手も多少削ってもらい自分を受け入れてもらいます。
1+1=2 にはならず、
0.7+0.7=1.4 にしかなりませんが、そうやって他者と折り合い、自分が居てもOKな「居場所」を確保することができます。自分が存在することで相手が少し影響を受けるわけで迷惑をかけるのですが、自分だって相手のせいで影響を受けているわけで、自分が「それでも良いよ仕方がないよ」と認めれば、相手自分を認めてくれるイメージを描くことができます。
「7割でも構わないよ。それでも自分が失われるわけではなく、十分に自分を維持できるよ!」と誰かに言われ、承認され、それで良いんだと思えれば、安全に傷つくことができます。
  • 家の中にいるだけで全く家族以外の人との関わりがありません。今は正直おだやかな毎日が過ぎている感じです。安心感はあるので、どうやって安全な傷つき方をすればいいですか。まず何をやってみればよいのでしょうか。
それはウチの世界に留まっている安心感です。ホントの安心感ではありません。
できることはたくさんあります。そのひとつとして、外に誘い出してみてください。
怒ったり強制するのではなく、穏やかに、丁寧に、しかし力強く伝えましょう。
「外に出れば傷つくでしょう。でも、大丈夫、傷ついても構わない。傷ついても自分がこわれることはないから試してみてごらん!」
このように「外に出ても、傷ついても良いのだ。おまえは外に出て成長できるから大丈夫だ!」という安心感を与えてください。
  • 息子に外に誘い出そうとするのですが、すべて「ノー」と拒否されるので私はもう声をかける元気もなくなってしまいます。こんな時、どう気分を立て直し、どう対応したらよいでしょうか?
元気がなくなるのは当然だと思います。
元気や勇気は自分ひとりで作り出すものではありません。
人からもらうものです。人との交流から生み出されるものです。
自分の行為や努力に対して、人から「イエス」と肯定され承認をもらうと、ああ自分はこれで良いのだと元気が発生します。
逆に、人から「ノー」と否定されると、元気が失われます。
このようにして、親から子どもに元気を伝えます。
その逆も同様です。親も子どもから元気をもらいます。
親が子どもに働きかけ、「イエス」をもらうと親は元気になります。
その逆に、「ノー」をもらうと親の元気はなくなります。当然ですね。

では、どうしたらよいのでしょうか?
親は誰か他の人から元気をもらってください。
子どもはもうしばらく「ノー」を突きつけるでしょう。子どもから元気をもらうのは無理です。
両親の間で元気を醸成してください。
たとえば、父親が子どもに働きかけ「ノー」を突きつけられたら、妻が夫に対して「イエス」を伝えてください。
「お父さん、今は子どもからノーだけど、そうやって子どもに伝え続けた方が良いよ。『イエス』だよ。お父さん、がんばって!」
というように。
お母さんが関わる場合は、夫から妻に「イエス」のエールを送ります。

要するに、元気のバケツリレーなんです。
子どもが元気を回復するために、親が元気を与えます。
親が元気を回復するために、もうひとりの親(あるいは家族の誰か)が元気を与えます。
家族が元気を回復するために、社会には支援者と呼ばれる人たち(たとえばカウンセラーとか)がいます。私もその一人です。
  • 父親が話しかけようとすると、逃げたり、口をきかなくなるので、何も言いたいことを言えません。
言いたいことはしっかり伝えましょう。
それが親の果たす義務です。
親から子へ、命を繋いでいくわけですから。
  • では、どうやって伝えればいいのですか?
それは、ハウツーではないんですよ。
大切なのは言おうとしている親の元気さです。
親に元気があれば自然に子どもと向き合うことができます。不思議ですが。
元気が足りないと、心配したり、焦ったり、怒ってしまいます。すると、逃げる子どもを捕まえたり、無理に迫ったり、うまく伝えられないどころか修羅場になってしまいます。
  • 両親とも健康で、普通に生活しています。病気もせずに元気ですけど、、、
いやいや、、、
それは身体の元気さです。
私が言っているのは、心の奥底の元気さです。
  • 娘は大変傷つきやすく、テレビやインターネットなどのちょっとした言葉にも自分の考えと異なると深く傷つき、思いつめて死にたくなってしまうのです。
その傷つきの気持ちをよく聴いてあげて下さい。
そして、「そんなことない!」と否定するのではなく、受け止めてあげて下さい。
十分に気持ちを理解してあげれば良いです。娘は自殺するのではないだろうか、、、と心配しなくても大丈夫です。
そして親が言いたいこと、言うべきことをしっかり伝えましょう。
娘さんは、死にたいわけではありません。
死にたくなってしまうほど辛いのです。
「死にたい」というのは「辛い」という気持ちにかかる修飾語です。
その辛さを十分に受け止めれば、大丈夫になります。

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これらのことを親が行うためにとても重要な前提条件があります。
親が心の元気を確保していることです。
それは、心のコップに人の気持ちを受け止めるだけの余裕があることです。
それは、親が希望を持っていることです。
未来のことは、だれも知りません。
希望とは、誰もわからない未来を肯定的に受け止める力のことです。
不安とは、誰もわからない未来を否定的に受け止める心のクセです。

「安全に傷つく」ということなんです。
何でもかんでも、傷つけば成長できるというものではありません。
安全に傷つく」のです。
  • その安全とは何でしょうか?
家族など重要な他者が、自分のことを肯定的に受け止ているのだという安心感です。

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